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年明け第一弾、候補が幾つかある中、運命に導かれました。
偶然にも一昨日テレビで放映された「SPEC (スペック)」を観て「今でしょ!」と、後押しをされました。
ドラマ「SPEC (スペック)」には「ファテイマの聖母の予言」が利用されています。(最終話の方で出てくる。)
その解釈に間違いがあると思うので正しい「ファティマの第三の預言」を紹介しておく事にしました。
そもそもファティマの聖母も予言もちょっとオカルトチックに扱われているのが気になります。
ファティマの聖母巡礼(ファティマ第三の預言)
ファティマの聖母巡礼(Pilgrim Virgin of Fatima)
巡礼地 ファティマ(Fátima)
ファティマの聖母(Nossa Senhora de Fátima)出現
ファティマ第三の預言・・7月13日のヴィジョン
ドラマ「SPEC (スペック)」
場所はポルトガル、首都 リスボンの北141kmの地にある田舎町ファティマ(Fátima)。
実はそこが世界が今尚、関心を寄せるヴァチカン公認のカトリックの聖地の一つ
である。
ファティマ大聖堂
幅が110m 長さ540m 広場は30万人収容
中央聖堂の高さは60m。
大聖堂の手前左手にあるのが出現の礼拝堂跡。そこが聖母が出現した場所らしい。
聖地になったのはわりと近年の事。他とはあきらかに質の違う理由によります。
ファティマの聖母(Nossa Senhora de Fátima)出現
時は 第一次世界大戦中の1917年5月13日
。
いつものように午後の祈りを捧げ、遊んでいると
3人の少年少女(牧童)の前に突然稲光があり、光り輝く女性(聖母マリア)が樫の木に舞い降りた
と言う。
ルシア・サントス(Lúcia dos Santos)(1907年3月~2005年2月13日)当時10歳
フランシスコ・マルト(Francisco de Marto)( 1908年~1919年4月4日)当時9歳
ヤシンタ・マルト(Jacinta de Marto)(1910年3月~1920年2月20日)当時7歳
ウィキメディア・コモンズより借りてきました。3人の少年少女
太陽よりもまぶしい女性は白いロザリオを持っていたと言う。
彼女は子供達に毎月13日正午にここ(in the Cova da Iria)に来るよう告げる。
そして、毎月13日子供達は女性からいろいろなヴジョンを見せられた
そうだ。
5ヶ月間子供達は聖母に会いに出かけた。
最初の出現は5月。
そして6月の時は子供らの話を聞いた者達が70人ほどついてきたと言う。
7月にその数は700人に達っしていた。
1917年10月13日には子供らの話を聞いた7万人近い人々が聖母を拝むために集まったそうだが、やはり聖母の声と姿が3人にしか聞こえず、見えず、変わりに人々は天変地異のような現象を目の当たりにした(幻視)
。
(この異常現象は実際に当時の新聞でも写真付きで紹介)
出現に遭遇した3人の死
フランシスコとヤンシタ兄妹は、6月にロザリオの聖母が告げたように若くしてすぐに亡くなった。(
兄妹は2000年5月13日に教皇ヨハネ·パウロ2世によって列福されている。)
二人の死因はインフルエンザ。治療をせずに教会に通いロザリオに祈り続けた事で悪化したようだ。
(その背景を察するに地獄のヴィジョンによりPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していた可能性も考えられる。祈らなければ地獄に落ちる・・と言う恐怖があったのでは? )
3人
の中で一番長生きした従姉ルシア・サントスはドロテア(Doroteia)修道会に入り後にピウス12世によりカルメル会に転属。2005年2月13日、心不全で97歳で死去
。
彼女は聖母の預言通り、長く地上に残り、聖母の預言を伝える役目を負った
。
聖母像はガラスのケースに納められている。
出現の礼拝堂跡
基本的にはこう言う場所は撮影禁止である事が多く、そうでなくても撮影は難しい。
カメラの精度もよくなかったのでこれが限界。(撮影は2005年)
Sántuario de Fátimaのホームページから写真を借りてきました。(現在はないかも・・。)
ルシアの指示でイメージ通り造形された? 聖母像は1946年5月13日教皇使節枢機卿マセラによって戴冠された。
この王冠の中にはヨハネ·パウロ2世を撃った弾丸(1981年5月13日)が後に奉納され、セットされたと言う。
ファティマ第三の預言・・7月13日のヴィジョン
コヴァダ・イリマ・ファティマでの聖母との講話は、ロザリオに祈る事。
世界を平和に導く為に祈る事。
道を外すと、どんな目に遭うか・・と言うヴィジョンを見せた上で、今の戦争や、ロシアの共産化を嘆いたとされる
。
そして長く生き残るであろうルシア・サントスに、 世界が悔い改め無ければこれから先にどんな未来がくるか・・と言う予告書を託した
・・と解釈できる。
その未来を示したヴィジョンこそが「第三の預言」・・と言われるものである
。
しかし、その預言のヴィジョンは、1960年以降にならないと公開してはいけない・・と言う注釈がついていた。
ルシア・サントスはそれを守り1960年まで秘密にした
。
(彼女の書簡により、それは秘密・・と言うよりは、彼女がその預言を理解できるようになるまで時間が必要であったから・・と言う事が解っている。)
内容は歴代の教皇が再び封印して人目に付くことをはばかるほどの衝撃内容だったらしい。
「秘密」の第三部を解釈するためのガイダンスは、1982年5月12日に教皇にあてた手紙の中で、ルシア・サントスによって提供されているらしいが、バチカンは未だ正しい全文を公表していないと言う。
7月13日のヴィジョン
ロザリオへの祈り、それは同時に世界平和の為の祈り
につながる。
聖母はヴィジョンを見せた。
最初に手の平から地を突き刺すかのような光を出し、彼らに火の海を見せた。それは地獄の猛火であり、地獄に落ちて苦しむ霊魂の姿だったそうだ。
これは 地獄の存在
を示したものであり、 悔い改めなければ死して地獄で猛火に焼かれ続けて苦しむ・
・と言う事を暗示するヴィジョンである。
(幼い子供達は恐れおののいた事が伝えられている。)
さらに 進行中だった第一次世界大戦(1914年~1918年11月)の終結の預言。
そして 聖母はロシアが共産主義に走りカトリックを捨てた事を嘆いた
と言う。
ロシアが回心しなければ世界に危険が及ぶ・・と言う事を警告。
ロシアを「キリストに奉還」させるように薦めた
。
(この奉還はルシア・サントスに言ったのではなく、教皇に向けたコメントである。)
つまり、神はロシアがカトリックから脱した事を非常に嘆いたのである。
ロシアの奉還・・それが三つ目の隠された預言にもつながる。
ファティマの奇跡は、第二から第三の千年紀に向けた戒めのメッセージになっているような気がする。
第一次世界大戦中に出現して啓示を与えた聖母は戦争を終わらせるためにロザリオに祈る事を薦めた。
そして、キリスト教の信仰を放棄し共産化したロシアを嘆いた。
ロシアの奉還を要求したのは、ロシアが悔い改め無ければ世界に大きなダメージが来る・・と言う予告だ。
神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害などの手段を使い、世界を罰する・・と言う警告を示した。
「第三の預言」の中にある白い服を着た司祭らしき者達が殺されるヴィジョン。
教皇庁をおののかせたこの内容は、1981年5月13日ヨハネ·パウロ2世暗殺未遂に重ねられた。
罰は教皇らに与えられた?
ヴァチカンがより、ファティマの奇跡を重視した瞬間である。
しかし、預言は変わる・・と解釈する。
悔い改めればまにあうぞ・・と言うのがキリストの教えである。
しかし、このまま進めば世界を破滅させる。
第三の預言は、それは20世紀以降の教皇、そして司教らが背負う十字架を意味しているのではないか? と私は推察する。
つまり、宛られたのは司祭や教会じたいに向けた警告であって、直接一般人は関係ないと言う事です。
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