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バチカンのスイスガード(衛兵)
ミケランジェロはデザイナーもやっていました。
イタリアのバチカン市国のサン・ピエトロ寺院を警護するバチカンの衛兵(スイスガード)の衣装です。

冬場の衣装です。

今もデザインは当時のままです。もちろん機能的には替えられているのでしょうが・・・。
バチカンを守衛する兵隊はスイス人のみ
バチカンでは、法王の身辺と法王室はスイス人の衛兵が警護についています。
1505年に教皇ユリウス2世によって創設され、1527年に神聖ローマ帝国のカール5世に攻められた際、スイス人の傭兵達が、教皇クレメンス7世を命を呈して助けたため、(イタリア人は逃げた)スイス人の傭兵と代々契約が結ばれる事になりました。
現在はスイス国内でカトリック教会からの推薦を受けたカトリック信徒の男子のみが選ばれていると言う事です。平和になってお飾り化されていましたが、1981年に法王襲撃事件以来、再び武装化をしているようです。
ところで、スイス人の傭兵ですが、なかなか壮絶な過去がありました。
現在のように観光や精密機器の輸出など何も産業のなかったスイスでは、何百年も前から人間(スイス兵)が貴重な輸出品でした。(「血の輸出」と言われたようです。)特に、その優秀さには各国から引き合いがあったのでしょう。
17世紀のフランス王ルイ14世は、スイスから多くの傭兵を得る為の権利を締結し、以来フランスとの雇用契約によりそれはフランス革命まで続きます。王家との契約通り、民衆からルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして786名のスイスの兵隊が命を落としたと言われていますま。(ベルバラのオスカル(実在じゃないけど)が戦っていたのはスイス人達だったのね・・)
傭兵契約に基づいて忠実に任務を遂行する彼らは時には、スイス人同士で戦わなければならなかったと言います。
1848年スイスの憲法では外国との傭兵契約の締結はいっさい禁止されました。しかし、このバチカンの警護だけは今も特別に存在しています。
次回に傭兵の慰霊碑をUPします。
リンク ルツェルンのライオン慰霊碑とスイス人の国防
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