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試練(?)の旅行から帰ってきてすぐのある日嬉しい知らせが、携帯に入った。Mからである。なんと、子供が出来たというのだ!!ほんまに嬉しかった・・・夜、家に帰りニヤける顔を押えながら再度聞いた・・間違いではなかった。が、Mの表情が今ひとつ冴えない・・理由を聞いてみると、以前の流産のことが頭を過ぎるのだという。もし、また・・・俺もその事を聞かされ、我に返る。しかし、俺が一緒に不安そうにするのはマズイと思い、Mを宥めた。気持ちはほんまよく分かった。それからというもの、精神的に不安定なMをリラックスさせるために一日の会話を増やしたり、家事の一切を出来る限り手伝った。また、仕事で必要な国家試験をほんまはもっと先に取るつもりやったが、これを必ず合格するから、お前もガンバレ!と合格を約束してMを励ました。しかし、この試験はそう簡単に合格出来るものではなかった。そして次の日から早速勉強を開始した。俺なりにMに対してしてあげれる精一杯の行動だった。Mも大きく肯き、がんばる・・と約束してくれた。その甲斐あって安定期に入るにつれ、Mも段々安定してくれた。予定日は、11月の終わりであった。9月・・合格を約束した試験が近づいた。しかし、試験2日前から体調を崩し熱がでた。そして試験当日も熱は下がらない。39度くらいの熱やったので、寒気と目眩がすごかった。Mも「今回は無理せんと諦めよう・・」と何度も言ってくれたが俺自身、なんとしても約束を守りたかったので反対を推して、試験に臨んだ。が、案の定・・今度は吐き気も伴ってきた。筆記をしていても、エンピツを持つ手が震えて止まらない・・あまりの熱に冷や汗は出るしで・・何度も途中退室をして試験をやめようかと思ったがやはり諦めきれなく、約束は守りたかったので必死の思いで頑張った。3時間の試験も無事終わり、何をどぉ~解答したかもあまり憶えてなく、全く手応えのない不安な試験であった。しかし、こうなったら、せめて合否よりも途中で捨てなかった・・という、満足感だけが自分への慰めであった。そして家に着いて倒れ込むようにベットに入り熱を測ってみると41度あった・・これはマズイと思い、病院へ行ったら肺炎の一歩手前で即入院・・といわれ2日間入院をすることになってしまった。そして約一ヶ月後、試験の合否の通知が来た。「合格」・・であった。頑張った甲斐があったし、何より約束を守れたのが嬉しかった。そして10月の終わり・・Mが再び診察に行った日・・またしても携帯が鳴った・・つづく (続きは次回)
2005年09月30日
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旅行から帰り暫くしたらRが新婚旅行の土産をわざわざ届に来てくれた。ついでに、旅行の土産話しもしてくれ・・とても幸せそうであったそして大晦日・・いつものように年越しそばを食べに行き二人で2回目の正月を迎えた。そして、年明け早々会社では会社役員として任命され皆に紹介された。益々気を引き締めて頑張ろうと決意したのを憶えている。そして、2月やったと思う会社関係のお付き合いで海外旅行に行くことになった。社長から「これからは全面的にお前が表に出て行け」と言われた。これが現在への一歩であった。正直、「不安」の二字やった。一緒に行く連中は、俺の父親くらいの年代の人ばかりで俺は・・と言ったら、当時 若干26歳である・・どう対応すればええのか??そして当日・・地元の駅前に集合し大阪空港へ。車中隣りに座ったある会社の社長さん・・ほとんど話しをしない・・苦痛の何物でもなかった。現地に着き観光をしたが、これもほとんど会話がない・・もうええ加減帰りたかった・・がそんなわけにもいかずに夜が来た。食事をしてその後、気の合うもん同士が飲みに行くことになった・・できることならこのままホテルに帰り眠りたい・・そう思っていたら声がかかった・・「君も一緒に行かへんか?」。「そんなもん行きたないわいっ!」とは、言えず「是非お願いします・・」場所はいかにも高級そうなクラブであった。まずは、顔を売る為に全員に酒を注いでまわった。その度にお返しが・・・全員廻り終わる頃にはヘロヘロに近かった。その甲斐あって皆に気に入ってもらえいろんな話しができた。これで来た価値があったと思い嬉しかった。2時間くらい経っただろうか?店の雰囲気というか様子が変わった。かなり大きな店であったが、奥のベンチシ-トみたいなところに店の女の子が並びだした・・俺はここで意味がわかった。一人一人にそれぞれ女の子が付いて皆、それぞれ別々に店を出て行った。俺もその一人であったわけやが、その子とホテルに入ったのはええが俺は先程バカ飲みしたのが今頃になってツケが来た。もうゲロゲロであった・・(苦笑)女の子も心配してくれていたが、俺も復活できず仕方なしにその晩は帰ってもらった。(チキショ-)次の日、皆から○○くん・・昨日はどおやった?と聞かれゲロゲロとも言えず、それなりに答えておいた(笑)この日を境に、いい事も悪い事も・・世間の厳しさもすべて・・嫌というほど経験していくこととなる・・つづく (続きは次回)
2005年09月29日
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そして12月・・嫁さんと旅行に行くことにした。場所は、下呂温泉。ゆっくり温泉につかって旨いもん食ってリフレッシュをしようと思いでかけた・・某ホテルに着き、心身ともにくつろいだ。料理も凄い豪勢であった・・二人で「来てよかったな・・」とシミジミ語った。食事も終わり少しくつろいだ後、温泉につかりに行くことにした。俺はホテルに着いてすぐに風呂に入ったため、浸かる程度で早々と先に部屋に戻って一人でビ-ルを飲みTVを見ていたが知らん間に、うとうと寝てしまった。そして布団に誰かが入ってきた気配に目が覚め、よく見るとなんと、知らん女が布団に入ってきてるではないか!驚きまくった・・なんで??なんで・・?この女・・誰??ビックリして「あんた誰???」と聞くと、その女は「・・・・・???」かなり酒に酔ってるみたいやった。どうやら、部屋を間違えたらしい・・・けど、布団から出ようとしない・・・この状況は絶対に誤解される・・そう思い・・まさに冷や汗もんだった・・「なんやこいつ!」と思い、一生懸命起こそうとした・・そうこうしてるうちに、嫁さんが部屋に戻ってきた・・「あんた・・何してるん?!」と俺に怒ってきた・・どうやら、案の定、思いっきり誤解してるようだ・・俺も焦ってて、言い訳が、ロレツが回ってない・・嫁さんはますます怪しんだ。必死の弁解がみのり、一応信じてもらえた。女も我に返って謝り、自分の部屋に戻って行った。俺も思いっきり目が覚めてしもて、また飲み直した・・前回の草津といい、アクシデントが続き・・旅行不信になりかけた・・(笑)まったく人騒がせな子であった・・が、ちとオシイ気もした(笑)つづく (続きは次回)
2005年09月28日
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旅行から帰り、すぐにRの結婚式に出席するため関西に向かった。前日Rの家に泊めてもらいRと昔話に花を咲かせた前回、日記に書いたRの悲惨な出来事から想像できない程この時のRは幸せそのものの顔をしていた。この時Rから聞いたのやがRの元彼女のYは、やはりあの後離婚したらしい・・運命には逆らえないが、Yにとって逃がした魚はでかかったと思う。そして翌日・・晴天!Rを天までもが祝福するかの様な快晴であった。Rの結婚式は本人達の希望で、俺が今まで出席した中で一番のジミ婚であった。本人ら曰く、ごく親しい人からのみ祝福されたいそうだ。友達も、俺を含めて地元の友達の3人。新郎・新婦側を合わせても40人弱の結婚式であった。なので俺は、受け付けから歌の披露・・そしてスピ-チと・・一人三役であった(笑)スピ-チは、地元の友達にしてもらってほしい・・と言ったがRは「絶対にお前でないとあかんねん・・」と言ってくれたので引き受けた。スピ-チでは緊張しまくったが、親友のため精一杯した。「本日は大変におめでとうございます・・・恐縮ではありますが本日のこの日を祝う気持ちは、ここにお見えになる皆様に勝てないまでも負けない程の気持ちです・・最後に・・結婚とは・・一生続く恋・・この言葉を贈ります・・」この言葉は、Rが俺の結婚式の時に言ってくれた言葉であった。一生続く恋・・これは、きっとRが自分自身にも言いたかった言葉やと思いこの場で返そうと思った。これも後で聞いた話しやが、図星であった・・(笑)Rの嫁さんとなる子の母親は、二人の結婚を楽しみにしていたがかねてから体調が悪く病院に行った時には、末期癌であり結婚式まで命を延ばそうといろんな治療を耐えてきたが、叶わず式の一ヶ月前に他界した。本来、母親が座るべき席には、写真が置いてあり最後の花束贈呈の時は全員の涙を誘った。そして式も終わり翌日新婚旅行のため、大阪の梅田の某ホテルまで、俺が二人を送ることになっていて皆に見送られて式場を後にした。二人は一日の疲れが出たのか、車に乗ってほとんどすぐに眠ってしまった。梅田のホテルに着き二人を降ろし、感動的な結婚式は終わった。つづく (続きは次回)
2005年09月27日
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そして11月の終わり、また慰安旅行に行った。場所は、南九州。この旅行は、家の会社の下請けも同行したのでかなり宴会等盛り上がった。九州は、高校の時の修学旅行以来やったので楽しみであった。阿蘇では、草千里で乗馬をし、雄大な草原に再度感激した。宮崎では、とんこつラ-メンが絶品で、いまだにあの味を思い出す。そして、日本最南端のある鹿児島・・想い出の指宿ホテルが経営する砂風呂・・初めての体験であったが暖かくあまりの気持ちよさに寝てしまった程であった。続いて温泉につかり、宴会。これも別宴会にしたため、コンパニオンを呼んで少しピンクの宴会で皆、大喜びの盛り上がりの宴会となった。ピンクモ-ド120%となった俺達は、どこか遊びに行こうと思い仲居さんに聞いてみたが、ストリップが一軒あるだけとのこと。仕方なくタクシ-に乗り行ったが、案の定かなり古く、ほんま小さい劇場であった。俺はチケットを買いに行った。売り場には、すっぴんの60代のおばさんが無愛想に「はい・・一人¥3.000-」。高いな~と思いながら人数分を購入した。そして一行、場内へ・・そこはベンチシ-トがいくつか並べて置いてあったが全員座れないほど狭く何人か立っていた。客は俺達だけである。入場して10分経ったがショ-は始まらない・・20分・30分・・皆、ボヤき始めた。そして、50分経った頃、やっとショ-が始まった。踊り子さんが出て来たのだが、どこかで逢ったことのある顔・・・ゲッ!さっきのチケット売り場のババ-やんけぇ~!50分ってのは・・化粧にかかった時間か??皆、少し怒りだした。10分程ショ-をやって終わったと思い、次は若い子??と期待をした瞬間、「はい、終わりですぅ~ご来場ありがとうございました~」「なぬっ!?ってことは、あのババ-が一人二役して終わり??」(怒)その晩、怒りと悶々とした気持ちで寝付きが悪かったのは言うまでもない・・恐るべし・・指宿・・(涙)つづく (続きは次回)
2005年09月26日
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9月・・Mが毎日、微熱が続き身体のだるさを訴える。そしてアクビの連続で、眠い・・を連発する。妊娠をしたらしい・・。産婦人科に行き診察をしてもらったところ二ヶ月であった。二人共大喜びであり、ほんま嬉しかった。気の早い話しやが、男の子やったら○○と言う名前がいい。女の子やったら○○・・と言う感じで名前を考えたりベビ-ベットは、ここに置いてなどなど・・有頂天であった。仕事から帰っては、Mのお腹を摩り「早く生まれやんかな~」とか「重たい物は持つなよ」とか、「買い物は暫く俺がしたるから」など父親気分でいて、何をするにも張り合いがでて気分最高であった。そして9月の終わり・・診察があったため病院に行った。夕方やったため、仕事を早く切り上げて一緒に病院へ行った。きょうは、性別は分かるのか?などと考えなが、周りにいてる妊婦も「この人達も、皆子供産むんやな~」などと、妙な親近感を沸かせながら待合室で待っていたをよく憶えている・・心音が少し弱いのが気になるが至って順調だそうだ。嬉しかった!そして10月に入ってすぐのある日、仕事をしていると携帯が鳴った。Mからである・・何やら慌てた様子であった。驚いて事情を聞いてみると、出血をしたらしい・・急いで自宅に帰り病院へ連れて行った。診察を待っている時間は祈る気持ちで一杯やった。そして、Mが診察室から出て来た・・が、なんか様子がおかしい・・するとMは急に泣き出した・・流産しているとのことだった・・耳を疑ったが事実であった。医師の説明を受け、今から流産の後の処置をするから・・と言われた。目の前が真っ暗になった。2Fの手術室に入り全身麻酔をされて眠るM・・俺は一旦外に出て待った。皮肉にもそこは新生児室の前でもあり生まれたばかりの赤ん坊がかわいい声で泣いている・・その声が妙に辛かった。そして暫くすると手術室から医師がでてきた。ガラスビンにホルマリン漬けされた胎児・・俺達の子供を持っていた。あまりに辛く泣けた・・。そして部屋に入るとMはまだ眠っていた・・約1時間後、Mは目を覚まし俺の顔を見るなり・・「ごめんね・・」と目に涙を一杯ためて言った。一番辛いのはMのはずやのに・・俺は首を横に振るだけで言葉が出なかった。処置後、約2時間程で帰宅した。その晩は流石に寝付きも悪く二人でいろんな話しをした。俺を心配かけさせない為に少し明るく振る舞うM。精一杯のやさしい嘘だと分かった。それから暫くは、二人で食事に出掛けたりドライブや旅行と気分転換に勤めた。つづく (続きは次回)
2005年09月25日
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4月になり嬉しい吉報が届いた。Rに新しい彼女が出来たのだ。あんなことがあったRは、地元関西に帰った為、俺の結婚式以来逢ってなかった。電話越しのRはとても嬉しそうにしていた・・「今度の連休に彼女を紹介がてらそっちに行くから・・」俺も楽しみでもあり嬉しかった。そして連休・・Rは彼女を連れて来た。気さくな感じのええ彼女だった。一緒に食事をし、すぐに打ち解けれた。その晩、Mと話しをしたところ一致たのは、あの二人結婚すると思う・・ってことであった。案の定、その年の秋にゴ-ルインをした。これはまたあとで書こうと思う。そして夏・・Mと親父の田舎に遊びに行った。カナヅチのMに泳ぎを教えることになっていた(笑)俺も幼い頃、ここで親父から泳ぎを教わった・・ここにはいろんな気質の海があり、サ-フィンの世界選手権ができる高波のスポット・・スキュ-バのできるスポット・・海水浴ができる穏やかな波のスポット・・俺はすべてが好きだった。そして、海水浴のできる場所の中でも一際波のない場所で泳ぎを教えてあげた。その甲斐あって息継ぎなしのバタ足ができる様になりMもよろこんでいた。せっかくここに来たのだから・・と言うことで、久々にサ-フインもしたくなりMに波乗りも見せてあげたりもした・・また、素潜りでサザエを採りそれを焼いて食べたり・・Mもよろこんでいた。また田舎の帰りには東京へ立ち寄り、俺が生まれ育った場所を見せたりして本場、もんじゃ焼きをたべさせたりして、いい夏を過ごせた。そして9月のある日・・Mの様子がおかしい・・体に異変があった・・つづく (続きは次回)
2005年09月23日
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新婚旅行から帰り仲人さんをはじめ友達に土産を配りまた普段の生活が始ったただ違うのは、Mと一緒に住んでるってこと朝、起きるとMがいて、仕事から帰るとMが夕飯の支度をして待ってる。なんかとても不思議だった以前は、デ-トをしてもある程度の時間になると帰らなくてはならない・・それが時間を気にせず居れるのだ。夜には2Fの部屋で結婚式や新婚旅行の写真を見ては話が弾んだそして初めての正月仲人をはじめ知人へ二人揃って挨拶に出向いたそして2月、時期外れの慰安旅行に行ったと言うのも俺の結婚式でバタバタと忙しく行けなかったからである。場所は草津温泉であったこの温泉はお気に入り温泉第3位の最高の温泉であるあの事件がなかったら、きっと堂々の1位であろうと言うのも、某旅館に着き宴会まで時間があったので一風呂浴びることにした流石、ドリフの「♪ババンババンバンバン~~いい湯だな~♪」にでる程である・・体の芯まで暖まり最高であったこの時はよかったのであるそして宴会がはじまり別宴会にしたためコンパニオンを呼んでドンチャン騒ぎで従業員も皆大満足でめちゃ盛り上がったそして宴会も終わり、皆で外に遊びに行って帰ってきた時の事時間は深夜になっていた。ここで事件が起きたのである寝る前にもう一回風呂に入ろうと思って入ろうとした時の事深夜と言う事もあり風呂場には数人しかいてなかった。そして風呂に入り洗い場で髪をシャンプ-してた時「あんたここで何してるの?!」振り返って見ると歳にして70~80歳のババ-がスッポンポンで立ってるではないか!ビックリして「おばさん、あんたこそ何してはるんですか?」と言うとそのおばさん・・「あんたここ女風呂だよ・・」「早く出てかないと人を呼ぶからっ!」えっ!?(汗)一瞬何が何だか訳が分からなかったそれもそのはずである夕方に入った風呂に入ったら「女風呂」と言われたのだから。ここは時間交代制の風呂で深夜は女風呂に変るのである・・知らなかった(涙)俺は、人を呼ぶと言われ慌てて髪にシャンプ-をつけたままそこから飛び出した脱衣所に女の一人でも居ればもっと早期発覚したのに・・よりにもよってあの80歳のシワクチャオッパイを見せられた上変態扱いされた・・(泣)この事は今も家族にも誰にも言ってないつづく (続きは次回)
2005年09月22日
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そして、ファッションの街、ミラノ。。。ここでは、ツアー最後の都市やったので自分達の物はもちろん、土産にブランド品を買い捲った(笑)アルマ-ニのス-ツ、フェラガモの靴とネクタイ、プラダのバックグッチの財布。アホまるだしである ここでは昼に中華を食べ、夜には「最後の晩餐会」である。ピアノとサックスの生演奏を聞きながらの食事・・リッチな気分であった翌日、帰る前にあの有名な「スカラ座」を見学でき感動したいよいよ午後の便で帰国であるあっという間の2週間であった。ホテルから自宅に「帰るコ-ル」をしたもちろんコレクトコ-ルで(笑)帰国したら何が食べたい?との家族の気遣いに、俺達は口を揃えてラ-メン「出前一丁」と言った・・妙に食べたかった(笑)家族も、流石に聞き直してきたが、やはり「手前一丁」がよかったさっ、帰国だ。途中JALに乗り換えの為、ドイツのフランクフルトに立ち寄る時間も含めて約18時間後には日本に着くまだまだここに居たい気持ちで一杯だった 今回の旅行では、ここに書かなかった事もたくさんあって今尚、心に残ってる旅行であった・・・もう一度、必ず訪れる事を約束してイタリアを離れた。夜のフライトだったので、ミラノの街の夜景がとても綺麗であった・・帰りの機内ではほんまに寝明かしたそして日本時間の午後6時、成田へ到着ここで、ツア-客と別れの時が来た。流石に2週間も同行していると皆、かなり打ち溶け合い別れを惜しんだそして国内線で名古屋へ・・名古屋空港には家族が迎えに来てくれていたたった2週間ぶりではあるが、家族の顔が妙に懐かしかった(笑)そして帰宅。早速「出前一丁」を用意してくれ食べながら土産を渡し更に土産話をしたこれで、俺達の新婚旅行は終わったが明日から新しい生活が始まるつづく (続きは次回)
2005年09月21日
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そして、次に訪れた所は、サッカ-でおなじみの、ペル-ジャ丘の上に建つホテル・・昔、貴族の屋敷を改造して建てたそうだほんまに豪華なホテルであった俺らが泊った部屋は、寝室・リビングと二つの部屋に別れててとにかく広かった・・ツアー中のホテルの中で一番豪華なホテルであった。。ホテルに着き、自由行動やったので、夕食まで二人で街を歩いた・・ホテルの近くに、何気にエスカレーターがあってこのエスカレーターは、今でもハッキリ記憶に残っているが世界一長いんではなかろうか??と思うくらい丘の上から街の下まで降りるのに 20分以上??かなりの時間・・乗っていた。。。そして夕食の時間になったので、ホテルに戻りホテル内のレストランへ。。。ここでもまたハプニングが。。。一度ツアーの人全員でロビーに集合して ソファーに座り雑談をしていた・・そして、添乗員に呼ばれたので ほんの1分くらい席をたった、その間にソファーに置き忘れたカメラがない・・・新婚旅行の為に購入した 割と高価なカメラやのに。。。添乗員や皆も暫く探してくれたが・・ない。。。置き引きにあってしもた。。後で聞いた話しやが、イタリアはそういう部分では治安が悪いらしい・・その晩は、悶々とした気持ちであまり寝れなかった。。翌朝、バスの出発がいつもより少しゆっくりやったので朝一番・・現地のカメラ屋が開くのを店の前で待ちカメラを購入した・・余談やが、イタリア人は食と恋愛と休暇を大切にする習慣があり、開店とかは、日本に比べてかなりルーズなようで朝から開店しないのは珍しくないらしく購入できるでけでもラッキーなんだそうだ・・そして・・日本で売っていたのと同じ物があったがこの店の高額に驚いた・・一応値切ってみたが甲斐なしであった。。なんとか、カメラをGETでき、旅行再開である・・カメラがなかったら想い出も半減してしまうし、これで一安心であった・・そして、次に向かった所は水の都ベニス。ここは今尚、景色が鮮明に残ってる場所である。予てから一番行きたかった場所で、この旅行のマイ・メインでもあった。憧れのゴンドラに乗り、アコ-ディオンを弾きながら「♪サンタ-ルチ-ア-」まるで夢の世界であった。こんな幸せな時間ってあるんや~と最高に幸せだった・・ 当時イタリアは治安は割とよくどの都市も夜に二人で買い物や食事に出歩いたが、中でもベニスは格別だった。世界で一番古い喫茶店も、ここベニスにありあの広いサンマルコ広場を散策したのはいい想い出になっている。 ここでは、お目当てのベネチアングラスを購入したペア-の品だが、清水寺の境内から飛び降りる気持ちで買った高価すぎて現在までも一度も使ったことがない(笑)ここベニスでも、二泊したのでいろんな観光ができ二人で水上バスに乗り、レストランバーみたいなところ「マドンナ」っていう店に入り、本場・・イカ墨のパスタを食べワインで乾杯した・・ そして二日目の夜・・ホテルに入り言葉も意味もわからんテレビを見ていたが つまらんので、風呂に入っていたら、隣の部屋から何やら怪しい声が・・・(笑)同じツアーの人の部屋からだ・・・奥さんのかなり激しい声に、Mを呼び暫く聞いていた・・(笑)フィニッシュを迎えたのか 声がおさまり・・Mと二人ですっごかったな~~と感心した・・・(笑)そして次に、Mが風呂へ入っていると、Mが風呂から俺を呼んだ・・行ってみると、またまた激しい声が。。。(笑)第2ラウンド再開である・・・・(笑)翌朝・・朝食の時、その夫婦と顔を合わせたが、二人とも目の下にクマができていたので、Mと思わず笑ってしもた・・つづく (続きは次回)
2005年09月20日
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そして次の都市、フィレンツェへ・・ここでは、二日間も滞在したため割とゆっくりできた・・ここもミケランジェロ広場から見下ろすフィレンツェの町並み忘れる事のない景色となっているそして竹内豊・ケリー・チャン主演映画の「冷静と情熱のあいだ 」でお馴染みの巨大な教会・・ドォ-モ・・・あの建物は、まじかに見ると迫力の一言である・・この教会の展望台にカップルで行くとそのカップルは、結ばれる・・・という伝説があるそうだ。。。現地のカップルが、めちゃめちゃ、いちゃついてるのが印象的だった・・そして世界一古い時計や、あの「ヴィ-ナス誕生」の絵画があるウフィッツィ-美術館・・・絵画など、あまり興味のない俺も、流石に見入ってしまった・・・その後、ここフィレンツェでイタリアに来て初めて日本食を食べた。。イタリア人が、天ぷらや寿司、味噌汁を運ぶ姿はなんか・・ミョ~な感じがした。自由時間ではノミの市に行きMがカシミヤのショ-ルを買ったり俺も皮のジャケットを購入した・・この、ノミの市は、ディスカウントO.Kで、楽しい買い物であった・・そして夜には、またまた二人で買い物と散歩に出掛けた・・次の日は「バスに乗りピサへ・・ピサの斜塔」を見物した・・よくこれだけ傾いててこけやんな~と感心するばかりであった そして、ドゥオーモ教会では、ミサの最中で・・現地の人が神に祈りを捧げる姿は、なんか神秘的だった・・陽気なおじさんが、売ってるアイスクリーム・・めちゃ美味しかった!そしてアッシジへ。ここは昔ドラマ「スチュ-ワ-デス物語」のラストシ-ンで、風間杜夫と堀ちえみが結婚式をあげた教会があるここでハプニング発生・・なんと徒歩観光の途中に不覚にも犬のうんこを踏んでしまった(涙)しかも巨大な!今に思えばほんまに犬のうんこなのか?ひょっとして人間?(汚)食事前に読まれた方・・すいません・・この靴でバスに乗るわけにはいかないなんとか落とそうと洗い場を探すがないバスの発車時間は段々せまってくる・・焦った仕方なく現地の靴屋に行き、新しい靴を購入したナイキのお気に入りの靴やったのに一方、同じツア-客で一番若い夫婦の嫁さんの方が急な発熱が出て寒さでガタガタ震えていて一時騒然となったフィレンツェで購入した、カシミヤのショ-ルを貸してあげ薬もあげ、バスの後方席で寝かせてあげたこれがきっかけで、この夫婦とは仲がよくなり現在も交流をしているまっそんなことはあったが、このアッシジは田舎街でほんまに気に入った。是非また訪れたい場所であるリベンジ旅行をかねて。。。。つづく (続きは次回)
2005年09月19日
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ロ-マ・・一日にして成らず。この言葉がピッタリであった「トレビの泉」では、後ろ向きで肩越しにコインを投げると再びロ-マへ訪れれる・・この迷信通りやった是非!是非!もう一度、訪れたい・・・世界一小さな都市「ヴァチカン帝国」サンピエトロ寺院の規模の大きさに驚いた世界的に有名な「ヴァチカン美術館」。値段のつけようのない貴重な高価な美術品が手の届く位置に展示されており一つ持って帰ろうかと思った(笑)映画、ロ-マの休日でおなじみの「スペイン階段」ここで映画のように、アイスクリ-ムを食べた ウソをついたら手を噛まれるという伝説のある「真実の口」・・どれもこれも感激した! 一方食事はというと初めの一食はオリ-ブオイルが口にあわず約2週間この料理を食べるのか?と思ったら吐き気がしたが二食目からは予想外の旨さ!本場ピザも食べワインも絶品!大満足であった驚いたのは、Lサイズの大きさ!!直径50cmは、あったんちゃうやろか??見本を見て、即却下!!(笑)夜には、自由行動の時間があったので、二人で散策に出掛けた・・アンティークな物が置いてある 骨董品屋みたいなとこに入ったりブランド品の店などで、いろんな買い物をした・・まるで夢のような時間であった・・・ホテルも5つ星のところに泊れて リッチな気分を味わえた・・これも また機会があれば写真を掲載しようと思うつづく (続きは次回)
2005年09月17日
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翌朝の目覚めはとてもよかった朝食はしばらく日本食が食べられへんから和食にしたそしてホテルの送迎バスに乗り成田空港へツア-の集合時間の1時間前に成田へ着いた。その後空港内をブラつき時間を潰した時間になり集合場所へ行ったら同じツア-らしき人が何人か来ていた添乗員をはじめ他の人に挨拶を交す点呼をとったら、一組だけ来ていない。新婚カップルらしい10分経っても20分経っても来ないそして約50分遅れでやって来た。しかもゆっくり歩いて皆、ムッとした表情であった添乗員が「どうしました?時間間違えましたか?」と聞くと「いえ、知ってました」と遅刻しといて「すいません」の一言もない上、知っていながら余裕で歩いてくるふてぶてしさ・・ムッとした。おそらく他の人も同感だったと思う流石に、全員の冷たい視線を感じたのかその場も謝りツア-中も乱すことはなかった今回のツア-は、中年の夫婦一組と中年の女性一組あとは新婚カップル11組だったそして税関を通り免税店でタバコを2カ-トン買いJAL機内へ13時間のフライトだった機内は割と空いていて3人掛けの席を2人で座れ楽だった途中、シベリア上空の外気温-60゜Cと機内に表示されていた時は機内もかなり寒かったのが印象的だった寝ても寝てもまだ着かない・・ほんまに長かったそして乗り換えの為、オランダのアムステルダム空港に寄ったこの時から時差ボケが始まっていた日本時間はたしか深夜2時・・現地は夕方6時乗り換えまで1時間半あったので免税店でいろいろ見ていると「エクスキュ-ズミ-」長身のス-ツを着た外人だった狭い通路をふさいでた為「すいませんそこを通してください」というのだ・紳士である・カッチョイイ!そしてアリタリア航空に乗り換え約2時間レオナルド・ダヴィンチ空港へ・・ロ-マに着いたバスに乗り込みホテルへ向かいホテルに着いた時は現地時間で夜11時を廻っていた。その晩はグッスリ眠る翌朝ホテルでの朝食。憧れの本場カプチ-ノを飲む。めちゃウマ!!そしてバスに乗り込み市内観光大通りに出た瞬間目を疑った・・あのコロッセオがいきなり目前にあった・・言葉が出なかった・・感動の嵐である・・つづく (続きは次回)
2005年09月16日
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披露宴では、目の前のご馳走も一口も食べれなかった為友達が用意してくれたハンバ-ガ-を食べながら特急の中で二人できょうのことを振り返り話した二人共 同感だったのは、一日の時間の経つのが早かったことだった。そして名古屋駅に着き新幹線に乗り換えた一生に一度のことやから豪勢に行こう・・とのことで、グリ-ン車へリッチな気分も束の間、一日の疲れがドットでて二人共少し寝ようかと思った時、Mが「あっ!どうしょう・・大事な物忘れてきた~~」と言い出した視力が悪い為、コンタクトなのだが、そのコンタクトを外して入れておくケ-スと洗浄液一式すべて忘れたと言うのである寝るに寝れず、夫婦になって最短時間で夫婦ケンカの勃発であった(笑)そして東京駅に着きその後、成田へ行くための電車成田エクスプレスの発車時刻まで25分しかない普通なら乗り換え時間も楽勝なのだが、そのケ-スを買うため東京駅中を走りまくったやっと目的の物を購入し、ホ-ムまで猛ダッシュ!ベルが鳴っており、間一髪最後尾の車輌に飛び乗りギリギリセ-フ二人共、髪は降り乱れるは、汗だくやわ・・で、散々だったこの電車も、グリ-ン車にしたのだが、これは最高だった!贅沢に空間をとってあり、ほんまリラックスできる車輌であったそして、成田空港駅に着き電車で行ったのは初めてやったので驚いたのは、当時サミットの最中やったこともあり、駅でパスポ-ト拝見をさせられた。その後、タクシ-で某ホテルへ新婚旅行というこしもあり、いろんなサ-ビス付きに大満足であった部屋に着き一段落ついたとこで、家に電話をしたら留守やったので親父の携帯へ・・すると、新郎新婦抜きの親族だけの二次会を料亭でしていたのである(笑)電話越しに「きよすけ、初夜・・がんばれよ~」の従兄弟からの奇声が聞こえるとにかく無事に着いた報告とお礼を言い電話を切った風呂に入った後、TVをつけると、大河ドラマ「信長」がやっていたので暫く観ていたするとル-ムサ-ビスで、デザ-トとワインが届いたそれを飲みながら、また今日一日のことを話しをした、なにか不思議な気持ちだった「きょうから夫婦なんや、こいつと一緒に生きて行くんや」と。そして眠りについたさっ明日から、約2週間のイタリア新婚旅行の始まりであるつづく (続きは次回)
2005年09月15日
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1992年11月22日・・雲ひとつない晴天緊張のあまり朝早く目が覚める朝6時半、披露宴会場である某ホテルの中の美容院へ着付けと髪のセットに行った初めて着る紋付き袴なんだか照れくさいそして9時前、自宅前に一台のタクシ-が着く仲人さんに手を引かれMが降りて来た・・白無垢を纏いとても綺麗だったそして仏壇の前で結婚報告をし俺の親戚から祝福をうけるこの中に、HとRも来てくれていたそして一同披露宴会場へ挙式は人前結婚式のスタイルにした両家の親族のみ会場内に入ってもらったのだが、俺の希望でHとRも同席してもらったまず親族紹介をし次に婚姻届に捺印、指輪の交換、三三九度の杯そして誓いの言葉を皆の前で読みあげた緊張しまくったが厳粛で身の引き締まる思いと同時にMを守り幸せにしょう・・と深く決意した場でもあった式も無事に終わらせ集合写真を撮影するために撮影部屋へその部屋には見慣れたいつもの友達の顔ぶれお世話になっている仕事の得意先の社長高校の時の恩師その数は親族も入れ130名皆俺達のために駆けつけてくれたんや・・そう思うと嬉しさで込み上げるものがあったそして披露宴・・大きな扉の前に立つその扉の向こうには俺達を祝福してくれる人達がいる俺とM、二人の大好きな曲・・姫神の「青空」がBGMで流れたそっと扉が開く・・スポットを浴び、たくさんの拍手に支えられながらゆっくり歩き上座へと友人の「きよすけ~おめでとう~!」の声が耳に入る。上座に着き辺りを見回す・・これだけの人が祝福してくれている事に感謝の想いで一杯だったまず乾杯を取引先の社長にしてもらったそしてまた違う会社の社長より祝辞を・・これが長かった(笑)次にウェディングケ-キ入刀まるで芸能人の記者会見のようにカメラのフラッシュの嵐恥かしく嬉しかった余談やが、親戚・友人、知人、家族、すべての写真を合わせると1083枚もあり整理がしんどかった(笑)そしてお色直し・・和装から一気に洋装へ俺は黒のロングタキシ-ド・・これはかなりお気に入りだった全国でその店にしかおいてないらしくあとで皆にどこの店かを聞かれたほどだったそしてMは白のウェディングドレス・・これも見事だった今度は映画「愛と青春の旅立ち」の曲での入場上座へ着く・・友人による余興をはじめ祝福の歌を歌ってくれたこの時、皆が酒を注ぎに来てくれたのだが、順番に並んでいるこれを全部受けたらヘロヘロになってしまうお礼だけ言って酒をストップしたのを憶えている最後にHが、浜省の「もうひとつの土曜日」を歌ってくれたさいごのフレ-ズを歌いたかったそうだ・・それを、俺とH・・二人で歌ったそしてまた最後のお色直しへ今度は二人共ブル-の衣装にしたプリンセス・プリンセスの「ONE」という曲♪重たい鞄をさげて たどり着く部屋で あなたにあえる・・・二人の大好きな曲であったそしてキャンドルサ-ビス・・15のテ-ブルをひとつひとつ廻る。(このときの写真は また機会があれば掲載します・・)両親・・嬉しそうな表情で迎えてくれた友達・・全員が「きよすけにかんぱ~い!」と酒を一気飲み・・とても暖かかった俺のすべてを知るRと目が合う・・言葉を交さずとも涙がでる・・そしてメインキャンドル・・Mが「幸せになろうね・・」そっと首を縦に振る上座に着き、友人代表スピ-チ・・R。「本日は御両家の皆様・・誠におめでとうございます・・」「恐縮ではありますが、本日の嬉しい気持ちは・・皆様に勝てないまでも負けません・・略・・」「きよすけ・・結婚とは一生続く恋・・この言葉を贈ります」大拍手だったそして両親へ、花束贈呈・・曲は、今井美樹の「瞳がほほえむから」・・これも二人共好きな曲だった結納の日、親父が倒れて奇跡的に助かりこの場にいてくれるきょうまでほんまたくさんの事があったが、こうやって第二の人生のスタ-ト地点に立てた感謝の思いで一杯だったMの両親も感激と寂しさで泣いていた時間にして一瞬で過ぎたような披露宴も無事終わり皆を送りだす為に会場の外へでたところ、なんとたくさんの友達が祝福に来てくれていた式には人数の関係で15名に来てもらい全員呼べなかったのが残念であったが皆、来てくれた・・約50名・・感動した・・そして皆が胴上げをしてくれた・・あの時の事は忘れない・・約1時間後、新婚旅行に出発の為最寄りの駅まで皆が見送ってくれた・・その数100名以上。駅員があわてて警備に来たのも印象的であった電車がホ-ムに着くと、また胴上げをしてくれクラッカ-の連発・・駅員の制止も無視した、まるでテロのようだった(笑)全員に感謝し俺とMは電車に乗ったつづく (続きは次回)
2005年09月14日
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9月大安吉日・・我が家に嫁入り道具が来たまず、化粧鏡・・ドレッサ-を一番に搬入設置した続いて、桐箪笥、バ-カウンタ-、テレビ、ベット、車俺達の新居となる2Fの3部屋には所狭しと荷物が運ばれたこの時、「あぁ~俺、ほんまに結婚するんや~」と改めて実感したのを、よく憶えているベットも当時、流行のウォ-タ-ベットで俺にとっては未知の寝心地感であったが、なんか俺だけ使うのが悪く感じて当分の間、板間にせんべい布団で寝た記憶がある(笑)数日後、式当日の衣装の最終決定のため、名古屋の某貸衣装店に行った俺は、紋付袴とモ-ニング、タキシ-ドであったが、色合いをMの衣装に合わせたMの衣装はというと、おろしたての、色打掛、ウェディングドレスそしてもうひとつドレス。たまげたのは値段であるなんと、色打掛8万・・「なんや結構するんやな~」と思いきや、0がひとつ多い・・80万である「げっ!たった1日のレンタル料が80万!?」ドレス共々で、130万!驚きの一言であった幸いにもその後交渉して少しまけてもらいオマケに俺の衣装代はタダ(笑)そして10月の終わり恒例の前祝いを皆がしてくれたこの時ほんま感謝したのは、過去最高の結集率で50人以上来てくれたビンゴゲ-ムをしたり、昔ばなしに花を咲かせ大いに盛りあがった。最後の花束贈呈には、HとRがくれた「お前の結婚を皆、心から祝福しとるから・・」皆が注目する中、二人はこの祝いの言場をくれた・・ここにはいろんな意味があったのもよく理解できたので、嬉しくて泣けたのをよく憶えている。この時、友達の有り難さが身にしみたそして11/1・・既に退職していたMと保険の関係もあり籍をいれた。夫婦・・この響きが不思議に思えた。そして11月の半ば、Mは体調を崩してしまった結婚式までわずか一週間前のことであった微熱が続き、咳がとまらない・・そんな症状であった結婚式はともかく、新婚旅行の中止は仕方ない・・とさえ思っていた。しかし、一生に一度の事、最善を尽くそうと言うことになり短期入院をさせた。その甲斐あって、咳は残ったものの熱は下がりこれなら行けるというとこまで復活できたそして、式前日・・・続々と親戚が東京をはじめ各地から来てくれたいよいよ明日、人生最高の門出を迎えるつづく (続きは次回)
2005年09月13日
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そして夏、待望の新居が完成した設計・施工を自ら手掛けたので納得のいく家が出来た当時住んでいた家より車で5分程度の場所への引越しであったこの時嬉しかったのは、いつものメンバ-もRも皆、手伝いに来てくれたやっぱり友達はいいものだ当然ゴミもでるわけで、それがなんと2t車3台分!どこにこんなゴミがあったのか?というくらいあったそして引っ越しも大方終わり皆で食事に行ったその時、ほんま偶然にもその店にN子がいた「うわ~最悪」と思ったが気付かぬフリをして店の奥へ皆と入ろうとした時「きよすけ・・」と声をかけてきたその声に皆が振り向くここにいるメンバ-全員がN子との事は知っている為険悪な雰囲気が漂ったこの時Mは家のあとかたずけの為居なかったので良かった俺も軽く会釈する程度でその場を交した食事が終わり気分よく外へ出ようとした時、N子が待っていた「元気?最近どおしてる?」ぎこちない話し方で聞いてきた周りは「きよすけ・・そんな奴ほっとけ!」皆、口を揃えて言ったが、皆気をきかせて駐車場へ先に行った「俺、結婚することになった」N子は一瞬驚いた様子を見せたが「そっか・・おめでとう私は当分無理みたい」「私きよすけの事一生忘れへんよ」「きょう結婚前に一目逢えてよかった・・幸せになってね」「ありがとう」俺はこの一言だけ言って皆の待つ駐車場へ行ったお盆になりこの日記では書かなかったが両祖父母は全員他界しており、お袋の母親は俺が生れる三ヶ月前に他界続いて父親も俺が小学校の時親父の父親も俺が中学の時、最後の祖母と呼べるおばあちゃんも前の年Rのことでゴタついてる最中に他界した俺の結婚式を楽しみにしていてくれたが叶わなかったなので親父の田舎へ行きMと一緒に墓前に結婚の報告に行ったそして例の大好きな場所に一人で行き、これまでの事を色々振り返った・・(フリーページ参照)思い出しては笑える出来事、辛かった事、悲しかった事・・ほんまにいろんな事があったこの先もたくさんの出来事があるのは分かっていたがひとまずこれまでの自分に区切りをつけMと頑張ろうそう思っていた時うしろから「きよすけ・・」Mが来た本来一人で居たい場所だが、このときばかりはMと将来のことなどを話したそして9月の終わり家に嫁入り道具が来たつづく (続きは次回)
2005年09月12日
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今俺がやるべき事は会社を守り家族を守り親父の一日も早い回復を祈らなあかん・・この思いだけで頑張ろう・・と自分に言い聞かせた。仕事の事は一切親父の耳に入れず治療に専念してもらった結果役50日で無事退院できたそのころには俺自身も一通りのことができる様になっていたため親父を退院後二ヶ月間自宅療養させることにした。一通りできる様になったとはいえ、俺を世間はなかなか認めてはくれなかった特に、従業員の中には、「俺に指図をするな」とか「俺はあんたに雇われているんやない」ってな感じで社長の不在をいいことに、好き放題の言動を言う者が数名いた初めのうちは、悔しかったが何も言わず仕事を進める事だけに専念したしかし、それも限度があった何故なら、そいつらとは現場に行く班が違うためなかなか気がつかなかったが、ある日たまたまそいつらの現場に用事があって行ってみるとなんと仕事もせんと休憩時間外の時間帯に昼寝をしていたのであるその場では監督をはじめいろんな人達がいてるのでそいつらが夕方会社に帰って来た時に、爆発したそいつらの近くへ行き・・「〇〇さんきょう現場で何してた?」と聞くと、「仕事したのに決まってるやないけ~」と反論してきたので流石にキレた「おい、あんたら俺が若いと思ってあまりおちょくるなよ!」「お前ら3人明日からもう会社でてこんでええ!クビや・・」流石にそいつらも驚いた様子で、「なんでやねん?」「そんなこと言わんといてや・・社長は何て言ってはんの?」そこで俺は「やかましいわ~俺の判断や!」「なんでクビなんかは自分が一番知ってるやろ!」他の従業員も唖然としていたこれは俺自身のクビをかけての発言であった親父の承諾なしに勝手なことをしてしまったと反省はしたものの俺なりの責任感からのケジメのつけ方やったその晩、退院後初めて具体的に仕事の話と今回の経緯と結果を報告した絶対に怒られると思ったしかし「お前の判断は間違ってへんよく会社を守ってくれた」怒られるどころか褒められたおそらく記憶の限りで褒められた事はこれが初めてやと思う。次の日、その従業員が出社してきて、開口一番に「申し訳ありませんでした・・以後気をつけます」と謝ってきた・・俺は許したそれは相手の目が真剣であったからであるその従業員は現在も元気に会社のために働いてくれているつづく (続きは次回)
2005年09月10日
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何時間経っただろう一人の医師が手術室からでてきたそして・・「一命はとりとめましたが、油断はまったくできない状態です」「これから、ICUに移ってもらいますが、今夜異変が起きる可能性がありますのですぐに連絡がつく様にしておいて下さい」しばらくすると手術室からベットに横たわった親父がでてきた意識はないけど、生きてでてこれたことに感謝の想いで一杯であった全身の力が抜けた様な安堵感があったのを憶えているその後、ICUへ一緒に行き医師より今回の経緯の説明をうけ体にかなりのダメ-ジを受けていることを聞かされた一日も早い回復を・・・祈る気持ちでいた。その晩、帰宅したものの当然一睡もできなかった。電話のベルがいつ鳴るのか不安の夜であった後で聞いた話しやが、この晩親父は薬による副作用で夢遊を起こし絶対動いたらあかんのに起き上がってしまい治療の際に使う大動脈へ入れてある針が外れ大出血を起こし一時騒然となったそうである次の日、仕事があるため会社に出社したが、重大な事に気付く当面の会社の運営である事務的なことはすべて親父任せで俺は何も知らない・・一日の従業員の仕事の段取りから書類関係・入札・見積り・商談・・すべてがわからないだが、聞ける人もいない・・一方、結婚の為現在住んでる家を新築中でもあった何から何まですべて俺の考えひとつで事を運んでいかなくてはならなかった。不安の二字が頭の中をよぎりまくったその日より事務的な事の一切の勉強が始まった。これまで親父がしていた見積りや書類を全部、目を通し何故こうなるのかの根拠を徹底的に追求し連日遅くまで勉強した最初のうちは、俺がつくった書類や見積りを世間は笑っていた。今に思えば俺自身も笑える代物である(笑)それもそのはず・・まるで素人まるだしであった書類で失敗し見積もりで失敗し仕事の段取りも失敗し・・で、どれほど会社に損害をさせてしまったことかそして新築中の家の打ち合わせも深夜になることがほとんどであった。早朝、事務処理。昼は現場。夜はまた事務処理疲労で血の小便がでる事もあった食事をする時間も割く事もしばしばあったりで体重も当時、60kg近くあったのが48kgまで落ちてしまった当時、俺自身一番辛い時期でもあった自分の力のなさや思うようにできない歯がゆさから悔しくて何度、風呂の中で泣いたかわからないつづく・・(続きは次回)
2005年09月08日
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和やかな雰囲気で、皆が幸せなひとときを過ごした。食事も終え、そろそろお開き・・その時、親父が「気分急に悪くなってきたんで悪いがすぐに家に送ってくれへんか?」と言い出した。「めでたい席で、しかもあと少しで終わるのに何言ってるんや?親父!」そう言ったが、親父は冷や汗をかき出し顔色も悪くなってきたので仕方なしに、挨拶もそこそこに帰宅した。酒の悪酔いでもしたと思い、親父を寝室に寝かせ俺とMは、新婚旅行のパンフレットをもらいに旅行会社に行った。着いてすぐに、ポケベルが鳴った(当時はペケベルやった(笑))自宅からだ・・・電話をしてみると親父の様子がおかしいのですぐ帰るように・・とのことだった。帰ってみると親父は、ひどく苦しい表情をしていたため急いで車に乗せ病院へ行った。しばらくすると、救急治療室から一人の医師がでてきた。そして、俺に「お父さんの病名は、心筋梗塞です・・」「一刻を争います・・私達も全力を尽くしますが、現在の症状から言って生存率はかなり低いので、覚悟をしておいてください・・」俺には医師の言ってる意味が分からなかった・・・心筋梗塞??生存率??あんなに元気な親父をつかまえて何言っとんねん!こいつ・・。隣りでお袋が泣いている・・そして別室に呼ばれ説明をうけ、心筋梗塞の意味をここで初めて知った。同時に、俺は心の中で必死に否定をした。が、現実であった。もし親父がいなくなったら・・・そう考えると全身に震えが来た。何時間経っただろう・・・手術室の赤いランプがこうこうと光る中・・頭の中をよぎるのは最悪なことばかり・・・「親父をこないな事にしてしまったんわ、きっと俺のせいや・・俺がもっとしっかりしてへんからや・・」自分を責めまくった。が、事態は変るわけでもなく、長く辛い時間だけがゆっくり経っていった・・・つづく (続きは次回)
2005年09月07日
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そして2月の下旬、婚約指輪と結婚指輪、そして結納の品々を買いに出掛けた。当時は給料もまだ安く、貯金もそんなにあるわけではなかったが一生に一度の事・・精一杯したかった。そして車を売る決意をした。車は、俺にとっていわば宝物であった。総額600万をかけて仕上げた車・・・手放すのはほんまに寂しかったが仕方がなかった。フリーページの四代目参照。。後輩がどうしても売ってほしいとの事やったで売ることにした。売った金の大半はロ-ンの残金に消えたが残りの金で指輪を・・と思った。宝石店に入った・・「好きなものを選んだらええよ・・」とは言ったものの内心ドキドキものやったのを憶えている・・・(笑)そんな時に限って店のオヤジが高いものをススメテ来たので冷や汗ものだった。そして決まった・・・婚約指輪は、2カラットのダイヤ・・そして、結納の時に納める品として結婚指輪とピンク色のきれいな真珠のネックレスとイヤリング・・金額も自分ではだいぶ背伸びしすぎかな?とも思ったがMの嬉しそうな顔を見たらその気持ちも消えた。そして忘れもしない3月29日大安吉日・・結納の日・・朝から一張羅のス-ツに身を包み心なしか緊張気味・・・結納の品々が入った赤い大きな箱を車に積み、いざMの家に・・・Mをはじめ両親も、緊張気味で出迎えてくれた。3階の仏間に通されて、結納品を丁寧に並べて行く・・・最後に結納金を小さな引き出しの中へ・・「この金があったら車のあのパ-ツも買えて旅行も海外に行って・・」と、ブツブツ独り言を言った記憶がある・・そしてすべての品を並べ終えて1階のリビングに待機してるM達を呼び、「ただいまより結納の儀・・とり行います・・」終始緊張気味ですべてを終え、一行、近くの料亭へ場所を変え食事をした。つづく (続きは次回)
2005年09月06日
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俺は力を振り絞り目の前にある公衆電話に入って、Mの家に電話をして場所だけ告げた。その後、意識をなくしてしまい気が付いたところは病院だった。何故こんなところにいるのか分からず、ただ激しい痛みだけがあったのを憶えている。そこには、Mはもちろん俺の親と弟、Mの親がいた。そしてなんと警察まで来ていた。やっと意識もはっきりしてきて、事情を聞くと一週間前にも同じ様な事件があり俺の現場で目撃者もかなりいてて、その中の一人が警察や救急車を呼んでくれはったそうで、その人が見た車種が一週間前の事件と同じであったらしい・・その一週間前の事件とは、俺も詳しい事は分からんが、港で男女のカップルが襲われたそうやが男性は、かなりやられたらしく重症で、殴られまくった後、海にほられたそうでたまたまその近くで釣りをしていた人が助けたらしい。女性はそのまま連れていかれ強姦をされたそうだ。その時の目撃車種が同じやったみたいで、刑事事件として捜査してる最中の今回の出来事やったそうだ。そして俺は・・というと、肋骨骨折、奥歯3本が折れて、いろんな箇所を切ったので十数針縫った。顔は原形をとどめないほど腫れ上がっていた(苦笑)そうこうしてるうちに、年が明け・・平成4年の幕開けとなった・・新年を病院で過ごす・・という最低なものとなった。ちなみにその犯人はまだ逮捕されてない・・・今となっては笑い話ですむが、後で聞いた話やが当時、Mは俺の無残な姿を見て狂ったように泣いていたそうだ。俺が死ぬと思ったらしい・・(笑)親も俺の当時の状態を見て、最悪の事を一瞬思ったらしい・・(笑)しかし俺もこの時ばかりは、「死」がよぎる程の恐怖感があった。まっこの程度の怪我で済んだことは、不幸中の幸いと言ったところである。一年の計は元旦にあり!昔の人はほんまええ事を言ったものだ・・やはり元旦からあんな事があるとやっぱり災難は続いた・・・そして2月・・怪我もおさまり二人婚約指輪を買いにでかけた。これは次回、書くとしてこの時に、また忘れ得ぬことが間近に起こるとは思ってもみなかった・・つづく (続きは次回)
2005年09月04日
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あの出来事は今もほんまに苦い思い出として残ってる。大晦日、毎年恒例の「年越しそば」を食べに行くため、Mの家に向かう途中あと、300m・・手前の大きな交差点での出来事であった。その交差点のだいぶ手前より変な運転をする車が一台、後ろから来ていたのはバックミラ-に写っていたので知っていた。けど、その時は気にもとめずにいた。そして交差点で信号待ちで停止した時である・・いきなり降りて来て、俺の車の窓ガラスをノックするのである・・道でも聞いてくるのかと思い窓をあけるといきなり胸座をつかまれ車から引きずり降ろされた・・車から引きずり降ろされた後、すかさず殴られ抵抗する間もなかった。初め何がなんだか訳が分からなかった。そして、その車に同乗していた奴らも降りて来た。相手は5人であった。当時、自分で言うのも変な話しやがケンカには多少自信があったため相手は5人であとろと反戦した。が、やはりどうしょうもなくなすすでがなかった・・この時、初めて完全な負けを知った・・と同時にかなりの恐怖感が走ったのを憶えているどのくらいの時間殴られたのか記憶にない・・・憶えているのは木刀で顔をなぐられ激痛と頭の中が真っ白になった事ぐらいである。そして奴らは、俺から財布をとって逃げて行ってしもた・・かなり大きな交差点の為、車もかなり通っていたが誰ひとり助けに来てくれる人がいなかったのが非常に残念だった・・ つづく・・(続きは次回)
2005年09月03日
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そして、12/5・・俺はMにあらためてプロポ-ズをした。照れ臭いがプロポ-ズの言葉は「俺と一緒に幸せになっくれ」やった(笑)Mは泣いて「ありがとう・・」と了承してくれた。この日記にも書ききれない事もたくさんあったがMと一緒になろうと思った。次の日、自分の親に二人揃って結婚の報告をした。親父もお袋も喜んでくれ「二人力を合わせて頑張る様に・・」と激励をしてくれた。そして一週間後・・Mの親に挨拶に行った。一張羅のス-ツを着て気合いを入れて行った。異常に緊張したのをよく憶えている。と同時に義親父が、一瞬ほんま寂しい顔をしたのも印象的であった。義親父は「まだまだ甘えたやが手塩にかけたかわいい娘や・・幸せにしてやってほしい・・」俺も「分かりました・・僕もまだまだ若輩ですが全力で守ります」。言葉はこれだけやったが、充分であった。あとは終始、いつもの雰囲気に戻り義親父と酒を交わした。結納を3/29・・式を11/22と決めいろんな準備をここからスタ-トした。当時、まだ実感というものはなかったが、何か責任感のような身が引き締まる決意があったのもよく憶えている。Mもほんま嬉しかったようで、早くも新婚旅行のパンフや嫁入り道具の品定めの話しを頻繁に楽しそうにする様になった。そして、12/31・・毎年恒例の「年越しそば」を食べに行く為Mを誘いに実家に向かう途中エライ目に合うことになる・・つづく (続きは次回)
2005年09月02日
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今日から9月!なんか夏も終りやと思うと めちゃ寂しく思えるのは俺だけやろか・・ その年の秋は結婚ラッシュやった。まずT・・10月に結婚が決まり恒例の前祝いをすることになった。そして当日。Kの時と同じ様にたくさんの仲間が集まってくれて祝い開始!!いつものメンバ-の中では一番酒の強いT当然皆のええカモであった。しかしそこは横綱・・どんだけ飲んでもほとんど表情が変わらなかった。そして最後の花束贈呈・・・ほんまに嬉しそうやった今に思えばTの前祝いだけが何事もなく終始盛り上がりって出来たのは・・(笑)そして一週間後に結婚式があった。その一ヶ月後Sの結婚式があった。同じく前祝いをするつもりで皆集まった。やっぱりSであるまたここでアクシデント発生。前祝いをするために会場に時間前に皆集まりSを待っていた。しかし約束の時間を一時間過ぎても来ない。皆も段々とシラゲ気味になってきたとき会場である店に電話が鳴った俺が電話に出てみるとSからであった。なんとここへ来る途中に嫁さんとなる彼女が運転をしていて信号無視の車が横から飛び出してきて事故を起こしたらしいなんでSはこんなに問題が多いのか?(苦笑)二人とも幸い軽い怪我で済んだみたいやが、相手の車の助手席の人がかなりの怪我をしたようであった。一端電話を切ってそのことを皆に伝えると皆驚いていた。店にも料理などをあらかじめ注文してあったのでキャンセルできず仕方なく新郎・新婦、抜きの異例の前祝いを始めることになった。といっても、Sの事も心配やったので、俺とM(後の嫁さん)とK夫婦T夫婦で病院に行った。ほんま軽症でなによりであった。S抜きの前祝いもただの宴会となってしまった。そして、Sの結婚式当日。俺がスピ-チをすることになっていて、めちゃめちゃ緊張した。まっどうにかこうにか大役を済ませることができた。そしてその夜、式の2次会をした。前祝いがあんなことになったので改めてしてあげたのである。場所は名古屋の某所。次の日新婚旅行に行くためである。ここでもSは、またやってくれた。めちゃめちゃ酒を飲みすぎてベロベロのゲロゲロになってしまい終いには立つことも出来ず、俺がおぶってホテルへ送る・・といった始末。Sの嫁さんもかなり怒っていた。それもそのはずである・・初夜がなくなったのである・・(笑)やはりSは、おもろいやつである・・(笑)つづく (続きは次回)
2005年09月01日
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