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旅立ちの歌 ●第26回 漫画研究会に捧げる詩第873回 2006年11月28日旅立ちの歌●第26回 漫画研究会に捧げる詩旅立ちの歌26 まんが展のコーナーの中で意外に人気だったのが立ち読みコーナーだった。 村上彰司が持参した三百冊のマンガ単行本を会場にズラリ並べた。それを自由に読むことができるのだ。入場者は休憩を兼ねて好きなマンガを読んでいた。 懐かしい昭和二十年、三十年代のマンガ雑誌や単行本を展示した。「月光仮面」、「ビリーパック」、「赤胴鈴之助」などは大人に人気があった。懐かしい、懐かしいと声があがった。 一人の中学生の少年が急ぎ足で会場を出た。受付に居た井上と少年の目が合った。その瞬間、少年は白い学生ワイシャツの腹の辺りを押さえて階段を急いで下りた。 やられた!と井上が叫んだ。すぐにマンガの描き方のコーナーに走った。ない、なくなっていた。展示の本が一冊なくなっていた。 井上の血相に気付いて、鈴木和博がきた。「やられた。ひばり書房の『劇画マンガの描き方』がなくなっている。きっとあの少年だ」「追いかけよう!」 と、鈴木が言った。「いや、もう間に合わないから止めよう」 と、井上は鈴木を止めた。間に合ったとしても少年をとがめることはしたくなかった。 井上はとても残念だった。山形まんが展に集まった少年少女は盗みなんてしない、きれいな心であってほしいと信じたかったからだ。あの本は井上の本だったから、ほしかったらプレゼントしていてもよかった……そう思うとますます残念でしょうがなかった。2006年 7月29日 土曜 記 お昼を過ぎると天気が少し曇ってきた。「はじめくん!」 受付に立って話をしていた井上に、後ろから聞き覚えのある声が井上の名前を親しそうに呼んだ。 井上が振り向くとその声は中学時代の同級生の中山美智江だった。「きてくれたのか」 と、井上はボソッと言った。「うん、学校に行ってたんだけど、予定より早く用事が終ったからきてみた」 美智江は自分の通う九里学園米沢女子高等学校でまんが展の広報を一気に引き受けてくれた。そしてこれがきっかけになり、中山の一年後輩の安藤悦子というすごい同人が現れたのだった。「詩をありがとうな。ほらこうして生徒手帳に入れてあるよ」 井上は美智江が今回のまんが展を応援すべく、米沢漫画研究会に宛てた詩を書いて井上に渡していたのだった。『若者よ この青春を力いっぱい過ごすことそれがあなたたちにあたえられた使命です。 大地に立つ 若者は立つこの広い大地に立つ心は赤々と燃える命の火をたき目はしっかりと未来を見人々の汗と涙の大地に立つはじめくん、漫画研究会に捧げる詩です。それからまんが展は放送部に頼んでPRをしています。当日は予定が入っていて、開催時間にはいけないかもしれません。ごめん、ゆるせ!』「はじめくん、恥ずかしいからこんなの他の人に見せるんじゃないぞ!」「だって、漫画研究会に捧げる詩って書いてある」「いいから、命令だぞ!!わかった?」「…………」 よし、と言って美智江は会場に入った。 2006年 3月23日 木曜 記 美智江はプロのマンガ家の作品よりも、井上らのマンガ同人の作品を見ていた。 井上が学校新聞に発表している四コママンガ「ああ学園」、短編マンガで四日市公害問題をテーマにした「灰色の青春」を熱心に見ていた。「はじめくん、だいぶ腕を上げたじゃない。絵は本当に上手になったわ」「うん、お笑止な(ありがとう)。でも、みんなにはペンタッチが雑だとか、書き込んでいないとか言われているんだ」「なに?そのペンタッチが雑って?」「ペンの使い方だよ。ほらこの灰色の青春のこのコマを見てご覧。こう丸い円の所ではカブラペンといって……」 井上が自分のマンガの技巧を説明した。美智江はそれを説明されても何のことだかわからなかった。でも、井上が一生懸命に自分に説明している姿がとても微笑ましく、「はじめくん!話ができるんだ」 と、言った。 エッと言って、井上は美智江の顔を振り返って見た。「美智江ちゃんそれってどういうこと?」 井上は不信そうに美智江に訊いた。「だってはじめくんは、いつも私がなにを訊いても、なにを話しても、ウンウンとうなずくだけだもの。マンガのことだとこんなに話せるんだと感心したの」 美智江はウフフ……と笑って、自分が井上に紹介した安藤悦子のイラストに場所を移っていった。「この娘(こ)は本当に絵は上手いわね。高校一年生だなんてウソのようだわ」 美智江は両腕を組んでそう言った。「初めてこの絵を見たときにはビックリしたよ。このまんが展を盛り上げてくれた作品だね。美智江ちゃん、ありがとう」 美智江はパネルに添ってゆっくりと移動していった。 美智江は展示作品のひとつをジッと見た。そして、「なによこれは~!?はじめくん、ちょっときなさい!!!」 会場中に聞えそうな大声で美智江は井上を呼んだ。「少し離れていただけなのに、そんなに大きな声で呼ぶなよ」 井上は迷惑そうに言った。「これ私の詩じゃないの~。この字ははじめくんのでしょ!?」漫画研究会に捧げる詩BY 中山美智江若者よ この青春を力いっぱい過ごすことそれがあなたたちにあたえられた使命です。 大地に立つ 若者は立つこの広い大地に立つ心は赤々と燃える命の火をたき目はしっかりと未来を見人々の汗と涙の大地に立つ「いい詩だ。今のオレたちにピッタリの詩だ」 井上が言った。「私ははじめくんたちに書いた詩なのよ。こうして展示するなんて聞いていないわ」「迷惑を掛けた?」「そういう問題じゃないでしょ!」「美智江ちゃんの詩は立派な作品だ。この詩は、オレたちのこのまんが展を開くまでの苦労を描いてくれている。記念すべき詩だ。だからオレは自分の字で書いてここに展示した!」 井上の情熱的な言葉に押されたように美智江は黙ってうなずいた。「はじめくん、生意気になったね」 と言って美智江は微笑んだ。 2006年 8月12日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第26回 漫画研究会に捧げる詩つづく 「旅立ちの歌」第27回にご期待下さい!!
2006年11月29日
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旅立ちの歌 ●第25回 まんが展いよいよ開幕第872回 2006年11月25日旅立ちの歌●第25回 まんが展いよいよ開幕旅立ちの歌25 村上彰司が酒田から軽自動車で運んできた単行本は約三百冊だった。 米沢市民文化会館前に村上の愛車ホンダN三六〇が駐車してあった。この小さなクルマの中に大きなダンボール箱が五個積まれてあった。たかはしらはそれをリレーのように降ろした。重いダンボール箱を会場に運んで居ると、後ろから数十名の中学生集団が階段を走るように上がってきた。 「まだ、入れねえが?」 一人の中学生が受付の戸津恵子に訊いた。「もう、少しよ。待っててね」 と、戸津がやさしく応えた。しかし、受付から階段まで数メートルしかない状態なので、多くの中学生は階段に立って待つことになった。「きみたちはどこの中学校なの?」 戸津がなまりのないきれいな言葉で訊いた。「ぼくたちは第三中学校だあ」 ダンボール箱に入った単行本を運ぶ近藤重雄の足が止まった。「三中の生徒が来てくれた」 近藤は段ボール箱を持ちながら中学生に質問をした。「なんで、このまんが展を知ったなよ?」「学校さ貼ってあったポスター見だんだ」 と、中学生が答えた。 貼ってくれたんだ……近藤の顔が笑顔になった。 各中学校にまんが展のポスター掲示を依頼に行くと、マンガをバカにしたように相手にしてくれなかった教師が一人だけいた。それが第三中学校の教師だった。名前もわからない無愛想な教師だったが、近藤のお願いをきいてくれたことがとてもうれしかった。「もう少し待ってでな!すぐに始まっからな」 近藤は大きな声で中学生たちに言った。「それではこれより第二回山形まんが展の開会式を行います。エヘン、それでは今回の主催者を代表して山形漫画予備軍会長の村上彰司さんからご挨拶をお願いします」 少し大人ぶって気取った鈴木和博の司会で開会式が始まった。 村上は額の汗をハンカチで拭きながら、一歩前に出た。みんなは緊張した表情で村上の顔を見た。 「みなさん、ご苦労様です。酒田の村上です。今日はぼくだけ社会人かな(笑)」ぼくたちは半分だけ社会人ですと、たかはしよしひでとかんのまさひこが声をはさんだ。小さな笑いが起きて、これを機会にみんなの表情と雰囲気が少し柔らかくなった。「よくここまで準備をしてくれました。米沢漫画研究会のみなさん、米沢中央高校生徒会と美術部のみなさんに感謝します。ありがとう!!」 そう言って村上は自ら拍手をした。 パチパチ……パチパチパチ、パチパチパチパチ、パチパチパチパチパチパチと拍手の数が多くなっていった。その拍手の音が展示会場の外まで聞えてきた。受付の戸津がそれを微笑みながら聞いた。 開場は午前十時を少し過ぎた。 中学生がなだれ込むように会場に入ってきた。近藤は井上に、この中学生は第一中と第三中の生徒であることを伝えた。第一中の生徒の多くは美術部に所属していた。そう、美術部顧問の今泉先生がまんが展を見て研究することを推薦してくれたのだ。当人の今泉先生も生徒より遅れてやってきた。生徒も教師も熱心に原画を一枚一枚見ていた。 午前中には圧倒的に中学生の鑑賞が多かった。ポスター掲示の効果が間違いなくあった。 十一時近くになると米沢漫画研究会の会長で米沢中央高校美術部顧問の土肥昭がきた。「ご苦労様、ご苦労様、おっ、はずめ(はじめ)!わいなあ(悪いな)おそぐなって遅ぐなってなあ} 土肥は村上やたかはしに敬意を表してから、会場の原画を丁寧に見て歩いた。 山形市から米沢中央高校に勤務している教師で会員の長南幸男もやってきた。 会場はすでに満員になって行った。展示パネルの間を人と人がぶつかり合いながら交差していた。2006年 7月29日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第25回 まんが展いよいよ開幕つづく 「旅立ちの歌」第26回にご期待下さい!!
2006年11月25日
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旅立ちの歌 ●第24回 キュウリに味噌第871回 2006年11月21日旅立ちの歌●第24回 キュウリに味噌旅立ちの歌24 七月二十六日、日曜日、いよいよ「第二回山形まんが展」の開幕日を迎えた。この日も朝から暑く、湿度も高く、ジメジメしてちょっと動くだけで汗が流れてくるのだった。 井上はじめは緊張して朝食をとった。いつもなら一人の朝食だが、この日は祖父の長吉と祖母のふみも一緒に食事をした。三人は黙って食事をしていた。みんながまんが展が心配で緊張していた。 採りたてのキュウリが大きく切られ皿に盛り付けられた。傍には味噌が山盛りになっていた。それからネギなしの納豆と鮭の切り身、熱い味噌汁が出された。井上は炊きたてのご飯を山盛り二杯食べた。 祖父の長吉がキュウリに味噌をいっぱい付けてうまそうに食べた。「おじいちゃん、やんだごと(嫌だね)。そんなに味噌を付けたらしょっぱくて血圧が上がっからねえ」 と、祖母のふみが呆れ顔で言った。「もぎたてはうまいなあ。なあ?はじめ~」 と、長吉はふみの話をおちょくるように井上に同意を求めた。「うん、うまいなあ。おじいちゃん」 と、答えた。 長吉はうれしそうにはじめを見た。「いよいよまんが展は今日からだなあ……いっぱい人が入るといいなあ」 長吉が言った。その瞬間、ふみは目を卓袱台に目をおとした。井上も口を止め、目を閉じた。そして、心の中でこう言った。「ありがとう、おじいちゃん……」 朝の陽射しが茶の間の畳を白く光らせていた。 午前九時には米沢市民文化会館前にみんなは集合していた。山形のたかはしよしひで(中山町長崎)、かんのまさひこ(寒河江市)、青木文雄(長井市)は朝早くから電車でやってきていた。生徒会副会長の近藤重雄、役員の小山絹代も居ても立ってもいられなく会場にきていた。 三階の展示会場に入ると、温度はいっそう暑かった。「あっ、なんだこれは~?」 と、鈴木和博と青木文雄が声を上げた。 会場のあちこちで展示物を覆っていた透明のビニールがはがれていた。 暑さの仕業だった。みんながガムテープを持ってビニールを貼り直していった。しかし、場所によっては直してもアッという間にはがれてくるのだった。「こりゃあ、苦労するなあ。宮崎も青木くんも会場係として配慮してあたってくだいな(ください)」 鈴木はみんなにも同じことを言いながら、開幕の時間までできるだけ完璧に会場作りに心掛けた。 三階の展示室に山形漫画予備軍会長村上彰司が現れたのは、会場間際の午前九時四十五分過ぎだった。汗を顔中にダラダラと垂らして階段を昇ってきた。「やあ、みなさん、こんにちは。米沢って暑いねえ」 村上はやさしい笑顔で受付にいた戸津恵子とかんのまさひこに挨拶をした。 かんのまさひこは、会場の中にいる井上はじめを呼びにきた。「い・の・う・え・くん。酒田から村上センセイ(先生)がみえられだぞぉ!」 井上はすぐに受付に行った。 村上はハンカチで汗を拭いていた。「村上さん……」 井上はそこまで言うと言葉にならなかった。 村上の汗だくの顔を見たら急に胸が熱くなり、まんが展をめぐる今までの思い出が、背中から覆って肩越しに流れ落ちてくような感じがした。 「井上くん、よくここまで準備したノ。ありがとう。たいへんだったね」 村上は井上の胸の内を察するように、やさしい笑顔で労いの言葉を掛けた。 井上はその村上のおもいやりがとてもうれしかった。 村上さん、ここまでようやくたどり着きましたと、いう言葉が喉まで出ていたが、そのことを言うと涙が流れそうなので黙ってしまった。 みんなのおもいも井上と同じだった。 戸津恵子は井上の傍で目を潤ませた。かんのとたかはしよしひでが目をパチパチさせて無言で立っていた。その周りを宮崎賢治、鈴木和博らが数名が囲んでいた。誰もが目を潤ませていた。 沈黙がしばらく続いた。「さあ、ぼくのクルマから単行本を運ぶの手伝ってくれるか」 村上がそういうと、井上と鈴木らが元気よくハイと返事をした。それを合図のように、井上や近藤、青木ら数人が早足で三階から階段を下りて行った。「かんのセンセイ!おれたちマンガ同人会をしていてよかったネ」 と、たかはしよしひでが言った。「なんだか、友情マンガっていうか、水島新司の日の丸文庫の世界だなあ」 と、かんのが言った。2006年 7月24日 月曜 記2006年 7月25日 日曜 記2006年 7月29日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第24回 キュウリに味噌つづく 「旅立ちの歌」第25回にご期待下さい!!
2006年11月21日
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旅立ちの歌 ●第23回 ファンタスティック!?第870回 2006年11月18日旅立ちの歌●第23回 ファンタスティック!?旅立ちの歌23 鈴木和博と田中富行の指示で展示会場は着々とまんが展らしい会場へと完成していった。 展示パネルに薄茶色の大判用紙を貼り付ける。それにマンガの原稿を一枚ずつ四つ角を挟んでいった。大判用紙には複数の原稿を張り出す。それが終ると汚れが付かないように大きな透明ビニールを被せる。「とにかくプロの原画は一枚しかないので慎重に扱ってくださ~い」 と、鈴木和博は時々大きな声でみんなに呼び掛けた。その都度、は~いと会場から声が上がった。 会場が半分ぐらい出来上がったころに教育委員会の鈴木がやってきた。「どうだい、何か不自由なことはないかな?そうだね、この暑さはどうしようもないもんネ。窓を開ければ展示品が飛ぶといけないしなあ」 と、井上はじめに言った。当時はクーラーは大きな喫茶店しかなかった時代だった。鈴木は会場を見渡しながら、「なかなかきみたちやるじゃないか!すごい企画だねえ。マンガ家たちもすごいね。みんな売れっ子ばかりじゃないか。きみたち本当に高校生かい?」 と、両腕を抱えるポーズをして、ニヒルな笑顔を作った。 しばらくすると井上の祖父・長吉が現れた。 長吉はとても体格がよく太っていた。はげた頭を隠すように、いつもハンチング帽を被り、吊バンドのズボンを穿いていた。「はじめくん、準備はどうだ?」 祖父は孫に対して「くん」付けをして呼ぶのだった。はじめは祖父を「おじいちゃん」と呼んでいた。「おじいちゃん、みんなよく働いてくれるから思った以上にすばらしい展示になりそうだ」「それならいいが……。邪魔すると悪いから帰るからな」 祖父は今までどんな会合や展覧会があっても顔を出すことはなかった。それは祖母のふみも同じだった。それがわざわざ来てくれたのには、祖父にとっても並々ならぬことだと井上は思った。 井上は三階の展示室の窓から外を見た。太った祖父が自転車をゆっくり走らせて行く後姿が見えた。井上の心はジーンとなって熱いものが込み上げてくるのだった。「どうしたの、井上くん?」 後ろから戸津恵子が声を掛けた。ビックリして井上は振り向いた。「せ、先輩!」「ほら、買ってきたわ。ファンタスティック!?」 体が細い戸津は、重そうにスーパーの紙袋を抱えて立っていた。 井上は、いまの神妙な顔が戸津に見られたのではないかと心配になり、顔が真っ赤になった。「ビックリするじゃないの。何を驚いているの?私はオバケではありませんからね」 展示室の外に集まって、冷えたファンタをみんなで飲んだ。パイプ椅子に腰掛けてワイシャツを仰ぐ者、タオルを濡らして顔や腕を拭く者、汗を床に滴り落す者、みんな汗だくだったが、顔の表情は誰しもが明るかった。 小山絹代と戸津恵子の二人はみんなに労いの言葉を掛けていた。そして小山は一人で運動服を叩きながら展示された作品を見て歩いた。その後を近藤重雄が続いた。 小山と近藤はいつも目立たないところで井上を支えていた。 このまんが展も準備から今日までなんとか成功するように、生徒会役員たちを動かして万全の体制を敷いてくれたのだった。 小山と近藤はお互いに顔を見合わせて、「ヤッタネ」と心で呼び掛けあった。「さあ、終ったぞ~!!」 鈴木の声が会場いっぱいに響いた。「後は明日に酒田の村上さんが単行本三百冊を持ってきてもらえばいいんだなあ」 と、宮崎が言った。 2006年 7月23日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第23回 ファンタスティック!?つづく 「旅立ちの歌」第24回にご期待下さい!!
2006年11月18日
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旅立ちの歌 ●第22回 大きな縦看板第869回 2006年11月14日旅立ちの歌●第22回 大きな縦看板旅立ちの歌22 お昼が過ぎて太陽はいっそうギラギラと輝き、熱い空気がアスファルト道路をベタベタにした。そして道路からも熱い空気が反射されるように舞い上がっていた。 米沢市民文化会館の前では「山形まんが展」の準備に来たメンバーたちが集まっていた。みんなは学校から文化会館までマンガの原稿や掲示備品などを手分けして運んできた。誰もが顔中汗だらけで肩で息をしていた。 文化会館の前には、「第二回 山形まんが展」と書かれた大きな縦看板が立ってあった。この看板は、井上ら美術部メンバーで制作した手作りの看板だった。シンプルで上品な仕上りで一際目を引いた。小山絹代と戸津恵子は看板を感心そうに見ていた。 鈴木和博が使用許可書を受付に出すと、メンバーたちは原稿や備品をいっきに三階の展示室まで運んで行った。 係員がその後を追うようにやってきて、展示室の鍵を開けた。 ム~ッという熱風とカビの臭いが展示室からロビーに流れてきた。「今日のお昼から使うってわかっているんだから、窓ぐらい開けていればいんだ。お役所仕事はこれだから困るんだ」 田中富行が係員に聞えるように言った。「我らも市から委託されて、そのとおりしないといけないんだよ」 と、まだ若い長髪の不良っぽい係員が無愛想に言った。「ありがとうございました!」 と、小山絹代が割り込んで話を打ち切らせた。 むっとした表情で係員は階段を下りて行った。カチャカチャという鍵同士がぶつかる音が小さくなって行った。 小山は無言で展示室の窓を開けた。それに戸津恵子が続いて窓を開けた。カビの臭いが再び部屋中に舞った。 美術部の田中が会場をよく知っていていて、三階と二階にある展示パネルとそれを支える鉄柱を運びように男子生徒に指示した。鈴木も宮崎賢治も手馴れていたから、近藤重雄や新藤克三たちに場所を教えながらせっせと運んだ。小山と戸津は会場を丁寧にほうきで掃いた。小さいゴミも逃さないようにしてきれいにした。 教育委員会の挨拶を終えて、井上はじめが展示室に上がってきた。「みんな、遅れてごめんなあ~」「いのうえ~、暑くてたまんねえよ~なんか冷たいモノでも飲もうよ」「お~っ、ご苦労様。どんどん準備は進んでいるからなあ」 みんなが井上にそう声を掛けた。 「んだよね(そうだよね)。ゴメン、ゴメン。これから買ってこよう」 と、井上が笑いながら言った。みんなは体を休めないで笑った。「戸津さん!すいません!!」 井上が呼んだ。井上くん戸津はすぐに井上の傍に駆け寄ってきた。「どうしたの?」 戸津は夏の制服を着ていた。細い体にその制服がよく似合っていた。 「先輩、ファンタでも買ってきてくれぺっか(くれますか)。ハイ、これお金です。ああ、領収書をお願いです」「わかったわ!出きるだけ冷えたのを買ってくればいいのね」「お願いします」 戸津は展示場を出ようとした時、足を止めて振り向いた。そしてゆっくり戻ってきた。「井上くん、これで汗拭きなさい!」「ハンカチならあるけど?」「そう……」 井上には戸津の表情が一瞬母親のように見えた。 戸津はハンカチを握り返して、クルリと後ろを向いて階段を下りて行った。後ろにひとつに束ねた長い髪が階段を下りるリズムに合わせるように、ゆっくりと弾んだ。 2006年 7月22日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第22回 大きな縦看板つづく 「旅立ちの歌」第23回にご期待下さい!!
2006年11月14日
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旅立ちの歌 ●第21回 山形まんが展前日第868回 2006年11月11日旅立ちの歌●第21回 山形まんが展前日旅立ちの歌21 7月25日はいっそう暑い朝を迎えた。 この日、高校では一学期の終業式だった。井上は汗を流しながら学校に向った。井上の気持ちは緊張していた。そう、この日は終業式が終るとすぐに「山形まんが展」の準備が待っているからだ。 体育館での全員参加による終業式が終ると、みんなはクラスに戻った。体育館の中はゆだるような暑さで、生徒たちが立ち去るとシューズと汗の臭いだけが寂しく残った。 二年三組の教室での話題は、明日からの夏休みのことで持ちきりだった。アルバイトをする者、大阪万国博に行く者などそれぞれが既に夏休みの日程を決めていた。井上は少し緊張して教室に入って来た。すると同級生の江畑が井上に走って来た。「おい、はじめ!お前やったなあ!?」 と、いきなり江畑が言った。井上は何を?と訊き返した。「試験の結果だよ。お前の順番が上がったぞ。一桁になった。ラッキーセブンさ!」 江畑は何を言っているんだ、と井上は相手にしなかった。 そこに担任の進藤先生が教室に入って来た。 「みなさん、いよいよ夏休みですね。何事もなくお過ごしください。いいですかあ、何事もなくですぞ」 すまし顔で進藤が言うと、「よっ、小円遊~っ」 と進藤先生のニックネームを掛け声をする者がいた。教室は笑いに包まれた。「さあ、みなさんのとても待ちに待った試験の結果を渡します。青木、こら、青木、寝てんじゃないですよ」 進藤は一人ひとりの名前を呼んで成績表を渡した。そして一言生徒に声掛けをするのだった。 井上の順番が来た。「井上、成績がよかったネ。まんが展も成功するといいですネェ」 進藤は笑顔でやさしく井上の目を見て言った。井上はハイと言って頭をピョコンと下げた。 席に戻り成績表をそっと開けた。成績は七番になっていた。「出足好調だ」 井上は心の中でそう言った。 「なあ、ラッキーセブンだろう!?」 と後ろから江畑が言った。 その瞬間に井上は、どうして江畑がオレの成績のことを知っているのか不思議に思った。しかし、それよりも成績順番が上がった喜びで、江畑の不可解な行動は気にならなかった。 解散すると、井上と宮崎賢治は生徒会室に向った。そこにはまんが展の作品などを会場に運ぶために部長の田中富行や鈴木和博、生徒会役員の近藤重雄、小山絹代らが集まっていた。 「作品や備品はおれたちに任せて、井上は教育委員会に行って挨拶をして来い。心証をよくしておけ」 と、近藤が言った。会場の米沢市民文化会館は昨年完成したばかりだった。管理は教育委員会だった。管理者の教育委員会や係りの者は使用者側には何かと結構厳しいことを言うと、評判が悪く嫌われたいた。近藤は「まんが展」のポスター掲示のお願いで各中学校を回った経験で、教育者にはまだまだマンガに対して偏見があることを肌で感じていたから、管理者には印象をよくしておくことを注意していたのだった。 米沢市教育委員会は文化会館の脇にあった。井上は昼食の弁当もそこそこに教育委員会の門をくぐった。受付には「山ちゃん」こと山口昭さんは居なかった。受付の小さな窓から髪を七三分けにしたダンディな鈴木さんが顔を出した。 「あの~、米沢漫画研究会の井上です。今日からまんが展で文化会館の三階展示室をお借りします。よろしくお願いします!」 井上は元気に挨拶をした。 鈴木はわざわざ事務所から廊下に出て来た。 「あのネ、井上くんだっけ?何か困ったことがあったら何でも言いなさい。文化会館の係にはぼくからも言っておくからネ。今日は土曜日だから早目にね。明日は日曜日だから月曜日には何とかするからネ」 鈴木はズボンの右手をポケットに入れ、左手で髪を撫でながら、キザっぽく言った。 意外だった。こんなに鈴木さんが親身になってくれることとは思ってもいなかった。「後で(会場に)行ってみるからネ。じゃあネ」 鈴木はキザっぽく手を振って事務室に消えて行った。 井上は深々と頭を下げて礼を表した。 2006年 7月18日 火曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第21回 山形まんが展前日つづく 「旅立ちの歌」第22回にご期待下さい!!
2006年11月11日
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旅立ちの歌 ●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和第867回 2006年11月4日旅立ちの歌●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和旅立ちの歌20 井上の自宅には毎日大きな封書が届くようになった。 「あしたのジョー」の大ヒットで一躍「時の人」になっていた ちばてつや先生からはサインの色紙が届いた。 先日、上京した折に、急に思い立ってちばてつや先生に電話をして面会の承諾を取ったが、自宅近くまで行きながらついに家を発見できずに、無断で帰って来た。その後、ちば先生にはお詫びの手紙を書いた。その手紙に「山形まんが展」のことを記したのだった。手紙を読んだちば先生が色紙を送ってくれたのだった。 東映動画からもテレビアニメの原画が送られてきた。「ひみつのアッコちゃん」、「タイガーマスク」など背景付きのセルロイド原画だった。井上らの上京しての依頼を承諾してのことだった。「お土産のサクランボの効果だ」 と、井上はたかはしよしひでのサクランボお土産作戦に感心した。 社会派劇画家 旭丘光志先生 からも原画が届いた。 旭丘先生は、前年に「少年マガジン」に広島の原爆のマンガ「ある惑星の悲劇」を描き、社会派マンガ家として一躍注目を浴びていた。井上は当時感動のあまり旭丘先生に電話をして長々と感想を述べていた。今回のまんが展を開催するにあたり、井上は旭丘先生に手紙を書き、原画の出品をお願いしていた。 封書に「旭丘光志」の名前を発見すると、井上は急いで封を開けた。 原爆マンガ「ある惑星の悲劇」であってほしい。いや、それに違いない。もしそうだったら自分の出品作「灰色の青春」と青木文雄の作品と並べて展示し「マンガの社会派」を強調しようと考えるのだった。 井上は封から出てきた作品に注目した。 しかし…… 旭丘光志先生はイギリスのSF人形劇「キャプテンスカーレット」の「少年ブック」に連載マンガの原画を送ってきた。 井上は正直がっかりした。しかし、まんが展に来るだろう少年たちには喜ばれる作品だろう。 実はこのキャプテンスカーレットを選んだのは、旭丘先生のアシスタントを務めていた山形漫画研究会の後藤和子だった。 井上が旭丘先生に原画借用の手紙を出したと聞いた たかはしよしひで は、井上に後藤和子の存在を知らせた。早速、井上は旭丘先生宅に電話をして、後藤和子に後押しをお願いをしたのだった。 後に後藤和子はマンガ家「ごうとう和」になって活躍をするのだった。 虫プロダクションからアニメ原画は届かなかった。なんの返事もなかった。 あのお土産のサクランボの力はおよばなかった。 2006年 7月10日 月曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和 完つづく 「旅立ちの歌」第21回にご期待下さい!!
2006年11月04日
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