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急ぎたいけど新しい所を始める前は写真整理に時間がかかるのでごめんなさい (*´人`*)
ベルギーは地図のできが悪くて場所の特定に苦労しています。
しかも表記は全てオランダ語(フラマン語?)。街の看板も同じく英語の表記も無く観光客泣かせなのです。
現在、世界遺産は ゲント(Gent)に2つ
。
本来ならブルージュのように街が歴史地区に認定されてもおかしくない古さなのに登録されたのは
「ベルギーとフランスの鐘楼群に含まれる鐘楼とラーケンホール」
「フランドル地方のベギン会修道院群に含まれる小修道院」だけ
。
(それもどちらかと言えばブルージュ、他・・のおこぼれのような気がする。)
今回(昨年5月)街はいたるところで修復工事が進み、街の中には数年前には無かった景観にそぐわないモダンなホールまで建っていた。
世界遺産を狙っているのかわからないが、観光誘致したいなら、せめて英語表記の看板くらいのせてほしいものである。![]()
ゲント(Gent) 1 (ゲント歴史地区)
歴史地区(Historisch Centrum)リンブルグストリート(Limburgstraat)
なぜなら、ゲントは行っても日帰りで、宿泊するのはブルージュがほとんどなのだ。
ゲント(Gent)観光局でもらった市内地図から
上方ピンクの大円が歴史地区(
中の小円は主な教会や建造物)
左上と右下方にある黄色の円がゲントにあるベギンホフ
(Begijnhof)
※ ゲントには3件のベギンホフ(Begijnhof)が存在し、世界遺産に登録された物件は2件。
左下オレンジの円がゲントの駅(Gent Sint Pieters station)
Gent Sint Pieters station
駅から歴史地区までは路面電車で10分~15分くらい。
この路面電車、外の券売機で買うと安いが、乗車して車掌からキップを買うと高くなるので注意。
本来は街の規模だってゲントの方が断然大きい。( ブルージュは徒歩で回りきれる)
だから街には路面電車の軌道がたくさんひかれ、空には架線が蜘蛛の巣のように張られている
。
中世からブルージュとゲントは犬猿の仲で産業でも貿易でも張り合い、戦争もしている。
だが比べてみれははっきりわかる。
ブルージュはそこそこ成功した中世の街であるがかなりの田舎である。
対して、ゲントはもっとスケールが大きい都会
であった。
ではなぜブルージュのが人気になったのか?
それはやはりジョルジュ・ローデンバッハの「死都ブルージュ(Bruges la Morte) (1892年)」の影響かもしれない。「(ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)」の中で書いでいます。
路面電車のステーション
写真右手前に券売機があるが、壊れていることが多い。(ここもアウト)
突き当たりが聖ニコラス教会(Sint Niklaaskerk)でその通りがリンブルグストリート(Limburgstraat)。
リンブルグストリートと左が聖ニコラス教会。奧に見えるのは鐘楼。
正面からの聖ニコラス教会(Sint Niklaaskerk) ・・(2008年撮影)
建立は1200年頃。
聖ニコラス。ラテン語で 聖ニコラウス(Nicolaus)は海運の守護聖人としてフランドルでは特に崇敬されている聖人
である
。
オランダやベルギーは海運国だったから特に漁師や船乗りに信仰されたようだが、実はサンタクロース伝承もこの聖人からきています。
歴史地区の主な名所
黄色の円はクルーズ船乗り場
上方左にフランドル伯の居城があります。
今回は地図の聖ニコラウス教会から右にリンブルグストリートを聖バーブ教会まで載せました。
リンブルグストリート(Limburgstraat)はゲントの歴史地区の中でも中世の建築物が多く集まった場所です
。
尚、写真は昨年の物に加え、それ以前の物も入れてあります。(古い物には年を記載)
聖ニコラス教会の聖堂側
ところで(Gent)の読み方ですがオランダ語で由来で言えばヘント。ドイツ語由来ではゲント。フランス語由来ではガン。今回一応英語読みにゲントで統一しました。
「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一部として世界文化遺産に認定されたゲントの鐘楼とラーケンホール
聖ニコラス教会と鐘楼の間にはいつのまにかモダンな建物か゛・・。
Krachtlijnen Emile Braunplein新しいタウン・ホールだそうです。
これは景観を壊しているかも??
手前がラーケンホール
奧の建物が聖バーフ大聖堂(Sint Baafskathedraal)正面 ・・(2008年撮影)
ゲントの鐘楼とラーケンホール(Belfort en Lakenhalle)聖バーフ広場側から・・(2009年撮影)
鐘楼(Belfort) 高さ95m。
オランダ語版ウィキペディアによれば、 最初に鐘楼の建築が始まったのは1314年頃。1377~1380年頃の塔はまだ木製だったようです
。
15世紀に隣接してギルドハウスが建てられてもまだ木製だったようで、現在の鐘楼は1851年にゴシック·リバイバルで建築され、本格的な鋳型のカリヨンがついたのはこの頃のようです。
ラーケンホール(Lakenhalle)は、1425年~1445年繊維関係のギルドハウスとして建造
されたようですが、一部刑務所になっていた時代も・・。いろいろと賃貸していたようです。
聖バーフ広場北側にある劇場 ・・(2009年撮影)
19世紀建造。この劇場はフラマン語でしか上映しないと聞く。
バーフ広場南東には聖バーフ大聖堂(Sint Baafskathedraal) ・・(2008年撮影)
実は昨年5月は大規模修復中で正面がホロをカブリ撮影できない状態でした。
その為に過去の写真をひっぱってきたわけです。![]()
・・(2008年撮影)
彫像はVan Jan Fians Willems(1793年~1846年)フランドルの作家でフラマン語運動の主要メンバー。彫像は左の劇場を見つめていたようです。
聖バーフ大聖堂正面入り口 ・・(2006年撮影)昨年は工事中でホロがかぶっていました。
この教会に ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)の珠玉の名画「神秘の子羊(Het Lam Gods)」の祭壇画が置かれている。
祭壇画は特別な部屋の中で、特別なガラス張り金庫の中に収められている
。過去に7度ほど盗難の被害に遭ったこともあるのだろうし、何よりこれがゲントの最高のお宝なのだ。
(教会の中については、いつか紹介できたら・・の予定。)
聖バーフ大聖堂、聖堂側から
この教会はカール5世(1500年~1558年
)が神聖ローマ帝国の皇帝となった時、
洗礼を受けた教会
です。
実はカール5世はゲント(Gent)で生まれ育っているのです。
だからどうしても今回ゲントの紹介を入れておきたかった ![]()
つづく
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