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前回のミケランジェロ広場では、ダビデ像とミケランジェロまで紹介するつもりでしたが、(景色だけて終わった・・。)中身が濃いので(資料も多い)慌てず、分割することにしました。
サン・ニコロ地区のミケランジェロ広場の建設工事(1873年~1875)は当初、建築家ジュゼッペ・ポッジの構想では、広場全体がミケランジェロを記念するモニュメントとなり、開廊はこの偉大な美術家ミケランジェロの、フィレンツェ市にある全作品を一同に集めた美術館にしたかったようです。(実際は見晴らしの良いデート・スポットだ・・。)
唯一この丘の広場に置かれたミケランジェロ作のダビデ像により、「ミケランジェロ広場」の名は面目躍如と言った所となっています。
ダビデ像(David)
ミケランジェロ広場
に置かれているミケランジェロ作のダビデ像から紹介ですが、当然ここのダビデ君はブロンズのレプリカです・・。
シニョーリア広場
のヴェッキオ宮殿の前にもレプリカがあります。本家はもともとシニョーリア広場にありました。
1873年ダヴィデ像は、外にあると損傷を受けやすい(酸性雨とか・・年月の摩耗)ので、保存の為にフィレンツェに美術学校の美術館である アカデミア美術館(Galleria dell Accademia)
に移設されたました。ですから、写真はレブリカのダビデ君です。
ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)のダビデ像

やはり、作品はや夏の陽光に一番映えるようです。
後ろ姿もりりしいですね。現物は大理石なのでこんなに綺麗には写真に写りません。
彼は、広場の高所から街を見下ろしています。なかなか人が多くて掃けないので、撮影しにくい場所です。
ピエタと並ぶミケランジェロ(Michelangelo)(1475年~1564年)の代表作であるこの作品は、力強さと若さと人間の美しさの象徴とされています。
本物は、制作期間は1501年~1504年大理石で身の丈5.17mもある彫刻作品です。
(次回紹介)
ダビデ(David)と旧約聖書の「サムエル記」
ミケランジェロの制作したダビデ(David)は、旧約聖書の「サムエル記、上の17章」に書かれているペリシテ人の戦士ゴリアテとの戦いに勝利した時の姿
です。
ペリシテ人の侵略と戦っていた当時のイスラエル王サウルの命でダビデは巨身の男ゴリアテと一騎打ちをします。まだ少年だった羊飼いの少年ダビデは、止めるサウルに対してこのような事を言っています。
「これまでも主の加護を得て、野山で羊を襲う獅子や熊を退治してきた私です。今度も、主は私と共にいてくれるでしょう。」
ダビデは丸腰のまま武器も持たずに川原の石を5個とそれを投げて射る為の紐(ヒモ)1本だけでゴリアテに挑み、石で瞬殺したようです。
倒れたゴリアテに近づき、彼の持っていた剣でとどめを刺し、彼の首を落として、掲げ、ペリシテ軍を撃退したそうです。(ゴリアテの首を持つダビデの絵もよく描かれる図です。)
因みに、ダビデは、ミレー作の「落ち穂拾い」の女性、ルツとボアズとのひ孫にあたります。 ユダヤ教では、王となるのに、何が何でも、正統な血筋の系譜かどうかが、重要視されています。
勝利の後にダビデはユダの王となり、サウルの家来の軍勢と戦って勝ち、やがて古代イスラエルの2代目の王(在位BC1000年~bc961年頃)となりエルサレムに王国を築いています。 彼の子がソロモン王
です。
旧約聖書の「サムエル記」は、古代ユダヤの歴史書
のようになっています。正教会では「列王記第1」「列王記第2」と呼称され、「列王記第1」に含まれるようです。
「ユダヤの予言者サムエル」の登場から彼により初代イスラエル王としてサウルが選ばれ、サウルが堕落し、ダビデが2代目の王として君臨し、彼が没するまでを「サムエル記」としています。
彼の子ソロモン王から」「列王記1」となり、神殿建設の話が出て来ます。
因みに、映画インディージョーンズの「レイダース/失われたアーク」で取り上げられたモーセの十戒の書かれた石板の 契約の箱「聖櫃」は、ソロモン王の時代には、まだエルサレム神殿の至聖所に安置されていました
。
ダビデ像つづく
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