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今月は、処々の事情で非常に家計が苦しい。 夏休みの間は子供たちが家にいるのでパートを休まねばならず、ママの収入がゼロになる。おまけに今年の夏はパパも、ウィルス感染で長い微熱が続き、体調不良で欠勤が続いてたし、8月にいたっては私の父の逝去にともない、夏休みと忌引きでほとんど会社に行かなかった(^^;) ということは残業が限りなく減って、ものすごーい給料が減ってしまった。 あまりに減りすぎてにっちもさっちもいかないくらいだけど、逆にこうなると暗くなってる場合じゃない気がする。あんまり私が「お金がないよー」と言ってるとパパも暗くなってきて家がますますどんよりしてくるので、明るく楽しく節約生活を送ることにした。 今まで結構、贅沢してきてたんだよ、きっと。 子供を遊びにつれていこう、って思うと、すぐに近くの遊園地とか高いプールとか連れて行ってたし。映画、カラオケ、ボウリング‥どれも数時間でで6000円以上ふっとんでいく。 お金使わなくても楽しく遊べる方法きっとあるはず。 ってことで、昨日はバスに乗って、近くの「動物園&ミニ遊園地」にいきました。ここの遊園地の乗り物は、大人も子供も一回100円。ちょっと名前の通った遊園地なら、1日パスとか買ったら子供だけでも一人かるーく2500円とかするところ、颯ちゃんと泰くんがたっぷり楽しめて全部で1100円。小さな動物園であれこれ見て、サル山でおもろいサルに大笑いし、家から持参したおやつを食べ、中にある公園のアスレチックで暴れてみんな大満足。 帰りは、マクドナルドの株主優待の無料食事券でご飯を食べておしまい。 ん~、やればできるじゃないか(笑)。 そして週あけ、月曜日の今日。 この日も節約頑張るぞ。今日の夕飯、先日スーパーのタイムセールで買ってきた100グラム40円の鶏胸肉。 今までは鶏モモ肉ばかり買っていたんだけど、あまりの安さでつい手が出てしまった。どうやって料理しよう? と思っていたんだけど。 ずーっと昔、はなまるマーケットを見ていたころ、トリ胸肉の使い方をやっていたのを思い出し、適当に料理。 たしか鶏胸肉の難点は、モモ肉と比べてできあがりが固くなりやすく、さらにパサつくこと。気をつかわないで料理すると、ほんとに筋っぽくなってしまう。 んでかつてハナマルで言ってたのは、お砂糖を肉にすりこんでしばらくおいてから洗って使うというやり方。砂糖の保水力で肉に水分をとりこみ、やわらかさとパサつきをおさえる効果があったつう話だったような。 んで肉を開いて砂糖をすりこんでから、さらにビニールにいれてハチミツ、酒、しょうゆをいれてもんで少しおき、玉子でコーティング。 間に野菜を刻んでおき、30分くらいおいてから片栗粉をまぶし、油であげる。 下味の砂糖は洗わなかったのでちょっと肉は甘めのはずだから、油淋鶏のソースは砂糖を控えてしょっぱめに。 それでも酢をいれると子供が時々嫌がることがあるので、用心しながら加え、ためしに味見をさせてみると子供たち、飛び上がって喜んでくれる。 えへ、よかった♪ てことで、出してみると、おわー、お肉やわらか~い♪ 鶏胸肉ってほんとやわらかいもんだねぇ。大人には、からりとあがったお肉の上に刻みネギを散らすとますます風味がよくなります。子供たち、やわらかいお肉が食べやすかったのか、泰くんが2回おかわり!颯ちゃんまでお肉おかわり~。これはうれしいね! うむー、たしかに砂糖すりこみはお肉のジューシーさをたもつのに効果あったかも。 4人分、700グラムも買って280円で夕飯。なんかトクした気分。工夫がうまくいったから倍とく~。
2010.09.27
今日は秋の遠足の日。小さい動物園やちょっとした乗り物遊具のある広い公園にいけるというので、何日も前から楽しみにしていた。 お弁当、おしぼりをもってうれしそうにバスに乗り込んだ颯ちゃん。 帰りもさぞかしわくわくして帰ってくるだろうと思っていたら、ぶすくれた顔で降りてきた。 どうしたのー? というと、「今日、公園お休みだったの。だからただの公園いって遊んでたの。つまんないの」という。 ええ? バスの先生にきくと、予定の遠足が休みだったんだそうな‥ぬあ、残念。 調べといてよー。
2010.09.21
7月末からずーっと8月の末まで1かげつまるまる実家にいっていたのは、子供たちにちょっとした影響を及ぼした。 いとこたちとは大変仲良くなったし、楽しい思い出が出来たのはよかったけれど。 こっちのお友達といっさい遊ばなかったし、幼稚園では颯ちゃんはなんだか人見知りの颯ちゃんに戻ってしまったらしく、口を利かなくなったと先生が言っていた。 一方、泰くんも近所の子たちと会わない間、毎日小学生が3人くらい集まって5時から7時まで遊びまくっていたらしく、大変仲良くなっていて、戻ってきたらいきなりグループに入れなくなってしまったらしい。 これはなかなか大変なことで、今までは何の心配もいらなかったのに突然、泰くんが夕方遊びに出るといじめられるようになったらしい。まあ新入りの宿命なのだが、ずっと鬼をやらされたり、逆にずっと追い掛け回されたり、口答えをすると突き飛ばされたり小突かれたり、自転車をけられたりとかなりひどい目にあってるらしく。 それでもピンポン、と毎日遊びには誘ってくれるのだがそのうち顔を曇らせ、居留守を使おうとするようになってきた。 うーん。これは問題かも。 でも、これは母親が出て行く問題なんだろうか。 怪我でもするようだとなんとかいいようもあるんだろうが、一応、遊んでる体裁だし。 とりあえず、嫌なことがあったら「いやだ」と言うこと、それでもやめてくれなかったらすぐに帰ってきなさいということで送り出したんだけど。 ふう。ちょっと困ったかんじ。 なかなかそういうのうまくさばけるタイプの子じゃないんだよね。泰は。 しばらく、様子見るけど。どうしたものかな。
2010.09.20
実家のいとこのももちゃんのうんどうかいにやってきました。兄が仕事で出られなくなってしまい、母もなんとなく元気がでないという状態で、泰くんがモモちゃんの運動会に行きたいというのでおじさんおばさんが運動会に行くことに。 群馬の運動会にわざわざ東京に行くというのもすごいけど。モモちゃんの小学校は、実はママの卒業した小学校だったりして。懐かしいし、なんとなく(笑)。 それで行ってみると、懐かしいなぁ。 しかも、観客の中にどうやら同級生の姿も(^^;) うは、地元感覚。
2010.09.18
颯ちゃんが幼稚園に行ってる間に、郵便受けに巨大な袋が押し込まれていた。そう、颯ちゃんのシマジロウの大きな袋だ! うわー、颯ちゃん喜ぶだろうな! 最近ちょっと体調も悪かったし、ずっと待っていたからなぁ。 案の定、颯ちゃんが袋を見たら、もともと大きな目がもっと大きくなって、「これ、颯ちゃんの?」 それから、颯ちゃんの猛勉強が始まった。 毎日、「ひらがな発見マシーン」を一生懸命やって、だんだん字が読めるようになってきました。よかったねぇ。颯ちゃん。 これでおにいちゃんとけんかしなくてよくなるよ。
2010.09.15
実家に滞在していた間は、義姉の大好きなラーメン屋さんに頻繁に子供たちと行っていた。 とにかく義姉は麺類の好きな人で、中でもミソラーメンをこよなく愛している。さすが北海道出身。ネギをたんまり増量して、いつでもミソラーメン。ミソラーメンなら4杯でも食べれる。本当に、食べるのを見た。すごいミソラーメンな人だ。 とにかくそんなんで、夏はよくキンキンにクーラーのきいたお店であつあつのミソラーメンを食べに行きました。子供たちはお子様ラーメン。 そのラーメン屋さんは夏の間、よく子供にくじ引きをやっている。 今年は花火だった。 とにかく、行ってる回数もすごいけど、子供たちのまあよく当てること当てること。 最初、当選の口火をきったのはいとこのやっちだった。いきなり、1等を引き当てた。 ホームセンターで買ったら2500円以上はするでっかいパックだ。その後、姉のモモちゃんが3等をあてた。バケツに入ったやっぱりでっかいセット。 その後、泰くんが4等、再びやっちが2等と1等、ももちゃんが2等。最後に泰が1等をあてた。 そのほかに、はずれたときにもらえる参加賞も小さな花火の4本セット。それを毎回人数分もらってくるのだからすごい。大きな買い物カゴに山盛り、花火がたまった。 実家で一度、近所の子も集めて1時間以上花火をしたのだが全然やりおわらなくて、半分持ち帰ったのを、自宅の近所でやることになった。 久々にあったご近所さんと示し合わせて、7時半に集合。家の前で楽しく花火をした。 パパもこんなときは出てきてくれて、数々の吹上をセットしてくれた。いろんな花火がみられて本当に楽しかったー。 そして残ったのは10本近くの打ち上げ花火。 このご時世では打ち上げ花火をできるところは少ない。今年はキャンプも行かなかったししばらくいける予定もないので、この打ち上げ花火は来年までおあずけ‥ということはしけちゃうからもう見られないってことかもね。 打ち上げ、いれないでほしいなぁ。ぱっくに。無理だもの。
2010.09.12
泰くんは、2年生になったこの春から「チャレンジ2年生」を始めた。親世代にとっては進研ゼミといったほうがとおりがよい通信教育講座の小学生版だ。 通信教育はまったくまともについていけたことがない私としては、自分にできなかったものを息子にきっちりさせられる自信もなく、決断は非常に勇気がいるものだったが、学校から帰ってきてやっている算数の宿題のあまりの出来の悪さにびっくりして倒れそうになり パパを説得して4月も終わりになってから大急ぎ申し込んでしまったのだった。 実際に教材がきて、ガイドDVDを見たり、教材をしまうボックスを組み立てたり、添削問題である「赤ペン問題」を出していくとそのうちもらえる景品のカタログを眺めたりしていると、これがなかなか面白い。小学生じゃなくたってわくわくしてくる。 もらえる景品は非売品も多く、ゲームやスパイグラスなど、子供がわくわくして頑張りたいって思えるようなものがそろってる。副教材の本を開けば、昔 学研の「科学」や「学習」といった雑誌で紹介していたような科学記事や実験がわかりやすくたのしく書かれていて、泰くんも目を輝かして読んでいる。おすすめの本も紹介されてるし、よく考えられている教材だとわかった。 自分が子供のころから進研ゼミってあったけど、ん十年の実績を重ねて、本当に進化して素晴らしいシステムを作ってきたんだな、と感じた。 それでも忙しい小学生、毎日やれば15日くらいで終わる教材もやっぱりたまってく。まあ泰くんの場合はおけいこに週2日、病院通いが必ず週1~2回は入るので、一人で放置しておけばそうなるのはわかってるんだけど、短い放課後に友達とも遊びたい、宿題もやらなくちゃ、弟とも遊んであげなきゃとなると、あんまり怒ってばかりもいられない。 結局、月末に必死こいて一日5枚も6枚もやって、あわてて赤ペンを出すという結果になっているけれど、それでも本人、毎月新しいチャレンジの袋が届くのは楽しみらしい。副読本に加え、科学工作のおもちゃみたいのも入ってるのがすごく楽しみらしくて、来ると真っ先にあけては作って喜んでる。 それを見ている颯ちゃん。毎月大きな袋がお兄ちゃんだけに届き、中に面白そうな工作おもちゃとかきれいな絵本がいっぱい入っている。それがくると、お兄ちゃんに「遊ぼうよ」といっても「お兄ちゃんチャレンジで勉強するから待っててね」と一人付属の勉強タイマー(これもキラキラしてる上に勉強続けるとゲームまでできるスグレモノ)をもって机にむかってしまう。邪魔するとママに怒られる上、タイマーには絶対さわらせてもらえない。 颯ちゃんのあこがれ度、悔しい度、うらやましい度、自分もやりたい度が頂点に達したのは7月。 大きな袋がまた届いた。颯ちゃん、なぜか「今度はきっと自分のだ」と信じてた。だっていつもお兄ちゃんばっかりくるはずがないもんね ところが、お兄ちゃんが袋に手をかける。「だめ、颯ちゃんの!」 ママが無情にも「お兄ちゃんの」と言った。朝のことで、パパも見ていた。 ぷちっ! 颯ちゃんがキレた! 「またお兄ちゃんのぉ! 颯ちゃんの何にもなぁい! 颯ちゃんに何にもとーどーかーなーいぃ!」 地団太踏んで悔しがる。 イカってまわりのDMとかを投げ捨てる。 うはは、これはかわいそうでした。こういうのに弱いパパ、夜ママに言いました。「颯ちゃんもしまじろうとってあげなよ」 ママはこういうの全然平気なんだけどね。お兄ちゃんの昔とってたけどやらなかった教材を出してきて与えたらいいんじゃないかと思ってたけど、やっぱり兄弟は平等じゃなきゃいけないらしい。かわいそうっちゃかわいそうか。 んで、その後夏休みおわっちゃったけど、この日ようやく颯ちゃんのしまじろうを申し込みました。 颯ちゃん、すっごく楽しみにしてて、次の日すでに発送されていたDMをみて、「これ、颯ちゃんの? 颯ちゃんの?」とうれしそうにあけてる。 中身は見本のシールと、紙で作るちゃちい工作見本なのに、うれしそうに「これ、こんなになるんだって とにこにこ作っている。 これを見ると、さすがにママも内心申し込んでよかったぁ、と思いました。 最短で3日でくるらしいけど、颯ちゃんは喜んで使ってくれることでしょう。 長男には求めずとも与えられる。下の子は、求めないと与えられない。これ、性格形成に影響及ぼすよなぁ。
2010.09.11
この日は、東京にあったお墓を群馬にうつすための「改葬」の手続きを行うため、小平の霊園に行きました。 初めての道だけど、頑張って運転していきました。途中、ステキなイタリアンレストランをみつけて、「ああ、父が生きてたら一緒にいけたのにな」なんて思いました。あとから、見つかるんだよ。行ってないレストラン、いっぱいあるのにな。 この日霊園に行くのは、すでにお墓の中に入っている、兄のお骨を出すため。父が兄のために選んだ、青っぽい美しい墓石も群馬に運ぶので、宮司さんにお祓いをしてもらうのです。 霊園には権利を返上する手続きをすでにしてあり、改葬許可証ももらってあるので、いつでもお骨を運ぶことができます。 この日は群馬から兄と母、それに父の葬儀もとりおこなってくださった宮司さん、それから群まで新しく買ったお墓を作る石屋さんがそれぞれ別の車でやってきました。この日も炎天下、木陰のない芝生墓地はじっとしているだけでも汗がぼたぼた落ちるくらいの暑さです。 それでもみんなばっちり黒の礼服で頑張りました。宮司さんは白だけど、はかま姿に宮司さんの上着が暑そう。芝生にしょっぱい汗の水やり軍団でした。 この日は予定外に、颯ちゃんがトビヒで幼稚園登園禁止になり、急遽つれてくる羽目になったので、お祓いの間、熱中症にならないよう、帽子をかぶせ、水筒とお菓子を与えて座らせておきました。御祓いは30分くらいだけど、お墓に台を据え、数々のお供え物を並べ、準備したり、その後の撤収のあとお骨を出す作業までいれると2時間弱。終わったらみんな、ふらふらでした。 御祓いの途中、神道式では頭をさげている時間がとても長いのだけど、頭を下げるから汗がよけい芝生にぼとぼと落ちてすごい‥と思っていたら、突然、汗がとまって涙がぼろぼろでる時間がありました。 亡くなった兄に関しては、私が生まれる前のことで、直接あったこともなく、父のときほど涙が出る間柄ではとてもないのですが、それでも突然涙が出てきて、ぶわぁっと何かがカラダを通り抜けていく感じがありました。 それで、ああ、兄の魂がいったん石?から出て、どこかへうつったのだと思いました。 こういった法要(神道では神事という)を、「御魂抜き」というらしい。 それにしても、抜けた魂はどこにいっちゃったのかな‥? 一瞬のことで、その後はまたどっと汗が出て、ぼたぼたぼたーーーーっと芝生に顔から汗がしたたりおちていきました。ぬぬ、暑い。 この兄に関しては、数年前に一度、一言、声を聞いたことがあり、相性があうのかもしれません。父の声も聞きたいし、できることなら姿まで見たいと思うのに、私には全然感じられないのが不思議です。 お骨は本当に小さなつぼに収められていました。 大事に布にくるまれて、五十日祭(仏教では49日)に、父と一緒のお墓に入ります。 その後は、兄に頼まれて手配しておいたお店に、宮司さんと食事に行きました。 この宮司さんはお食事するのが大好きらしい。最初食事なしで‥と兄が伝えたところ、「うーむ、うーん、ぬうう、まあ仕方ないか‥」と言っていたので手配しなおして「やっぱりお食事をさしあげたいんですが」と電話したら「いやぁ、そうですか、わっはっは」と大喜びしていたらしい。 そういえば、告別式の前も簡単でいいからと弁当を頼まれたし、その後の直会(なおらえ)、(仏教でお清めの食事のこと)もお出ましになったし。通夜の直会も参加してたな。気さくな人で、母とえらい話が盛り上がっていたわ。 そんなわけで、またも父ぬきなのに今度は懐石。昼間から6000円のランチ‥。お父ちゃんも死んじゃって食べられないのがバカだね、なんて母が口さがない。はあ、死んでも怒られてる父が、また天国で情けない顔をしてるだろうな。 しかし個室に通されてみると、気づけば大人は母以外全員ドライバーであった。したがって、宮司さん真っ先にコーラ!と発声し、全員コーラ三昧。なんて懐石だ。 料理はいくら食べてもどんどん出てくる懐石だからおなか一杯。一番おいしかったのはマツタケの土瓶蒸し。しかしやっぱり本格的な懐石のお店じゃないからやっぱりなんか違う感じのものも多かった。とはいえ、告別式で使ったお店よりはかなりよかったかも。 おなかいっぱいだけど、しみじみ。 ああ、なんか本当においしいもの食べたいなぁ。 先日、「食わず嫌い」に大好きな水嶋ヒロが出てた。悲しみの中にもいい男をみたらかなり元気でたわ。その中で、フォアグラステーキ食べてたんだ。私もフォアグラ、実は大好きなのよね。先週、デニーズで「フォアグラ入りハンバーグ」食べたらソースがめっちゃまずくて、がっかりしてしまったのでますます、本当においしく料理されたフォアグラが食べたいわ‥と思うこのごろ。 しかし、父もない今、そんな贅沢は過去の思い出オルゴールだわ。 やっぱ、これから父の命日は豪華お食事会だな。おとうちゃんといえば、無駄なくらい高い食事でしょ。 五十日祭は母の手配だからお楽しみ。こうして、小平やっといけるようになったのに、お墓なくなっちゃいました。五十日祭まで、やっと神事はお休みです。
2010.09.07
夏休みに蚊にさされまくった颯ちゃんの足。ひっかきまくっていつも掻き壊していたのが、どうやらトビヒ化してしまったらしい。 夕方、身体のあちこちに水泡があるのを発見。あれっと思ってみたら、とくにわきの下、頭の中まですごい湿疹! これは~? あわてて皮膚科へ行くと、トビヒだった。幼稚園も休まねばならず、2学期が始まったばかりなのにお休みすることに。 しかも毎日お風呂のあとと朝、たっぷり体中にべとべとするお薬をぬらなきゃならないし、まずーい抗生剤ものまなくちゃならないし。ふんだりけったり。 しかも、明日の改葬の式に颯ちゃんもつれていかねばー。 母は孫にあえると喜んでいたけど、このくそ暑い中、炎天下のお墓に1時間以上も颯ちゃんをつれていくのかぁと思うと‥。しかも行事だし。しかも懐石料理なんて耐えられるかなぁ。 あれこれ、心配。でも、トビヒが一番かわいそう。
2010.09.06
父の死後2週間、私と兄がやたら仕切りまくってきたのがそろそろ頭にきたのか。母が昨日くらいから私の言うことにやけに反対する。 私がこうするのかいいんじゃない?というと一度は「そうだね」というものの、しばらくしてから「やっぱりそれじゃだめだ、こうじゃなくちゃいけない。」と怒り出す。 お墓のデザインのこともそうだし。お線香ひとつとってもそうだし。 50日祭の料理や内容、手配のことまで細かく文句言う。めんどくさーい。 仕切られすぎたのがやになったのかな。 まあいいけど。 兄もぶつぶつ言ってました。 やっぱり、移り気で勝気な母のサンドバッグを長年続けてきた父はすごい。わたしたち、みんな打たれ弱いんですぅ。カムバックだよ、ホント。 午後は颯ちゃんの幼稚園の靴を買いに行きました。 たまたま行った靴屋さんで、子供の足をカメラにとって寸法を測ってくれる「計測くん」という機械の実演をやっていたので、さっそく並んで颯ちゃんもとってもらうと! なんとびっくり! 颯ちゃんは、足の幅がどぶっとかった! 幅、というのはそう、靴を選ぶときにサイズのほかにあるワイズというやつで、EEとかEEEとか書いてあるやつである。だいたい、母親である私がEEEなんだから子供だって太いのが当たり前で、泰くんにしても颯ちゃんにしても今まですごく靴選びには苦労してきたが、今回その苦労が目に見える形で表示された。義姉もびっくり!「ほんとに靴選ぶの大変だってよくわかりました」だって。 普通、子供なんてEEくらいが普通なんだけど。 颯ちゃんは、EEEEを通り越して、Fだった! ぬーん、子供靴でEEE自体ほとんどないのにFなんてあるわけがない。Fってなによ、太い? ファットかしら? とりあえず、合皮でのびないのを無理に薬でひっぱって伸ばしてもらい、後は靴に足を合わせるってことで革靴ゲット。 しかしさぁ。幼稚園もさ。制靴なのはいいけど、黒の革靴なんて種類もないんだから子供の足がまがるよね。小さいうちは運動靴でいかせてほしいよ。この書類もっていったら特別扱いしてくれないだろうか‥? 泰なんて少し足の中指おかしいのはこのためじゃないかと思うくらい。 とにかく、まあ靴選びはなみたいていのことではない。証明されてちっと気がすんだけど。 大変なのはかわりなし。そうちゃん、ぶっといアンヨでかわいいけど~。
2010.09.05
学校が始まったけど、まだ実家には書類かきや遺品整理のために頻繁に帰ることになりそう。今回も書類を書くために戻る。 父の部屋の整理は大変。ほこりアレルギーの私としては、かなり鼻にきびしいお部屋なのだ(^^;) それでも懐かしいものだとか変なものがいっぱい出てきて、おもろくも悲しくもある。 窓際にぽいっとつんであった茶色のバッグの中からは、私が昔、初めての海外旅行にいったときに父に送った手紙と、兄が地方の大学に在学中、やはり父に出した手紙が出てきたりして。なんだかうるっとなってしまった。手紙、大事にしてくれてたんだね。 泣けるよ。 かと思うと、こきたない銀色の灰皿のようなふたつきの容器。手にもつと、なんだか見た目よりはるかに重い。 そうっとあけてみると、中から大量の硬貨が! リビングに運ぶと、泰やモモちゃん、義姉が大喜びで数えだす(笑)。 小学生の計算の勉強にはもってこい。小銭だけど、2万くらいありました。むー、謎! そのほか、出てくる出てくる。 思い出の品の数々。昭和8年くらいのキャラメルの箱とか。 とにかくとっておくのが趣味だった父。思い出に手をつけるのは私としてはさびしい限りなのですが、兄は燃えていて、バンバン運び出してくる。ふう、一年くらいおいときゃいいのになぁと思うけどそうもいかないらしい。 これはまだ何回もかかりそう。 書類のほうも、見てくれといわれたものの年金の書類なんかさっぱりわからない。父は共済と厚生年金と国民年金だったからもうわけわからん。もっとわかりやすくしてくれー。 お墓のデザインも採集決定しなくちゃいけないし。ということで、明日打ち合わせ。
2010.09.04
父のなくなった後、銀行口座の凍結を解除するためには相続人全員の戸籍謄本と印鑑証明、実印押印書類がいる。8月の中旬になくなった父の口座には、実家のライフラインである光熱費や電話にカードの引き落としに、なんでもかんでもセットされていたためにそれら全部の引き落としが停止して、すべて振込書になって届きまくっている。 ショックであまりやる気もでてない母のために早く口座凍結を解除するため、一番遠くにいる私も週末の家族会にむけて急いで書類をとらねばならない、ということで颯ちゃんが幼稚園にいっている間に急いで書類をとりに市役所にやってきた。 印鑑証明なんて主婦は普通もっていないもんだと思うけど、やっぱり必要なんだねぇ。颯ちゃんがお昼には帰ってきてしまうからと早めにいったにもかかわらず、案内の人に間違った窓口を教えられてしまい、しっかり30分も待って呼ばれてから「あ、ここじゃありません。もう一度番号札をとってお待ちください」などと言われ。くっそーう、お役所め! 印鑑登録をして証明書をもらうだけで1時間もかかってしまう。さらに考えたら、自分の本籍は引っ越す前のとこにある。しまった、戸籍謄本はそっちいかないととれないぞ‥(^^;)。 まったく! 引っ越す前の市役所は車がおけないとこにあるから仕方ない、車は駐車場においたまま、急いで駅に走り、電車にとびのる。3時間も余裕があったはずなのに、最初のミスがいたい。お昼ちょうどには颯ちゃんのお迎えのバス停にたっていなきゃならないのに、なんてことだー。 40分でいってこれるかなぁ? 駅を飛び出したら走る、走る。まだこの日は残暑厳しいチョー暑さなんだけどしたたる汗にかまっちゃいられない。 書類を風の速さでとると、また走りまくって、しまりかけの扉に滑り込む。 きっかり40分で戻り、今度はまた市役所まで走る。書類とりは体力勝負だったのね。 大急ぎで車を出し、死なない程度に頑張って家に戻るとまたも走ってバス停へ。 ぎりぎり、セーフ。 なんだか、疲れたわ。 いざというときのために、やっぱり本籍は自分ちの一番近くにもってきておくべきだと思う。いっぺんにすんで楽だもの。 そう思いながら、またのど元すぎたら熱さ忘れるで何年も放置するんだろうなぁ。 学習能力、まるでなし。
2010.09.03
父が亡くなる前までは、家族をなくした人にかける言葉が、よくわからなかった。 言葉もない、というしかない。 でも、それでいいんだということがわかった。 お悔やみ申し上げます、ご愁傷さまです、謹んで‥‥ いろいろな電報をいただいたけれど、一番胸をうつのは、残された遺族へのいたわりに満ちた言葉を自分で選んで書いてくださった方々の言葉。お悔やみ申し上げますなんて全然かいてなかったけど、十分、伝わる。 伝えられないときは、言葉もなくていいんだ。 今日、偶然にも、父がなくなる一週間後に亡くなった、颯ちゃんのお友達のお父さんの家に行きました。父が3ヶ月と診断されたとき、お友達のお父さんはすでに肝臓ガンで宣告の5ヶ月目を過ぎていました。同じガンと闘う患者の家族同士、数回しかあったことないのにすごくわかりあえて、何回か幼稚園で会うたびにお母さんと話をしていたものです。 告別式が終わって数日後、幼稚園から一斉メールがまわって、お友達のお父さんが逝去されたのを知りました。まだ実家にいたので、通夜にも告別式にもいけなかったから、3人も子供をかかえて、まだ若いご主人を失ったお母さんがどうしているか心配でした。 東京に帰って学校が始まったらお線香をあげにいこうと電話しました。 葬儀の後にどたばたしてる間にお邪魔するのは大変だけど、それでも友達の来訪はありがたいものだとよくわかったから。 行ってみて、本当によかったと思いました。 同じ、家族をなくした身でも、伴侶をなくした彼女が本当に大変な状態だとわかりました。それも、まだ子供が小さい。一番上のお兄ちゃんでも4年生。お父さんが亡くなったことがわかるだけに、泣いて学校に行きたくないと数日間休んでいたとのこと。 一番したはまだ4歳。まだ病院にいけばお父さんがいると思っていました。 母は、父をなくしたけれど、そばにはかわりに喪主をつとめてくれた兄がいて、家族のためにはどんな労をもいとわない義姉がいて、そして私がいました。表には兄が出て母を支え、影では家のこと、子供のことを全部義姉が引き受けてくれ、私は業者対応と事務を引き受けました。 だから、母はじっと耐えていればよかった。 絶対、泣かないから、とがんばっていました。 でも、今日行った、Tちゃんのお母さんにはそれも許されなかった。何から何まで、一人でこなさなければならず、行ったときもいっぱいいっぱいになっていました。 初めての体験、やらねばならない膨大な事務事項、決定事項、用意する数々の品物。葬儀が終わっても、まだ大量の手続きが手付かずの状態でした。 それに、何より苦しかったというのは、誰にも話すことができなかったことがたくさんあったようです。同じがん患者を見送った者として、すごくわかってあげることができました。話しながら、「怖かったらごめんね」「汚い話でごめんね」「暗くてごめんね」と、何回も彼女が謝ります。それでも、話し出したら止めることができないほど、あふれる思い。 「おんなじだったよ、うちもこうだった」 体験したことを全部。笑ったり、泣いたりしながら何時間も話しました。 いかに彼女が話すことに飢えていたか、よくわかりました。話の順番の支離滅裂。お茶をいれながら、手も頭も口も、それぞれが別のことをしていて、本当に彼女がいかに追い詰められていたか、よく伝わってきます。 彼女が、自分こそ息が止まってしまうかもしれなかったと言ったのもうなずけました。 話すことが必要なんだね。 こんな言葉がいけない、あんな言葉はよくないというものじゃないんだ。 気持ちが伝われば、救われる。 また、話にいこうと思いました。手続きも、すごーくよくわかったからお手伝いしてあげられる。世帯主をなくすと、大変。母のほうも、口座を凍結されてガスや電気の引き落としがとまってしまって、忙しいのにコンビニで払ってるし。口座の凍結を解除するのには、相続人全員の遺産分割協議書というのが必要。そのためには相続人全員の印鑑登録証と実印、それに住民票と戸籍謄本、しかし私の印鑑登録なんてしてないからこれからしなきゃ‥‥てな具合に、また必要な書類と手続きが芋づる式に増えていくわけ。 お役所まわりだけで4時間以上。こりゃ、疲れるわ。
2010.09.02
肺がんの父が夏休みの間に天にかえり、2週間。 夏休みが終わり、いつもどおり子供たちの学校が始まりました。 いろいろなことがあって、いろいろなことを考えたり体験したりして、少しは普通に話せるようになったかなと思ったけれど、こうして文章を書いているとやっぱり涙がいっぱいでてきてしまって、何もかけない。 それでも、残したい気持ちがある。たしかなのは、自分が父を大好きだったということ。もう一度、ご飯を食べにつれていきたかった。一緒に旅行にいってあげたかった。 いまさらだけど、やっぱり涙がつきることがない。時間がたっても、ぼろぼろ涙がこぼれてくる。 支離滅裂になるけど、書けるときに残しておきたい。自分にとってどれだけ父が大事だったか、忘れないために。 亡くなる前2年くらいは、すぐに疲れてしまう父とは実家に戻ってもあまり遊んだり話したりすることもなくなっていたけど、思えばすでに具合が悪くなっていたのだろう。がんがおおごとなことはわかっていたけれど、医者だし、入院してもこのままずっと病院に行けば会えるのだろう、となんとなく思っていた。 でも、少しずつ弱ってきてたのはわかってた。急激な変化が現れたのは8月の一週目おわりくらいから。 最後、一週間のうちにどんどん弱っていき。 昨日まで、全部食べていたおかゆが、突然半分しか食べなくなる。 次の日は、さらにその半分しか食べていない。 その次の日は、3口しか食べなかった。 そして、その次の日には、一口も食べなかった。そしてまた次の日、手をつけられない食事がかえされ、その次の日、父はもう食事を必要としなくなった。 それなのに、最後の日、私は父の前で母と、昔皆でフランス料理を食べに行ったときの話とかしてた。父がいかにフランス料理が好きで、それなのにマナーが悪いかという笑い話。なくなる、数時間前。朝にはほとんど旅立ちかかっていたのに、忘れ物をとりにきたかのように奇跡的に意識を取り戻し、少し元気が出てきた数時間の間のこと。 でも父は笑ってた。情けないような顔で、「こいつらまたそんな話をしてるな」ってふうなかんじにみえた。 でも、もう口もきけなかった。 声がでなくて、鉛筆も持てなかった。かけないから、私の手に、指で単語を書くのもやっとだった。 何をかいてんだがわからないや。 何を書きたかったのかもわからなくなった。 でも、一つ書けた。私の、思い出。 こんなのをブログに書くのもおかしいかもしれないな。それこそ、日記帳にかけ。ってことなのかも。でも私、鉛筆よりキーボードのほうが早いし。ノートだとすぐとっかいっちゃうし。非公開部分にかけばいいのかな。支離滅裂が終わるまで。
2010.09.01
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