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ハワイに行く前、紹介しのこったブリュッセル市庁舎(The Brussels Town Hall)側と南のギルド・ハウス、セルクラース像、ブラバンド公の館等をざっと紹介してグラン・プラス終わります。
ブリュッセル(Brussels) 6 (グラン・プラス 6 ブラバント公の館)
セルクラース(Serclaes)像の逸話
ブラバント公国(Duché de Brabant)
ブラバント公(duc de Brabant
)
前にも紹介していますが、グラン・プラスは市場としては11~12世紀にはすでに存在していたようです。
都市当局は1396年から北側から広場を造る為の区画整理を始めたようですが、 現在のような大きな広場になったのは、ブリュッセル砲撃を受け街がメチャクチャになった後、1697年の再建計画後の事
だそうです。
グラン・プラスに市庁舎は残ってましたが、その後( 17~18世紀)広場を囲むように同業組合(ギルド)の集会所などが次々建造。
豪華な装飾のギルドハウスは、当時のそれら組合が豊だった事を今に伝えています
。
もっとも現在までに400年近く・・。当初のギルド職人組合は今はなく、店舗や住宅として賃貸。(最近は観光客目的のチョコレート屋かカフェ・レストランばかりになっている。)
今回紹介する南のギルド・ハウス(上)と東のブラバンド公の館(左)
青い星・・英雄セルクラースの像が置かれて居る所。
因みにその横のシャルル・ブルス通りを進むと小便小僧(Manneken Pis)に向かうので目印にすると良い。
ブリュッセル市庁舎(The Brussels Town Hall)(南側)の左隣がギルドハウス
南のギルドハウス
右にアーチのあるのがル・エトワール(星の家)
右から
1. 地方行政官 ・・・・建物名 星(le Étoile)
2.肉屋の同業組合・・・・・・建物名 白鳥(le Cygne) ・・・現在レストラン
3.ビール醸造者の組合・・建物名 黄金の木(Arbre d'or)・・現在ベルギー・ビール博物館
4.民家 建物名 バラ ・・・・現在カフエ・レストラン
5.民家 建物名 モンタボール、アルセンブルク
シャルル・ブルス通りから記念碑の一部
ル・エトワール(星の家)の下の通路の壁には「触れると幸運をもたらす」と、伝えられるセルクラース(Everard t'Serclaes)の像が置かれている。
正確には、「触れると全ての願いが受け入れられる」・・・らしい ![]()
セルクラース(Everard t'Serclaes)の後ろの壁は現在(2013年5月)壁が修復工事中
記念碑はアーティストJulien Dillens (1849年~1904年) によって製作。
セルクラース(Serclaes)像の逸話
一般に伝えられている内容はかなりはしょりすぎて事実とかけはなれてしまっているようです
14世紀、ブラバント公ジャン3世が死去し、後継問題が起きていた頃、川を越えてフランドル軍が侵攻。ブラバントの土地がフランドル軍により侵略占領
される事件が発生。
1356年10月24日、 セルクラース(1320年~1388年)は夜襲をかけてフランドル軍を襲い、ル・エトワール(星の家)に旗を掲げた
。
戦いはそれで終わった訳ではない。ブリュッセルはその後、より強固な城壁建設して攻防を続けている。
セルクラースはその侵略戦争の過程で貢献し英雄になった
。
もともとブリュッセルの市長に5回も当選する程人望もあった人物だそうだが、そもそも次代ブラバンド公の義父がセルクラースである。
記念碑はかなり後世の物。「触れると幸運をもたらす」? とはどこで誰が言ったのかは不明 ![]()

1698年建造の白鳥(le Cygne)は現在白鳥の家(Maison du cygne)と呼ばれるちょっと高級なレストランになっている。
ブラバン公爵の館(Maison des Ducs de Brabant )東側
(
ブラバント公国の名が世に出るのは13世紀以降)
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世により創設された当初はドンドル川とゼンヌ川の間(ブリュッセルの西)の領土に限定された小さな地域だったそうだ。
ブラバント公(duc de Brabant
)
ネーデルラントのブラバント公国の領主・・と言うこの 称号は現在も儀礼的に・・とは言えベルギー王室の称号として残っている
。
(ベルギー王家の法定推定相続人に授けられる由緒ある称号。)
後 にこのブラバント公爵家から16世紀になると神聖ローマ皇帝とスペイン王が誕生する
。
ブラバント公シャルル2世 (
1506年~1555年)である。
神聖ローマ皇帝
(在位:1519年~1556年)になった カール5世
(1500年~ 1558年)
スペイン国王
(在位:1516年~1556年)になった カルロス1
世がそうである。

ファサードは一つに見えるが、これで6件
が連なっている
。
ワイン商、皮なめし商、製粉業、大工などのギルド・ハウス。
現在はワイン商あたりの地下と1階がレストラン・ケルデルケ。
上階が一部ホテルになっている。
建築は一応、 古典バロック様式
。
しかし、 イタリアともフレンチとも言えない・・富裕な商人文化が開花した独特なダッチ&フレミッシュ(Dutch&Flemish)オランダ、フランドル風のバロック様式と言える。
建造1697年~1698年。1882年再建。
再建にかかわったのはギョーム・ド・バイヤン(Guillaume de Bruyn)
歴代のブラバン公爵の胸像が飾られている為にブラバン公の館と呼ばれたらしい。
ブラバン公爵の館の左隣にあるギルド・ハウス
取引所・・・現在ビア・レストラン
もともと 11〜13世紀に国王や領主からの特権を確保するために商人達が団体(guild Merchant)を作ったのがギルド(guild)の始まり
のようです
。
景気の復興もあり、 各地に都市が拡大する中、宮廷のおかかえだった職人達の一部は自由
民となり外に出ていきます。
また修道院などでで技術を身に付けた職人たちなども新しい都市作りに参加
。
そんな 手工業の職人達も商人ギルドを見習って同業者による団体を形成。
彼ら手工業の職人団体がcraft guildです
。
組合は同業者の新規加入者の審査や違反者をチェックして特権の確保を行うと同時に製品の品質管理も行い市場管理もできた
わけです。
これらギルドは13世紀以降ヨーロッパ中に拡散。
ギルドについては2013年10月
「ブリュッセル(Brussels) 3 (グラン・プラス 3 西面ギルドハウス)」の中、「中世の商人」で少し紹介。
ベルギーは続きますが、グラン・プラスは終わります。
リンク ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園)
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