わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年01月24日
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カテゴリ: 歴史の旅

ぽっ困ったね・・・。

エジプト 14 (中王国とカルナック神殿)

エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)ルクソール(Luxor)
中王国
ら第1中間期
中王国( BC2040年頃~BC1782年頃

カルナック神殿(Temple of Karnak)​ エジプト15 (カルナック・アメン大神殿)

エジプト中王国第11王朝時代(BC2133年頃)には都は下エジプト(ナイル下流)から上エジプト(ナイル上流)に移ります。その王朝の出身が上エジプトだからです。


下エジプトで栄えていた統一王朝である古王国は、第6王朝頃には衰退し、エジプトは紛乱期に入ります 。(かろうじて第8王朝までは統一王朝を維持)
ヘラクレオポリス侯 のケティ1世が王を名乗り 第9王朝の時に都は上エジプトに移動

歴史区分的には 統一王朝ではない(第7 第8 第9 第10王朝)を第1中間期 と呼びエジプト王国としてはあつかっていません。
「諸侯分裂して王を名乗った」戦国時代の国盗り合戦に近い時期だったのかも・。

中王国( BC2040年頃~BC1782年頃)
第11王朝は古王国時代には取るに足らない 一村落だったテーベ侯が王を名乗り、第10王朝とほぼ同時期に王朝を開いた ようです。
その中で勝ち残り、 エジプトを再統一したのがメンチュヘテプ2世で第11王朝の5代目?で都は上エジプトのテーベでした。

続く、第12王朝は継続した王朝なので 第11、第12王朝はエジプト中王国 と位置づけされています。

アメン神信仰
アメン神はもともとテーベ土着の大気の守護神or豊饒神 だったと言われています。
テーベを中心とする統一王朝を築いた事で アメン神の信仰は、太陽神のラー神と一体化して「アメン・ラー」としてエジプトの主神となって誕生
します。
このアメン神信仰は、末期王朝(第30王朝)までの1700年にわたり信仰されるのです。

アメン(Amen)神 
アメン神
2枚の羽を冠した人物像として表現or牡羊として表現。
「アメン・ラー」としてエジプトの主神となったので、歴代のファラオの名によくつけられています。
これから紹介するカルナック神殿内に大神殿があり、アブシンベル神殿内の至聖所にも座す像があります。

カルナック神殿、全図
カルナック 1
カルナック・アメン大神殿は写真上の中央に位置しています。(入り口は左)
ナイル川の位置は、左側で神殿に平行するように流れています。

カルナック神殿は主にアメン神を中心にして幾つかの神殿の集まった複合型の神殿で、エジプト最大の規模の神殿 となるそうです。

カルナック・アメン大神殿 の立体想像図
カルナック 2
神殿へのアクセスは写真左上の第1塔門から入ります。

古代ナイル川の船着き場から続いていたスフィンクスの並ぶ長い参道と第1塔門左の部分
カルナック 5
アメン神の聖獣雄羊の頭を持つスフィンクス・・・これだけでアメン神の神殿とわかりますね。

頭の下には頭布をかぶる王の小像が彫られている。
ナイル川東岸の神殿 4

第1塔門は意外に新しくプトレマイオス朝時代のものらしい。
カルナック 3
アメン神殿より1500年以上後に造られたと言う事???
幅113m高さ43m・・・実は塔門は未完成で、先程の立体想像図の門は完成予定図だったようです。

第1塔門から神殿の奥をのぞむ第1塔門内
カルナック 4

第1塔門内中庭には神殿奥に向かって両サイドに列柱があり、その前にアメン神のスフィンクスがズラッと並んでいる。
カルナック 6
左が塔門側でセテイ2世の小さな神殿が見えている。

パネジェムの巨像
カルナック 7

あまり詳しく神殿をする予定はないですが、長くなったので次回につづく
リンク ​ エジプト15 (カルナック・アメン大神殿)






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Last updated  2020年10月11日 18時31分23秒
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