わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年05月18日
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カテゴリ: 歴史の旅

「エジプト」と言えばナポレオンのエジプト遠征が浮かびます。ナポレオンのエジプト遠征は大失敗だったようですが、ナポレオン隊が発見したロゼッタ・ストーンは世界で最も有名な碑文の一つだからです。それなのに・・私は不思議でした「なぜフランスにないのだ?」と・・。

​​​​​ ロゼッタ・ストーンとナポレオン
ロゼッタストーン(Rosetta Stone)
なぜルーブル美術館にないのか?
ナポレオンとエジブト遠征と学術調査団の活躍​

ロゼッタストーン(Rosetta Stone)
下はイギリス、ロンドンの大英博物館に所蔵されているロゼッタストーンです。
ロゼッタストーン 1
​​1799年7月、ナポレオンがエジプト遠征した折にフランス軍のピエール・フランソワ・ブシャール大尉によってエジプトの港町ロゼッタで発見された碑文の刻まれた石です。
※ 1799年8月にはナポレオンはエジプトを脱出している。

縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。素材は花崗閃緑岩です。
エジプト語とギリシャ語の2種類の言語、3種類の文字で記されていました。
1. エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)
2. 民衆文字(デモティック)
3. ギリシャ文字
下は拡大版、上段中段下段と三部になっているのが写真でも解りますね。
ロゼッタストーン 2
1822年ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって(ギリシャ語をもとに)ヒエログリフは解読された。
4世紀以降、解読のできなくなっていたエジプトの古文書。ロゼッタストーンに刻まれた三部の訳を読み比べる事で古代エジプトの象形文字の解釈が可能となった わけです。
要塞の石材の一部にされていた一見ただの文字の書いてある壁板は、実は非常に意義のある大発見だったわけです。
それも ナポレオンのエジプト遠征が、ただの侵略的遠征だけでなく、学者を同行しての調査を踏まえた上陸だった事にこの発見があったのは否定できない。
※ シャンポリオンも兄と同行していた為に回読者になれた?

ロゼッタストーン自体に書かれていた内容は、プトレマイオス5世の戴冠記念祭に関する布告文で、プトレマイオス5世の徳をたたえた文章? らしい。

さて、 ナポレオンの部隊が発見したのになぜルーブル美術館にないのか?
ロゼッタ・ストーンは1802年以降から現在まで英国のロンドンにある大英博物館で展示されている。
1798年、ナポレオンがエジプトを脱出。パリに戻り、クーデター後にマレンゴの闘いで勝利するも、1801年、エジプトでは残されたフランス軍が英国とオスマン帝国の連合軍に敗退。
アレキサンダー条約により英国王ジョージ3世のものとされ、 せっかく手に入れた碑文は 英国に接収されてしまった。​ それが現在に至り、英国の所有となっている理由である。
ナポレオンが率いるフランス軍が欧州で活躍している頃、エジプトでは大きな宝を失ってしまった事になる。
ナポレオンの肖像

上はルーブル美術館に所蔵されている描きかけのナポレオンです。作者はわかりませんが、ダヴィッドかな? と思います。

​​​ ナポレオンとエジブト遠征と学術調査団の活躍​
イタリア遠征に勝利したナポレオン人気は凄く、 1798年にナポレオンは軍を引き連れてエジプト遠征 を行います。​
※ ぶっちゃけ、当時のフランス軍の幹部はナポレオンがエジプトに行ってくれてせいせいしていたはずだ。
「これ程、デタラメな遠征はなかった。」と、現在のフランスでは酷評されているようですが ナポレオンのエジプト遠征の目的は英国の経済封鎖である。
英国とインドとの交易に欠かせない北アフリカ。オスマン帝国の領域に侵略をしかけた理由は本来そこにあった。
​だからナポレオンが去った後、残されたフランス軍は英国とオスマン軍の連合に負けたのである​。
下は参考の為に美術書をデジ撮影したものです。ルーブル美術館所蔵
サン・ベルナール峠のナポレオン
ジャック・ルイ・ダウィッド作の「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」と題がついていますが、これが有名なアルプス越えの絵です。
あのセントバーナードの名になったサン・ベルナール修道院のある峠だったんですね。でも実際は馬でなく悪路に強いラバだったと言います。
この作品は執政時代に描かせたもので、ダヴィッドにたびたび肖像画を描かせ、フランス皇帝の地位に付いたあかつきにはダヴィッドを皇帝の主席画家に任命しています。​​

​​​※ ダヴィッドには「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式」の巨大な絵も描かせています。(ルーブル美術館所蔵)

ナポレオンは科学者や数学者、建築技術者からなる学術調査団167名を同行。彼らはエジプトの地勢や物産の調査のほか、古代遺跡の調査にあたった。
ロゼッタ・ストーンの発見はその最たる物であるが、上エジプトに赴いた一団はルクソールのカルナック神殿や王家の谷を世界で初めて学術的に記録し、それらは世界に公表されエジプト学の成立と同時に発掘ブームの元になる。

​大勢の学者を同行してのエジプト遠征だったと言う事は評価ですが、実はこれはナ ポレオンが崇拝していた? アレクサンドロス王の行動を真似したもの。
アレクサンドロス大王はかの大遠征の際に多くの学者らを同伴して進軍していたのです。
​​
ところで、遺跡がすべて取り上げられたわけではありません。フランスにはエジプトの神殿から略奪してきた品が結構残ってっています。
下はルーブル美術館所蔵のスフィンクスです。
スフィンクス

下はどこかの神殿のファラオの座像です。
ファラオの像(ルーブル)

ミイラが結構たくさんありました。それはまたの機会に・・。
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Last updated  2019年04月14日 03時09分10秒
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