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昨日up出来なかった画像です。左からマイユ ディジョン・マスタード 粒マスタード 赤ワイン・ビネガー 白ワイン・ビネガーお好みですが、フランスでサラダと言うとオイル&ビネガーが基本です。美味しいオリーブオイルとワイン・ビネガーがテーブルにあればそれで十分です。 マスタードはビネガーで溶いてサラダにかけてもいいですし、マリネに入れても良いかも。サラダに使う時は、必ずオリーブ・オイルから先に和えるように。
2009年04月21日
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一昨日、通夜に行って来た。式は花葬であった。最近の日本のお葬式も明るく華やかになってきたなと思う。(不謹慎なようだが、今回の故人は天寿を全うされた方なので許されよう・・。)今回は通夜だけであったが、最近は霊柩車もリムジンタイプが主流になり、陰な感じが減ってきていると思う。しきたり的な事もだんだん薄れて簡素化され、セレモニー化しているし・・。「所変れば」で、地方によって全く違うだろうが・・。葬式に幾らかかるかは最大の問題だ。昔は葬儀屋さんのいい値だったからだ。他に比べようもないし、ランクをたくさん出されると一番下はいいにくい。足下を見られていたわけだ。ところが、最近は葬儀屋さんの広告がよく新聞に挟まってくる。インターネットでもたくさん出ている。今は比較検討出来るようになったわけだが、葬儀屋もそこまでする時代になったのか? 死ぬ人が減ったわけではないのに・・。ところで「不況でアメリカの葬儀の形態が変って来ている。」と言う。葬儀費用の節約できる火葬が増えていると言うのだ。カトリツクは火葬は厳禁なはずでは? 「最後の審判後に復活する時、体がないと困るからだ。」と聞いた。(もちろんアメリカは色々な宗教の方がいるのでカトリックの方は今も違うのかもしれないが・・。)とにかく、土葬に比べて火葬だと葬儀費用が4~5000ドルも安く上がるらしい。アメリカでの葬儀の平均は6~7000ドル程度、死亡広告の数や使うリムジンの数でも変わってくる。(その金額は日本より全然安いと私は思うが)それでも火葬が11パーセント増え、2010年までには40パーセントに達すると予測されているそうだ。映画「おくりびと」で話題になったエンバーミングは、もともと土葬用のアメリカの国で必要な措置だった。ベトナム戦争で負傷して亡くなった兵士を日本でエンバーミングしてアメリカに送ったと聞いた事がある。遺族がショックを受けないように・・。
2009年04月21日
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マイユはフランス、ブルゴーニュ地方のディジョンの高級調味料を扱う会社です。歴史は古く1720年のペスト流行時には同社のヴィネガーがペスト予防薬になったと言われ、1760年にはオーストラリア、ハンガリーの皇室御用達に、1769年にはフランス王室御用達に。そして1771年にはロシアで猛威をふるうペスト対策に、女帝エカテリーナ2世に無料で提供。当時ビネガーは化粧水、内服薬、外用薬と、万能薬として扱われていたと言う事です。意外だったのはマイユの成功は化粧用ビネガーで、ルイ15世の愛人として知られるマダム・ポンパドールも愛用していて、樽単位で購入していたと言う事でした。(知らなかった。)マイユ コルニッション(小きゅうりのピクルス)手摘みの小型きゅうりの極上品だけを厳選して上質のワインビネガーに香辛料とともに漬け込んだ酢漬けであるが、私の大好物である。買ってすぐより、半年以上寝かしてから食べた方が、ビネガーがマイルドになっていてより美味しい。ワインビネガーは赤も白もある。また、マスタードの都として、ブルゴーニュは有名で、ディジョン・マスタード(マスタードの皮をむき、すりつぶしてビネガーと合わせペーストにしたもの)フランスの80パーセントがここディジョンで生産。私はマイユのマスタードか、マイユのディジョンマスタードしか使わないが、これを付けると安いソーセージも高級になるのだ。昔フランス料理学校の先生(ホテルのフランス人シェフ)が「マスタードはディジョンでないと駄目だ!」と言い、日本人スタッフがデパートまで急いで買いに走っていたが、確かにディジョンでなければ駄目なのだ。因みにその時のメニューはザワークラフト(フランス風?)だった。今でもよく作る料理だが、高級なザワー・クラフトでもある。マイユの商品はそんなに高くはなく、最近は近所のスーパーでも手に入るようになった。ケッパーです。左が、珍しく粒が大きくてオリーブのようにおつまみ用にしています。(スペイン産)右が一般的なスモークサーモンの付け合わせには欠かせない小粒タイプ。残念ながらディジョンではありません。棘風蝶木(とげふうちょうぼく)とか西洋風蝶木(せいようふうちょうぼく)とか言う半つる性の低木の木(ケッパー)の蕾です。
2009年04月20日
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ちょっと素敵! この間購入したばかりのデキャンタです。デキャンタージュするほどのワインは持っていませんが、形から入るのは決して悪いことじゃないと思います。もうすぐワインセラーも届きます。このところ暑くなってきていたので、抱え込んでいるワインを心配していました。どうせ高価な品はありませんが、以前10本程プショネにした事もあり、安くても気に入ったワインですから・・。赤は以前は全然解りませんでしたが、最近ちょっと興味が出て来た所です。ワインに高価なお金をかける気はないので、あくまでちょっと贅沢程度のデイリー・ワインの範疇ですが・・。写真のオリーブは一粒4~5センチ近くある大物です。もちろん種付きですが、このオリーブ滅多にない素晴らしい一品でした。(イタリアで購入)私はオリーブ、ピクルスに目がありません。家には常にオリーブが何種類かあります。オイルに浸った物から塩水漬けの物まで・・。時にはピクルス自分で漬けたりもします。(当然香辛料もものすごく種類を持っています。)イタリアのミラノにある高級食材店イルサルマイヨのアンチョビ巻きのオリーブ絶品です。でもとても高い。そして今日本に店はないと思います。(昔は伊勢丹に入っていたと思いますが、写真の品はあったかどうか・・。)ニース・サラダを作る時にはこれ便利です。ところが、最近本場ニースでアンチョビ使わなくなりました。経費節減なのでしょうか、日本のツナ缶でごまかされていました。アンチョビ使わなきゃニース・サラダとは言えないと思うのですが・・・。
2009年04月20日
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ガウディーの話はひとまず置いて・・・。ちょっと気になったニュースが・・。「私の良く行くサイト」にある「ロイター・ニュース」の中に久しぶりに堀江貴文氏(元ライブ・ドア社長)の名があり、「達人のテクニック」(プレジデント・ロイター)と言う中のコラムが1位になっていました。まだ、人気があるようですね。相変わらずの持論を展開。強気な発言、姿勢は彼がまだ自分に絶対的な自信がある事を語っていました。「ライブ・ドア・ショック」は株式をしていた人には大変な事件でした。ライブ・ドアに関連した会社の株までもが恐ろしい勢いで落ちて行きました。売ることも出来ずに(出来ない)泣いたのは大人だけではなかったでしょう。(当時子供の株式講座もひらかれていて、ライブ・ドア株は少額1株単位なので、子供でも買えた。)この頃の株式市場は「堀江氏が興味を持った。」と言うだけで、関連の会社までもの株が上昇。市場は彼の動きを追っていました。同時に振興市場の株はうなぎ登りで、何だか良く解らない会社でもITと言うだけで新規上場株は抽選購入の状態。株式市場はある意味活気にあふれていたのです。それが、あの「堀江氏逮捕のニュース」日本の株式市場に大きなダメージを与えた事件でした。彼は「自分が世の中を動かしていた。」のを知っていた・・。確かに私もあの頃は株式の世界においてはそういう状態だったと思っていましたし、世の中が上昇気運の中でそれは皆が認めていた? 許していた? ような所がありました。しかし、よく考えれば株式市場は彼によって引っかき回されていた。と言う事だったわけです。この事件は一気に株式市場の元気を失った出来事だったと思います。今の不況はアメリカのサブ・プライム問題がきっかけですが、ライブ・ドア事件を契機に市場は雲がたちこめ良いことがなくなった気がします。(これはあくまで私の主観ですが・・。)今日のコラムで、彼がまだ「自分と言う人間に自信を持っている。」と言う事に少し驚きました。また何か仕掛けてくるつもりなのでしょうか?
2009年04月20日
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スペイン、バルセロナにあるグエル公園内アントニオ・ガウディー作の カメレオン? トカゲ?トカゲではなく、「ファイアサラマンダー(Fire salamander)」が正解です。2012年6月「グエル公園(Parc Guell) 2」の中でちゃんと解明しました。そちらも合わせて見て下さい。 2016年追記リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)尚、カテゴリーは「建造物・教会・墓地・墓石・遺物 」です。
2009年04月20日
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Metro de Parisパリの地下鉄1号線が開通したのは1900年のパリ万博の時だそうだ。地下鉄駅の設計をしたのはアールヌーボー建築家のギマール。(ルーブルの近くでも見かけたが写真はない)新型車両は「ゴムタイヤ方式」が用いられている。これは鉄車輪の鉄道に比べて騒音が少なく座り心地が良いと言う事らしい。(現在日本でも札幌の地下鉄で採用されている。)新型車両は自動でドアが開くが(日本ではあたりまえ)古いタイプは手動が主流。自分でドアを開けなければならない。それは、「降りる人がいないドアを開ける必要はない。」と言う合理主義的な発想らしい。ドアは「取ってレバー式」で回すものと、「押しボタン式」の二通りある。閉まるときは自動。駅は狭い。(東京も一番古い銀座線の駅はかなり狭い。)写真の駅はTRINITE(トリニテ)駅で、近くにトリニテ教会とギュスターブ・モローの美術館がある。これはモロー美術館の帰りに撮影。比較的明るくて綺麗な駅だが、日本のように出口案内がなく、駅員に聞いても知らんぷりされて(外国人だから)方角がわからなくて大変だった。外にも日本のような案内板はない。最悪は、「ない!」「あっちだ!」と、嘘を言われ、「早く自分の前から去れ!」と言う態度を取られる事だ。経験から言うとフランス人は不親切だと思う。路線図を持って地上の詳細な地図を持って、事前に下調べして出かけないと、同じ所をくるくる回るはめになる。余談だが、この駅の近くにおいしいスイーツの店を発見。(駅からモローの美術館に行く途中)
2009年04月19日
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ローズ・ラインとオベリスク(ダ・ヴィンチ・コードより抜粋)「キー・ストーンはローズ・ラインの下に隠されている。サン・シュルピス教会のオベリスクの根本に。」「灰色の花崗岩の床に細長い真鍮片が埋め込まれ、金色の線が教会の床を斜めに横切っている。線に定規を思わせる目盛りがきざまれているのが見える。指時計(グノモン)といい、異教徒が作った日時計のようなものだと、シラスは教えられていた。世界中の旅行者、科学者、歴史学者、そして異教徒がこの名高い線を見るためにサン・シュルピス教会を訪れる。」写真上の右がオベリスクです。オベリスクは古代エジプトのモニュメントです。エジプトの神殿から運ばれたオベリスクはパリのコンコルド広場(ルクソールから運ばれた)にも、もっと大きいのがあります。因みにワシントンDCにあるワシントン記念塔はアメリカ人建築家の作品であり、本物ではない。その前にローズ・ラインが引かれているのだが、イスが置かれていて見えない。教会が特に宣伝していないので、どこに何が、どれが何か、の説明もついていなくて自分で見つけなければならなかった。写真より実際はもっと薄暗い教会である。(ダ・ヴィンチ・コードより抜粋)「エジプトの巨大なオベリスク。輝くローズ・ラインはここから90度以上に向きを変え、オベリスクの表面をたどって約33フィートの高みまで登り。ピラミッド形のとったんでようやく終わっていた。」「堂内を分断する真鍮の線は正確に南北方向を示している。古代日時計の一種でかつて異教徒の寺院が同じ場所に建っていた名残だ。南側の窓から線上へ差し込む陽光が毎日少しずつ位置を変え、それが夏至から冬至までの時の経過を表す。この南北に走る線はローズ・ラインと呼ばれている。何世紀ものあいだ、薔薇は地図や、正しい方向へ人々を導くものの象徴だった。」上の写真はオベリスクの台座です。真鍮線が真ん中を通っています。(残念ながら床の写真がありません。)ローズ・ラインは北極と南極を結ぶ経線にあたります。ローズ・ラインは無数に引けるので昔は北極星からのみ割り出して航海していたので、非常にあやふやなものでした。航海の為には真のローズ・ライン(経緯0)が必要でした。現在それはグリニッジ(イギリス)にあります。(ダ・ヴィンチ・コードより抜粋)「フランス人にとってのぱゼロ度の経線はパリのサン・シュルピス教会を通っていた。真鍮の標線はその事実を記念したものであり、1884年にグリニッジにその名誉を奪われたものの、元来のローズ・ラインとして今も残っている。」ローズ・ラインと言う名を私はこの本で初めて知りました。宗教や歴史は好きでよく色々な系統の本を読んでいたつもりですが、今までその言葉にあたった記憶がありません。資料もなかなかないようです。だから見に行ってみたくなりました。※ サンシュルピス教会とローズラインについては、2019年12月「パリ司教座聖堂(臨時)サンシュルピス教会」で改めて書き直しています。 リンク パリ司教座聖堂(臨時)サンシュルピス教会
2009年04月18日
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ハワイの朝市で売られていく花ハワイの朝市で売られている花は発色も品質は素晴しいのですが、それらを日本に持ち帰る事はほぼできません。日本入国時に植物検疫があるからです。植物検疫は、日本にいない他国の病害虫を植物と共に日本に上陸させない為に存在しています。日本の生態系を守るため水際のチェックです。お土産用として扱われているきちんとした会社のアンセリュウムなら、事前に検疫に関する指導が行われているので検疫で見せるだけで簡単に持ち込める物もあります。もちろん根付きはだめで、切り花のみ・・。。原則土や土付きの植物は一切禁止です。(土には微生物がたくさんいますから・・)果物も、許可の通った会社のお土産用のパパイヤ(箱入り)なら「植物検査合格証印」をもらえますが、街のスーパーで買ったような物は難しいのです。入国時に取り上げられる事を考えるともったいないので、通常は旅行者の国内持ち込みは少ないです。でも、昨今フラのヘッドに使われた花を持ち込む人は結構いるようです。ジンジャーの花もっと薄いピンクが一般的だが、これは花も大きいし発色も良いハワイならではです。ストレチアの花バード・オブ・パラダイス(極楽鳥の花)これも種類は沢山あります。日本で見るのはたいていもっとごっついストレチアです。ランの花(グリーン)珍しいグリーンのランです。ランは種類が多くて難しいです。下は鉢植えで売られていました。ラン・マニアでなくても手に入れたいグリーンの花だと思います。珍しい薄紫のスパティフィラム?繊細なので一本ずつ花弁をキズつけないように売られています。こんな花を使って大きくいけてみたいです。最近飾るスペースもあまりないので花をいけていませんが、高校一年の時に華道部の部長になり、同時に先生の所に弟子入りし、週2回の教室。私の青春時代の半分? (オーバーか・・他にもいろいろやってたし・・・)は花漬けでした。日本の華道は組織化しているので続けるのも大変です。花以外にお金もかかるし、研究会だ、発表会だ、花器の購入、チケットの購入、本の購入。看板代、先生への謝礼etc 辞められた時はちょっとほっとしました。
2009年04月18日
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パリのサン・シュルピス教会ダ・ヴィンチ・コードで一躍人気になったパリのサン・シュルピス教会です。シラス(オプス・デイの修道僧)がキー・ストーンを探しに行った教会でローズラインの通っている教会でもあります。教会内部の中央が祭壇です。大半の教会がそうであるようにここもローマ十字の形に建てられており、その縦長(身廊)のトップに主祭壇はあります。この教会は6世紀、サン・ジェルマン・デ・プレ教会が地区内の農民の為に建てたもので、聖シュルピスに捧げてつくられたと言う事です。何度も修復が重ねられ現在の姿になったのは1780年頃。正面入り口は(撮影できなかった)新古典主義的作りらしい。(と、言う事は入り口はもっとも最後にできたのだろう)奥行き115メートルと巾58メートル。(ダ・ヴィンチ・コード抜粋)「サン・シュルピス教会は、パリの建造物のなかでもとりわけ数奇な歴史を持つと言われている。エジプトの女神イシスを祭る古代の寺院の跡に建てられたもので、建物の床面の形はノートル・ダム大聖堂とほぼ一致する。マルキ・ド・サドやボードレールの洗礼の他、ヴィクトル・ユゴーの結婚式もここで執り行われた。付設の神学校には秘められた歴史があるとされ、かつてはそこでさまざまな秘密結社の会合がひそかに開かれたという。」もともと観光客にはマイナーな教会である。映画が売れて観光客が来るようになったからだろうか、私が行った時は外装工事中で残念な事にネオ・ロマンティシズムの教会入り口や外観の撮影ができなかった。講壇は文字通り聖職者が、礼拝を仕切ったり、聖書を朗読したり、講話を行う所です。主祭壇の右手前にあります。時代がわかりませんが、かなり古い様式だと思います。天井アーチは主祭壇上はロマネスクアーチをしているけど奥はゴシックのアーチになっているのがわかる。きっと何度か天井もくずれ修復しているのだろう。こうした古い教会は当然最初のままではなく、(何しろ1000年以上)何度も時代時代の様式で修復されているので、ごっちゃになっていて一言では言い表せない。この後ノートルダム大聖堂に行くのだが、比べると質素で地味で取り立てて見るべき物は例のオベリスクくらいしかない。(パイプオルガンも有名らしいが・・。)ローズ・ラインは次回に・・※ サンシュルピス教会については、2019年12月「パリ司教座聖堂(臨時)サンシュルピス教会」で改めて書き直しています。リンク パリ司教座聖堂(臨時)サンシュルピス教会
2009年04月17日
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いつもアクセスしてくださっている方々、ありがとうございます。おかげで1500件越えました。4月6日の夕方にスタートしてもうこんなにアクセスしていただいて嬉しいです。手探りで始め、まだ使い方も良く解っていないし、アフェリエイトって何? トラック・バックって何? と言うレベルで、毎日手が一杯。勉強の日々です。せっかく訪問いただいているのにこちらからなかなか訪ねられなくてゴメンナサイ。今後ともよろしくお願いいたします。 Laurier
2009年04月17日
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エチカ池袋に行ってきました。かなり大々的に宣伝していたので楽しみにしていたのですが、新しく開通した地下通路のショップ群でした。場所は副都心線池袋駅から要町方面にのびる道路の下を丸井のある交差点あたりまで続いているのでしょうか? (その先までは確認しませんでした。)ファッションゾーンは若い女性をターゲットにした小物の店が中心です。カワイイ連発の小物が沢山ありますが、どこも似たような店ばかりです。下の表参道シュ-クリングは食のレストゾーンの入り口で行列ができていたので並んでみました。原宿が本店のようです。グローバル・ダイニング社のエグゼクティブ・パティシエのプロデュースだそうです。ドーナツ型に生地をしぼり、中に各種カスタード・クリームを入れた物で、おいしいですが、普通です。ちょっとカワイイ形をしていて、食べやすいサイズと言ったところです。左、バニラが180円右、アーモンドクリームが200円他にイチゴ・クリーム240円もありました。直径は8.5センチ前後で小さいです。
2009年04月17日
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私は彫刻が好きだ。そしてフィギュアも好きだ。「両親が伝統こけしのコレクターだった。」と言う事をプロフィールに書いたが、彫刻が好きだからフィギュアが好きなのか? フィギュアが好きだから彫刻が好きなのか? (秋葉おたくのようなコレクションは持っていないけど・・)サモトラケのニケ(勝利の女神像)BC3~BC2頃?のロードス人の海賊の勝利を記念するものと推定?(他説もある)ニケとはギリシャ神話の勝利の女神である。因みにニケはNIKE。スポーツショップ「NIKEナイキ」の名の由来となっている。ギリシャのエーゲ海に浮かぶサモトラケ島で出土。最初の発見は1863年に胴体部。続いて118の断片の翼を復元し、1884年から「ルーブル美術館のダリュの踊り場前」に展示されている。(昔のルーブル入り口)1950年には広げていた右手が発見され保管されているそうだ。私はこのニケ像が好きだ。やはり「素晴らしい。」の一言である。皆さんこれがミロのヴィーナスですよ。大好きと言うわけではありませんが、ルーブルの二大スターですから・・。1820年にエーゲ海ミロス島で発見。発見されたミロス島にちなんで、ミロスのアフロディーテ(美の女神)と呼ばれてます。(ミロはラテン名) 当時のフランス海軍提督がフランス大使に頼み込んでトルコ政府から買い上げて、ルイ18世に献上。その後ルーブルに寄贈されフランスの宝となったようです。サイズは意外と大きいです。毎度行く度に場所が移動している気がしますが、今回彼女は広い部屋の真ん中に一人で立っていました。だから撮影しやすかったです。
2009年04月16日
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どこ見てんのよ!! て感じですね。Break Time (一休み)シガールと鶏、羊、魚たち・・昨日のシャガールで朝に・・・。最後は寝たくてちょっといつもよりテキトーで終わった感じが・・。補足をすれば、晩年のシャガール作品に鶏、羊、魚など動物が繰り返し出てくるのは、シャガールの子供時代、「ヴィテブスクの家の庭で鶏を飼い。羊と白い雌牛を飼育し、その動物達と遊びながら育ったから。」と言われています。また家の近くの丘から見えたヴィテブスクの教会や聖堂や塔が繰り返し描かれています。どれだけ故郷が好きだったのか・・。故郷での幼少期時代。きっと彼は幸せだったのでしょう。忘れられない楽しい思い出。「彼の愛した街と動物と妻とユダヤ教の世界が豊かな色彩の中で描かれている。」それが彼の晩年の作品の特徴です。さて、ニースの美術館には今回紹介しませんでしたが、旧約聖書をモチーフにした一連の絵画があります。モーセが十戒の啓示を神から受ける場面やヘビの奇跡etc。絵としては私的に今一の上、聖書に興味のない人が見ても解りにくいと思ったのではずしましたが、彼が晩年手がけたステンドグラスの為の絵コンテに繋がる作品だったのかしれません。
2009年04月16日
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昔、救急車を見て「冷凍車がサイレン鳴らして走っている。」と言って大笑いされたことがあるが、これまた日本と異なるのが消防車だ。色は黄色。「黄色が一番目立つ色だから。」だそうだ。 確かに・・! (ダイゴかよ!) 因みに、ここはホノルル動物園近くの消防署。所変わればいろいろですね。
2009年04月15日
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買い物続きで紹介です。ダイアモンドヘッドの麓にあるハワイ大学のカピオラニ・コミュニティー・カレッジの駐車場で毎週土曜の午前中に朝市(フリーマーケット)があります。最近密かに観光客にも人気と言う事で、ウォーキングと買い物を兼ねて行ってみました。出店にルールがあり、品物は全てハワイ原産に限られています。パン、果物、ジャム、魚、等食品が多く、花もあります。珍しい所ではアワビがありました。ハワイで養殖をしていると言う事です。ここでは一般の店に出回らないレアなアイテムがあるそうで、リピーターがお気に入りの商品をねらって買い物に来るようです。市で人気の行列のできるフライ屋さん。下が野菜フライで、特に青トマトの揚げたのが人気です。これで6~7ドルくらいしていたかな?画像の解像度をものすごくおとしたので今日はまだ写真upできます。下は売られている果物です。パパイヤライチー?色合いを狙って載せてみました。
2009年04月14日
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昨日入間のコストコに行って来ました。場所は三井アウトレットの隣にあります。ハワイで良く利用していました。決して近くはないのですが、アメリカ製でも業務用に大きなサイズになっているので昨年から時々大量買いに来ます。会員制で年会費をとられますが、このカードは全世界共通で他の国のコストコでも使えます。(意外と知らていない事実)日本には現在9箇所あり、ほとんどは関東圏です。カードには顔写真がプリントされて入場は本人と2人まで連れて入れます。一つの量が多いので日本では3人くらいでシェアして買う人達の方が多いようです。(アメリカでシェアする人はいない。)上は店内です。巨大な倉庫です。大きなカートで買い物ですが、アメリカのカートの方がもっと大きいし、比べると規模も小さい気がします。昨日は夏に向けて大きな空気入りのボート(4人乗り)や大きなファミリー向けテントが幾つも展示されていました。クリスマスの頃は庭のオブジェやクリスマスギフトセットなどのコーナーもできて、定期的に店内の置かれる品が変わるので、今買っておかないと次が無い品もあるので注意です。日本では食品等かなり日本製のメーカーの品も置いていますが、コストコの基本はアメリカ人ファミリーの生活だと思います。休日お父さんがガレージで車をメンテする工具があり、ガーデニングの品があり、人を招いて庭でパーティーをする為の様々な品。(お酒もあります。)従来日本では高かったような品がすごく安く手に入るのは素敵です。問題は、ガーデン用のイスとテーブル等非常に安いですが、狭い日本の家で置ける人がどれだけいるのか?ガーデン用サラマンダーを買って行く人は何人いるのか?アメリカのコストコなら当たり前の光景ですが、日本のコストコだと思うと違和感もあります。でも私はコストコ大好きですが・・。
2009年04月14日
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夜のロイヤル・ハワイアン・ホテルです。創業1927年、創業者ウィリアム・マトソン。自分の会社(マトソン社)所有の新豪華客船「マロロ号」の旅客宿泊施設として建てたホテルと言う事です。太平洋のピンク・パレスと呼ばれたこのホテルはこの1月に新装オープンのはずでしたが、工期が遅れて見切り発車? まだメイン・ダイニングも開いていない状態だったので中の確認はできませんでした。(以前とどう変わったのか?)写真は正面玄関の車寄せです。外観は昔のまま。ピンクの外観はマトソン氏の親友夫妻が「リスボンの街のピンク色を見て別荘をピンクにした。」それが素敵だったので・・とか?狭い船室で過ごして来た客をもてなすためハワイの緑、風、ガーデンを感じてもらうのがコンセプトだったようです。(改装前の様子)外観はポルトガル風?1階ロビーから客室に進む廊下と中庭を見ると東回りコロニアル様式なのかな? (西から来てるけど・・)近代化ホテルとは違う落ち着いた厳かな雰囲気、老舗ホテルの貫禄十分です。室内はそこそこ近代化でしたが・・。おそらく今回室内のリノベーションが中心だと思います。近代化した清潔で綺麗なホテルは好きですが、旅行に行ったら気分に浸れるホテルも大好きです。例えばタイのオリエンタル・ホテルの旧館など「ウィリアム・サマセット・モーム」の小説の中に今でも入り込んだ気分になれるからです。(デジ画像はないです)ちょっとしたタイムスリップ、現実逃避こそ私の理想?お気に入りな事です。
2009年04月13日
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シェラトンホテルからビーチを撮影 昼間の写真と比べてみてください。写真下の「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」前から写真中央の「モアナ・サーフライダー」まではホテル前ビーチと言う事もあり、松明がたかれ、ちよっとムード満点です。「モアナ・サーフライダー」先にワイキキ警察署があるのですが、そこからクヒオ・ビーチ・パーク(パブリック公園)になっています。カラカウア通りからそのままビーチに入れます。(日本みたいな海の家など一切ありません。)よくテレビや雑誌で紹介されるのがその警察横の位置です。撮影場所の「シェラトン・ホテル」に今はビーチはありません。(定期的に砂を入れないと流れてしまうのです。)1月は、リノベーション中で海側通路が閉鎖されていましたが、湾岸に小道が続き(写真にはない下方)「ハレクラニ・ホテル」前を通りフォート・デ・ルーシービーチまで繋がっていた?と記憶しています。そこまでが大きくワイキキビーチと呼ばれています。朝や夜の散歩に素敵ですが、波の荒い日はずぶ濡れになります。
2009年04月13日
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シェラトンホテルよりワイキキビーチそしてダイアモンドヘッドを臨む一般的なハワイの景色です。一応お決まりで・・。今年1月、久しぶりのハワイでしたが、不況のせいかワイキキは以前よりだいぶ人が減っていました。タンタラスの丘です。州立公園内にあるこのベストポジションは、ホノルルの街が一望できます。夜景を見に来るツアーがありますが、パークは夜閉門されるので中には入れません。今回ダイアモンドヘッド登山とウォーキングをして来ました。登山はハワイ大学のカピオラニ・コミュニティー・カレッジの近くから脇道に入り、登山料金を払ってから昇ります。因みにゲートの隣は米軍基地入り口です。下は山頂からワイキキを見た景色です。ダイアモンドヘッドは上から見るとクレーター型で、その中は米軍基地なのでクレーターには入れませんが、観光登山の山頂には昔の歩哨台あとがあります。実際その地下にも基地が広がっているのでしょう。登山は山頂の休憩込みでゲートまで1時間30分くらいです。結構急な箇所や狭い急階段もあるので5歳以下の子連れの方は誰かが背負う事になるでしょう。入り口はなだらかですが、だんだん険しくなります。ウォーキングはだいたい1時間くらいで回れます。とても景色が良くウォーキングも苦にはならないでしょう。但しツアーはありませんから麓に来てからの話です。ホテル群の真ん中にあるピンクの建物がロイヤル・ハワイアンホテルで最も古いホテルの一つです。コロニアル風な1Fの廊下や中庭は趣がありました。以前は内装やガウンまでピンクで統一されていましたが何しろ古いですから使いが悪かった。リノベーションでどうなったか・・。今年1月にまだ一部改装途中ながらオープンしてました。
2009年04月13日
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A昼頃ベランダであえいでいるアゲハを発見。まずい孵化が始まってしまった!いよいよアゲハの季節が来てしまった!!!最近暖かくなったので気になっていた私。そろそろ孵化するのではないか?何年か前から家のベランダでアゲハが勝手に繁殖するようになった。それは風水でレモンの木を置くと幸運が・・。と言うので置いてからだ。アゲハは柑橘系に取り付き、卵を産み、その葉をエサに成長。やがて木を飛び降り、とんでもない所でサナギになる。それは夏中繰り返し続くのだ。そして寒くなると(10月頃)サナギとなる場所がさらにとんでもない所になる。今度は越冬の為の場所だからだ。私は毎年秋にベランダ中を検索する。どこでサナギになっているか確認するのだ。本当に困ったちゃんが沢山いるのだ。この冬は確認で10以上のサナギを発見。まずい所でサナギとなったものは保護しなければならない。Bベランダの安物スノコの裏でサナギになっていた子達を保護。そのままでは孵化時に羽が広げられない。しかも植木の水もかかるし危険な場所だからだ。そもそもここでサナギになったのは「迷走移動中に力尽きて適当な所でサナギになったか」、「我慢できずに変態が始まってしまったか」のいづれかだ。(すっかり詳しくなってしまった)狭くて環境の悪い家のベランダで越冬しようと言うのは本当は無謀な話なのだが、気づいてしまったものは保護するしかない。そして今朝あわてて保護していたスノコを返すとやはりもう一匹孵化していたのだ。(危なかった)アゲハは孵化すると羽を乾かす為にいったん木に登り羽を乾かす。Aの写真は羽の乾かし中である。この後飛び立つのだが、失敗してベランダでジタバタ。割り箸に捕まらせてベランダの上にかざすと、風に乗って向こうのマンションまで行ってしまった。大丈夫か?夏は夏でまた苦労が多い。アゲハのエサのレモンの葉が足りなくなり、木を一本追加したが、それでも昨年は足りなかった。普通一羽のアゲハは一本の木に2個くらいしか卵を産まない。それが最近木がないせいか沢山産んでいくのだ。昨年はレモンの木は幼虫ラッシュ状態だった。さらに夏にはサナギになるのにもっと危険がある。家のベランダは非常に日当たり良く暑い。朝方移動を始めサナギになる場所を探すのだが、炎天下高温になる外壁に取り付く物は死ぬ。だからその前に捕獲して手作りでサナギの場所をを作ってやるのだ。サナギになる時期だが、最近いつ頃か、だいたい個体で解るようになった。彼らはサナギになる時木から下りる。それも飛び降りるのだ。家の場合ベランダ下に消防用の非常口がある為。飛び降りがとても危険である。飛び降りる頃合いに下に新聞紙を敷いてやったりする。本当に気を使って大変なのだ。出来れば来ないでほしいが、マンション5階までわざわざ来るのだからそこらに柑橘系がないのだろう。それとも、生まれた所に帰って来るのか?ああ・・今年も苦労が・・。そしてレモンの葉が沢山繁ってくれるか心配だ・・。
2009年04月12日
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ニースの駅モナコの駅と大違いですね。たいていは外観だけ古いままで中は近代化されているのですが、ここは中もそのままです。日本のような発車時刻の電光掲示板がなく、とても不便です。特に観光客には解りにくいです。しかもフランスの国鉄は、私の記憶の中では定刻に出発した事がありません。5分10分くらいは定刻です。今回は1時間くらい、昔、パリからベルギーまで乗ったイル・ド・フランスは国鉄職員ストの為に2時間半くらい出発できず待たされました。(申請できたので、後から遅延のお金が郵便小切手で送られて来ましたが・・)フランス国鉄SNCFモナコの帰りはイタリアから来た寝台付きの車両(急行)でした。イタリア方面からはガラガラでしたが、バックパッカーの若者がけっこう乗っていました。駅がこうですからスーツケースを持っての移動はちょっと大変です。まあ普通の日本人はツアーバスで行きますよね。
2009年04月12日
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モナコ駅は前回載せたホームのイタリア側(写真手前)のエレベーターを上がると(撮影場所)改札広場になっています。さらにそこからエレベーターでもっと上に・・。出たところが下の写真です。それに対してフランス側出口を進むと長い地下通路をぬけ、港に近い山のふもと側に出られました。(写真はありません)駅地図がないので詳しく解りませんが、他にも出口はあるはずです。この駅の前側からの撮影です。モナコの裏側?といったところでしょうか。思った以上に難しい土地ですね。バスの本数は結構あったと思います。これだけ山、坂、急勾配だと歩けたものじゃありません。エレベーターがあちこちにあるから、乗り継いでうまくすれば下までいけるのかな?因みにモナコは飛行場がありません。ニースの空港からバスかタクシーあるいは(お金持ちは)ヘリコプターで飛んで来るようです。
2009年04月12日
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珍しいパイパーのロゼとヴーヴ・クリコのローズラベル ノンヴィンテージですが・・写真の容量いっぱいで解像度を落としたので画像悪いかも左から、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン・ブリュットのローズラベル中、ピペ・エドシック・ブリュット・ロゼ・ソヴァージュ右、ピペ・エドシック(パイパー・エドシック) たまたまそろったので並べて撮影。パイパーは私の好きなシャンパンです。マリリン・モンローの愛したシャンパンであり、カンヌ国際映画祭の公式シャンパンでもあります。映画にも数多く出演? 「The Movie Champagne」(映画のシャンパーニュ)と呼ばれているそうです。赤ラベルはドン・ペリニヨンよりフルーティーで確かに女性向きだと思います。ロゼはまだ未経験です。ヴーヴ・クリコはクリコ未亡人と言う意味で、2代目を継いだ夫に先立たれ若くして未亡人になった彼女は自らヴーヴと名乗ったそうです。社名のポンサルダンは彼女の旧姓。また彼女はシャンパンを透明にするのに成功した最初の人でもあります。たまった澱(おり)を回転させて集め、それを凍結して取り除きクリアーにする手法です。早く飲みたいです。
2009年04月11日
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Break Time (一休み)ちょっと息抜き・・。前回紹介したマダガスカル・エキゾチックファームにいる子達ですが、何だか映画ジュラシックパークを彷彿させませんか?私は映画館で初期サブリミナル効果の入った映画を見た為、夜恐竜がドアを開けて部屋に入ってくる(ありえないが・・)恐怖にしばらくおびえた記憶があります。「お化けのがまだましだ。元は人間だもの・・。」さらに姉宅の犬が朝一から「遊んで! 遊んで!」と近づき寝室のドアの前で待たれている(ドアの外に私はいるよ!)雰囲気は本当に怖かったです。実際に犬は大好きです。彼女(ダルメシアンのメス)とは友達でした。それでもドア前に待たれたり、夜中のトイレ帰り、暗闇の中、ベットの前で待っていた彼女には叫び声をあげてしまいました。サブリミナル効果、怖いですね。今は平気ですがしばらく恐怖は続きました。
2009年04月11日
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モナコは地中海に臨む小さな独立国です。陸地部分はフランスに囲まれ、鉄道ではフランスを通らずして国に入る事はできません。タックス・ヘブンと言われ税金のがれで住みつく金持ちが多いのは、家賃が非常に高くて一般人には無理だからです。国の収益は以前はカジノと観光でしたが、現在はホテル経営、エステ産業に移行してきています。小さいけれどとても豊かな国です。それは駅にも反映されています。フランスの駅とは大違いです。皆さんF1で見かけるモナコは湾岸まで山が迫ってるの覚えていますか?ホテルもマンションも山の傾斜面に建てられています。その山の地下に駅はありました。凄い土地の活用方法です。地下に秘密基地が広がっていた感じです。王宮前広場からの撮影です。きれいに撮れていませんが参考まで。ハーバー奥のビルがある所がモンテカルロです。直訳するとカルロ山です。ここに高級ホテルやマンションが密集しています。山は意外と急勾配です。地下道を進みエレベータで上がると上の道路やビルの上階になっていたりします。
2009年04月11日
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フランスの公衆トイレの写真これはパリの街角で見つけたトイレですが以前「マントン(Menton)での思い出」で紹介てきなかったフランス式のトイレです。形は少し違うかもしれませんが、構造は一緒。コインを入れるとドアが開き中に入れます。非常に変わった構造のトイレなので紹介したものでした。内容についてのリンク先リンク マントン(Menton)での思い出
2009年04月10日
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引き続きマントンの話ですが、今回はマントンの街でのトイレのお話です。.マントン(Menton)での思い出ニースのホテルからその日は日帰りでマントンとモナコの観光に向かいました。※ マントンはフランス南部、地中海沿岸のいわゆるコートダジュール圏の一つの街ですが、モナコをはさんだ向こう側のイタリアに隣接した田舎町。ニースの駅からフランス国鉄SNCFに乗れば到着するのですが、面白い事に1度モナコ公国に入り、通り過ぎて再びフランスのマントン駅に到着するのです。.急行で行けばあっという間の距離です。しかし、SNCFはやはり定刻に動かず・・。(フランス国鉄が定刻に動かないのは毎度の事ですが・・。)日本のような親切な掲示板など一切ないし、アナウンスもほとんどなく、いつ動くか解らない混こみ混みの急行電車(通勤電車)に乗り込んでいた。親切なフランス人が「こっちのが早く走るよ」と教えてくれたので各駅電車に乗り込む。(結果は恩が仇となり急行が先に走っていった。)結局、早朝にでたものの、ニース駅で1時間近く待たされ、各駅でちまちま走ってやっとマントン駅へ到着。.マントン(Menton)は田舎ではあるが、一応コートダジュール( Côte d'Azur)に入っている。到着してすぐ駅トイレを探しに・・見あたらない。(帰りに気づいたのだがホームに鍵のかかった重々しいトビラに「トイレ」と、それが駅トイレだったのだろう。)とりあえずマントンのメインストリートを歩き途中のマントン観光局に行ってトイレを借りようと考えた。パプでトイレ借りてもいいが、コーヒー飲んだらまたトイレに行きたくなる・・と思ったからだが、それは甘かった。.観光局ではマントンの街の地図はくれたがトイレは借りられず、街の唯一の公衆トイレの場所を教えてくれただけだったのだ。しかもその公衆トイレはコクトーの美術館と正反対に位置する。私は迷った。コクトーの美術館まで我慢するか・・。結局私は進路変更して公衆トイレに進んだのだが、これは大正解だった。なぜならコクトーの美術館にはトイレが存在しなかったからだ。(超驚き!).外にある公園前に設置されたフランスの公衆トイレはこれまた非常に奇妙なトイレであった。(今手元に画像がないのでいづれどこかで紹介)ステンレスでできたトイレはコインを入れて使用するのだが、広めの小部屋の中にはステンレスのオマル? があるだけ。トイレットペーパーホルダーなるものも何も無い。どうやって使用するのかと思われるオマル型である。またぐにも微妙に広い・・。下水口らしきものもなく水が出るところも無い。したものはどこに処理されるのか?.多くの不可解な疑問を持ちつつ、とりあえずどうにかした。どうも、このトイレは使用を終え、トビラを閉めると床とオマルそのものが天地がひっくりかえるかたちで全部洗浄するしくみらしい。(だから中が円形なのね。)誰が考えたのか・・こんな変なトイレ。(何度かフランスに来てますが初めての体験でした)さて、コクトー美術館の後、結婚の間を見る為に市庁舎に。ここも見物料とるくせにトイレ使用禁止(職員用しかない)になってました。そそくさと街を出て次のトイレはモナコ。モナコの駅には日本並みのトイレがちゃんとありました。よし!
2009年04月10日
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昨日紹介できなかったバオバブの木です。高さ20メートル以上になる大木です。それ故に星の王子様の中でバオバブは嫌われものです。「小さいうちに根絶やししないと星の一面にはびこり、その根で星を突き刺します。星が小さすぎてバオバブがあまり沢山ありすぎると星が破裂してしまいます。(抜粋)」かくして王子様はバオバブがバラの木と見分けがつくようになったら引っこ抜くよう警告するのです。サンテグジュペリがこの童話を書いた時(1943年)、ここはフランスの植民地下でした。彼はパイロット時代か兵役時代にここを訪れたのでしょう。現在バオバブの木の分布はマダガスカルに8種、オーストラリアに2種アフリカに1種だそうです。ウェゲナーの大陸移動の話ですが、ゴンドワナ大陸は1億6000万年前頃にアフリカから分裂マダガスカルは8000万年前にインドから分裂してできた?らしいです。だから起源は化石級に古い稀少な木でもあります。ところで、これだけ大きな木が葉っぱも少ないのに立っているのはなぜか? 幹の下で光合成をしているからだそうです。
2009年04月09日
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マダガスカルのカメレオンは2020年5月、「マダガスカル島(Madagascar Island) 2 カメレオン(Chameleon)の島」で大量に扱っています。以下リンク先です。リンク マダガスカル島(Madagascar Island) 2 カメレオン(Chameleon)の島リンク マダガスカル島(Madagascar Island) 1 曲鼻亜目同化しているつもりですかね。本当に君は素晴らしい。枯れ葉君。マダガスカルは早くに大陸と分離したので固有の種が多いそうです。因みにマダガスカルは星の王子様が降り立った星のモデルとなった地です。今日はこれ以上の画像が載せられませんでしたが、いづれバオバブの木をお見せします。本日やっと写真UPに成功しました。画像の解像度を下げて、サイズを編集して、苦労しました。
2009年04月08日
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尻尾がとってもチャーミングです。
2009年04月08日
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このだらっとした感じイイですね。癒し系?母性本能くすぐりませんか?
2009年04月08日
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私のお気に入りの写真です。これはマダガスカル島の首都アンタナナリボ郊外にあるマダガスカル・エキゾチックファームにて撮影したものです。信じられないような美しい造形と発色ですね。
2009年04月08日
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パリの地下鉄駅内にトイレはない。本当に不思議だが、フランス国鉄の大きなターミナル駅でもはずれに有料トイレが一カ所(それも2ドアあるくらい)で、日本のようにあたりまえにあると思うと大変である。いつもトイレチェックをしているが、地下鉄の乗り換え駅の通路の途中にトイレは一度も見なかった。唯一ルーブルの駅でコインを入れて入るしかも汚い壊れたトイレに遭遇したくらいである。なぜパリはトイレが少ない?いやフランス自体にとても少ないのである。「トイレに入りたい時はパブでコーヒーを注文してそこで借りたらいいよ。」と言われたが、毎度そんな事はしていられない。そうだデパートに行けば・・。とプランタンに行ったが、各階にはなく、規模の割にドア数も少なく、高級品コーナーの階のトイレでさえ半分が壊れて大行列である。フランス人のトイレに対する考え方は昔から進歩していないらしい。「かつて栄耀栄華を極めたブルボン王朝ルイ15世の愛したベルサイユ宮殿にはトイレがなく、廊下は汚物と屎尿にまみれて臭かった。」と文献を読んだ事がある。それ故に香水が発達したのである。ドレスの中にオマルを入れてする。ドレスも汚れる。しかも高級ドレスはほとんど洗濯できないから袖を外して袖だけ洗濯するくらい。だからパフパフ香水を着けるのである。今はやりのフランスコスメのロクシタンは香りが非常にきつい。そんなフランスの歴史を物語っているのか・・。「香水よりトイレをなんとかしろよ!」と突っ込みたい私である。
2009年04月07日
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