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せっかくなのでアクロポリスにあるパルテノン神殿(主殿)以外の建造物も紹介。
アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘に防壁で固めらた神殿や砦が築かれたものだそうです。(標高は156m。市街地からは70m高い。)
ミケーネ時代のアクロポリスはまさに王城(城塞)で、諸王の居城であったと伝えられています。ポリス成立後は、神殿としての宗教行事以外に、裁判など、集会所として使われたりと民主主義的公共の場となっていったようですが、それも古代ギリシャの話です。
ローマ期にはキリスト教の神殿となり、トルコ支配のもとではイスラム教会、兵舎、ハーレムになった事もあったとか・・。今のような廃墟になったのは1687年と言われています。
なぜ年代がはっきりしているかと言えば、原因は当時トルコがここを火薬庫として使用していた事と、ベネチアの砲弾がパルテノン神殿に直撃して大爆発を起こして屋根や壁が吹き飛び壊滅的被害を受けたからです。(2000年の歴史が一夜で吹き飛んでしまったんですね・・。もったいない・・。)
下はエレクティオン。パルテノン神殿の一部の宮で、北側に位置(BC406~)
ラコニア地方のカリアの女性と言われ、カリアティデスと呼ばれているイオニア風の6人の少女像の柱がある。(手前中央神殿角)この像はオリジナルはアクロポリス博物館に5体。1体はイギリス人に盗まれて現在は大英博物館にある。
下中央に見えるオリーブの木は
アテナイとポセイドンがアテネの守護神の座を競って争そったと言われる伝説の木だ。
ポセイドン神は「三又の鉾」で岩に穴をあけたて塩水を噴き出させて見せる。
アテナイ神は同じ鉾で大地を刺してオリーブの木を生やした。
軍配はアテナイ神に上がり、彼女がアテナイの守護神となったとされる逸話に基づく。

神殿の中は撮影禁止である。近づく事も文化財保護の為に禁止。
今やかろうじて残っている神殿維持は常に工事期間のまま進んでいない。神殿前も荒廃していて、結局カメラを向ける位置も限られてくる。ずるしない限り中は写せない。
下はアクロポリスから南を見下ろした所にあるディオニソス劇場である。
半円型をしたBC6世紀頃の古代劇場である。毎年、アテナイの国家的神事として、酒と演劇の神であるディオニソスの祭礼が行われたと言われ、劇場には15000人の市民が集まったそうです。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、等の著名な劇作家も、ここで競演し、名声を得たとされています。BC5世紀はアテナイが最も輝いていた時代だったそうです。(現在の姿はBC1に改築された物だそうです。今はこんなですけど・・。)
パルテノンの南西側にはもう一つ劇場があります。イロド・アティコス音楽堂です。
ローマ期の161年に建造されています。アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈したものです。
6000程ある客席は最近修復されたそうですが、現在も現役の音楽堂です。毎年夏には演劇、コンサート、オペラ、ギリシャ古典劇のイペントが催されるようです。(素敵ですね、ここで演じる人もロマンを感じる事でしょう。)
ギリシャの遺跡は歴史があるだけに野山に神殿の柱が転がっていたりと(何本かは建っている)想像していた神殿の跡はほとんどなく、まとめて神殿見物をしてカメラで撮っていると、どこだかわからなくなる事もしばしば。ディオニソス劇場のような劇場もあちこちの神殿に付随してあるので、「ここは、もういいや・・。」と言う気持ちについなってしまいます。
せめてもう少し形があれば想像力で妄想できるのでしょうが、何も無い原っぱの石柱を元に頭の中で神殿を構築するのは幾ら想像力豊かな私でも無理でした。遺跡をupする時は復元図でも載せる事にします。
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