わたしのこだわりブログ(仮)

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2018年07月23日
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​​​​​ラストにBack numberを入れました。

​​前回触れた造船所の石川島播磨重工(IHI)であるが、どうも私の母校に縁がある。
母校もご近所の築地にあったのだ。母校は関東大震災後に武蔵野に移転した。
その後戦争で、武蔵野の学校が爆撃されて生徒が亡くなっている。
その理由が、石川島播磨重工の飛行機部門、ジェットエンジンを造っている工場が近くにあった事で間違われたらしいのだ。
武蔵野の学校は緑に囲まれた広大な敷地にあったから、上空からでは確かにわからなかったのかもしれない。

その悲劇について、学校の七不思議の中「乙女椿の伝説」なるものが有り、「女生徒の死」以降「血のように真っ赤に咲くようになった」と言うツバキの花の事が伝説となり伝えられている。在学中にどのツバキだ? と探したのを憶えている。爆撃された場所の特定はしたが、ツバキの方はたくさん有りすぎて解らなかった。

それにしても、石川島播磨重工(IHI)がもともと水戸藩の造船所が出発だったとは知らなかった。



東京クルーズ・隅田川ラインと水門 3 佃島界隈と佃島の歴史

月島川水門
東京都下水道局明石町ポンプ所
東京都の水害対策
​聖路加ガーデン(St.Luke's Garden)​
佃大橋(つくだおおはし)と佃島の渡し(つくだのわたし)
住吉水門(すみよしすいもん)と佃川支川(つくだがわしせん)
徳川家康と佃島の歴史​
​亀島川水門(かめじまがわすいもん)​
霊岸島水位観測所(れいがんとうすいいかんそくじょ)​
​中央大橋(ちゅうおうおおはし)​
大島川水門(おおしまがわすいもん)​

月島川水門
昭和39年竣工 鋼製単葉ローラーゲート
有効幅員 11m×1連
 上空制限高(A.P.)  +8.9m
平成28年に耐震化工事が完了。門が変わったようです。

※ 耐水対策で浸水しても可動できるよう電気系統が上にあがったのでしょう。

月島川は月島川水門を経て隅田川と朝潮運河をつなぐ全長530mの川
明治25年~27年に作られた ​月島1号地(現月島)と月島2号地(現勝どき)の間を流れている川で、月島川を境として中央区勝どきと月島に分かれている。​

月島川水門前のブルー補強工事か? 3月には無かった。

​対岸の勝どき橋から佃大橋の間に東京都下水道局明石町ポンプ所がある。​ 地図上では川が見えないので不思議であるが、 ​この地帯はもともと土地が低いので恐らく人工的排水システムで内部の水位を下げているのでしょう。​
このポンプ場の少し裏手に築地本願寺があります。関東大震災が起きた後に海の上に再建したと聞いたので、このあたりも埋め立てなのかも。


​東京都の水害対策​
​東京都では、東日本大震災を受け、建設局、港湾局、下水道局の3 局で「地震・津波に伴う水害対策を検討。
今までも、すでに東部低地帯の河川域の対策を講じてきていますが、 ​震災後にマグニチュード8.2 の海溝型地震等、想定される最大級の地震や津波高潮などに対応できる設備の強化などすすめられてきた​ 。​
※ 特に地盤の低い隅田川、中川、旧江戸川等については防潮堤や護岸(スーパー堤防)、水門・排水機場等の整備が完成している。

​近年、さらに建物の耐震設計と護岸の強化、また津波、高潮によ浸水被害など例え浸水しても設備が稼働できるよう、電気系統などを高い位置に設置するなど対策を進めている。​


東京で特に心配なのが、 ​この隅田川流域を含む東部低地帯の浸水。大正から昭和40年代にかけて進行した地盤沈下の影響で、地盤高が朔望平均満潮位より低い。かつては度々水害に襲われていた場所。​
水門や排水機場等の設置により、平常水位を人工的に周囲の地盤高程度まで低下させ、また護岸や河道の整備で水害はなくなったらしい。
とは言え、今回の岡山県倉敷市真備(まび)町で起きた小田川の決壊などは集中豪雨による増水。荒川が同じように決壊したら東部低地帯は水没。東京も壊滅に? 東京都は決壊を起こさないよう学識経験者を集めて対策を講じているらしい。

佃大橋(つくだおおはし)に向かって左手前が聖路加(せいるか)レジデンス。

​聖路加ガーデン(St.Luke's Garden)​

裏手は聖路加国際病院(せいるかこくさいびょういん)

聖路加国際病院(せいるかこくさいびょういん)の第3街区に位置する聖路加ガーデン(St.Luke's Garden)は、47階のタワー塔と、38階の聖路加レジデンスのツインタワーで構成 されている。
38階の棟は、4階に医療施設「聖路加クリニック」が設置。7階〜30階は、医療介護付き居住施設の「聖路加レジデンス」(175戸)となっていて、介護・介助サービスも万全に提供されている 。つまり、超高級系の介護付きマンションである。​

尚、38階の棟の32階〜38階はホテル「銀座クレストン(旧 東京新阪急ホテル築地)」となっているので家族が来ても宿泊には困らないようですね。

因みに、「せいろか」ではなく、本来は聖路加(せいるか)が正しい。福音書記者の「聖ルカ」を和名にしたのが「聖路加」なのだ。
「聖ルカ」の家は、代々医者だったと信じられているからかな?

聖路加ガーデン前からの佃大橋全景



右の白い橋が中央大橋。隅田川は右にカーブしていく。またここは亀島川(左)から墨田川への合流点でもある。

佃大橋と右の高層ビルは月島のラスト「佃エリア」
かつて石川島の造船所があった場所である。

佃大橋(つくだおおはし)と佃島の渡し(つくだのわたし)
​江戸時代より320年余り続いたと言う隅田川の渡船場「佃島の渡し」があった場所に架橋された佃大橋(つくだおおはし)。 戦後初めての隅田川の架橋 だったと言う。​
実は 江戸時代に隅田川への架橋には防備の観点から制限があった ​そうだ​
特に東方面は奥州や総州へ繋がるので、 最盛期の明治時代初頭には20以上の渡船場が街道筋に存在したらしい。

星 ​自動車や市電の発達など、交通網も変化する中、特に関東大震災の被災からの復興事業に伴う新規架橋が進み、渡しは消えて行ったと言う。​

「富士見の渡し」(葛飾北斎 「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」)

ウィキメディアコモンズより借りてきました。

佃公園(つくだこうえん)とリバーポイントタワー&住吉水門

写真右の鳥居が、おそらく佃の氏神である住吉神社へのかつての隅田川からのアクセスゲート。

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住吉水門(すみよしすいもん)と佃川支川(つくだがわしせん)

佃川支川(つくだがわしせん)の水門が住吉水門(すみよしすいもん)。​
かつての月島と佃島の間を流れていた川は、佃大橋の完成と共に一部埋め立てられ、住吉神社につながる逆L字の掘割りに残っている。

​住吉水門(すみよしすいもん) 

昭和40年竣工 鋼製単葉ローラーゲート
有効幅員 4m×1連上空制限高(A.P.)  +5.75m
平成28年度に耐震化工事が完了。門が変わったようです。


​徳川家康と佃島の歴史​
​​佃島と住吉神社の歴史は16世紀の天正時代に遡るらしい。
1582年(天正10年)6月​本能寺の変の知らせを受けた徳川家康は慌てて大阪を脱出する際に摂津国の佃村 (現・大阪市西淀川区佃) の漁師らが船を出し、食べ物を提供 してくれたおかげで大阪脱出を果たしたと伝えられている 。​​

その恩義の延長なのか?
後に徳川家康が江戸に幕府を開くと、もともと江戸湾に漁師も少なく増える人に対しての食糧事情が低かった事もあり、彼の佃村および大和田村の漁夫33人と神主を江戸に呼び寄せ、漁師として、将軍家に魚を献上する任をまかせたと言う 。​

​当初は安藤対馬守重信(あんどうつしまのかみしげのぶ)の屋敷に居候。 ​後に当時干潟であった場所をもらい受け、埋め立てて築島にして住んだと言われる。住吉神社は彼らの氏神様であった。​​
​だから 佃島(つくだじま)の名は彼らの故郷(摂津国佃村)に由来 しているし、もともと彼らの塩ゆでの小魚料理は、江戸に来て醤油に代わり、名物の佃煮が誕生したと言う。

​佃大橋を振り返って川下側を見た所。

橋の手前側、双方に佃島渡船跡が残っているようだ。
高いビルが先に紹介した聖路加ガーデン(St.Luke's Garden)​のタワー塔。
その右手が築地であり、さらに奧が銀座。

さて、月島にかかる最後の橋。中央大橋に向かって
中央大橋の手前左に亀島川が合流。亀島川水門がある。(写真見切れている所)

​亀島川水門(かめじまがわすいもん)​

昭和43年竣工 鋼製単葉ローラーゲート
有効幅員 15m×2連
上空制限高(A.P.)  +8m

日本橋川から分流する亀島川はその分流点に日本橋水門を持ち、隅田川と合流する中央大橋下流に亀島川水門(かめじまがわすいもん)を持つ。2つの防潮水門で完全に閉め切ることができるそうだ 。​
何しろ亀島川は八丁堀、茅場町、箱崎へと流れているからだ。

江戸期には亀島川沿いの八丁堀に御船手奉行所が置かれ、江戸に入る船舶の検め(あらた)をおこなったと言う 。​
検めを行った徳川水軍の将で、御召船奉行であった向井忠勝(むかい ただかつ)(1582年~1641年)こと、向井将監 (むかいしょうげん)の屋敷は合流の箱崎。亀島川河岸は将監(しょうげん)河岸と呼ばれていたらしい。

気になっていたのが、水門前のキューブ。(写真下の右)

霊岸島水位観測所(れいがんとうすいいかんそくじょ)​

1873年(明治6年)~明1879年(明治12年)の間、3ヶ月毎の満潮位と干潮位を測定しその平均値を算出。​​ 霊岸島水位標を東京湾平均海面(T.P.0m)とし全国の高さの基準とした ​そうです​ つまり、 ここは日本の水準点の原点だった場所 です。​​

しかし、東京湾の埋立てや隅田川の影響があり、水準原点の検証をする観測所としては不適合となり、 ​現在は神奈川県三浦半島油壺の観測所に移設。​
隅田川のテラス護岸の施行に伴い1994年(平成6年)に元の位置から移動して 現在も荒川水系の基礎データの観測を続けている ようです。

川上側からの中央大橋

川上側からの中央大橋 この橋を写真右(西)に進むと東京駅の八重洲口に出るのだ。

​中央大橋(ちゅうおうおおはし)​

竣工 1993年(平成5年)8月
構造形式 二径間連続鋼斜張橋
橋長 210.7m
幅員 25.0m
橋桁製作 石川島播磨重工業横浜工場(地元だからね)

昭和の橋と異なりデザインも考慮された造り。ひと味違う橋である。ライトアップが映えるらしい。
バブル絶頂期のものなので分不相応なほどの贅沢だとウィキペディアには書かれていた。笑える大笑い

ちょっと逆光ですが・・。

豊洲運河を越えると江東区に入り越中島。

越中島と永代

​大島川水門(おおしまがわすいもん)​

昭和33年竣工 鋼製単葉ローラーゲート
有効幅員 11m×2連上空制限高(A.P.)  +7.5m
平成28年に耐震化工事が完了。門が変わったようです。

この水門の向こう大島川は永代、門前仲町、深川とめぐる。

調度大島水門前あたりからの下流、中央大橋と月島方面。

中央区の月島。右が隅田川 左が豊洲運河の分岐点

船は永代橋に進む 




リンク ​ 東京クルーズ・隅田川ラインと水門 1 東京港
リンク ​ 東京クルーズ・隅田川ラインと水門 2 水門と排水機場
    東京クルーズ・隅田川ラインと水門 3 佃島界隈と佃島の歴史
リンク ​ 東京クルーズ・隅田川ラインと水門 4 永代橋から新大橋まで
リンク ​ 東京クルーズ・隅田川ラインと水門 5 (両国橋から駒形橋まで)
リンク ​ 東京クルーズ・隅田川ラインと水門 6 (吾妻橋から言問橋&水神の森まで)​








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Last updated  2022年02月07日 15時29分41秒
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