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以前旧王宮の中にあるスイス宮の宝物館を紹介していますがウイーンの王宮とその一帯は 19箇所が、現在各種美術館やライブラリなどとして公開されています。
広大な王宮(Hofburg)の周りに点在する美術館の場所や入口を特定するのは結構大変でした。
前回紹介 した「西洋の甲冑 3 (中世の騎士とトーナメント)」は新王宮内の「武器と鎧のコレクション」からの
紹介でしたが、新王宮内だけでも以下複数の部門が入っています。
その総称がはっきりしていないので新王宮美術館としました。
Ephesos Museum(エフェソス博物館)
Collection of Ancient Musical Instruments(古代楽器のコレクション)
Collection of Arms and Armour(武器と鎧のコレクション)
Austrian National Library (オーストリア国立図書館)
Papyrus Museum /(パピルス博物館)
Reading Rooms(読書室)
今回は新王宮美術館の
紹介ですが、ついでに新王宮前広場もいれました ![]()
※ 旧王宮にのスイス宮にある王宮宝物館については2014年11月「ハプスブルグ家の三種の神器」と
2014年12月「聖槍(Heilige Lanze)(Holy Lance)」で紹介しています
。
ウィーンの新王宮美術館(Neue Burg Museum Wien)
新たな宮殿の断念と滅亡へ進むハプスブルグ家
ブルグ門(Äußeres Burgtor)
英雄広場(Heldenplatz)と騎馬像
新王宮(Neue Burg)
新王宮美術館(Neue Burg Museum)
ウィーンの王宮(Hofburg Wien)地図

薄いブルーが市内環状道路であるリングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)
リング挟んでますが、全部ひっくるめて王宮と庭園です。
濃いピンクが新王宮
部分。上部の レッドが旧王宮
です。
イエローがブルク門
新王宮の前の庭 園が英雄広場(Heldenplatz)です
。
広場宮殿側 ☆
にオイゲン公(Prinz Eugen)騎馬像。
広場左の ☆
にカール大公騎馬像
新たな宮殿の断念と滅亡へ進むハプスブルグ家
実は 環状道路の上に凱旋門が建ち新王宮と現在の美術史美術館は繋がる予定だったそうです。
そして同じく自然史博物館につながるよう 新王宮の正面に同じ相対する宮殿が造られる予定だった
そうです。
下はウィキペディアから借りて来た絵に書き込み入れました。
薄いブルーが:現在の道路(リングシュトラーセ)の位置
ピンクの矢印が新王宮
ブルーの矢印が幻の王宮
新宮殿中止の理由については書かれていませんが、 マリア・テレジア以降 縮小するハプスブルグ家
。
フランツ2世(Franz II) (1768年~1835年)(在位1792年~1835年)の時代には 神聖ローマ皇帝も返上
。
フランツ・ヨーゼフ1世( Franz Joseph I)(1830年~1916年)(在位1848年~1916年)の時代に入るとオーストリアにはもっと悲劇が訪れる。
イタリアとハンガリーの独立運動
。
1866年の普墺戦争ではプロイセン軍に首都ウィーンに迫られ不利な講和を締結。
帝国内の民族問題
。
1914年の サラエボ事件
(皇位継承者フランツ・フェルディナント大公のが暗殺)はオーストリアがセルビアに宣戦を布告しての開戦となった。それが世界を巻きこむ 第一次世界大戦
である。
結果、 第一次世界大戦は敗北。次代オーストリア皇帝カール1世(Karl I
)( 1887年~1922年)(在位1916年~1918年)
は退位を認めなかったが、莫大な皇室財産のほとんどが没収 された
。
オーストリアは共和国となり帝国はカール1世が最後の皇帝となって終焉
した。
新宮殿自体がオーストリア帝国崩壊直前に完成。さらに新宮殿の建設などと言っている場合ではなくなったと言うのが現状
だったようだ。
美術史美術館と自然史博物館が中途半端にある理由がわかった気がした ![]()
ブルグ門(Äußeres Burgtor)
正確には城の外側の門である。

環状道路リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)からのブルク門は新王宮前庭園に入る門。
※ この撮影しているバックに美術史美術館があります。
王宮側からのブルグ門
ブルグ門(Äußeres Burgtor)
イタリアの建築家 L・カニョーラ(Luigi Cagnola)(1762年~1833年)の原案のもと現在の門はPeter von Nobileにより1824年建造
。(たぶん新古典様式でしょう。)
しかし、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は 1857年に城壁の撤去を決めた。
そして跡地にできたのが環状道 路リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)だ
。
※ リングシュトラーセ(Wiener Ringstraße)については2010年の「カールス教会 1 (リンクシュトラーセ) 」で書いています。
つまり門が造られた時点ではまだ城壁はあったが、
世界の情勢が変わり各国が城壁を撤去する中で遅ればせながらウイーンも城壁を撤去せざるおえなくなった。
(もしかしたらプロイゼンとの講和条約に入っていたのかも?)
それで城の敷地の拡張がリングで分断されて不自然になったのだろう。
リングができた時点で撤去の話もあったらしいが、
1934年に門は改修。現在第一次大戦の戦没者のメモリアルになっている。
新王宮前の英雄広場(Heldenplatz)からの門
門の奥に見えるドーム左が美術史美術館。右が自然史博物館
上の写真右に見切れているがテッシェンの大公カールの騎馬像である。
英雄広場(Heldenplatz)と騎馬像
もし計画通りシンメトリーに宮殿が建てられていたとしたらそこに凱旋門ができる予定だった?
結局、 英雄広場(Heldenplatz)には当初予定通り
シンメトリーに二基の英雄の騎馬像だけが建てられた
。
テッシェンの大公カールの騎馬像 1860年設置
勘違いしそうな名前であるが、カール大帝でもカール皇帝でもない。
テッシェンの公(Herzog von Teschen)カール・ルードヴィヒ(Carl Ludwig)(1771年~1847年)
である。
1809年のナポレオンとの戦いにおいて総司令官として勝利。(それはナポレオンの初敗北)
そして彼は英雄になった。
新王宮の前にある対の騎馬像はオイゲン皇太子(Prinz Eugen) 1865年設置
サボイのオイゲン公(Eugen von Savoyen)オイゲン・フランツ(Eugen Franz) (1663年~1736年
)
ハプスブルクの帝国で最も重要な将軍の1人らしい。
新王宮(Neue Burg)


新王宮とオイゲン公の騎馬像
新王宮入口
正面テラス上がヒトラーが併合宣言スピーチをした場所だそうだ。
ハプスブルグ家の双頭の鷲
1869年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世( Franz Joseph I)(1830年~1916年)(在位1848年~1916年)の為に計画された新宮殿は1881年に建設開始され 1913年に完成
。
前述したよう 新宮殿自体がオーストリア帝国崩壊直前に完成したので結局誰も住む事は無かった宮殿である。

Ephesos Museum(エフェソス博物館)
Collection of Ancient Musical Instruments(古代楽器のコレクション)
Collection of Arms and Armour(武器と鎧のコレクション)
新 王宮美術館のチケットでエフェソス博物館と古代楽器のコレクションと武器と鎧のコレクション3つが見学できる。
Ephesos Museum(エフェソス博物館)のブース

以前たまたま「古代ローマ水道橋 4 (水道管とエフェソス) 」でエフェソスの遺跡を少し紹介しています。
良いものだけが盗まれてボロボロになったエフェソスの荒廃はヒドイものです。
その調度の一部がこんな所で見られるとは思ってもみませんでした。
青銅と思われる彫像です。驚くほどパーフェクトなできばえです。
現代の作品に思えるその製作の技術力に驚きます。
下は石の彫刻のようです。
左がセイレーンなのでおそらく右はオデッセウスと思われる。
エーゲ海に近い現トルコ共和国のイズミールの南にあるエフェソスは非常に高度な文明を持った都市であったが、それ故にいろんな所から侵略された歴史を持つ。
エフェソスと言えばケルスス図書館が有名であるが、その飾りが現地には何一つないのにここにあった(一部)のには驚いた。
Collection of Ancient Musical Instruments(古代楽器のコレクション)のブース

ここにはたくさんの変わった形のピアノが陳列されていた。
上のピアノは帝政様式のスタイルなのでナポレオン時代のものではないか?
Collection of Arms and Armour(武器と鎧のコレクション)のブース

武器と鎧のコレクションが内容的にも一番充実していた気がする。
エフェソス
博物館と古代楽器のコレクションの量は少なくちょっと物足りないかも・・。

武具はまだまだ紹介したいものがいっぱい![]()
吹き抜けの天井画が素敵でした。
ミュシャの絵を思い起こすスラブ系の女神と天使達。


新王宮と美術館おわり
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