PR
Keyword Search
Category
Freepage List
最後の一息を挫折して眠ってしまった・・・
何がそんなに疲れるのか? エジプトの数千年の歴史を旅してるからかな? ![]()
さて、カルナック神殿は長い時代に造りあげられた複合型の神殿です。
ルクソール神殿と違って誰が建造したのかはっきり言えない難しい神殿でした![]()
エジプト15 (カルナック・アメン大神殿)
エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)ルクソール(Luxor)
新王国とカルナック神殿(Temple of Karnak
新王国(BC1570年頃~BC1070年頃)
アメン信仰の中心となったテーベでは、中王国時代以降カルナックに次々と神殿が増設
されたようです。
しかし、当時の建造物は石材の再使用が多く、例えば前の王朝の物を壊して使い回すなどで、現存している物は少ないようです。
前の王朝が縁のないものであれば、より憎しみを持って破壊するでしょうし・・・。
第2塔門の左にあるアラバスター製の像はアメン神と破壊されたラムセス2世の像でした
。
破壊の真意はわかりませんが、ラムセス2世の頭部はいずこ?
ここで再び歴史に戻ります。 カルナックの神殿は主に新王国以降に増築されている部分が多い?
ようなので・・・。
第2中間期・・・再び粉乱期から統一新王国へ(BC1782年頃~BC1570年頃))
テーベを都とした中王国は第11、第12王朝と2つの王朝で終わりをつげます。
エジプト第12王朝の最後が女王だった事で? 統一国家としてのエジプト中王国が崩壊、分裂して再び紛乱期に入るのです。
紛乱期の第13 第14 第15 第16 第17王朝までは、第2中間期
とされ王国からは除外されます。
特筆するのは第15 第16王朝はエジプト人ではなく異民族のヒクソス(ヒッタイト)であったと
言う事です。都はテーベではなく下エジプトでした。
第17王朝を起こすのはヒクソスの王朝の展開時期に臣従であった、上エジプトで勢力を伸ばした一派だったようです。
異民族ヒクソスの打倒、追放を揚げ第17王朝はヒクソスの王朝を倒してエジプト統一
を果
たしエジプトの新王国の基礎を築くのです。
新王国(BC1570年頃~BC1070年頃)
エジプト
第17
王朝
(BC1663年頃~BC1570年) に続く第18王朝
(BC1570年頃~紀BC1293年頃) で完全なる統一を果たす
ので 新王国は第18王朝から 第19 第20王朝
までをさすようです。
この新王国時代は国力の増大で大規模建築が多く建築され、勢力もヌビア、シリア地方にも拡大、現在も残る建築物と共に古代エジプト文明が最も栄えた時代として知られています。
因みに第18王朝にはハトシェプスト女王やツタンカーメン王が
第19王朝はラムセス1世、セティ1世、ラムセス2世などの私たちでも知っている有名な王がたくさんいます。
カルナック・アメン大神殿の平面図・・・今後の参考に・・入り口は写真下
第一塔門の中庭右にあるラムセス3世の神殿、奥が聖所
左右に8体ずつあるのはラムセス3世を象ったオシリスの柱。
ラムセス3世は第20王朝2代目の王で新王国の繁栄が終わりを告げ、古代エジプトが衰退し始める時代を統治した王朝です。
向こうが中庭でタハルカの柱が見える。
門からまっすぐ続くタハルカの柱は第25王朝のタハルカ王が建立したものですが、第26王朝では名前は削られ、他の王の名前に変えられています。

高さ15mの巨像の顔を削るのは故意でなければできませんね。
巨像の奥の第2塔門は第18王朝のホレムヘブと第19王朝のラムセス1世に建てられプトレマイオス期に再建。

第2塔門にはうっすら絵が見えます。当時は派手な彩色が施されていたようです。
ここを訪れた者は立ちはだかる巨像と大きな美しい壁にさぞ圧倒された事でしょう。
そして、訪れた者はさらに続く第2塔門の向こうに広がる巨大な列柱群に驚くのです![]()

134本の柱でてきたこの大列柱室でも中央の通りを抜ける12本のパピルス型の柱が特に大きく23m。
つづく
リンク エジプト 16 (カルナック神殿の大列柱室)
イングランド国教会と三王国の統合3 名誉… 2025年11月11日
イングランド国教会と三王国の統合 2 ピ… 2025年09月28日
イングランド国教会と三王国の統合 1 ジ… 2025年07月28日