わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年02月02日
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カテゴリ: 歴史の旅

星
古い記事なのでいずれ写真の入れ替えと中身を書き換える予定です。


日本の皇室に次いで世界で2番目に古いのがデンマークの王室だそうです。

デンマーク王国(Kingdom of Denmark)
フレデリクスボー城(Frederiksborg Slot) Part 4 デンマーク王室オルテンブルク家クリスチャン4世
クリスチャン4世
クリスチャン4世の改革
デンマーク東インド会社
スウェーデンとの戦争



この フレデリクスボー城の所有者である 現王家はオルデンブルク伯家出身のクリスチャン1世(Christian I)(1426年2月~1481年 在位1457年~1464年)に始まります。

1397年にデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国間で締結されたカルマル同盟によりクリスチャン1世はノルウェー王とスウェーデン王も兼任してのスタートでした。
前回紹介した謁見の間にはクリスチャン1世から5世までのオルデンブルク家の王が描かれています。

宮殿内のあちらこちらに肖像画が掛けられています。
フレデリクスボー城 28

王家の系譜を示すタペストリーも織られています。
フレデリクスボー城 25

クリスチャン4世(1577年~1648年)
この城を建てたクリスチャン4世はデンマークとノルウェー二重王国の王となり60年君臨。 歴代デンマーク王の中では最長で、最後は不運に終わったものの 人気の高い王様 だそうです。
直情的で陽気と形容される王には認知・非認知あわせて、少なくとも26人の子がいたようです。
Kristian IV av Danmark, malning av Pieter Isaacsz 1611-1616.jpg  ウキペディアより

現デンマークの王室歌「クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ち・・・」はクリスチャン4世を褒め称えて創作されたくらい彼の王国への献身は大きいようです。

クリスチャン4世の改革
国軍改革に力を注ぎ、王立海軍の保有艦船は1596年の22隻から1610年には60隻に増やし、 1616年には「デンマーク東インド会社」の設立。
1620年にはデンマークの最初の植民地がインド南岸に建設、デンマーク海上帝国を建設。
多くの建設物を残しています。
フレデリクスボー城をルネサンス風に改造し、クロンボー城を城塞化。中でも証券取引所の建造は画期的かも・・。

デンマーク東インド会社
オランダに遅れる事14年、1616年設立。
インドのトランケバールや西インド諸島に植民地展開した「デンマーク東インド会社」は イギリス東インド会社やオランダ東インド会社から疎外された英国人商人やオランダ人商人達で構成 されており、 前者に規模はとうてい及ばなかったようですが、かろうじて「デンマーク海上帝国」は18世紀末まで維持 されたようです。

オランダ東インド会社は8月に「アムステルダムの運河 1(オランダ東インド会社)」で紹介・・・見てねウィンク
リンク ​ アムステルダムの運河 1 (オランダ東インド会社) ​​


ある一室の天井 見やすいように縦に載せています。
フレデリクスボー城 22
海軍に力を注いでいたのがわかる部屋です。

夏の宮殿前の噴水のトップ、ネプチューン像
フレデリクスボー城 26
城門前のトリトンの噴水を作ったのは1617年。自らが「海の征服者」となった記念碑的な意味もあったのでしょうか。

1859年に全焼した大広間は後に再建。
フレデリクスボー城 27

大広間の天井
この宮殿は天井がどこもとても手が込んでいるのです。
フレデリクスボー城 29
城の内装や屋根、尖塔までもが破壊される大火災後の再建です。当時のままに再建したのでしょうが、それにしてもこの細かい職人技術にどれほどの費用がかかったのか。

同じく大広間の天井。
フレデリクスボー城 30
こんなに細かく彫刻と彩色のされた天井は今まで見てきた宮殿では他になかったような・・・。

スウェーデンとの戦争
クリスチャン4世より4代前のクリスチャン1世の治世、 1523年にスウェーデンがカルマル同盟から離脱してスウェーデン王国を樹立、以降スウェーデンとの間には争い が絶えなくなります。特に クリスチャン4世は、北欧における優位を取り戻そうと画策。

クリスチャン4世即位の初期、陸軍の軍隊は華々しく活躍していたようですが、後年戦争の主要な戦闘は、艦隊戦へと移行。
クリスチャン4世は自ら海軍の指揮を執ったようですが、 30年戦争で力をつけたスウェーデンにトルステン戦争(1643年~1645年)で敗北

デンマーク艦隊はスウェーデン・ネーデルラント連合海軍により壊滅され、 1 645年の「ブレムセブルー条約」で、スウェーデンにバルト海の制海権まで奪われ、 バルト海から締め出されるのです。

一時はスカンディナビア一帯を納めていたデンマークは一小国に転落。失意の中でクリスチャン4世は3年後にコペンハーゲンのローゼンボー城で亡くなっています。

王の寝室
フレデリクスボー城 31

王の棟から撮影した2の島の噴水と門
 フレデリクスボー城  6

つづく リンク ​ フレデリクスボー城 5 (アンディ・ウォーホルのリト)


back number 
リンク ​ フレデリクスボー城 1 (雪の中の城)
リンク ​ フレデリクスボー城 2 (教会堂)
リンク ​ フレデリクスボー城 3 (ノルマン人とヴァイキング)
    フレデリクスボー城 4 (クリスチャン4世と海軍)
リンク ​ フレデリクスボー城 5 (アンディ・ウォーホルのリト)

リンク ​ ニュー・カールスベア美術館(Ny Carlsberg Glypotek)
リンク ​ コペンハーゲンのチボリ公園
リンク ​ エレファント勲章 とデンマーク王室の王冠







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Last updated  2022年02月01日 03時28分06秒
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