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最近の記事では、アイヌのことを書いています。なお、「アイヌ」には「ひと」という意味があるそうなので、「アイヌの人」という言い方はあえてしていません。なんだか呼び捨てのように感じられるかもしれませんが、ご了承ください。アイヌ文化に詳しい方の監修で描かれたマンガ『ハルコロ』の第2巻に、次のような記述があります。・アイヌは文字を持たなかったとよく言われるが 人類が出現して百万年単位の中で見れば 文字を持った民族と持たなかった民族との差は わずかな時間的なものである・しかも 多くの民族は 文字を得たことによって 失ったものがかなりあった・その中でも特に重要なひとつに 暗誦による民族文学――伝承の世界がある(『ハルコロ』文庫版 第2巻 p77より)僕はこれを読んで大変驚きました。今、僕が勤めている「学校」というところでは、「文字」の読み書きに依存した学習が当たり前のようにおこなわれています。そのなかで、「読み書き障害」と言われるお子さんが、とても苦しんでいます。僕は、LD通級の担当者として、「文字の読み書きに依存しない授業」を模索し、通級児童の所属する学級に提案することをおこなっています。「文字」は非常に重要なものであり、知的活動において欠くことのできないことのように思い込んでいましたが、実際は、そうではないのかもしれません。アイヌは文字を持たなかった。しかし、とても豊かな文化を持っていました。もっと、「文字」以外に目を向けてもいいのではないか、と思いました。上の引用箇所の最後に述べられている「暗誦による民族文学――伝承の世界」を現代に伝えるものとして、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』があります。町の書店で購入できるほか、今ならオーディオブックで聴くこともできます。知里幸恵さんオリジナルの序文は、アイヌの文化に誇りをもった知里幸恵さんの思いの詰まった名文です。文字ではなく、朗読で聴くと、より一層、感慨深いものがあります。『知里幸惠 アイヌ神謡集 』(岩波文庫 赤80-1)[ 中川 裕 ]「知里幸恵 『アイヌ神謡集』」(100分 de 名著)[ 中川 裕 ]「アイヌ神謡集 朗読CD」<Audible>アイヌ神謡集(ナレーター: 村上 めぐみ)※試聴できます。▼この冬読んだ、アイヌに関する本4冊 (2024/01/29の日記)▼過去に学べ ~万博が抱える黒歴史「人間動物園」(東京新聞) (2024/01/28の日記)
2024.01.30
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昨日の日記で、「この冬は、アイヌに関する本をいくつか読みました。」と書いていました。具体的には、以下の書籍です。『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』 (PHP心のノンフィクション)[ 金治直美 ]↑子ども向けに書かれているので、とても分かりやすく、読みやすかったです。『ハルコロ』(1) (岩波現代文庫 文芸338)[ 石坂 啓 ]『ハルコロ』(2) (岩波現代文庫 文芸339)[ 石坂 啓 ]↑マンガです。 和人の侵略を受ける前の、アイヌの暮らしがよく分かります。 著者は、手塚治虫の弟子にあたる方。 とても丁寧なタッチで描かれています。 これは、名作!『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた 失われたカムイ伝説とアイヌの歴史』[ カベルナリア吉田 ]↑北海道中をまわる旅行記。 ブログを本にしたような感じです。 アイヌに関係ない話題もかなり出てきます。 個人的なレポートという印象ですが、大いに参考になりました。テーマを絞って関連図書を並行読書すると、1冊の本だと見えてこなかったことが見えてきて、立体的な理解につながります。具体的には、また次回以降でご紹介します。
2024.01.29
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この冬は、アイヌに関する本をいくつか読みました。#それらの本についてはまた改めて紹介します。アイヌ民族は北海道などに住んでいた先住民族です。ただ、国際的に先住民の権利が叫ばれるようになるまでは、正式に先住民であることさえ認められていませんでした。アイヌ民族は、和人(日本人)に侵略され、土地や言語を奪われた、という過去があります。僕たちが忘れてはいけない過去だと思います。これに関連して、最近知ったことがあります。Web上にちょうどその記事が出ていたので、紹介します。▼万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは(東京新聞Webサイト、2023年12月17日記事)特に、以下に引用する内容は、あまりにもショッキングでした。・マジョリティー(多数派)がマイノリティー(少数派)を理解しようとする時、『理解してあげる』という優位性が生まれる。人類館も当時、人々に『理解』させようとして生まれた。(同サイト中央付近の記述より)無自覚な差別の姿が、非常に端的に表れていると思いました。来年、再び大阪万博があるようです。人権を無視したものにならないように、と願ってやみません。上の記事を読んで、僕は、「当事者の声を聴け」という、障害者運動でよく叫ばれていたことと同じことを思いました。当事者を無視して勝手に進んでいくような事態は、避けなければなりません。教科書には出てこない歴史というものがあります。教科書だけでなく、後世の歴史は、時の権力者にとって都合の悪いことは載せなかったり、都合のいいように解釈して載せたりすることがあります。真実を見る目を、もちたいです。
2024.01.28
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昨日・一昨日に引き続いて、またまた合唱曲のYouTube動画を作成し、公開しました。合唱練習用の【動く楽譜】です。曲は、「絆」(作詞・作曲:山崎朋子)二部合唱譜です。今回は、スコアメーカーの設定で、上のパートと下のパートの音符を別の色で表示させています。いろいろ試行錯誤中です。同じ曲の音取り用動画も、パート別に用意しました。↓上のパート↓下のパートいちおう、ボーカルの音色設定で、上のパートと下のパートで成分を少し変えています。下のパートの「子ども」成分が多くなっています。音取り用動画は、今回はかなり「シンプルな焦点化」を心がけました。「スコアメーカー」の拡大率は最大にして、そのパートをとにかくでっかく表示させています。教室の電子黒板で再生させる際に、席が一番後ろの子でも、かなり見やすくなっているはずです。また、今回は別パートの音をうっすら鳴らしたりせず、完全にそのパートの音だけが伴奏と一緒に鳴っている状態にしています。これぞ、「ザ・音取り用」という感じになっています。失敗談としては、画面録画した際に、下のパートのところだけ「mf」のところを「f」としてしまっていたところがありました。動画を撮りなおせばいいものを、その手間をいやがって、動画編集の際に「m」の文字を追加してごまかしています。ただ、タイミングを合わせるのがなかなか難しくて、0コンマ何秒か、「m」の文字だけずれて表示されているかもしれません。毎回、何かしら失敗しています。お許しください。
2024.01.21
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ほかにやることがいっぱいあるのに、音楽系Webアプリ「Moises」でおもしろそうな機能を見つけたので、それを使って新しい動画を作ってしまいました。はっきり言って、すごい動画ができています!!僕の大好きな合唱曲「空は今」を歌った動画です。この曲、あまりに好きなので、以前僕がスマホをマイクにして録音した歌声が、PCのハードディスクに取り込んであって、残っていました。それを、「Moises」の機能で他の歌手の声(女の人の歌声)に置き換えて、動画にして公開しました。#どういうことかは、後で説明します。とりあえずその動画を先に聴いてもらいましょう。2バージョンありますが、そのうちの1つめが、上の動画です。おばあさんが祈りながら歌っているような雰囲気があり、この曲には合っているのではないかと思います。※この曲はもともと、原爆の被爆地のことを思って作られたという経緯があります。では、>「Moises」の機能で他の歌手の声(女の人の歌声)に置き換えて、動画にして公開というのの説明を、以下に書いていきます。「Moises」については以前このブログで紹介しました。音楽ファイルを読み込んで楽器の音で分離させて個別再生できるようにする神アプリです。▼「Moises」楽曲のボーカルだけでなくドラムなどの楽器音も分離して個別に再生!そのときの紹介内容だけでも神なのですが、さらにさらに驚くべき機能がこのアプリには搭載されていたのです。期間限定お試し無料の有料会員になったのを機会に、試してみました。「Voice Studio」という機能です。↑「トラックを分割」というメニューの下に、ありました。#ほかにもすごそうな機能がありますが、それはまだ未体験。この機能は、ボーカルのみの音声ファイルをアップロードすると、違う人の声での歌声に変えてくれるという、信じられないような機能を使うことができます。機械的な、いかにもボーカロイドといった歌声ではありません。はっきり言って、本当にその歌手に頼んで、歌ってもらったのと、同じです。入力もとの歌声を人間くさく歌えば、どこまでも人間くさく歌ってくれるという、スグレモノです。数年前、紅白歌合戦で美空ひばりのAI歌唱が披露されたことがありましたが、あのクオリティは、こんなふうにして仮歌を読み込ませて声質だけを美空ひばりのものに変更したのだと思います。僕はほかの動画で、ボーカロイドに楽譜を歌わせる系統の動画も公開していますが、そういったものとは段違いで、本当にその歌手が歌っているとしか思えない歌声に仕上がります。びっくりです。「Moises」では、いろんな歌手が選べるのですが、最初から選べるのは、女性歌手のKateさんと、男性歌手のRyanさんだけでした。もちろん、Kateさんの声に変換すると、男声である僕の声が、自然な女声に変換されるのです。ただ、Kateさんの本来の音域は僕の音域よりも半音6つ分高い。そのため、自然な音声変換にする場合、自動で半音6つ分高めにピッチ変更がされます。ただ、そうすると今度は伴奏と音の高さが合わなくなってきます。今回はそちら(=Pitch 6)も聴いた上で、ピッチ変更なし(=Pitch 0)のバージョンと、1オクターブ高くする(=Pitch 12)バージョンの2種類も、追加で出力しました。上の画面写真で最初に書いてある「車内録音ボーカルのみ」というのが、読み込んだ元ファイルです。気分が乗ってきていい声が出そうな時に、クルマの中で歌った歌声です。#クルマは止めて人気のないところで歌いました。#僕は通勤中にクルマの中でよく歌っているので、帰りの車の中でいい声で歌えた時は「これは試しに録音してみないと!」と思って、クルマを止めて録音します。ここで、ボーカルのみファイルの用意の仕方について、書いておきます。今はスマホとかでも簡単に自分の歌の録音ができますよね。ただ、そうやって録音したファイルには雑音もかなり入っているので、そのままではボーカルのみのファイルとしては使えません。ところが、「Moises」のボーカル分離機能を使うと、ボーカルだけ雑音からきれいに切り離すことができるのです!完全に雑音が取り切れるわけではないですが、無音のはずのところに入っているノイズを音声ファイルの途中を無音化できるソフトで微修正すれば、かなり使えるボーカルファイルになります。僕の場合は、「Ability4」という愛用している音楽制作ソフトでボーカルファイルを読み込ませて、本来無音のはずのところを完全に無音にしてノイズを取る作業をしていきました。また、最終的にピアノと合わせるときに、いちおう「リバーブ」(残響)のエフェクトを入れています。今回は最終のアウトプット(いわゆるミックスダウン後の出力)に、「Reverb2」の「Vocal」というエフェクトをかけています。動画編集ソフトは久しぶりに「ムービーメーカー」を使用。キャプション機能で歌詞を入れていきました。動画素材はCanvaで作ったものを使用。「ムービーメーカー」の「視覚効果」をいろいろ変更することで、同じ映像素材を少しずつ違う見せ方をしています。それでは、2つつくったバージョンのうち、2つめも、聴いていただきましょう。歌唱者の「KATE NIKATOMA HIGH TONE」は、「にかとま」の声を「ケイト」の声にピッチ変更12で置き換えた、という意味です。1つめのバージョンよりも1オクターブ高い、ハイトーンボイスによる歌声になっています。あなたは、どちらのバージョンのほうが、好きですか?なお、一部歌詞を間違えて歌っているところがあります。気持ちを込めて歌っていたら、歌詞を間違えてしまったのです。ごめんなさい。僕はプロの歌手とちがって、同じ歌声でもう1回歌うことができないので、そのまま使うことにしました。ご了承ください。↓この曲は、合唱版の「動く楽譜」バージョンも制作しています。 それについては、こちらの過去記事をご覧下さい。▼合唱曲「空は今」+「どこでもドア」 (2023/10/04の日記)
2024.01.20
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先週、卒業式の定番曲「旅立ちの日に」の同声2部合唱版を2種類、YouTubeで公開しました。同声2部合唱なので、思いっきり、小学校の卒業式を想定しています。1つは、僕の過去の勤務校の卒業式で歌った、少し変則的な編曲のバージョンです。既存の楽譜から取捨選択して、そのときの卒業生に合った譜面にしています。そのときの「下のパート」の音とり用に僕が歌った録音を、今回そのまま使用しました。「スコアメーカー」が歌う上のパートとのデュエットになっています。もう1つは、今の勤務校の、この3月の卒業式で歌うバージョンです。一般的に流布されている同声2部合唱の楽譜をそのまま動画にしたものです。こちらのほうが原譜に忠実です。ちなみに、どちらもハ長調版です。他の小学校の卒業式練習のお役にも立つようであれば、ぜひ使ってください。なお、以前に変ロ長調版3部合唱の「動く楽譜」も、作成済みです。そちらは、以下の過去記事をご覧下さいね。▼【動く楽譜】「旅立ちの日に」(3部合唱)を公開♪(2024/01/05の日記)卒業式で歌われる合唱曲は、いい曲がたくさんあるので、ほかの曲もぜひ動画にして公開したいなーと思っています。リクエストあれば、ぜひ、お寄せくださいませ♪▼卒業式に使える? 隠れた名曲「ありがとうForever...」 (2020/01/26の日記)▼ルミナリエの代替行事で子どもたちの合唱を聴いてきました! (2022/12/16の日記)▼【合唱音取り用動画公開】「大切なもの」2部合唱アルト(下のパート)強調版 (2023/07/26の日記)
2024.01.19
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僕の大好きなミュージカルの新録音版が、AppleMusicに出ていましたうれしくなったので、今日はその話題です。音楽座ミュージカル『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』(↑ミュージカルの公演情報にリンクしています。)何度も再演されている、演劇界の財産とも言えるミュージカルです。僕が今までに観た中で、最もよかったミュージカルのうちのひとつです。昨年、また再演されていたのは知っていましたが、そのアルバムがAppleMusicに出るとは意外でした。ダブルキャストで公演されたようで、同じ曲が2バージョン収録されていて、聴き比べするのも楽しいです。▼「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ 2023年公演版」(音楽座ミュージカル、AppleMusic)AppleMusic会員ではない方も、上のリンクから試聴ができます。「これぞミュージカル!」という、充実のナンバーが並んでいます。僕の大好きな曲「ドリーム」も、もちろん歌われています。4月に出演予定の「とっておきの音楽祭」で、久しぶりに歌わせていただく予定です。皆さんに知ってもらいたい、名曲中の名曲です。他の曲も、名曲・名演ぞろいです。ぜひ、アルバムまるごと、お聴きください。そういえば、日曜日に息子のリクエストで観に行った映画「ウィッシュ」も、思いっきりミュージカル映画でした。ディズニーアニメの現代の映像クオリティに、豪華キャストの声で贈るミュージカル。そちらもとてもよかったです。ミュージカルファンは以前に比べて増えているのかな?いいですよ。ミュージカル。「学校の授業も、ミュージカルだったら、楽しいのにな」と思います。▼劇団四季ミュージカル「リトルマーメイド」3000回記念公演を観劇(チケット入手の経緯も掲載) (2019/10/14の日記) ▼ミュージカル「えんとつ町のプペル」オンライン公演 (2021/11/17の日記)▼「ミュージカルのような授業」 ~マンガ家矢口高雄さんの体験より (2014/03/29の日記)
2024.01.16
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1/7に僕が書いたブログ記事ですが、一部に訂正がありました。お詫びして、訂正申し上げます。↓対象となる記事▼「ICT×音楽×インクルーシブ教育」のお話を聞きました!(2024/1/7の日記)誤「メロディメーカー」 → 正「ソングメーカー」当初「メロディメーカー」と書いていましたが、「ソングメーカー」の間違いでした。僕がこの2つの違いを分かっておらず、同じものだと勝手に勘違いしていました。すみませんでした!「ソングメーカー」はメロディだけでなく、リズム伴奏をつけることができます!▼ソングメーカー(Chrome Music Lab) https://musiclab.chromeexperiments.com/Song-Maker研修会講師の先生からご指摘をいただき、発覚しました。僕はよく間違えますので、こうやってご指摘いただけること、大変ありがたいです。他の方も、僕のミスや間違いを見つけられたら、ぜひご指摘ください。よろしくお願いします!
2024.01.15
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以下の本の読書メモを続けてきました。本日で、一区切り。最終回です。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)連続記事です 過去記事はこちら↓第1回→ 「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」第2回→ 「本当の社会参加とは」第3回→ 「健全者がつくった空気」第4回→ 「生きるに遠慮がいるものか」第5回→ 「愛」という言葉も、とらえ方次第?前回に引き続き、本書の第5話「『ポスト相模原事件』を生きる」から、覚えておきたいことのメモを続けます。本書の終わり際の部分からの引用になります。第5話に収録されている対談の終わりの方で、荒井さんが、次のようなことを語っておられます。・横田さんに「差別のない社会はあり得るのか」と聞いたことがあるんです。 横田さんのお答えは「あるわけない」でした。 「健全者」が障害者を差別しない世界なんて、自分が死んで地球が1回ぶっ壊れても訪れることはない・「差別のない社会」ではなく、差別が起きるたびに乗り越えられる社会のほうがいいし、自分が差別されたときにどう闘うかを考えたほうがいい・愚かでどうしようもない人間は、やっぱり差別してしまう。 差別してしまう自分を認めろと。 そういうふうにしか生きられない自分を受け入れろと。(p178より)ここのところも、学校教育に引きつけて、大変考えさせられるところがありました。障害児者差別だけでなく、部落差別や男女差別など、すべての「差別」に通じるところがあると思います。学校教育では、「差別のない学校」を安直につくろうとして、分離教育が進められてきたという経緯があります。「一緒に勉強すると、いろいろ問題があるんだ」という理由で、「分けた教育」が進められてきました。これは、大きな反省点だと思います。問題は、あって当たり前、起こって当たり前なのです。上の引用箇所で僕が赤字にしたところは、僕は、死ぬまで覚えておきたいところだと思いました。ふたをして見ないようにする教育ではなく、いっしょにぶつかり合い、考え合う教育を。ふたをして見ないようにする社会ではなく、いっしょにぶつかり合い、考え合う社会を。横田さんが訴えられていたことは、たいへん重要なことだと思います。今は、「多様性尊重」の社会だと言われるようになりました。その中で僕たちは、いいことも悪いことも引き受けて、ほんとうに多様な人たちとともに社会で過ごしていく覚悟を持っているでしょうか。僕たちひとりひとりの覚悟が問われている気がしました。一連の記事へのコメント、いただけると幸いです。ともに、考えていきましょう。
2024.01.14
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以下の本の読書メモを続けています。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)連続記事です 過去記事はこちら↓第1回→ 「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」第2回→ 「本当の社会参加とは」第3回→ 「健全者がつくった空気」第4回→ 「生きるに遠慮がいるものか」今回が第5回。本書の第5話「『ポスト相模原事件』を生きる」を読み返しながら、覚えておきたいことのメモをさらに綴っていきたいと思います。章タイトルになっている、相模原の山ゆり園の事件については、ご存じでしょうか?「障害者」に関わる様々な問題について考えるとき、この事件のことはどうしても忘れることはできません。ネット上でその概要を見ることができます。今回の内容に入る前にご一読いただいておくといいかと思います。NHKが以前報道したものへのリンクを貼っておきます。▼相模原 障害者施設19人殺害事件6年 「誰もが生きやすい社会に」 (NHK首都圏ナビ、2022年7月26日)非常にショッキングな事件であり、それと同時に、加害者の殺害動機については、非常に考えさせられるものがありました。加害者1人の問題ではなく、この社会全体の「空気」が加害者にそうさせた部分もあるのではないかと、感じています。前回僕が書いた「生きるというだけで意味がある」という価値観と真逆の価値観が引き起こした事件ではないかという気がしています。それを受けて、第5話は、中島岳志さんとの対談回です。荒井さんの前著『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』の出版後に開催された公開対談会で、そちらの本についての話が交わされています。『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(荒井裕樹、現代書館、2017、2420円)以下は、その本に書かれていた内容によるものです。発言者は、中島さんです。・障害者に向けられた愛とか正義というもののなかに含まれている暴力を告発するというのが、横田さんにとっての非常に重要な指摘だった・「やってもできないに決まっているから、代わりにやってあげる」。 これが「代わりにやってあげるから、何もしないで」になり、 「なにかしようと思わないで」になり、 「私の言うことを聞いて」になり、 最後は「自分の意志をもたないで」になっていく。・(横田さんは)過剰な保護がもつ「優しさ」や「親の愛」に対して非常に厳しい人だった(p169-170より)僕は横田さんの当事者運動における行動綱領を読むまでは、「愛と正義」については、いいイメージしか持っていませんでした。#「正義」については、「戦争はすべて正義の戦争として始まる」という意見にふれてからは、少し警戒して考えるようになっていましたが、「愛」については手放しで礼賛するところがありました。それが、荒井さんの前作の『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』を読むことで、くつがえされました。それは非常にショッキングであり、たくさんの「?」を僕に投げかけてきました。だからこそ、こうやって、「?」の背景を追究しようとしています。2冊目である『どうして、もっと怒らないの?』も読むことで、この行動綱領の理由が、よりはっきりと見えてきた気がします。結局は「愛」という言葉も、とらえ方次第なのだなあと思いました。「愛」にもいろいろな愛があり、一方的な「愛」もあります。僕は、人間のすべての問題は、つまるところ最後は「愛」の問題に帰着するのではないかという気がしています。その「愛」のとらえ方ひとつで、真逆に行ってしまうことがあるのを山ゆり園の事件などから感じ、恐ろしく思っています。僕が上に引用したところの続きにも、とても印象的な言葉が多く出されていました。僕は、そのひとつひとつにとても考えさせられました。たとえば、「最終的に機会を奪う親の『優しさ』」「親が障害者を囲い込んでしまっていた」「青い芝の会の運動って、『能力主義』にたいして徹底的に反発した」といったことなどです。(3つの言葉はすべてp170より)皆さんは、どう思われるでしょうか?横田さんは親の「愛」を糾弾した方でした。横田さんの場合だけでなく、「子ども」を親の「愛」が縛っていることが、大人がよかれと思って勝手に判断して、子どもから主権を奪っていることが、多々あるように思います。僕は第1回のときに、「学校教育の中で、あまりにも『子ども』を客体としてとらえすぎているのではないか」ということを書きました。ここのところで、僕が第1回に書いたこととも、つながってくる気がしています。僕は、子どもが問題を起こした時に、恥ずかしながら、「黙って言うことを聞いていればいい」と思ってしまうことが、たくさんありました。大人として、親として、教師として、自分を振り返って、反省するところが、たくさんあります。さらに、荒井さんは次の言葉も、言われています。・結局は「健全者」にとって都合の良いかたちでなら障害者は生きていてもいいよ、ということではないか(p171)逆の言い方をすれば、「健全者」が中心の社会で、障害者は簡単に「生きていてもしょうがないよ」とみなされてしまうこともある、ということだと思います。そういった「健全者」中心の社会が、相模原事件を生んだことは、想像に難くありません。ひるがえって、「学校」という場に置き換えて考えてみても、そのままこのことが「学校」という場でも当てはまってしまいそうで、恐ろしくなります。「大人にとって都合のいいかたちでなら、子どもはその場にいていい」ということになっていないか。障害者問題に限らず、差別や貧困、子どもを取り巻く様々な問題が、学校という社会の縮図の中で、現れています。学校や社会が、多様な人たちにとって、必ずしも生きやすい場になっていないということが言われています。本書は学校教育に関して書かれてものではありませんが、本書の問題提起を、僕は「学校」という場に置き換えて考えてみたいなあ、と思っています。次回も、第5話「『ポスト相模原事件』を生きる」の後半から、いろいろと考えてみたいと思います。もう少しだけ、本書の読書メモを続けます。ぜひ、また明日も、見に来てください。
2024.01.13
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以下の本の読書メモを続けています。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)連続記事です。過去記事はこちら↓第1回→ 「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」第2回→ 「本当の社会参加とは」第3回→ 「健全者がつくった空気」筆者の荒井さんは、「日本の障害者運動って、名言をたくさん残しているんですよ。」と書かれています。(p79)今まで紹介してきた内容をふまえて、ここでぜひ引用しておきたい「名言」があります。それを紹介せずにはおれないので、ババンと!引用させていただきます。・「生きるに遠慮がいるものか」(p80、花田春兆さんの言葉)これは、すごい。短い言葉の中に、今までの話がすべて凝縮されているように感じました。結局、日本の社会が「遠慮」を強いているんです。そんな社会はおかしい、という声を、あげなくちゃいけない。「遠慮しながら生きていけ」と遠回しに言ってくる社会を、社会自体を変えていかなければならない。そのためには、遠慮しながら生きていくなんてことは、はなから、しなくていいんだ。僕は、「生きる」ということが、ただそれだけで尊いものだということを、改めて教えてもらった気がしました。それにつなげて、今度は川口有美子さんとの対談のところから、川口さんの言葉を引用させていただきます。・私ね、エゴってすごい大事だと思っているのね。(p92、川口有美子さんの言葉)キターーーーって感じです。これぞ、「全肯定」。こう言ってもらえると、安心できる自分がいます。「エゴ」と「遠慮」って、表裏一体なんですよね。エゴイズム丸出しだと、もっと周りのことを考えろ、と言われる。そこを、「エゴって大事」と言われると、救われる。むしろ、そう言っていかなくちゃいけないんじゃないか、と思います。そうでないと、救われない場合もあるのではないか。日本は文化的に自己主張をしないことを美徳とするところがあって、学校でも「自分勝手」はすごく戒められるし、社会の中でも「出る釘は打たれる」というところがあります。ただ、外国ではむしろ逆に、「自己主張をしないといけない」と教育されているところを感じるので、そのあたりは日本と外国を対照的に見ながら、自分自身、日本の社会を考える上で、もっと考察を重ねていきたいなあと感じているところです。とりあえず今のところは、僕は、「エゴ」とか「自分」というものは、少なくとも今の日本の社会では、もっと出していっていいのではないか、それが当たり前ではないか、ということは思っています。それが、生きにくい社会を変えていくことにつながるのではないか、と思っています。今回引用したところは、第3話「『いのち』を支える言葉たち」のところです。荒井さんと川口さんの対談の回です。このお2方の対談のシーンでは、詳しくは引用しませんが、かなりショッキングな実際にあったことの話も次々と出てきて、僕はめまいがしそうでした。社会というものの残酷さに、絶望しそうになりました。社会が、いのちに対して、次々と要求をしてきている。そのいのちに意味があるのかとか、役に立っているのかとか、冷たい刃で突きつけてくる。そういうときに、はねかえせる力というのは、「生きるに遠慮がいるものか」とか、「エゴってすごい大事」とかの、強い言葉です。僕たちは、「なんのために」生きているのか。それを社会から問われるのは間違っている。個人の命よりも社会が優先されている社会ならば、僕たちはむしろ、こう問い返さなければならない。「なんのための、社会なのか」と。前回僕が書いた言葉を、ここで、もう一度書きます。「インクルーシブ社会」や「共生社会」をほんとうに実現していくなら、社会の「空気」を変えなければならない。それに気づかせてくれるのが、当事者の言葉です。当事者側からの発信です。こういった本でそれを知らせてくれることを、ほんとうにありがたいことだと感じます。次回は、第5話「『ポスト相模原事件』を生きる」を読み返しながら、覚えておきたいことのメモをさらに綴っていきたいと思います。もう少し、本書の読書メモを続けます。よかったら、また明日も、見に来てください。
2024.01.12
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以下の本の読書メモを続けています。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)連載ブログ記事です。第1回→ 「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」第2回→ 「本当の社会参加とは」本書の第1話の中だけでも、今後のために覚えておきたいことがとにかくたくさん出てきます。とにかくどんどん書いていきます。第2回に引き続き、第1話の対談の中での、荒井さんの言葉を引用します。・青い芝の会の人たちは、なにかをする前から「危ない」という理由で、やりたいことを禁じられてきた人たちなんです。 「障害者のためを思って」というやさしさを装った禁止は、障害者を1人の「主体」として見てないということではないか。(p31)・自分にとって「危ない/危なくない」「できる/できない」の境目はどこかを判断できるようになることが大切なんです。 そうした判断さえさせてもらえない状態を、横田さんは「障害者は自己を奪われている」と表現されていました。(p32)・横田さんたちには、そうやって他人に勝手に先回りをされることで行動を制限されてきた、という歴史があるわけです。(p32)引用が長くならないように部分的な引用にとどめていますが、ここのところはぜひ全体をつなげて続けて読んでもらいたいところです。ぜひ原文全体を参照されますようお願いします。第1回のブログ記事で、僕は「『障害のある子ども』は、二重の差別を受けているのかもしれない」と書きました。子どもだから危ないからさせてもらえない、とか、意見を聞いてもらえないということが頻繁にある状況もふまえると、障害者だけでなく、今の日本全体で当たり前に行なわれている差別に行き着きます。おそらく多数派の人は、「そんなの当たり前やん」と思っているのではないかと思います。でも、ちょっと立ち止まって、制限される立場になって感じてみることが必要なのではないかと思います。僕がよく話をするのは、以下の2つのエピソードです。1つめは、自分の子どもの話です。散髪屋に行ったら、「どんな髪型にしますか」というのを、子ども本人に聞かずに、親の僕に聞いてくるんです。僕は、そのたびに、「子ども本人が決めるから、本人に聞いてください」と言い続けてきました。2つめは、過去に学校で担任した子の話です。2年生のAさんは、自分で立って歩けないので、バギーに乗っていて、常に介助の先生がそばについていました。介助の先生がバギーを押して移動していると、子どもたちが寄ってきて、聞きました。「今からどこいくん~?」それを、Aさん本人ではなく、バギーを後ろから押している、介助の先生に聞くわけです。それを見ていた僕は、子どもたちに言いました。「Aちゃん本人に聞いてね」Aさん本人にあらためて聞き直した子どもたち。とたんに、Aさんの顔がぱっと明るくなりました。Aさんは自由に話をすることができませんが、一所懸命顔の筋肉を動かして、どこに行こうとしているのか、子どもたちに伝えようとしていました。子どもたちには、バギーを押されているAさんは客体でしかなく、押している介助の先生こそが主体に見えたのだと思います。でも、移動介助は、あくまでも「介助」です。移動は本人の主体によってなされるものであり、「介助」はあくまでも本人の主体性に基づくものです。あたかも本人に意志がないかのように、本人を飛び越えて、介助者と周囲で話をされたとしたら、それを聞いているAさんはどう思うだろうか、と思います。あまりにも当たり前になりすぎている現実を、改めて問い返すことをしていきたいのです。「共に生きる」ために。今回の記事の最後に、荒井さんと九龍さんのそれぞれの言葉を引用します。・荒井: 青い芝の会の人たちは空気を読まなかったですね。 つまり、「健全者がつくった空気は、障害者を排除するためのものだから読む必要はない」と考えた。・九龍: この「健全者」という言葉も、障害者に対抗して、マイノリティの側からレッテルを貼り返すための言葉なんですよね。(p39)当事者運動から出てきた当事者の言葉というのは大変重いです。同時に、マイノリティの側が、主体性を取り戻す、勇気をもらえる言葉であることも多いです。上に引用した「レッテルを貼り返す」といったことは、まさに当事者の側からしか出てこない言葉であり、発想だと思います。僕が子どもの頃、「ビックリマンシール」というのが流行りました。そのキャッチフレーズが、「はられたら、はりかえせ」でした。この言葉に、わずか5文字を付け加えて、「レッテルをはられたら、はりかえせ」とする。すると、それだけで、痛烈で痛快な逆転現象が起きます。いつも「される側」でしかなかった側が主体に回ってやり返す姿は、痛快です。でも、これは、対等な関係であるならば、当然起こってしかるべきことです。あんのんとしているマジョリティは、たまにはそういう立場を経験するべきではないか、と思います。そうでなければ、気づかない。自分がされてみて初めて気づく。悲しいかな、そういった現実もあるように思います。荒井さんの言葉にあるように、「障害者を排除する空気」が、今の日本にはたしかにあります。外国の話を聞くたびに、日本はそういった空気が諸外国よりも強くあることを実感せずにはおれません。「インクルーシブ社会」や「共生社会」をほんとうに実現していくなら、その「空気」を変えなければならない。それに気づかせてくれるのが、当事者の言葉です。当事者側からの発信です。こういった本でそれを知らせてくれることを、ほんとうにありがたいことだと感じます。次回以降も、まだまだ本書を読んで感じた話を、続けていきます。よかったら、明日もまた、見に来てください。(平日は、なるべく20時に更新するようにしています。)
2024.01.11
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昨日の続きです。以下の本の読書メモを続けていきます。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)第1話だけでも、今後のために覚えておきたいことがとにかくたくさん出てきます。とにかくどんどん書いていきます。ただ、僕がこのブログでやっていくのはあくまでも「引用」であり、部分的な「抜粋」でしかありません。言葉はもちろん、文脈の中で理解されてしかるべきものです。僕の部分的な引用で、興味を持たれたり、心に引っかかりをもたれたりした方は、ぜひ本書を手に取っていただき、通して読んでいただきたいと思います。以下は、第1話の対談の中での、荒井さんの言葉からです。・「愛らしく健気な障害者」としてふるまえば、社会は応援してくれたり、優しくしてくれるかもしれません。 でも、「気分がいいときだけ仲間に入れてもらえる」というのは、本当の社会参加とは言えないんじゃないかな。(p26)本書は学校教育ではなく障害者運動のことをテーマにした本ですが、僕は僕のスタンスとして、学校教育に引き寄せて、本書で書かれていることを考えたいと思っています。上で書かれていることは、学校のなかで、非常によく見られる場面を思い起こさせました。たとえば、「友だちがいない子」がいるとする。「お世話される存在」とみなされている子がいるとする。遠足で、お弁当を食べるときに、一緒に食べる子がいないとする。そうすると、周りの子が、しかたないから、「仲間に入れてあげる」ということを言う。それを、先生も周りも、「親切だ」「いいことだ」と思っている現状がある。僕は、本書の中で後で登場される尾上さんと昨年つながりができました。いろいろなことを教えていただきましたが、尾上さんは「思いやり差別」という言葉を使われていました。まさに、「思いやり差別」です。多数派が「いいことだ」と思って思いやりを発揮しているのに、それに従わないとは何事だ、という無意識の圧力がある。あなたは、わたしは、それに対してどうしていきますか?ということが、問われていると思います。・衝突の機会さえ奪ってしまうのは、「やさしさ」の姿を装った隔離です。(p28)ひるがえって僕自身のことを考えると、僕は、「やさしさ」が大好きです。僕はとても弱い人間なので、やさしくしてもらえければ、今まで生きてこれなかったと思います。遠足のお弁当のような場面では、僕は、「仲間に入れてもらっていた派」です。これまで受けてきた周囲の人のやさしさには、感謝しかありません。「でも」「だからこそ」と思います。でも、だからこそ、「やさしさ」が押しつけになってしまうことに、敏感にならなければいけない、と思います。本書のなかの対談を通して、僕は、そんなことを思いました。こういった話を、次回以降も、続けていきます。よかったら、明日もまた、見に来てください。
2024.01.10
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昨日のブログ記事で「ゆるすということ」について書いたのですが、今日は、逆のことを書きます。「ゆるせないこと」というのが、強烈な動機付けとなって、行動につながるということがあります。世の中はけっして理想的なものではなく、理不尽なことがあるので、「ゆるせない」と怒って行動していくことも、一方では必要なことではないかと思っています。「やる気が出ないなあ」と思ってだらだらしている人の中には、「ゆるせない」という気持ちが足りないのかもしれません。僕は「インクルーシブ教育」を自分の実践の柱の1つとして追求していこうとしています。ただ、重要なのは、「なんのために」それをするかです。それは、明らかに、厳然とした差別が、そこにあるからです。障害当事者として当事者運動の中で行動しつづけた方がいらっしゃいます。「インクルーシブ教育」を追求していくにあたり、当事者運動の先輩に学ぶこと、差別の現実を直視することは、避けては通れません。今回から何回かにわたって、以下の本をとりあげます。『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(荒井裕樹、現代書館、2019、税別1700円)本書は、荒井裕樹さんが、いろんな方と対談された、対談集です。(以前に、尾上さんと対談されたところを少しだけブログで紹介しました。)本書の第1話「運動はすぐそばにある」では、九龍ジョーさんと対談されています。そのなかで、障害当事者(横田弘さん)が障害者運動をするなかで実際にあった、非常に考えさせられるエピソードが出てきます。九龍:「責任者は?」と警察が聞いて、横田さんが「私です」と答える。 それでもまだ「責任者は誰?」って警察が聞き返す。 つまり、パフォーマンスをした横田さん本人を責任者と認めないんですよね。荒井:障害者に「主体」があるとは思われていなかったんですよ。 だからこそ、青い芝の会の「行動綱領」には「われらは、強烈な自己主張を行なう」と書いてあるんですよね。(p24より)「障害者に『主体』があるとは思われていなかった」ということが、まさに「差別」の状況を端的に示しています。このエピソードは1972年に撮影されたドキュメンタリー映画「さようならCP」の中の場面のことを指していますが、僕たちの今の社会のことを顧みた時に、同じことが起こっていないと言えるでしょうか。DVD『さようならCP』 [ 原一男 ]僕は学校に勤めているので、特に、学校教育の中で、あまりにも「子ども」を客体としてとらえすぎているのではないかということも思います。そうすると、もしかすると「障害のある子ども」は、二重の差別を受けているのかもしれません。社会は偽善に満ちていて、僕自身も、多数派の論理に組み込まれ、無自覚になっています。でも、それに気づかせてくれるのは、当事者の怒りであり、行動です。「ゆるせないこと」が厳然とあることに、怒りの行動で気づかせてくれていることに、僕たちは気づかなければなりません。そして、自分たちも、怒っていいんだということに、気づかなければならないと思います。今回から何回かに分けて、本書の中の記述を引用させていただくことで、皆さんと共にいろいろなことを考えていきたいと思います。著者の荒井裕樹さんは、本書の前に『差別されてる自覚はあるか』を出されています。こちらも、青い芝の会の横田弘さんについて書かれた本です。『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(荒井裕樹、現代書館、2017、2420円)2冊とも、当事者運動からインクルーシブ教育を考える上で、大変意義深い本です。多くの皆様に読んでいただきたいと思います。▼NHK「合理的配慮」特集が記事に! 『「合理的配慮」がよく分かる 考え方と具体例』など (2023/08/30の日記)▼吉間慎一郎「社会変革のジレンマ ―伴走者と当事者の相互変容からコミュニティの相互変容へ―」 (2023/12/24の日記)
2024.01.09
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体調不良で年越しをしたので、1月4日になってようやく大掃除をしました。書棚には、本がぎっしり詰まっています。とても学びになった本でもあっても、本はたまっていく一方なので、ブログにどうしても覚えておきたいことだけを書いて、本自体は処分してしまうことがあります。今回書棚から取り出した『ゆるすということ』という文庫本もそのひとつです。『ゆるすということ もう、過去にはとらわれない』(ジェラルド・G.ジャンポルスキ /大内博、サンマーク文庫、2006、530円)実は2009年の4月に、いったんこのブログにこの本のことを書いていました。▼『ゆるすということ』 (2009/04/12の日記)上の日記では、「どうしても覚えておきたいこと」をブログに書きかけて、途中でやめてしまっていました。めっちゃ中途半端な日記になっています!そこで、15年ぶりにその続きを書いて、本自体とはさよならしたいと思います。本自体の要約とか紹介と言うわけではなく、その本の中の、ある心理的なワークの部分だけを抜粋しての紹介です。『ゆるすということ』 読書メモ★「記憶を消す霊薬」のワーク いやなことを10分間忘れさせてくれる薬を手に入れたとします。 この特別な薬を水に入れて、一気に飲み干します。 薬が効いている10分間は、過去のいやな出来事はすべて忘れて、愛の記憶しか残りません。 愛の記憶だけを意識すると、たいていの人は心が静かになり、いまこの瞬間を100%生きられるようになります。(同書p116より)AIに上の説明を絵にしてもらいました。上のワークで僕がポイントだと思うのは、「10分間だけ」という限定の要素です。人間だもの。怒ったり、泣いたり、許せなかったりすることも、あります。でも、ほんの10分間だけ、その感情から自由になり、愛の記憶に身を浸すことができれば、あなたもその身を持ち直すかもしれません。10分間が、身を救うのです。人生思い通りにはなりませんが、「ゆるす」「ゆるせない」は、自分で決められることかもしれません。どうしてもゆるせないとき、上のワークをやって、気持ちを落ち着けるのも、ひとつの方法です。愛の記憶はいつも、あなたの中にあるのです。▼『ゆるすということ』 (2009/04/12の日記)
2024.01.08
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年始のあいさつに「ICT×音楽×インクルーシブ教育のコラボレーションをばっちり決めたい」という本年の抱負を書きました。そうすると、思いかげなく同じテーマで実践をされている方のお話を聞くことができました。同じ志をもった方とお出会いすることができて、うれしかったです。音楽教育の研修会の講師として、新年早々、大阪から僕の勤務市まで、わざわざ来ていただきました。最初に「障害とは?」というお話をされ、「バリアフルカフェ」の映像を見せていただきました。障害の社会モデルの話を大変分かりやすく伝えていただき、感激しました。上の映像とは違うのですが、バリアフルカフェについては、僕も合理的配慮をテーマにしたNHKの番組の中ですでに視聴していました。(→過去記事▼NHK「合理的配慮」特集が記事に! 『「合理的配慮」がよく分かる 考え方と具体例』など)▼「合理的配慮」後編① ~てれび戦士が合理的配慮の大切さを体験取材~ (NHK for School)研修会の冒頭でこういった映像で「社会モデル」の話を共有するのっていいな、と思いました。音楽教育の研修会だったので、その後は音楽の授業に関する具体的な演習に入りました。演習その1は、「コップで合奏しよう」。コップひとつでいろんなリズムが演奏できることに驚きました。その演奏方法がけっこう難しくて、前半はなんとかなったのですが、後半は覚えられなくて大変でした。講師の先生は1人1台端末で見られるお手本動画をいくつか紹介してくださいました。一番ゆっくりのお手本動画で、見よう見まねでやってみましたが、最後が混乱してきて困りました。最後から順番に少しずつスモールステップで習得していくやり方が僕には合っていそうだと思いました。そうすると僕の場合、動画よりもスライドで1コマ1コマ静止画で確認していくやり方のほうがあっていたかもしれません。こういう研修は、自分が子ども役をやってみることで、気づくことがたくさんあります。こういう機会を与えてくださった講師の先生に感謝です!最後に全員で円になって合奏した時には、僕はてんで習得できていなくて、最後の最後は半拍ずれてコップを置く音を立てていました。でも、半拍ずれても「曲」っぽくはなっているので、「それはそれでおもしろいなあ」とも思いました。僕が「音楽」に「インクルーシブ教育」の要素を感じるのは、レールから外れる音が出ていても「それはそれでおもしろい」と許容される時間がつくりやすいからです。それは、「リズム合奏」のときに、特に顕著に感じられます。リズムの場合、いろんなリズムが絡み合うことで、かえって面白さが増すことがあるのです。全員が全く同じリズムをやっているのではなく、なんだかちょっとずれている子がいるというのが、かえってそのほうがおもしろい。その場で、そのメンバーで作っている音楽、という気がする。そういった音楽の寛容性が、インクルーシブな時間につながるのではないかという気がしています。演習その2は「ソングメーカー」と「カトカトーン」による音楽作りでした。これについては僕もすでに同じ実践をしていたので、ここでは詳細は省きます。僕の過去記事をご覧下さい。↓▼♪リアルな音で音楽制作体験!音楽教科書会社のWebアプリ「カトカトーン」アプリの説明については僕の上の記事を見ていただくとして、講師の先生から最後に紹介していただいた「生徒作品」がステキすぎてびっくりしました。子どもたちの可能性は無限大ですね。特に、「発語のないお子さんの作品」として紹介された作品がステキすぎてしびれました。実際に楽器の演奏ができなくても、ICTの力を借りてすばらしい音楽を作り出すことができます。ICTでいろいろな子どもたちの表現を引き出せるようになることがよく分かりました。★2024/1/15追記★上の演習その2で、当初「メロディメーカー」と書いていましたが、「ソングメーカー」の間違いでした。上のリンク先で僕は「メロディメーカー」のことを書いていますが、研修では「ソングメーカー」を使っていました。僕がこの2つの違いを分かっておらず、同じものだと勝手に勘違いしていました。すみませんでした!「ソングメーカー」はメロディだけでなく、リズム伴奏をつけることができます!▼ソングメーカー(Chrome Music Lab) https://musiclab.chromeexperiments.com/Song-Maker演習その3は、ハンドベルによる合奏でした。音ゲーのように演奏できるおもしろさにハマりました講師の先生はScratch上で五線譜を描くと、音ゲーのように「落ちてくる音符」に変換されるプログラムを作られていました。僕も自分の学校の子どもたちと、やってみたいなーと思いました。縦型と円形があるのも、おもしろいです。▼動く楽譜を作ってみよう!【縦型】 (Scratch、iwama94様)▼合奏支援ツール「円形アニメーション楽譜」 (Scratch、iwama94様)とても学びになる研修会でした。講師のI先生、ありがとうございました!▼【音楽の練習】小学生向けYouTube動画の具体的な活用のしかた!▼「障害をもつ人も、もたない人も・・・」~『クラス合唱名曲秘話 楽譜に書ききれなかったこと』より▼【動く楽譜】「旅立ちの日に」(3部合唱)を公開♪
2024.01.07
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「教育音楽」9月号を今更ながら買って読んでいました。「教育音楽 小学版」 2023年 9月号 [雑誌]この中に、「授業で使えるおすすめWebアプリ2023」という特集がありました。たくさんのアプリが紹介されていたのですが、その中でも、「これは、めちゃめちゃスゲー!!!」と思えるWebアプリがあったので紹介します。(今回のアプリの紹介ページは同書p39)Apple MusicがApple Singという機能を発表した時以来の衝撃です。「Apple Sing」については、以前、このブログでも、書きました。#▼iPhoneがカラオケになった日。やっぱりAppleはスゴかった! 「原曲再生」時にボーカルだけ消せるオドロキの機能です。プロが歌っている伴奏がそのままカラオケになるのです。これはまさに、カラオケ業界の革命でした。#アルバイト時代、カラオケ業界でちょっとだけ働いていたよ。Apple Singはボーカルと伴奏を分離し、それぞれを独立させてボリューム調整することができます。ボーカルを完全に消さずに、半分の音量にして、ガイドメロディのようにすることもできるわけです。単純なボーカルカット機能とは違い、ぜいたくな機能です。こういった機能を、ボーカル、ドラムス、ベース、その他という4パートでやってしまえるのが、今回紹介する「Moises」です。「どんだけ~!!」って、感じです。言葉だけじゃわからないので、とりあえず、画面写真を載せておきます。パソコンの中にあった適当な音楽ファイルを取り込ませた画面です。曲によっては、各パートをうまく分離して認識できない場合も、当然あります。#無料なので、文句は言えません。ただ、使ってみた感じ、認識精度はかなり高いと感じました。有料課金もできるのですが、無料でも十分使えるクオリティです。音楽系Webアプリは、ほんとうに、いろいろと充実していますね。音楽が好きな方は、このアプリ、一度試してみるといいのではないでしょうか。こういうアプリを使うことで、自分が演奏する楽器のボリュームだけを落として、自分がそのバンドに参加したみたいにして一緒に演奏することが可能になります。いわゆるマイナスワン演奏です。夢のようです!!僕は楽器は弾けないのですが、弾ける方は、ぜひ、どうぞ。▼Moises - The Musician's App | Remove vocals and instruments from any songhttps://studio.moises.ai/library/↓僕はパソコン上で使ってみたのですが、スマホでも使えます。 以下の動画で、専門学校の先生が実演付きで紹介してくださっています。 ブログだと音が聴けないので、ぜひこちらの動画もチェックしてみてください。【iOS&Android両対応!】マイナスワン音源を簡単に作成できる神スマホアプリ「Moises」を紹介!(Moyashi先生のリズム攻略室、2022/02/04)上の動画では、YouTubeのリンクを貼り付けることでその楽曲を使用するやり方も紹介されていますが、現在はその機能は使えなくなっているようです。その点だけ、ご注意ください。このアプリ、トラック分離以外にも、いろいろと補助的な機能が豊富にあります。僕のオリジナル曲「ねこだいすき」を読み込ませてみたら、「セクション解析」というやつで、いわゆる「Aメロ」「Bメロ」の各セクションが正しく認識され、驚きました。これにより、各セクションごとの再生が可能になり、練習の時に重宝しそうです。歌詞抽出機能もあるのですが、そちらは日本語の精度はやはりいまいちでした。歌詞に関する機能は、英語の曲だと、案外いけるかもしれません。コード解析もあるし、まさに「なんでもアリ」のアプリです。久しぶりに興奮しました。▼iPhoneがカラオケになった日。やっぱりAppleはスゴかった! (2023/01/19の日記) ▼自作曲「長良川温泉」をSpitfire Audioの無料音源で鳴らしてみた♪ (2023/04/29の日記) ▼♪リアルな音で音楽制作体験!音楽教科書会社のWebアプリ「カトカトーン」 (2023/06/26の日記)
2024.01.06
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ずっと作りたかった合唱動画、ついに作りました!卒業式の大定番曲「旅立ちの日に」です!この曲が作られた経緯などは本にもなっています。ただ、絶版になって久しく、今ではプレミアがついているみたいですね。『「旅立ちの日に」の奇蹟 ~いくつもの”卒業”を経て、今響く歌声~』(リンク先は古本です。値段を見てびっくり!)この曲にはいくつかのバージョンがありますが、今回の動画は変ロ長調の3部合唱。楽譜は教育芸術社「ニューコーラスフレンズ」4訂版に準拠しています。↓最新版は5訂版。こちらはとても安い楽譜集。合唱好きなら買いです!楽譜 混声合唱曲集 クラス用 ニューコーラスフレンズ 5訂版 / 教育芸術社いつものように今回の動画も、カワイ「スコアメーカー」にて作成し、歌わせています。この曲をつくるために、有料版の最上位プラチナムを買いました!ちょうど年間ライセンスが大幅割引だったので、思い切って買っちゃいました。500円引きクーポンがメールで来ていたので、それも使いました。動画では、教室の電子黒板で投影して練習できるように、歌詞を大きめに表示させています。今までたくさんの合唱曲の動く楽譜動画を作ってきたので、その経験がこの動画に生かされていると思います。合唱譜をそのままスキャンすると、「2番は小音符」といった1番と2番で違う譜割のところが出てきます。プラチナムだと、「この音符は1番のみ使用」「この音符は2番のみ使用」といった設定ができます。いちどブログにも書いた、「X TIME PLAY」の設定です。譜面上に「1.TIME ONLY」「2.TIME ONLY」などの表記を出すこともできるのですが、ごちゃごちゃするので、表記の設定で「マスク」にチェックを入れて、表示されないようにしました。ちなみにタイトル・サムネイル画像はCanvaで作成しています。今回初めて、AIによる画像生成機能を使ってみました。「卒業式 桜」のキーワードで生成された画像の桜並木を使っています。この曲は本当に大好きな曲で、今回YouTubeで公開できてとてもうれしいです。▼【動く楽譜】「明日の空へ」ミマス(歌付き) 公開!▼【合唱音取り用動画公開】「地球星歌」2部合唱アルト(下のパート)強調版▼【合唱音取り用動画公開】「大切なもの」2部合唱アルト(下のパート)強調版▼ピアノ伴奏の練習に、動く楽譜はいかが?(「走れ!シベリア鉄道」)
2024.01.05
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先月から、カワイの「スコアメーカー」を有料契約しています。サブスクなので、1ヶ月ごとに、使い続けるかどうか決められます。とりあえず楽譜認識したい楽譜がまだあるので、あと1ヶ月は使い続けることにしました。今日で、2ヶ月目に突入です。このソフトは合唱譜の楽譜認識がすばらしいのですが、今回は弦楽4重奏を演奏させてみました。弦楽器には、弓で弾く奏法(アルコ:arco)と、弦をはじく奏法(ピチカート:pizzicato)の、大きく2つの奏法があります。この奏法の使い分けが、楽譜上でちゃんと反映され、通しで聴くと、感動しました!▼ピチカートとアルコ (カワイ「スコアメーカー」公式「スコメスタイル」2019年12月19日記事)楽譜に「arco」と書いてあるときと「pizz」と書いてあるときで、ちゃんと音色が切り替わるなんて!曲は、久石譲さんの「スタジオ・ジブリ・メドレー」言わずと知れた、大名曲のオンパレードです。前々から、久石譲さんのオーケストレーションはとんでもなくスゴイと感動していました。#フルオーケストラの譜面を買ったりしていました。『となりのトトロ オーケストラストーリーズ』 [ 久石譲 ](全音楽譜出版社、2002、税込3080円)今回の動画は、その久石譲さんのオーケストレーションの神髄を、大変見やすい弦楽四部の譜面で確認できます!arcoとpizzicatoの使い分けの巧さにも、唸ります。それぞれのパートに役割があり、それぞれのパートが躍動しています。「さすが、久石譲さん!」と思わずにはいられない、見事な編曲です。弦楽四重奏は、「カルテット」とも言います。パートは4パートに分かれています。第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4つです。オーケストラの花形であるヴァイオリンは、第1と第2の2パートに分かれているのが通例です。#オーケストラや曲によっては、第3や第4もある。ヴィオラはあまり主旋律を割り当てられることのない楽器ですが、今回の弦楽四重奏では主旋律も回ってきて、大活躍!チェロも、低音を担当しつつ、ここぞというときにはメロディも弾いていて、とても聴きどころの多いアレンジとなっています。ホンモノの楽器を鳴らした演奏ではないのですが、それでも弦楽器の多彩な表現力の幅広さにふれて、感嘆していまいます。弦楽器に興味のある方、オーケストラに興味のある方は、ぜひ通して視聴してみてください。▼カワイ「スコアメーカー」で音楽会の曲練習用動画をラクラク作成! (2023/07/10の日記)
2024.01.04
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やりたいことがたまっていっています。どんどん片づけていかないと!と思って、まずは、この本を読みました。『やりたいことをぜんぶ実現する方法』(ゆうきゆう/海竜社/(新書)絶版)著者はおもしろい文章を書くことに定評のある精神科医。本質的なことが、分かりやすく書いてありました。読みやすく、一気に読めました。オススメです!ゆうきゆう『やりたいことをぜんぶ実現する方法』(・太字部分は、本の引用。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)・「それしかない」というぐらい、 毎日そのことを考えるだけです。(p4)とにかく本書はシンプルに言い切っている。 そのシンプルさがすばらしい! そして、言われてみたら、そのとおりなのである。 ブログを書きたいなら、ブログを書くことを考えること。 インクルーシブ教育をやりたいのなから、そのことばかり、考えること。 それに尽きます。・いい面だけを、考える(p14)これは、精神衛生面を考慮しての話。 「考える」ときに、不安なことばかり考えていても、行動につながらない。 何事にも、いい面もあれば、悪い面もある。 それなら、いい面だけを考えて、ニヤニヤしながら行動に起こそう! 修正は、あとからしていけばいいのだ。 何事も、やってみなければ、わからない!・「何もしていない」のがまずダメ。・幸せは「立ち位置」ではなく、「向かっていくもの」なのです。・気持ちを持って、そこに今、進み続けていること。 この行動こそが、何よりの幸せなのです。(p56)このあたりも、「うまいこと、言うなあ」と思ったところ。 幸せは、今どこにいるのかでは、決まらない。 どこに向かっているのか。 その過程、プロセスにこそ、ある。 これは、49年間生きてきて、経験上、納得することでもあります。 幸せは、ライン上にあるものなのだ。・とにかく、まずは2択(p58) ここも、シンプルな言い切りが、具体的なアドバイスになっているところ。 こんなふうに、迷った時にまず何をすればいいかをシンプルに言ってもらえるって、ありがたい。 ぼくは子どもの頃からゲームが大好きでした。 人生で大切なことは、ゲームから学んだような気がします。 特に、「コマンド選択式」という考え方。 「ドラクエ」だと、「たたかう」とか「にげる」とかが並んでいます。 人生は、まさにコマンド選択の連続だな、と思います。 その選択肢が、頭の中に出てくるかどうか。 「ドラクエ」をいっぱいやってきた僕の頭の中には、コマンドウインドウが常に出てくるようになりました。 選択肢が明示されていることで、「何もしない」ということが起こりにくく、行動につながりやすくなっています。 何もできないでいる人は、まず、行動の選択肢が思い浮かべられていないことが多いのです。 まず、行動の選択肢を思い浮かべよう!どうでしたか?何カ所かの引用をしたに過ぎませんが、あなたの背中を押すものでもあったのなら、僕はうれしいです。ともに、行動しましょう!▼隠れた児童合唱の名曲♪「元気 勇気 ちから」 (2021/10/02の日記)
2024.01.03
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。今年は辰年です。昇り龍のように、一気に駆け上がっていこうとおもいます。ICT×音楽×インクルーシブ教育のコラボレーションをばっちり決めたいと思います。ニーズがありましたら、どこへなりとお話をしに行きますので、ぜひお気軽にご連絡ください。さきほどAIに昇り龍のコンセプトで画像を作ってもらいました。こちらです。じゃん!最初AIが作ってきた画像は龍がひとりだったのですが、2回目に上げてきたのは、チームになっていました。やはり、「ひとりより、チームだな」と思ったので、チームドラゴン図を採用です!先頭のドラゴンが先に行きすぎて周りからなんか言われているように見えなくもないですが、気にしないようにします。以前と同じように、BingAIチャットとのやりとりで生成しています。AIは今年さらに進化するんだろうな。僕も、AIに負けない進化を遂げたいと思います。▼Bing AIチャットの、自主性や創造性に驚愕!!! (2023/11/23の日記)▼「みんなでチャレンジ」が習慣化の決め手!~習慣化アプリ「みんチャレ」 (2021/01/24の日記)
2024.01.02
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