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写真入れ替えました。
古代ローマの円形劇場 2 (ローマのコロッセオと暴君ネロ)
ローマのコロッセオ(Colosseo)円形闘技場
暴君ネロ帝
コロッセオはラテン語でコロッセウム(Colosseum)。「巨大な物」を意味する。
英語の競技場のコロシアムの語源となっている。
が、ローマ帝国時代は、建設が始まったヴェスパシアヌス帝(ティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパシアヌ)の名に因んで、フラヴィウスの円形劇場と呼ばれていた。
※ 8世紀にはコロッセオと変わっていたらしい。
下がローマの観光名所として今も人気のコロッセオ。(フォロ・ロマーノに隣接)。

スタディオン(U字の競技場)が発展して、さらに劇場が合体してニーズに合うべく考案されたのがコロッセウム(Colosseum)
です。
起元前後からローマ帝国各地に建設が始まります。

ローマのコロッセオは ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園の人工池の跡地に建設された
。
が、その場所は地盤がやわらかく基礎造りだけで2年を要したと言う。
第9代皇帝ヴェスパシアヌス(在位69年~79年)が75年に着工し、第10代皇帝ティトゥス(在位79年~81年)の治世の80年に未完でこけら落とし。
工事は3代皇帝をまたいで完成された。

長径188m短径156m周囲527mの楕円形で高さは48m。
座席が45000席で、立見が5000席と推定。

コロッセオ外側には各層80のアーチが並んでいる。1層目はドーリア式、2層目はイオニア式、3層目はコリント式の付け柱で飾られ、4、5層目は明かり取りの窓が交互に開けられている。1層目のアーチには番号が付いていて、入場者はチケットNoのアーチから入場したそうで、(全く現代のシステムと一緒)5万人規模の入場者を効率的にさばく事が計算された造りなのだそうです。
夜のライトアップされたコロッセオ。
暴君ネロ帝
第5代皇帝ネロ(AD37年~68年、在位AD54年~68年)
の治世初期は、家庭教師で哲学者セネカや親衛隊長官セクストゥス・アフラニウス・ブッルスの補佐の中で名君の評判もあったと言われているが、 義父より皇帝の座を得て、巨大な権力を握ると次第に暴君となって狂気的な振る舞いを続けた
ようだ。
もともと「ワガママだった?」のかも知れないが、 実母小アグリッピーナの異常な彼への干渉が(彼の精神、言動の異常さ)根底にあったのではないか?
と考が及ぶ。
実際。この母(小アグリッピーナ)は3度目の夫、第4代皇帝クラウディウスを毒殺して息子を皇帝にしたとも言われており、やはりただ者ではなかった女性です。
ネロはうっとうしく思ったのか、邪魔者を排除するべく59年に母(小アグリッピーナ)を殺害。
62年には妻オクタウィアをも殺害し、65年に彼のブレインだった哲学者セネカを自殺に追いやる。
また 彼の治世よりキリスト教徒への迫害が酷くなって
行ったと言う。
あまりの 残忍さと悪政に元老院も怒り、最後は自殺に追い込まれて亡くなった
(68年6月8日没)
ネロ後
皇帝ネロの後、1年の間に無能な皇帝が3人擁立されては死に、政治は混乱。その中、ヴェスパシアヌスが69年が第9代皇帝となる。 第9代皇帝ヴェスパシアヌス(AD9年~79年、在位69年~79年)
彼はローマ皇帝が従来権威の由来としていたアウグストゥスの血統ではなかったが、元老院の熱い信頼の元、見事ローマの政治を立て直したと言われている。
そして、 ネロの悪政の後を消し去るように黄金宮殿(ドムス・アウレア)を解体し、市民の喜ぶ娯楽施設としてコロッセオの建設を始めた
。
次はアリーナに入ります。

つづく
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