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お久しぶりです。gauguinです。話は変わりますが、終わってしまいましたね。愛知万博。(話題が遅い?)結局行けずじまいだったのが悔やまれる。でも、社会人になってレクリエーションを考えるとき、まず思い浮かぶのは、費用と満足度の関係である。仮に私一人で(さびしく)愛知万博へいったとすると、入場料、5000円。往復の交通費、約2000円。キッコロのぬいぐるみ、1500円。万博の思い出、Priceless。でも、人ごみの中でのイライラ感、-3400円。トイレの行列、-800円。リニモって別に・・・、-1500円。疲労感、-2800円。「時間の無駄だったかなぁ」感、-2700円。結局、収支はマイナスになりそうです。これじゃあ、家計は火の車。今年2歳になるわが子にトミカすら買ってあげられなくなるじゃねぇか。夜泣きもひどくなるってもんだ。おちおち夜も眠れねぇぜ。こんなんじゃあ、虐待しちまうよ。なんて、働きづめのお父さんの悲鳴が聞こえそうです。やはり、行かなくて正解だったようです。別に負け惜しみなんかじゃありません。本当に行かなくてよかったと思っています。あぁ、フミアートを堪能できなくてよかった。あぁ、マンモスなんて見なくてよかった。あぁ、精巧に出来た受付ロボットのお姉さんに会わなくてよかった。ほ、ほんとうに行かなくてよかった。う、嘘じゃないもん。ほ、本当だもん。な、泣いてなんかいないもん。こ、これは涙じゃないもんね。う、うれし涙だもん。まあ、終わったことをあれこれいっても仕方がない。「本当は行きたかった」なんていう本音は言うまい。死ぬまで胸の奥にしまっておこう。この思いを抱えたまま、三途の川を渡ろう。あっ!言っちゃった。まさか、聞こえた?これは聞かなかったことにしてください。これは、私とあなただけのヒミツです。でもあれですね。これで、モリゾーとキッコロはお役御免ですね。あとは燃えるゴミにでもなるのでしょうか。どうか、成仏してください。南無。
2005年09月30日
ここを見ている皆さんに申し上げます。最近ここに書き込むのが億劫になりつつあるのであります。特に原因はないのでありますが、なぜか書きたくないのであります。もしや、きのう夜に爪を切ってしまったからかもしれません。それか、ご先祖様の供養を十分にしてこなかったかもしれません。または、いままで食べ物を粗末にしてきたからかもしれません。もしくは、星の数ほどの女性を捨ててきたからかもしれません。あるいは、成人前からタバコやお酒をたしなんできたからかもしれません。いやいや、競馬にお金をつぎ込んでばかりで満足に親孝行していないからかもしれません。もしかすると、ブログ恐怖症という病気かもしれません。まさか、異星人の侵略の前兆なのかもしれません。ということでおやすみなさい。タイトルのように気楽に行きまっせ。
2005年09月26日
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期待にこたえてB'zです。(タイトルだけ)中2のときに尾崎豊を好きになった私は、それと同時に「カラオケ」にもはまっていった。当時、カラオケボックスというものが一般的になりつつあり、「ジョイサウンド」という通信システムを使った、新しいカラオケのシステムが構築されつつあった。(それまでは基本的にLDだった。)それはもう、毎週のようにカラオケに通い、ありとあらゆる歌を歌いつくした感があった。最新のヒット曲なんかも、「曲がいいから聴く」というわけではなく、「カラオケで歌えるようになるために聴く」という状態だった。一応基本は尾崎豊ではあったが、カラオケのバリエーションを増やすために、B'zなどにも手を出し、その当時(1992年ごろ)までに出された曲は、そらで歌えるようにまでなっていた。しかし尾崎豊のメッセージ性に惹かれてはいたものの、「盗んだバイクで走り出し」(15の夜)「夜の校舎窓ガラス壊して回った」(卒業)などの歌詞を見るにつけ、「そんなことボクにはできないな」と思い、あこがれる一方、「そんな青臭いこと言っててもなぁ・・・」とも思い始め、高校入学とともに、急速に「尾崎豊」熱が冷めていくことになる。そして、高校(加○高校)に入学してからは、尾崎豊の後釜となる、心の支えとなるアーティスト(?)を模索し続けていた。世間ではMr.Childrenがクロスロード、イノセントワールドで爆発し、トップの座に上りつめようとしているころだった。そんな時、私が出会ったのは・・・(つづく)☆参考資料☆ 「十七歳の地図」 尾崎豊 「IN THE LIFE」 B'z 「Atomic Heart」 Mr. Children
2005年09月23日
1+1=3?ワタシ、はじめて知りました。5月4日の国民の休日って、5月3日(憲法記念日)と5月5日(こどもの日)という2つの祝日にはさまれているから「国民の休日」なのであって、ほかにも祝日と祝日にはさまれた平日があれば、その間の日は「国民の休日」と認定されるんだって。それがなんと4年後の9月に実現するらしい。その時にまだ生きていれば、9月に5連休という、秋のゴールデンウィークがやってくるらしい。ソース:「4年後は5連休 知ってる?!秋の黄金週間」まさに寝耳に水。というか棚からぼたもち。でも、かなり先の長い話ではある。そのころにはワタシは30歳(!)。世間で言うところの「三十路(ミソジ)」である。もう、秋の秋刀魚のように脂の乗り切った、言い換えればギトギトにあぶらギッシュな年齢である。「すでにあぶらギッシュじゃん」なんて批判は受け付けません。まだまだ油が乗りますよ。そのころには小学生ぐらいの子供がいて、郊外にマイホームを建てて、日曜日には愛車を洗車しながら、息子とキャッチボールをしたり、娘とお買い物に行ったり、愛犬ゴッホ(ダルメシアン)と一緒に散歩したり、愛妻とドライブに・・・・・・・あっ!夢か。
2005年09月22日
最近あまり食欲がない。と言うと語弊があるかもしれないが、グレープフルーツばかり食べていて、他のものを食べていない。今日(9月21日)食べたものを列挙してみると、午後2時グレープフルーツ 1個半キャベツの千切り 小さいサラダボウル1杯焼き鳥(つくね) 4本間食?缶コーヒー(ブラック) 1本爽健美茶(500ml) 2本 午後11時30分 グレープフルーツ 1個これだけ。私にしては、あまり食べてないでしょ?たしかに意味不明な食べあわせではあるけれども。見た目からして(見たことないと分からないが)、ご飯(白米) どんぶり4杯肉(豚バラ肉) 2人前アイスクリーム(ハーゲンダッツ) 3カップ とかが、毎食のように入っていると思ったでしょ?でも、実際はそんなことはありません。別にダイエット(小声で)を目論んでいるわけではないのですが、体が「これ以上はヤバイ!」って危険信号を発しているのかもしれません。「20代も半ばを過ぎると食欲がなくって・・・」なんて、私には無縁だと思われた言葉も、現実味を帯びてきました。幸か不幸か、まだ体は変調をきたしていませんので、このまま体の欲するままに、本能の赴くままに食事をしていきたいですね。というわけで(?)、きのうの続きを少し。ブルーハーツと決別した(そんな大層なものではないが)私が、次にターゲットとしたのは、「尾崎豊」である。ちょうど尾崎豊が死んだときに、私は彼を知った。友達の兄が「せっかくコンサートのチケットを取ったのに・・・」と嘆いているのを聞いたとき、私は彼を知った。中学2年生という思春期真っ只中、「ボクノジンセイハドウナルノダロウ?」こんな疑問が頭をよぎるとき、私は彼を知った。迷える子羊のような中学生の私にとって、「学校なんて糞食らえ!」「夜の街に飛び出そうぜ!」というメッセージは甘い蜜のように思えた。何か、自分の人生の指針になるように思えた。大人に刃向かう勇気のない僕の代弁者であるような気がした。もう死んでしまっていたけれど。(次につづく・・・)
2005年09月21日

タイトルには大して意味はありません。 ただ『日記を意図的に曲名する。』という面白そうなテーマを見つけたから、それに便乗しているだけです。今日から1週間ぐらいはこのテーマでいきたい。なぜなら、最近書くことがなくなってきているから。 まあ、こんなテーマを選んだので、音楽に関する話でもしようか。私がはじめて買ったCDはTHE BLUE HEARTSの「バスト・ウエスト・ヒップ」です。(小6のとき)私が唯一、人に自慢できるのは、はじめて買ったCDが結構イカシタやつで(自分なりに)、GAOの「サヨナラ」や、KANの「愛は勝つ」などの恥ずかしいものではなかったということです。たしかにこのCDの次には、タイムボカン全集や、やまだかつてないWINKなどの、今考えると消してしまいたい過去のような忌まわしい記憶がありますが、それもこれも、私の人生初CDであるブルーハーツ様がかき消してくれていると信じています。そして、ここに私の音楽遍歴が始まったのである。振り返ってみると、結構ストレートな始まり方をしているもんだなぁ。ブルーハーツなんて、直球中の直球ジャン。巷で横行している「ジャニーズから」「女性グループから」音楽を聴き始めるみたいに、「ぬるいところ」からという一般的な導入ではないね。なんか「いきなり熱湯!」って感じだね。(いろんな意味で)しかし人の心は移ろいやすい。平家物語の冒頭にも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」なんてあるように、いつまでも変わらないものなんてこの世には存在しない。私の音楽的嗜好もまたしかり、である。というわけで私は中学2年生あたりからブルーハーツを離れることになる。それはまた別の話。というわけで、つづく。
2005年09月20日
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愛・地球博も残すところ6日となりました。そして、愛・地球博が終わると次にやってくるのが私の誕生日です。今数えてみたら、あと48回寝ると(徹夜はなしで)私は27歳になってしまいます。まあ、人間27歳にもなると「誕生日プレゼント」なんてもらえないわけよ。ケーキにろうそく立てて、それをふーっと吹き消して、「じゃあ、これ。前からほしがってたでしょ?」なんてプレゼントがほしいのね。皆さんに祝ってほしいのよ。言葉ではなく、モノで。でも、もらえる当てがないわけよ。私にプレゼントをくれる人はもういないし・・・と書くと、両親が死んじゃたみたいだけど、まだまだ健在です。下手したらあと半世紀ぐらい行きそうです。ということで私は頭をひねって考えたわけよ。一休さんみたいに座禅して。頭につばつけて。そして名案を思いついたのね。自分で自分にプレゼントを買ってあげればいいジャン。まさにHappy Birthday to meです。まさにHappy BIrthday 自分です。では、ここに私のほしいもののリストをあげておきます。自分の覚書のために。(別に、プレゼントを頂戴と主張しているわけではありません。)ほしいものNo.1愛私は愛に飢えている。ウサギはさびしいと死んじゃうんだって。僕も死んじゃうよ。ほしいものNo.2勇気世界の悪に立ち向かう勇気がほしい。どんなことにもくじけない勇気が。くたばれブッシュ!(関係なし)ほしいものNo.3 iPod nanoいきなり現実的。多分あまり使わないんだろうけど、1ヶ月ぐらいしかちゃんと使わないんだろうけど、なぜか欲しい。持っていると、「デキル」社会人に変身できるかも。ほしいものNo.4 ビグザムのフィギュア 昔から、なぜか好き。「質よりも量」って感じがにじみ出ていて、好き。でも、こんなもの自腹で買いたくないので今まで買わなかったけど、この際プレゼントしちゃおかな。自分に。ほしいものNo.5 来来!キョンシーズのDVD(3枚組)久しぶりに見たい。テンテンを。最近の技術に慣れてしまったので、アクションとかいまいちなんだろうけど、テンテン、チビクロ、スイカ頭、トンボに会いたい。ほしいものNo.6 マッサージチェアたぶん、この世で「自分では買いたくないけどほしいもの」ナンバーワンは、マッサージチェアだろう。だって高いし、そんなに必要性を感じないけど、「あったらいいなぁ」と思わせる。ほしいものNo.7 シトラスカッター前も書きましたが、今私は「グレープフルーツ」ブームの真っ最中です。手軽にグレープフルーツが房ごとに食べやすくカットされるなんて、夢みたいです。でも、そんなにうまくいくか?たぶん半分ぐらいの果肉は、つぶれてジュースになっちゃうんじゃない?とは言うものの、ちょっとほしい。ほしいものNo.8数週間の休みものすごく現実的。でも、結構ちゃんと働いているような気がする。あまり休みがないのに。だって、1週間のうち6日は「あの場所」にいるんだもん。結構飽きてきちゃったし。たまにはしっかりと休んで、新鮮な気持ちで行きたいね。とまあ、ほしいものを羅列したけど、まったく統一感がないね。われながら、物欲の塊って感じがする。でも、ほしいものはほしいのです。絶対に上記のどれかをプレゼントしよう。自分にね。
2005年09月19日
ねこばば【猫糞】ねこばばとは、悪事を隠して知らんぷりすること。特に、拾った物を密かに自分の物にすること。ネコババ。《語源・由来》ねこばばは、猫が糞をした後に砂をかけて隠すことから喩えたもの。「糞(ばば)」は、大便など汚いものをさす幼児語である。ねこばばは江戸時代後期頃から用いられた語と思われ、それ以前に用例は見られない。一説には、猫好きの老婆が借金をなかなか返さなかったことから、猫好きの老婆が語源で「猫婆」を本来の形とする説もある。今日は自分で話題を作るのはやめにして、面白そうな話題をいろんなところから拾ってきました。これぞ、ネコババ。難しい問題を解くと記憶力が向上するキマシタ。やっと科学が証明してくれました。むやみやたらに難しい問題を解かせているわけではないということが、分かっていただけましたか?ねぇ、みなさん。一夜漬けは「徹夜より、潔く寝る」がコツだそうですよ。みなさん。早いとこあきらめて、早く寝ちゃいましょう。巨大ハリケーン「カタリーナ」は日本のやくざが起こした?これこそまさに、『荒唐無稽』という言葉が当てはまる。「原爆の仕返し」なんて、考えてませんよ。たぶん。太りにくいカラダを作る食事フムフム。メモメモ。い、いえ、自分のためではないですよ。ネカマの見破り方や見分け方使う機会がなさそうだけど、参考に。男の知らない世界。「気持ち悪い」と好評 幻のミツバヤツメ展示中マジキモい。ゲームの敵として出てきそう。東京ネズミーランドの思い出有名な話。あのファンタジー満載のテーマパークで起きた、ファンタジックなお話し。「中に人は入っていません」・・・
2005年09月19日
10月からテレビに「まんが日本昔ばなし」が帰ってくる。これは見たい。あの竜に乗った変な坊やにも会いたい。市原悦子の語りも聞きたい。そして、あのころに帰りたい。まんが日本昔ばなし→クイズダービー→8時だよ全員集合!この黄金パターンを味わいたい。あの土曜の夜7時~9時に帰りたい。これはかなわぬ望みではあるが、まんが日本昔ばなしには、かなり期待している。「昔はよかったなぁ」なんて、回顧して悦に浸る気持ちはないが、小学生だったときのあの感覚をもう一度味わってみたい。というか、皆さんも見てください。決して損はしないと思いますよ。◆追記◆コスタリカ
2005年09月17日
阪神にマジックが点灯した。M11だ。これはもう、ドラゴンズの優勝の望みはなくなったね。ここからひっくり返す力があるなら、7.5ゲーム差もつけられませんて。でも、結構健闘したんじゃない?ドラゴンズって「投手王国」なんてふれこみがありますが、実際はそんなことはない。川上がいるだけ。さらに、打線もなんてことのないメンツである。井端、福留、立浪、ウッズが少し有名なだけで、後はほとんど名前も顔も知られていない。有名だから活躍するのかといわれればそうではないが、それでもやはり、ドラゴンズには華がない。根っからのドラゴンズファンが言うのだから間違いない。そんな地味なこのチームが、2年連続で優勝争いを演じ、地元を大いに沸かせてくれた。某金満球団よりも格段に。ということで、ありがとう。そして、早いですが今年はお疲れ様でした。また来年も期待してますよ。
2005年09月16日
「つわり」最近、妙にグレープフルーツが食べたくなる。「妊娠中には無性に柑橘系のものが食べたくなるんだって」といううわさのようなことを考慮に入れるならば、もしかして、わたし妊娠しているのかしら。なんて勘繰ってしまう。体重も最近増えてきたし、おなかもちょっと目立つし、ひょっとしたら、ひょっとするかも。今から、生まれてくる子供の靴下でも編んで、どんな子供が生まれてくるか想像しておこうかしら。男の子かなぁ、女の子かなぁ。まあ、どちらでもいいわ。元気な子に生まれてくれさえすれば・・・あぁ、クラシック音楽が胎教にいいって言ってたわね。さっそく始めなくっちゃ。ということは「たまごクラブ」の出番だね。じゃあ、まずは本屋さんに行きましょう。というのは「病院に行け!」と罵倒されそうな妄想ですが、ひとつだけ真実があります。本当に最近グレープフルーツが私のフェイバリット・フルーツになりつつあるのです。今までならば、1年に10個も食べなかったものを、ここ1週間で、平均1日2個食べているんです。不健康な生活ばかりしていたから、体が信号を発しているのかもしれないね。「このままではヤバイっす」ってね。まあ、グレープフルーツ自体健康によさそうだし、朝に食べると、なぜか「プチセレブ」になった気がして、普通の[ご飯・味噌汁・納豆・玉子焼き]の朝食よりも、いい物を食べているようです。(実際は違うが)というわけで、これからも体が欲するままにグレープフルーツを食べ続ける所存でございます。体からグレープフルーツ臭が漂うかもしれませんが、あしからず。「大人の事情」大人ってずるい!そう思うことが日常茶飯事なのが中学生です。「あのぉ、ひとつ伺ってもいいですか?」「映画ブームってどうなったんですか?」「まさか、1週間で終わったとは言わせませんよ」「だって、あんなに見てましたよね」こんな言葉は受け付けません。「面会謝絶」です。これは「大人の事情」ってやつです。あまり詳細はいえませんが、私の中の映画ブームはすでに終了いたしました。納得できる説明なしにいきなり中断してしまう。これが「大人」ってやつです。これが「社会」ってやつです。理不尽に思うかもしれませんが、これが「大人の社会」なのです。皆さんも、こんな大人になってしまうのでしょうか。私みたいな。だって「突然映画が面白くなくなった」なんて言えませんよ。あんなに「映画ブーム到来!」なんて大々的に言っておいて。
2005年09月15日
最近、『現代用語の基礎知識2006』に掲載予定のキーワードが発表されました。だんだん新しい言葉が増えていくのが言語の常なのでしょうが、26歳のしがない男には分からないものが多いとです。参考サイト:はてなダイアリー『現代用語の基礎知識2006』掲載キーワード発表あなたはいくつの言葉を知ってますか?(参考サイトからのパクリ)オリキ 推しメン ヲタ芸 DD お菓子系 全ステ 大パ 「たん」 カトキ立ち ラッキースケベ 萌え属性 ツンデレ 萌え擬人化 無表情キャラ 脳内彼女 大きなお友達 珍走団 ゴスロリ サークルクラッシャー じゃじこ キグルミン ローリング族 ヲタヲタ モヒカン族 ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! 中二病 それが俺のジャスティス オンドゥル語 amazon病 リリアン編み ロリィタ 超脚本 盆栽 ○ー○ー○ー○ #N/A 10円パンチ エンドレスリピート ディラン効果 シンハー まつざきしげるいろ 洋ゲー オリッ鉄 大映ドラマ ささやき戦術 電柱 くちびる サザエさん症候群 スプーン曲げ 安藤さん ギシアン ヘソ天 テレ東規制 シュークリーム分 壁本 ゲーム脳脳 ジャイアニズム 白いイヤホン サヨク 電突 (笑) 地上波初登場 方向性の違い 改革Tシャツ 修羅い あざーす 広告屋 設定マニア ケミカル リリアン編み おあとがよろしいようで アヒル口 3秒ルール うる覚え 死亡フラグ 指詰め このあとすぐ 出来心 小泉タレント まあしかし シコい 寝言ポエム 節約 脱オタ 誰かさん 政権担当能力 ごみステーション 埴輪ルック イレブン屋 ママさんダンプ メロンパン ここは酷いインターネッツですね 悟り 降臨 チラシの裏 テラワロス qあwせdrftgyふじこlp DQN 2ちゃんねらー まとめサイト サイトバレ 制限事項 ネット世論 エゴサーチ ぬるぽ 中の人 なんかどうでもいい言葉ばかりな気もするが、言葉は社会を映す鏡であるという言葉があるように(私が作りました)、社会を読み解く上では必要不可欠な要素であるのでしょう。個人的にヒットしたのは、「○ー○ー○ー○」「中二病」「寝言ポエム」でしょう。クリックしていただければ解説が見れるのでどうぞ。また、この3つ以外のものの解説が見たいときは上記の参考サイトを見れば分かります。こういう言葉を自由自在に使えるようにならなければ、現代人としては失格なのでしょうね。ということで、これからはイマドキの言葉を使って、ヤングに受けるようなナウいページを作っていくように努力します。なんて言いつつ、本日はここでドロンします。ぬるぽ?
2005年09月14日
タイトルに深い意味はございませんが、私は職業柄、年端のいかぬ、また、言語能力がまだ完成していない人々(子供)と接する機会が多い(職業はヒミツ)。そんな子供たちの中の一人が、こんな答えをした。問題:「~ほど」を使って短文を作りなさい。解答:何かの話を聞いて(詳細は忘れました)、びっくりするほどおどろいた。「びっくりするほどおどろいた」?これは「涙が出るほど泣いた」と同じ。また、「頭痛が痛い」とも同じ仲間だ。笑ってはいけないと思いつつも、これには我慢ができなかった。Strike the iron while it is hot.を日本語に訳す問題で、「アイロンのストライクは熱い」(本人の弁ではストライクとはアイロンのどこかの部分らしい)と書いているのを発見したときと同じくらい面白かった。(正解は「鉄は熱いうちに打て」)そのほかにも、やはりこの職業に携わっていると、俗に言う「珍解答」に出くわすことが多い。しかし、職業柄この「珍解答」には笑ってはいけない。だって、書いている本人は本気なんだもん。でも、でもね。これは結構私にとっては面白い。「南海キャンディーズ」の漫才よりも数段面白い。ということで、皆さん、これからもどんどん「珍解答」をお願いします。
2005年09月13日
究極の選択です(懐かしいね)。あなただったら、「ウンコ味のカレー」と「カレー味のウンコ」どちらを食べますか?「どっちの料理ショー」見たいな2択ですが、今回の選挙は、この究極の選択と同じだ。はっきりいえば、どちらもイヤ。でも、どちらかを選べといわれるならば・・・そんな思いで投票している人が多いような気がする。今回の選挙で言えば、幾分ましな「ウンコ味のカレー」は自民党に当てはまる。そして正体がウンコである「カレー味のウンコ」は民主党であろう。公明党支持者は、カレーであれウンコであれ「おいしいぞ」と洗脳されている可能性が高いので、今回は考慮に入れないことにします。(共産党・社民党・新党日本・国民新党・新党大地は無視)言葉をおぼえたての子供のように「郵政民営化」しか言わない(言えない?)自民党、一方、いじめられた子供のようになりふりかまわず、どうでもいいことを主張する民主党。どっちを選べっちゅうねん!(関西弁)どちらに投票しても、どうせ日本は変わらない。そんな気さえする、今回の選挙。一応、選挙権を持つ人間としての責務を果たそうと、投票はしましたが、それもどちらかといえば「消去法」で選んだに過ぎません。積極的に「この人に投票したい」なんて思わせる人は存在しません。それは私が生活する「岐阜3区」もそうだし、日本全国見渡しても、またしかりである。今回の選挙は、自民党の圧勝で幕を閉じそうな情勢だが、次回はどうなることやら。まあ、そんなに興味もないけどね。
2005年09月11日
今日はお休みいたします。眠たいんだもん。
2005年09月10日
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嫌な予感は的中。 「クレヨンしんちゃん 映画 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」今日は軽い映画を見ようと私が選択したのがコレ。(なぜ?)「クレヨンしんちゃん」シリーズの中で傑作の呼び名が高いこの作品。全くもって失敗でした。確かに感動するツボはいろいろ押さえてあるとは思うけど、いかんせん、「クレヨンしんちゃん」だもの。26歳のいい大人が見るものではないね。一応、誰に強制されたわけでもなく1時間30分を費やしました。ちゃんと全部見ました。後悔しまくりです。ストーリーの話や感想などを書く気にもなれません。面白いことを書く気にもなれません。でもひとつだけ知りたいことが。この作品のどこら辺が面白いの?私はほかの作品を見ていないので判断できないが、単に「ほかの作品に比べて」傑作であるだけなのか。誰か教えて。もう寝ます。
2005年09月09日

勢いに乗って、2本目の韓国映画を見ました。 「猟奇的な彼女」ところで、韓国映画のキャストって奇怪な呪文みたいじゃない?クァク・ジェヨン シン・チョル パク・クォンソプ キム・ホシク キム・ソンボク キム・ヒョンソク チョン・ジヒョン チャ・テヒョンキム・インムン ソン・オクスク ハン・ジンヒ キム・イル ほら。誰かに呪いをかけてるみたい。でも唱えてる途中で舌をかみそうだけど。とはいえ、同じ監督・主演の映画を立て続けに見るのはどうかね。昔でいえば、山口百恵主演の「赤い~」シリーズを、連続で視聴しているようなものなのだろう(私の年代ではないが)。一見暴力的で、野蛮なように見える女性は、じつは心の奥は純粋で繊細なのである。2つの映画ともヒロインはこんな感じであり(役者は同じ)、それに付き合わされる、気の弱い男がセットになっている。きのう見た映画の感想でも述べたとおり、やはり韓国映画はストレートだ。微妙な変化をつけようという努力も随所に見られるが、ちょっとシュートがかかったストレートといった具合に、やはり本質はストレートであろう。正直2本連続で見ると、結構おなかいっぱいになってしまう。濃い味のキムチチゲを二晩連続で食べたみたい。ストレートなのは結構だが、たまには変化球も混ぜないと打者は打ち取れないよ。そんな助言をしたくなるほど、その勢いに参ってしまう。たまには薄味のお吸い物でも飲みたいな。そんな気持ちになってしまう。しかし、今回はたまたま食べ合わせが悪かっただけで、一つ一つの映画は、しっかりと鑑賞に堪えうるものであり、満足のいくものであった。韓国映画の底力を見た気がした。でも、明日は絶対日本映画を見よう。そう心に誓った夜であった。
2005年09月08日

ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばや出典:室生犀星「小景異情ーその二」なぜかこの詩が頭に浮かんだ。いやおうなしに望郷の念にかられてしまう。自分自身の昔の記憶を思い返すような。言い過ぎかもしれないが、母親のお腹の中にいるような。 「僕の彼女を紹介します」もはや「韓流」と呼ばれる一大ブームは終焉を迎えようとしている。私は生来の天邪鬼(アマノジャク:ひねくれもの)なので、世間のブームに乗ることをひどく嫌ってしまう。だから、韓流ブームが下火になった今、この映画に手を出した。なぜ韓国のドラマや映画がうけるのか。これは、私にとって大きな謎だった。韓国のものをあえて遠ざけていた私には、この謎を解く機会は存在しなかった。しかし、この映画を見てその謎を解く鍵が見つかったように思う。それは、冒頭でも挙げたような「望郷の念」である。この思いは、旅愁などとも言い換えることができるが、簡単に言ってしまえば「なんか懐かしい」という気持ちである。誤解しないでほしい。韓国の映画を見て「懐かしい」という感想を述べることは、「韓国は日本より少し文化の成熟が遅れている」ということを意味していない。「私たち日本が捨ててきたふるさと」という意味も込められてはいない。でも「懐かしい」という言葉を用いざるを得ない。これ以外に、的を射た表現が私には見つからない。では、なぜこのような感想を持つのだろう。思い浮かぶ要因は、「表現がストレートである」ことである。話のストーリーは単純明快である。それをアームレスリング世界チャンピォンのような腕力で、2時間ほどのドラマとして描ききって見せる。下手な小細工はせず、正面から描く。まさにガチンコ勝負といったところだ。それが韓国の文化の特徴なのかもしれないが、雰囲気を大事にして、物事の核となる部分を隠そうと精進する日本の文化とは、一味違う。ここに、日本の人は魅力を感じているのではないか。一方、日本と韓国の文化には共通点も多い。二国とも同じく文化の根本に「中国」「仏教」を持っている。この映画の中で出てくる「四十九日」という概念も、二国の人々が共通認識として持っているものであり、解説がなくても、理解することができる。この点は大きなアドバンテージとなる。「パッション」というキリストの受難を描いた映画がいつか公開されていたような気がするが、こんなの日本人が見て、その本質を理解することは到底できない気がする。「キリストの生涯」という1つのドラマとしてなら鑑賞可能だが、自分自身の宗教体験と照らし合わせて、「キリストの受難」を「自分自身の存在意義」と重ねて、映画が表現する「意味」を理解することは、日本人には不可能だ。その点、価値観が似ている(韓国には儒教という大きな精神的支柱があるが)韓国に、日本の人が親近感を持つのは不思議ではない。価値観が似ていてすんなり理解できるいっぽう、日本とは少し違った表現方法で、よりストレートに物語を構成している。これが、韓国のものが日本人に受けていた要因なのだろう。この視点から、今回の映画の感想を述べるならば、「気持ちのいいラブストーリー」だったといえる。「僕は、死んだら風になりたい」なんてセリフは、日本映画ではあまりお目(耳?)にかかれないし、このセリフを聞いたとたん、「あぁ、この男の人は死ぬんだ」とすぐ分かってしまう。(案の定、死んでしまう)そんな先の見える展開にもかかわらず、恋人の死というありきたりのテーマにもかかわらず、感動させてしまう豪腕。2時間を感じさせないテンポと構成。どの点においてもそつなく仕上がっている。多少、美的感覚が違うのか、登場人物の女性や、男性がそんなにかっこよく感じられないのはご愛嬌。それはそれで、ストーリーをより身近に感じられるのでよしとしましょう。これは日本の人々(おばさん中心)がはまってしまうのも仕方がないような気がする。だって、単純に「見ごたえがある」んだもん。きのう見た「NANA」なんかよりは、はるかにね。
2005年09月07日
やっぱ、オレって変ですよね。どこかがみんなと違ってるんですよね。一人で夜中に映画を見に行くのって変ですね。しかも、よりによって「NANA」を。周りはカップルだらけの映画館で。ひとり一番端で。さみしく。「NANA」この映画の評価は保留。評価をする前に、片付けておかないといけない問題がある。「原作モノ」の映画をどう評価するか、だ。「原作モノ」の特徴は、文字通り「原作がある」ということである。それが小説であれ、マンガであれ映画の製作の前提として、「その原作が結構人気がある」ことがある。(そうでないと、普通は映画化されない)その上で「原作モノ」を見るとき、鑑賞のポイントは「いかに原作を忠実に再現しているか」この1点に限られる。特に今回の「NANA」に関しては、原作のコミックがかなり人気があり、映画を鑑賞している人は、ほぼ100%コミックを読んだことがある人々だといっても過言ではないだろう。また、今回はマンガが原作の映画という点において、映画を鑑賞する人はすでに「画像」としてのイメージを明確に持っている。これは小説を原作とする映画とは大きく異なる点である。小説を原作とする場合、読者の持っているイメージは、読者個人にゆだねられている。筋肉質のハリー・ポッターであろうが、インテリめがねのハリー・ポッターであろうが、下半身むき出しのハリー・ポッターであろうが、それは読者の自由な想像に任せられている。だから、ダニエル・ラドクリフ演じるハリー・ポッターは、今では「ハリー・ポッター」の代名詞的存在になってはいるが、「私のハリーは違う!」と主張する人が大勢いてもおかしくはない。しかし、先ほども述べたように、今回私が鑑賞した「NANA」はマンガ原作である。鑑賞している人のほとんどは、マンガの「NANA」を知っている。「矢沢あい」が描く、キャラクターを知っている。さらにストーリーも知っている。そんな人々が、この映画で一番の関心を持つのは、やはり「原作を忠実に再現しているかどうか」ということである。つまり観客のほとんどが、「原作に忠実かどうか」をチェックする審査員のようになってしまう。実際、私は結構前に原作を読んだのでうろ覚えの箇所が多かったが、「ああ、こんな場面あったなぁ」「ここでこんなセリフを言ったなぁ」などと、原作と映画の共通点を探して再確認する作業に終始してしまった。これが「原作モノ」の楽しみだぎゃ(名古屋弁)。といってしまえばそれまでなのだが、私には、これは映画の楽しみを外れてしまっているような気がした。よって、原作を知っている私にとっては、この映画の評価を正しくすることはできないと思う。だって、映画の評価=原作の再現率になってしまうから。それを承知で評価をするなら、「非常に原作に忠実だった」というのが最適な評価だろう。私の持っているイメージと今回のキャストは結構合っていた。その点だけでも「原作を忠実に再現した」いい映画だったといえる。しかし、原作を知らないでこの映画を見たとき、はたして「いい映画だった」と感想をもてるかは、甚だ疑問である。最後に気になった点をひとつ。原作の再現率は結構高かったように思えるが、「本城蓮」役って、松田龍平でよかったの?かなり重要な役どころであったにもかかわらず、彼だけ原作とは違う雰囲気を持っていた。正直なところ、松田勇作の息子で独特な雰囲気を持つ彼には、鑑賞者のイメージを投影しがちな「原作モノ」は、合いません。だって、癖がありすぎるもん。顔にも雰囲気にも。結論。今回の映画の失敗は、松田龍平をキャスティングしたこと。あとの点はおおむね及第点か。(あくまで原作を知っている人にとっては・・・)
2005年09月06日
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どうやらまだ、映画熱は続きそうです。1日に1本は見ないと気が収まりそうにありません。多分、この1週間は毎日映画を見ちゃうんでしょう。どうしちゃったんでしょう、私は。 「下妻物語」なぜか、私は日本映画が好みなようです。映画のジャンル(恣意的ですが)を私の好みの順に並べると、日本映画>アニメ映画>ドキュメンタリー映画>香港映画>ハリウッド系>フランス映画みたいな順番になるのでしょう。まあ、これは暫定順位であり、これからの映画鑑賞でその順位は変動する可能性もあります。特にフランス映画については、大学生のときにかっこつけて見ようとした「勝手にしやがれ」で、開始30分で寝てしまったという嫌な思い出があるので、順位はかなり下です。面白いフランス映画に出会えばこの順位も変わるのかもしれないが、如何せんフランス映画には触手が伸びないのです。今では偏見なのですが「ゴダール(ヌーベルヴァーグ)」=「つまらない」という思考回路が、私の脳みそに組み込まれてしまっています。それに引き換え日本映画は安心できる。だって、感性が同じ民族が作っているんですもの。笑いのつぼや、泣きどころは、やはり文化に根ざしているものであります。「日本文化」という土壌で育った私たちには、「日本文化」を基礎に作られた映画がしっくりくるのは当たり前のように思います。なんか当たり前の話なのですが、これが、私が日本映画を好む理由の一番大きなものであるような気がします。「下妻物語」の話に戻りましょう。この映画は「ロリータファッション」に身を包んだ深田恭子と、「ヤンキーファッション」に身を包んだ土屋アンナが繰り広げる、おバカな友情物語です。漫画にすれば、1話読みきり漫画ほどの内容ですが、テンポもよく、コメディータッチで描かれているので、非常に見やすい映画だったように思います。映画の中では役柄上ヤンキーを演じていた土屋アンナという人が、実はとてもきれいな人だったのは驚きでした。そんなどうでもいいことしか発見できないほど、内容はどうでもいいものだった。でも、映画はストーリーがすべてではない。先日見た「カンフーハッスル」のように、1時間30分~2時間ほど、飽きさせずに見せることのほうが大切なんじゃないかな?その点においてはこの映画は時間を忘れるほど短く感じたし、脇役も結構そろえられていて(樹木希林・生瀬勝久・本田博太郎・荒川良々など)、演技自体も上手だったように思う。カンフー映画同様、映画館で見たら少し後悔しそうだが、家でDVDで見るのなら最適。
2005年09月05日
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中毒かな?3日間で5本の映画を見てしまった。この調子で行けば、この1年で200本ぐらいの映画を見てしまう。それはそれで困ったもんだ。とは言うものの、前から書いているとおり、私のブームは短いことが多いので、10月、遅くとも11月にはこのブームは無くなっているのだろう。まあ、風の吹くまま。 「カンフーハッスル」ジャッキー・チェンの「ダブルドラゴン(だったかな?)」以来見ていないカンフーものに挑戦。久しぶりにおバカな映画を見るのもいいもんだ。ストーリーは書きません。というか書けません。だって、そんなものたいした問題じゃないし。テンポのよさと、激しいアクションで観客をあきさせない映画なので、ストーリーはあまり関係ない気がする。勧善懲悪というか、お子ちゃまにでも分かりやすい構図。悪玉が善玉に改心する。実は隠れたカンフーの才能が。悪玉側についたカンフーの達人を主人公がやっつける。なんと分かりやすい構成なのか。いまどき「ドラえもん」でもこんな簡単な構成はない。これが世の中に受けている要因なのだろう。だって、何も考えなくてもいいもんな。インテリ映画に良くありがちな、「結末はあえて描きませんから、各々自分で考えてくださいませ」という姿勢はどこにもなく、「ということで、悪者は倒されたそうな」と、おばあちゃんの昔話を聞いているようで、実にすがすがしい。一種の清涼剤のような働きをしてくれる。また、暴力を描いた(ボクシング・ケンカなど)映画にありがちな、「見終わったら、微妙に自分が強くなっているような気がする」あの幻想も、一切感じられない。(特に男の子に見られる)なぜなら、「ありえない」から。でも、カンフーってホントウにいいものですね(淀川長治風に)。日ごろストレスがたまっている人にはおすすめ。 「少林サッカー」感想「ははは」これ以上ナシ。「キャプテン翼を実写化したらどうなるんだろう」みたいに、誰もが思いつきそうなことを、しっかり映画でやってくれるところが、香港映画のいいところ。もう、「カンフーハッスル」といい「少林サッカー」といい、娯楽映画の極地までイってるね。日本風の「甘さをおさえたお菓子です」みたいな娯楽映画よりも、「極限まで、とことん甘くしてみました」という主張が感じられて潔い。1800円払って鑑賞するのはどうかと思うが、DVDを借りて鑑賞するなら、いい暇つぶしになるね。そんな感想。
2005年09月04日
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映画を見ました。いちいち報告されなくても分かっているとは思いますが、私は現在「第3次映画ブーム」の真っ只中にいます。もう、映画が見たくてたまりません。日常のほかのどの行為よりも、映画を見ることを優先させたい気分です。それはまるで、中学生のとき好きだったあの子に、どんなときでも会いたいと思っていた気分のよう。なんて前置きはさておいて、今回見た映画を紹介します。 「スーパー・サイズ・ミー」社会悪としてのファーストフードを告発するために、監督自らマクドナルドのメニューだけで1ヶ月をすごすという、体当たりもはなはだしいドキュメンタリー映画。結論から言えば、ファーストフードばかり食べているとヤバイ。実際、彼は1ヶ月で11キロも太り、体調も悪くなった。これは、考えさせられる事態だ。彼の状況を見ていると、今後マクドナルドでは食事をしたくなくなる。それぐらいのインパクトがあった。1日3食をファーストフードに頼ることはしないが、結構不規則な食生活を送っている私は、本当に「このままではやばいのか?」「俺、死ぬのか?」などと、嫌な妄想ばかりが浮かんでしまうほどである。私に、生活を正すことの重要性を認識させたというだけでも、この映画は価値のあるものだったといえよう。マイケル・ムーアといい、アメリカの批判的なドキュメンタリー映画は見ごたえがある。映画を見て、何か現実の問題を考えさせられることは、われわれにとって重要なことであるように思う。テレビ(あるある大辞典・おもいっきりテレビ)とは違い、お金を払ってみている観客に、明確なメッセージを伝えようという意思が感じられる。でも、見ているだけで「おえっ!」と吐きそうになってしまうのはいただけない。テーマがテーマだけに、しょうがないけど。 「皇帝ペンギン」反則です。ペンギンを使うなんて。人間は小さくて、丸っこい生き物をかわいがってしまうという本能があるそうです。これは自分の子供をかわいいと思うように、遺伝子にプログラムされているところからきているようです。だから、人間は仔犬・仔猫が好きなのです。動物モノが好きなのです。ましてや、造形自体が奇跡というほどかわいらしい「ペンギン」を映画に使うのは、レッドカード3枚ぐらいの反則です。10試合ぐらい出場停止になるくらい反則です。審判に向かってボールを投げたガルベスくらいの反則です。極寒の南極大陸に住む皇帝ペンギンの1年をドキュメンタリーとして追った作品です。卵を温めるために、3ヶ月以上立ったままで何も食べない父親や、子供のために遥か彼方の海へえさをとりに行く母親の姿がありありと描かれています。ペンギンの自然のままの姿を淡々と撮っている作品なので、今までの「動物モノ」のように、わざとらしく泣かせる場面や、物語としての人工的なクライマックスはありません。しかし、自然の厳しさを知る一方で、命の大切さを知るといった、非常に教育的な映画に仕上がっているような気がします。一見の価値はアリ。(2回見るのはイヤ)疲れたのでカンフーハッスルの感想はのちほど。
2005年09月04日
映画中毒か?というぐらい映画を見ています。というわけで、また映画の紹介。「パッチギ」監督:井筒和幸内容を簡単に。舞台は1968年、全共闘がまだ頑張っているころの京都。暇をもてあましている普通の高校生が、朝鮮学校の生徒と喧嘩をしたり、恋をしたりといった内容(簡単すぎ?)。「歴史はひとつではない」この映画を見た感想を述べるなら、この言葉にかぎる。この映画の意図するところは、日本と朝鮮(韓国・北朝鮮)という、いまだに相容れない2国であっても、喧嘩や恋などを通じて分かり合うことができるということだろう。「イムジン川」という韓国と北朝鮮の統一を願って作られた曲をモチーフに、その構図に日本と朝鮮を重ねあわせ、2国間の和解を願って作られた映画であるような気がする。しかし現実はどうか。韓国では反日の曲がヒットし、反日感情を高めるような報道が毎日のようになされているらしい。一方、日本では「韓流」という名の下に盲目的に韓国ドラマを視聴し、馬鹿騒ぎを巻き起こしていたり、辛らつな韓国批判を述べた「嫌韓流」と題された漫画が、結構な数売れていたりする。いまだにその溝は深いままだ。この2国間(ここでは日本/韓国の話)にはあるものが欠けている。それは「交流」である。私はわけ合って韓国に研修旅行をしたことがある(詳細はまたいつか)。そこで気づいたのは、「韓国の人も普通ジャン(横浜弁)」「怖がらなくても普通に話せるな」ということであった。今考えればものすごく当たり前のことである。韓国人だって恋をするし、喧嘩もするし、おしゃべりもする。そしていろいろな考えをめぐらせている。これは、異論を挟む余地がない真理である。しかし多数の日本人はそうは思っていない。多くの韓国人もまた然りである。(これはひとえに両国のマスコミが原因であると思われるが、それは別の問題)お互いに歩み寄ろうとせず、イメージだけで相手の国を貶めようとする。お互いに「交流」することなく、「○○とはこういうものだ」との先入観に身をゆだね、それを根拠に相手を非難する。私は韓国や朝鮮、また日本を非難する人に聞いてみたい。「実際に会って話をしたことがあるの?」「実際に嫌な目にあったの?」と。答えは多分「No」である気がする。実際に交流したことがある人なら、そうそう相手を避難することはできない。だって、別に相手は悪い人ではないから。同じ人間なのだから。そんな両国の関係を真摯に捉えたのがこの「パッチギ」であるように思う。この両国の冷え切った関係を、触れ合わない両国の関係を改善してくれるのがこの映画だと思う。その意味では非常に「ためになる」映画であるということができる。最後に私からの提案なのだが、この映画を見るならひとつやっていただきたいことがある。映画を見る前でも後でもいいので「マンガ嫌韓流」を読んでほしい。二つの作品は、日韓(朝)関係をまったく違う角度から描いている。かたや「日本と韓国仲良くしよう」(あくまで私の感想)、そしてもうひとつは「韓国と日本は、やはり相容れない」という視点で描かれている。よく考えてほしい。「事実」はこの世にひとつしかないが、「歴史」は人間の数だけあることを。与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、しっかりと自分の中で咀嚼して、自分なりの「歴史観」を持つことを。「事実」をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかは、当人の判断に任せられている。しかし、何事にも裏と表がある。表だけを見て「これはいい」と判断したり、裏だけを見て「これはだめ」と判断するのは、早計過ぎる。当然のように歴史にも表と裏がある。どちらか一方では、歴史を語ることはできない。「こう考える人がいる」「反対に考える人もいる」その両方を理解して、「では、自分はどちらのスタンスを取るのか(真ん中もアリ)」ということを考えるのが、自分自身の歴史観を作り上げる王道であると私は信じている。歴史はひとつではない。☆追記☆なんか最後は歴史好きの校長先生の演説みたいになってしまいましたが、貧血で倒れませんでしたか?大丈夫?まあ、言いたいのは、いろいろな意見を見聞きして、自分なりの意見を醸成することが大切ですよということ。これは自分への戒めも含めて、ですが。
2005年09月03日
最近無性に映画が見たくなることが多い。暑さも和らいで(残暑は厳しいが)、秋の香りが漂うこのごろ、本能的に芸術を欲しているのかもしれません。「芸術の秋」とは、ただの宣伝文句でしかないと思っていたが、最近は身にしみて「秋は芸術の季節なのかな」と実感しているgauguinです。手始めに「リンダリンダリンダ」を見るところから始まった、私の今年の映画ブーム。いつまで続くか分かりませんが、鑑賞した映画にはちゃんとコメントをつけられたらいいなと思っています。コメントはフリーページの「おすすめ映画」にアップしておきますので、参考にしてくれたら幸いです。ということで、さっき見終わった映画を紹介。「ローレライ」潜水艦映画です。奇しくも、3日前に見た「リンダリンダリンダ」と出演者がかぶってました。その出演者の名前は「香椎由宇(カシイ ユウ)」エキゾチックな顔立ちと、モデル体型。いかにも「Max Factor」の化粧品のCMで見かけそう(予想)。ストーリーのほうは、正直「またか」と思わせるものだった。戦争モノ(日本がらみ)にありがちなんですが、「平和ってなんだ」「日本人としての誇り」「日本とは」という、使い古されたテーマを使っているのがいただけない。そんなテーマ、かわぐちかいじの漫画を読めば嫌っていうほど使われてるって。このようにテーマにはさほど興味を惹かれなかったが、「ローレライ」という魔女の名前がついた最新兵器をめぐる駆け引きは、多少見ごたえがあった。でも、今でもあんな兵器作れないよね。演技自体は、役所広司、妻夫木聡、柳葉敏郎などの1線級が上手に演じている。だからあまりストレスを感じずに鑑賞することができる。まあ、この作品の評を一言で言えば「月並み」の作品だったといえる。映画館で見るにはちょっと・・・評価:かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」「ジパング」を読んだほうがまし。 どこかの市民会館で500円ぐらいで見れるならいいけど。私は天邪鬼な性格であり、褒めるのが苦手なので、大体こんな感じのピーコみたいな辛口コメントになってしまうが、これは生まれつきのものなので、あまり気にしないでいただきたい。それでは、さらば。
2005年09月02日
本日二本目です。たまの休みの日ぐらい、頑張って更新しなきゃね。今日、前々から行こうと思っていた「ゴッホ展」に行ってきました。私はそんなに絵画に興味があるほうではないし、絵を見る眼力が備わっているわけではないので、今まで展覧会なんてものにはそんなに縁がなかった。しかし今回の「ゴッホ展」には特別興味を引かれた。理由を列挙するならば、1.とてつもなく著名な画家である。2.比較的近い名古屋で開催されている。3.これが一番大きな理由である気がするのだが、ゴッホは私のHNでもあるゴーギャン(gauguin)と親交があり、2ヶ月間であれ、一緒に住んだりもしていた。だから、個人的に好きな画家、ゴーギャンの友達に興味を持つのは自然な流れであろう。というわけで、愛知県美術館に行ってきました。見てきた率直な感想は「なんかすごそう」まず、私には絵を見る眼力がないんだなあと実感した。「絵を見る眼力」って何?と聞かれると、返答に困ってしまうのだが、私には絵の知識がほとんどないため、「青と黄色の補色による効果を狙った」「日本風に(ゴッホは浮世絵に凝っていた)奥行きを浅くしている」とか解説されても、「はぁ?」と聞き返したくなるぐらい、よく分からなかった。「まあ、見たときにあなたがどういう印象を受けるのかが大切だよ」よく言われることだが、「どう感じたか」なんてうまく言葉で表現できるわけがない。そんなことができるなら、何かの批評家にでもなってます。(私の中には「言葉にできない」=「意味がない」という思考が根付いています)しかし、そこは美の巨人。こんな私でも、何かしらの印象を与えてくれる。うまく言葉にできているかはわからないが、ここからは私なりの解説をしたいと思う。(お前の美術評なんて読むか!と思う方はこちらへ「超有名ブログ」)第1印象を言葉にするならば、彼の作品から、特に後半の作品からは「生きることへの渇望感」が感じられたとといえる。詳しい解説は省きますが、彼は晩年(1886~1890)、体調が思わしくない時期が続きます。それは精神の疾患によるものであり、発作がおきると数ヶ月絵がかけない状況が続きます。友人のゴーギャンと共同生活を始めたときも、意見が合わず、かんしゃく(発作)を起こして自分の耳たぶを切り取ってしまいます。今で言うと、「キレると何をするか分からない」危うい人物だったことが分かります。そのおかげで、自分の住処としていた「黄色い家」を追い出され、弟のところ、友人のところを転々としながら生活をします。さらに、彼の生涯で売れた絵はたった1枚という有様。そんな境遇に置かれた彼が唯一楽しみとして見出していたのが「絵を描くこと」だったのです。「絵を描くこと」唯一の楽しみであり、唯一の救いであり、彼にとっては「生きること」と同義であったのではないか。彼の晩年の絵画にはその「絵を描くことへの執着」いわば「生きることへの渇望感」が見て取れるような気がするのです。特に「印象派」という絵画の手法を学んでからの彼の作品には、「目で見たものより感じたことを」キャンバスに残そうとしているのがありありと感じられます。特に色使いに関していえば、印象派との出会いのあとは、明るい色(黄色やオレンジ色)を必ずといっていいほど絵の中に取り入れ、見ているものに「希望」「前進」など、ポジティブな印象を与えるものになっている。しかし、構成などにはガッチリとした安定感はなく、崩れてしまいそうな危うさも内包している。ここからは、完璧では存在できない人間というものが手に取るように分かる気がする。特にそれが顕著なのは「黄色い家」である。リンクをしておいたので、1回は見てほしいが、まず色使いがステキ。黄色を基調とした建造物と、青い空がいいコントラストになっており、建物の存在感をより際立たせている。そして、「黄色」という暖色を使うことによって、見ている人に「ポジティブな感情」を沸き起こさせている。しかし、じっくり見てみると(私がそう感じるだけかもしれないが)、構成全体が平行ではなく、少し構図が傾いているようにも見える。遠近法のせいなのかも知れないが、私は、この構成に少し違和感を感じてしまった。これがゴッホの魅力なのではないだろうか。技術に裏打ちされた上手な絵というわけではなく、文字通り「命を削って」自分のイメージを、絵としてキャンバスに焼き付けているところが感じられた。あの荒い筆遣いにもそれが如実に表れているような気がする。まさに、ゴッホの絵からは必死に絵を描く彼の姿が浮かんでくるようで、さらに、彼の感情の高ぶりも伝わってくるようですばらしい。一応私が今回の「ゴッホ展」で気に入った絵を下に挙げておきます。(有名どころが多いのは気にしないで)「モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット」「アルル近郊の花畑」「糸杉と星の見える道」「夜のカフェテラス」「花咲くマロニエの木」画像がちょっと暗くて、実際の色使いと異なって見えるが、すべて結構鮮やかな色使いがされていると思ってください。実際に見たい方は、自分で愛知県美術館まで行ってください。今回の経験で分かったのですが、絵画は実際見るのと、テレビ・ネットなどで見るのとではぜんぜん違います。絵の表面のでこぼこ具合なんかも見れたり、油絵の具のにおいなども感じられて、より絵画に親近感が沸くかもしれないので、皆さんも機会があればぜひどうぞ。以上、よくある批評になってしまったと反省しているgauguinでした。
2005年09月01日
終わりだ。もうだめかも。もう会えなくなるんだ。これ以上やっても無駄なのか?残された人たちはどうなってしまうんだろう。この世から消えてなくなるなんて、夢にも思わなかった。状態が改善されないまでも、現状維持でいけると思っていた。諸行無常、変わらないものなんてこの世には何もないことを知った。とうとう、この時が来てしまった。「パルコ岐阜店 閉店へ」先日の新岐阜百貨店の閉店決定以来のビッグニュースだ。お分かりにならない方も多いのかもしれないが、新岐阜百貨店と岐阜パルコは岐阜の象徴ともいうべき建造物である。名鉄新岐阜駅降りてすぐの交差点に店を構えるこの2店は、まさに岐阜の顔である。この2店がなくなってしまうとは、夢にも思わなかった。これでは岐阜は、顔のないのっぺらぼうのような街になってしまう危険性がある。申し訳程度の広さのロフトはあるが、あんなもの、あってもなくてもどうでもいい。やはり、岐阜の中心は新岐阜百貨店であり、岐阜パルコであった。「失ってみないと、その大切さは分からない」という、言い古された言葉を身にしみて実感してしまうのは私だけだろうか。数年前にも柳ヶ瀬にあった近鉄百貨店がなくなったし、柳ヶ瀬のアーケード街なんて、シャッター見本市見たく閉まっている店ばかりだ。お隣の愛知県は万博だ何やらでにぎわっているのに。岐阜よ、こんな調子でいいのか。50年後に「岐阜」はあるのか?50年後にお前は生きているのか?そんな嫌な予感が、頭を駆け巡る。どうか杞憂で終わりますように。おい、岐阜。しっかりしろよ!◆追記◆思わせぶりな冒頭部分、どうでした?今回はちょっと興味を持たせようとがんばってみました。成功?
2005年09月01日
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