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ヴァイキング 8 (民族の祖語とルーン文字)
ヴァイキング(Viking)
スカンディナビア(Scandinavia)
インド・ヨーロッパ語族の分岐
古ノルド語
ルーン文字(Runic alphabet)
ルーンの石碑の内容
インド・ヨーロッパ語族の分岐
最近の研究で、87言語の基本的な単語2449語について言語間の近縁関係を数値化しコンピュータ処理して言語の系統樹を作った所、インド・ヨーロッパ語族の起源が解明
されてきたようです。
祖の出現は、
BC9500~8000年前のアナトリア
あたりとされ、
BC8700年頃ヒッタイト語派と分裂。
BC7300年頃にギリシャ語派アルメニア語派に分裂。
BC6900年頃 インド・イラン語派に分裂。
BC6500年頃バルト・スラブ語派に分裂。
BC6100年頃ケルト語派、そしてBC3400年頃ゲルマン語派やイタリック語派が出来たことが明らかになったそうです
。
つまり、 インド・ヨーロッパ語族に属する諸言語は起源が同じであったと考えられるわけです
。
古ノルド語
ゲルマン民族の移動でノルド語を話していた彼らの一部はヨーロッパ中北部に広まり、そこを原郷とした インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群
に入る
ヴァイキングは、言語では古ノルド語を話していた
ようです。
古ノルド語の表記は、古くはルーン文字が使われ、それ故、2世紀~11世紀にかけて多くのルーン文字碑文が残されたようです。(ルーン石碑)
スウェーデン、ストックホルム郊外のルーン文字の碑文(文字は周囲の枠の中)
スウェーデンに意外に多いルーン文字の石碑。
スカンディナビアでは、6千のルーン石碑のうち3千がスウェーデンで発見
されていると言われる。
ルーン文字(Runic alphabet)
北欧神話の主神オーディンが創ったと言われる伝説のあるルーン文字は、スカンディナビアにラテン文字がもたらされる前に広く使用されていた文字です。
ルーン文字を使用していたのは前出のインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派の人々です。
最初の6つのルーンから「f、u、th、a、r、k 」(フサルク) と呼ばれます。

2世紀頃の 初期のフサルクは24文字、後に8世紀頃、音韻の変化が起きて16文字に縮小。
(第2のフサルク)こちらは主に日常生活で使われたようです。
ルーン文字には規則で決められたつづり方は存在しなかった為に文節を区切る事も容易ではなく 解読は難しかったようです。
その為、 解読出来ないと碑文は呪文、秘文と扱われ、魔術の呪詛のようなものと片付けられ
てきた経緯があり、魔力を秘めた文字としてのみ知れる所となったようです。
カナダ、ランス・オ・メドウ国立公園で撮影
十字架が描き出されているキリスト教徒による建立。
ルーン文字を使った古ノルド語の碑文は北ドイツのヘーゼビュー、ロシア、グリーンランド、北部スコットランド、マン島、イングランド、アイルランドの各地そしてアラブやカナダにも残されています。
ルーン文字のある所に彼らが来ていた事がわかります。
ルーンの石碑の内容
ルーン石碑は記念碑的な物がもっとも多く、次に死者を追悼する碑、(旅先で亡くなった戦士や商人の思い出を綴った追悼の碑文)。そして業績や相続の記録等も詩人により出来事を綴った碑が発見されています。
全体に散文的な記録なので意味がわからないと呪文に思うのかも知れないですね。
カナダ、ランス・オ・メドウ国立公園で撮影
絵で出来事を示した碑。
2世紀~9世紀まで使用されたルーン文字は11世紀中にはほとんど使用されなくなった
そうです。
それは 文化が突然変わった事を意味するのかもしれません。
北欧のキリスト教化でラテン文字が用いられるようになってきた事や、一般に言われる「ノルマン・コンクェスト(ノルマン征服)」による変革・・・。
簡単に言えば民族の支配者が大きく変わって文化が大きく変わったから・・と思われます。
タペストリーのヴァイキング船
さて、植民者ヴァイキングは海を渡り、遠くアメリカ大陸の東端まで達しています。
そこで彼らが見た景色は・・・。
つづく
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