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今日はボーッとしている。まだエンジンかからないままなのに、仕事だけはどっとある。打ち合わせは済ませるのだけど、いざコピーを書くのが全然進まない。とほほほ。簡単にリライトするだけでいいですよと言われている分も、それだけじゃ私の気が済まないからと余分な作業やってるような気もするんだけど。まあ、これも性分だからな。昨夜もおそくまでPCに向かう。で、朝から別件の打ち合わせ。それから友人と落ち合ってランチする間、本当にボーッとしていた。魂吸い取られた顔していたかも。帰りにプレゼントを買う。お世話になっている人へのお礼とか、いろいろ含めて4つばかり。久しぶりの雑貨屋はどれを見ても可愛いくって仕方ない。あぁー、こんなの作りたいとか夢は膨らむよ。おばさんだけど気持ちは少女(笑)。あれもこれも心をくすぐるのよ。ラッピングするのが好きなので包装はお店で頼まず自分でやることが多いのだけど、今日の分はお店まかせ。そのうちのひとつだけ、友人のために帰って少し手を加えた。スタンプでにぎやかに彩った紙袋に、ハギレを使ってはとめでパチン。喜んでくれるかなぁ。贈り方を考えるのって本当に楽しい。前は新聞紙でコサージュ風のお花を作って、ぽんと飾るのをよくやっていた。この前、ヘンプで編んだ鎖を小さな花みたくしたら想像以上にキュートなのができた。これもいつかラッピングに使おうっと。小さなハギレも捨てられない。両面テープでくっつけるだけで、十分おしゃれなテープ代わりになるからね。あぁ、そんな材料が引き出しに増えるばかりだわ。
2007年01月31日
友人がお店を開きました。パチパチパチ…おめでとう。ステッカーが手軽に作れます。私も近々注文しようっと。
2007年01月30日
私のことを心配してくれたみなさん、ありがとう。食欲はたっぷり。もうこれだけで栄養は十分すぎる上、いただいたケーキだの和菓子だのでカロリーをさらに重ねております。お酒もやってます。睡眠も十分すぎるほど。それなのに他人様からはどうも疲れていると映るらしく、友人がわざわざ「にんにくをリンゴ酢に漬けてみた」とかいういかにも効きそうな液体を持ってきた。うわっ、すごい匂いだよこれ。一口飲んだら、口の中がぴりっと燃える感じ。はちみつに混ぜたら少しは飲みやすくなるというけど、やっぱりニンニクはニンニクなのね。息をするのがコワイです(笑)母のために購入していたのに、箱を開けただけで残されたサプリメントも私の手元に返ってきた。友人から紹介されて購入していた。癌には大層いいらしい、と。医薬品の研究者だった別の友人からもこの薬のことは聞いたし、ネットでも検索して割合有名なサプリと理解して母に勧めていたのだ。…で、捨てるのはもったいないので私が飲むことにしたよ(笑)。だーってー。これ、決してお安くはなかったんだもの。いやー、こんな生活続けていたら、ますます健康体になりそうよなぁ。120才まで生きるかもよ~(ヒーッ)。《お知らせ》楽天の管理画面変更以来、使用できなくなった機能があります。こちらで私書箱宛のメッセージの開封ができなくなりましたので(グスン)、左側にある「メッセージを送る」はご使用にならないようお願いいたします。なんと、デザインの変更も一切できなくなってしまい(なぜなぜ!!)、それを消すことさえままならないのですよ。どーなっとるんじゃ、楽天。
2007年01月29日
作品展を企画するのは小学生の間だけ。中学生になったら、絵を描くだけじゃなくてもっと他に楽しいことみつける方がいいって。で、高校生になって、まだ絵を描いているようだったらその時は自分で企画して作品展やりなさいよと言っていた。夏の作品展がひとつの区切りと、それ以降はあまり絵を描かなくなっていた。代わりにヘンテコ小説が次々生まれ、本人も中学生になったら演劇部に入って脚本書きたいと言うようになった。それが、また最近になって絵を描いている。将来のことは決めかねている。そりゃそうだ、まだ12才。落語家にもなりたいし、歴史の研究も捨てがたいのだ。それでも少しずつ、自分の将来を現実的に考えるようになったらしく、うちの経済状態では無理とわかっていても本当は芸術系の大学進学を夢見ている。そこでなにをやるのかは未定。だけど、映像のこと、舞台のこと、CM作りのこと。自分の興味のある多くは、ここで学べるとうすうすわかってきた様子。地元にも、次世代のアーティストを育てるためにお金を出そうという人が現れるようになった。ああ、うちの子にもぽんと1千万ぐらい賭けてくれないだろうかな(笑)。そうしたらKAIの思うとおりに、芸術系大学への進学を前提とした歩みができるのに(←合格できるかどうか、まずはそれが問題なんだけど)。ここに、こんな子がいますよというアピールのためにも、これからも作品展を開きたいと言う。少しは手伝うけれどもうお金は出さないよと私は言う。会場を決めるのも、企画を進めるのもこれからはKAIが中心だ。どうしたもやりたいなら、「自分のお小遣いはこれだけしかありません」とわずかな資金で交渉してみな、と言ってある。画材代やDM代も子供には高額だ。さて、パトロンは現れるのかな(笑)※イラストは今年の。落書きしていたのを私がちょこっとPCで色づけしました。
2007年01月27日
いろんなことがあったので、いろんなことを考えた。母は、この3年近くの闘病で様々な準備をしていた。まず、着ない服を整理してそれ以後は必要以上に増やさないようにしていたこと。気になっていた住まいの修繕箇所をでき得る範囲で直して、収納等もきちんと行っていたこと。自分が亡くなってからのことを少しずつ私たちに伝えてくれていた――これはなにより助かった。葬儀関連のことは近親者のみ行いたい。ほとんどつき合いのない友達には「葬儀は出席するべき?」等の気を使わせないように、死後時間が経ってから耳に入れるのがいいなあなんてことも言っていた。なので、葬儀はごく近親者のみで行う家族葬にしたいということは、母の想いとして受け止められた。無駄な延命治療は行いたくない、そして治療は最小限でということは常々に伝えてくれていた。12月の手術は失った言葉を回復するためのものだったのだけど、術後に話せるようになって私に訴えたのは「よーく考えて」ということだった。それは、治療のこと、延命措置のことと受け止めた私は、ひとり病室に泊まった夜に「よーく考えて、最小限のことだけするよ」と約束した。母は安心した顔でうなずいていた。私は長女だから、そのことだけは頼ってくれたんだろうなあ。こんな時にこんな話を冷静に聞いた私はある意味、冷酷だ。だけどねぇ、母の想いを反映させてあげたかったのよ。母は自分の旅立ちの服も早くから用意していた。そのことは最初の手術からほどなく聞かされていたので心の準備はあったのだけど、いざ「その時」に直面すると間違いないように確認もしておかねばならなかった。妹や弟にその役目は酷だったので、これは私の最後の仕事なんだろうなあといろんなことを母に直接聞いた。「下着はどうする?」「服と一緒に用意している」「くつはどうする?」「それは要らない」「写真はどれにする?」「それは用意できてない」「じゃあ勝手に選ばせてもらうよ」「うん」。ここまで準備している母の心を無視するわけにはいかないでしょう?でもおかげで、「母はこうしたいと思っていたから」と故人の遺志をきちんと反映した送り方はできたかな。死後、比較的落ち着いて着々と準備できたのもこうした経緯があったから。父や、なにかと助けてくれれる叔父に「母の遺言」として伝えられたのは本当に助かった。終わってみて、こうした準備がどれだけ大切かよーくわかった。妹や弟も同じ気持ちだったかな。なので、残された父にも「自分が死んだ後に連絡したい人の電話番号をノートに書いておくように」と伝えたよ。それが何年、何十年後になるかはわからないけれど、こうした準備はやっぱり必要かな。そーねー。私はどうしよう。仕事関係のあの方にはまず連絡。そこから親しい仲間に伝えてもらおう。友人関係は「えっ、miraicci死んだの?」という程度の伝わり方でいいかな(笑)。まだブログやってる年齢だったら、誰かに書き込みしてもらおう。その程度でひっそりと逝ってしまおうかな。死んでからのことは生きているうちじゃないと伝えられないものね。タブー視しないで、ことあるごとに葬儀のことまできちんと伝えておくのはいいと思うわ。私も少しずつ、KAIにお願いしていくつもり。
2007年01月24日
ご無沙汰でした。つい先日、母が亡くなりました。詳しいことをお知らせしていなかったので、うやむやのまま仕事の期限を伸ばしていただいたり、打ち合わせをお断りしましたことお詫びいたします。日々、いろんなお誘いもいただいていたのに理由も言わないで断っちゃったのもごめんね。せっかくの作品展のご案内もいただいておきながら、足を運ぶことできませんでした。申し訳ないっす~。3年近くの闘病でした。ほんとに「闘い」という感じで、癌とまっすぐ向き合ってきた母を誇りに思っています。本人は病気のことはすべて理解していて、一日一日が宝のようだったと思います。癌は全身のいたるところに転移し、12月には脳にも腫瘍ができました。手術後に病院での3週間の看護を経て、延命は望まない本人の意思を受けて年末に自宅へ。あと数日――新年は迎えられないかもと言われた命は奇跡的に長らえたものの、やはり過酷な闘病だったことには違いありません。看護というか介護というか、家族が力を合わせてといってもやはり自宅で看るというのは大変ですよ。下の世話、食事の準備、夜中でも襲ってくる心の不安や痛みとの格闘。いやぁー、キレイ事じゃないですわ。体力も精神力も要ります。看護師という仕事をどれだけ見直したことか。相手が実母だったから、そして私がまだこの年齢だからできたんだろうなあと終わってみて感じます。いろいろあったけど、最後に心おきなくお世話ができたし、老後の面倒が見られない分も含めて(まだ64才という若さでしたのでね)濃厚な時間が過ごせたかなあ。おかげで悔いもありません!闘病生活でお世話になった担当医がこれまた素晴らしい方で、人徳もあり、私たち家族の力強い相談相手でした。このこともどれだけ支えになったことか。感謝感謝。事後報告にて申し訳ございません。故人の遺志をくんで、告別式はごく限られた身内のみで行い、お花料(クリスチャンですので…)や御供えの類は一切お断りさせていただきましたのでご了承下さい。皆様が母と家族のその気持ちを理解してくださって、気持ちの良い式でしたよ。私の方も、告別式の後にご迷惑おかけしていた仕事関係のごくごくわずかの方にしか連絡していませんでした。電話で連絡がつかない、メールでのご返事が遅れる等の失礼をこの場をかりてお詫び申し上げます。私はもう大丈夫!もう明日から仕事復帰いたしますので、どうぞお気遣いなくこれまで通りのおつき合いくださいますようお願い申し上げますね。
2007年01月23日
この頃どうしたんだか、随分と甘えん坊なんだよねー。仕事していると「膝に乗せてくれ!!」と訴えてきたり、子供とじゃれてると「うー」っとなったり。生まれ変わりがあるとすれば、人間は犬になることはないんだろうか。犬は人間にならないの?いつの世か、コイツと恋人同士になることはないんだろうかなあ。
2007年01月19日
ストレスなのかしら。日頃はお菓子類をあんまり食べないのだけど、クッキーをバクバク食べたり和菓子に手を出したり、昨日なんてコーラを買ってしまった。ついでに言うと、お昼はうどんを2玉。それに甘辛く炊いたアゲを丸ごと1枚。とにかく食べる。よーく食べる。しばらくの間、寝酒はビール1本にしていたのに昨夜は2本。最初はお漬物で飲ってたのに、スナック菓子にまで手を出してしまった。あああ。おかげで顔はパンパンだ。いや、お腹もすごいことになってきた。どうするよ、新年早々にセーブのできないぐうたら人間になり下がっちゃったよ、私!!もひとつ白状すると、食欲プラス物欲もむくむく。引きこもりがちなまま買い物を可能にしてくれるネットの世界は、私をどんどん落としてくれるよ。もう春物を先取りしたい時期になって、ブーツを注文しちゃったよぅ。お出かけの予定もないのにいつ履くんだろ。あー、これもそれも数字のせいだ。確定申告。今年こそは早め早めにと思って作業を行っている。ダメだぁ~めっぽう弱いのだ。数字。息抜きしたいので、どなたかコピーの仕事ください。
2007年01月16日
椎名林檎&純平の「この世の限り」を聴いた。おー、なかなかいいじゃん!!と思って聴いたのに、時間が経ったら「あれ?どんな歌だっけ」と全然印象に残ってない。なんでだ?確かに「いいじゃん」と思ったのになあ(笑)明日発売だそうな。
2007年01月15日
弟――といっても私の弟だからもうエライおっさんなのだが、この人、気が付けば漫画をどんどん買い込んでいて、実家は古本屋が開けるんじゃないの?というほど漫画コーナーができている。おかげで、家では漫画に見向きもしないKAIがいろんなのを手に取っているのだが、それを取り上げて読んでいるのは私。だって、KAIと私の趣味、似ているんだもんな~。たくさんの漫画の中からこの前KAIが選んでいたのは、よりにもよって、それは弟ではなくおそらく私が買ったよと記憶している1冊か2冊のうちのものだった。ええっ、こ~んなに漫画あるのに、なぜこれを選んだんですかっ?!安井雄一の『父さんはいつも輝いている』っての、知ってる?今日、引っ張り出してきたのはご存知『恐怖新聞』ですよ。うっわ、懐かしい。今晩は私がこれ読んで寝ます。
2007年01月14日
なんかおかしい、おかしいぞーと思って熱をはかったら案の定。食事した時の違和感はノドの痛みだったのか。気付かないほど忙しく過ごしていた。…といってもまだ気が張っているのだな。からだはゾクゾクするのに、わずか37度。ん、もしかしてこの熱は数字を見過ぎたから?今月後半から仕事が集中する予定。なので今のうちに確定申告の準備をと思ってさあ。なーんて言って、今日やったのは1年の数ヶ月分、領収書をまとめただけ(笑)。コレ早めに片づけて、昨年から予約の入っている仕事の下調べをしておかなければ。私の体力は続くのか?いやもう、精神力が先にダメになりそう。
2007年01月11日
前にもこのブログで紹介したプラ板作品。あれから百均で透明プラ板を発見。おおっ、これ1枚でいくつも作品が作れるわいと3枚購入。やってみるとマーカーで塗っている面は裏になった方がキレイというのがわかり、絵は逆に描いた方がいいと判断。プラ板に描いて(完成予定の6倍ぐらいの大きさで描く)、カタチに切って、それをアルミホイルを敷いたオーブントースターに入れてスイッチオン。プラ板は、熱を受けると一度くるりと丸まった後に開く(うちのトースターで50秒)、それをすぐに取りだして重いものを置いて平らにする。私はバッヂにしたいので穴を開けなかったけれど、ストラップ等にしたい場合は最初にパンチ穴を開けておくといいみたい。どーお?
2007年01月10日
DVD『花よりもなほ』をやっと観る。コレすごくいいからと、KAIの大人のお友達が貸してくれていた。家族で私だけが観損ねて、昨年末からズルズルと借りっぱなしでいたもの。岡田准一、浅野忠信、寺島進と、私の大好きなオトコマエが揃って出演。他にも古田新太、木村祐一、千原靖史と、これまた大好きな顔触れが続々。んふふふ、これだけで嬉しい。仇討ちのため江戸に出てきた弱腰の武士と、貧しい長屋に暮らす胡散臭いヤツらが織りなすストーリー。桜の花はどうして潔く散ることができるの?――あ、そうか。そういうこともいえるよなあとしみじみと観た。来年咲けないとわかったら、あんなにパッと逝けないものねぇ。ビジュアル的にも美しく、私は好きなタイプの映画かな。
2007年01月09日
受験でした。え?もう何も聞いてやらないで(笑)送り迎えに付き添うだけであとは自宅で待っていようと足回りのよい自転車で行くつもりが、雨が降るかもというので断念。ダンナに車で送ってもらってそのまま学校に設けられた待合室(体育館)で待機することに。あー、こんなに早く誰も来ていないだろうと集合時間の1時間近く前に着いたら、もう人がわんさか!!親が付き添うなんてどーだかなーと思ってたら、両親が付き添うのは当たり前。中にはおじいちゃんやおばあちゃんまでついてきている家族もあり。す、すげー。もうスタート地点で意気込みの差を見せつけられる。(今年からもうひとつ中高一貫の県立学校が誕生したためか、例年の10倍という競争率から下がったものの狭き門なのよ。)試験は午前中に「適性検査」と呼ばれる試験が2種。お昼をはさんで午後から面接。ここの適性検査というのがかなりユニークな形態で、過去問題では「この4コマ漫画から読みとれることを書け」とか「老人にとって便利と思う椅子を書いて説明せよ」とか「台所にあるものを用いて、塩水と真水を見分ける方法を3つ書け」とか。ランチタイムの至るところで適性検査に関する会話が交わされ「今後の問題は完璧よ」と笑う女の子のかたわらで、「はははは、全然書けなかったわー」とお気楽な我が子よ(泣)。いくら期待しちゃいないとはいえ、あーあー…。ほんとに、ほとんど白紙で出したんじゃないのかというぐらいの負けっぷり。もうこの段階で夢破れ、午後の面接は緊張もなく言いたい放題やったみたい。というか、やはり塾というのはお金取ってるだけあって、きちんとマニュアルを教え込んでいるのねー。KAIが感心したように面接の様子を教えてくれる。「オレな。この学校をなんで志望したかと聞かれたから歌舞伎の研究とかやりたいって答えたんよ。そしたら他のヤツは将来弁護士になりたいからとか、こっちに引っ越してからずっとこの学校に入るのが夢だったからとか答えるんよ~、すげー。で、同じような答えをする時には“先ほどの方が言われた通り”って。“先ほどの方”って!!もうオレ笑えて笑えて…」。あははははは、そりゃ不自然だもんねぇ。でも塾ではそう教えてくれるんだろうなあ。最後に「よく考えてから挙手して答えなさい」と言われていたのにかかわらず、全然考えずなんでもかんでも真っ先に手を挙げてたから、「当てられて“えーっとえーっと”ってなったわ」。うう、シドロモドロだったのですね(泣)。ということで、もう結果を待つまでもなく(いやいや、受験前に受けても無駄というのはわかっていたので――でも宝くじは買わなきゃ当たらないという心意気で受けたのでした。それに、イベントとしておもしろいしね)、KAI玉砕です。受験を終えた母の感想。中学受験やるなら、やはり塾通いは必要です。来年受験をお考えの方、せめて模試ぐらい受けてから挑みましょう(当たり前か~)。
2007年01月06日
気が付けば、私が女子大生だった時から20年ぐらいの月日が流れている。週末はコンパコンパ。おそらく目立つグループに属していたであろう私は、見ず知らずの上級生から「あなた、今週あいてない?」とか声かけられて、急いで人数セットしてコンパに精を出していた。誘いの回数もハンパなく多かったから、最後にはタクシー代まできちんと出してくれる私立医大のぼっちゃんたちのなら行くけど、国立大の地味な学部のは顔もイマイチだから行かないなどとワガママ放題だった(冷汗)。ゼミはデザイン系の先生に就いていた。高校時代から独学でパステル画をやっていた私にはこの研究しかなかった。今で言う生活系の学部だったので、その他のゼミでは環境問題とか人間関係学に基づいたテーマが主流――で、私が所属するこのデザイン系がアウトローだったのは言うまでもない。同級生たちはコツコツ真面目に取り組む中で、私はひとり絵を描いていた。同じゼミの中でも備前焼の研究として作陶する人はいたけれども焼き締めの温度や土の成分などを調べていくための実験としてだったように思う。今ならもっとテーマを絞り込んでうまいこと研究を深められるだろうにと思うけれど、当時はとにかく文字数を埋めて論文に仕立てることしか頭になかった。パステルと他の画材を組み合わせてどういう効果が生まれるかという、そのための制作も論文も今では顔が赤くなるほどつたないものだったはずだ。その指導をしてくださった先生が、今年定年となる。他のゼミが先生を中心に強い絆を結ぶ中、このゼミに入るぐらいの仲間たちは実に個性的。てんでばらばらの行動をしていたのでまとまることがなく、卒業後は連絡を取ることもしていない。先生のお祝いの会をしますと後輩からハガキが届いたものの同級生の誰に連絡取っていいものやらと悩んだ挙げ句、欠席しますなどと冷たい返事をしてしまっていた。そうしたら、やはり私と同様に悩んだ挙げ句に連絡をくれた友人がひとり。うわーーー、何年ぶり?!え、結婚したの?女の子がいるの?懐かしい、元気元気?すっかり話が弾んだ。私はどこに仕舞ったのか、無くしてしまった卒業アルバム。彼女は懐かしくて取りだし「みんなキレイなのよ」と20年前を振り返っていた。今度見せてあげるわ、miraicciも若くてキレイよ。あー、あの頃の私は体重も今より10キロ軽く、恋もしていたし思いっきり遊んでもいた。ファッションは女性誌がお手本で、学校帰りはブティック(←当時はショップなどとは言わなかったよね?)を数件ハシゴ。夜は行きつけのお店で常連客たちとお酒。デートも忙しかったものだ。うううう。遊び人だった頃のおバカな自分のことしか浮かばない。それを思えば、私、おとなになったよなあ。
2007年01月05日
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。12月にはいってから、ちょっとしたコトが発生してバタバタしてました。仕事関係でご迷惑おかけしそうな方にはお伝えしていたのだけど、ほら、私ってヒミツ主義じゃない?(笑)。あ、そこのあなた、なにがあったかって聞かない聞かない!!この年末にその用事に追われ、そのまま新年を迎えてしまいました。やっと今日戻ることができ、こうして新年のご挨拶となった次第。と思ったら、はーあ、もう子供の受験が目の前だというのにその準備がなにもできてないよぅ。持ち物やいつどこに行けばいいのか、これから確認しなくちゃ。目前だというのに(いくらホンキの受験じゃないったって…)。うわーん。PS大嫌いの上、全然信じちゃいない細木の占いだけど、金星マイナスは今年は調子いいってテレビで言ってたから気を良くしている私です。あー、今年はどうかいいことだらけでありますように。
2007年01月03日
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