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ナレースワン大王がビルマとの象戦勝利を祝って建てた仏塔跡を見終え、白い仏塔を出ると、売店が目の前に。覗くとナレースワン大王の15cmほどの像が目に留まりました。なかなかの出来栄えに値段を尋ねると399バーツとの返事。うむむ。さすが高いな。諦めて、手のひらに収まる極小サイズのナレースワン大王像を頂くことに。59バーツ也。同封の紙には唱えるお経が印刷されていました。さてさて、次の場所へ向かいますか。地図を見ると白い仏塔の裏手にプラタムナック・ソムデット・プラナレースワン・マハーラート(พระตำหนักสมเด็จพระนเรศวรมหาราช)というところがあるんですよね。プラタムナックは高貴な人の住居なので、訳せばナレースワン大王御所ってな感じでしょうか?でもこの一帯では仏塔以外に遺跡は見つからなかったはず。しかも戦場であり、住む場所ではなかったのでは?まぁ、行ってみれば分かりますね。おっと、その前に。水分補給のため屋台でチャーイェン(アイスミルクティー)を購入。折しもまた曇天。ロッブリーで熱中症になった二の舞はゴメンです(笑)10:20、準備万端で歩き始めます。東へ続く一本道を進むこと10分ほどでナレースワン大王御所に到着。こりゃ廟みたいなもののようですね~。こっちは横でした。正面に回ると、ナレースワン大王の兜を模したあずま屋が真ん前に。とりあえず中に入ってみますか。なんだか中国廟っぽい雰囲気ですね。こんなのもありました。中央がナレースワン大王。左は大王の姉。ビルマ王に嫁ぎ、象戦後かの地で殺されたようです。そして右は弟でいつも一緒に戦ったエーカートッサロット。大王没後の次の王でもあるんです。映画『キング・ナレースワン』では、陸軍のイケメン報道官ウィンタイ大佐が演じていて、ひとつの見どころとなっていますよ。ナレースワン大王御所の道をはさんだ反対側には、ワット・ドーンチェーディーが。どうもナレースワン大王御所もこの寺が建てたようです。さあ、また仏塔まで戻りますか。改めて眺めると、意外と巨大ですね。帰りも10分ほどで到着。市を覗いてみます。なぜか洗剤やらシャンプーやらを扱う店が盛況。市価より安いんでしょうかね? ^_^;)左手に目をやると、あっ、土産物売店の屋根も兜だ(笑)ナレースワン大王の兜は、シンボルになってるのか。なんと商品にも、兜を模したキャップが。思わず買おうかと思いましたが、使いみちが思いつかないので思いとどまりました。ナレースワン大王&ドーンチェーディーのご当地ポロシャツも日本で着るにはちょっとなあ ^_^;)まだ11時ちょっと前ですが、お腹が空きました。せっかくドーン・チェーディーまで来たのですから、この地でランチをすることにしましょう!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:150バーツ※旅は2014年9月18日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/29
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スパンブリー県ドーン・チェーディーのナレースワン大王騎象像土台部分には、タイ文字で何やら書かれています。読むと、ナレースワン大王の生い立ちから始まり、ビルマからの独立宣言、王位継承、そしてこの地でのビルマ王子との象戦での勝利。それらの英雄的偉業を讃えてこの碑を建てたとの内容でした。1959年の像除幕式には現国王夫妻がいらっしゃったそうです。ちなみに前回、ナレースワン大王が手にしている武器を槍と書きましたが、薙刀(なぎなた)ですよね。失礼しました ^_^;)さてさて、ここでまたちょっと歴史の話になります。アユタヤ王朝年代記(中国の国史のような歴史記録書)には数種の異本があるのですが、多くの本に、象戦勝利の後ナレースワン大王は戦いのあった「トゥラパンクル」の地に仏塔を建てたと記されているんです。明治時代に当たるラマ5世期に、同名の地があるカンチャナブリー県に対して仏塔遺跡を探すように命が下りますが、あるのは住民が建てた新しめの小さな仏塔ばかり。時は下ってラマ6世期の1913年、ある異本が象戦の地を「ノーン・サーラーイ」と記していることから、県内に同名の地があるスパンブリー県知事が同地を調査。すると住民から「森の中に仏塔がある」と知らされます。ドーンチェーディー(仏塔の高台)と地元では呼ばれ、古くからの言い伝えでは王が葬られているという報告が寄せられました。そこで調査団が森に分け入り、発見に至ったのです。断定した決め手は、1.同地はビルマ軍がアユタヤ攻撃に進軍した経路上にある。2.一辺20mの大きさは、地元民が建てた仏塔とは考えられない。3.同地周辺には寺院遺跡が皆無で、この仏塔があるのみ。4.アユタヤ軍陣地のあったノーン・サーラーイから 280mしか離れておらず、銃声が聞こえる距離にあった。5.近隣の畑で古い大砲が発見された。ということだそうです。その仏塔が、1956年に建てられた奥に聳える白い仏塔の内部に保存されているのです。期待に胸が高まるじゃぁないですか。おっと、親子のネコちゃんが戯れているのを尻目に奥へと歩いていきます。白い仏塔の入口へ辿り着きました。左に見えているゴツゴツした枝の木は、菩提樹。1957年にインドからわざわざ運んできたんだとか。拝観料無料の仏塔内に足を踏み入れます。真正面にあるのがそうか!?ナレースワン大王像の背後にあるのは、やっぱりそうでした。1592年にアユタヤ軍対ビルマ軍の象戦が繰り広げられ、ナレースワン大王が一騎打ちの末、ビルマのマンサームキアット王子を倒した地に、ナレースワン大王が建てた仏塔跡が目の前に!仏塔跡の周囲にはナレースワン大王の生涯が順を追って時計回りに説明されています。が、私はうっかり逆に歩いてしまいました ^_^;)なので最初に出くわしたのは、1913年の仏塔跡発見の様子を伝えるジオラマでした。そして次はクライマックス、1592年の象戦の絵巻。大王の薙刀はビルマ王子の右肩に振り下ろされ、王子は象の首の上で息絶えたのでした。言い伝えにある仏塔に葬られた王とは、ビルマの王子なのかもしれませんね。続いて、こんなのもありました。象戦のジオラマ!なかなかの迫力ですよ。映画と同じで、3人一組で騎象していますね。首に跨る人が戦う役、尻にぶら下がる人が象を操る役。じゃあ鞍に座っている人は何の役目なんでしょう?迫力ある構図を探して四苦八苦するものの、これで精一杯でした ^_^;)より迫力を感じたい方のために、タイ映画『King Naresuan 5 ~象戦~』のトレイラー(YouTube)へのリンクを再度貼っておきますね。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:150バーツ※旅は2014年9月18日(木)に行いました。<参考>ドーン・チェーディー仏塔内の説明書き"นายรอบรู้ สุพรรณบุรี",สำนักพิมพ์สารคดี,2012年つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/26
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ナーンピム交差点のロッ・トゥー乗り場で発見したドーン・チェーディー行きソンテオに乗り込みます。すると、なんとすぐに発車。時刻は、08:59。乗客は、私を含めて6人。わりと需要のある路線なのかな。スパンブリー中心部の目抜き通り、プラパンワサー通りを北上したソンテオは、左折して国道321号線に入り、ここではスパンブリー川と呼ばれるターチーン川を渡ります。橋を渡った先に、仏塔遺跡を発見。アユタヤ時代かな?中央分離帯の緑地には、バンハーン・ジェムサイ公園との看板が。タワーと同じこの名ですが、バンハーンとはもちろんスパンブリーが地盤のバンハーン元首相。ジェムサイは、その夫人の名なのです。つまり今の日本の首相夫妻に例えるなら、シンゾウ・アキエ・タワー、シンゾウ・アキエ公園ってな感じになるわけでして…。さらに右手の車窓に流れて行った学校の看板を読むとバンハーン・ジェムサイ・ポリテクニック・カレッジと。目立ち凄過ぎです、バンハーン元首相ご夫妻。そして左手には、以前乗車した国鉄スパンブリー線終点マーライメーン駅がとても「ターミナル」とは思えない鄙びた姿で佇んでいました。まさに対照的なのが、今走っているこの国道321号線。走るうちに肥料の刺激臭が鼻を突くようになり、車も滅多に見かけなくなったのに、道路だけは変わらずこの立派さ。「土建王国スパンブリー」をこれでもかとアピールされている気になってきました。乗客がところどころで下車し、最終的には私一人に。データ通信速度が遅過ぎてiPhoneのマップが表示されない中、目的地ドーン・チェーディーを通り過ぎないか、そもそもこの路線で正しかったのか不安になってきます。そうこうしていると右手に柵に囲まれた公園らしきものが見えてきました。あそこがそうなんじゃないか!?信号のある交差点で左折する際、右手に仏塔が見えるではないですか。ここだ!!左折し終えたところでブザーを押し下車。運賃30バーツを支払います。時刻は、09:44。スパンブリーから45分かかったんですね。振り返ると、やはりあそこに間違いない!入口には、 ナレースワン大王記念碑スパンブリー県ドーン・チェーディー郡と。早速入りましょう~。お、市が立ってますね。覗いてみると、観光客向けではなく日用品がほとんど。そんな中でも、焼き物のカップ(?)も売っているジュース屋さんとか、ザクロを1kg120バーツのところにバッテンを書いて100バーツに値下げして売っている店なんかも。最近タイではザクロやザクロ・ジュースの屋台をよく見かけますね。流行ってるのかな?市のテントの列を抜けたところに、いよいよ、ナレースワン大王騎象像と仏塔が。象の首に跨り槍を構えているのが、ナレースワン大王ですね。1592年、この地でアユタヤ軍対ビルマ軍の象戦が繰り広げられました。ナレースワン大王は、なんと自ら敵大将ビルマの王子と一騎打ちに挑み、相手を倒したのです。タイの歴史上、象戦は4回記録がありますが、この時が4回目、最後の象戦となったのだとか。像の正面にもナレースワン大王像が、金箔を貼られた姿で佇んでいました。手を合わせ、奥に聳える仏塔に向かってみましょう。<旅費交通費>ソンテオ:30バーツここまでの合計:150バーツ※旅は2014年9月18日(木)に行いました。<参考>Wikipedia "ยุทธหัตถี"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/22
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それは昨年8月のこと。ブログにこんなコメントを頂きました。はじめまして。Googleで検索していて、貴blogサイトを見つけました。わたくし、個人の趣味で世界のタワーの置物(ミニチュア)をコレクションしています。その関係で、タイ・スパンブリーのバンハーン・ジェムサイ・タワー(Banharn-Jamsai Tower)のミニチュア置物を探しています。国内外のタワーのミニチュアを収集し写真を公開なさっているサイト「タワー収集機構」の管理人さんからでした。スパンブリーのバンハーン・ジェムサイ・タワー訪問記事に写真のある、タワー内土産物店で売られているタワーのミニチュアを機会があったら買ってきていただけないかとの内容でした。これはグッド・タイミングだ!タイ映画『King Naresuan 5 ~象戦~』を映画館で観ていたく感銘を受けた私は、ぜひアユタヤ時代にナレースワン大王が象戦を繰り拡げた地を訪れてみたいと思っていたところだったんです。その地があるのも、スパンブリー。何かの縁を強く感じざるを得ません。もちろん依頼を快諾。現代と古代の、記念碑的な場所をいっぺんに訪れてみようではないですか!まずは今回訪れるスパンブリー県の場所をグーグルマップの地図を拝借して確認しましょう。スパンブリーは、バンコクの西北100kmほどにある県で、中心部は、地図中「スパンブリ」の「ン」の字の辺り。バンハーン・ジェムサイ・タワーはそこにあります。ナレースワン大王の象戦の地、ドーン・チェーディーは、さらに35kmほど西北になります。決行日は2014年9月18日(木)。朝早く起き、BTS戦勝記念塔駅南側出口を降りたところにあるセンチュリーというショッピングセンター裏手のロッ・トゥー乗り場へ。ここが入口。時刻は、06:42。右手にずらっと並ぶ窓口は素通りして、奥右手のドアを入ったところにあるスパンブリー行きブースへ。運賃は120バーツ。「7時出発なので待っていてください」とブースのおばさん。ベンチに腰かけてますか。整理券?しばらくして運転手らしき男性が呼びに来たので後を付いて車に向かいます。これかー。私が写真を撮っているのを見た運転手さん、「助手席に乗りなよ」と。わあ、ありがとうございます!見晴らしが良くて、こりゃ最高だ!07:02出発。高速に乗って、一路北へ。バンコク中心へ向かう通勤ラッシュの渋滞を横目に順調に飛ばして行きます。ジェーンワッタナで高速を下り、チャオプラヤー川を渡ったロッ・トゥーは、国道340号線へ。もうこの道を真っ直ぐ突っ走ればスパンブリーです。段々とのどかな光景に。このすぐ後、「スパンブリー県へようこそ」の看板をくぐりました。そしてスパンブリー市街地に入ります。左折して寺の山門をくぐると、終点に到着!時刻は、08:43。戦勝記念塔から1時間40分ほどでした。ワット・プラサートトーンの境内に戦勝記念塔と結ぶロッ・トゥー路線の発着所があるんです。バンコクへ向かう人が大勢座って待ってますね ^^さて、「タワー収集機構」管理人さんからは、タワーの写真もリクエストされているのです。「パースが余り掛からない距離から縦撮り」でとのことなので、なるべく遠くから全体が収まるポイントを探して歩きます。バンハーン・ジェムサイ・タワーは、市街中心部の公園内に建っているために建物が邪魔してなかなかいい場所が無いんですよね~。ここはどうだ?うーむ。まだパースがかかってるけど、ここで精一杯かな。でも曇天なのがイマイチ。どうせ後でまた市街地に帰ってくるので、その際に再チャレンジするとしましょう。と、さっさと目的地を切り替えて、ドーン・チェーディーへ向かうことにします。目抜き通りのプラパンワサー通り(ถ.พระพันวษา)を北へと歩いていくと、ナーンピム交差点(แยกนางพิม)に到着。左手の路地が県内各地へ向かうソンテオの乗り場となっているんです。その中に早速見つけましたよ。ドーン・チェーディー(ดอนเจดีย์)と屋根に書かれたソンテオを!時刻は、08:57。<旅費交通費>ロッ・トゥー:120バーツここまでの合計:120バーツ※旅は2014年9月18日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/19
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晴れてきて日差しのきつくなった路地を歩いていくと、右手に平屋建ての店舗が見えてきました。看板には「マットミー」(มัดหมี่)と。ここだここだ。やっと着いたぞ~。ガラスの引き戸をスーっと開けて覗きこむとお客さん無し。お店やってますか?「まだやってますよ」良かった。冷房の効いた店内に着席。地方のお店にしては小奇麗な内装ですよね。感じの良いお兄さんがメニューを持ってきてくれました。店名の下には「タイ料理(プアン)」と書かれています。プアンって何だろ?帰ってから調べたところ、タイ・プアン族という少数民族のことでした。ラオスの、古代の石壺がごろごろと転がっているシェンクアン高原に元々はいた人達だそうで。かつてはプアン国という王国もあったんだとか。今では散り散りになって様々なところに移り住んでいるそうです。そしてここロッブリーの特産品の一つに、ロッブリー・マットミーというタイ・プアン族による織物があり、店名の由来となっているようで。つまり、そのタイ・プアン族料理の店ってことなんですね。この時は知る由もなく… ^_^;)メニューを見て2品と水を注文。さっきから気になっていたんですが、テーブルにはカノム・トゥアイが置いてあるんですよ。これは無料で自由に食べていいそうです。なんと良心的な店なんだ!お兄ちゃんが水を持ってきてくれたので飲みつつ待っていることに。ん、やたら喉が渇くな。自分でもビックリするぐらいにぐびぐびと冷たい水を飲んでしまいます。そう言えば以前にもこんなことがあったぞ。そうだ。ナコン・ナーヨックの旅から帰って来た時だ。水を勢いよく飲んだ後、寒気がしてトイレで吐いたんだったな。頭痛とダルさでやっとの思いで宿に帰りバタンキューしたんだった。いや~な予感は、的中。寒気がし出しました。いくらエアコンが効いているとはいえ、震えるほど寒いのは、やはり異常です。そこで注文した2品が登場。うぐぅ。食べたいのに食欲が湧かない!頑張って口に運ぶものの、各料理一口で精一杯な状況。美味しいのに。美味しいのに食べられない!!わかったぞ、この症状。熱中症だ _| ̄|○そうか、ナコン・ナーヨックの時も熱中症だったのか。頭の冷静さと裏腹に、体調は急速に悪化。寒気が耐えられないほどに。ちょうど女性グループがやってきて個室に通され、くだんの兄ちゃんも注文聞きで個室に行ったっきりで戻ってきません。うがー、早く来てくれ~。ようやく兄ちゃん登場。ほとんど手を付けていない料理を目の前にバツ悪くお勘定を頼みます。そうだ。最後の力を振り絞り、カノム・トゥアイも一つ味見。くそー、もっと食べたいよーーー。せっかく美味しく作ってくれたのにすみません!心の中で呟いて、ふらふらしながら店を出ます。暑いはずの外気がちょうど良い具合。いや、まだ多少寒気がしています。あ、2品の名前メモるの忘れた。とてもそれどころじゃない -_-;)亡霊のようにヨロヨロちんたら歩いてナーラーイ・マハーラート通りに出ました。ソンテオに乗ると風が寒い!ブルブル震える羽目に。線路を越えたところで下車し、朝到着した時に目ぼしを付けておいたロッ・トゥー乗り場へ直行。チケットを購入して待合室のベンチに崩れ落ちました…。気が付くと時計は15:35。30分ほど爆睡していたようです。お陰で体調が多少回復したような。というか、ロッ・トゥーまだなの?(笑)乗り場に着いたのが15時ぐらいのはず。ようやく15:46に出発です。途中で乗り降りがありながら、最終的にはこんなにガラガラに。そして終点、戦勝記念塔に帰って来れました。時刻は、17:54。呆然とロッ・トゥーを見送ります。でもこの頃には体調がかなり回復してました。今回の失敗の原因は、曇り空だったので安心して水分補給もせずに歩き回ったことでしょうね。多少湿度が高めだったのも影響したかと。ナコン・ナーヨックから帰ってきた時も雨上がりの曇天下、約束に間に合うように走りづめ走ったのがいけなかったのか。不本意な終わり方をしたロッブリーの旅となってしまいました。とくにマットミーの店員さんには、料理にほとんど手を付けなかったことで不快な思いをさせてしまったことでしょう。いつか、お詫びを兼ねてもう一度再訪したいものです。みなさんも、熱中症にはくれぐれもお気を付けを!<旅費交通費>ソンテオ:8バーツロッ・トゥー:120バーツここまでの合計:186バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。<参考>"ประวัติศาสตร์เมืองพวน"おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/15
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ロッブリー駅の正面を過ぎ、さらに国鉄線路沿いに歩いていくと、またここにやって来ました。ワット・ナコーンコーサー。最初に訪れた遺跡です。背後にプラプラーン・サームヨートも見えてますね。線路上に下り踏切に出たところで、またもや列車が。時刻表に無いから回送列車?それよりも、線路はプラプラーン・サームヨートのこんなに近くを通ってるんですよ。あ、ここの踏切も棒が下りてくるタイプでした。右手のプラカーン廟が真ん中にあるロータリー脇に立ちソンテオを待ちます。ロッブリーで人気のレストランへ向かおうと思いまして。ここから東の方にあり、徒歩では無理なのでソンテオのお世話になろうと。ナーラーイ・マハーラート通りは真っ直ぐだから、ここに来る路線ならどれでも目的地方面へ向かうだろうと読みつつ…。お、来たぞ。エイヤっと乗ってしまいましょう!่時刻は、13:42。ちなみに後で調べたところ、運転席上に掲げられた行き先のドンチャンパー(ดงจำปา)には、バイク用のレース場があるようで。そんなソンテオに揺られてナーラーイ・マハーラート通りを真東に進んでいきます。大学が見えた後、低層のトゥックテオ(長屋ビル)商店街が通りの両側に続いている光景を眺めていると、大きなロータリーに入りました。スリヨータイ・ロータリー(วงเวียนศรีสุริโยทัย)と言うんだとか。ピブーン政権時代の1938年完成。同じくピブーン政権下で完成したバンコクの戦勝記念塔が41年なので、こっちのようがやや古いんですね。17世紀のナーラーイ王治世後、ずっと廃れていたロッブリーの町がピブーン首相がぶち上げた都市計画と陸軍基地設置のお陰で復興したのだろうことが伝わってきます。ちなみに地元民はスリヨータイ・ロータリーというよりも、サケーオ・ロータリー(วงเวียนสระแก้ว)と読ぶことが多いんだそうで。このロータリーの周辺がロッブリーの町の中心部のようです。ロッブリー・バスターミナルもロータリー南西の一角にあることを帰ってから知りました ^_^;)そして川を渡ったところでブザーを押して下車。運賃8バーツを運転手に支払います。時刻は、13:50。この先もトゥックテオ商店街がビッシリ続いてますね~。でも降りた正面は、第13軍管区の基地でした。いい目印になりそう。でももう来ることは無いかな ^_^;)反対側へ渡り、川沿いに出ます。調べたんですがついぞこの川の名前が分からず。どうも運河のようです。そんな川沿いに日陰の多い遊歩道を見つけ、とぼとぼ南へと歩いて行きます。今頃になって晴れ間が出て暑くなってきたので助かりましたよ。頭痛が相変わらず治らない上にバテてきました。あとちょっとだー。こらっ、通れないじゃないか!(笑)でも気持ちいいだろうな~。次の橋のところで左折。住宅街なんですがところどころに商店も見かけるんですよね。表通りからちょっと奥まっているのに意外。結構栄えてるんですね、ロッブリー市街。お、目的地のレストランの看板出現。「マットミー」(มัดหมี่)という名の店なんです。この交差点を右だな…。あら、暑い中ご苦労さまです。バテないように気を付けてくださ~い。…って人のこと言えないか。もうすぐのはず。がんばるぞ。しかしこの後、思わぬ事態に見舞われるのでした…。<旅費交通費>ソンテオ:8バーツここまでの合計:58バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。<参考>Wikipedia "จังหวัดลพบุรี"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/12
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ロッブリー駅から道なりに南へと歩き出します。この辺りは住宅街のただの路地ですね~。緩い下り坂を進んでいくと前方に見えてきましたよ。ロッブリー城壁の門!崩れた「跡」なのかと思いきや、完璧な姿で残っていて、こりゃオドロキです!プラトゥー・チャイ(ประตูชัย)との案内板が立っていました。訳せば、「勝利門」。17世紀のナーラーイ王時代の姿ではなく、19世紀半ばのラマ4世による修復後の姿だとは思いますが、ここまで昔の姿で残っている城壁門って珍しいですよね。有名な門としてはチェンマイのターペー門がありますが、規模はこれよりも小ぶりで上の部分が無い形状です。またナコンラチャシマーにもいくつか立派な門がありますが、残念ながらどれも綺麗に修復され過ぎている感が。なので、かつての面影を良く残したままの規模の大きな門って貴重だと思います。もしかしてロッブリーだけですかね?ロッブリーには実はもう1か所、門が残っているようです。残念ながら今回は訪れませんでしたが。門の入口には、こんな神棚(?)が。ナムデーン(赤いジュース)が置かれているのが、なんともタイらしいです。お、ここにも。違う神様なんでしょうね。真ん中に埋め込まれた木の柱には、かつて扉が取り付けられていたのかも。門をくぐって外側に出てみました。すぐのところに住居が建っているのが、なんとも ^^昔は兵士が立って守っていたんでしょうね。ついついそんな光景を想像してしまいます。さて、城壁内へ戻って壁沿いの道を右へと歩いてみますか。土盛りの上に崩れかけたレンガの壁が少し見えますね。元々こういう作りなのか、基礎部分が崩れてこうなったのか、イマイチよく分かりません ^_^;)壁が途切れた先は、国鉄の踏切でした。ちょうど列車がやって来る警報音が鳴り始め、遮断機が下りてきました。人力で横に引っ張る車輪付きの柵じゃなくて、驚いたことに日本と同じく棒が倒れて下りてくるタイプです。タイにもあるのか。初めて見たかも(笑)貨物列車だ。写真を撮っていたら踏切待ちの人達にジロジロ見られてしまいました。列車の写真を撮る人がそんなに珍しいのかなぁ。踏切を渡り、線路沿いに左へ続く道を歩いていきます。曇り空なのでいい気になって闊歩してましたが、そろそろバテ始めましたよ。ロッブリー駅のホームが見えてきました。背後にはワット・バンダイヒンの姿も。その左のものって、もしや蒸気機関車時代の給水塔?ロッブリー駅舎です。これまた背後にワット・プラシーラッタナ・マハータートの主仏塔が頭を覗かせています。さてと、ナーラーイ・マハーラート通りに出て、ソンテオに乗ってみますよ~。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:50バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/08
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なかなか充実していたプラナーラーイ宮殿(ナーラーイ王国立博物館)を出て、目の前一帯の商店街を歩いてみました。でも、目ぼしい店は一つも無く… -_-;)いったん宮殿正門前に戻って白壁沿いに南へと歩きはじめると、東のほうに建物越しに仏塔遺跡が聳えているのが見えるではないですか。よし、あれを目指して歩いていくとしましょう。路地に入り東へ進んでいくと、おぉ、ここだな。角の食堂が流す大音響の音楽にゲンナリしながら敷地に足を踏み入れます。見えていたのはあの仏塔だ。ここは、ワット・プラシーラッタナ・マハータート(วัดพระศรีรัตนมหาธาตุ)という、かつてのロッブリーのメイン寺院として建てられたものだと、案内板の説明にあります。200m四方の広大な敷地内に壁に囲まれて、様々な時代の建造物が30あまり建ち並んでいる景色は壮観。12~13世紀初頭からアユタヤ時代、そして19世紀のラマ4世期までのものがあるんだそうで。この最も高い仏塔(主仏塔)は、12~13世紀初頭のもの。クメール様式の影響を受けつつもアユタヤ初期につながる新たな様式が見られるのだとか。つまり、タイ様式が見て取れる現存最古の仏塔なんだそうです。そんな仏塔に奇しくも出会えるとは!ちなみに右に見える建物は、17世紀にナーラーイ王が建てた仏堂跡。こんな立派で広大な遺跡なのに、見学者は、私一人だけ。ありがとうございます。贅沢なひと時を過ごせました ^_^;)外へ出て敷地沿いに東側へ回ると、どうやらこっちが正しい入口のようですね。ナーラーイ王が建てた仏堂跡の背後に、あの仏塔が見えています。で、この反対側はというと、ロッブリー駅なのでありました。駅のホームにある遺跡模型の背後に見えた仏塔は、あの主仏塔だったのか。駅舎がプラプラーン・サームヨートを模してあるのがいいですね ^^駅舎に向かって右手には、蒸気機関車が佇んでいました。残念ながら日本製ではなく、イギリス製なんですけどね。おや、蒸気機関車の後ろにもなにやら遺跡があるではないですか。向かおうとすると、左手にホームに隣接した食堂発見。ちょうどお昼時なので、軽く腹に流し込んでおきましょう。実は歩いているうちにちょっと頭痛がするようになったので、休憩もしたかったんですよね。時刻は、12:55。ありきたりですが、ガパオ(挽肉のバジル炒めご飯)を(笑)一服しがてら、せっかく来たのだからガパオで済ますんじゃなくて、ロッブリーの美味しい店でも食べようとiPhoneで検索。見つけました。ちょっと遠いけどなんとかなるかな。その前にもう一か所だけ見ておきたいところが。向かおうと店を出たところで列車が到着したので引き寄せられるようにホームへ。バンコクのフアランポーン駅10:50発の列車かな?ちなみにさっき目指しかけた遺跡は、こんな感じでホームからも見えました。17世紀のナーラーイ王時代に建てられた寺院でワット・バンダイヒン(วัดบันไดหิน)と案内板にあります。訳せば「石階段寺」。きっと元の名が不明なんでしょう ^_^;)<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:50バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/01/05
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新年あけましておめでとうございます。昨年は観光ビザ免除をはじめとした官民一体の日本観光アピールと急速な円安で日本で見かけるタイ人観光客数が激増した一方、日本人にとっては円安と5月の軍クーデターで観光先としてのタイがちょっと遠のいた1年だったかもしれません。でも今年も円安傾向と軍主導の政権はともにしばらく続きそうなので、円安にはLCC利用などで、政権については観光やふつうの現地生活には影響が無いどころか治安がかえって良くなって安心感が増していると捉えることで対応するのがいいかなと思っています。というわけで、少なくとも私は今年も今までどおりにタイへ行き続けます。みなさんはいかがですか? 今年も楽しい時間をタイで過ごされることを願っています。そしてより楽しく過ごすにはタイ語を学ぶことをオススメしておきます(笑)…ということを新年の挨拶に代えさせていただいたオマケに当ブログで今までに取り上げたタイにおける日本ゆかりの史跡・スポットを下記にリストアップしてご紹介しておきます。というのも、気付けばそんな場所へ既に相当数訪れているのと、どうも近頃人気があるようなんですよ。何かの参考になれば幸いです。泰緬鉄道跡を再び辿る旅(2014年5月12~13日)・ナムトック・サイヨークノーイのC56蒸気機関車[2]・サンクラブリー到着[3]:C56 702号機保存記念碑・スリー・パゴダ・パス終点着[4]:泰緬鉄道線路跡・泰面国境平和祈念堂とミャンマー側線路跡[5]・船で泰緬鉄道線路跡へ[9]・湖を横切る泰緬鉄道線路跡[10]・北へと続く泰緬鉄道線路跡[11]・ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム[16]・ヘルファイア・パス両側の線路跡は?[17]・カンチャナブリー経由でバンコクへ[最終回]:ヘルファイア・パスカンチャナブリーの奥へ(2014年4月1~2日)・ヒンダートという地へ[2]:ヒンダート温泉・ヒンダート温泉![3]・旧日本軍とヒンダート温泉[4]・泰緬鉄道とワット・ワンウィウェーカーラーム[9]・砲撃跡と日本軍財宝伝説[14]・ダム湖に沈む泰緬鉄道線路跡[15]・ 反対側にも砲撃跡と泰緬鉄道線路跡が[16]クローンラットマヨム水上マーケットへ(2014年4月7日)・あの蒸気機関車と再会[1]:ミカド型蒸気機関車950番遅ればせながらの泰緬鉄道(2014年3月31日)・クウェー川鉄橋と大どんでん返し[3]:C56 23号機,クウェー川鉄橋・チョンカイの切り通し[4]・タム・クラセー桟道橋[5]・映画『レイルウェイ』&終点へ向けて[7]:ワンポー駅・終点ナムトック駅[7]意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅(2013年8月16日)・旧日本軍第37師団慰霊碑[3]:ワット・プラーンマニー・ローンクルア市場[4]:日本軍が敷設した道路1・千早街道という名の道[6]日本軍が敷設した道路2・クンダーン廟と日本軍の逸話[7]ラーチャブリーへの旅(2013年4月30日)・ノーンプラードゥック駅[3]:泰緬鉄道始点・バーンポーン事件の地ワット・ドーントゥーム[5]見どころ満載アユタヤ遺跡の東端(2013年3月29日)・祠に鎮座する意外なものは…[3]ドラえもん廟・日本人村に到着[4]アユタヤ日本人村・アユチヤの謎?[番外編]「アユチヤ日本人町の跡」碑71年前の足跡を訪ねて(2012年12月28日)・太平洋戦争歴史記念碑とは[6]:バンプー日本軍上陸地点・スックター橋[7]:バンプー日本軍上陸地点フアランポーン駅の蒸気機関車(2012年12月29日):C56水上交通時代の面影を求めて(2012年8月16日)・ この飛行機は!![7]:YS-11海上の寺院へ(2012年8月14日)・バーン・クンサムットチーン・ミュージアム[9]:旧日本軍の機銃徹甲弾(?)薬莢二大百年市場へ!(2011年5月2日)・ソンテオでワット・サンパスィウへ[7]:ドラえもん寺・ド○えもん寺!ワット・サンパスィウ[8]ドラえもん寺バンコク西北行き当たりばったり旅(2010年12月27日)・ 日本運河に到達![6]:クローン・イープン(日本と無関係)バーンブアトーン再び!(2009年10月31日)・ バーン・カーイ3到達![12]:バーンブアトーン収容所跡地・バーン・カーイ3を歩く[13]:バーンブアトーン収容所跡地パークナム探訪(2009年6月22日)・日本製潜水艦が![3]日本製潜水艦マッチャーヌ・戦艦トンブリー日本製軍艦トンブリーチャオプラヤー川河口への旅(2008年12月30日)・軍艦メークローン号[9]日本製軍艦メークローントンブリー路線バスの旅(2008年4月28日)・蒸気機関車に遭遇[12]トンブリー機関区の日本製蒸気機関車・SL大集合@トンブリー機関区[13]トンブリー機関区の日本製蒸気機関車…で日本関係の記事は全てだと思います。今後もそんな場所へ訪問し続けて行きたいですね。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
2015/01/02
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