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かつて個人名で取得していたのですが、今はフリーマーケットなどで素人も簡単に古物の売買ができるので「なくてもいいや・・。」と言うわけです。
昔は、古物の売買は主に質屋がおこない、盗難品が流れる可能性が大だったので、その売買する人間もしっかり管理されたのです。
取得には公安に履歴書の提出がありました。
取得は大変だったのに返納は紙一枚にサインする程度のものでした。あっけない・・。
警察から見たらフリーマーケットは違法行為になるのですが、何となく黙認? しているうちに世間の常識になってしまい。今更文句を言えないのでしょう。
質屋系統のお店の場合、実際泥棒が盗難品を持ち込み、逮捕。と言うことが結構あるようです。それ故、警察もそこに期待をしているのです。
ですから「誰が売りに来たか・・。」の記録はしっかり書き込まなければならないのです。
今は質屋より中古の本やビデオ、ゲームソフトを扱う業者が多いようです。
サンポール・ドゥ・ヴァンス(St-Paul de Vence) 2
鷲の巣のような街とシャガールのお墓
フランス(France)
引き続き街の縦断から・・。と言っても端から端まで10分程です。
街はこじんまりしていますが、建物は重厚な石造りです。
日本などの木造建築と異なり、当然耐久力があるのでその姿は基本的にはほぼ昔のまま。
街の中央広場? の噴水。 かつては村の水汲み場だったのでしょう。
奥は洗濯場? かもしれない。因みに今その上はカフェかレストラン? のようです。
坂の途中から見える下界
路地の家。今はプチ・ホテルやレストランが多い。

写真よりも絵に描いた方が似合う街。
いったん城壁の外に
城壁の外にある墓地は陽の当たる一等地で眺めも良い。
マルク・シャガールのお墓…かなりシンプル。墓碑銘には他に2人の名が・・。

マルク・シャガール(Marc Chagall)( 1887年~1985年)
作品に現れる彼の愛した故国。それなのになぜここに眠っているのか、かいつまんで紹介。
人口の大部分をユダヤ人が占めていた 帝政ロシア領ヴィテブスク(現在のベラルーシ)
。そこで
ユダヤ人の子として彼は誕生
20歳の時にサンクトペテルブルクの美術学校に入学していますが、ユダヤ人が住む為には許可証の必要な時代です。いろいろな所で彼は窮屈な思いをしています。
1910年にパリに出ていますが1917年には故郷
のヴィテブスクに戻り美術学校を創設して校長になっています。しかし、 1923年には故郷に見切りをつけ家族で再びパリに上京。(1937年にはフランス国籍を取得。)
さて、平穏なフランス生活は、事もあろうに先の世界大戦で
ナチスのユダヤ人狩りにあい拘束(1941
年)されています。
この危機はアメリカ総領事によって救われ、そのまま アメリカに亡命
。
1948年故郷でなくフランスに戻り1949年にはパリからヴァンスに
移り住んでいます。
そして 1966年(79歳)ヴァンスから、この地(サンポール・ドゥ・ヴァンス)に
居を移したのです。
「地中海の景色は私に安らぎを与えてくれる。この大地に強く結びついて、この大地と共に生きていこう。」
ここは彼の長いさすらいの果てに見つけた安住の地となったようです。
さて、故国を出て50年。彼はロシアの土を踏んだものの故郷ヴィテブスクには行かなかったと言います。
戦火で荒らされた街を見たくなかったからだそうです。
彼の愛した故郷は追憶の彼方・・彼の絵の中に見られるメルヘンのような街のままであってほしかったからのようです
。
1985年(97歳)自宅で日没と共に迎えた静かな死だったそうです。
家々の石壁には長く重い歴史が染み込んでいる・・と言う感じです。
村の防護壁
石壁に開けられた縦に細い隙間は中世の銃眼

ピカソやモディリアニの滞在していたホテル「ラ・コロンブ・ドール(La Colombe d'Or)」
の写真やシャガールの住んでいた家もつきとめられたら、いつかまた紹介します。
おわり
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