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某印刷会社でデザイン室を仕切っていらっしゃる、有能美人デザイナーのAさん。彼女の名前をギャラリー情報コーナーで目にした。あれぇ、同姓同名だけど彼女は作品展やるなんて一切言ってなかったし、実は彼女がデザインをやるという経歴以外、絵を描く趣味があるなんて話聞いたことがなかった。この頃はとんとご無沙汰だけど、仕事以外にも一緒に飲みに行ったり、プライベートでも話をする機会はいくらでもあったのに。数ある職業の中からこの仕事を選んだぐらいだから、絵を描くということがあっても不思議ではないけど、デザイナーの人って案外仕事では絵を描かなかったりするから(デザインの仕事は絵を描くことと思っている人が多いんだけど、デザイナーって企画・デザインまではやっても、絵はイラストレーターに外注というのが多いのだ)、色使いやレイアウトのクセはわかっても、絵画作品となると全然想像できないものなのだ。2人展とある。どういう作品展なんだろう。ていうか、果たして私が目にした名前は本人なんだろうか?と確認しないまま、ギャラリーに行く。いた!!会社の人にも告げずこっそりと開催していたらしく、案内状も送っていない私が現れたのに驚かれた(笑)。いやいや、驚いたのは私。彼女の作品、すごかったのだ。そして、いつもの仕事人からは想像できない優しい色使いで繊細で、Aさんの“見てはならない”別の顔を見てしまったような気がしたのでした。いつもしっかりとしたコンセプトを仕事に求める彼女は、イメージだけに決して流されない着実な仕事をするタイプに見受けられる。外注のスタッフを含めて何人もの人をリードしながら、堂々とした仕事をする彼女。日本酒をおやじのように飲み続ける彼女。どっちかというと男性的?と思わせるこれらの姿を脱して、ほんわりと女性的で新鮮な油絵――。ああ、そう言えばAさんは、自分の意見を言うときも周囲に意見を求めながら柔軟に対応していく心遣いのできる人だったわ。打ち合わせに行くと、必ず笑顔で声をかけてくれる心優しい女性でもあったのよね。おいしいコーヒーをいただきながら、とてもいい時間を過ごさせていただきました。その後、会場で落ち合ったデザイナーTさんJさんとともに、県内3つの工業高校デザインコースの合同作品展に。忘れかけていたみずみずしさをまぶしく感じつつ、でもほとんどの作品が今のデザインの現場とはかけ離れているなあ、と。肝心のコンセプトづくりの甘さはこれから磨かれていくとしても、もっと冒険したり挑戦したりすればいいのに…と多くの作品の前で思ったのでした。
2004年01月31日
“ヒータン大好き”熱から少し快方に向かったか、今日は前々から約束していたデートがキャンセルになったというのに(彼女の方から木曜日は絶対に遊ぶのよと言われていたのに、今日になって彼女からごめんなさいされたのだ。ハハハハ…)、別にどうってことないという顔をしているKAI。つい1週間前は、お互い遊ぶ気満々で電話で約束している最中に、学校からの帰宅がとても遅かったのを理由にそれぞれの親から「今日はダメ」と言われてあえなくデート中止。電話の後、ポロリと涙をこぼしていたKAIが…。おかしい。この前、久々に2学期まで好きだった女の子の名前がポロッと飛び出した。ありゃめずらしい。席も離れているし、この頃ちっとも名前が聞かれなかったのに、と思っていたら――。「お母さん、オレ、この頃Sさんと話すと楽しいんよ」「えぇ?ヒータンは?」「ヒータンも楽しいし、好きなんだけどなぁ」「Sさんのこと好きなん?」「そんなんじゃないけど、話すと落ち着くというか…」ふほほほ、わかってきましたな、我が息子。そうなのだよ、オンナは顔だけじゃないんだわな。この「話すと心が落ち着く」というのも大きいポイントよ。けどさー、ヒータンと両思いになれたと喜んでから、まだやっと1ヶ月過ぎたばかりですぜ。あんた、気が変わるの早すぎ!!いやーん、でもこの恋の話はおもしろいので、静観しつつも、ちょっとだけクセモノのアドバイスしてかき乱しちゃおうかしら。私がこれから不倫するというのも面倒だし、こういう色気のある話は周囲ではとんと聞かれない。SさんがKAIのことを好きというのはなさそうなので、三角関係でモメモメは望めないけどさぁ、こりゃ~楽しまなくっちゃなー。
2004年01月29日
夜中のテレビで、D・ボウイが歌っていた。昔々、好きだったオトコ。この神経質な顔つきが小学生だった私を魅了した。懐かしい「ヒーローズ」や「フェイム」や、そんなのを何曲か聴いて、でもすっごい睡魔に襲われてしまって(だってその前にビール飲んでいたから)テレビを消した。ボウイは相変わらずいいオトコで、それにあんまり歳を取らない。元々この人は性も年齢も超えているところがあって、その“よくわかんない”加減が好きだったのだ。小学生の頃の愛読書は「ROCK SHOW」だった(←たしかそういうタイトルの月刊誌)。ロッキンオンとかいろいろあったけど(そういうのも読んでいたけど)、私のようなベイシティローラーズから洋楽に興味を持った子どもには、ちょうど手頃な雑誌だった。写真も豊富で、KISSのポールやJAPANのD・シルビアンや、美しいオトコたちの写真を切り抜いてはうっとりしていた私。もちろんD・ボウイも。あるお方のHPで、最近のボウイのアルバムがなかなかよかったとのこと。これは聴かなきゃと思いつつ、まだそのままでいる。ああ、本当に早く聴かなきゃな。
2004年01月28日
今日は自由参観の日。2時間目から4時間目まで、どの授業を参観してもいいのだが、2時間目は「図書」の時間だというのでパス。3時間目は「図工」でカッターナイフを持ってくることとなっていたので、何を作るのかナーとわくわくしながら出かける。火曜日はダンナの休みの日。昨日KAIから「お父さんもみにきてね」と言われていた約束を守って、一緒に行く。さて、授業では何をやったかというと、基本的なカッターナイフの使い方の練習。先生から“正しい鉛筆の削り方”を書いたプリントと一人に1本ずつ新しい鉛筆が配られる。親指はここに当てて、前に押し出すようにとか、刃を出したまま振り返ったりしたら危ないのでやめましょうとか、一通りの注意を聞いたら「とりあえず削ってみましょう」。30数人の子どもたち一人一人を先生が指導するとなると、こういう技術的なことは大変だよな。「自分の子どもや、それ以外の子どものところに行ってどんどん口出ししてください」と先生が言うや、親たちは興味津々で机の方へ。だって、後ろの方じゃ自分の子どもがどういう削り方しているのか見えないのよね。まーぁ、KAIの削り方もかなりいい加減。1年生の時にナイフの使い方をしっかり教えておいたというダンナは特にショックだったようで、口も出せば手も出すし、周囲の子どもにまでアドバイスしたりして。とても器用に鉛筆を削る女の子は、2年生の時までは毎日鉛筆を削らせていたという。スポーツ万能の子は芯だけを長く不格好な鉛筆になっていたり、まったく刃を立てられない子もいるし、友人Nさんちの子なんてカッターの刃と背のところを逆に使って早々と手を切っていた。「このままやってたら血まみれだったわ」って…うぅーん、すごい参観日になっていたかも。今回の参観日、いつもは絵が並んでいるところ、どのクラスも習字がずらり。冬休みの宿題にあった書き初めだ。入選者の作品が並ぶ作品展などは、どこで優劣つけるの?と思ったけれど、これだけバラバラだとうまい子はうまい、ユニークな子はユニークと、この私でも作品の違いがわかる。うちの子はうまくもないし、個性もないし、特にどーってことのない字でつまんない。ちょっと落ち着きのない男の子が書いていたのが、インテリア書道みたいな自由さがあって、どれか一枚くれると言われれば私はこれを選ぶけど、書道としての評価はされないんだろうなぁ。
2004年01月27日
神様がくれた(…であろう)のどかな時間をまだ満喫中(爆)。ぽっかり時間があくことはあっても、これほどゆるゆると長く続くのは開業以来あったかしら?という、嬉しいような不安なような。でもせっかくなので、楽しまなくちゃ。絵を描こう、お話なんかも書いてみよう、散歩も行こう、いろんな手作りに挑戦しよう…と、やりたいことは山ほどあったはずなのに、いざ時間ができると、私はただゴロゴロする人と化している。世の専業主婦のみなさん。みなさん、一体どういう生活しているの?思えば私、生活のほとんどが仕事かそれに付随するようなことにばかりかまけてて、本当の意味で自分の時間を使うことに慣れていないんだなと思ったわ。これじゃあ定年後にゴミ扱いされるおやじと一緒だよ…トホホホ。ということで、今日は一念発起。イタリア語でもやろうじゃないかと思い立つ(え、飛びすぎ?)。日本語しかしゃべれないけど、私は語学にまったく興味がないわけじゃない(今、明かそう。実は年頭より英語フレーズ付きの聖書の日めくりカレンダーをトイレに貼り、ミニ英和辞典も持ち込んでひそかに勉強したりもしているのだ)。月に2度の声楽のレッスンでイタリア歌曲をやってることもあって、ちゃんと発音できるようにとずーーーーっと以前にCD付き「イタリア語」っていう本も買ってはいたのだ。ただ、一回通りも聞かないうちに飽きてしまっていたのね。ほほほ。この調子で、わが家にはフランス語も中国語も、もちろん英語なんていっぱい教本があるの。私のやる気次第なんだよなー。で、「今を逃したらいつまでもイタリア語やらないかも!!」と思って、今日ははりきって聞いてみたわけです。そのイタリア語CD。でもねー、“はじめての○○語”っていうの、どれも最初は退屈なんだよねぇ。母音はこれで、前にこういうのがくると発音はこう変わりますとかさ、アルファベットの発音を言ってみましょうとか。むー。やっぱさ、切羽詰まってないと語学って身に付かないのかしら。それとも私の姿勢の問題?気が付けば私は熟睡状態。ありゃりゃ…仕事でエクアドルに旅立った親友なんて(今は日本に帰ってるけど)、1年かけてラジオの基礎英語を勉強して、3ヶ月で生活に必要なスペイン語を独学。それで単身かの国に飛び立ってフツーに過ごしてた。つくづく彼女はえらいと思ったわ。数少ない海外旅行の中で、なんとか現地の人たちとコミュニケーションは交わせたから、言葉なんて勢い?とも思うけどね。あー、なんて言い訳がましいこと考えていたら、私のグータラ生活にピリオドを打つことはできないのよね。誰か私に有意義に過ごす方法教えてくださーい。
2004年01月26日
たぶん今日が最終日、岡部玄さんの個展会場に足を運ぶ。1週間前にギャラリーの前を通りかかったとき、岡部氏は流木でドームを作る真っ最中だった。その過程を含めての作品展らしく、最終日にはこれがどうなるんだろう?とすごく興味をおぼえたのだ。岡部さんの作品は、たぶんこれが初めてじゃないはずだ。地元作家たちが集まるコラボ展にもよくご参加のようだから、作品には何度かお目にかかっているはず。ビーチサンダルや片っぽのくつや、海のゴミになっているような履き物たちが集められ、オブジェと化しているのは見覚えある。今回のはギャラリーの空間いっぱいに流木でまゆのようなドームを作ってしまうという趣向で、なかなか印象的だった。1週間前、たまたま他のギャラリーでもよく顔を合わせているお兄さんとこの場で会って(どういう人が知らなかったけど、美術関係者のようだな)この作品について話をしたら、「この流木、15年かけて集めたそうですよ。これが終わると崩して、また次の展示場所で組んでいくらしいです」とのことだった。アーティストというより大工のようだな。私は作品うんぬんよりも、「15年かかって集めた」というあたりに、ライフワークってこういうことなのねと妙に納得しちゃったんだよね。流木ってつるつると手触りが良くて、ドームにするとどっしりとおだやかな空気に包まれるよう。子どもにとっては「冒険」気分をおぼえるらしく、1週間前には「登っても大丈夫らしいですよ」という一言を聞いて、ならば…と勝手に登ったりしていたのでした。ほどよい隙間があるので、くぐったりまたいだり、KAIには自然のジャングルジムに映ったんだろうな。この岡部さん自身、とってもあたたかい感じの方でした。その後、いつものギャラリーpuntoに行って、常設の版画作品を見てきました。今回はあまり好きなのがなかったなぁ。KAIは草間彌生の代表作“ドット柄のカボチャ”に夢中で、またいつものように下の方から見上げて、その不思議な世界を堪能していたのでした。
2004年01月25日
久しぶりに食った食った。急にダンナが休みを取ったのに、家でゴロゴロしていた私。夕方からダンナの実家にご機嫌うかがいにでも行ってみるかと電話を入れると、ちょうどよかった鍋用の鶏肉買ってきて、とのこと。ほほぅ、今夜は水炊きかぁと肉を多めに買い、おいしそうなツミレも持って行く。連日の粗食で、ついには「肉食べたい」コールが出されていたわが家。昨夜だって湯豆腐だし、まるで修行僧のような食生活なのだ。おかげで私の体重は少し減った。実家に行くと、姑ちゃんが土鍋に湯をぐらぐらさせているところだった。「早くから来るとわかっていたらもっと魚買っていたのに」と言いながら、鯛や牡蛎が並んでいる。うへへ、これに鶏肉も入ればいいダシが出るぞぅ~。野菜もどっさり入れて、アツアツのをみんなで食べた。おいしいおいしい。デザートはまっかなイチゴ。食った食った。遠慮なくたらふく食べて、ぱんぱんのお腹で家に帰る。“スープの冷めない距離”を大いに活用しているのは、実は嫁の私の方なのだ。舅ははっさくをたくさん袋に詰めてくれ、姑は自慢の白菜漬けを袋に包んで持たせてくれた。これで当分、ビタミンも補給できるでしょう(笑)。さーて、洗い物もないことだし、風呂入って焼酎飲んで寝~ようっと。
2004年01月24日
私が小学生の頃、係といえば「落とし物係」「保健係」「美化係」「黒板消し係」…まあ、そんなものだった。『太陽にほえろ』とか流行っていたから、掲示板にお知らせ物を張る「掲示係」は、その語感だけでやたらと男の子に人気だったのは覚えている。今はユニークな係が多い…のは、うちの子の学校だけ?通知表に記載してある1学期の係は「お笑い係」。何をやっていたかは定かでないけど、みんなを笑わせるのが仕事だったらしい。2学期は「本係」と、ちょっとマトモになったので安心していたら、3学期はまたやってくれたよ。「劇係」って…。芝居をするのが仕事というこの「劇係」、KAIがこういうのを作りたいと言ったわけではないらしく、みんなでこういう係が欲しいと決めたんだとか。そのワリには不人気で、劇係のメンバーは2人。どんな小劇団でも10人は要るだろうよ~、2人で何やんのよ?と聞いたら、お芝居する時にはメンバー募るんだって。学校ではかなりユニークな子として通っている様子の我が息子KAI。1年生の時も2年生も、みんなを集めて自作のコントやったり落語やったりしていたんだけど、3年生になってさらにパワーアップして、2学期はクラスメートを集めては自作の芝居(もちろん時代劇)を企画・演出していたらしい。もちろん敵役とかうっかり役で出演もする。うけていたのかいないのか、そのへんの評価はコワくて聞けないけれど、本人は大満足なのだ。あぁー、大丈夫なのかこの調子で。今日は週に一度の英会話のレッスン日。生徒は5人でKAIだけ男。どうやらここでも本領発揮、今日は「先生に落語をやってと言われたから『つる』をやってきたよ」と得意気だ。勉強はそっちのけ。唯一習っている英語でさえこの調子よ。えっ、あきらめろ?んもぅ、人の子だと思ってぇ~(泣)
2004年01月23日
お風呂上がり、ちょっと水分補給ねと焼酎を冷たいプーアール茶で割る。それを飲む間だけと思ってテレビをつけたら、キューバ音楽の特集をやっていた。ブエナビスタソシアルクラブについて書いた、過去2回の日記にも記しているけれど、キューバは私の憧れの土地。あの町並みや音楽を楽しむ人々の様子を見ると、どうしようもなく体が熱くなる。ヒーターもつけない部屋の中で、おまけに冷たい飲み物を飲みながら、つい引き込まれるように見入ってしまった。いいぞ、キューバ!!………………………さて、昨日友人たちから「ピザを焼いてパーティー」なるものをしたという話を聞いて、もう頭からピザのことが離れなくなってしまった。そうだ、私もピザぐらいは作れるのだったということを思い出して、強力粉とドライイーストを買いに行く。ピザ生地は難しいと思っているそこのあなた!!実はこれ、自宅で簡単に作れるのですよ。●材料強力粉150グラム、ドライイースト5グラム、砂糖小さじ1、塩小さじ1/3、ぬるま湯100cc、サラダ油少々(私はオリーブオイルを使います)。これをがさっとボールに入れてこねるだけ。ポイントは「ぬるま湯」ってとこね。これで発酵がどんどん進むから、時間を置く必要がないのよね。こねるのもそんなに時間はかからない。手にベタベタとくっつかなくなった頃ができあがりの合図。本日は、この分量を2倍にして、3枚のピザを焼き上げました~。クッキングシートの上で生地を伸ばして、フォークで軽く穴をあけておく。その上に具を乗せて、250度のオーブンで10~15分(わが家は電気のオーブンレンジなので。ガスの場合はもっと短時間でいいかも)。本日の具は至ってシンプル。1枚目は庭に生えているローズマリーとエビ。2枚目はトマトとバジル。3枚目はビアソーセージとトマト、ローズマリー。それに黒コショウをたっぷり、チーズもたっぷり。ベースはトマトケチャップ(1枚目のはマヨネーズにしようと思っていたのに忘れていたの)。ピザ生地の作り方さえ覚えておけば、シチューがあまった翌日などは、これに乗せて焼くとすんごいおいしい一品になるのよ。林檎をたくさんもらったら、(生地に薄くハチミツを塗って)薄くスライスしたのを乗せて、それにシナモンをふってチーズをかけたら“なかなかどうして…”のデザートになる。ぜひお試しあれ。
2004年01月22日
岡山では老舗のギャラリーから電話がある。大学時代からここの女性オーナーには大変お世話になっていて、2度ほど作品展をさせていただいたことがあり、たくさんの作家の方も紹介された。え?ご存じなかった?私、こう見えて、大学時代は絵を描く人だったんですのよ。この業界に入ったのだって、元々はイラストレーター希望だもん。絵は描くのも好きなのだ――いや、好きだったのだ。高校時代に渡辺藤一さん(童話作家・立原えりかさんのご主人で、サンリオから画集も出ている)のパステル画に魅せられて、独学でパステル画に取り組んだのがそもそもの始まり。好き勝手な描き方でやっていたら、友人が通うデザイン専門学校の先生が興味もってくれたりして、「こういう画材もあるよ」とか「パステルと組み合わせるとたぶんおもしろい」とか「新しい紙が入ったから」とか言って、あたたかくサポートしてくれたり。私って昔から友人・知人にだけは恵まれた人生を送っていて、作品展するのを勧めてくれたりしたのもそういう一人からだった。美術とはなーんの関係もない普通の大学に通いながら、ずいぶんと楽しい経験をしてきた。喫茶店でバイトしてたら、そこのお客さんだったディレクターの人が「ちょっと描いてみる?」と声かけてくれて、実は私の絵はポスターになったりもしているのだよ。ほほほほ。なのに私は絵を描かない人になってしまった。気づいたのだ、ヘタでおもしろくもない絵は、誰にとっても魅力がないことに。そんな私に冒頭のオーナーは言う。「あなた、作品展やらない?」って。といっても、私は添え物なんだけどね。どうやらKAIの絵のことを複数の人から聞いたらしく、もちろんそれは良い評価ばかりではないはずなんだけど、だからこそ自分の目の届くところでさせたいと思った様子。でもさー、それが“母子展”というのはどうかな(爆)。「私はもう絵は描かないので」とやんわりとお断りを入れたのだけれど、「でも考えておいてね」と嬉しいようなそうでないようなお言葉。ははは、どうしたってやりませんって。第一、夏には別のギャラリーでの開催が決まっている。これ以上忙しくなるのはイヤだし、来年やるならもっとおもしろいイベントにしたいんだよねぇ(ギャラリー同士の「うちの作家を取った、いや取らない」にも巻き込まれたくないしなぁ)。束縛はきらい。もっと自由に楽しくやれるのがいいなぁーと思う今日この頃。
2004年01月21日
中学生の頃、DEEP PURPLEをむさぼるように聴いていた。おこずかいをためてギターを買って、アンプまではお金がまわらなかったからそれをラジオにくっつけて音を出していた。テキストは「リッチーブラックモア奏法」。ピアノはそこそこに弾けたけれど、ギターはクラシックを自己流に練習した程度のレベル。リッチーのようなかっこよい音は出せないまま、気分だけをなんとなーく味わっていた。レインボウの時代には、もうあまり聴かなくはなっていたけれど、それでも彼の創り出す音楽は好きだった。クィーンほどの装飾さはなく、ゴシック的というか、うるさいだけのロックでない上質な重厚感。でもね、まさかこういう人になっていたとは。昨日、“いいもの”をもらいそこねていたTさんから、ありがたくプレゼントを頂戴した。それが「ブラックモアズ・ナイト」のCD。リッチー・ブラックモアだよと聞いていたのに、なんか少し違うよなぁというのどかな音色。長らく洋楽から離れていたので、こういう音楽になってたの全然知らなかったのだ。はぁ~、トラディショナル・フォークという分野の人になっていようとは(笑)。でも、昔やっていた音楽の流れをどこかに感じるので、ディープパープルの延長はこういうところなのねとちゃんと納得できてしまう音だ。若い頃の私だと多少物足りなさを感じてしまったかもしれないけど、今はこういうのが心いやされるんだよなぁ。大人になって再び聞き始めることになるなんて、思わぬところでリッチーとは長いおつき合いになってしまった。Tさん、もう1枚の方が私は好きかも。仕事もくださいね(←懇願)。
2004年01月20日
お騒がせした事件も一段落して、また何事もない日常がやってきた。1週間間始まりはどうもやる気にならない。入ってきた仕事もすぐに手をつける気も起こらず(納期があるしね)、ぼーっとして過ごしていたらAさんからの電話。楽器屋にいるんだけど、帰りに寄ってもいい?いい、いい!!もちろんいいにきまってる。退屈してたのだぁ(笑)。「みかん無事発見祝い」のケーキをもって現れた彼女、今日はいつも以上に心優しい天使に見える。「おかあさん、ケーキ食べたいね」「うちは貧乏なんだから、そんな贅沢できないよ」とこの前、KAIと交わしたところだったのだ。どこかで聞いていたのか、Aさん。彼女と近所のスーパーで買い物をして、それから別れた。午後からはひとりバスに乗って、デパートと本屋に行く。レジでお金を払っていたら、ケータイが鳴る。一度切って、支払いを済ませてからかけ直す。ディレクターのTさん。「家の近くを通りかかったから、いいもの持っていこうと思ったんだけど」。えっ、いいもの?「いいものったって仕事じゃないよ」。仕事なんて要らん要らん。仕事じゃないいいもの大歓迎だ。くー、こんな時に外出しているとはぁ。残念、モノはなんだったんだ~?!KAIがカギを持って行ってない可能性があったため、帰宅時間までにと急いで戻る。家についてしばらくしたらガチャッとドアが開いて「ただいまー」の声。なんだ、カギ持っていってたんだ。「これ、先生が渡してってお金もらってきた」。んん?なんで学校がお金くれるんだ?「開けてみたらわかるって」。ははぁ、そう言えば教室で指を挟んでレントゲンとったことがあったっけな。なんともなかったけど。それなのに保険っておりるのね。なんだか棚ぼたな感じ。ラッキー!!
2004年01月19日
偶然…というより、もう奇跡かと思った!!ほとんど寝られなかった一夜が明けて、朝から霜が降りた土手を散策。昨夜から何往復しただろう。もしや実家に歩いていってはいないかと朝電話していたので、心配した両親も駆けつけてくれた。近所中を歩いて探して、友人たちにも「近くで犬がほえたりしてない?」「犬の散歩に出るとき、ちょっと気にとめておいてくれる?」と電話を入れる。こう見えて、みかんは結構人気者で、それぞれの友達が自分の連絡網を使って、いろんなところに電話を回してくれたようだ。昨夜写真を預かってくれた派出所のおまわりさんは、「いかがですか」と電話をくれて、自分はこれで勤務があけるけど、もしよかったら今日一日連絡できるように次の者に引き継ぎしておきますが…と言ってくれた。心配して電話をくれた友人のアドバイスで、早めに連絡をもらえるようにポスターとチラシの制作にもとりかかる。白と黒のパピヨンはあまりお目にかからないし、体の大きさも個性的(小さいパピヨンの3倍はあるのだ)。そんな特徴を書き込んで、プリントアウトだけ………というところで、「見つかったよ!!!!」。連絡や何やらでひと足先に戻っていた私。その間も母とKAIが少し範囲を広げて探していた。朝食もとらずに歩き続けるKAIに、一度家に帰ってご飯を食べようとうながしていたところ、信号待ちで止まった車の窓越しにみかんによく似た犬が見えたのだという。「あの犬、みかんちゃんによく似ているねぇ」「うん」「でも、ちょっとこっちの方が小さいねぇ」「う~ん…」というような会話を交わしていたら、その車から「この犬探していませんか?」と声を掛けられたのだという。なんていう偶然。いや奇跡!!!昨夜のこと。みかんは「もしや」と私がにらんだとおりに、いつもの土手から明るい国道に出たらしい。けれど、みかんは車のビュンビュン通る道など歩いた経験は少なく、以前にも一度、足がすくんで動けなくなったことがあるのだ。今回も同じだったようで、車の切れ目で動けなくなったのをバスや他の車が止まって事故には至らなかったようなのだ。たまたま、保護してくださったその方が、このまま放っておいたら大変なことになるととりあえず自分の車に乗せてくださったとのこと。「この犬に心当たりありませんか」とペットショップにも問い合わせてくれたらしい。いい方に拾われた。ご自身も犬を2匹飼っているということで、みかんを別の部屋で休ませてくれていたとのこと。たぶん土手を走り回った末に国道に出たと思われるのに、毛はきれいだったから手入れもしてくださったんじゃないだろうか。いくら聞いても連絡先もお名前も教えていただけい。それではこちらが困りますというと、近所の店でたこ焼き屋をしているのだということだけ教えてくださった。何度か食べたことのある店だ。ほっとしたのと昨夜からの疲れで、私の風邪は悪化した。鼻水は止まらないし、熱も再発だ。それでもみかんが帰ってきて、本当によかった。戻ってきてからのみかんは、私からずっと視線をそらさない。「悪いことをした」と反省しているのか?!いや、反省してくれなきゃ困るのだ。たくさんの人に迷惑をかけ、心配いただいた。飼い主として、今後気をつけます。
2004年01月18日
愛犬が行方不明になってしまった。午後7時、ダンナが帰ってきたところをKAIがドアを開けっ放しで出迎えた。たぶんその時。のんびり屋の我が家族、いつものように彼はてっきりひとりで2階で遊んでいるものと思い込んでいた。それにしてはご飯のおねだりもしてこないし、足音もしないよなと思って、呼びかけても応答無し。8時前になって大慌てで外に飛び出す。明るい時間にこういうことは数度あったけれども、近所の土手をうろうろしているぐらいで、これまで捕獲に失敗したことはなかった。でも、もう夜だ。みかん6歳、おす。両耳から目にかけてが黒いだけで、あとは真っ白な犬です。パピヨンにしてはちょっとでかいけど、愛嬌があって、誰にでもなつきます。どなたか心当たりはないですか。自宅周辺は何度も何度も探しました。暗い土手を何往復もしました。近くの派出所にも届け、心当たりのご近所にも声はかけました。自転車や車でちょっとだけ範囲を広げてもみました。でも、まだみかんの声は聞かれません。私たち家族にとってはかけがえのない、大切なパートナーです。謝礼いたします。………………18日、朝10時。ありがとう皆様、見つかりました~(パチパチパチ)。詳しくは今日の日記に書くとして、みかんは親切な方に保護されて一夜を過ごした様子。偶然に偶然が重なって、こんなに早く解決できるとはー。近所の派出所の方にも親切に対応してもらったよ。友達から友達に電話を回してくれていたり、寒い夜道を子ども連れで探してくださってたり、んもう~いろんな人にお世話になりました。ありがとう。本当にありがとうございました。
2004年01月17日
あぁ、このまま家で過ごし続けていては、私ダメなオンナになってしまう。昨日もその前の日も、実はスッピンだった。履き古したジーンズに、ぬくぬくの部屋着。元々ない色気が、さらになくなってしまった。いかん、これじゃいかん。今日はちと反省の意味も込めて、私なりに考えてメイクを施す。マスカラばっちり。口紅はレッド。グレーのセーターに黒いマーメイドラインのスカート。黒いマフラーに黒いショート丈ジャケット。それにワインレッドのロングブーツで色を添える。miraicci宅から最寄りの商店街までバスで7分。片道140円。近所をブラブラ歩くより、こっちに出て歩く方が数段楽しい。安い娯楽だ。何が見たい、何が買いたいというのはなし。もっともいくら欲しいものがあってもサイフはまだ淋しいまんまだし、歩くだけ歩いてみるか――というのが、本日のお出かけ。昨日、デューク更家がテレビでレクチャーしていた「正しい歩き方」をイメージしてみる。背筋を伸ばしてモデルのように足を出す、か。うーむ、なかなかうまくいかないぞ。っていうより、全然できてない(笑)。歩くだけで効率よく痩せられるんなら軽いものと思っていたけど、私は美しく歩くこともできないでいたんだね。ほほほほ。という間に、足は知らず知らずのうちに「丸善」に向いていた。まずはデザイン書。それから児童書、インテリア本、雑誌、話題の新刊…。何冊かを手にとってみるけど、特に欲しいというのは見あたらない。せっかくだし、「紀伊国屋」にも行ってみるか。こっちの方が児童書が多くて、楽しいのがいろいろ見つかるのだ。さすが!!期待通りだよ、紀伊国屋。今日はエロール・ル・カインの絵本がずらりと並んでいた。私が好きだった絵本画家だ。「いばら姫」とか持っていたのだけれど、今も実家にあったかなぁ。何冊か手にとって、ちょっぴり懐かしさに浸る。いつ見ても美しい絵なのだよ、うっとり。幸せな気分ついでに、大好きなインド雑貨屋にも立ち寄る。この店のお香のかおりに包まれるだけで、なんかこう「生きててサイコー!!!」みたいな気分になる私。買えもしないのに、何枚かの服を当てて鏡に映して、もうそれだけで満足。命の洗濯だぁ~。店内には例の「ジュピター」が流れている。楽しいお出かけだったじょー。
2004年01月16日
自営業者のmiraicciは、一丁前に「青色申告」なんてやっている。最終的な計算は税理士さんの手をお借りすることになるんだけれど(とにかく私は数字が苦手なのだ!!)、どういう現金が動いたか、銀行振込は支払いは…と、「おこずかい帳」程度のことは当然ながら自分でやらなきゃならない(だって社員は私だけ。事業主にして経理担当で営業で職人なのよ)。で、私にとって一番面倒なのが、領収書の束をきちんと仕分けすること。月ごとにきちんと整理しておけばいいものを、元来ズボラな私はポンポン箱に放り込んで見ないフリ。1年経ったところで「はぁ~」と思うのだ。いつも「申告はお早めに」なんてCMが始まる頃に大慌てでノートに貼っていくのだけれど、今回はそういう状態から脱するべく、今日は半日、領収書と格闘。2003年度もやっぱり出費は多かったのね。収入に対するその金額を思うにつけ、だんだん気が滅入っていくよ。けれど、仕事にとっては必要経費。どこも削るところはないんだよな~。若いときのように「流行」を肌で感じることが難しくなったこの頃(笑)、私にできる方法はなるべくたくさんの人と話す機会を設けるとか、雑誌を幅広く読むとか。ここで交際費や書籍代をケチっちゃうと、きっと仕事に支障は出てくるんだよな。ちっ、こんな時代遅れのコピーしか書けないのかよと思われたらもうコピーライターとしては命取り。たまには「こういう表現が今は好まれます」とおじさんたちを説得しなきゃならないこともあるし。それにしても、2003年もいろんなところに首つっこんでたのね、私。あぁ、あの人とここに出かけたわとかこういう宴会あったわとか、このイベントはよかった、あの方にはこういうお祝い事が…と、さまざまな出来事が「金額」からよみがえる(笑)。会社勤めのあの頃は、あれもこれも経費として認めてくれないかしらと思ったり、光熱費にケチケチしてたらいい仕事なんてできないじゃんよーとか思っていたものだけれど、自分が働いたものから「必要経費」を計上しなくちゃならなくなって10数年。今では社長や経理部長の気持ちがよーくわかる(笑)。もっとも、私はゴルフもやらなきゃジムにも通わない。セレブなおつき合いとも無縁なので、支出ったって知れてるのだけれど…うわわ、今日はなんだか暗い話になりましたな。 ……………………だれか、笑わせてん。
2004年01月15日
仕事なし。なーんにもすることがないので、今日は読書でもやってゆっくり過ごすことに決めた。妹から借りっぱなしの美術のワークショップやギャラリー・トークの本、2冊あるのにどちらも読みかけのままだったのだ。傍らのテーブルに茉莉毛峰っていうジャスミンティー。体全体を包むような座椅子風ソファに、足もとにはブランケット。…って、もう準備万端って体勢で読み始めたのに15分ほどでもう飽きてしまった(爆)。美術教育に関わる人にはいい内容なんだけど、別に指導者になろうとは思ってない私にはちょっと退屈なんだよなぁ。アメリア・アレナスという人のギャラリー・トークのやり方が書かれていて、子どもに美術館を楽しませるにはこうすればいいのねということがわかる。たとえば、名画についてただ作者や歴史背景を一方的に教え込むんじゃなくて、「これは何だろう」「何が起きているんだろう」「何を見てそう思ったの」「どうしてそう思うの」と、どんどん語らせるんだそうな。どういう答えにも大人は否定しないで、同調したりことばを投げかけたりして、絵の本質(?)に迫っていくんだって。まあ、元々絵を知らない私は、子どもと美術館に行ったってこういう質問しかできないでいたからね(知識がないことが幸いしましたわ)。大原美術館なんかでこの質問をしていて、子どもの答えから「あ、この絵のこんなところにこういうものが描かれていたんだ!!」と新たな発見をさせてもらったこと多数(爆)。てなことで、この本を早々に閉じてしまい、新聞のテレビ欄をぼーっと見ていたら、NHKで「歌会始」やってることを知る。ずーっと昔に1度見たことあるぐらいで、毎年ニュースで部分的に内容を知るぐらいだったのよね、これ。今年のお題は「幸」。2万点ぐらいの応募があったんだって、すごいなぁ。せっかくなので、歌会始ワンポイント講座――。この儀式、さすがに皇室のことだけあって独特な役どころがあります。まず歌会始の司会者は「読師(どくじ)」と呼ばれ、進行を見守ります。句をまず詠み上げるのは「講師(こうじ)」。彼が一字一句間違わないように(緊張するだろうなぁ…)ゆっくりと詠み上げた句は、「発声(はっせい)」という役の人によって節を付けて歌われます。それから今度は合唱するみたいに「講頌(こうしょう)」が発声に合わせて歌います。 アナウンサーの話はうろ覚えだったので、以上、ネットでも調べて書いてみました(笑)。違っていたらごめんね。さてさて、この発声さんにより、一般の人の句も誠に雅やかなものになるわけですが、最初の人がハタチの女性で、それも「高校時代の恋の句を詠いました」というもの。これに雅楽のようなフシがつくと、なんとも妙な感じで、不謹慎ながら私、大受け。「かぁーれぇーとぉーてぇぇーを~~~~っ つぅーなぁーげぇーるこぉーとーがぁぁぁ~~………………」 彼と手をつなげることが幸せで いつも私が先に手のばすだったかな、確かそういう句だったのですよ。NHKさんはとても親切で、選ばれた人たちについていろんなことを調べておいで。「この○○さんは、何十年前から耳が不自由になり…」とか「○○さんは昨年ご主人を亡くされ、現在息子さんと同居するかどうか考え中」とか。句の背景になることは確かなのだけれど、それぞれにドラマがあって、ドキュメンタリー見ているみたいだったわ。今日の歌会を見逃したあなた!!来年こそはお見逃しなく。
2004年01月14日
正月にテレビで観た歌舞伎が印象深かったのか、KAIが昨日と今日とで仕上げたのが「助六」。ファンの方々には大変申し訳ないけれど、ちょっと顔がいびつで、白目の部分まで真っ赤に塗られた団十郎だ。どっしりとした墨の線に色鮮やかなポスターカラー。上手に描こうと思ったら、絶対にこんなにはならないだろうという独特な風合い(笑)。バックには櫻吹雪。この絵ならホメてやってもいいかな。子どもって、どんどんいろんなことを吸収して成長していくもんだけど、これだけ毎日描いていると絵もどんどん変わっていく。秋から作品らしきものを描きためていっているんだけど、ほんの3ヶ月ほど前のものなのに、技術も感覚も驚くほど違う。2ヶ月ほど前にはKAIなりに考える時期だったのか、「これは失敗」と言っては、大きな画用紙を何枚もムダにしてこっちがイライラしてたもんだけど、今は下書きも無しに(元々ヤツは下書きなどしないんだけどね)大胆に筆をおろして、イッパツで自分が納得いくものを描き上げるようになってしまった。今が彼の旬なのか?え、これが絶頂期だったら、それはツライな(爆)。助六を描き上げて、今は金色の顔と銀色の体を持つ「地蔵」の仕上げをしているよ。後光は虹色だったりして、なかなかにぎやかな絵です。
2004年01月13日
おお、カフェに行くのは何週間ぶりだぁー。体調が悪かったのと、おそろしいほどの金欠生活で、大好きなお店にも行けないでいたのね。お茶するだけじゃなくて、フリーペーパー集めたり、雑誌を読んだり、KAIはイラスト描いたり、ただぼーっとしていたり…私にとっては欠かせない息抜きの時間だったのに。朝、商店街の洋服屋に勤めるダンナから、ケータイ忘れたから届けて欲しいと電話があって、「そっちに行くようならね」とそっけない返事をしておいたのだけれど、実は今日こそはと出かける気満々。新学期に持っていくクーピーがなくなっていたので、何色かを買っておかなきゃならなかったし、絵の具も買い足しておく必要があったし。ただし、画材屋とダンナの店は正反対の方向にあって、わざわざ届けに行くのはちょっとばかり面倒だよなという感じ。それでも後で「外出したのになんで持ってきてくれなかったんだよぅ」となるのもいやだし、洋服屋にほど近いバス停で降りる。天気もいいから、商店街のアーケードの下じゃなくって、こっちの路地を歩こうか?と一歩踏み出したところで「あれっ、KAIじゃないか?」と声を掛けられた。なんとバス停の目の前のコンビニから、ダンナと同僚二人が出てきたでないの!!おほっ、ラッキー。「昼食は?」「お金使うのもったいないから食べて出てきた」という答えが涙を誘ったか、「お茶したくてもお茶できない」という訴えがストレートに効いたか、それとも同僚の前だったからか「これで…」とお駄賃を握らせてくれた。結婚して初めて感謝したね、私。「ふふふ…お母さん、やったな」というKAIを連れて、足取り軽く画材屋に行き、それからカフェへ。KAIはわざわざ陽のよく当たる窓際の二人席に座り、自分が頼んだイタリアンソーダのボトルだのグラスだのを並べて、キラキラと光る“影絵”を楽しんでいる。私はその店のオリジナルのラテを飲む。ふぅー、シアワセ。二人で夏の作品展のレイアウトについて相談した。家よりも、こういう場所での方がアイデアも浮かびやすい。一歩外に出ると、KAIも子どもというより、パートナーとしての意見が聞かれるので、それもまた頼もしいのだ。久しぶりの嬉しい午後のひとときだったよ。
2004年01月12日
岡山ユネスコ協会が主催する児童絵画コンクールに応募していたら、今年は優秀賞という連絡があって、今日はその授賞式へ。「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」というテーマで小中学生から募り、今回が6回目らしい。去年はベーシックに「岡山城」なんてのを描いて出品したら佳作で、授賞式に行ってはじめて入賞者の多さにびっくり(爆)。5~600点ぐらいの中から100点近くが入賞してたんじゃないかなぁ。もっと驚いたのは、その授賞式の様子。親やおじいちゃんおばあちゃんが我が子(孫)の晴れ姿を撮ろうとビデオカメラを回す中、協会の世話役のひとりが子どもを叱ること叱ること!!最優秀、優秀、優良、佳作…の順番で前に呼ばれるんだけどさ、その時に「大きな声で返事をしないなら賞状あげないわよ」と何人かが「はい」を何度も言わされていたのよ。それはそれで正論で、確かに最近の子どもが全然返事しないのはよくないことだと思う。けどねー、こういう場は初めてで、どうしていいかわからない1年生が急に自分の名前呼ばれてさー、そりゃ返事どころじゃないって(爆)。あまりに強烈なインパクトで、最後には「あの人はどんなポジションにいるんだろう」ともう興味津々で、今年もお目にかかれることをひそかに願っていたのに。「あれ、あの人いないや」と言っていたから、きっとダンナも同じ気持ちだったんだろう。年々こういう絵画展は浸透していくのか、今年の応募は700点にのぼったという。すべての作品が展示されていて、どういうのが入選して、どういうのが入選してないかがわかる。今回のは去年より質は高く、力の入った作品が多いなという印象だ。ただね、同じ絵画スクールで手ほどきを受けたのか、技法も構図もほとんど同じというのが並んでいたり、みんな同じような見方の絵だったりでユニークさはいまいち。第一、わが家のメンバーはがんばってる「うまい絵」というのが好きではないのだ。そんな中、1年生だったか2年生だったかで際立つ1点を発見!!白いが用紙に、クレパスでトラを一生懸命描き、もうそれだけで「トラ」とわかるのに、わざわざ矢印して「ベンガルトラ」とか描いているの。「すげー、これかっこいい!!」と目を付けたのはKAIも同じ。ダンナもこれが一番だと言う。バックも塗っていないし、作品としては中途半端で入賞はしてなかった。けど、この子はトラが描きたかったんだよね。動物園か何かで「これがぼくの町のたから」と思ったんだからそれでイイじゃんよーという感じ。帰りの車でいろんなコンクールで上位入選する女の子が入ってなかったね、という話になった。この前、なにかの作品展で彼女のが賞を取っているのを見たら、びっくりするほど手を抜いた絵を描いていて、応募の少ないようなコンクールでは手加減するのかと、ちょっとかわいそうになった。それがこの子の通う絵画スクールの方針なんだろうか(実はこんないい教室があるけどKAIくんどう?とずっと以前に案内を受けていたのよ。行かなくて正解?)。今回のも覇気のない絵だったな。オトナが関わりすぎるのは、子どもの絵にとっては不幸なことだ。絵を習わせないの?と時々聞かれるけど、私はゴメンだ。コンクール用にと気負って絵を描くこともさせたくないなぁ。あの「トラ」の絵のようにインパクトがあるのが一番だ。
2004年01月11日
いつも行くギャラリーの、今日は今年初めてのレセプションパーティー。鏡開きもするのでどうぞと声がかかっていたのに、体調を考えると「さて、どうしよう」と直前まで考えていた。いつもならすみませんとお断りすればいいけれど、年明けのご挨拶をしないというのもどうかと。それに、8月はKAIがここで10日間の作品展をさせていただくことになっているのだ。年頭の晴れやかなひとときに義理を欠くというのもなぁと、出かける1時間前になって「やっぱり行こう!」と準備を始める。黒いセーターとロングスカート、その上にジョーゼット風の軽い1枚を重ねる。KAIは着物で行きたいというので、お正月にもらったウールの着物を着せ、帯を適当に巻いたのがわからないように羽織を重ねる。外は寒いので、私の黒いショールを巻く。足もとを黒の足袋ソックスにしたので、なんとなくしまってみえる。即席にしてはイイ感じだ!会場はいつになく華やかなムードで、中にはいるとギターの生演奏が始まっていた。今日の主役である松本碩之さんは大阪生まれのアーティスト。プロフィールには「伝統的な書表現だけにとどまらず、音楽家、舞踏家、詩人等他分野との共演による“書”の可能性や舞台芸術のあり方を探求する」とある。海外での個展も数多いらしい。花や陶器ともアレンジして、とてもおしゃれな雰囲気だ。ギターの演奏もすばらしい(松本さんとの共演なのだろう)。知っている顔を見つけてはごあいさつし、30分ぐらいで帰ろうと思っていたのに、今日は大変な人でいろいろしゃべっていたらすぐには帰れなくなってしまった。人見知りのしないKAIは、オーナーに松本さんをはじめ何人かの人に紹介されていた。着物姿が目を引いて、いろんなところから声もかかる。鏡開きのお酒はとてもおいしく、それにマスの香りの良さも手伝って、「今日はあまり飲めませんよ」と言っておきながら結局2杯いただいた。用意されたおでんもお正月らしいスルメや昆布も、お酒にはぴったりだったのよね。1時間半近くを過ごし、迎えの車に乗ったら「あ、頭が痛いんだ」ということに気づいた。明日はKAIの絵の授賞式がある。まだまだゆっくり休めない。
2004年01月10日
今日の夕食、七草粥。スーパーで1パック50円って、「見切り品コーナー」で山ほど売っていたのだ。七草の日を過ぎればただの草。でも、私のような草臭いのが好きなヤツにはなんとも魅力のお野菜なんだよな。今夜はきんぴらやヒジキのヘルシーメニューにしようと思っていたところだったので、これに七草粥を組み合わせれば「最強の粗食」みたくなるか、と。買い物前に従妹から電話があった。彼女はとっても「健康雑学」に強い。今はニガリに凝っていて、豆乳+ココア+ニガリを毎朝飲んでいる。これがとってもいいんだそうで…ニガリを入れてご飯を炊くと、ふんわりおいしくなるんだよねとも聞いたので、さっそく購入。お粥を炊くとき入れてみた。なにがどう変わったのか、私にはさっぱりわかんなかったけどね。彼女から「ゴボウのアク」もからだにはいいと聞いて、今日は灰汁抜きしないできんぴらを作る。さて、私のからだはどれだけ健康になったでしょうかな?
2004年01月09日
忙しさよ、戻ってこ~いと心の中で叫んでいたら、締め切り明日という仕事がやってきた(爆)。打ち合わせが午後だったので、こりゃ急がねばと思っていたら、ありゃりゃ体が動かねぇ?なーんだ、私。また熱が出てるじゃ~ん。もう泣きたいよ。どうなっとんじゃ、今回の風邪。治ったのはぬか喜びか。ほんの数日体調がよかっただけとはな。そんなことは言っとられるか。とにかくバリバリ働いて、家族を(いや、私自身を)養わねば。ランチのため、おいしいお茶のため、春用のスカートのため…私は働くわよぅ。バリバリバリバリ…
2004年01月08日
ホルストの「惑星」の中でも人気の「木星」。それに歌詞がつきました、とその1曲がテレビで流れた。平原綾香の「Jupiter」。あの木星に歌詞なんてとあんまり期待してなかったけど、これがなかなか素敵。曲のイメージも壊れてないし(といってもチラッと流れただけなのね)、これはちょっと聴いてみたいわ。さて、アッという間の冬休み。私の子ども時代なんて休みの最終日は辛くて辛くて…だったけど、KAIは明日を待ちわびている様子。自分でさっさと宿題やら筆記用具やらを袋に詰め込んでいる。ははぁ、そりゃもしかして、彼女に会えるからじゃないかー?と思っていたら、案の定。彼女の方でも待ちわびていてくれたのか(?)、お昼を過ぎた頃に突然現れた。素敵なおじい様とやんちゃな弟と、コーギー犬の散歩の途中のよう。KAIもうちのパピヨンちゃんを連れていそいそと出かけていった。その間に私は家中をゴソゴソ家捜し。なんとなんと、どこへしまい込んだのか「缶バッヂメーカー」がなくなっちゃったのよぅ。2日間ず~っと探し続けているのに、まだ出てこない。新しいコピー機が前の機種より場所を取るので、モノの入れ替えなどしたのが運のツキ。英語の教材はここに、ビーズのバッグはあそこに、コピー用紙はこの下に…と、どうだっていいものの移動場所はきっちり覚えているのに、どーしても缶バッヂメーカーの置き場所が思い出せないのだ。断っておくけど、わが家は決して広くない。てゆーか、とっても狭い。モノだって大して多くない。思い当たるところはすべて探し尽くしたよ。押入の中も、玄関の収納スペースも、ソファの下、ベッドの下、乾燥機の中まで…。うぐぐぅ、もう意地になってるのだ。ダンナからも子どもからも、この収納上手なザマをあざ笑われたよ。くぅぅ~。あと探してないのはダンナの部屋のみ。ここから「あ、ここにあったわ」なんて出てきたら、どうしてくれようか。
2004年01月07日
BSで「ブエナビスタソシアルクラブ」をやっていた。もう何度も何度も観たドキュメンタリー映画で、2002年12月26日の日記にもこのネタで書いている。でも、また観ちゃった。ビデオも録ってあるから、わざわざテレビで観ることもないのに。去年はメンバーの二人が亡くなった(私が新聞の訃報欄で気づいた限り、は)。歌手でギタリストのコンパイン・セグンド。そして、ピアニストのルベーン・ゴンザレス。どちらも人気のミュージシャンだ。しみじみしながら「ブエナビスタ…」を観た。この映画を観ると、いつもキューバに行きたいという思いで熱くなる。あの埃っぽさがたまらない。じいさんもばあさんも、子どもたちも音楽に反応しちゃうあの国民性がたまらない。キューバの政治も経済もどうだっていい、あの町にしばらく滞在したいなーと映画を観るたびに思う。私にとっては夢の町、キューバ!!歩いていれば、もしかしたらイブライム・フェレールとかにひょっこり会えそうな気がするんだよね。ブエナビスタのメンバーたちは、そんな気さくさも兼ね備えていて、そこがまた素敵なのだ。同じ南米音楽つながりで――さて、いつかの日記でコパ・サルーヴォについて書いたことがあったんだけど、サルサなんかの熱いライブが今月こちらで開催されるらしいよ。コパ・サルーヴォも来るんだって!!金欠のmiraicciをご招待というきとくな方がいらっしゃいましたら、お早めにご連絡ください。
2004年01月06日
去年は一度も顔を見ることができなかった田舎のおばあちゃんちに行く。おばあちゃんちは岡山県の南西部、真備町というところにある。タケノコの産地で、私は世界一ここのタケノコの味がおいしいと思っている。子どもの頃から春はたけのこの灰汁抜き、ご飯を炊くようなあのニオイから始まっていた。おじいちやんからの早朝の(たしか4時とか5時とかではなかったか?)電話にうながされて、家族でタケノコ掘りに出かけたこともある。田舎にはいくつもの田んぼとタケノコの山があり、それをしっかりと守ってきたことが生前のおじいちゃんにとっての自慢だった。1月5日はおじいちゃんの命日ではなかったか。もう亡くなって10年と少し経つ。おじいちゃん亡き後、おばあちゃんは一時期は孫夫婦と暮らしていたものの、今は気丈に一人暮らしを続けている。おじいちゃんとは一回りぐらい歳が離れていたが、それでももうおじいちゃんの歳に追いついた頃だと思う。80歳半ばとはいえ、耳は聞こえるし、数年前に白内障の手術をしたおかげで視力はすこぶる良いらしい。記憶力もよく、曾孫であるKAIの名前も間違えないし、私の従姉妹たちの家族のこともちゃんと把握しているのは大したモノ。時代に遅れてはならないと、ニュースやワイドショーはしっかり見ているから「落合さんは1ヶ月に借金の返済が1千万あったとこの前テレビで言うとったわ。すげぇことじゃな。あの人、今度は監督よなぁ」てなことまで知っているのだ(笑)。田舎の風景はすっかり変わってしまった。庭には小さな縫製工場を建てていたのがそれも閉鎖。そこに通っていたおばちゃんたちも歳を取ったことだろうけれど、今でもおばあちゃんを慕っていろんなものを持ってきてくれるらしい。「大根もネギも米も自分のところにあるのに、みんなが持ってきてくれて食べきれんのよ」と私への土産は箱一杯になった。おじいちゃんが大切にしていた庭の向こうの田んぼは、春には見事なレンゲ畑になってそれはそれは美しかったのに、今では更地にしてしまって駐車場として使われている。走り回ったあぜ道も、もちろんない。「あの山には天狗がいるよ」と真顔で話してくれた近所のチヨミちゃんは、今は北海道で暮らすと聞いた。私よりひとつ年下だったから、彼女もいいおばさんになっていることだろうな。団地暮らしだったmiraicciにとって、この田舎は天国のようだった。春休みはレンゲ畑で犬と転げ回り、夏は村中の蝉を採り尽くした(と、思っている)。冬休みは広い広い田んぼで凧を揚げた。工場に来るおばさんたちにも随分と可愛がられた。あと何回ここに来られるだろうか。おばあちゃんの長生きを願うmiraicciなのでした。
2004年01月05日
落語や漫才で笑い続け、正統派のお正月を満喫したmiraicci家。子どもの冬休みはまだ終わらないので、いつまでもこの状態が続く気でいたら、はぁ~明日はほとんどの会社で仕事始めなのですなぁ。今年こそ今年こそと思うのに、金星マイナスの私は今年から3年、誠に悪い時期に入るらしい。いわゆる「大殺界」ってやつ?金星マイナスはダンナもだ。たしか妹も。みんなで悪い時期迎えてりゃこわくない。何が起こっても、この「運命」のせいにしちゃうのだ。わははははは…。フットボールアワーとかこだま・ひびきとか、とにかくお笑いばかりで過ごしたので、大殺界も笑い飛ばせる。いいねぇ、お正月。昨日は歌舞伎まで観て笑ってた。団十郎の「助六由縁江戸桜」ってやつ、派手目だし初心者の私にもわかりやすそうだし、家族で観て、そして笑った。この頃やけに歌舞伎を観たがる(そして歌舞伎役者にも憧れる)KAIは、団十郎のかっこよさにまいったらしい。助六の動きを観ては「うわー、かーっこいい~」を連発。足袋が黄色いのをめざとく見つけては「あー、あんなの履きたい~」ってさ。「でもなー、あの人の声はキライなんだよな」。なんて失礼な…。
2004年01月04日
前に日記に書いた高校時代のサッカー部のOB会に行く。いつもなら10数人の集まりになるところが、今年は大切な用事が重なってとか体調不良でとの理由で、10人のこじんまりした集まりに。アメリカ肉牛が大変なことになっている最中、みんなで焼き肉屋で2時間食べまくり…2年上の先輩3人、1年上は5人。同級生はキャプテンだったNくんとマネージャーの私だけ(くすん、私たちの代ってちょっと淋しい)。こじんまりした集まりのせいか、今日は高校時代の成績の話で盛り上がる。1つ上の先輩Oさんは最初の試験で学年最下位だったんだよとか、あ、おれは下に10人いたよとか。私の前に「落ちこぼれ組」の3人が座り、私だって成績は下の方(いや、それでも先輩たちほどひどくはなかったけどね。100人ぐらいは私の下にいたはずだから…いや、いなかったかな)。隣に座った「学年で50番ぐらいだったかなー」という先輩は、確かにいい大学を出て、今は大手の会社で忙しくしていらっしゃる。「やっぱり、勉強はしなくちゃいけなかったんだよねー」と今更後悔したりして(爆)。今日集まったメンバーのうち4人は、今も社会人のサークルでサッカーを楽しんでいる様子。もうね、しんどいよ、40歳にもなると…と、かつて私が憧れた先輩が言う。15分も走れば足がもつれる、走れない分、PKギリギリのずるいプレーだけはうまくなるのよって。明日は朝から現役高校生たちと新年の試合をする。毎年これも恒例なのだけれど、朝起きれなくてなかなか見に行けないのだ。この年齢になればムリは禁物。でもこのゲームは、私たちにとって年に一度のお祭りのようなモノなのだ。マネージャー現役だった頃は、毎年やってくるおじさんたちに半ばあきれていたけれど、今は私たちがそのおじさんとおばさんかぁ~
2004年01月02日
皆様、明けましておめでとうございます。どうぞ本年もワタクシmiraicciと、画伯・KAIをよろしくお願い申し上げます。さて、お正月。紅白もレコ大も毎年無関係に過ごしているわが家は、家族仲良く「人生ゲーム」なんかやって大晦日を過ごしておりました。政治家から大物政治家にランクアップして、大銭をにぎりつつ着実に人生を歩む私。学校の先生として誠実に生きるKAI。そして借金に借金を重ね、家を火事で失い、それでも一番先にゴールしてまさかの逆転。大金持ち人生を手に入れる我がダンナ。三人三様の生き様は、何かを暗示しているようでちょっとコワイ。カウントダウンの頃にはBSでイッセー尾形のライブ中継。ワインも体内を巡ってほろ酔い気分。メレット・ベッカーというドイツ女性(…ではなかったか?たしかドイツからのお客様と言ったと思うのだけれど…)の歌声に興味を引かれる。イッセー尾形も不思議な芸だけど、それ以上に「なんじゃこりゃ」と思わせる芸のコラボレーション。サーカスか大道芸でも見ているような音楽のステージ。カメラマンH氏が、「これドイツの人が歌っているらしいよ」とKAIのフォトシネマに挿入してくれた歌がとっても不思議なムードを醸し出していたのを思い出し、「もしかしてこの人のではなかったのかしら?」と、このメレット・ベッカーさんを見て感じたのですが、違いますかね?
2004年01月01日
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