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Back numberをラストに、途中リンク先も追加しました。
チーズの話(オランダのチーズ屋さん) 2 オランダ・チーズ
オランダ・チーズ(Holland Cheese
)
オランダチーズと開拓史
オランダを代表するチーズと言えばゴーダ(Goudse)とエダム(Edammer)チーズである。
双方セミ・ハード系のチーズ
だ。
前回紹介したプレスで圧搾して水分を抜いて長期熟成させたハードチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノ( parmigiano reggiano
)を祖型とするタイプのチーズである。
パルミジャーノ・レッジャーノは、スイスのエメンタール(Emmental)やグリュイエール(Gruyère)・チーズを産んだ。
はっきり書かれたものは無いが、 オランダのチーズは多分エメンタール(Emmental)やグリュイエール(Gruyère)チーズに近い。こちらが祖になっていると思われる
。
実はオランダ酪農協会が出している「Holland Cheese」の冊子にもオランダのチーズに関して、特徴など詳しい事は書かれていない。
書かれているのは オランダではチーズ造りは代々母から娘に継承されてきた と
言う事。
そして中世以来オランダのチーズは欧州各国への輸出品として重用されてきたと言う事実
だ。
さらに19世紀、どこよりも早くチーズ生産の近代化を遂げた
。(統一規格を作り品質管理した工場生産と言うスタイル)
そのおかげで 現在もオランダはチーズの最大輸出国として世界のトップ
にある。(オランダで生産される年間70万トンのチーズの7割近くのチーズが輸出にまわる。)
※ 日本のプロセスチーズの原材料もオランダのチーズによる所が多く。その風味もゴーダチーズに寄せているらしい。
総じて、 オランダのチーズは
フランスのデザートチーズとは異なり、あくまで 一般家庭で毎日消費する食材としてのチーズが発展してできたもののようだ。だからチーズの製法に関して個性差はそれほど無い。
まとめて「オランダ・ブランド」と言った方が良いのかもしれない。

ゴーダ(Goudse)チーズはオランダのゴーダ(Gouda)と言う街が発祥のチーズだ。
そして同じくエダム(Edammer)はオランダのエダム(Edam)と言う街が発祥のチーズだ。
オランダの土地柄、双方街は当初水運で栄えた街。
その流通によってオランダは発展した。
しかし水害の多かった沿岸の街は徐々に港を閉じる事になる。
エダム(Edam)もそうだ。16世紀水路を閉じる事の引き替えにカール5世にチーズ市の利権をもらいチーズ産業が盛んになったと言う。
オランダでは近年もずっと新しいチーズが産まれている。もはやぱっと見でチーズの区分けは付かない。
黄色がかった茶色い円盤型のがゴーダ(Goudse)チーズで赤いパラフィンのがエダム(Edam)チーズと言う認識であったが、店に赤玉のチーズが見当たらない。
多分右の小さい玉はエダム(Edam)チーズのはず。しかし黄色い・・。
どうも2010年10月以降EUの規定でエダムと名乗れるのはオランダの乳牛で造られた物に限る・・と言う保護指定原産地呼称がつけられたのかもしれない。
赤いパラフィンが施されるのは純粋な(Edam)チーズだけ? 。
(国内向けは最初から赤ではないのかもしれないが・・。)
気泡の見 えるのがエダム(Edammer)系チーズ?


ゴーダ(Goudse)チーズは日本のプロセスチーズが寄せているだけあって、日本人が一番慣れたチーズかもしれない。何よりパンに相性がよく、サンドイッチやチーズトーストに最適。
長期熟成させたものはそのままでお酒のつまみになるような濃厚なものに変身。
ゴーダ・クミン
オランダではコミン(komijn)と呼ばれるクミン・シード(cumin seed)がゴーダチーズに含まれたチーズ。
カレーの香辛料にも使われるスパイスのクミンは強い香り苦み、辛みがあり、薬用としての効能もある。
欧州ではこの組み合わせ結構あるタイプだそうだ。
都会のチーズ屋さんとか空港のチーズ屋さんでは最初から小売用が並べられている。

WeideGeit のヤギ乳のチーズ
ヤギ乳は乳牛より白いそうだ。
何やら入っているのはKuruiden(スパイス)と書かれていて、先ほどのクミン・シードや フェヌグリーク(Fenegriek)と言う香辛料など
が入っているようです。
日本でも胡椒やナッツなど入れられたおつまみチーズが出ているがそんな感じかも知れない。
近年の変わり種チーズ? 緑のペーストチーズ Groene Pesto kaas
本来のチーズの色ではないのでいろいろ抵抗や批判もあったようだが味は良いので結構いろんな会社で作られ始めているようです。
Groene Pesto(緑のペースト)は本来バジル、ニンニク、松の実、オリーブオイル、塩胡椒、レモン、パルメザンチーズで造るソース。
チーズの場合、バジルとニンニクはどこも入っているようだが他の中身は各社それぞれ違いがあるようです。
都会のチーズ屋さん
上の段がゴーダチーズの小玉。今は他の種類も小玉サイズが出ているようです。
オランダチーズと開拓史
そもそもなぜオランダでこんなにチーズが造られるようになったのか?
それはオランダと言う土地柄が大きく起因している。
以前(2009年7月)「キンデルダイクの風車群 1」で風車の歴史について書いた事があるが・・。
オランダと言えば風車も代名詞
。ではなぜ風車があるのか?
風車は泥炭地だったオランダの土地を開拓する為にできたシ
ステム
です。
リンク キンデルダイクの風車群 1
オランダに人が住み始めたのは10~11世紀の事。
今の航空写真を見ても解るように、オランダは海抜よりも低い土地があり水田のような土地が続く。
昔はもっとひどく 国土のほとんどが水に浸かった土地だったと言っても過言ではなかった
。
そんな土地柄人
々が住む為に国土の水抜きをする為に風車は活用された
。
その例がキンデルダイク
にある モーレンハング(連列風車)と言う縦並びで行われる階段式排水法
だ。
話がそれかけたが、水車のおかげで国土の水拭きをしてできた土地。その活用法は何であろう?
家畜の放牧である。
塩水混じりの土地で農作物は育たない。
住人は牛を放牧してその乳で生活。
保存のきくチーズの製法が伝わると、こぞってチーズを生産し、16世紀には穀物と引き替えにチーズを輸出する・・と言う産業ができあがった
。
オランダと言う土地で最初にチーズを造ったのは確かにローマからの移住者だったかもしれないが、みんながチーズ造りを始めたのはやはり人が住み始めた11~12世紀と言うのが打倒だろう。
つまりそれ以来オランダの主要産業の一つがチーズになったわけだ。
アムステルダム・スキポール空港(Amsterdam Airport Schiphol)の土産コーナーのチーズ
さすがチーズ大国オランダである。
因みにデンマークの空港にはスモーク・サーモンのコーナーがある。
オランダチーズの躍進
オランダではその産業を守る為に早くから品質管理のシステムも構築され、製法も早くから統一され、味にも質にもムラの無い良質なチーズを売りにしている。
それは早くにチーズ造りの体系をまとめ、指導した人物が出たからだ。
ヴァウター・スラウス(1827年~1891年)
※ スペルがわからなかった
チーズ農家に育った彼は初めて チーズを学問的に研究。1877年「チーズ造り」と言う本を出版。
P.C.ブックル
ヴァウター・スラウスの後を継いで 1887年に「チーズ造りのハンドブック」を著し、農業振興協会と手を結び助言を求めた者には誰にでもチーズ造りのノウハウを教えると言う契約
をする。
1895年、政府によっても北オランダに酪農コンサルタントが発足?
1907年 チーズ造りをしている人の為の職業教育が行われ、翌年1908年には「チーズ農夫の為の職業学校が発足。
国がチーズ造りのノウハウを広く教え、チーズ造りを推奨。製品に関しては品質検査を厳しくし管理
したと言う事がわかる。
19世紀終わりからアメリカ、カナダ、デンマークが競争相手として出て来ると品質の悪いチーズも出回ったと言う。(質を犠牲にして利益を上げる悪徳業者の出現)
そこでオランダ農業協会の発案で品質管理の為に1889年にバター法が制定。(認定されたらバター・マークがもらえる。)
1906年にはチーズ鑑定局が有志により設立。1918年以降は政府の鑑定局が認定されたチーズにチーズ・マークを与えるようになったと言う。
また 工業化も早かった
。
1872年、前出のヴァウター・スラウスが隣人と集めた牛乳を共同で加工する工場を建設。
1880年代の農業恐慌が後押しとなり、協同組合下でチーズ工場が続々誕生
。
それは 安価に品質管理された製品を作る為と同時に農夫の仕事を楽にさせたそうだ。
そんな国を挙げてのチーズ造りがオランダ・チーズの力なのだろう。
(参考:オランダチーズ博物館の資料)
デルフト マルクト広場前のチーズ屋さん
次回やっとデルフトです ![]()
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リンク チーズの話(オランダのチーズ屋さん) 1 チーズの発祥
関連リンク
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