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そして、しばらくしたある日いつものメンバ-で旅行に行こう・・ってことになり一路伊豆長岡へ・・ もち!目的なHを元気づけてあげよう!って事だ・・以前に書いた、大宴会・・とまではいかんがコンパニオンをよんでかなり内容の濃い宴会となった(笑)そして翌日・・どこか名所に寄って行こう・・ということになり柿田川へと行った・・・ほんまに今までみたことのないようなきれいな湧水が湧いていて皆、見入ってしまった・・なんともいえないブル-色である。ここは説明やと富士山東南部に降った雨が地下水となり、それが湧いてでているとのことだった。売店でその水を売っているくらいきれいな湧き水である・・・そしてちょうどその頃、昼になったのでその園内の食堂で食事をしょうとした時のことだ・・朝食がホテルのバイキングで、ここぞとばかりに和・洋・中を制覇するほど食いまくった為、何やら模様してきてトイレに駆け込んだ・・・ここで、悲惨な目に合うことになる・・・その旅行は弟も一緒に行ってたので、トイレに行こうとしたら俺も行くってことになりトイレに行った。弟は小の方だったので用は早かった・・・公衆便所に入った時のこと・・・そこは、男女兼用になっててしかもかなり広い便所でした。用をたしてると女の声が頻繁に聞こえて何やら騒いでいる・・・その時は気にもとめなかった・・・その後、弟が「兄貴・・何やってんねん!!」うしろを振り向いたら・・なんと、閉めたハズの扉が開いてて、一部始終をさっきの女どもに見られていた・・・・(涙)人生最大の汚点ともいうべき惨事やった・・・まさに穴があったら入りたい!とはこのことである・・。そして言わんで済むものを、弟は先に食堂へ行って友達にその事を言ったので皆に大笑いされた・・・このことは今も時折話題にされる・・・つづく (続きは次回)
2005年07月30日
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いろいろ災難続きのHも諸々の諸行事を済ませこっちへ帰ってきた。そしてHの家に行って土産の焼酎を二人で飲みながらいろんな話しをしているとHの彼女が入ってきた・・・気まずいム-ドが漂った・・・そして気をきかせ帰ろうとしたら・・「こ~すけ・・お前もおってくれ」と言ってきた。仕方なく座り直すと、彼女が話し始めた。毎日Hの家に来たらしい・・・でもいつ来てもいないので捨てられたと思っていたとのこと。そこでHが一言・・・「思ったんやなくてそういうことや!」彼女は泣き出した・・・俺もつい、でしゃばってしまい彼女にキツイ一言を言ってしまった。「彼の親が亡くなったことすら知らんもんが何を眠たいこと言ってるんや!」と。本来、男の俺が言うのも変やが、Hは男前でかなりモテた・・・そのHが、ここまで今回の様に下調べをするということはかなり惚れていたのだと思う・・しかし、Hもフッ切れた様に「部屋のカギをおいて出て行ってくれへんか・・」その顔にはなんのためらいも感じられなかった。Hがみょ~にカッチョよかった!!余談やが、一度こういうセリフを言ってみたいものだ。(笑)つづく (続きは次回)
2005年07月29日
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話しを戻して、その父親が亡くなった訳やが、そんな父親でもHにとってはこの世で血の通ったたった一人の父親で、普段酒を飲まなければいつもやさしく遊んでくれたそうで、その不孝の電話にかなり落胆していた。死因は泥酔状態で道を歩いてて車に跳ねられたそうだ・・Hの出身地は、鹿児島でいつも鹿児島の話しをしてくれた。当時、前にも書いたがHは身体を壊し手術入院し、同じ建築業界で働いていたが今後無理ができない身体になったため会社を退職していた。なので、お金がなく鹿児島に飛んで行きたいが出来ずHも途方に暮れていた。俺はすぐにその場を立ち、Hに少しここで待ってる様、言い残し部屋をでた。そして家に帰り、自分の少しづつ貯めたヘソクリを鷲づかみしHの家に向った。ヘソクリと言っても当時の俺の収入なので3~4万しかなかった。そして次に、いつものメンバ-に電話をして事情を話したところ皆がすぐにHの家に駆けつけた。皆、ありったけの金を持ちよった。Tは、ロボコンの貯金箱を持ってきたのには皆の笑いを誘ったが皆、必死にかき集め、たしか16~7万円あったと思う。Hは、皆の思いに泣いていた・・・その時すでに夜中の1時か2時頃やったが、そのままHは車で鹿児島まで行った。途中眠くなるとあかんから・・と言って、Sがドリンクやらコ-ヒ-を買い込んで来て手渡していた。Hにとって一度に・・彼女の裏切り・・父親の死・・・ほんまに辛かったと思う。そして翌日の夕方・・Hから電話があった。「今、親父と逢ってきた・・・寝てるみたいやった・・・俺とよく遊んでくれた時の優しい顔やった・・こうやって逢えたのもお前らのおかげや・・ほんまに感謝してる・・ありがとう・・」と。このこともあってHとの付き合いも現在まで続いてるんやと思う。つづく (続きは次回)
2005年07月27日
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それから暫く経ったある日、Hは無事退院出来たがまだ無理が出来ず自宅療養をしていた為、Hの家に行って話をしょうと思った。そしてHの家に着いて、たわいもない話をしてていつ切り出そうか迷っていたが、ちょうど話しが途切れたので言う事にした。「ところで、例の頼まれてた・・・・」そこまで言うとHは、「もうええよ・・・お前が部屋に入ってきた瞬間なんとなく分かった・・・やっぱりか・・」と言ったのが今でもハッキリ憶えている・・・俺が返答に詰まっていると一本の電話がなった。Hの顔色が変わり呆然としていた・・・静かに受話器を置いてうな垂れているHにどうしたのかと聞いてみるとなんとHの父親が交通事故で亡くなったという知らせやった・・・少し余談になるが、Hの生い立ちは複雑で、あいつはかなり苦労をして育った。というのも、その亡くなった父親は酒乱で暴力がすごかったらしい・・そんな訳で両親のケンカが毎日堪えなくあり、度々母親が幼いHを連れて父親から逃げるために家出を繰り返したそうだ・・ちなみに小学校の6年間・・入学と卒業は同じ学校やったものの、その間転校が16回を数えており、友達ができては転校・・の繰り返しやったそうです。そしてHはいつも一枚の写真を大切に持っていた。その写真とは唯一、両親とHの三人で写ってるものでこの一枚しか撮った記憶がないそうだ。現在は、その母親は再婚しHには種違いの兄弟がいてあまりの年の離れになじめず、端から見ても兄弟と呼ぶには程遠い間柄みたいなものがあった。つづく (続きは次回)
2005年07月25日
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それから暫く経ったある日、Hは無事退院出来たがまだ無理が出来ず自宅療養をしていた為、Hの家に行って話をしょうと思った。そしてHの家に着いて、たわいもない話をしてていつ切り出そうか迷っていたが、ちょうど話しが途切れたので言う事にした。「ところで、例の頼まれてた・・・・」そこまで言うとHは、「もうええよ・・・お前が部屋に入ってきた瞬間なんとなく分かった・・・やっぱりか・・」と言ったのが今でもハッキリ憶えている・・・俺が返答に詰まっていると一本の電話がなった。Hの顔色が変わり呆然としていた・・・静かに受話器を置いてうな垂れているHにどうしたのかと聞いてみるとなんとHの父親が交通事故で亡くなったという知らせやった・・・少し余談になるが、Hの生い立ちは複雑で、あいつはかなり苦労をして育った。というのも、その亡くなった父親は酒乱で暴力がすごかったらしい・・そんな訳で両親のケンカが毎日堪えなくあり、度々母親が幼いHを連れて父親から逃げるために家出を繰り返したそうだ・・ちなみに小学校の6年間・・入学と卒業は同じ学校やったものの、その間転校が16回を数えており、友達ができては転校・・の繰り返しやったそうです。そしてHはいつも一枚の写真を大切に持っていた。その写真とは唯一、両親とHの三人で写ってるものでこの一枚しか撮った記憶がないそうだ。現在は、その母親は再婚しHには種違いの兄弟がいてあまりの年の離れになじめず、端から見ても兄弟と呼ぶには程遠い間柄みたいなものがあった。つづく (続きは次回)
2005年07月25日
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俺は間髪入れず店の中に入った。Hの彼女はものすごい動揺した顔で、「この人は友達やから・・」と。必死の言い訳をしていた。そして、相手の男が俺に「お前、誰や?」と言ってきたので余計にムカ~~っときて、「やかましいわ~~コラッ!・・何、眠たいことぬかしとるんじゃ~・・お前って誰に言うとんねん!ワレ~帰ってかんかいっ!ボケっ!」・・周りの客もジロジロ見ていたんを、今でもよく憶えている・・(苦笑)ハッキリ言って凄い恥ずかしかった・・・相手の男はブツブツ言いながら帰って行った・・・そして、彼女に「ただの友達なんやったらこの事、Hに話してもかまへんな?」と聞いたら、「それだけは勘弁して」との事やった。「さっきの奴とは、そういう関係なんか?」と聞いたら強く否定をした。「二人っきりで逢うのはきょうがはじめて・・」「いろいろ相談にのってもらってるだけやから」と言っていた。俺はその場は彼女を信じるフリをした。何故なら彼女の目がすべてを物語っていたからだ・・・しばらく日をおいてまた彼女の家へ行った・・・そしたら今度はなんと彼女の家の前に一台の車が止りその車に彼女が乗り込んだ・・・運転してたのは、紛れもなく男だった・・しかし顔まで分からず、とりあえず又後をつけた・・・行き着いたところは・・・・ラブ・ホであった。この時、やっぱりか・・と言うのと、まさか・・っていう気持ちが入り交じった・・・そして俺は、ホテルの駐車場に入り彼女達が乗ってる車に横付けして一言彼女に・・「あんたの相談ってこんなとこ来やなできやんのか?」と。彼女は下を向いたまま何も言わなかった・・・ちなみに相手の男は、この前の男だった。俺もそれ以上何も言わずその場を去った。正直、Hに何て報告したらいいのか分からず数日が経った。つづく (続きは次回)
2005年07月24日
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あれはたしか二月やったと思う・・・友達のHが、相談がある・・と言ってきた。この時からHの悲惨な出来事のはじまりである・・この時Hは、体を壊し手術を受け入院をしていた。相談の内容は、それはHの彼女のことだった。最近の行動がおかしい・・と言うのだ。見舞いに来てもすぐに帰るし、この前来たときは、口紅が少しはみ出してた・・一度調べてほしい・・との事だった。なんかコソコソしてるみたいで不本意やったがHの頼みなので承諾した。その彼女は皆でツ-リングに行ったり何かといつも一緒に行動してきたので俺も彼女の事は性格に至るまで理解していたので話しは早かった・・その彼女の性格は本来、寂しがり屋で甘えたで・・けど素直になれなくて気持ちと反対の行動をよくする子だった。また、KやS、T、Rの彼女の悪口も平気で俺の前で言ってみたりかと言って、友達の前では「自分達は友達・・」みたいな顔して八方美人的で自慢話しをさせたら天下一品で、卑下することなど彼女には無縁のものだった。自分で言った事も平気でコロコロと変えたりで・・・俺は友達の彼女でありながらも、正直苦手で嫌いなタイプの子だった。それでもHは俺の大切な友達で、そのHが好きになった子やしその彼女にもええところはたしかにあった。情は深く、Hにかなり尽くしていた・・なので長所だけをみて仕方なく付き合いをしていた・・これは多分他の友達も同じ気持ちやったと思う。しかし調べるといってもどうしたらいいのか・・・まず、彼女の家に行った・・車がない・・待った・・帰ってこない・・こんなんを一週間くらい続けただろうか・・・ある日、彼女が帰ってきた。声を掛け様と思ったらすぐに家の中に入ってしまい・・どうしょう?と思っていたらすぐに彼女は家からでてきた・・そして車に乗り込んで走らせた。彼女のあとをつける・・・今に思えばスト-カ-やっ!これは・・(苦笑)彼女は俺の車を知っているため、慎重に後をつけた。探偵さながらである・・そしてある茶店に到着・・駐車場から店の中を見ていると彼女の座ったところに案の定、男がいた・・つづく (続きは次回)
2005年07月22日
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そして、社会人になって初めてのクリスマス・・・大奮発で「蟹」を食べに行った。しかも・・ワリカンで・・(情けない)そしてプレゼントを交換した。俺はMにスカ-フ・・Mはカウスボタンを・・どうしてか、この頃にプレゼントし合った物は今もお互い大切にとってある。そして年越しそばを二人で食べて正月・・初日の出を見に、あるハ-バ-へ行った。この時にMは、そっと目を綴じて何やらお願い事をしていた。(余談であるが、この時より毎年Mは同じ願い事をしていたらしい・・そして結婚式の前日にこの事を打ち明けてくれた・・・それはまた後に話そうと思う・・・)そして 成人式の日がきた・・め~~一杯 背伸びして買ったスーツ・・その日 何気に嬉しくて 朝早く目が覚めたKと一緒に会場に行く約束をしていたので 式の1時間前にKの家へ迎えに行った・・しかし・・・式の1時間前やというのに Kはまだ爆睡の最中であった・・・余談やが、Kの寝起きは 昔から異常に悪い・・嫌な予感がしたが 案の定・・揺すっても起きない・・やっとの思いで起こしたら 今度はめちゃ機嫌が悪い・・俺も段々 ムカついてきた・・式の時間まで たしか、後30分になった・・もうあかん・・と思って Kをほかして会場に向かった・・会場に着くと 懐かしい顔ぶれが並ぶ・・大袈裟かもしれんが わずか5.6年ぶりでも何十年ぶりの再会みたいな錯覚を起こしたのを よく憶えている・・まず会場に入り 市長の話を聞き 催し物を見た・・懐かしい再会に 式典そっちのけで 会話が弾む者も中には居たが現在のような 式典を壊すような奴は誰も居なかった・・そう思うと 同じ二十歳でも 当時の俺達の世代の方が大人やったと思う・・式典が終り しばらく 皆で立ち話をして 昔、仲のよかった同級生 男女30人ぐらいでカラオケに行きその夜遅くまで 皆で騒ぎまくったのが懐かしい・・・そんな感じの成人式やったが このとき、何故か 妙に大人になった気がした・・(笑)一方・・Kはと言うと・・・・・・・・・まだ寝てた・・・(笑) つづく (続きは次回)
2005年07月21日
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8月に入り家の会社のボ-ナスの時期がきた。友達のほとんどは、すでにボ-ナスをもらっておりいろんな情報が入ってきた。ある奴は給料の2.5倍を貰ったので新車購入の頭金に出来ると大喜びでまたある奴は、2倍・・1.5倍・・とそれぞれであった。ある日、KとSが「臨時収入が入ったし、皆で風俗に行かへんか?!」と提案してきた。当然、全員ふたつ返事で賛成をした。俺も、以前からほしかった車のパ-ツの購入や服、諸々の購入計画やMにも何かほしいものをプレゼントしょうと密かに計画をたてていた。社会人ともなると収入源が大きくいろんな事ができるんやな~と気持ちもワクワクしていた。そしてボ-ナス支給の日がやってきた!その日の仕事を終え、社長(親父)から従業員に手渡しで貰うのが家の会社の方針であり皆一列に並んで社長より受け取るのを待った。受け取った者は、さっさとカバンにしまう者もいれば中身拝見とばかりに、ニヤニヤしながら金を見てる者もいてて様々でした。皆、封筒が厚く満足気な顔をしている中、いよいよ一番最後に並んでた俺の順番が来た。異常に薄い封筒を手渡された・・・社長から一言・・・「お前は今回無しにしょう思ったが、小使いにせえ・・」。皆解散した後、中身を見てみると・・・なななんと・・・¥3.000であった。あの時の気持ちは今でも忘れられない・・・なんぼ入社して間もないとはいえ・・自分の評価はこれだけなのか・・・「たくさん貰いたかったら早く一人前になることや・・絶対に甘やかさん!」。これが、親父のやり方であった。ほんまに悔しかった。けど仕事の力量は半人前以下の今の自分に返す言葉などどこにもなかった。この時である・・「一日も早く見返してやる!」そう決めたのは。そして、休日は月二日。他の従業員は週一の休みであったが、俺は隔週であった。何故なら、この休み二日間で、会社の資材置き場の整理、そして資材の名称覚えをする事を決め、平日は皆が帰ってから居残ってすべての作業車に載せてある工具の整理を家に帰ったら1日の仕事の復習を徹底してやった。この甲斐あって仕事はほんまに早く憶えれて、一年足らずで一つの現場を任せてもらえる様になり、部下までつけてもらえるまでになった。しかし、これを一部の従業員が妬み、ほんまに嫌がらせをされた。その内容はともかくとして俺は、そいつらに一度も言い返したりはしなかった。こいつらの嫌がらせを無くすには、とにかく仕事の腕がそいつらを超せば何も言えなくなる・・そう思ったからであった。職人暦・・何十年のベテランである・・知識も経験もすべて上である・・普通の努力では越せないと覚悟していた。まっこの話しはいずれ機会があればと言うことで。一方、プライベ-トでは・・・なにせ、ボ-ナスプランを綿密に立てて、その上風俗計画まで立てた訳やがすべて夢のまた夢・・に終わってしまった。友達は2台の車に便乗して風俗へ向かう後ろを見送ったのは言うまでもない・・その¥3.000の使い道は・・と言うと、Mに香水を買ってあげた。それがなんと先日分かったことやが、中身は使っていてもうなかったが香水のビンを大切にとってあった。これにはおどろいて、Mに聞いてみたら「これは捨てられへん・・」とのことやった。つづく (続きは次回)
2005年07月20日
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そしてまた大好きな夏を迎えた。たしか7月の終わり頃、Eの追悼の意味でできるだけ人を集めてツ-リングにでかけた。ハッキリ憶えてないのだが、100人近くになっていたと思う。車も4~50台と大規模な追悼ツ-リングとなった。あれだけの台数で走ったのは最初で最後である。これだけの台数ともなると、はぐれる者もいててあらかじめ決めてあった中間休憩地の大型サ-ビスエリアで一度集まることにしてた。ところが、ここでハプニングが発生した。俺はMを乗せていたのでほとんどとばすことなくうしろのほうを走っていたため、事の一部始終を見ていたわけやないが早目にサ-ビスエリアに着いていた友達が、カップコ-ヒ-を片手に歩いていると、前のほうからよそ見をしながら歩いてきた中年の男の人が当たってきてコ-ヒ-がこぼれて、友達の服が汚れてしまったらしい。そしてその中年の人も謝ればええものを、何も言わず去ろうとしたらしく、その友達が怒って「待たんか~」と言ったことでハプニングが始まった。なんとその中年の人は見るからに・・・・その筋の人で周りに子分を2・3人連れていたため、友達と相手が強烈な言い争いになってしまった。そして向こうの一人が友達を殴ったので事態は更に悪化!しかし、そうこうしているうちに、こっちは次々とサ-ビスエリアに到着してもみ合いに気付いたメンバ-は加勢に入り、4対100になった。あまりの人数に向こうはほんまに怯んだんをよく憶えている・・こうなると関係のない者まで集まってきて一時騒然となった。しかし、人数では負けないので相手は、分が悪そうに友達にクリ-ニング代としてお金をおいてその場を去って行った。人数の差で圧勝であった(苦笑)昔の人はよく言ったものである・・「ご馳走は小勢・・・仕事は大勢でやれ・・」と。(笑)追悼ツ-リングがとんだハプニングで終わった・・当の本人も、Eにすまないことをした・・と反省していた。そして、8月・・・家の会社のボ-ナス時期が来た!!つづく (続きは次回)
2005年07月18日
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ドライブをしていると、Mが物々しい人だかりを発見して「何あれ?」・・と。野次馬根性で近くに車をとめて見に行ってみると何やら事故らしい・・人が二人倒れている・・そしてよく見るとなんと倒れているのはKであった・・・驚きで人を掻き分けKに近づいてみたが意識がなくまったく反応しない・・そのうち救急車がきた。Mに自分の車を運転してくるように指示をして救急車に乗り込んだ。車内で何度も声をかけたがやはり反応しない・・・俺はそんなKを見て体の震えが止らなかったのをよく憶えている。事故の原因は原付に二人乗りをしていたところ横から車に跳ねたれたそうだ。Eが運転をしてKが後ろだったため、Eはまともに車に当たったそうだ・・そして車は逃げてしまったらしい。(後日捕まったが)そして、もう一人は俺も面識があり何度か遊んだことのある奴だった。こいつもかなりの重症でまったく意識がなかった。何時間経っただろうか・・Kは意識を取り戻した。俺が友達のHに連絡していたこともありいつものメンバ-全員が病院へかけつけていた。しかし肋骨と足の骨を折っていて、身体にも無数の傷があったが目を覚まし俺達の顔を見るなり苦笑いをした。次の瞬間、ハッ・・とした様にもう一人の奴、Eの名前を呼んだ・・「Eは?・・Eはどうなんや?!」と。Eは、依然意識がない状態であった。それから約一ヶ月後にKは無事退院できたが、Eは依然植物人間状態であった。しばらくして皆で見舞いに行った時のことである。そこには、Eのお袋さんと彼女の姿もあった。そしてKがEに話し掛けた・・・内容は忘れてしまったが、「皆、待ってるんやから早く帰ってこいよ」っていう感じの言葉だった・・・次の瞬間目を疑った。まったく反応もなくあの日からずっとただ眠りつづけているEがなんと、Eの目から涙が零れたのである。お袋さんも彼女も口を揃えて言った・・こんな事初めてや・・と。皆が、Eの全快を確信した。しかし・・・たしかそれから二日後に息を引き取った・・・それも不思議なことがあった。Kの家はほんまに田舎で夜ともなるとあたりが真っ暗になるところどころの電柱に外灯がある・・という感じのところだった。そしてKが言うには、いつもは暗い外が少し明るく感じたので外を見ると、切れているはずの電柱の外灯がついていてそこにEが立っていて笑っていた・・と言うのだ。びっくりして外に出てみると、さっきまでついていた外灯も消えていて当然Eの姿もなく「見間違え?」と思っていたら電話が鳴りその電話はEが今、息を引き取ったという電話だったそうだ。この話しを聞いていつものメンバ-全員が嘘とは思わなかった。俺も本来非現実的な話しは信じない方だが、この時はそう思った。KとEは幼なじみで、兄弟の様に育ったらしい・・・きっとEは最後に別れを言いにきたのだと思った。告別式の時、KはEの祭壇の前で泣き崩れた。「なんで一人で先に行くんや・・お前寂しないか?お前とずっと一緒に居れたことずっと忘れへんから・・・」と。皆の涙を誘った。今でも、俺達6人はこの時のことは忘れることはないと思う。つづく (続きは次回)
2005年07月15日
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今もこの日の朝のことはとても懐かしく思う。これからは、現場でのエピソ-ドや社会人になって社会の厳しさを実感させられたこと・・・また、プライベ-トの事ももちろん書いて行こうと思う。今までも人並みにいろんなことを経験したが、この日より今日現在までも、ほんまにたくさんの事を経験できた。記憶のかぎり、ここへ書ける事はすべて書いて行こうと思う。では・・・あの日の朝のことからです。初めての出勤の朝は、先輩達が出社する1時間前に会社へ行き会社の電気、全作業車のエンジンをかけ先輩が車を出しやすい様に方向転換をしておき、皆が出社するのを待った。この日課を約3年間続けた。そして、皆出社し始めた。あいさつをしてくれる人、そうでない人・・先輩の中にはいろんな人がいた。自営で、父親が社長ではあるが、甘えは許されなかった。そんなことは自分でも心得ていたつもりであった。会社の方針で班ごとに別れて各現場へ行った。ここの班の棒芯がほんまに根性が悪くほんまにイジメられた。まっ、こいつの存在があったから悔しさで仕事を早く覚えることができた訳やが、このことはいずれ書いて行こうと思う。一方プライベ-トでは、いつものメンバ-のほとんどが建設業の道へ進んだ。っというのも、Sだけが何を血迷ったか医療関係に進んだのである。畑ちがいとはこのことであるが、これが幸いしてか後に、Sが看護婦とのコンパの話しをたくさん持ってきたのは言うまでもない・・(笑)まっこれもたくさんのエピソ-ドがあって後程、紹介していこうと思う。全員共通することは、社会人になってからの会社の愚痴である。いつもの6人が集まって週末には日頃のストレスを爆発させた。そして、一ヶ月が過ぎ初めての給料をもらった。初任給は両親に何かプレゼントをしょうと決めていた。そのプレゼントを買いに、Mに付き合ってもらい選んでもらった。父には、ネクタイ。母には、スカ-フであった。あまりにも安い給料の為これが精一杯であったが事のほかよろこんでくれたのをよく憶えている。そしてMには、ペア-の指輪だった。今に思えばこの指輪もおもちゃ同然の物であったが俺にとってペア-で指輪をはめるのは初めてのことでなんとなく照れくさかった。Mも、この時ばかりはほんまによろこんでいた。これは今でも大切にとってあるペア-第一号の物であった。たったこれだけの買い物ではあるがその月がほんま金欠やったのも言うまでもない・・(笑)この月、デ-ト代をMにほとんど払ってもらったというなんとも情けない出始めでした。そんなある日、Mとドライブをしていた時、ふたりでまさかの光景を見てしまった・・つづく (続きは次回)
2005年07月14日
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Rは関西出身で、言葉はキツイがほんまにええ奴で一番信頼している開口一番のRの言葉に一瞬驚いたが、とりわけ動揺するでもなく次の言葉を待った。「お前、ほんまはそんな奴ちゃうやろ・・なんでやねん・・」そう聞いてくるR・・そして「実は以前、Mちゃんと偶然駅で会ってな、Mちゃんから(きよすけって過去に何かあったん?以前の彼とはどこか違う様に思える・・)って聞かれてん・・ほんで(私なにがあっても驚かないんで教えて・・)って言われて迷ってんけど、この子やったら・・そう思って全部話したんや・・そしたら、Mちゃんな・・(すべてを忘れさすことなんてできないかもしれへんけど、私がきよすけを守ってあげたい・・・)そないに言ってくれてるんやこの子やったらほんまにお前をずっと守ってくれる・・そんな気がしたんや・・*余談やがRのこの時の予感が的中することになるとはこの時思いもしなかった。この時Rはいつになく真剣そのものやった。それやのに、お前なんやねん!・・」とRはもの凄い勢いで言ってきた。そして・・「そんなもんいつまでも引きずってどないすんねん・・」この言葉に黙ってRの言葉を聞いていた俺も口を開いた・・・「そんなもん・・って、なんや!お前に何がわかるんや!R!お前にとっては、そんなもんかも分からんが、俺にとったらほんま辛かったんや!人を信じれなくなって・・そんなんでは生きて行かれへんのわかってるから、自分なりに気持ち整理してるんやないかっ!それをなんやねん!お前そんな奴やったんか・・お前だけは全部分かってくれてる・・思ってた。それに・・何ベラベラとMに話ししてるんや!世の中知らん方がええこともあるやないか!何勝手なことしてるんや!」「お前に、親の目の前で婚姻届をやぶられた俺の気持ちわかるか?!」「死にもの狂いで出産の為に貯めた金を他の男に貢がれた俺の気持ちわかるかぁっ!」(これは、以前の日記で書いた様に必死でバイトして貯めた金の一部を産婦人科に行くのにお金がほしいと言われ渡したが結局病院へは行かず、例の男へ何かプレゼントを買ってあげたらしい・・)これを聞いた時は、言葉が出ない程ショックやった・・俺はこの時、ほんま悔しいやら情けないやらで泣けた・・。Rは、ハッ!とした表情で、「ほんますまないことした・・ごめん」・・と。「あのことを話ししたんは俺が軽率やった・・ほんますまん。この時は流石のRの言葉にも耳を貸すことができなかった。当時、俺なりに軌道修正をかけようとしても自分で吹っ切れた・・と言い聞かせても、それは所詮強がりでしかなく、気持ちのどこかにN子への恨みみたいなものがあったと思う。どうせ裏切られるなら・・どうせ別れるなら・・・どうせ最後には失うのなら・・・どうせ・・という言葉が自分の心を素直に出来なかった。今に思えばこの時の自分の考えを恥じる。1988.4.4(月)これは忘れもしない俺の社会人、第一日目の日である。この朝、出勤前に感動したことがあった。Mが家に来て、仕事柄使用する「長靴」「軍手」「タオル」そして「名刺入れ」これを持って来てくれたのである・・そして「おめでとう。きよすけ・・これからとてつもない長い道のりやけどがんばってね」・・と言ってくれた。この時ばかりはほんまに感動した。Mは自分も出勤前やのに、わざわざ届けてくれたのである・・つづく (続きは次回)
2005年07月12日
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卒業式から2.3日経ったある日、いつもの連中と野球の試合をした。終わってからいつもの様に飲みに行ったわけやが、何せこっちは現在プ-太郎の身・・翌日の事を考えずに飲める訳で今に思えば行動も大胆でな~んも考えずにいた。たしか居酒屋で飲んでいた記憶だが、その後次の店に行こうとしたらなんと偶然に以前助手席に乗せて事故をしたNらと逢った・・以前の蟠りもほとんどなく「ひさしぶり~~」と・・すぐに意気投合した。当然一緒に皆で飲みに行きめちゃ盛り上がり朝方に皆でラブホへ・・・昼前に皆、各々別れて俺は家に帰った。その日の夜Mから電話があり、いきなり不機嫌である。それもそのハズである・・昨日はMとのデ-トの約束の日であった。飲んだ勢いでそんなこと一気に忘れていた。それだけではない・・昨日Nらと一緒にいるところをMの友達に見られていたのだ。「どういうつもり?!」との問いかけに何も答えなかった。Mはその場は怒って帰ってしまった。俺は・・と云うと「どうでもええ・・」とさえ思い特別に何をするでもなかった。翌日Mから電話があり「明日、逢おう・・」と言ったので承諾した。次の日、約束の時間の少し前にHから電話があり「今、飲んでるんやけどお前も来いや・・」との誘いやった。俺はふたつ返事でHのところへ行った。またもやMとの約束をすっぽかしたのである・・こんなんを3回くらいしただろうか・・流石にMも堪忍袋の緒が切れてしもて「いいかげんにしてよ!あんたなんなのよ!」と激怒した。それは当たり前のことではあるが、当時の俺は相手のことを好きになって、また別れて嫌な思いをするなら初めから好きにならなければいい・・という最低な考えであった。まさに 人間不信なトラウマであった・・そんな訳で、Mから「もうどうでもいい・・」と言われ暫く連絡が来なかった・・付き合って、ひとつき足らずのことであった。そんな俺を見ていたRから「お前に話しがある・・」と電話がありRの家に行ったところ開口一番に言われたのが「甘ったれんな!お前何様のつもりやねん!」・・と。つづく (続きは次回)
2005年07月11日
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Mと付き合って一週間後、学校の卒業式がきた。この2年間もたくさんの出来事があった。ここには書かなかった出来事の方が当然多いわけで・・どれもこれもが印象的で、今となってはいい想い出の数々である・・しかし一番なのは、やはりここで一生の付き合いが出来る友達に出会えたことが何よりの財産であった・・後の日記にでてくるが、RやHやKとは益々友情を深めれた。そして卒業式当日・・・学園長より今でも自分の教訓となっている訓辞をいただいた。「君たちは明日から社会人となります・・勉学に関しては私が持っているものすべてをこの2年間で君たちに教えたつもりです。明日からはここで学んだ事を社会で活かす事はもとより・・もうひとつ最後に私が教訓としていることを今から最後の課程として教えます。どうか、明日からこの事を忠実に守り活かしてください・・」それは・・「言葉は心のスクリ-ンである!」ということだった・・。社会にでたら軽率な言葉は、自分を追い込むことになる・・・責任ある言動をするように・・とのことだった。これを教えてくれた・・・この言葉は現在も よく思い出し 自分の教訓にしている・・そして卒業式も無事終わった。そして式場を出ようとした時、なんとまたN子が花束を持って待っていた。「卒業おめでとう・・これだけ渡したくて・・」しかし俺は受け取らなかった。そしてその夜、卒業パ-ティ-をいつものメンバ-でやり皆、彼女も来ていて、俺もMを招待した。皆、俺がMと一緒にいるのをすごくよろこんでくれた。そして、Mはこの時にネクタイをプレゼントしてくれた。これは今でも大切に持っている。そして、4月から社会人になるまでの約一ヶ月間は、ほんまに遊びまくった。この一ヶ月間の間に、早くもMとの一回目の別れの危機を迎える事になる・・つづく (続きは次回)
2005年07月09日
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きょうは 七夕なので いつもの日記は お休みですそれぞれ・・いろんな七夕の過ごし方が あるとおもいます皆の願いが ぜ~んぶ 叶って 皆が幸せになれますように・・ 先日・・セントレアに行ってきましたぁぁ・・旅行に行きてぇぇぇええええ~~では・・よい七夕を・・・きよすけ・・
2005年07月07日
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彼女の事を吹っ切れたとはいえ、人間不信みたいなものまでがなくなったわけではなかった・・まわりの友達は俺を元気にさせようとコンパの話しをたくさんもってきてくれて、たくさんコンパをした・・それはそれでおもしろいのだが、どこか醒めた目で女を見ていた。ある時はいいム-ドで女の子もその気になったところでホテルに一人その子をおいて一人帰ってみたり今に思うと相手の子に対してかなり失礼な事をたくさんしてしまった。どうしても女=N子・・みたいな・・ダブッてしまっていたと思う。そして学校卒業間近のある日、学校の帰り偶然駅でMと逢った・・(後の嫁さんである)Mは、高校の時バイト先の彼女の友達であったのは以前紹介したと思う。Mとは、その時以来の再会であった・・(6/2の日記に登場)そして、「きよすけ・・久しぶり!どうしたん?浮かん顔して・・・」そう声をかけてきた・・これが、Mとの始まりであった・・そして二人とも帰るだけやったので、食事をすることにした・・終始たわいもない話しで、それがなんとも居心地がよかった・・N子のことは一切話さなかった・・隠すつもりもなかったが、そんな事を話す間もなく会話がはずんだ。そして、卒業の一週間前に、Mと付き合う様になる・・今現在までいろいろなことがあったが、Mとはこの時からの付き合いになる・・・つづく (続きは次回)
2005年07月05日
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そして当時の俺の姿をみた例の6人もなんとか元気付け様とツ-リングを初め、野球チ-ムを結成したりいろんな事で紛らわしてくれた。そんな思いに応えやなあかんと思い自分でも必死だった。そしてあれは忘れもしない11月の中旬・・・いつもの様に学校を帰ろうといつものメンバ-で駅に着くと、なんと・・N子が待っていた・・すかさず、RとHが・・N子に近付いていって・・「お前、どういうつもりやねん!どの面さげてここへ来れるんや・・!」と。だまって俺を見ているN子。そしてKが気を利かしてくれ、皆を散らしてくれた。「元気か?・・その後どない?」と声をかけた。するとN子は・・「元気になれなくてここへ来た・・」「ほんとにごめんなさい・・後悔してる・・」俺はこの時、気持ちが吹っ切れた気がした。そして・・「ずっと今日までN子の事引きずってきた・・」「きょう、こうやって逢えて嬉しかった・・ありがとう」「でも、きょうでお前はもう居ないって思うから。」「お互い別々の道で頑張りたい・・」そう言って待ってる友達のところへ行き、N子とはここで別れた。ここで、また誰宛てでもない当時の心境を詩にした・・最後の別れを笑顔でできた・・「男やろ・・・」と自分に言い聞かせながらこの気持ちにピリオドをうった・・争った日・・微笑んだこと・・泣いた時のことももう二度と帰ることのない時間の中・・もう二人であの時のこと話すこともない・・ずっと毎日想ってた・・情けないけどあの日以来一日だって忘れたことなんてない・・でも、忘れることのない、いい想い出に変えます・・そしたらきっと、もうひとりの自分がずっと君を好きでいられると思います。そしてもう一人の自分は生まれたての自分・・・大好きでした・・さようなら・・つづく (続きは次回)
2005年07月04日
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大好きなはずの夏がこの時ばかりは最低の夏となった・・大袈裟かもしれないが、当時は人間不信となった。寂しい・・せつない・・悔しい・・辛い・・憎い・・・いろんな感情がある中でこの気持ちをどう処理することもできずその気持ちを紛らわす手段を・・出産の為必死で稼いだお金で、浴びるほど酒を飲んだ・・あんな事があった後もまだN子の事を忘れられない自分が情けなかった・・N子は、その後すぐに自分の部屋を引き払い引っ越してしまった。当然どこへ行ったのか分からない・・その当時の気持ちや行動を、詩で表した・・この詩は誰に贈るでもなく自分の心境だった・・公園の角の電話ボックスここからきみの部屋が見える・・きみが住んでいたサッシの窓が・・・ひょっとして戻ってるのかもしれないとおそるおそる回すダイヤル・・・「この電話現在使われておりません番号をおたしかめ・・・」どこでたしかめればいい?公園わきの喫茶店・・二人でよく行った店・・ひげのマスタ-のなつかしい顔・・彼女から連絡とどいたのかと心配されるとなおさら辛い・・・もしかして間違えたのかもしれないと・・今度は一気に回すダイヤル・・「この電話使われておりませんもう一度おかけ直しください・・・」どこへかけ直せばいい? 本当に自分が惨めだった・・そして、追い討ちをかける様に、N子の友達から「N子、子供おろしたから・・・」自分の子供ではなかったとはいえ、どうしても割り切れない複雑な気持ちだった・・飲んでも飲んでも現実が変わる訳でもないのにそれでも飲んだ・・生活は乱れまくっていた。そんな俺の姿を見かねた友達のR(登場人物で紹介)がほんまに親身になってくれた。当時、Rがいてなかったら今頃どうなっていたのかと思うと・・・現在、Rとはほんまの親友として付き合っている。Rは、「今のきよすけ・・最低やで!」「悔しさを酒にぶつけてどないすんねん!」「N子を見返すんや!」「俺は友達としてお前を救ったるからな・・」この言葉にほんまに救われた・・。一人暮らしをしていたRは俺を部屋に置いてくれて俺の愚痴をだまって聞いてくれた・・そして飲めない酒に付き合ってくれて、ゲ-ゲ-あげながらそれでも酒を付き合ってくれた・・つづく (続きは次回)
2005年07月01日
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