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ヴァイキングの民族移動に関しては、2021年04月 「モンサンミッシェル 3 インド・ヨーロッパ語族のノルマン人」
で詳しく書いています。
スカンディナビアの民(北方系ゲルマン人)
ヴァイキング(Viking)の源郷,
ヴァイキング(Viking)の移動
リンク モンサンミッシェル 3 インド・ヨーロッパ語族のノルマン人
ヴァイキング 1 (民族移動と船)
ヴァイキング(Viking)
の移動ルート
俗に考えられている海賊ヴァイキングのイメージは、ちょっと誤った考えのようです。
実は歴史的に見れば、彼らの移動は、 ゲルマン民族の大移動に匹敵する民族移動
であったととらえた方が正しいようなのです。
彼らの侵略? 交易? 植民移動? は中世のヨーロッパにとどまらずものすごく広い地域に動いていた事がわかってきています。(世界史の中で最も広範囲の移動だった)
ヴァイキングの里 スカンディナビア半島のフィヨルド (ここはノルウェー)
ヴァイキングは古ノルド語で「フィヨルド」とか「入江」を指すらしい。
実際この近くにも暮らしていた。
前回紹介したようにヴァイキングの祖は、インド・ヨーロッパ語族(ゲルマン語派)を祖先とする民族で、ヨーロッパ中北部に広まり、そこを原郷として定住したゲルマン人だったようです。
スカンディナビア半島や北海沿岸に定住していた彼らはそこ(現在のノルウェー、スウェーデン、デンマーク)を拠点に船で交易に出るので、西ヨーロッパでは彼らをノルマン(Norman)「北方の人」と呼んだわけです。
ヴァイキング
(Viking)
の移動ルート
スカンデイナビアからのルートは4つ
この写真はウキペディアから借りました 以下参考の為
北方ルート
ノルウェー→ シェトランド諸島→ フェロニ諸島→ アイスランド→ グリーンランド→ アメリカ東北海岸
(ロシアの白海にまで到達したとも言われる)
西方ルート
シェトランド諸島から西南に曲がり→ ヘブリーズ諸島→ アイルランド東岸沿いに南下
南方ルート
デンマーク→ エルベ河トライン河の中間地域に定住
1,→イングランド地方に定住
2,→ノルマンディー半島→ フランス西岸→ イベリア半島迂回してジブラルタル海峡を越えて→ 地中海南岸→ シチリア島、北アフリカ
に定住
シチリア→ ボスフォラス海峡→ 黒海→ バルカン半島→ ロシア
東方ルート
スウェーデン→ バルト海横断→ フィンランド南岸→ロシア本土
→ ラトガ1,→ ボルガ河を下ってカスピ海→ ペルシャ地方、カフカズ地方東岸
→ ラトガ2,→ キエフ公国を建国
→ ラトガ3,→ 黒海→ ボスフォラス海峡→ シチリア島
2世紀から5世紀のゲルマン民族の移動は陸路中心でしたが、8世紀初めから11世紀初頭のヴァイキングの移動は、陸路ではなく、船を使っての移動
だった事。
遡れば 北方ゲルマン人はローマ帝国の文化を摂取して海上へ進出したようです。
デンマークのヴァイキング祭りのコスプレ(本より)
ノルウェー(Norway)オスロ(Oslo)
ヴァイキング博物館(Vikingskipshuset)
死者と共に埋葬されていたヴァイキング船が塚から出土し、それを復元して展示されています。後に船が増えた為に場所を増設したので博物館は上から見ると十字の形に建設されています。
1904年に発掘されたオーセバルク船(Oseberg)
最初に発掘され展示された船は復元に22年かかったそうです。
長さ21.5m 幅5.1m。発見当時の材料で90%は復元されています。
船体の横に開く穴は15対、つまり30人の漕ぎ手と舵取りが1人、見張りが1人と少なくとも32人は乗船していたらしいです。
この船は商船に分類されるらしい。(次回説明)
船体は樫木。マストは赤松。長さは10mと推定。
姿がとても美しい
船については次回きちんと説明 つづく
リンク ヴァイキング 2 (ロング・シップとクナル)
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