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ルツェルンのライオン慰霊碑とスイス人の国防
中世に活躍したスイス人の傭兵
スイスのルツェルンの街、ルツェルン湖の近くの氷河公園に異国で亡くなったスイス傭兵の為の慰霊碑があります。前回バチカンの傭兵でもふれましたが、1789年のフランス革命で、ルイ16世と王妃マリーアントワネットを守る為に革命軍と戦って786名のスイス人兵士が命を落としました。
リンク バチカンのスイスガード(衛兵)
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あまり知られていませんが、 フランス革命の時にフランス王やフランス王妃らを守るために最後まで忠征を誓い守ったのはフランス人ではなく、王家と契約していたスイス人の兵隊たちだった のです。
※ とりたてて、特産物もないスイスでは、外貨を稼ぐ為のすべは人自身。つまり人を輸出していたわけで、それが兵隊として他国と契約して駆り出されていくと言う傭兵のシステムです。
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それまで傭兵で国の経済をささえてきたスイスですが、この悲劇を契機に全ての契約期限がすぎると傭兵を一切禁じたそうです。
※ それまで、諸外国に出征したスイス兵は延べ200万人にのぼるらしい。
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ライオン慰霊碑は、ロイス氷河にえぐり取られた岩石(2000万年前の地層)を彫り込んで作られています。矢が刺さって瀕死のライオンを兵士にみたて、スイスの国旗と百合の紋章(フランスのブルポン王家の紋章)を抱えて横たわっているのです。
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負け戦が見えていたにも関わらず、彼らは最後まで契約を全う。
命をかけてフランス王家の為に戦って死んだスイス人の兵士の忠誠心と武勇をたたえられ、1821年にデンマークの彫刻家トーバルセンが制作したものだそうです。

フランス革命だけでなく、18世紀初頭のスペイン継承戦争では、フランス軍とオランダ軍双方にスイス傭兵がおり、前線で互いに戦い双方全滅したと言う悲劇もあったそうです。
国土の3/4がアルプスとジュラの山脈で占められた美しく壮大なスイスの国は、今でこそ観光収入(精密機器、武器の輸出もあるが、保険が一番の収入源)がありますが、その昔外貨をかせぐ為にどれだけの犠牲を払ってきたのかと考えると、とても悲しくなります。
このライオンがとても哀れに思えてなりません。
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現在傭兵はありませんが、永世中立国スイスである為には自国を守る為の軍隊が必要です。
だから成人に達した男子には兵役の義務がありますし、兵役後も自動的に民兵扱いになり、いざと言う時の役目が決まっているそうです。
そればかりか、志願兵の女性兵士も数千人いるとか…。
各家にはいざと言う時の動員の為に小銃等武器の他、食料等必需品を最低2ヶ月分備蓄する事が義務づけられているし、ルツェルン郊外の山麓には世界最大のトンネルが掘られ、市民(シェルターを持たない市民)が最高2ヶ月生活出来る設備が整っているそうです。
(新たにビルやアパートを建てる時は地下室を作る事が義務づけられている。)
国民の国防意識と危機管理はおそらく世界一でしょう。
それはこんなスイス人の悲しい過去が導いた結果なのかも・・。
下はルツェルンの街と湖です。
四つの森林の州の湖(フィアワルトシュテッターゼー)と言われています。
ルツェルンは18世紀から19世紀にかけて、文学者ゲーテ、シラー、バイロン、シェリーの他、ワグナー等の作曲家も滞在し、ヨーロッパの芸術家の聖地のような場所だったそうです。
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