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乗船した時は写真撮影の為にレンズをずっと覗いていたので説明書どころか、肉眼でも景色さえほとんど見ていなかったのですが、今になって読んで新しい発見がありました。もっと早く読んでおくべきでした![]()
以前ブルージュの小便小僧(Manneken Pis) の紹介(2013年10月)をしたのですが、 小便小僧像は、ブルージュだけでなく、このゲントにも、アウデナールデ(Oudenaarde)やヒュラールズベルゲン(?)にもあるそうです。
実は 小便小僧は、中世皮なめし業者のマスコットだったそうで、中世のフランドル地方の各都市には必ず置かれていた像だった
ようです。
中世の皮なめしには、皮をやわらかくする為の酸が必要
だったようで、それを子供の尿でまかなっていたのだそうです。
下層階級の 子供達はお金をもらい、皮なめし職人の所の穴に放尿をしていた。まさにその姿があの小便小僧だった
・・と言うわけです。
そうなるとブルージュのジュリアン伝説ぱ何だったのだ? と言う気がしますが、 これが小便小僧の真実なのだろうと思います。
ゲント(Gent) 2 (コーレンマルクト・Korenmarkt)
コーレンマルクト(Korenmarkt)
グラスレイ(Graslei)とコーレンレイ(Korenlei)
ギルドにも格があった?
ベルギーを横断する河川の一つ スヘルデ川(Scheldt)の支流がゲントに流れ込み、同じくゲントに流れ込むレイエ川(Leie)と合流。
その合流「GANDA」と言うケルト語がゲント(Gent)の由来になったらしい。
今回はコーレンマルクト通りから回り込んでレイエ川(Leie)を川下(北)方面に紹介。
紫・
・コーレンマルクト通り
ピンク・・
聖ミッシェル・スロープ(Sint Michelshelling)
角の四角
・・郵便局(Oud Postgebouw)
コーレンマルクト(Korenmarkt)
コーレンマルクト(Korenmarkt)通りは中世庶民の買い物市場であり、
中世この当たりは食品含めいろいろなギルドハウスが建ちならんでいた。(
現在ほとんどはレストランかカフェ)
建物の裏側がレイエ川(Leie)でレイエ川は荷揚げの埠頭や倉庫などに使われ、かつては街のはずれに位置していた場所だ。
コーレンマルクト(Korenmarkt)通りを北から南に


郵便局(Oud Postgebouw)

聖ミッシェルの対角にある時計塔のついたネオ・ゴシック建築の郵便局である。1910年建造。
左の道が橋。
郵便局(Oud Postgebouw)裏、川の側・・(2008年撮影)
グラスレイ(Graslei)とコーレンレイ(Korenlei)
中世ゲント一番の穀類の港がここで、 街に運ばれた穀類の1/4をここで倉庫に2週間貯蔵しなければ販売できない・・と言う特殊な法律があった
そうです。(それがゲント市の売り上げ?)
もちろん 倉庫代も徴収
。
だからパン屋やビール醸造所が近くに出来たのでしょう。
聖ミッシェル・スロープ(Sint Michelshelling)から川下・・(2008年撮影)
右岸・・クラスレイ(Graslei)・
・穀草の埠頭
左岸・・コーレンレイ(Korenlei)
・・穀物の埠頭 と呼ばれている。
※ 昨年(2013年)は天気が悪く綺麗な写真が少ないので過去の写真とミックスして紹介しています。
聖ミッシェル・スロープ(Sint Michelshelling)の橋の下から。昨年の写真

右岸・・グラスレイ(Graslei)側・・(2008年撮影)
装飾の美しい12世から17世紀の建物が並ぶ。
左岸・・・コーレンレイ(Korenlei)側
写真左の建物がDe Zwaan(白鳥)。
16世紀にビール醸造所だったこの建物
は、17世紀になるとビールと女性達のいる酒場になったそうです。
・・と船でもらった解説にありましたが、女性の酒場なのか? キャバクラのような所なのか??? ![]()
ギルドにも格があった?
写真左から3番目の建物がAnker(錨)と呼ばれるギルドハウス?
1739年バロック様式で建造。
ここは特権のあるギルドに属さない 権利制限された船頭達のギルドハウス
だったそうです。
要するに 船頭組合でも、格があったと言う
事です。
(権利制限された船頭達は、自由でない船頭達・・と訳されてました)
彼らは街の中に入る権利が無く、荷物はここから権利のある他の船頭が運搬。
通行税も彼らは高く徴収された
そうです
。
考えるに、 よそ者? あるいは新規参入の船頭で親方ギルドに入れてもらえない船頭のクラブハウス?
・・と行ったところだったのでしょう。
近世親方ギルドだけのこうした特権がみんなの反感を買うと同時に社会の成長の弊害になり、ギルドはだんだん無くなって行く事になります
。
いずれにせよ、この解説でわかるのは、中世レイエ川の左岸は街の外だった・・と言うです。
ここで後ろ(川下)を振り返り聖ミッシェル橋を見る。
左に郵便局(Oud Postgebouw)、右に聖ミッシェル教会(Sint Michielskerk)
橋は、聖ミッシェル・スロープ(Sint Michelshelling)。
1913年万国博覧会の為に建造。建築家クロケの作品。
橋の中央には大天使ミッシェル(ミカエル)の像が飾られている。(オリジナルは低い開閉式の橋だったと言います。)
今回時間がないので簡略に説明すると、 聖ミッシェル教会(Sint Michielskerk)の向こう隣は現在大学
になっています。実はそこが 13
世紀より続くドミニコ会系の修道院の建物で、中世めぐまれない人達を受け入れる施設に使われていた
といいます。
カトリック信仰のおかげで、中世より社会福祉が進んでいた事がわかりますが、残念な事に16世紀の宗教改革のおり、ここがプロテスタントの襲撃にあい、手書きの蔵書30000冊が川に投げ捨てられ川底が埋まった
と言います ![]()
プロテスタント信奉者がカトリックの全てを否定して破壊しまくった・・・と言う事実は思っていたより悲惨な現実を生んでいたようです。
川下(北)にかかるグラース橋(Grasbrug)
川からだと見えないが、グラース橋(Grasbrug)の向こうには城が見える。
12世紀に建てられたフランドル伯の居城である。
グラース橋(Grasbrug)を過ぎるレイエ川は2本に分かれる
。
そし中洲になる場所にはOude Vismijn・・旧魚せり市場があり 、右に精肉市場の建物
が見える。
旧魚市場は川辺の一帯はきれいに立て直されて 現在は観光局のインフォメーションが入っている
。
Oude Vismijn(旧魚市場)
の場所
ちょうどこの向こう側にフランドル伯の城が建っていて、そこに面する広場に旧魚市場の入り口がある。
Het Groot Vleeshuis(偉大な肉屋)

これが肉屋か? と衛生面を疑いたくなるが・・。
現在は大衆的なパブ・レストランになっていて、本来ここも観光スポットになっている。
残念ながらこの日は結婚式の披露宴で中は全部貸し切りでした。
(そんな事もあるのですね。)
次回急いでフランドル伯の居城予定
リンク ゲント(Gent) 3 (フランドル伯居城)
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