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山の上まで続く鳥居は、実はいろんな形で存在しています。
よくポスターなどで紹介される美しい朱塗りのトンネルは山の下方の、ほんの序の口部分の鳥居なのです。今回は何カ所か「登る鳥居」を合わせて紹介します![]()
京都 伏見稲荷大社 2 (千本鳥居)
千本鳥居(せんぼんとりい)
鳥居の朱(しゅ)と賢者の石
秦氏
稲荷山の神蹟(しんせき)参拝ルート
A・・スタート B・・二股鳥居 C・・奧社奉拝所
D・・熊鷹社 F・・三ノ峰(下社) 間ノ峰 (荷田社神蹟) G・・二ノ峰(中社) H・・一ノ峰(上社)
I・・御釼社 j・・清滝 K・・御膳谷奉拝所
ルート上のだいたいの神蹟(しんせき)のみ書き込みました。
千本鳥居(せんぼんとりい)
千本鳥居と呼ばれるが実際は 信者より奉納された鳥居
が隙間無く、1万基はあると言われている
。
(年々増えて最近では場所も不足?)
神社では鳥居の奉献を持って信心の証とされる? とも聞きますが、そもそも 鳥居を奉納する習慣は江戸時代以降に広がったもの
だそうです。
伏見稲荷大社のサイトによれば、 願い事が「通る」或いは「通った」時、「御礼」の意味から、鳥居を奉納する習慣ができた・
・と書かれていました。
とは言え、参道の鳥居は明治初期まではそんなに数は無かったそうです。
お山の鳥居にはそれぞれ奉納者の名前が記載
されていて、下山の時に確認できます。(裏側に書かれている。)
たいていの場合は企業の名前ばかりで見ていると PR色が濃く、今は宣伝の為の看板代わりに奉納されているのでは?
とさえ思います。
実際、奉納場所により値段が変わってくる・・との事なのでよく名前が見える一等地は高いのでしょう。
鳥居の値段表です ![]()

結構あちこちにこの看板がたっていました。
商売繁盛で商売人に人気の神様ですが、稲荷様の方が商売がお上手・・と言う気がしてなりません![]()
A・・スタート
入り口は皆さんが写真撮影するのでいつまでたってもゴチャゴチャで・・。誰もいない写真なんて無理 ![]()

入り口近辺の鳥居は大きい。(つまり値段が高い)
二股の鳥居入り口
おそらく奉納される鳥居が増えすぎて二股にしたのでは? と、考えられる千本鳥居。
二股部分は割と小ぶりな鳥居。
傾斜もたいしてなく、この辺はルンルンでみなさん写真撮影。
今は鳥居が隙間無く埋まり、外の景色はほとんど見えない。
朱塗りの独特な異空間は自然と畏敬の念が湧いてくる。きっと外国人でも感動の向こうにある神妙さを感じるはず。
鳥居の朱(しゅ)と賢者の石
朱色は、魔力に対抗する色らしい。
古来、宮殿や神社仏閣に多く使用されてきた朱色は稲荷大神においては、力の豊穣を表
す色
として使われているそうだ。
ところで 朱の染料の原材料は辰砂(しんしゃ・cinnabar)
だそうだ。
辰砂(しんしゃ・cinnabar)・・水銀(丹・に)と硫黄の化合した硫化水銀含む鉱物
で、 古来より水銀精製の他、防腐剤として、また赤色(朱色)の染料としても利用されてきた貴重な鉱物
です。
朱肉の色素もこれにあたり、朱肉はかつて遺体の防腐剤にも利用されていた。
また、 水銀生成(錬丹術)では不老長寿の霊薬にもなり、欧州では中世錬金術士達がさわいだ「賢者の石」がこれとされている。
余談ですが・・。
古来水銀はその毒性を持って妙薬とされ山岳信仰の行者はこの水銀の鉱脈を求めて歩いていた・・と聞いた事があります。
奧社奉拝所

狐の顔をかたどった絵馬が売られている。

鳥居がギッシリ並んでいるのでほとんど回りの景色は見えない。
神蹟(しんせき)のお山
海抜233mの稲荷山は西から東に3つの峰で構成
され、かつては三ケ峰と呼ばれたそうだが、 その各所に。神蹟(しんせき)がある。
実は応仁の乱で焼失するまでは社や寺があった場所なのだそうだ。
つまり 神様がかつて座していた場所が神蹟(しんせき)として祀られているのである
。
それにしても峰を登る途中にも谷間にも無数に神蹟があり祀られている。
それはあまりに多く驚くなんてものではない。怖くさえある。
だが、 神社が建立した石碑は7神蹟を表す標石だけ。
実は、後に勝手に持ち込まれたものが数多く存在するらしい
。
荒神峰 田中社御神蹟(しんせき)のある場所。
登る程に姿が変わり、鳥居のトンネルは完全に階段に変わっています![]()

荒神峰の田中社を過ぎると 下社のある三ノ峰

祭り神 宇迦之御霊大神(うかのみたまのおおかみ)
荷田社のある間ノ峰

伊勢大神の名で崇められているそうだ。
中社のある二ノ峰

祭り神 佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
上社のある一ノ峰

祭り神 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
御釼社 清滝 方面に下る。こちらのコースは心臓破りの階段が3カ所以上ある難航ルート。
御膳谷奉拝所

秦氏(はたし)
日本書紀によれば、応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化した
と記されるのが
山城に根付いた豪族の秦氏で、渡来系の大物氏族として迎えられた
事がうかがえる。
聖徳太子の側近として活躍した秦河勝(はたのかわかつ)は有名。
伝承では、伏見稲荷は秦伊呂具(はたのいろぐ)の的にして射た餅が白鳥と化して飛び、舞い降りた山の峰に「稲」が生じた事からイナリという社名になったと言う
おそらく秦氏は農耕の技術を持って渡来した事がうかがえる
が、秦氏のもたらした物はもっといろいろあったと思われる。
今回は文字数一杯なのでこの辺で終わりにします。
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リンク 京都 伏見稲荷大社 1 (本殿のある境内)
同じく秦氏が創建した神社から
リンク 倭人と渡来人 5 番外 秦氏と蚕の社の謎
リンク 倭人と渡来人 6 (秦氏が創建した松尾大社)
リンク 倭人と渡来人 7 (醸造祖神 松尾大社)
その他
リンク 神田明神 (薪能)と御霊信仰
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