全32件 (32件中 1-32件目)
1
京王電鉄 6000系(5ドア車):動物園線※本記事は、2011-11-26に投稿したもので、当時の表現になっています。通勤時間帯の乗り降りをスムーズにするため、各鉄道会社では多扉車を導入する傾向が強くなった時代がありました。京王電鉄においても、6000系で5ドア車を導入しています。しかし、実際にはあまり効果がないことが判り、早々に製造を打ち切ってしまいました。しばらくは共通で使われていたようですが、6000系の中でも早いうちに淘汰されてしまった感があります。最後に残った4両1編成は動物園線に封じ込めされたような感じで、動物のラッピングをした愉快な姿で余生を送っていました。※撮影は、平成22年6月21日です。外回りの帰り道で、特急への乗り継ぎ待ちにさっさと撮って帰途につきたかったのですが、これが本数が少なく、全然来てくれません。結局20分以上待たされました。そして、やっと来てくれました。ハイビームで進入。初めて逢う5扉車に緊張しちゃいました。全然京王って撮ったことが無いもんで、6000系5扉車もいつの間にか最後の1編成になってしまいました。4両編成で、殆どが橋上駅下に入ってしまい、暗くなります。そんなんで、こんなアングルしか撮れません。愉快な動物たちの絵が良いですね。動物園線専用であることが強調されています。最後に、5扉が良く判るように広角気味に撮ってみました。結果的に、これを最後に京王線で6000系を撮る機会はなくなり、同時に、最後に目撃した6000系となってしまいました。
2024.08.31
コメント(2)
「北斗星」用客車:オロハネ25500(JR東日本)オロハネ25500番台は、寝台特急「北斗星」運転開始に伴い製造された、上野口初の個室寝台を備えた車両です。※厳密にはオロネ24500が「ゆうづる」に先行使用されたので、1人用個室として初となります。5・6号を分担するために3両がオハネ25からの改造により誕生しており、デッキ寄りにA個室ロイヤルを2室配置、反対側にB寝台ソロを12室設備していました。平成21年11月26日 上野駅にて オロハネ25500JR北海道でも同じコンセプトでオロハネ25500番代を製作しましたが、JR東日本のソロ併設に対し、デュエット7室の併設として構成が違っていました。よって、このロイヤルの配置関係にある車両は東日本独自のものとなりました。平成27年4月18日登場時はオロハネが1両のみの連結となっていましたが、ロイヤルの人気からデュエットを併設したオロハネ24550番台が改造により誕生し、JR北海道編成と共通の編成スタイルとなっています。写真は臨時化された後の「北斗星」となりますが、1編成にオロハネ25ソロ、オロハネ24デュエットが各2両、計4両の豪華編成となって最後の活躍となりました。
2024.08.30
コメント(2)
「北斗星」用客車:オハ25500(JR東日本)オハ25は、「北斗星」用として運転開始当初から連結された全室ロビーの客車です。JR東日本の車両は501~504で、全てがオハネ25からの改造車となっています。JR北海道編成では、フリースペースの供出としてミニロビー付きのスハネ25で対応していましたが、「北斗星3・4」号の編成共通化のために全室ロビーとしたオハ25を改造によって誕生させました。こちらは550番代(551)の1両のみとなっており、内装はJR東日本と全く異なるものでした。ちなみに、ロビーカーとしてブルートレインに連結するようになったのは「はやぶさ」次いで「富士」が元祖であり、形式はオハ24700としてグレードアップ番号を使用していました。こちらは種車がオシ14とオハネ14となっているため、種車によってドアを備えるもの、備えないものと形態が大きく異なっていました。平成23年1月16日 回9501レ写真を撮った頃は既に「北斗星」が1往復化されてしまった後であり、JR東日本のロビーカーは全面撤退していました。しかし、1両は廃車とせずに残されており、写真のように訓練運転にも使用されることが多くありました。平成22年11月20日 尾久車両センターにて予備車は尾久セ構内に留置されており、公開時にはこのように形式写真を撮ることもできました。保留車ではなく予備車としての位置づけであり、災害等の大幅な遅れで上り列車の到着が遅れ整備が間に合わなくなった場合、これらの予備車を仕立てて営業に入ったことも何度かありました。この場合、編成はすべてJR東日本の車両となります。平成26年3月9日 尾久車両センターにて「北斗星」の定期が廃止となると、編成はすべてJR東日本で組成した1編成での往復に切り替わることになり、長らく休養していたオハ25の運用が復活することになります。ミニロビーの狭いスペースしかなかった時代からすれば、ファンにとっても「待ってました!」と言ったところでしょう。シャワー室を備えていることから、「北斗星」に乗った時には必ず利用した車両であり、思い出深い空間でもありました。
2024.08.29
コメント(0)
485系:東武鉄道直通特急「きぬがわ」以前にご紹介いたしました『485系:東武鉄道直通特急「日光」』と同じく、鬼怒川温泉を結ぶ乗り入れ特急として「きぬがわ」が運転されるようになりました。平成18年のこととなります。東武鉄道100系スペーシアを使用した「スペーシアきぬがわ」も同様に共通となります。平成19年5月4日 東武鉄道日光線 板倉東洋大前~柳生間にて 「きぬがわ4号」乗り入れ1周年記念のステッカーが貼ってありました。平成23年1月30日 「きぬがわ4号」「日光」に比べ、あまり写真を撮っていなかったです。大体は貨物列車撮影のついでが多かったので、時間帯が良くなかったかもしれません。ほかに2コマありましたが、同じ構図なので省略します。平成23年春のダイヤ改正後、同年4月16日に後進253系1000番台に置き換わる予定でしたが、東日本大震災の影響により、6月3日まで同編成が使用されました。189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」
2024.08.28
コメント(0)
EF641000番台牽引:寝台特急「北陸」昭和50年3月ダイヤ改正において、それまで寝台急行として運転されてきた急行「北陸2号」を特急列車に格上げし、20系寝台特急「北陸」として上野~金沢間の運転を開始しました。運転開始当初は、直流区間を長岡運転所のEF58が牽引していましたが、EF641000番代が誕生し、昭和56年10月頃よりこれを置き換えました。また、寝台客車についても、山陽~九州のブルトレ削減による余剰を受け、20系から14系寝台客車にグレードアップされています。なお、長岡~金沢間については、EF81牽引によるスルー運転を行っていました。平成19年6月17日 EF641052牽引デジカメ購入で地元での写真を25年振りくらいに再開した頃。撮影ポジションもデジカメの性能にも慣れず、非常に厳しいものでした。平成20年5月5日 EF641052牽引平成20年5月17日 EF641051牽引「北陸」の地元通過は5時過ぎ。急行「能登」の続行でした。余りにも早い時間のため、撮影できるのはGW直前くらいから8月いっぱいぐらいでしたかね。平成20年5月18日 EF641032牽引浦和駅高架化工事に伴う貨物線への迂回運転。ろくな写真が撮れなかった中で、ブレずに一番良く撮れたのがこの写真でした。平成20年6月14日 EF641031牽引平成20年7月12日 EF641052牽引駅前のタワーマンションは工事が始まったばかり。まだ基礎工事くらいでしょうか?平成21年4月19日 EF641053牽引平成21年5月3日 EF641052牽引平成21年5月23日 EF641051牽引珍しく地元ではなく赤羽~東十条で。平成21年6月7日 EF641053牽引早切りの構図悪写真。バックのマンションは建設中。平成21年7月20日 EF641051牽引平成21年8月16日 EF641031牽引平成22年2月14日 機番不明平成22年2月19日 機番不明ここ数年のダイヤ改正発表は、前年の12月初旬くらいに発表されることが多くなっていました。昼間の列車ならともかく、早朝着で夏場しか撮影のできないブルトレには酷な情報となります。当時はISO200が限界のコンデジだったため、今のように「なんとかここまで」というような写真は非常に厳しいものでした。最後の改正前2発の写真も、完全な真っ暗闇の中を見送るしかありませんでした。平成29年11月11日 EF6437 尾久車両センターにて平成30年5月26日 EF6437 大宮総合車両センターにて寝台特急「あけぼの」の牽引機が青森のEF81から長岡のEF64に移行された際、長岡には一般型の37号機・38号機が所属していましたが、「北陸」とのマッチングをキャッチすることは最後までありませんでした。
2024.08.27
コメント(0)
東海道新幹線:500系「のぞみ」(その1)もはや説明の必要は無いと思われる新幹線500系。誕生のときから知ってはいましたが、それほど新幹線に興味があったわけではなく、写真を撮りに行くようなことはありませんでした。しかし、車両の速達性を重視したために他の新幹線車両と使い勝手が違ってしまい、後進のN700に道を譲る形で「こだま」に格下げとなってしまいました。東海道新幹線から引退のアナウンスがあり、初めて500系の写真を撮りましたが、近くで初めて見る500系はあまりにもスタイリッシュで、完全にハマってしまいました。枚数がそこそこありますので、特に説明はなしで並べてみます。平成19年9月16日 田町駅にて 「のぞみ2号」回送平成19年9月16日 新横浜駅にて 「のぞみ10号」平成19年9月16日 新横浜駅にて 「のぞみ33号」平成19年9月16日 田町駅にて 「のぞみ14号」平成19年9月16日 田町駅にて 「のぞみ41号」平成19年11月16日 東京駅にて 「のぞみ33号」W1、W2編成には、すれ違い試験時に取付けられたセンサーの窓が開いているのが特徴です。平成20年3月29日 東京駅にて
2024.08.26
コメント(0)
東京メトロ 銀座線:01系(渋谷駅移設前)東京メトロ銀座線用01系は、昭和59年から運行が開始されました。平成29年3月10日をもって、銀座線での営業運転を終えることになりました。東京メトロの中では既に05系や06系に廃車が出ており、これに次ぐ短命となりましたが、どうも老朽化というよりは、ホームドアの設置や信号装置、昇圧などの関係があって置き換えが急がれたようです。銀座線は地上区間が少ないため、殆ど写真を撮っていませんでした。そんな中、現場回りと東急東横線の地下化前に渋谷駅に撮影に行ったことがあり、ほんの少しだけですが記録が残りました。平成22年6月11日 渋谷駅付近にて以前は東横店の中にホームがありましたが、再開発によりロータリー上に移設されました。以下、平成23年11月13日、東横店東館屋上から。01-10601-10901-11501-12301-13301-135足場が限定的なので、あまり変化が付けられませんでしたが、こんなとことから写真を撮れるなんてことは、lineさんから聞くまでは全く知りませんでした。この部分にホームが移設され、電車を見ることさえできなくなってしまいました。激狭だったホームも広くなり、行き来にも余裕ができましたね。永らく続いた風景も、過去のものとなってしまいました。
2024.08.25
コメント(0)
名古屋鉄道 1700系+2330系:2334F1000系と対をなす1200系が普通車として連結された編成で、それまで撮影した時はパノラマカー側ばかりしか撮影していなかったため、1200系側は佐久間レールパークに訪問した帰り、1回だけしか撮影していませんでした。平成21年8月22日 飯田線 下地~豊橋間にて 2334F一見すると1000系+1200系の編成に見えますが、拡大してナンバーを確認したところ、岐阜方の車両が「1532」と読み取れました。調べたところ、7000系・7500系パノラマカーを淘汰するに当たり、7500系の機器を流用して誕生した1030系+1230系による編成であることが分かりました。1000系編成では4M2Tであるのに対し、1030系ではオールM車となっているのが特徴です。改造による1030系+1230系編成は4編成が誕生しましたが、1134Fの事故廃車及び平成27年からの廃車で既に廃形式となっています。この写真の1132Fも平成28年7月20日付けで廃車となってしまったそうです。
2024.08.24
コメント(0)
205系量産先行車:京葉線京葉線は、103系や201系の配置を経て、205系の新製配置もされるなど、E電線区としては比較的に型式混在の多い路線です。205系に関しては、後期車となる前面デザインのことなる車両が導入となりますが、これ以外に山手線のE231系500番代化で余剰となった205系の量産先行車が4編成とも終結することになります。4編成が出揃ったのは平成17年でしょうか。しかし、首都圏における新顔のE233の登場により、その活躍も僅かの期間で終わってしまうことになります。平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて ケヨ24編成平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて ケヨ26編成平成19年10月28日 新木場~潮見間にて 平成20年5月3日 潮見駅 ケヨ24編成平成20年10月26日 新木場~潮見間にて平成21年10月24日 潮見駅 ケヨ24編成平成21年10月24日 潮見駅にて ケヨ26編成平成22年7月17日 市川塩浜駅にて ケヨ25編成2段昇降式の窓が特徴の205系量産先行車。山手線時代に1枚しか撮っていなかったこともあり、京葉線では悔いを残さないように出来るだけ多く撮っておくことを心掛けました。しかし、以外にも終止符が打たれるのが早く、その活躍はあまりにも短かったように思います。
2024.08.23
コメント(0)
117系:快速「佐久間レールパーク号」平成21年、佐久間レールパークが18年間の歴史に幕を閉じることとなりました。これに合わせ、閉館までの期間の土日祝日及びシーズンに117系を使用した臨時快速「佐久間レールパーク号」が運転されました。わたしもたった1日だけではありますが、佐久間レールパークを訪れ、帰路に快速「佐久間レールパーク号」に乗車いたしました。※撮影は、全て平成21年8月22日です。中部天竜留置線にて クハ116-209中部天竜留置線にて クハ117-30中部天竜駅にて クハ116-209中部天竜駅にて クハ117-30ヘッドマーク東海HPによると、デザインは公募だったらしいですね。また、期間ごとに種類が用意されていたようです。車内の様子関東在住の者にとって、滅多に乗ることができない117系。車内の様子も撮っておきました・・・テツばっかりです・・・。豊川駅にて クハ117-30豊川駅にて 119系との並び私が乗ったのは3号車の指定席。期待した乗車記念券が貰えるのは往路だけなんですって。なるほど、帰ってきてから東海HPを見たら、そう書いてあった・・・ちなみに往路は東京初発となる「こだま」に乗っても間に合わないんですよね。しかし、117系は揺れます。往路の373系特急車両と比較してはいけないのかも知れないですが、格段に乗り心地が違います。「佐久間レールパーク号」は、豊川に着くと5分も停車します。ここから複線区間なので、特に停車する必要もないと思うのですが・・・途中から線路を共用する名鉄との関係でしょうか?その間に、豊川駅で記念写真。豊川駅にて「佐久間レールパーク号」の回送の写真を東海道線で撮ろうということになり、豊川駅から後続の119系単行に乗り換えます。そんなことで、発車後部も撮っておきました。この日の編成は、豊橋方3両が1次車で、中部天竜方が2次車(100番代)のガチャ編成でした。下地駅にて名鉄との併用区間である下地駅で下車。豊橋で折り返してくる回送を狙います。往路は名古屋発なのに、なんで返しは豊橋止まりなんでしょうね?撮影場所探しで移動している時間はないと推測し、駅撮りとしました。カブられずにとることができました。その後も同館の最終閉館まで運転され続け、最後の頃には復刻塗装の117系も使用されました。
2024.08.22
コメント(0)
キハ58系新潟色:団体列車(上越線)国鉄時代、非電化区間ばかりか電化区間においても活躍した急行形気動車、キハ58系。急行形気動車の集大成のような存在でしたが、急行列車と言うカテゴリですら消滅してしまうとは思いませんでした。急行列車の衰退と共に、普通列車へとその用途を変えていった晩年、電化の特性によらずどこでも走ることが出来る車両として、団体列車や臨時列車にも重用されたキハ58系。本来は気動車が走る必要性のない上越線で、1度だけその姿をキャッチしたことがありました。平成5年8月22日 水上~上牧間にてEF55の写真を撮るために構えていたところに、背後からやって来たキハ58系団体列車。ノーマークだったので三脚に据えた中判カメラは向きを変えることができず、後追いで撮影したものです。先頭の方の側面が見えませんが、確かオール新潟色だったと記憶しています。当時は老朽化したキハ20系や30系が淘汰され、急行列車の廃止で余剰となったキハ58系が普通列車用として非電化区間で活躍していました。しかし、上越線の枝線では非電化区間が存在しないため、このような形で入線してくることは、当時としてもあまり見ることが無かったと思います。
2024.08.21
コメント(0)
165系:臨時快速「軽井沢リレー」もう直ぐ廃止となる碓氷峠の列車たちを写そうと、なにかと言えばついでに通った頃です。165系は既に定期運用からほとんど離脱しており、首都圏ではこの波動用の新前橋区に所属するいわゆるモントレー色に塗られた車両くらいしか残っていなかったように記憶しています。もしかしたら、三鷹区辺りにも少量が居たかもしれません。平成9年8月20日 横川~軽井沢間にて 臨時快速「軽井沢リレー」今でこそこのモントレー色も鮮やかでキレイな色だな・・・と思えるのですが、当時は「なんてことしやがる!」くらいしか思っていませんでしたし、白熱灯からシールドビーム化、さらにはステンレス仮面へと化けてしまい、とても写真に撮ってやりたい車両ではなかったんですね。だから、修学旅行臨「かながわ」や各種快速列車に使用されていた頃、これ以外の列車は全く撮ったことがありませんでした。碓氷峠廃止が告知され、夏休みにこのモントレー色の臨時が走るということで、それだけのために行ったようです。この写真では、勾配がキツ過ぎて後部が見えず、肝心のEF63は写せませんでした。こちらは後部を別のカメラで撮影したものです。最後部はEF634が後押ししています。碓氷峠を行くEF63の風景はもちろん貴重な姿になってしまいましたが、この写真で取り上げたのはあくまでも165系モントレー色です。当時はそれなりに臨時運用がありましたが、やはりこうした塗色変更車に拒絶反応を起こしていた頃でしたので、私的にはそう言った意味でモントレー色の貴重な画像となっています。
2024.08.20
コメント(0)
203系:常磐緩行線国鉄203系は、昭和57年度より常磐緩行線に使用されていた103系1000番代を置き換えるために導入された、営団地下鉄千代田線乗り入れ用の車両です。後進のE233系2000番代への置換えが平成21年度から始まり、平成23年9月26日をもってすべてが撤退しました。殆どは廃車となってしまいましたが、一部の車両はインドネシアに譲渡され使用されています。アーカイブしたつもりがすっかり忘れていたようなので、ここでまとめをしておきたいと思います。平成19年7月30日 新松戸駅にて マト51編成初めて撮った203系はトップナンバー編成でした。それまでまるで興味が無かったので撮影をしたことはありませんでしたが、新車の登場に伴い、やっと危機感が出てきたようです。平成19年7月30日 我孫子駅にて マト66編成60番台の編成は203系100番代です。外観ではあまり差がありませんが、台車がボルスタレスに変更されています。平成20年1月5日 我孫子駅にて マト58編成平成20年1月6日 金町駅にて マト51編成平成20年4月12日 金町駅にて クハ202-1 ナンバートップナンバー編成では側面形式表示がプレートとなっており、数字の色も緑色になっていることを知り、初めて記録することができました。マト52編成以降は黒字で車体に直接表記されています。平成20年9月22日 新松戸駅にて マト52編成平成20年9月22日 亀有駅にて マト64編成平成20年9月22日 亀有駅にて マト51編成平成20年11月22日 亀有駅にて マト52編成平成21年12月5日 松戸~金町間にて マト52編成こうして並べてみても、やはりついで撮影感が強く、あまり良い感じに撮れていませんでしたね。経年も浅いため、稀少感もなく、まったく撮影する気が起きない車両でした。しかし、この車両は国鉄時代に誕生し、導入当初はJNRマークが表示されており、その姿を捉えていなかったのは今となっては残念に思います。207系900番台:常磐緩行線
2024.08.19
コメント(0)
キハ58 秋田支社色:奥羽本線 普通列車JRになって、各地の普通列車は旧国鉄車を引き継ぎながらも、地域ごとに特徴のある塗装が施されるようになりました。そんな中、独身時代のほぼ最後の頃に撮影に出た際、あまり撮ることの無かった普通列車を撮った写真です。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて撮った時は良く知らなかったのですが、右側は秋田支社色と呼ばれるらしいですね。当時としても原色以外は邪道視していましたから、原色側を中心にとっているわけですが、今となってはキハ58自体が全廃になってしまったわけで、きちんと撮っていなかったのは非常に残念なことです。国鉄末期、「塗装合理化」称してタラコ色が全国に増殖し、グリーン帯まで消してしまいました。新色登場当時は、「民営化されて借金がチャラになったわけじゃないんだから・・・」と、元国鉄職員の私は憤慨していました。
2024.08.18
コメント(0)
EF651000番台牽引:12系お座敷客車「オク座」過去ログでいくつかご紹介していますが、尾久客車区に所属していた12系お座敷客車で、通称オク座の写真です。昭和62年12月29日 東鷲宮~栗橋間にて既に民営化を迎えた最初の年末年始。この時期にお座敷列車が団体で設定されるのは珍しいのですが、これも東北新幹線が開業したことにより線路容量に余力が出てきたために可能になったものと思われます。オク座は12系登場当初に愛称を持っていませんでしたが、いつの間にか「なごやか」という愛称が付くようになっていました。また、外観は地味な12系客車の標準塗装でしたが、晩年には写真のように斜めのラインが片側に2本ずつ入るようになっています。この辺りは185系による斬新なデザインの定着が影響していると思われます。牽引機はEF65PFの初期車ですが、ナンバーが反射してしまって残念ながら判別が出来ません。蕨駅発 12系お座敷列車:「蕨市民号」EF651049牽引 12系オク座:団体列車「与野市民号」ED78牽引:12系お座敷客車「オク座」
2024.08.17
コメント(0)
185系OM車:特急「あかぎ」(その2)前回の(その1)に続き、185系OM車のスカート交換後からチョイスしてみます。平成22年10月16日 「あかぎ4号」平成22年10月17日 「あかぎ6号」平成22年12月25日 「あかぎ4号」平成23年1月9日 「あかぎ4号」平成22年7月頃?から徐々にスカートがゴツイものに変更され、ちょっと厳つい表情になりました。この頃はまだ14両編成が主流でした。平成23年3月6日 迂回「あかぎ4号」浦和駅の高架化工事により、OM車14連が貨物線を走ることが時としてありました。通常ではこのような設定は無く、極めて異例と言えます。平成24年4月8日 「あかぎ4号」平成24年4月29日 「あかぎ4号」平成24年6月2日 「あかぎ6号」平成25年3月24日 「あかぎ6号」平成25年12月8日 「あかぎ4号」平成24年3月のダイヤ改正において、特急「水上」が廃止となり、これに合わせて1往復を除いて7両の短編成化が実施されてしまいました。平成24年6月15日 「あかぎ4号」平日朝上りの「あかぎ4号」は14連のまま存置しています。しかし、折り返しとなる「草津1号」が7両編成となるため、「あかぎ」14連の入庫回送、7連「草津」の送り込み回送をそれぞれ続行するという、大変非効率な運用が組まれました。※休日は「あかぎ4号」が7連となるため、折り返し「草津1号」にそのまま充当され、回送列車は設定されません。平成25年3月のダイヤ改正において、田町車両センターの廃止によって異動してきた185系も加わり、非常に変化に富んだ「あかぎ」が見られるようになりました。これについては別途アーカイブいたします。
2024.08.16
コメント(0)
Fw:三つの名前を持つバス停本記事は → 三つの名前を持つバス停
2024.08.15
コメント(0)
郵便・荷物合造車:クモユニ143身延色(長岡運転所時代)国鉄型新性能電車で初めて1M方式の電動車が誕生したのは昭和42年と意外に古く、しかしその車両はクモユ141で郵政省が所有する私有電車でした。それから遅れるな戦前型旧型電車と淘汰が最終期を迎え、それまでの輸送力を吊掛車に頼っていた飯田線や身延線にも新性能の荷物車を導入する必要に迫られましたが、143系では荷物車も郵便車も専用の仕様となっていたため、2両連結では明らかに過剰な輸送力であり、さらに有効長の短いローカル線への導入は考えられなかったことと思われます。そこで、いずれも1M方式の郵便・荷物合造車が新形式で誕生することとなり、飯田線にはクモユニ147、身延線にはクモユニ143が導入されました。飯田線のクモユニ147は車体は新造としながらも足回りには101系の機器を流用したのに対し、身延線のクモユニ143は完全な新製車となっています。それまでのクモユ・クモユニの新製車は湘南色のみとなっていましたが、身延線に導入されたクモユニ143は、同じく新性能化された115系(2600番台含む)と同じく専用の身延カラー(ワインレッド)という初めてのカラーリングで異彩を放っていました。昭和61年10月頃 クモニ143+クモユニ143身延色 上越線荷物電車新性能化で活躍を始めたばかりのクモユニ143でしたが、身延線における郵便荷物輸送が廃止となり、わずか4年弱のうちにあっさりと身延線から撤退することになります。しかし、車齢が浅かったクモユニ143は4両とも長岡運転所に転属し、高崎線・上越線の荷物列車に使用されることになりました。4両のうちの3両は早速湘南色に塗り替えられてしまったようですが、1両だけ身延線カラーが存続し、1回だけですが地元でキャッチすることが出来ました。少しブレてしまっていますが、ナンバーはクモユニ143-1と読み取ることができます。その後も狙おうと思ったのですが、わずか1か月ほどで郵便輸送・荷物輸送のいずれもが全国的に廃止となってしまい、地元で見ることは無くなってしまいました。わずか1年でお役御免となった長岡のクモユニ143ですが、荷物輸送の全廃後も残った房総地区の新聞輸送に活用されることになります。しばらくはその姿は見られたようですが、平成8年のダイヤ改正で運用の合理化が図られることになり、クモユニ143は長野・小山・東京総合などに散っていきました。写真のクモユニ143-1は長野において活躍を続けていたのは喜ばしい限りです。惜しむらくは、私が最後に訪れた身延線では115系に置き換えが進んでいながらもクモハユニ44が活躍を続けており、誕生直後の姿を捉えられなかったことでしょうか。国鉄 荷物電車:クモニ83国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74(スカ色)国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74115系:身延線 ワインレッド色
2024.08.15
コメント(0)
キハ40系・キハ56系:札沼線(石狩川橋梁)札沼線は、札幌から函館本線の滝川に程近い新十津川を結ぶ路線です。正式には、函館本線の分岐点である「桑園」が始点になり、その昔、留萌本線の「石狩沼田」に接していましたが、新十津川~石狩沼田間は廃止となり、バスに切替えとなりました。「札沼線」の名前も「札幌」「沼田」の頭文字に由来するものです。比較的に距離の長いローカル線でしたが、札幌近郊区間として大学誘致や開発が進み、民営化後には新駅の設置、高架化、複線化、電化と、目まぐるしく発展しました。一方、北海道医療大学駅以北については開発から外れ、旧態然のままのローカル線として細々と営業されており、令和元年5月ゴールデンウィークを最後にとうとう廃止されてしまいました。北海道には11回も渡道していますが、札沼線に関しては1度も乗車したことがありません。しかし、北海道へクルマを持って渡道したことが2度あり、そのうち1度だけ札沼線の写真を撮ったことがありました。※平成2年9月6日 札沼線 釜谷臼~石狩太美間にて。北海道で一番長い橋梁として有名な石狩川橋梁です。ローカル然とした壮大な橋梁で、北海道の雄大な雰囲気が良いですね。石狩川橋梁は、平成13年に新橋梁に切替となり、全区間がトラス橋になってしまったようです。将来的な電化を見据えた工事であったようで、トラスも架線を設置する前提で背の高い構造になっているように見えます。そして、実際に電化されて、新型の電車が走るようになったのも周知のとおりです。民営化間もないこの頃は、未だキハ141系なども誕生しておりらず、急行形のキハ56系やキハ40系といった国鉄型の気動車ばかりでした。平成5年の渡道を最後に北海道へは行っていないため、沿線の発展振りは想像も付きませんが、30年の間にこの雄大な風景も別の風景になってしまったようです。
2024.08.14
コメント(0)
福島交通飯坂線:モハ53191度だけ訪れたことのある「福島交通」です。以前から「福島交通」には興味を持っていたのですが、行き先が飯坂温泉という貧乏鉄には縁遠い(宿泊料金が高い)ところでもあり、まず近寄ることのない路線でした。東北新幹線の開業を目前に控え、特急「やまびこ」の最期の走りを撮影に行ったとき、当時国鉄に就職して給料をもらうようにもなっていたので、1泊だけ泊まることになりました。そして、やっと同線に乗ることが実現したのでした。撮影が終わった時間も夕方ですし、翌朝の出発も早かったので、同線をゆっくり撮影するようなことはできませんでしたし、路線延長も短く、ロケーションもあまり感動できるところはなかったので、結局福島駅で撮ったこの1枚だけになってしまいました。昭和60年6月21日 福島交通 福島駅にて 折返し待機中のモハ5319車輌は、日本車輌製の標準型電車のモハ5319です。同僚の5318と手を組み、2両編成で往復していました。現在ではこのような私鉄車輌に興味を持っているのですが、当時は国鉄型車輌しか興味を持っていなくて、あまり積極的にローカル私鉄の写真を撮ったりとか、乗ったりとかしていませんでした。そういった意味では、たった1枚の写真ですが、私の活動記録としては貴重なものになっています。その後調査して判ったのですが、東急7000系に変わった後、栗原電鉄(→くりはら田園鉄道)に移籍したらしいですね。その後非電化路線に切り替わり、路線そのものも廃止されてしまいましたが・・・。
2024.08.13
コメント(0)
485系リゾートエクスプレスゆう:臨時快速「お座敷ゆう富士山」平成30年9月5日、水戸支社のジョイフルトレインである485系リゾートエクスプレスゆうが廃車のため長野送りになったそうです。特にさよなら運転等の企画もなく、あまりにも突然だったので驚きました。リゾートエクスプレスゆうのまとめは次の回にするとして、臨時列車としてまとめていなかったものがありますので、ここにご紹介したいと思います。平成24年8月12日 9426M 485系ゆう 快速「お座敷ゆう富士山」他の列車を撮りに行った際、周りのテツが引き上げないので何かが来るのかと待っていたら、この列車が来ました。全くノーマークでしたし、地元では撮りづらい車両だけに非常にラッキーでした。この列車にあまり注目をしたことがありませんでしたが、もしかしたらこの時だけの設定で、恒例にはならなかったのではないかと思います。常磐線から河口湖までの設定だと思いますが、富士急線内は訓練無しでも運転できたのでしょうか?
2024.08.12
コメント(0)
185系OM車:特急「あかぎ」(その1)昭和57年11月、上越新幹線の大宮暫定開業に合わせ、それまで急行列車として運転されていた「あかぎ」が特急列車に格上げされます。登場時から185系を使用しており、誕生から既に30年が経過しましたが、車両がリニューアル改造された以外には、あまり変化が見られません。そんな特急「あかぎ」ですが、平成25年3月のダイヤ改正において、常磐線「スーパーひたち」で使用していた651系が使われることになりました。今回は、この30年続いた185系を総括する意味でアーカイブしておきたいと思います。まずは(その1)として、185系OM車のスカート交換前の画像を集めてみました。平成20年1月14日 「あかぎ4号」平成21年1月12日 「あかぎ4号」平成21年1月17日 「あかぎ4号」平成21年5月3日 「あかぎ6号」平成22年2月6日 「あかぎ4号」新宿発着の「あかぎ」以外は、14連という長い編成であったことが特徴でしょうか?今ではちょっと凛々しくなった顔も、オリジナルの形態は大人しめ、柔らかい感じがします。(その2)に続きます。
2024.08.11
コメント(0)
EF80牽引:寝台特急「ゆうづる」寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。昭和51年 大宮駅にて50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。オマケ画像平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。保存されるものと思いきや、この36号機もあっけなく解体されてしまいました。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 3064-1 EF80 1次形KATO Nゲージ EF80 一次形 鉄道模型 3064-198845 国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》98846 国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)増結セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2024.08.10
コメント(0)
キハ391:ガスタービン動車キハ391系は、昭和47年に国鉄大宮工場で製造された車両で、川越線内での試運転の後、陰陽連絡の重点路線である伯備線や山陰本線で試験運転が行われました。気動車と言えばディーゼルがメジャーですが、その歴史を辿ると、最初は蒸気機関を搭載した蒸気動車、ガソリンエンジンを搭載したガソリン動車がありました。その後、燃費やトルク、大型・大出力化などの利点からディーゼル動車が普及していきました。ガスタービンは、燃料の反応熱等で生成された高温のガスでタービンを回し運動エネルギーを得る内燃機関のことで、ジェット機やヘリコプターに使われている原動機です。平成5年11月28日 国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)にて車体を見ると、当時製造中だったキハ181と酷似したお顔、これまた当時開発された振子車同様に背の低い車体、そして、当時の国鉄では導入を見送っていた連接式の台車など、非常に特徴があります。ガスタービンは、専用の中間車のみに搭載され、両端のキハは付随車となっています。ただし、連接構造で片側を動力車としているため、「キクハ」ではなく「キハ」とされています。非電化の幹線における特急列車のスピードアップを目指して開発されましたが、ちょうどオイルショックに掛かって燃料費が高騰してしまったこと、燃費の悪さ、騒音対策の問題が顕著となり、計画が頓挫してしまいました。この写真を撮影したときは、非常にキレイな状態で整備されており、中を見学できるようにしてありました。この時は今の嫁と一緒に訪問しており、もちろん2人で車内見学もして参りました。言わば失敗作となってしまったキハ391ですが、可能性を追求した国鉄研究陣の魂のような車両でもあり、製造された大宮工場で永らく保存されていました。しかし、「ふれあいまつり」で同所を訪れた時、非常に悲惨な姿で所の片隅に留置されており、その後の保存方法なども決まっていないと言うことで、解体も心配されました。平成28年5月26日 大宮総合車両センターにて同センターで保存されていた貴重な車両たちも年を追うごとに静かに解体され、現在では殆どが消滅してしまったようです。その中で、このキハ391も解体されてしまいましたが、先頭車の一部だけは保存されたのがせめてもの救いとなっています。現在の高速振子気動車の礎になったのかどうか良く分かりませんが、可能性に挑んだ国鉄魂を後世に伝えていくためにも、大切に保存していただくことを切望いたします。
2024.08.09
コメント(0)
富山地方鉄道:10020形 第3編成富山駅には、富山港線に73系が走っていた時代、2回ほど訪問したことがあります。乗り換えの利用を含めると3回ですか。昭和~平成の初めの時代です。富山地方鉄道の電鉄富山駅が併設されており、現在は北陸新幹線の開業準備と合わせて改良がおこなわれ、私が最後に訪れた平成3年とはかなり変貌してしまいました。残念ながら、私は富山地方鉄道を未だに利用したことがないのですが、国鉄時代に1枚だけ富山地方鉄道の電車を撮った写真がありました。昭和57年8月8日 富山地方鉄道 電鉄富山駅 モハ10026富山駅の1番線から撮った写真と思われます。駅名JRと異なりますが、改札口が別だから「電鉄富山」となっているのでしょうかね。瓦屋根のホームも、ホームにある看板の書体も、バックに写るHITACHIのマークも、昭和中期の風情があります。手前は貨物取扱ホームですかね?枕木を利用したホーム壁は朽ち果て、土盛りしたホームもぼこぼこで手入れされておらず、これもまた風情です。富山地鉄の電車ですが、10026という表示が見えます。10020形は昭和36年に登場した日車標準型の2ドアクロスシート車。富山地鉄では第3編成までが誕生しましたが、第1編成は平成17年、第2編成平成18年に既に除籍となり、この第3編成だけがその後も使用されていました。モハ10026は昭和39年に増備された車両で、この編成だけ令和3年9月まで生き残っていました。なお、同編成は平成5年までに冷房化されたようですが、写真では御覧のとおり非冷房。平成27年1月25日 稲荷町にて 10025「トワイライトエクスプレス」の最後を撮りに行った際、現地の方のガイドで連れて行ってもらった場所に稲荷町車庫がありました。ここで偶然にも最後に残っていた10026の相棒である10025を撮ることができました。冷房化後の姿で、昭和時代のみすぼらしさからは逞しさを感じることができます。近くを通りながらあまり縁の無かった富山地方鉄道で、偶然にも同じ編成に遭遇することができました。
2024.08.08
コメント(0)
485系K1:団体列車「長岡花火大会①夜行臨時列車」※本記事は、2014-08-04に投稿したもので、当時の表現になっています。485系T18:団体列車「柏崎海の大花火大会夜行臨時列車」に続き、同じく新潟地区の花火臨として、「長岡花火大会①夜行臨時列車」が運転されました。今回はK1編成となり、柏崎臨は「あけぼの」のスジに近かったもの、臨時「あけぼの」が運転されるために、やや時間を落としてのダイヤとなりました。長岡花火大会①夜行臨時列車平成26年8月2日 長岡00:47 9726M 上野06:40平成26年8月3日 上野07:01 9773M 上沼垂13:19485系K1編成 9726M 「長岡花火大会①夜行臨時列車」新潟のK1編成で、ヘッドマークは「団体」でした。臨時寝台特急「あけぼの」が運転されるため、上野着で時間が20分繰り下がりました。485系K1編成 回9773M回送は上野発で7分繰り上がり、やや早めの通過です。ヘッドマークは「回送」となり、今回はお遊びが無かったようです。本日(上野着で平成26年8月4日)も運転されます。花火臨に大活躍の485系ですが、来年は恐らくなくなっていることでしょう。
2024.08.07
コメント(0)
DD51牽引旧型客車:山陰本線 普通列車かつては四国を除く全国で見られたDD51型ディーゼル機関車ですが、現在その数は激減しています。今回は少しだけですが、山陰本線の旧型客車を牽引するDD51をご紹介いたします。※撮影は、昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて。DD511040牽引DD511120牽引比較的遅くまで旧型客車使用の普通列車が残っていた山陰本線。かつては最長距離の普通列車もここを走っていました。この頃既に50系客車も登場していますが、山陰本線では比較的12系改造の普通列車化が行われており、そのタイムラグでしょうか、旧型客車又は気動車の普通列車ばかりでした。山陰本線は、蒸気機関車からの無煙化達成はそれなりに早かったわけですが、DF50やDD54といった車両が間に入っていたため、DD51の配置はかなり遅かったようです。そんな流れもあり、山陰本線のDD51はどれを見ても1000番台以降の車両ばかりで、イマイチ面白みには欠けました。それでも今こうして見ると、DD51型牽引の旧型客車の写真は北海道とこの山陰本線くらいのもので、その枚数も少ないことから、良き思い出、良き資料となっています。
2024.08.06
コメント(0)
マイクロエース:DD14 標準色今回はちょっと迷っている模型ネタです。ここ1年位、まったくご紹介も途切れてしまっているのですが、毎月何かしら発注はしているのです。発売の延期もあったりして、ネタが結構溜まってしまい、記事にするのが億劫になってしまいましたそんな中、ちょっと迷ってしまうものが発表されました。マイクロエースからDD14標準色(ロータリーヘッドなし)重連セットが発売されるそうです。同社ではかなり前からDD14を発売されており、いずれもロータリーヘッド装着後の本来の姿でしたが、今回は最大の特徴であるロータリーヘッドを外した仕様を初めて発売することになります。なんで今になってこのような仕様で発売することになったのかその意図は知りようもありませんが、長年にわたって特殊な車両を手掛けてきたマイクロエースも、ネタが段々なくなってきたのでしょう。マイクロエースが本格的にNゲージに参入してくる以前、除雪車としてはトミーからキ100が製品化されていたくらいで、その後TOMIXになってDE15が発売されたくらいに留まっていました。そこから数年経ち、蒸気機関車のバリエーションから参入してきたマイクロエースから、従来は製品化が望めなかったマニアックな形式が続々と製品化されるようになりました。除雪車についても精力的に製品化されることになり、蒸気機関車とセットのロータリー車とマックレー式といった驚きの車両たちも発売されています。さらに、写真のようにDD14やDD53といったディーゼル機関車による除雪車も製品化され、いずれも数種類のバリエーションで誕生しています。ちなみに、一番右のDE15もマイクロエース製です。購入に当たっては、鉄道模型として雪のない景色を走らせて遊ぶことは想像することは出来ず、ロータリーヘッドを外して貨車を牽かせることを考えていました。初めてDD14を購入した時代は再生産もほぼ期待できなかったので2セット購入し、1セットはロータリーヘッドを外して遊ぼうとしていたのです。しかし、まさか同車のロータリーヘッドは台車ごと固定されており、頑丈な台車には鉄のこすら入らず、貨車の牽引は諦めていました。あれから約20年が経過し、今になってやっと欲しい仕様となって製品化されることになり、心が動いているのです。ただし、大きな問題が金額面。DD14のロータリーヘッド付が2両セットで税抜き13,500円でした。しかし、今度製品化されるロータリーヘッドなしは税抜き24,700円です。M×2に仕様が変わったとはいえ、ロータリーヘッドなしにほぼ2倍の金額はちょっとねぇ~。ということで悩んでいる訳です。もう歳なんで特にKATO以外はあまり買いたくはないんですが、昨年から今年にかけて予約していた模型はすべて発売・到着してしまったし、KATOからの目ぼしいラインナップ全く期待できないため、マジ悩みます。参考までに、お友達のスノ・ラビさんがネタを出してくれましたので、リンクを貼っておきます。2007/04/14…DD53『急行出羽』2006/11/04…DD53『ばんえつ物語』2008/03/28…DD14『快速信濃川』送料無料◆A8167 マイクロエース DD14-333+DD14-334 標準色 (ロータリーヘッドなし) 重連セット Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A8167 DD14-333+DD14-334 標準色(ロータリーヘッドなし) 重連セット[マイクロエース]【送料無料】《01月予約》【中古】Nゲージ マイクロエース A8162 DD14-333・334 標準色重連セット 【A´】 外箱傷み・退色 ブリスター退色 車両保護シートを規格袋で代用【中古】Nゲージ マイクロエース A8162 DD14-333・334 標準色重連セット 【A´】 ※外箱若干傷み
2024.08.05
コメント(0)
EF81(展示):寝台特急「ゆうづる」常磐線の交流電化後から特急「ゆうづる」を牽引してきたEF80も早くから老朽化が始まり、後継機への交代が必要となります。国鉄末期の59・2ダイヤ改正で貨物列車の大幅削減が発生し、EF80に余剰が発生すると共に、羽越本線で余剰となったEF81が大量に常磐線へやってきました。ここで、寝台特急「ゆうづる」の牽引もEF81牽引へと移行することになります。しかし、この時代は極端に駅撮り写真を撮らなくなってしまい、リアルタイムに撮影することはありませんでした。平成20年11月22日 尾久車両センターにて EF8186平成22年10月9日 京葉車両センターにて EF8181平成22年11月20日 尾久車両センターにて EF81133平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて EF8181平成24年11月10日 尾久車両センターにて EF8181平成27年11月14日 尾久車両センターにて EF8181平成28年5月28日 大宮総合車両センターにて EF8181平成29年11月11日 尾久車両センターにて EF81139EF80からバトンタッチを受けた昭和60年頃から、青函トンネルの開業による「北斗星」化への発展的解消まで見ることが出来ました。こうしたなつかしいブルトレ牽引機の展示は人気でしたが、コロナの影響で展示が中止に。さらに再開と思えば予約制や有料化での実施。見る気も失せました。そしていよいよ、これらのカマも完全引退が迫って来たようです。
2024.08.04
コメント(0)
京浜東北線:蒲田駅120周年HM京浜東北線の蒲田駅が120周年を迎えるということで、様々なイベントが行われたようです。昨年は現場回りで蒲田駅へ行ったことがありましたが、今年は残念ながらこのイベント期間に訪問する機会はありませんでした。しかし、これを記念し製作したヘッドマークを掲げたE233系が1編成用意されたことにより、少しでも参加した気分になれました。このところあまり写真に撮ることがなくなってしまったので枚数はありませんが、ここにご紹介したいと思います。令和6年5月4日令和6年5月4日令和6年5月5日往復4時間を要する京浜東北線において、末端に近い地元では、1編成しか掲出のない編成を捉えるのは結構大変なもんで、GWにちょこっと撮っただけでした。運転期間は5月1日~7月末頃となっていました。実は、7月30日の帰宅時にちょうど大宮から折り返して来る同編成と蕨駅でかちあう見込みだったのですが、惜しくも到着寸前にすれ違ってしまい、これが最後の目撃となりました。最終日の7月31日夕方に運用を見てみたのですが、夕方以降運用されている様子は確認できませんでした。
2024.08.03
コメント(0)
EF6019・EF65501牽引:快速「EL&SLみなかみ」高崎のEL・DLが営業運転終了へ快速「SL奥利根」の運転開始以来、時として上野まで運転区間が延長され、高崎以南の牽引が電気機関車となることから快速「EL&SL奥利根」として運転されました。高崎~水上間のSL列車は、平成20年8月の運転以降「SLみなかみ」に改められましたが、「EL&SL奥利根」は平成20年中においては何故か「奥利根」の名称を引き続き使用していました。今回は、自身でキャッチした平成23年度以降の快速「EL&SLみなかみ」についてご紹介したいと思います。平成23年9月11日 EF6019牽引平成24年8月4日 EF6019牽引 9767レ平成24年8月5日 EF6019牽引 9767レここまではEF6019の牽引しかキャッチできませんでした。最後の8月4日はEF65501が予告されていましたが、何故か牽引機が入れ替わってしまい、非常にガッカリしたものです。平成26年10月25日 EF65501牽引 9735レ平成26年10月26日 EF65501牽引 9735レ平成27年10月17日 EF65501牽引 9767レ平成27年10月24日 EF65501牽引 9767レ平成26年度及び27年度は何故かPトップばかり。ヘッドマークの似合うカマですが、なんかしっくり来ないのはオレンジ色が邪魔しているような感じでしょうか?EF6019は既に廃車となり、EF65501も令和6年秋の運行を最後に廃車となってしまうことが発表され、永らく動態保存の牙城となっていた高崎のカマ達も終わりを告げようとしています。
2024.08.02
コメント(0)
153系・165系:急行「外房」房総各線は路線距離が短いため、昔から急行列車の運転が活発でした。内房線・外房線では165系循環急行「みさき」「なぎさ」が運転されていましたが、大網駅のスイッチバック解消(昭和47年)によ編成順序が逆になってしまうことから、同列車は昭和50年3月まで運転は続けたものの、同改正を以って運転を分離することになりました。あわせて、同時に誕生した急行「内房」の他、総武本線・成田線の全線電化により電車化された「犬吠」「水郷」、新規の「鹿島」と共通運用とされ、さらに、不足分を山陽区間で余剰となった153系を転属させて充当することになります。今回は、急行「内房」の相棒となる、急行「外房」の写真をご紹介いたします。昭和51年6月6日 両国駅にてこれは初めて房総系の列車の写真を撮ったときのものと思われます。写真はイラスト化以前のヘッドマークであり、枠には赤が使用されていました。ポケットカメラのネガから無理矢理スキャンしてみました。昭和51年夏頃? 錦糸町駅にてオートハーフなので写りも悪いしブレてしまっているのですが、こちらは165系3連+153系編成7連=10連の写真です。この頃から照度向上のためのシールドビーム化が顕著になっており、古い153系も例外ではありませんでした。似合わないですね。昭和54年 錦糸町駅にてこちらは153系7連の「外房」です。53・10改正後、いつ時点かわかりませんが、房総急行のヘッドマークにもワンポイントのイラストが入るようになりました。「外房」は貝のイラストでしょうかね?赤系の色遣いが継承されていますが、若干淡くなってますか。塗装合理化が進行して久しいですが、2号車のグリーン車にはまだ帯が入っています。昭和56年12月 平井駅にてこちらは最後に撮った「外房」の写真です。165系10連になっており、さすがにグリーン帯はなくなっています。房総では基本7連に付属3連が用意されており、多客ではなくても10連があったように記憶しています。快速も急行も所要時間は殆ど変らないため、7連でさえも乗っている客はわずかでした。東海道口では、昭和55年から153系の淘汰が始まり、185系化されてしまったので、首都圏では最後まで153系が残ったのが房総地区でした。房総急行は、昭和57年11月のダイヤ改正により、すべて消滅しています。
2024.08.01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1