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さすがのモロゾフもシーズン初めは、ここまでされるとは思わず、安藤選手のジャンプ構成を組み立てました。ところが、今季の異常な判定を見て、途中で戦略を180度変え、最後に安藤選手を台にのせたんです。その転換を短期間でこなしてしまった安藤選手もすごいですが。モロゾフは最初、できるならフリーで4Sを成功させたい、それにセカンドにもって来れる3Lo、プラス2つ入れられる3ルッツで「安藤美姫絶対勝利の方程式」を書きました。シーズンインする前は、ジュニア時代終わりからジャンプ構成に進歩のないキム選手が、まさかここまで圧倒的な点を出すとは思っていなかったはずです。それに3ループがここまで執拗にダウングレードされることも予想外だったでしょう。たぶん、モロゾフの頭にあったのは3A+2Tと3Aの2つのトリプルアクセル、それに3F+3Loを後半に持ってこれる浅田真央、そしてジャンプの跳べる長洲選手のポテンシャルじゃなかったかと。初戦のアメリカ大会での安藤選手の成績と今回世界選手権での成績を見てみましょう。(<)はダウングレード判定。アメリカ大会3T+3Lo(<)←最初のジャンプがふだんの3Lzでないことにご注目。簡単な3Tにして負担を減らしたんです。でも結局セカンドのループが認定されない。3S←前の連続ジャンプの負担を減らして、シーズン途中から4Sを入れて完成させるつもりだったところ。回転不足判定の厳密化が、その理想の方程式を安藤選手から奪いましたが。3Fスピン(レベル1)スパイラル(レベル2)後半3Lz+2Lo3Lz3Lo2A+2Lo+2Loスピン(レベル3)ステップ(レベル3)スピン(レベル3)GOE後の獲得点数 58.46+演技・構成点52.16=110.62今回の世界選手権3Lz+2Lo2A+3T3Sスピン(レベル4)スパイラル(レベル4)3Lo(<)3Lz3T+2Lo+2Lo2Aスピン(レベル3)ステップ(レベル3)スピン(レベル4)GOE後の獲得点数 62.34+演技・構成点63.92=126.26初戦と今回で、技術点のアップが3.88点、演技・構成点が11.76点アップ振付を変えましたし、今回のほうが初戦のジゼルよりはるかによかったのは確かですが、それにしても同じ選手の演技・構成点が11.76点もアップしてしまうのですから、今回の演技・構成点の上がりようがいかにすごかったかわかると思います。注目ポイントはまずはスピンのレベル上げに成功してること。当初は高難度のジャンプを決めることが優先だったと思いますが、途中から、エレメンツの取りこぼしはダメだと気づいたのだと思います。そこできっちりレベルを取れるスピンにしてきた。そして、安藤選手はきちんと取った。肩に問題のある安藤選手はスピンのポジション取りが大変だと思います。それでもレベル4を2つにレベル3を1つ。実はオーサーは、安藤選手のスパイラルに関してもイチャモンつけていて、膝を曲げて脚の上がりをごまかしてる、あれでレベル4はないだろう、みたいな(苦笑)――ほんっと、よくまあアラさがししてくれるよ、と思いましたが、スパイラルのレベルは安定してキープできるように調子を戻しましたね。ただ、今回台にのってきた安藤選手の実力を見ると、オーサーが目の仇にして叩いた理由がわかりました。選手としても一流だったオーサーは、現役時代「ミスター・トリプルアクセル」と言われたぐらいのジャンパー。天才は天才を知る、なんです。安藤選手のジャンパーとしての能力の高さをよく知ってるんですね。ループが跳べなくなり(去年まではなんとか入ってましたが、今年は試合での成功率0%)、サルコウ劣化中(ファイナルに続いて今回も跳ぶ体力なし)のキム選手と違い、安藤選手はアクセル以外の全部の3回転が跳べます。弱いとすればエッジを矯正したフリップ。フリップはちょっと足りなくなることが多く、グランプリ・シリーズではダウングレードされたり、GOEで減点されたり、非常に厳しく判定されました。実はMizumizuが一番心配していたのは、安藤選手のフリップ。セカンドのループが認定されないことは、もうモロゾフはほぼわかってるはずだし、そうなると問題はフリップの高さ不足。フリップはアクセル、ルッツについで基礎点の高いジャンプだから、できれば入れたい。でも安藤選手に対しては、ふつうなら気にしないようなわずかな軸の傾きですぐGOE減点してきましたからね。荒川静香が「流れのあるいいジャンプでした」と言ったフリップまでGOE減点ですから。「狙われていた」ジャンプです。グランプリ・シリーズでは、ショートとフリーで2度入れて、基礎点の高さを生かせないような減点をくらうことが多かった。これが、ショートとフリーで決まるかな、と思っていたんですが、さすがにモロゾフ、フリーから狙われたフリップをはずしてきました。そして、大きなチャレンジ、それは2A+3Tです。これはシーズン途中から、後半に入れようとして3Tがダウングレードの餌食になったもの。それを絶対に決めるよう、前半にもってきました。そして、見事に成功。セカンドに3Tをもってこれたのは、大きな大きな収穫です。しかも完璧に回りきって、ピタッと降りました。キム選手の2A+3Tは、実は今回は相当疑わしかったんですね。ビデオを撮ってる方は見ていただきたいのですが、3Tの着氷で、相当氷が飛んでます。エッジでベタ降りしたときの現象で、あそこまで氷がえぐれるのは、回りきってないということ。もちろんキム選手ですから今回はダウングレードはなし。でも、GOEをマイナス1にしてたジャッジが1人いたので、回転が足りてないのに気づいたジャッジもいたということ。加点は0から2でした。安藤選手のほうは加点は1から2で、0や(もちろん)マイナスはなし。オーサーは、あのセカンドの3Tをみてあせったと思います。セカンドに3Tがもってこれると、奪われたセカンドの3Loをカバーできますから。そして、執拗な回転不足判定に対抗するために、シーズン初めには後半に2つの連続ジャンプを入れて10%アップを狙う作戦を放棄して、最初に2つの連続ジャンプを跳んでしまう。そして、スピンとスパイラルに注力したあと、後半に入ってからは、ふつう連続ジャンプをもってくるのですが、前のエレメンツの負担を考えてあえて単独ジャンプの連続(1つ「狙われたループ」を厳しく回転不足判定されましたが)、そしてジャンプ構成の最後に入れていた3連続を最後から2つ目に移して、最後のジャンプは一番負担の軽い2Aに。ここまでシーズン途中で構成いじって、しっかり対応してきた安藤選手は、やはり天才ジャンパーです。これができたのは、1つには4大陸がなかったことも大きかったと思いますね。1つ試合が入ると、そこでいったんピークを作らなければいけないので、大変なんです。年が明けてからの浅田選手の不調の理由を、2月になってようやく、元コーチの山田氏が、「試合数が多すぎる。みどりは年間1~2回にしたいと言ってきたことがある。なのに、真央は…」と発言しましたが、見かねてだったと思います。もう、本当に、連盟の浅田選手のコキ使い方は異常でしょう。Mizumizuは「強化部長」じゃなくて、「選手消耗部長」と呼んでます。モロゾフが連盟を声高に批判しましたが、まったく120%同感です。浅田選手がキム選手と大差をつけられたから、コーチまかせにせず連盟がアドバイスするって…?(呆)。この意味不明の点差をみてオロオロなんて、バカ丸出しでしょう。ここでアセって、愚かな連盟が余計な口はさんだら、もっと悪くなります。冷静に考えてください。浅田選手がルッツとトリプルアクセルを失敗したのは確かだし、全体的に身体が動いていませんでしたが、あんなアホらしい点差がつくような演技ですか? 後半の2ループがダウングレードされましたが、3S跳べなかった選手に演技・構成点で、プルシェンコを上回る銀河点出されたら、天上の神様だって手も足も出ませんよ。そもそも、昨季から、もう浅田選手はキム選手に勝てないルールを作られています。去年はルッツを奪われ、今年はループです。ところが、それでもまだ浅田選手は勝ってしまう。どうやっても勝利を確定的にするためには、演技・構成点の爆アゲの意識合わせしかない。そしたら、思った以上に点差が出ちゃった。こんなところでしょう。ここであせって連盟が口出ししたら、それこそタラソワも怒ってしまいます(実はモロゾフだけではなく、タラソワもめちゃくちゃ連盟には怒ってるんです)。浅田選手がどれほどタラソワに精神的に頼っているか、演技後に浅田選手がタラソワの胸にとびこんでいったのを見ればわかるでしょう。2人を引き離してはいけません。そもそも、モロゾフやタラソワ以上にフィギュアを知っている人が連盟にいますか? 金儲けイベントの国別対抗に「日本の至宝」の女子2人を出すなど、意味不明のことをして休ませもせず、何か強化ですか。国内大会パス、ショーもなるたけパスして調整してきたキム選手と環境が違いすぎます。「安藤・浅田には勝たせないぞルール」を突破して、バンクーバーでメダルなど、常識的にはほとんど無理です。メダルを獲るのは、ロシェット選手とチャン選手なんです。オーサーのからんだキム選手も、もちろんです。今回の、これまでの慣例を破る演技・構成点のバク上げは、バンクーバーの前夜祭だと見るべきです。当日の選手の出来によっても変わるでしょうが、彼女たちはジャンプ構成落としてミスをなくせば、テンコ盛りの加点と演技・構成点の爆上げが待っているからラクなんです。一方の日本選手は、絶対にミスできません。今回安藤選手のショート、3ループの認定を試す意味もあったと思いますが、結果はやっぱりちょっと足りなくてダウングレード。あれ以上跳べといってもほぼ不可能でしょう。男子のセカンドの3Tと3Aの認定の緩さを見たら、もしかして今回は… と思いましたし、恐らくモロゾフも賭けてみようと思ったと思いますが、やはり認定しませんでした。安藤選手の単独の3ループさえダウングレード。あれで4分の1以上足りてないって? うそだろ! と思うようなジャンプがです。もう今さら言うまでもないですね。昨季、「ジャッジは一応、基準に基づいて判定してる」なんて、書いてしまった自分が甘かったと思います。今シーズン途中から、どうやらそうでないことにだんだん気づいてはきましたが、長年のファンとしては、やはり、どこかでジャッジを信じたかったんですね。昨季は、プロトコルの演技・構成点を見るのが楽しみだったのに、1度こういうことがあると、もう2度と信頼する気にはなれませんね。当然でしょう。プロの仕事とはそういうものです。3ループが跳べなくなった選手って誰でしたっけ? まったくすごい偶然です。これでまた、来年、誰かの3Sが決まらなくなってきたら、今度は安藤選手の3Sをダウングレードですか?こんな露骨な手法に挑戦するのだから、長年汚いフィギュアスケート界で生きてきたベテランのコーチを信頼してまかせなくてはダメ。「妨害報道」にも、ファンの苦情が殺到してやっと腰を上げるような、脳タリンの連盟に何ができますか。あげく、「もう終わった話」だと「大人の対応」をしたつもりになってます。だから、ナメられるんですよ、いいかげん気づいてください。点差が開いてオタオタするのではなく、「なんでこんな男子以上の、史上最高の演技・構成点が出たんだ。説明しろ」とISUのジャッジに圧力をかけるのが連盟の関係者の仕事でしょう。この点をへぇへぇと野放しに認めたら、いつでもまた、やりたいときにやってきます。う、また文字制限
2009.03.31
読者のみなさまへあまりにたくさんのメールありがとうございました。多少の温度差はあるとはいえ、みなさんが採点についてお感じになったことは、メールを拝読しますとほとんど同じ。Mizumizuもみなさんと同じ気持ち。正直、もうフィギュアねたを書くのはやめようと思ったのですが、ブログを開けてみるとなんとまぁ、こんな個人ブログに1日で3万2000件ものアクセス。きのうも2万件でしたので、やはりエントリーを期待されている方が多いとわかり、最後にあと数回だけ書こうかという気になりました。それをもってMizumizuはフィギュアの世界から出て行こうと思います。長く愛好してきましたが、「もう付き合いきれない」という気分です。ブランケッティさんの言う「消えた観客」の1人になるときが来たようです。多くの方が呆れたキム・ヨナの銀河点。加点については、客観的な数字で奇妙さが示しにくいので、一番わかりやすい演技・構成点に焦点を当ててみましょうか。今回の異常な点数は、もはや発狂したとしか思えない演技・構成点なくしては説明できません。まずは、日本中のファンの目が点になったショートのキム選手の得点のうち、ジャッジがつけた演技・構成点。キム・ヨナ選手自身の直近の4大陸と比べてみると、その異常な爆アゲぶりがわかります。スケートの技術 (4大陸)7.6→(世界)8.45 0.85点もアップつなぎのステップ (4大陸)7.1→(世界)7.75 0.65点もアップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.65→(世界)8.5 0.85点もアップ振付 (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.5点もアップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.5点もアップ今回総じて、点数は高く出ました。では、他の選手はどうでしょうか?ロシェット選手スケートの技術 (4大陸)7.3→(世界)7.55 0.25点アップつなぎのステップ (4大陸)7.0→(世界)7.35 0.35点アップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.25→(世界)7.7 0.45点アップ振付 (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.4点もアップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.3点アップ浅田選手スケートの技術 (4大陸)7.4→(世界)7.75 0.35点アップつなぎのステップ (4大陸)6.85→(世界)7.15 0.3点アップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.2→(世界)7.6 0.4点アップ振付 (4大陸)7.25→(世界)7.64 0.4点アップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.25→(世界)7.55 0.3点アップどうですか? ロシェット選手と浅田選手の「あがり具合」がかなりきれいに拮抗しているのに対し、キム選手の爆アゲぶりがわかりますね。つまりキム選手は、わずか1ヶ月の間に、演技・構成点の5つのコンポーネンツを抜群に磨いてきたのですね。素人目にはほとんど、いやまったくわからないのに、さすがに選ばれたジャッジの目は違います。スケートの技術は1点もあがっちゃったんですね。いやぁ、すごいです。こんな選手はフィギュア史上初でしょう。天才ですね。タテマエ上は、演技・構成点も他の選手と比べた「相対評価」ではなく「絶対評価」。どういうことかというと、5つのコンポーネンツの点数が「絶対的にどのくらいの価値をもつか」を数量化したものということです。たとえば100点満点のテストでは、80点取った人より90点取った人のが優秀です。ですから、ある選手とある選手の「スケートの技術」の点数を比べれば、その数字の差で、優劣がわかるわけです。「キム選手のスケート技術って男子並みなんですか?」というメールもいただきましたが。いいえ、キム選手のスケート技術は男子以上なんですね~。男子ショートで4+3を跳び、トリプルアクセルを決め、スピンもステップもレベル3から4で加点ももらってトップになったジュベール選手とらべてみましょう。カッコ内がヨナ選手です。7.8(8.45)、7.3(7.75)、7.75(8.5)、7.7(8.05)、7.85(8.15)スケートの技術はジュベールでさえ、8点台は出ていません。つまり、ヨナ選手の技術は、男子を上回っているんです!4回転も、そのコンビも、3Aも跳べないヨナ選手が、なぜ?それは・・・トータル・パッケージだからです! そして、そうジャッジが点を出したからなんです!そのココロは? 素人のワタクシにはわかりません。ただ、演技・構成点をそこまで爆アゲしたかった理由は、「なんとかできるだけ得点を上げたかった」と考えれば辻褄が合います。ショートの場合、男子の演技・構成点は実際の得点にそのまま反映されますが、女子の場合は8掛けになります。そうやって、もともと主観でつける演技・構成点の差をなるたけ少なくしようという、採点システムを作ったときの良心なんですね。8掛けにしかならないので、よっぽどジャッジが点差をつけないと、実際の得点の差になってきません。テレビで言ってましたよね。キム選手は過去に10点差を浅田選手にひっくり返されたと。だったら、10点以上ぶっちぎっておけば、かなり安心ですよね。では、女子と男子の演技・構成点というのは、どういうふうに出てくるのがこれまでの慣例でしょうか?昨季の世界選手権のショートで一番評価された高橋選手と浅田選手とキム選手自身の点を比べてみましょう。高橋(浅田)キム7.86(7.43)7.21、7.64(6.89)6.71、7.79(7.36)7.00、7.89(7.21)7.14、8.07(7.21)7.11これが事実です。男子は総じて、女子より高く出ます。高橋選手でさえ、音楽の解釈でわずかに8点を上回っただけです。今回のキム選手の8.45、7.75、8.5、8.05、8.15という点がいかに、これまでのフィギュアの常識をくつがえすものかわかるでしょう。この点を見たとき、「フリーはどうするんだ?」と思いました。普通の点に戻して知らんふりするのか、このまま突っ走るか。ジャッジの判断は後者でしたね。さすがに、ショートで1人だけ8点台では、いかにバカな素人でもおかしいと気づくと思ったのか、他の選手にも適当に8点台を与えるという「一緒アゲ」になりました。キム選手のフリーの演技・構成点8.5、8.25、8.7、8.6、8.7安藤選手のフリーの演技・構成点7.95、7.65、8.15、8.05、8.15ちなみに安藤選手の初戦のアメリカ大会(このときもキム選手が1位)は、6.95、5.65、6.85、6.6、6.55安藤選手はシリーズ序盤、ずっと低くつけられ、モロゾフがジャッジに説明を求めに行っています(要は圧力)。5.65ってのが、ふるってると思いませんか? 今季はこんなに異常に上がったり下がったりするんですよ。これを「表現力」で説明できますか?Mizumizuにはできません。では、男子の世界王者となったライザチェックのフリーの演技・構成点は?7.7、7.7、8.1、7.9、8.1これが男子フリーで最高でした。4大陸(カナダ開催)は、7.5、7.05、7.65、7.55、7.6。またまたキム選手の演技・構成点は男子王者をはるかに凌いでいるのです! スケートの技術に関してはぶっちりでライザチェックを見下ろしています。2度目のルッツは回転不足気味で着氷の軸が傾き、3サルコウは跳べずに2サルコウでも回りきらなかったキム選手が、です。この発狂点がどのくらい発狂してるか、トリノでジャンプでもステップでもスピンでも表現力でも「他の選手とは次元の違う」演技をしたプルシェンコ選手に登場していただきましょう。あのときのオープニングの4T+3T+2Loはすごかったですね~。それからすぐに3A+2Tを跳んでしまいました。ステップの速さも度肝を抜かれましたね。プルシェンコのトリノのフリーの演技・構成点(カッコ内が今回のキム選手)。8.46(8.5)、7.75(8.25)、8.39(8.7)、8.18(8.6)、8.43(8.7)トリノの男子フリーではバトル選手が8点台を1つ出しただけですから、プルシェンコがいかに傑出していたかわかるでしょう。そのプルシェンコを…スケート技術で上回り、つなぎのステップでも上回り、演技・振付・音楽との調和でも上回っていたのです! 去年までそこそこ跳べていた3ループも跳べなくなり、サルコウも劣化したキム選手がです。ジャンプ跳べなくなっているのに、どんどん点が上がる… あ、トータル・パッケージだからですか、なるほど。申し訳ありませんが、もはや理解不能です。いや~、凄すぎます。ぜひトリノでプルシェンコとガチンコ勝負してほしかったです。そうやって現場でくらべれば、Mizumizuのような素人でも、キム選手の「表現力」が理解できたかもしれません。昨日紹介したビアンケッティさんが、演技審判の人数が12人から9人に減ったことで、さらに採点の信頼性が損なわれるのではと危惧していましたが、まさにそのとおりになりましたね。演技・構成点が派手に上がったり下がったりというのは、今季から顕著になりました。ビアンケッティさんは、ジャッジは匿名ではなく記名で点をつけ、各ジャッジの点についてあとで裏で評価して、他と違った点をつけたからといってジャッジを罰したりしてはいけない。そのかわりに自分で出した点は自分で責任をもて、と言っています。ランダム抽出もだめ、上下を切って平均するだけでいい、とも。つまり、演技審判は意識合わせをしてはいけない、と言ってるんですね。ただ、そうなると本当に各ジャッジで点がバラバラになるし(基本的に好みが入る採点は、それが本来なんですが)、ある程度の意識合わせは、せざるをえなくなるのじゃないかとは思いますが。昨季までは、演技・構成点として出てくる点は、相当まともでした。ある程度の意識合わせはあったでしょうが、プロトコルの5コンポーネンツの評価を見るのが案外楽しみだったのですね。たとえば、昨季のファイナルのランビエールVS高橋選手のプロトコルはおもしろかった。芸術性の高いランビエールに対して、4回転2度をにらんで、プログラムの密度をあえて落とした高橋選手。僅差でランビエールに軍配が上がりましたが、振付や曲の解釈などのわずかな2人の差が絶妙で、「そういわれれば納得せざるをえないな、さすがプロの評価」とうなったものです。昨季までのMizumizuブログを読んでいる方ならわかると思いますが、基本的にMizumizuは、ジャッジの採点を信頼していました。ダウングレードについても「ルールがおかしいのであって、ジャッジは基準にもとづいて判定してるだけ」という立場でした。しかし、今季の「厳密化」。そして実際の試合で起こる露骨な特定のジャンプ殺し。世界選手権では、安藤選手の3ループは決して容赦しなかったですね。他の選手の微妙な不足ジャンプは認定されてるのもありましたが。モロゾフは狙われているジャンプに気づいて、フリーからはずしましたが、3ループの単独さえ回転不足を取られました。たしかに少し足りなかったかもしれません。つまり、3ループを安藤選手から奪わなければ、勝てない選手がいるんです。「安藤・浅田には勝たせないぞルール」の正体、そろそろ納得していただけましたか?こんな判定や出てきた点数を見て、まだルール・ジャッジは公平などと思うおめでたい人は、せいぜい田舎でイタチでも追いかけていてください。したたかなモロゾフは、そんなことは信じてません。世界で勝負してる彼は、ルールはあくまで人為的なもので、意図的な判定がしばしば行われることを熟知しています。ISUが、安藤・浅田にはもう2度と決して勝たせないつもりでいることも、今季身にしみたでしょう。彼らは日本からお金を引き出そうとしているだけですから。最後の世界選手権での日本選手の低得点を見れば、わかるでしょう。3人いたら、そのうちの1人は決して点を出してもらえませんでしたね。国別対抗なんて茶番、まだ皆さん、見たいですか? 浅田選手のあの消耗ぶりを見ても? インタビューでは、もう声が出てなかったじゃありませんか。国別対抗で日本に金メダルなんて、意味のないお手盛りをしてもらって、嬉しいですか?続く
2009.03.30
読者の皆様へ女子ショートプログラムの地上波での放送が終わり、拙ブログへのアクセスが2万件近いという突発的事態になっています。おそらく、みなさま、この結果に関する拙意見にご興味があるのだと思いますが、正直、まったく理解できません。もっとも格式の高い世界選手権ですから、良識のあるジャッジングを期待していましたが、この意味不明の数字の累積は、プロトコルで「謎とき」する気にもならないぐらいです。 オーサーが殿堂入りしますので(世界選手権後に記念のパーティがあります)、そのご祝儀ということでキム選手の点があがってくること、カナダのロシェット選手もアゲられることは、ある程度予想していましたが…ロシェット選手の点が出たときは、一瞬、3+3をやったっけ? と思ってしまいました。全体的に皆どんどんSBを更新して、点は高めではありましたが… キム選手の演技は確かにすばらしかったですが、あの銀河点には言葉がありません。トリノのプルシェンコならともなく、あの内容で、あの出来で、フリーをやる意味をなくすような点が出るなど、もはや滑稽としかいいようがありません。点が出ると後づけで褒めまくる(褒めまくらなければいけない)解説者が、いっそ気の毒です。日本選手についていえば、村主選手の点が、なぜあそこまでサゲられなくてはいけないのか? 浅田選手は認定される3+3ループを跳んで、すごい! と言いたいところですが、やはりあれはちょっとだけ足りていません。あれでは、今後も認定されるかされないかギリギリのといころで博打に出なければいけません。安藤選手のほうは微妙なところで「地獄の」ダウングレードです。確かに浅田選手よりは回転不足の度合いが大きかったかもしれませんが。スローで再生して初めて、不足の度合いが大きい「かもしれない」とわかる2つの「やや足りてないジャンプ」の点を天国と地獄の差にする意味がありますか? 何度も繰り返しますが、回転不足を厳しく取ることには、反対しません。問題はその減点の度合いです。とは言え、安藤選手の演技は素晴らしかった。点数稼ぎの技術ばかり発達し、「訴えかけるもの」がなくなってしまった昨今のフィギュアのプログラムですが、今回のショートには、安藤選手にしか出せない味、深い情感がありました。しかし、出てきた点は不可解かつ不合理なもの。40年にわたってフィギュア・スケート界に貢献してきたレフリー資格をもつパイオニア、ソニア・ビアンケッティさんが、今季の欧州選手権を見て絶望した気持ちがよくわかります。ビアンケッティさんの「絶望的な気分が反映された採点システムへの意見書」↓http://www.soniabianchetti.com/writings_hope.html「芸術性は消え、スケーターは消え、観客もいなくなる」「3回転や4回転の回転不足が回りきっての転倒より低くなるなどナンセンス」「選手はできるだけ点数を稼ごうとするだけ(そこに芸術はない)」「(GOEや演技・構成点の)ジャッジングが匿名で、かつランダム抽出されるため、誰も責任を取らず、一般人は匿名なのは陰謀や取引のためだと見なし、スポーツそのものの信頼性を損なっている」「演技・構成点に5つのコンポーネンツなどいらない。演技・構成点を絶対評価などできない」、だから結局は「旧採点システムに戻すしかない」(以上、ビアンケッティさんの意見書からの引用)… こんな意味不明の累積数字の羅列を見せられるのは、もういくらなんでもご免です。もちろん、プロトコルを見れば、それなにり筋はとおっているでしょう。ジャッジはみな、一定の基準に基づいて点を出していますから。しかし、スポーツのジャッジングというのは、人々から信頼されなければ成り立ちません。「オレたちは専門家。専門家が判断して点をつけたのだから、シロートのお前らは黙って納得しろ」と言われて、みなさんは理解できますか? この点を? 実際にジャッジしている審判より長い経験をもつ専門家が、「あまりにひどい」とさまざまな弊害を指摘しているのですよ。一方で、日本の「専門家」は長いものに巻かれてるだけ。ルールは神聖、ジャッジは公平という盲目的な信仰で何でも論じている。変だと思いませんか?改悪に改悪を重ねたフランケンシュタイン・ルールは、もはやちょっとやそっとの手直しでは、どうにもなりません。昨季までは、ある程度ジャッジの肩をもってきましたが、もはや限界です。ビアンケッティさんの言う、「最初はいくらか長所もあった、演技の技術的な部分を数量化するという考えは、いまや不合理の頂点に達した」という言葉に全面的に賛成です。みなさん1人1人の良心と良識に尋ねたいと思います。今の(特に多くのスポンサーの絡む)女子フィギュア・スケートの採点が、マトモだと思いますか?
2009.03.29
<きのうから続く>大一番で急にジャンプ構成を変えることの怖さがここにある。普通に考えれば、今まで4回転でコケて流れが止まっても、必ず連続ジャンプにできていた。そのくらい確実に成功できる連続ジャンプだったのだ。しかも今回、オープニングを簡単なダブルアクセルに変えた。非常にきれいに決めて、加点を稼ぐという目的は達したが、いままでできていた次の連続ジャンプにミスが出た。同じような現象は全米のウィアー選手にも起こった。連戦で疲れのあったウィアー選手は3Aが不調に陥った。そこで全米フリーでは構成を大幅に変更。最初の4Tをはずして、3Aを入れ、ゼッタイに決める構成できた。普通に考えれば跳べるジャンプなのだ。だが、それがまたも失敗に終わった。小塚選手は織田選手とは違って、セオリー通り、最初の3Aを連続にできなければ、2回目の3Aを連続にしようと考える。今まで単独でさえ決まっていないのだから、連続となると負担は返って増してしまう。だが、今回は、完璧ではないが、なんとか連続にして決めて10点近い点を稼ぎ出したので、「後半のトリプルアクセルを決める」という目標自体は達成した。これまで4回転を入れて、1度しか成功してないジャンプを連続にできたのだ。4回転がどれほど体力を奪うか、ジュベールじゃないが、4回転を入れて後半までまとめきるのは、至難の業だということだろう。ジュベールがパターン通りの失敗に陥ったのは、すでに彼に全盛期の体力がないことの証左かもしれない。それともう1つ、後半の3Aをゼッタイに決めるために小塚陣営が考えた小さな工夫。後半の2度目にくる3Lzからの3連続をはずし、1つ前の3Sからの連続ジャンプに変えたのだ。このほうが負担は軽いハズだ。実際、この3Lzからの3連続、よくいつも決めてるなぁ、と感心していた。同時に、あれが見えない負担になって後半の3Aに影響しているのかもしれないと思っていた。佐藤陣営も同じように考えたのか、3連続は後半の最初にもってきた。ところが、これまた失敗。小塚選手はワンシーズンとおして、常に同じジャンプ構成を繰り返すという戦略で戦ってきた。ある程度までうまくいったのだが、どうしても最後の最後の難関、後半の3Aが決まらない。そこで今回ジャンプ構成を少しいじったのだ。負担を軽くしたはずだが、これまで同じことをずっと繰り返してきた体はときに、急には変化に対応できないことがある。そこで失敗が出たのだろうと思う。ジャンプ自体の調子がいまひとつだったこともあるかもしれない。ループは回転不足を取られやすい。たとえ2ループでも、ダウングレードされると、やらなかったほうがマシというような点になってしまう。それに、今回の小塚選手のジャンプには加点があまりつかない。グランプリ・シリーズが大盤振る舞いだったといえば、それまでだが、実際に小塚選手のジャンプはこれまでに比べ、全体的に高さがなくなってしまった。気持ちいいぐらい回りきって降りてきたハズのジャンプが今回はギリギリ。試合数が多すぎるシーズンをフルに戦うことの難しさが出たと思う。全米まではミスのない演技で勝ってきたアボットも、4大陸からは自滅コースに入ったことを見ても、これは小塚選手の責任ではない。小塚選手はアボット選手より若い分だけ体力があり、もったと言えるかもしれない。チャン選手は韓国のファイナルでは明らかに手を抜いていたし、カナダの国内大会は日本ほど厳しくはない。とにかく、日本選手は国内での代表争いも熾烈だし、国際大会のタイトなスケジュールに加えて、ショーだのイベントだの、まるで奴隷のようにこき使われている。ここ数年の日本の現役フィギュア選手のスケジュールは異常ではないか。健気な日本選手は文句も言わず、ショーでもイベント試合でも、足を運んでくれる一般のファンに満足してもらおうと常に全力投球。小塚選手のジャンプが、これまでのようにピタッと気持ちよく決まらなくなったのは、明らかに疲労がある。それでもここまでまとめた。スピンやステップも取りこぼしなく大一番を戦った。その根性と精神力には拍手を送らないといけないだろう。あとは、選手をサポートする側の責任だ。「強化」してるのか「消耗」させてるのか、わからないような態勢で結果だけ求めるのでは、選手があまりに気の毒だ。織田選手へのレクチャーも徹底すべきだろう。今季試合で1度も成功していない4回転をここ一番の、最後の大舞台で決めるなど、普通の選手では到底できない。普通は逆なのだ、特に日本男子は。Mizumizuはかつて「織田選手は日本男子には珍しく精神力が強い」と指摘したが、今回織田選手はそれを証明してみせた。しかも、他の選手と比べても、今季最高の4+3コンビネーションではないかと思わせる完成度だった。すべてのジャッジから1~2の加点をもらって出た点がなんと15.2点。ベルネルも4+3をかなりきれいに決めたが、それでも14.8点だ。こんなに勝負強い選手が、ルールの理解不足で何度も大きな点を失い、教えられたわけでもないのにもっている、自身の稀有な強みを生かせないなど、愚の骨頂だ。かつてプルシェンコが同じくザヤックルール違反でファイナルの勝利を逃したとき、コーチは愛弟子を公けの場で叱りつけた。以来プルシェンコは同じ過ちを繰り返さなかった。このミスだけは、もう2度と繰り返してはならない。
2009.03.28
男子フリーが終わり、結果とともにプロトコルが出た。きのう書いたショートでの判定予想は、「チャンのフリップにwrong edge判定が出たかもしれない」以外は当たっていた。今回混戦の男子を制したのは、昨シーズンの怪我が響いたのか4回転の成功率が落ち、今シーズン初めは成績が出ず、「世代交代」などと囁かれていたアメリカのライザチェック選手だった。思えば、ライザチェックの今シーズンは、本当に可哀相だった。執拗なトリプルアクセルに対するダウングレード(これは4大陸にいたるまで、毎試合毎試合ダウングレード判定された)、ときどき思い出したようにつくフリップへの!判定、そしてカナダに行ったとたんに爆サゲされる演技・構成点。アメリカ選手はそもそも日本選手同様、非常に品行方正でライザチェックもその例にもれないが、さすがにこのときはライザチェックもブチ切れて、「審判は採点について説明すべき」と声を上げた。いや、本当にごもっとも。今回はライザチェックのトリプルアクセルに対するダウングレード判定が1つもなかった。スローで見たが、降りてからエッジが微妙に回っているように見えるジャンプもないわけではなかったが、あの程度なら本来ダウングレードなどすべきではない。ベルネル選手の復活も嬉しいニュースだ。もともと地力のある選手なのに、自爆を繰り返して結果が出なかった。ここに来て調子を戻してきたのはさすがというべきだろう。だが、ベルネル選手、ジュベール選手を見て、つくづく4回転を入れて後半までジャンプをミスなくまとめることの難しさを実感した。ベルネル選手は後半のジャンプが2回転になってしまったし、ジュベール選手は4回転を入れると起こる失敗のパターン、「2つの3A(4回転の次に難しい)のうちの1つで失敗。後半の普段なら跳べるジャンプでの失敗」に見事にはまった。4回転を回避してミスなくすべった今回のライザチェックの演技・構成点は、79点とものすごく高い(ちなみにカナダでは、70点そこそこまで爆サゲされたのだ)。今回ちょっと高すぎる感はあるが、80点は越していないこと、開催がアメリカで地元だったこと、それにライザチェックの実績と今日の素晴らしい出来を考えれば、このくらい出して選手に報いるのはフィギュアの伝統だと言える。明暗を分けたのは、全米までは非常に高い点を出していたアボット選手。アボット選手はもともと、ライザチェック選手より3Aが得意で、3Aをステップから跳んでしまうほどの実力なのだが、その彼がショートで3Aでダウングレードされてしまった。本人も、「長いシーズンで疲れている」と言っていたらしいが、さもありなん。今シーズンの選手の疲労は、試合数やショーの回数に見事に比例している。最初に全米でウィアー選手が力尽き、今回はアボット選手。そんななかでは、日本の小塚選手はよくやったと思う。今回は全体にジャンプの高さがなくなり、着氷がギリギリになってしまうジャンプが多かった。最初は上半身を大きく使った表現ができていたが、後半は明らかにスタミナ切れ。それでもアボット選手のような崩れかたはしなかった。さて、今回の男子の結果だが、点数から見れば、期待はずれだったことは確かだ。3枠確保はできたのでめでたいが、本当は織田選手か小塚選手が台にのぼることをMizumizuは期待していた。バンクーバーを控えてチャンがアゲられることはわかっていたし、アメリカ選手にも有利な点が出ることも予想できたが、日本選手は思った以上に点がもらえなかった。一番衝撃的だったのは、4T+3Tをついにきれいに決めた織田選手の驚くような低得点だろう。演技・構成点が最終グループでないにせよ低すぎたのは、昨季を棒に振ってしまったツケが出たかもしれない。チャン選手は、「今回の世界選手権の点は過去の実績に左右されている」と指摘したが、確かにグランプリ・シリーズとは違って、特に演技・構成点がかなり過去の実績重視だったように思う。これはフィギュアの世界では伝統のようなもので、むしろグランプリ・シリーズの派手に上がったり下がったりする演技・構成点の出方が変だったのだ。さすがに、もっとも格式の高い世界選手権では、チャン選手の演技・構成点は76.1点、75点の壁を少し越えたところというのは非常に妥当だった。カナダでのオリンピックを控えて、盛り上げるためにもオリンピック開催地の選手を多少アゲるというのは、よくあることだし、そもそもチャン選手は東洋的な繊細さと西洋的な優雅さをもった、得がたい表現力のある選手だ。それでもいきなり80点を越える点を与えるなど、あからさまで下品すぎた。一方、織田選手の点が出なかったのは、演技・構成点がおさえられたことに加え、ジャンプの回数規定にひっかかって、連続ジャンプが1つまったく点にならなかったことが最大の原因だ。キス&クライでも、感激の涙にむせっていた織田選手が、点が出て「あれっ」という顔になり、それからモロゾフに何か囁かれて、そこで気づいたらしい。本田氏の解説がすべてを語っているのだが、分からない人のために、もう1度説明しよう。織田選手のフリーのジャンプの構成と得点。 (基礎点)GOE後の実際の得点4T+3T (13.8)15.23A (8.2)5.43S+3T(8.5)9.3ここから後半3A+SEQ(7.22)8.42 (SEQとは連続ジャンプにしなければいけない箇所を単独ジャンプにしたということ)3Lo(5.5)6.53F+2T+2Lo(0)03Lz(6.6)7.22A(3.85)4.65ジャンプの挿入回数の規定、それは「3回転以上のジャンプは2種類まで2度入れることができる。ただし、そのうち少なくとも1つは連続ジャンプ(コンビネーションもしくはシークエンス)にしなければならない」「フリーでジャンプを入れられるのは8回、連続ジャンプを跳んでいいのは、そのうち3回」。さて、では、織田選手のフリーのジャンプはこの規定のどこに引っかかったのでしょうか?答えは「連続ジャンプの挿入回数」。実際に織田選手が跳んだ連続ジャンプは3回。それだけ見れば規定違反はしていないように見える。ところが!3Aを2度入れる織田選手は、どちらか1つを連続ジャンプにしなければいけないところを両方単独ジャンプにしてしまった。この場合、2つの3Aのうちの1つはたとえ単独だったとしても強制的に連続ジャンプの回数としてカウントされてしまうのだ。つまり織田選手は、4T+3T、3S+3T、3F+2T+2Loの実際の3つの連続ジャンプに加え、後半の3A+SEQで幻の連続ジャンプを行ったことになる。計4つ。3つしか跳べない連続ジャンプを4回挿入したために、3F+2T+2Loはキックアウトとなり、0点になってしまった。やはり最初の4Tを連続ジャンプにしたのが失敗だった。通常織田選手の前半の連続ジャンプは4T3A+3T3Sという構成になっている。これがベーシックな構成だ。このまま行けば問題なかった。連続ジャンプは基礎点の単純な足し算なので、4Tにつけようが3Aにつけようが変わりはない。なんでそんなことしてしまったのか??正直、わからない。わからないが、1つ絡んでいそうなのが、織田選手が2つの3Aをどうあっても決めるために編み出した不思議なリカバリー方法。すでに書いたが、織田選手は最初の3Aを連続にできなかった場合、あえてルールを無視して、後半の3Aも単独にするという作戦をとっていた。NHK杯での織田選手のフリー4T(失敗)3A(着氷乱れで連続ジャンプにできず)3S+3T(後半)3A+SEQ(あえて単独に留めた2度めの3A)3F+3T+2Lo3Lz3Lo2Aという方法だ。つまり3A+3Tの3Tをすぐ次の3Sにつけるという方法。これなら、見かけ上連続ジャンプは2回だが、ルール上は3度入っていることになり、ギリギリで問題はないということになる。ただこれはあくまで最初の4Tが単独だった場合に有効であって、4Tを連続にしてしまったら、3Sは単独に留めて、あとは意地でも3Aを連続にするか、あえて3Aを単独にして連続ジャンプの回数を2度(それでルール上は3度になる)に留める必要があった。ちなみにチャン選手とベルネル選手は2度目の3Aにむりやり1Tをつけて連続にしている。そもそも織田・高橋選手は挿入可能なジャンプ回数での勘違いによるルール違反が多すぎる。織田選手はこれで3度目じゃないだろうか。高橋選手もオリンピックと昨季の世界選手権でやっている。今回は連続ジャンプの挿入可能回数の勘違いだが、同じ種類のジャンプを3度入れてしまったと(見なされた)いうこともあった。小塚選手にはこうした失敗はない(と思う)。いったい何回やれば気がすむのよ。信じられないバカな失敗だ。もちろん、織田選手本人の頭が悪いといってしまえばそこまでだが、モロゾフに加えて、ジャッジの資格もある城田氏がついていて、なんでこんなことになるのか。日本スケート連盟は、不祥事で辞任した城田氏をわざわざ復帰させ、安藤・村主・織田選手のバックアップスタッフとして試合に同行させた。じゃあ、佐藤陣営の小塚選手と浅田選手はバックアップしないのかよという、連盟内の亀裂ぶりをうかがわせる変な決定だし、そもそも城田氏が復帰したあとの今季の全日本で、中野選手(佐藤陣営)・浅田選手へのジャッジが非常に厳しく、村主選手には甘いという気分の悪いことが起こった。彼女が権勢を振るっていたトリノ五輪直前の全日本でも、3Aを2度決めた浅田選手が2位、村主選手が1位、しかも直前のファイナルで台にのぼった中野選手をはずして、当時調子の悪かった安藤選手がオリンピック代表になるという不快な選考が行われたのだ。男子に関しては、あろうことかジャッジのミスで織田選手のザヤックルール違反を見逃し、高橋・織田の順位が後から入れ替わるとなんていうことが起こった。このときも城田氏が「やり直し」の表彰式で織田選手に何か説明していたっけ。多少ダーティな部分があっても、国際舞台で日本選手が活躍できるようお膳立てができるなら文句は言わない。日本スケート連盟は彼女の人脈を復帰の理由にあげている。ところが、ジャンプの挿入回数規定のルール違反での減点など、基本的なところでバックアップしてる選手がミスってどうするのか。しかも、何度も。城田氏はトリノで高橋選手がザヤックルールに引っかかったときも、キス&クライで一緒にいたのだ。織田選手は、「リカバリーの方法は何種類も作っている」と言っていたが、今回の勘違いには間違いなく、ルールを無視した3A2度決めるための作戦が絡んでいると思う。あまりひねったリカバリーは危険ではないか。そもそも、今まで決めたことのない4Tをせっかく決めたのに、そこをわざわざ連続にしたあげく、3F+2T+2Loの大きな点をキックアウトで失うなんて、アホとしかいいようがない。一方の小塚選手だが、こちらも世界選手権でいきなり4回転回避策に転換したことが裏目に出てしまったようだ。今回の小塚選手のフリーのジャンプ2A(3.5)4.93A(8.2)7.083F(5.5)6.3後半3S+2T+2Lo(<)(6.93)5.733Lz+2T(8.03)8.033Lo(5.5)5.53A+2T(10.45)9.893Lz(6.6)6.6合計点54.034大陸での小塚選手のフリーのジャンプ4T (9.8)5(転倒により、これからマイナス1の減点で4点)3A+3T(12.2)133F(5.5)6.7後半3S+2T(6.38)6.983Lz+2T+2Lo(9.68)9.883Lo(5.5)6.13A(<)(3.85)1.893Lz(6.6)7.4合計点55.95今回非常に痛かったのは、これまで鉄壁だった最初の3A+3Tを連続ジャンプに出来なかったことだ。4大陸ではこの最初の連続ジャンプで13点もの点を稼ぎ出している。全日本でも13.8点。大一番で急にジャンプ構成を変えることの怖さがここにある。普通に考えれば、今まで4回転でコケて流れが止まっても、必ず連続ジャンプにできていた。<う、また文字制限>
2009.03.27
ロスで行われているフィギュア・スケートの男子ショートプログラムが終わった。たった今フジテレビ地上波の録画中継を見終わったところなのだが、「これまでのグランプリ・シリーズは何だったんだ?」と思うような点数だった。気の早い記者は、グランプリ・シリーズで上位に来る男子選手のメンツを見て、「男子は世代交代」と書いたが、結局今回のショートの順位を見ると、1 ジュベール(46+38.4)2 ライザチェック(44.4+38.3)3 チャン(45.6+36.95)4 ベルネル5 小塚と、今シーズン始まる前に予想された実力者が上に来た。チャンは若手だが、もともと昨シーズンの世界チャンピオンを国内大会で破った選手だ。ジャンプが不安定で昨シーズンは大きな大会で結果が出なかったが、ジャンプを決めてくれば世界トップを争える。一方で、グランプリ・ファイナルと全米を制したアボットは中継さえされず(苦笑)、順位だけ確認したら10位。上位選手の点を見ると、4大陸で下品ともいえる爆アゲされたチャンが、見た目のできのわりには案外点が伸びずに82.55点。そのチャンとの対戦で、カナダ大会でサゲられまくったアメリカのライザチェックが、今度は演技・構成点でチャンを1.35点上回る評価を得て、82.7点で2位。そして、連続ジャンプの4回転で手をつき、続くセカンドジャンプの3回転トゥループでは、本田武史をして、「回転不足判定にされそうなジャンプ」と言わしめる不足ジャンプのジュベールが、案外点が下がらずに84.4点で1位。まだプロトコルを見ていないのだが、あえて見ずに予想すると、ジュベールのセカンドの3Tはダウングレード判定されず、認定されたのではないか。着氷があれだけ乱れると、GOEでは当然減点になるが、回転不足判定されなければ点がガクンと下がることはない。何度か指摘したが、セカンドの3Tは総じて認定されやすい。キム選手がこれまで何度か3F+3Tの3Tでグリ降り(降りてからエッジがグイっと回ること。多少足りないジャンプに見られる現象)をしたが、いずれもダウングレード判定されず、認定→加点になっている。そして、チャンはフリップのエッジがアウトだったように見えた。ここでwrong edge判定されてしまったのではないか。それと4大陸ではレベル4にテンコ盛りの加点のついたストレートラインステップがレベル3に留まったのかもしれない。チャンの「4大陸と比較すると、出来のわりには低い点」はやはり気になった記者もいたようだ。「ジャッジは今回チャンに88.90点のシーズンベストには程遠い82.55点という点を与えた」と4大陸の点を引き合いに出して書いた英語の記事があった。4大陸はあまりにひどかった。あのような地元選手の爆アゲは、大会の格式をキズつける。一方で、今回の82.55点というのは、ややおさえ気味かもしれない。もう2点ぐらい出てもおかしくない出来だったと思う。男子シングルは、ジュベールとチャンの「舌戦」がアメリカ人記者の話題にのぼっていた。日本では報道されなかったが、仕掛けたのは、もちろん「永遠の不良少年」ジュベールのほう。「男子のチャンピオンは4回転も跳べないようなヤツがなるべきではない。(チャンへ)4回転入れてみろよ。そうすればどれだけプログラムをまとめるのが難しくなるかわかるから」と攻撃すれば、チャンは、「プログラムはトータルのパッケージだと考えるべき。ジャンプだけではなく、他の要素も大事」と返す。こうした互いに一歩も引かない2人の対決は見事だと思う。人は誰でも自分が正しいと思ったことを主張する権利がある。フィギュアの選手は特に、我こそは世界一と自分に言い聞かせてリンクに上がらないと、気持ちで負けてしまう。ジュベールの意見もチャンの意見もそれぞれに一理ある。今季のグランプリシリーズは、3回転ジャンプやダブルアクセルにやたら加点し、トリプルアクセル(女子ではセカンドの3ループ)のダウングレード判定がやたらと厳しいなど、大技に挑戦するジャンパーのモチベーションをあえて阻害するような採点が続いたが、今回ジャッジはジュベールに技術点、演技・構成点とも最も高い点を与えた。だが、ジュベールは自分の出来に満足していなかったはずだ。演技終了時の暗い顔を見ればわかる。一方のチャンは大満足で、出てきた点数に落胆していた。Mizumizuも今回はチャンの演技が一番華があったと思う。何より、フィギュア・スケートでもっとも好まれる「優雅な色気」があるのがいい。小塚選手も思った以上に点がでなかった。だが、出来は素晴らしかった。小塚選手は今シーズン、フルに戦い、しかもどの試合でもフリーでは高難度のジャンプ構成を組んできた。疲労はピークだと思うし、ジャンプに若干高さがないのが気になるが、ここまでまとめきるのは見事。クリーンでシャープなエッジ遣いと若々しく清潔な表現力は、チャン選手とは別の意味で見ていてうっとりさせてくれる。フリーではようやく、「4回転回避して、後半のジャンプを決める」と明言した。中京テレビ公式サイトから小塚選手のインタビュー引用:「今回は(オリンピック)3枠確保が優先なので、ただ挑戦するだけじゃなくて挑戦するなら必ず成功する。そうでなければ四回転はやらないと、“ケジメ”をつけてやら無いといけないと思うので、四回転にこだわらず、その後のジャンプがカギを握ると思うのでそっちに力を注ぎたい。」本当はもっと早く方針転換するべきだった。繰り返し指摘してきたが、小塚選手のプログラムは、後半の後半に勝負のトリプルアクセルが来る。それを成功させたのは1回だけ。今季は4回転を入れてそのたびに点を失い続けた。4回転に挑戦するなと言っているのではない。まだ試合で入れるのは早いと言っているだけだ。チャンや織田選手は後半の初めに2度目のトリプルアクセルを入れている。ジュベールは後半に入れるのをさけ、前半に2つ跳んでしまう(今回は構成を変えてくるかもしれないが、少なくとも欧州選手権ではそうやって2つのトリプルアクセルを決めた)。彼らと比較しても、小塚選手の場合、2度目のトリプルアクセルを決めるのが難しいのだ。跳べない4回転にいつまでも「果敢に挑戦」している場合ではない。そのあたりも本人はわかっているようで、「挑戦するなら必ず成功しなければならない」とハッキリ言っていた。決められないものは回避して、より優先順位の高いジャンプに注力する。当然のことだ。4回転のかわりに3Tではなくダブルアクセルにするというのもいい判断だと思う。なるたけ負担を軽くしないと、ジャンプをミスなく決めるのは難しい。後半のトリプルアクセルは加点を考えると10点近い点が稼げるジャンプなのだ。だが、やはりちょっと戦略転換が遅かったのが気になる。4回転回避策は、これまでやっていないことだ。これで今回、構成上難しい位置にある2度目のトリプルアクセルを決められるかどうか、まだ微妙だと思う。2Aの加点も、グランプリ・シリーズほどはもらえないかもしれない。どうもダウングレードやwrong edgeの判定、GOEのつき方、演技・構成点での評価が、試合(開催地によって、というのかジャッジによって、というのか)によってあまりに違いすぎて、戦略を立てるのが難しい。今季のジャッジングはフィギュア・スケートの審判に対する信頼を大きく損ねたと思う。織田選手の壁激突は、いかにも残念。7位でフリーを最終グループで滑れないということは、台にのぼるのはほぼ絶望的だ(もちろん、試合なので何があるかわからないが、最終グループに残らないと、演技・構成点がおさえられてしまうのだ)。4回転に挑戦すると言っているし、これが吉とでるか凶とでるかはやってみないとわからないが、これまでも「練習では9割決まっている」と言っている4回転、試合では一度も決めたことがない。ルッツを2つ入れている小塚選手以上に織田選手はジャンプ構成を落として、4回転と2回のトリプルアクセルにかけてきている。4回転と3Aに失敗が出ると、3枠確保が難しくなるかもしれない。それが最悪のシナリオ。3枠取れないとなると、高橋・織田・小塚の素晴らしい選手のうちの1人が、一番いい時期にオリンピックに出られないという悲劇が起こる。なんとか3枠確保に、頑張って欲しい。期待したほど点が出なかったが、それはそれ。仕方のないことだ。目標は3枠確保! 何より自分がオリンピックに出るために、自分の力で取ってほしい。
2009.03.26

夜は馬刺しが食べたいな、と思った。なにしろ、東京ではあまり食べる機会がない。松本ではあちこちに「馬刺し」の看板が出ている。だが、酒のつまみという感覚なのか、馬刺しがある店はいかにも居酒屋風。連れ合いがお酒がダメな人で、しかも酒場のガヤガヤした雰囲気も嫌いなので、定食屋風で馬刺しのある店を探した。…とはいっても、ホテル周辺にそもそもあんまり店がない(苦笑)。暗い道を歩いていると、夜になって底冷えが厳しくなった街は、東京より確実に1ヶ月は冬に逆戻りしている。人通りも少ない。寂しいなぁ。やっぱりゴーストタウンみたい。たまたま見つけたのが、「池国」という店。暗闇に浮かび上がる民芸調の店構えに雰囲気がある。メニューを見たら、お酒もあるけれど、鍋や定食もあって、単品での馬刺しもある。引き戸を開けて中に入ると、とても家庭的な雰囲気。お客さんもだいぶ入っていて、みんな鍋をつついている。アタリそうな予感♪♪値段そのものは、東京と比べてそれほど安くはない。蜂の子って、あの蛆虫みたいのだよね? あ~、食文化に偏見もつのはいけないが、あれだけは勘弁してほしい。それに、イナゴがメニューにあるってのもスゴイ。だが、長野で生まれて育った連れ合いによると、少年時代、かーちゃんに言われて田んぼに行き、虫獲り網でイナゴを捕まえてくるのは彼の役目だったとか。そして、家に持って帰ると、かーちゃんがフライパンで炒ってくれたという。ほ、ほんとか?Mizumizu「た、食べたの?」連れ合い「食べたよ」Mizumizu「どんな味」連れ合い「甘辛くて佃煮みたいな味」Mizumizu「…」連れ合い母が若いころの話はもっとスゴイ。おやつにそこらの蛾とか蛇(青大将)をつかまえて、火に投げ込んで食べてたとか。蛾のような昆虫系統は羽をむしって手でもんで火にくべるのが美味しく(??)食べるコツだそう。青大将は、連れ合い母的にはまずいらしい。この話を東京に来て同年代の女性に話したら心底驚かれたことに、連れ合い母は驚いたらしい。つーか、ふつう驚くだろう、そのおやつ話そういや、連れ合いは、「子供のころ、土壁の家ってあったよね~」などと言ってMizumizuを驚かす。土壁の家? はて? 見た記憶はないなぁ。キミはいつの時代のヒトやねん。1つ年下のハズですが。さてさて、池国では、「馬刺しのハーフ」「山賊焼き定食」「焼肉丼」を頼んでみた。しょうが醤油につけていただく馬刺しはとてもグー。東京ではどうして食べないのかな。なんとなく…だが、東京の人間は馬を食べるということに、多少抵抗があるような気がする。そして、予想外のヒットだったのが山賊焼き。すごい山盛りのごはん…(苦笑)。高校球児じゃないんだから… 松本のヒトってみんなこんな山盛りごはんを食べるの?山賊焼きというメニューも、あちこちで見るのだが、食べたことなかった。連れ合いにとっては懐かしい味で、店屋で食べるというより、肉屋で買ってくるモノだったらしい。しょうが、ニンニク、蜂蜜などを入れた醤油に鶏肉をつけこんで、片栗粉をまぶして揚げたものらしい。ってことは、山賊焼きじゃなくて、山賊揚げじゃないの? その場合… もっと言えば、唐揚げのバリエーションだと思ふなぜ「焼き」なのかはともかく、食べてみたらことのほか美味。う~ん、恐るべし松本。食べ物にハズレがない。以前、松本一のフレンチの店というところに行って、たいしたことなかったので侮っていたが、ふつうに庶民が食べるものがこれほどおいしいとはオドロキ。すなわち、それだけ食文化のレベルが高いということだ。ちなみに焼肉丼は、甘辛く味付けしたつゆがたっぷりしみこんだごはんに、豚肉とタマネギ、それに青いものが少しのっている。こちらはまあまあかな。個人的には山賊焼きのほうが好きだった。ふらっと入った店だったのだが、満足・満足。軽井沢もこのくらいおいしいといいのに。あそこはホテルはそれなりのがあるが、街や店がもう原宿化しすぎている。松本は正直、今回ホテルはあまり… カフェのおばさんは「素敵なところ」と言っていたけど、あれはたぶん外から見てるとそう見えるだけだな。まだ新しいし、場所もいいし、値段も安いし、それほど悪くはないが、ハッキリ言って、リピートはしない。
2009.03.25

見逃されがちだが、日本という国には、田舎の細い路地にいたるまで町がとても清潔だという美点がある。松本も観光客の来ないような住宅街の路地に迷い込んでも、道にゴミ1つ落ちていない。こういう国は、実はそう多くはないのだ。ホテルでもらった絵地図がわかりやすくて助かった。街の見所もいろいろ書いてある。「懐かしい雰囲気の路地」と書いてあるあたりを歩いてみる。店先のディテールに、思いがけない美しさがあった。人目に触れる小さな空間を、さりげなく飾って演出している。馬刺しって、そういうえば、東京では食べないなぁ。北海道の札幌にいたころは、ときどきスーパーで買っていたけど、東京のスーパーではあまり見ない。澄んだ湧き水がきれいだった。ウチの近所のドブ川の善福寺川とはえらい違いだ。「タウンスニーカー」という市内バスで松本城の近くまで戻る。絵地図で「大正ロマンの町」と書いてあるエリアに行ってみる。すると、東門の井戸のあたりで、ヨーロッパ風の建物に出会った。鉢の置き方にもセンスがある。喫茶もやっているようなので、入ってみたら、「舶来小物」が売られている中に、大きなテーブルが2つ。コーヒーを頼んだら、「いただきものですが」といって、カステラまで出てきた。「XXのカステラ」とちゃんと提供先の店まで言ってくれる律儀さ。残念ながら、何て店だか、聞いてもすぐ忘れてしまったケド(笑)。これで300円!? クラクラ… 安すぎる。コーヒーはアメリカンながら、ちゃんと淹れてる香りがした。使っている食器もおしゃれだし、カステラもちゃんとしたところで作ったやさしい味。スーパーやコンビニで売られてるモノとは違う。松本の和菓子屋では、案外カステラをよく見る気がする。東京では自家製のカステラ置いてる和菓子屋ってあまり見ない(カステラ専門店で、カステラだけを売っている感じ)ので、軽いカルチャーショックだった。支払いをしようと、財布を見たらあいにく1万円札と細かいのは200円しかなかった。「すいません、1万円でいいですか?」「あっ… 細かいの、ない?」しゃきしゃきしゃべるおばさんだ。「すいません、たまたまなくて」「あらあら、こっちもお釣りがないのよ」えっ… ど、どうしよう?「じゃあ、いいわ! あとで持ってきてくれれば」は? 客にあとから持って来いって? そうやって帰してしまっていいのか? 一見の観光客だぞ。「何時までやってますか?」「5時まで!」ご、ご、5時? 喫茶店兼店舗が午後5時に閉まるの? おきな堂の6時閉店にもびっくりしたが、その上を行ってる!5時に早々と閉まっちゃったら、仕事してる人は来れんじゃん。時計を見ると、すでに午後3時を回っている。「ご、ごじですか…」戸惑ってるMizumizuを見て、「あ、もし閉まってたら、ここ(と、ドアのほうに移動して)の隙間から投げておいて」と、じゃんじゃん一方的に指示する女主人。いーのか? どこから来たともしれない観光客をいきなりそんなに信頼しちゃって取りっぱぐれても。「じゃあ、とりあえず200円お支払いして。ホテルはアルモニービアンというところですから」「あるもにー…? あ、勧銀だったところ?」確かにホテルは、もとは銀行の建物だったと聞いていたので、「あ、そうです。たぶん」「ま~。素敵なところに」宿泊先を告げてみたのは、もしかして、「あ、じゃあ夜にでもホテルに取りに伺いましょうか」と言ってくれるかな、と思ったからなのだが、そんな気は毛ほどもないらしい。どこかの店でちょっと買い物してくずして持ってくればいいやと、とりあえず100円借金して店を出た。額の大小にかかわらず、借金が大嫌いなMizumizu。「キャッシング」だとか「リボ払い」なども大嫌い。利息を取る以上、借金の言い方を変えただけじゃん、あんなの。家もキャッシュで買った人間なのだ。「借りてるお金がある」「早く返さなくちゃ」というのが精神的に負担になって、それ以外のことが考えられなくなる性格だし、そもそもMizumizuにとっては、借金してまで欲しいと思うようなものは、ない。店を出て、お土産を売ってる店を捜したのだが、案外ない。気がついたらホテルのある大名通りに戻っていた。ホテルは午後3時からチェックインできるので、いったんホテルに戻り、少し休んでから近所のお土産屋で蕎麦を買い、万札をくずして、喫茶店まで行った。午後5時ちょっと前だったのだが、すでに店は閉まっていた(苦笑)。だが、ドアから覗くと女主人がまだいて、こちらに気づいて開けてくれた。お金を受け取り、「どうも」と言って、あっさり店の奥にひっこむおばさん。「わざわざありがとうございました」「どうもすいません。ご迷惑おかけして」なんていう一言もなかった。東京の人間なら、そこまで思ってなくてもオーバーにお礼を言いそうだ。なんか、不思議(苦笑)。
2009.03.24

早春、3月、松本。連休を利用してクルマで行ってきた。東京から長野県の松本までは200キロ以上ある。100キロ以内だと高速料金が休日割引で半額になるので、途中山梨(つまり東京から100キロ以内にある料金所)でいったん高速を降りて、またしばらくしてから高速にのるという、我ながらあまりにビンボーくさい知恵を働かせてみた。おかげで、高速料金はかなり安くすんだ(えっへん)。松本城のあたりは、電柱を埋めているせいか、街の風景がとてもスッキリと落ち着いて見える。この街独特のゆったりとした風格が気に入っている。白壁の蔵など見て歩き、以前来てたまたま入り、すっかりファンになってしまった「時代遅れの洋食屋 おきな堂」へ行ってみた。2000円食べると駐車券1時間分がもらえる…ちょ、ちょっとハードル高くないですか、田舎なのに。西銀座駐車場なんて、東京のド真ん中で2000円で2時間だぞ。前回たまたま食べて細かい衣サクサクのカツカレーが気に入った。今回もそれにしようかどうしようか迷ったのだが、「チキンを揚げたばんからカレーが人気メニュー」とウエイトレスのお姉さんが言うので、今回はそちらにしてみた。カレーソースは20種類のスパイスを使ったものだとか。ちょっと好き嫌いが分かれる味かもしれないが、カレー好きのMizumizuにとっては花マルのお味。ご飯の多さにびっくり。それとチキンのボリュームにも。ただ、個人的には「ばんから」より「ヒレカツカレー」のがお奨めかな。こちらは手打ちパスタのカルボナーラ。パスタはもちもちではなく、薄めで歯ごたえのあるタイプ。このカルボナーラも十分花マル。日本のベーコンって燻製してないマガイモノが多いが、ここのベーコンはちゃんとイタリアのパンチェッタの味がした。パンまでついて、あとでソースをつけて食べられるところが、気取りがなくていい。こちらもすごいボリューム。どちらの味も十分満足できる。カレーも生パスタも旨い店なんて、東京でもなかなかない。こんな洋食屋が近所にあったらいいなぁ。松本市民がうらやましい。ここのお昼はちょっと遅くて、ひととおり料理が揃うのが11時半ぐらいからだとか。その時間を目指してなのか、どんどんお客さんが入ってきて、お昼前には1階は満席になった。プリンもお奨めだというので注文。かなりのものです、このプリンも。ちょっとのった生クリームもとても美味しい。いやぁ~、これだけハズレがないなんて、凄いワ、おきな堂。コーヒーについてくる一口サイズのシナモンクッキーも気に入って、お土産に一袋買ってしまった。シナモンが煙ってくるように強く、硬い口当たりがドイツ風のクッキー。自宅でもエスプレッソ1杯に1つ、楽しんでいる。ポークステーキも人気だとか。夜も来ちゃおうかなと思い、会計のときに聞いてみた。「夜もやってますか?」「はい」「今日は何時まで?」「今日は祝日なので早くて… 午後6時がラストオーダーです」はっ…?ご、午後6時にらすとおおだあ? それで夜やってると言えるのか?? 洋食屋なのに?? 松本市民の祝日の夕飯はそんなに早いのか?あ~、びっくりした。東京ではありえません。ちなみに平日は午後8時半がラストオーダーだとか。それも食事を出す店としては、かなり早いと思うけど。それでやっていけるのだから、それにこしたことはないよね。お昼のあの賑わいを見ても、無理に夜遅くまでやる必要もないんでしょう。そもそも松本って街は、そのほかの店の店じまいもやたらと早い。午後6時には、観光の中心地がゴーストタウンと化す(というのはオーバーか)。なんつー、健康的な街やねん。東京人はついていけんわ(←どこの方言だよ)。
2009.03.23
松本に行く途中のラジオで、「キム・ヨナ選手が練習を妨害したとの報道に対し、日本スケート連盟が抗議」というニュースを聞いた。今回はさすがに、あの事なかれ主義の連盟でも看過できなかったんだな――と思っていたのだが、ネット上の、「当初(日本スケート連盟)は報道をやり過ごす方針だったが、ファンから『なぜ抗議しないのか』などの電話やメールが相次ぎ、対処することを決めた」というスポニチの報道を見て(見たのは松本のホテルのフロント・笑)、複雑な気持ちになった。キム・ヨナ発言に関しては、情報の早い読者のかたから「キム・ヨナが日本選手に練習を妨害されたと言ってますが、どう思いますか?」というメールを複数いただいていたのだが、実際にMizumizuが見たインタビューでは、キム選手は、「日本選手が妨害」とは言っていなかった。だが、韓国紙の報道では、「妨害したのは日本選手だとキム・ヨナが言った」とあり、どっちなのかウラが取れずにいた。だが、日本の読売新聞が、「キム・ヨナの練習を日本選手が妨害したと韓国メディアが伝えた」という報道を読んだときには、すぐに日本スケート連盟に以下のようなメールを送り、抗議するべきではないかと意見している。以下がそのメールだ。XXXX3月15日付け日本スケート連盟あてメールXXXXXX> 前略> > 「キム・ヨナ選手の妨害を日本選手がしている」という記事が読売に出ました。> You TUBEには以下のような> > http://www.youtube.com/watch?v=zfyAh0ekqCU> 明らかに恣意的に編集された「キム・ヨナ選手妨害現場」の動画がアップされ、> 日本選手があたかも汚い妨害手段を使っているかのような> 印象を世界中に広めようとしています。> 抗議するべきではないんですか?> XXXXXXXXXXご覧のように、ごく簡単な切り口上の意見メール。Youtubeの悪質な映像もつけた。この動画は現在は削除されているが、「日本選手はスポーツマンシップにのっとった行動をせよ」などと字幕をつけて、キム選手に日本選手が接近して(ときにキム選手が、「キャー」といった顔をしている)いるように見える部分だけを切り取った、非常に手の込んだ作為的な映像だった(よくここまで悪質な動画作るよ、まったく)。「スポーツマンシップ」という言葉だが、朝鮮日報は、「日本スケート連盟は19日、公式ホームページに『フィギュアスケートに関する一部報道について』という文で、『日本選手はスポーツマンシップにのっとって競技を行っており、意図的に妨害行為をした事実はない』と述べた」と報じた。これを見ても日本スケート連盟に、「日本選手はスポーツマンシップがない」とデッチアゲの告発した悪質なビデオの存在を知らせたことは意味があったのではないかと思っている。また、日本スケート連盟に「なぜ抗議しないのか」「なぜ日本選手を守ろうとしないのか」という電話や抗議メールが殺到したという記事を読んで、心強い思いだった。ご存知のとおり、Mizumizu自身は、この問題に関してブログで抗議メール送付の呼びかけを行っていない。自分だけで抗議メールを送った。今こうやって明かすのは、信じられないことだが、そうやって呼びかけたりすると、「ネットで扇動してる人がいる」とか「ファンが過剰反応してキム選手を叩いたりすれば、日本選手の迷惑になる」などと、トンチンカンなことをネットで主張する輩が出てきて、そのたびに心を痛めてメールをくださる読者の方がいるからだ。「複雑な思い」というのは、連盟が当初この問題を「やりすごす」つもりだったという報道に落胆したこと。このような日本選手が大迷惑をこうむる問題は、日本スケート連盟が率先して抗議すべきなのだ。ところが、ファンからメールや電話が殺到したために重い腰を上げた、という感じだ。逆に、事なかれ主義の日本スケート連盟を動かした名もない多くのファンの努力には、本当に感動した。日本のファンが激怒したのは、過剰反応でもなんでもない。とんでもない言いがかりをつけられたら誰でも怒る、当たり前の話だ。キム選手が「日本選手」と名指ししたのかしないのかはハッキリしないが、そもそも「私の練習を他の選手が妨害した」などと選手が口に出して言うなど言語道断。これが日本選手なら、コーチから「リンクはみなで使うもの。お互いさまなのだから、そのようなことは口が裂けても言ってはいけない」と厳しく叱責されるだろう。伊藤みどりを育てた山田満知子コーチは、「選手というのは成績がよくなると、日ごろの態度に傲慢さが出てくる。それを強く戒めるようにした」と言っている。そう、日本選手はスポーツマンシップと謙虚さを厳しくしつけられるのだ。村主選手と安藤選手が接触したときも、どちらも「相手がぶつかってきた」などと言ってはいない。日常生活でも、ぶつかりそうなったとき、あるいはぶつかってしまったとき、人間はだいたい「相手のせい」だと思うものだ。だが、表面的には「すいません」と言ってやりすごす。どちらかが大怪我を負うような衝突でない限り、これは最低限のマナーだ。そして、そうしたマナーは、親なり教師なりが教える。ところがキム選手をコントロールすべきオーサーときたら、率先して「言ってはならないライバルに対する悪口」を自分で炸裂させている。安藤選手の判定に対する文句はすでに紹介したが、「浅田選手が世界選手権で3Aで転倒しながら優勝なんておかしい。点が高すぎる」なんてことも、今シーズンになってからカナダメディアに言っているのだ。これが世界選手権直後ならすぐ反論できる。3Aは跳ぶ前にコケたから、マイナス点になった。最後の3F+3Loのループもダウングレード判定で減点された。そこまで減点されても総合得点でトップになるくらい浅田選手は凄いのだ、と。ところが時間がたってしまうと、みなそういう細かい点は忘れてしまうから、「コケても優勝か。点を操作したのか?」という反応だって出てくるかもしれない。キム選手が世界選手権直前になって、四大陸で妨害された、などというのもコーチの発言に似た部分がある。これが妨害された(とキム選手が思い込んだ)直後ならわかる。ところが、日本スケート連盟によれば、キム陣営から抗議されたことはないというではないか。それを今になって邪魔されたなどと… 美川憲一の昔のCMに、「もっとはじっこ歩きなさいよ」というのがあったが、まさにそんな感じの傲慢きわまりない神経だ。「アタシが練習してるのよ。アタシの軌道に入ってくるなんて、ワザと? リンクではアタシが中心。アタシの邪魔にならないように、もっとはじっこで練習しなさいよ」。こんな発言を「やりすごして」しまっては、精神的負担を強いられるのは、またも日本の選手のほうだ。そういわれてしまっては、やはり気になる。相手は「今度は妨害されても(ジャンプを)跳ぶ」などと言っているようだし、下手に当たってこられても大変だ。そうなると自分の練習に集中できなくなるかもしれない。「何があっても集中しろ。できないのは自分の責任」――さんざん選手をコキ使い、金儲けのイベントに引っ張り出しているくせに、日本スケート連盟の態度ときたら、こんなふうだ。まさに、「なぜ自国の選手を守るべく、全力であらゆる手段を尽くさないのか」と言いたい。こうした根拠のない「口」撃は許さない、そうした態度を組織がキッパリ示すだけでも、選手個人の精神的負担は軽くなる。当初、韓国紙は次のように伝えたのだ。XXX中央日報、3/16の記事からXXXXX‘ライバル’の日本選手のけん制があまりにもひどかったからだ。キム・ヨナは14日、現地練習地のカナダ・トロントでSBSのインタビューに応じ、「国際スケート競技連盟(ISU)主催大会の公式練習で日本選手から集中的にけん制を受け、練習を妨害された」と明らかにした。キム・ヨナは「特に今回の4大陸大会では少しひどいという印象を受けた。そこまでしなければいけないのか思うことが多かった。しかしそれに負けたくないし、それに負ければ競技にも少し支障が出るかもしれないので、対処方法を考えている」と語った。キム・ヨナを指導するブライアン・オーサー・コーチは最近、ある日本選手がキム・ヨナのジャンプの進路ばかり徘徊している、と抗議したりもした。ISU主催大会の公式練習映像にはキム・ヨナの悩みがはっきりと表われている。舞台衣装を着て行う最終練習で、中野友加里・安藤美姫・浅田真央ら日本選手はキム・ヨナの演技中にかなり接近し、練習の流れを遮っている。何よりもヨム・ヨナが後方に滑走して後ろの状況が見えない時、日本の選手たちがキム・ヨナを見ながら前進している点が疑惑を増幅させている。XXXXX「ある日本選手がキム・ヨナのジャンプの進路ばかり徘徊している」なんて、被害妄想もいいところだ。日本からは3人も選手が出る。全員世界のトップ10に入る実力の持ち主。フィギュアは自分との戦いだから集中できなければいい演技ができない。当たり屋・ユベールのような3流選手じゃあるまいし、貴重な練習時間をキム選手の邪魔で浪費するようなヒマな選手など日本にはいない。もっといえば、日本は抗議はなかったと言っている。じゃ、オーサーは誰に抗議したのよ?そしてご丁寧に、作為的に編集された「証拠」動画をテレビで流すという暴挙。あの動画自体は、ちょっと詳しい人がみたら変だとわかるはずだ。だが、記事の内容や動画の不自然さを指摘する冷静なファンや専門家は韓国にはあまりいないようだ。韓国のファンは見事に扇動され、日本バッシングが巻き起こった。「まるでカミカゼ」「韓国スケート連盟はなぜ抗議しないのか」などと激怒する韓国ファン。この騒ぎで日本が黙っていたらどうなるか?日本選手はキム選手の練習を妨害している――このトンデモ話が、韓国で既成事実になってしまうのだ。今回日本のファンが騒ぎ、日本スケート連盟が正式に抗議(韓国では「報道について調査を依頼」となっている)したことで、韓国紙の報道もコロリと変わった。「キム・ヨナ選手はインタビューで特定の国名に言及していない」「キム・ヨナの発言が本人の意図の有無とは関係なく、韓日間の議論に巻き込まれた」(いずれも朝鮮日報 3/21付け記事)と火消しに躍起だ。一方的に言いがかりをつけ、悪質なビデオまで作り、日本への反感を煽っておいて、いざ抗議されたら、「韓日間の議論に巻き込まれた」などと、よく言えたものだ。議論もへったくれもない。言いがかりと悪質な証拠デッチアゲではないか。テレビ局の動画の作成にキム選手やオーサーがかかわっていたかどうかはわからないが、そもそもキム選手がフィギュアスケーターにあるまじき発言をするからこういうことになった。キム選手が日本と名指ししたかしなかったかなど、実のところたいした問題ではない。「妨害された」と言えば、暗に日本選手を指しているのは誰だって察するところだ。こうした基本的なマナー違反の発言はしてはいけない。してはいけないことをしたら、非難される。ときに自分の想像以上の事態を引き起こす。トップ選手は、特に自分の発言には気をつけなければいけないのだ。
2009.03.21
連休は長野県の松本に来ています。ホテルの部屋からネットに接続できず、フロントのネットコーナーから書いています。バンコク、パリではなんとかうまくいったのに、ハワイにつづいて2度めの失敗。PINコードをもらわない環境だとうまくいかない・・・まあ、こっちのパソコンに問題があるのでしょうけど。これじゃモバイルパソコンを持ち歩いてる意味がないなぁ。
2009.03.20

役者には、十八番の演技というものがある。たとえばジャン・マレーがイケメン俳優だったころは、「失神」と並んで、水戸黄門の印籠みたいな役回りのシーンが「ドアップの涙」。今は残っていないが、ジャン・マレーの映画での最初の大作は、『カルメン』のドン・ホセ役だった。このオーディションは映画のクライマックスで使われる予定の「ホセが涙を流すシーン」で、マレーの泣きの演技を見た『カルメン』のプロデューサーがベタ惚れして、「ホセ役は彼しかいない」とマレーを抜擢した。その後のコクトー作品でも、必ずマレーがドアップで涙を流す場面が入る。そんなにジャノを泣かせたいのか、ジャン・コクトー!と思っていたのだが、『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、ある映画の脚本執筆時の手紙に、「君の好きな場面を用意した」とあり、それがどうやらドアップで泣くシーンらしい。つまり、コクトーの趣味というより、マレーの趣味だったらしいのだ。そんなにドアップで泣く自分が好きだったのか、ジャン・マレー!ジュード・ロウにも、同じような十八番の演技がある。それは「キレまくる」シーン。ロウは「知性」や「高貴さ」を表現するもの巧いが、同時に「狂気」や「獣性」といったエキセントリックな感情を爆発させるとき、近寄りがたいカリスマ性を発揮する。アンソニー・ミンゲラと組んだ『リプリー』でも、ロウはキレまくっている。その頂点がリプリーがディッキーを殺してしまうボートでのシーン。リプリーに殴られたあと、血を流しながらリプリーに襲い掛かる野獣のようなディッキーの怒りは、理解不能なくらいの狂気に彩られている。だが、ミンゲラはロウと組んだ『コールド・マウンテン』では、あえてそうした場面を用意せず、それまでのロウのイメージとはまったく違う無口で純なアメリカの田舎の青年を演じさせた。南北戦争を舞台にした『コールド・マウンテン』は、戦争、特に歩兵戦の凄惨さと、アメリカの山奥の寒村の牧歌的で平和な風景を交互に見せて、声高ではないが、明確な反戦のメッセージを映し出す。ロウの演じるインマンは、都会から引っ越してきた南部美人のエイダに最初から思いを寄せている。インマンの仕事はと言えば…エイダと会話をしているときも、別に愛想がいいわけでもない。だが、周りの男たちが、「あいつが口きているぞ」と笑っている。エイダに乞われると、何でもやってくれるインマン。畑も耕します。エイダのためならエイ~んや、こ~ら。どちらかというと細身で華奢なジュード・ロウだが、この役のためにだいぶ筋肉をつけたよう。時代は南北戦争直前。「戦争になれば、みんな戦うよ」と兵士になることに何の疑問ももたないインマン。あくまで彼は、ふつーの田舎の青年なのだ。そして、開戦。すぐに出征というせっぱつまった状況がシャイな2人の距離を急速に近づける。「一ヶ月で戻るよ」――戦場へ赴く血気盛んな男たちは、軽い気持ちでいる。だが、それは、4年にもおよぶ長い内戦の始まりだった。一度キスを交わしただけで男はあわただしく戦場に。見送るヒロインを見つめる眼は、愛を確認した喜びに輝いている。こうしたカットでロウがはっとするほど美しいのは、ミンゲラが細心の注意を払っているからだろうと思う。ロウはもともとイケメンだが、「素材」だけでは、これほど印象的なカットにはならない。戦争は、朴訥とした青年の明るい色の髪を黒い色に変えている。愛する人にもう一度会うため、脱走兵となって数々の修羅場をくぐりぬけて帰ってきた青年は、「自分は別人になってしまった」と感じている。長い懺悔のような魂の告白を、聖母のように受け止めるヒロイン。「話をするより、見つめ合ったほうがいい」と言っていた素朴でロマンチックな青年が、戦争という狂気を体験し、やり場のない、大きすぎる怒りと悲しみを抑えながら独白する。この長いモノローグは、ロウ演技の最大の見せ場。彼は…というつもりだった。だが、現実には、戦争は彼らの大切な土地を荒廃させてしまう。帰還への道中で出会った人は、次々に簡単に死んいく。この人も…あれっ、『リプリー』のフレディだ。ということは、好色で大食漢で最後は死ぬ役ですか?と思ったら、そのとおりだった(笑)。ジュード・ロウに、あえてそれまでのイメージとはまったく逆の役を与え、十八番の「キレて怒鳴りまくるシーン」も用意せず、俳優としてのロウの可能性を広げようとしたミンゲラの親心を強く感じる作品。ラブシーンもカット割りが非常に詩的で、たくましくなったロウの肉体美を四方八方から(苦笑)十分に魅力的に見せている。ロウは基本的には脱ぎまくりのヒトなのだが、『コールド・マウンテン』のラブシーンはその中でも、一ニを争う美しさ。もちろん女性の肉体美も。この完璧なヒップラインは、エイダ役のニコール・キッドマンその人なのでしょうか。それともここだけ代役?ロウの精悍な横顔の輪郭線と炎に照らされた肉感的な臀部がお互いの邪魔をしないで両立している、萌え萌えのカット。
2009.03.19

<きのうから続く>コクトーは自分の映画でマレーをやたら「失神」させている。『悲恋(永劫回帰)』では、マレー演じる主人公がヒロインと出会う乱闘シーンで失神、『双頭の鷲』では、女王の部屋に入ってきたところで失神、『ルイ・ブラス』でも女王に謁見した直後に失神、『恐るべき親たち』では何の脈略もなく一瞬気が遠くなって失神、『オルフェ』では鏡の前で失神。このように惚れ込んだ俳優に、同じイメージを繰り返し演じさせるというのは、ミンゲラにも共通している。ミンゲラ作品では、必ず「ロウが子供のように眠り込み」「それを誰かがじっと見つめる」というシーンが入る。『リプリー』では、電車で眠り込んだディッキー(ロウ)をリプリーがじっと窺い、すりよって胸のあたりに顔をうずめる。『コールド・マウンテン』では、ヒロインがインマン(ロウ)と結ばれたあと、眠りこむ彼をじっと見つめ、傷ついた体をいたわるようにそっと触れる。このシーンはわざわざ時系列を逆にして挿入するという凝りよう。『こわれゆく世界の中で』では、ウィル(ロウ)と移民の未亡人が関係をもったあと、ウィルが無防備に眠りこけるシーンがかなり長く続く。この間にウィルは情事の写真を撮られてしまうのだが、そんなこととは知らず目を覚ますと未亡人と一緒に彼女の女友達が彼を見つめ、「ベッドに男がいるなんていいわね」などと言う。『リプリー』と『コールド・マウンテン』では、ロウは死んでしまう役だが、観客は、死んだロウに彼を愛する人が寄り添うカットを真上から見ることになる。このイメージは2作ともそっくり、というよりまったく同じと言っていい。海の上か雪の上かという違いだけだ。「海」にしろ「雪」にしろ、ミンゲラは必ず、物言わぬロウと最後の時間を2人きりで過ごす、彼を愛する人のために、他人・日常・俗世間といった夾雑物が一切入り込まないロマンチックな舞台を用意している。リプリーは他に誰もいない海で、決して自分のものにならなかったディッキーを手にかけ、ついにつかの間、自分のものにする。エイダ(『コールド・マウンテン』のヒロイン)は、やっと戻ってきた愛しい男に、「もうどこにも行かないわね」と無言のままささやきかけているよう。どうよ、この死に顔の端整さ。コクトー作品でも、ジャン・マレーは最後に死んでしまう役がやたらと多い。そして、カメラはマレーの「彫刻のように」美しい死に顔を、舐めるようにアップで映し出す。こうしたミューズへの妄執は、ロウを繰り返し自作の映画に起用したミンゲラの視線にも共通する。ジャン・マレーにとってのジャン・コクトーがジュード・ロウにとっては、アンソニー・ミンゲラだったかもしれない。ミンゲラがまだ50代の若さで亡くなってしまったというのは、観客にとっても俳優ロウにとっても打撃だ。いや、映画監督としてもっとも脂の乗り切った時期に共に仕事をしたのだから、2人のコラボレーションは「次も見たい」という観客の欲求を満たさぬままに、その可能性だけを残した『こわれゆく世界の中で』で終わって、それでよかったのかもしれないが。ロウはThe Imaginarium of Doctor Parnassusでヒース・レジャーの代役の1人を演じるが、これについても不気味な符合がある。レジャーの急死で同作の撮影は一時頓挫する。結局レジャーが鏡を通り抜けたところで、ジョニー・ディップやロウに変身するという設定で撮影が続行されることになったのだが、この話はジャン・マレーが最晩年に書いた『私のジャン・コクトー』に出てくるあるエピソードと奇妙に重なるのだ。メキシコでコクトーの『オルフェ』が上演されていたときのこと、地震が起きて、芝居が中断された。劇場が壊れてしまったのだ。劇場が修復され、『オルフェ』は再び上演されることになる。だが…「突然、演出家が、芝居はもう続けられないと告げた。オルフェ役を演じていた俳優が鏡からふたたび出てくるまえ、舞台裏で倒れ、死んでしまったのだ」(『私のジャン・コクトー』より)鏡通過はコクトーワールドでは「死」を意味する。ヒース・レジャーの映画での最後のシーンはまさに、レジャーが鏡を通過するところになった。続けられなくなった芝居を演出家(監督)は、代役を立てることで続けた。しかもその役を引き継ぐ役者のうちの1人が、コクトー作品でアメリカに進出したジュード・ロウとは。その次になるのか、次の次になるのかわからないが、ロウはシャーロック・ホームズを主人公にした映画で、ワトソン博士を演じるという。ロウがワトソン博士と聞いて、「ナニかある」と直感したのだが、案の定(?)この作品、ホームズとワトソンの間にはゲイ的な雰囲気があり、部屋で取っ組み合ったり、1つのベッドを分け合ったりする仲だとか。ホームズとワトソンがソッチ系!? ひと昔前なら「腐女子の妄想」で片付けられそうな設定だ。世の中どうなっているんでしょうか。このところ出演作も多すぎて、かつてのカリスマ性がやや薄らいだ感もあるロウだが、しかし、ロウのワトソン役は斬新なものになる予感がする。公開が楽しみだ。
2009.03.17

日本では圧倒的に小説『恐るべき子供たち』のほうが、戯曲『恐るべき親たち』よりも有名だが、フランスではむしろ『恐るべき親たち』のほうが認知度が高いかもしれない。ジャン・コクトーも晩年、自身の戯曲でもっとも成功したのは『恐るべき親たち』だと明言している。ルキーノ・ヴィスコンティもイタリアでこの戯曲を演出しているし、コクトーの存命中にフランスで再演話が持ち上がったときは、『太陽がいっぱい』に出る前のアラン・ドロンがコクトーに自ら「ぼくにミシェル役を」と売り込みに来ている。ただ『ジャン・マレーへの手紙』を読むと、コクトーはジェラール・フィリップは非常に評価しているが、アラン・ドロンはあまりお気に召さなかったようだ。ジャン・マレー自身も、晩年は父親役で『恐るべき親たち』を舞台にのせ、後進の指導に当たっている。もちろん、1938年に24歳のジャン・マレーがミシェル役を演じたときのような大評判を取ることはなかったが。だが、ジャン・マレー以外にたった一人だけ、『恐るべき親たち』の舞台をセンセーショナルなヒットに導いた俳優がいる。それも『恐るべき親たち』初演から半世紀以上たった1990年代になって。その俳優こそ、イギリス人のジュード・ロウ。ロウがロンドンで、『恐るべき親たち』のミシェル役を演じたのは21歳。しかも、ロウは同作をひっさげてアメリカはブロードウェイに進出して大ヒットさせ、ハリウッド進出の足がかりを築いた。ウィキペディアのジュード・ロウのエントリーには「1995年にブロードウェイで公演されたキャスリ-ン・ターナーやアイリーン・アトキンスと共演した『Indiscretions』でシアター・ワールド賞を受賞、トニー賞助演男優賞にもノミネートされた」とあるが、このIndiscretions(放蕩)というのが、『恐るべき親たち』なのだ。ちなみに、1948年にコクトー監督・マレー主演で映画化された『恐るべき親たち』の英語のタイトルはThe Storm Withinになっている。『恐るべき親たち』のミシェル役というのは、非常に難しい役だ。ミシェルは、客を笑わせ、呆れさせ、怒らせ、そして泣かせなければならない。単細胞のダメ息子だが、そこに愛らしさがなければいけない。マレーはコクトーにこの戯曲を書いてもらったとき、あまりの難しさに、「この役を演じる才能も力量も今の自分にはない。絶望的だ」と思った。「でも、ジャンの信頼を裏切りたくない」。コクトーのほうは、呆然としているマレーを見て、「気に入らなかったのかな?」と一瞬がっかりした。コクトーはコクトーで、最初の読者であるマレーが自分の作品を気に入ってくれるかどうかを常に心配していた。それは晩年まで一貫して変わらない。「おもしろくない?」と聞くコクトーに対して、「素晴らしいと思う」と答えたマレー。「じゃあ、なぜそんな顔をしているの?」「驚いているんだよ、ジャン。君が想像できないくらい、ぼくは感動してる。この作品はどこか幻想的だ。そこが素晴らしいと思う」素晴らしいとマレーが感動した『恐るべき親たち』は、2人の予想を超える成功をおさめた。『恐るべき親たち』は、舞台の初演から10年も遅れて映画化されるが、そのときコクトーはもともとの舞台にはなかったシーンを付け加えている。それがミシェルの入浴シーン。コクトーと仕事を始めたごく初期のころは、よく「脱がされて」いたマレーだが、すぐに自分の肉体美を売り物にするのを嫌がるようになる。映画『恐るべき親たち』での露出はマレーとしては珍しい。このころのジャン・マレーは筋骨隆々、まさにギリシア彫刻のよう。もともとの台本を読むと、このシーンはミシェルがお風呂に入っているのではなく、お風呂の水を入れているだけだ。映画化にあたって、やや視覚的に「セクシー」なシーンに変えたということだろう。ただセクシーなだけでなく、おっちょこちょいのミシェルの性格を表すコメディ風のシーンもある。そして、ミシェルは浴室からバスローブをはおって出てくる。窓枠の影が美しい。このシーンももともとの舞台劇にはない。ジュード・ロウ版舞台『恐るべき親たち』では、ロウはもっと大胆に、フルヌードで入浴し、お風呂から出てくるという設定になっている。悲喜劇両方の側面をもった『恐るべき親たち』のミシェル役は、そもそも難しい役だが、やはり客を集めるには、演技力だけではなく、俳優が若く、セクシーで、チャーミングである必要がある。その条件を完璧に満たしていたのが、1930年代のフランスに1人、1990年代のイギリスに1人だけいたということだ。ジャン・マレーは『恐るべき親たち』執筆前のコクトーに、「君はどんな役が演りたい?」と聞かれて、「極端で、活気があって、現代人の役。泣いたり笑ったりして美男でない役」と答えている。そうして生まれたのがミシェルというキャラクターなのだが、マレーにしろロウにしろ、結局とびきりの美男だ(笑)。1997年以降のジュード・ロウの映画界での活躍は多くの人が知るところだが、監督としてロウと相性がよかったのはやはり、アンソニー・ミンゲラだろう。ミンゲラはロウの魅力を最大限引き出した監督だ。まずは、1999年『リプリー』のディッキー・グリーンリーフ役。この映画、どう考えたってロウのための映画だ。『ダークナイト』がヒース・レジャーのジョーカーを見るための映画になってしまったのと同じ理屈で。そのくらい、『リプリー』のロウは強烈なオーラを放っている。『リプリー』は『太陽がいっぱい』のリメイクと紹介されるが、それは適切ではない。『太陽がいっぱい』より、原作のThe Talented Mr. Ripleyに忠実だとネットでは書かれていたりするが、それも当たっていないように思う。いや、もちろん『太陽がいっぱい』よりは忠実かもしれない。だが、『リプリー』もやはり、脚本を書いた監督のミンゲラが相当に原作を「翻案」している。映画『リプリー』と『太陽がいっぱい』、それに小説The Talented Mr. Ripleyはそれぞれ、まったく別の作品だと思ったほうがいい。たとえば、主人公のリプリーがディッキーを海上で殺すシーンは、原作とまるで違う。原作ではリプリーが最初から殺すつもりでディッキーをヨットで海に誘うのに対し、映画『リプリー』では、ディッキーに誘われて乗ったヨットで、ディッキーの女友達のことで2人が口論になり、狂気にかられたディッキーに恐怖を覚えてリプリーが偶発的に彼を殺してしまう。この海上でディッキーがリプリーを、「お前は退屈なんだよ」と罵るシーンは、明らかにロウの『オスカー・ワイルド』(1995年)でのボジー役を彷彿させる。というより、ほとんど台詞が同じなのだ。ミンゲラは『オスカー・ワイルド』で病気のワイルドを残してボジーが遊びに出かけてしまうシーンのロウの演技からヒントを得て、この海上での殺人シーンの脚本を書いたとしか思えない。そして、もう1つ。ディッキーとリプリーの間に微妙な空気が流れるのが、浴室でのシーン。ディッキーが入浴し、リプリーとチェスをしている(なんで、風呂入りながらチェスなんかすんのだ? そもそも)。映画『リプリー』では、非常に重要なシーンなのだが、こんなお風呂の場面も原作にはないのだ。バスタブに入っているディッキーに、リプリーが「入ってもいい?」と聞くシーン。このときロウ演じるディッキーは、露骨にバカにするような視線をすくい上げて、リプリーを凝視する。どうよ、この色悪ぶり。相手を上からあからさまに品定めするような、こうした侮蔑的目つきをさせたらジュード・ロウの右に出る人はいない。しかも、その相手はほとんど必ずオトコ。「ノー」と冷たく突き放されて、リプリーはあわてて、「一緒にじゃないよ」。すると、ディッキーは、「じゃ、オレは出るから入れよ」とバスタブを出て行く。このミンゲラのオリジナル・シーンのルーツは、やはりロウの出世作『恐るべき親たち』にあると思うのだ。そして、ディッキーのキャラクターづけは『オスカー・ワイルド』のボジーに相当影響を受けている。リプリーはディッキーに「気味が悪い」「やめろよ、そういうの」と侮辱されればされるほど、ますますディッキーにメロメロになっていく。2003年の大作『コールド・マウンテン』を経て、ロウとミンゲラは2006年に『こわれゆく世界の中で』で再びタッグを組むが、この最後のロウ+ミンゲラ作品でも、重要な場面にお風呂が出てくる。「もう嘘をつくのはやめよう」「いいえ、ずっと嘘をついていて」――男女の思惑の違いが、決定的になるシーン。このあと、自分の思い違いを知って、ロウ演じる主人公は無言でバスタブから出て行く。ミンゲラ作品3つのうちの2つに出てくる浴室。そのルーツは、だからジャン・コクトーが映画『恐るべき親たち』でマレーをお風呂に入れたときにさかのぼると思うのだ。ロウがジャン・マレーを意識しているかどうかは不明だが、彼の将来の夢は、「84歳でリア王を演じること」だと言っていた。84歳はマレーが亡くなった年。マレーはその前年まで舞台に立っている。リア王も当たり役の1つだった。シェークスピア劇をあげるということは、ロウの頭にあるのは、あるいはイギリス最高の俳優ローレンス・オリビエかもしれない。どちらにしろ、いくつになってもその年に応じた演技が楽しみな俳優、それがジュード・ロウだ。ミンゲラは明らかに、俳優としてのジュード・ロウの才能に最も惚れこんでいた監督だった。ミンゲラ作品でのロウは、1作ごとにまったく違う、そしてその年齢にぴったりの役を演じて、甲乙つけがたい極上のキャラクターに仕上げている。<も、文字制限… 続きは明日に>
2009.03.16

ヌーベルバーグのさきがけとされる映画が、ジャン・コクトー原作の『恐るべき子供たち』(監督はジャン・ピエール・メルヴィル)だということはすでにご紹介したが、この作品を繰り返し見て、バイブルのように思っていたフランソワ・トリュフォーとコクトーの交流も心あたたまるものだ。トリュフォーが『大人は判ってくれない』の収益をコクトーに提供してくれたことで、コクトーは『オルフェの遺言』を撮ることができた。トリュフォー作品には、小道具として「コクトーもの」がちょくちょく登場するのがおもしろい。たとえば『華氏451』では、圧制者によって燃やされる書物の中に、ジャン・コクトーの本がちゃんと混じっている。『アメリカの夜』では、なぜか、(ほんの一瞬だけ)コクトー・タオルが登場する! ジャン・コクトーの足跡をたどった『ジャン・コクトー 虚構と真実』で、コクトー作品を長々と分析しているのは、ジャン・リュック・ゴダールだ。一方、俳優ジャン・マレーとヌーベルバーグ監督との相性は、明らかにあまりよくない。ヌーベルバーグの「新しい芸術」がスクリーンを席捲していた1950年代末から1960年代後半にかけては、マレーはほぼ徹底して、『怪傑キャピタン』のような騎士道シリーズ、続く『ファントマ』シリーズと、ヌーベルバーグとは対極にある「たわいもない」娯楽作品に出続けた。「たわいもない」とはいっても、このころのジャン・マレーの活劇のロケは相当命がけ。ココ↓に、ファントマのロケ模様が出ているが、下で見物しているパリジェンヌが「落ちないで~」とばかりに祈るようなポーズで見上げている。http://www.dailymotion.com/video/x3vph0_tournage-de-fantomas-avec-jean-mara_shortfilms最後にインタビューがあるが(そこでやっと音声が出てくる)、当時のジャン・マレーは最愛のコクトーを失った直後で、「もう生きるふりしかできない」と思っていたころ。もちろんインタビューではそんな心中はおくびにも出さず、ひたすらにこやかに愛想よく応じている。ヌーベルバーグとは別の道をいったジャン・マレーだが、ジャック・ドゥミー監督とは例外的に補完的で良好な関係を築いている。ドゥミーもトリュフォーと同じくコクトーを尊敬しており、1957年にはコクトー作『美男薄情』を映画化している。そして、同年、ジョルジュ・ルキエ監督、ジャン・マレー主演の『SOS ノローニャ』では助監督を務めている。『SOS ノローニャ』を見たコクトーはマレーに、「あの映画の君は本当に生き生きとしていて、まるで記録映画でも見ているように、ぼくは君の身を思って震えました」(1957年6月3日)と書き送っている。コクトーが「震えた」のは、この映画のロケで溺死したスタッフがいたため。それほど危険を伴う撮影だったのだ。『SOS ノローニャ』撮影当時は駆け出しだったジャック・ドゥミーだが、その後『シェルブールの雨傘』などで名監督としての地位を確立する。そして、ヌーベルバーグの波が去った1970年に、マレーはドゥミーの『ロバと王女』に出演している。この映画はコクトー作品へのオマージュだとも言えるが、実際ドゥミー監督自身、と言っている。モンマルトル美術館で開催中のジャン・マレー展には、『ロバと王女』の撮影時の写真も展示されていた。左がジャン・マレー。右がジャック・ドゥミー。しかし、この写真、左右逆に焼かれている。実際の映画では、こうなる。玉座はサンリオ製(←ウソ)。そして、撮影合い間のショットは王子役のジャック・ペランと。楽しそうに語り合っている。王子様ったら、このカッコでタバコを手にはさんでチョイ不良風。ペランは『ニューシネマパラダイス』で大人になったトトを演じたことでも有名だが、プロデューサーとしても『リュミエールの子供たち』『WATARIDORI』などの傑作を世に送り出している。追記:2009年2月には、『恐るべき子供たち』の室内オペラがパリで再演された。読者の方からいただいた情報によると、音楽を手がけたのはフィリップ・グラス。出演者はピアニスト3人と歌手4人。グラスは『オルフェ』(1993年)と『美女と野獣』(1994年)のオペラも手がけており、『恐るべき子供たち』(1996年)と合わせて3部作となっている。http://blog.lefigaro.fr/theatre/2009/02/les-enfants-terribles-ou-cocte.html
2009.03.15

18世紀創業の老舗パティスリー「ストレール」。もちろん有名なのはスイーツだが、Mizumizuはここでもっぱら惣菜を買っている。ストレールへの行き方は簡単。地下鉄サンティエ(Santier)駅で降りて、一番東側にある出口から出る。いったん大通りに出て、すぐ右にあるPetits Carreaux通りに入る。右側にスタバ、左側にメゾン・カイザーがある通りだ。ここを進むと通りの名前はいつの間にか、モントルグイユ通りに。ストレールまでは地下鉄駅から5分ほど。モントルグイユ通りをMizumizuは「うまいもの通り」と呼んでいる。マルシェもあるし、パン屋、総菜屋、八百屋も質の高い店が揃っている。ここはストレールの向かいの果物屋さん。フルーツも新鮮でおいしいが、ナッツもイケる。以前来たときに、へーゼルナッツを買ったらおいしかったので、今回もへーゼルナッツ目当てで行ってみた。が、残念ながらシーズンオフなのかおいていなかった。かわりにフランス産のクルミと「ブラジルのナッツ」というのを買ってみた。「ブラジルのナッツ」と書いてあるだけで具体的に何というナッツなのかわからないのだが(写真右)、初めて食べる味でなかなかだった。齧るとまず、まるで木の幹の皮を食べているようなワイルドな風味が口に広がる。慣れるとおいしい素朴な木の実の味だ。ストレールでは以前、ニンジンを細く刻んだサラダがめちゃウマだったので、同じものを買ってみた。早めに食べたいので、カフェを探す。ストレールに一番近いカフェは、以前入ってはずれたので、別の店へ。カフェに入って座ると、トルコ系のやや濃い顔をしたにーちゃんが注文を取りに来た。キャロットサラダを見せて、食べていいかと聞くと、「当たり前だよ~」と言う顔で、「どうぞ」と答えてきた。ごそごそビニールからタッパーを出し、一口食べて、あれっ??以前とは全然味が違う。別物だ。そういえば、値段も安かったかもしれない。こりゃ、完全にレシピが変わったな。これだから、「うまいもの情報」は困る。以前食べて感激したものでも、次に食べると美味しくなかったりする。同じ店のものでも味が違ってしまっていることもあるし、自分の好みが変わってしまっていることもある。体調もあるだろう。けっこうたくさん買ってしまったので、「失敗した~」と思いながら仕方なく食べてると、向こうの席に座ってる東洋人の女性と眼が合った。50過ぎぐらいの茶髪のオバさんで、スナックのママ風。眼が合うとにっこりしてきたので、こちらも微笑んだ。すると…!オバさん、立ち上がり、こっちにやってくる。なんとこのクソ寒い2月のパリで、いい年をして、膝丈ぐらいの革の短いスカートと革のロングブーツを履いている。「1人?」日本語だ。昼間っから化粧も濃いなぁ。「ええ、はい」「座っていい?」そう言われてしまうと、ダメとは言えないよねぇ、普通。「いいえ! 私は1人でニンジン食べたいの!」なんてね。後から考えると、そのぐらいブッ壊れたこと言って同席を断わればよかったんだけど。クルクル巻いた長髪は、茶髪というよりほとんど赤毛で、爪の赤いマニキュアははがれかけている。なんか、髪形といいネイルカラーといい、えらく古いなぁ。変に若作りのカッコにしても、20年ぐらい時間が止まってる感じ。それに、どう見ても筋金入りの水商売オバさんですね。「ストレールで買ったんだ。おいしい?」「いや、それがあんまり… 食べてみます?」食べるというので、タッパーのフタに少しわけて差し出してみた。ストレールではフォークを2つ入れてくれたので、ちょうどよかった。「あら、おいしいじゃない」ホンマかいな?お世辞か本当に気に入ったのかよくわからないが、こちらはあまり食べたくなかったので(苦笑)、タッパーごとわたして食べてもらうことに。そのあと、30分ぐらい会話するハメになったのだが、地獄のような時間になった。短くまとめると、彼女は在パリ25年(!)。年齢は聞かなかったのだが、たぶん50代半ばかと。自分でお店をもって長くやっていたのだが、この不景気でついに閉めたのだという。プライベートでは10年以上一緒に暮らした男性がいたのだが、その彼とも数年前に別れている。で、もはやにっちもさっちも行かない状態になり、近々日本へ帰国するつもりなのだという。「日本には住むところあるんですか? 実家とか」「茨城に母がいるの。でも弟夫婦が一緒に住んでる」はあ~~~。そんなところに戻っても、お荷物扱いだろうなぁ。日本の状況をさかんに聞きたがるので、超優良企業がどんどん赤字に転落し、不動産関係の会社を中心にとんでもない負債をかかえての倒産が相次ぎ、派遣労働者がじゃんじゃん首切られて、ホームレスも増えている、と話した。「仕事はあるかしら?」日本に? 50過ぎの外国帰りの女性にできる仕事? 普通はないでしょう。水商売の世界のことは知らないが。「いやあ、なかなか… フランスに25年もいたんなら、こっちで頑張ったほうがいいんじゃないんですか?」「でもね、こっちも仕事はないのよ」「お友達とか、いるでしょう?」「それはまあそうだけど、何年住んだって結局… 選挙権ももらえないしね」せんきょけん? そらま、どこだって外国人にはなかなかねぇ。しかし、どういう滞在許可をもらっていたんだろうか。あまり深く聞くとますます話が長くなりそうなので、突っ込まなかったが。「やっぱりね、年をとると日本がいいかなって思うようになるのよ。若いころは考えなかったんだけれどね」いや、年をとらなくたって、日本人にとって日本は世界中で一番いい国ですよ。初対面でいきなり、ドヨヨ~ンとなるような身の上話をほぼ一方的に聞かされ、ホトホト疲れ果てるMizumizu。こちらの仕事や私生活やパリに来た目的なんかについても聞かれたが、とても気軽にオシャベリする気になれず、「はあ、まあ…」などと言ってごまかした。話はすぐにはずまなくなり、暗い顔をしてるMizumizuに嫌気が差してくれたのが、「じゃ、今日はありがと。話を聞いてくれて」と彼女が立ち上がったときは、心底ホッとした。後姿だけは妙に若いオバさんの姿を見送って、ふと気がつくと、ウエイターのトルコ系にーちゃんがテーブルの前に立っていてビックリした。もうお金は払ってるはずだけど?「話終わった?」と英語で彼。「彼女、アンハッピーなのよ。すぐに日本に帰るって…」頷きながら答えると、肩をすくめて変な顔をする。明らかに何か言いたそう。「何?」「彼女、いつもこのあたりにいるけどね」はあ?「少なくとも、半年間」口をへの字にして、大きな眼をクリクリさせるにーちゃん。「半年!? いつもこの店に来てるの?」うんうんと頷く彼。「あるいは、あっちの店とかね。彼女、日本人の女性と話すのが好きなんだよ。いつも話してる」つまり日本人と見るとテーブルに勝手に座り、おしゃべりする札付きの女性らしい。ボーゼン…「じゃ、彼女は嘘言ってる?」「それは知らない」「彼女、自分のお店を閉めたって。それで日本に帰るって言ってたんだけど?」肩をすくめて、「どうだかねぇ」というような顔をするウエイターのにーちゃん。彼がわざわざデタラメ教えに来てくれてるとも思えない。ということは、あの身の上話は全部、あるいは一部ファンタジーなのか? この「うまいもの通り」は、確かに日本人女性が非常に多い。パリの日本人の女の子は、なんとなく猫のようなところがあり、単独行動が多いのだ。たいていみんな、こざっぱりとオシャレでそれなりに余裕がありそうだ。あのオバさん、明日もあさっても一週間後も、カフェで待ち構えて日本人女性と見ると話しかけて、「パリに住んで25年」「でも、もうすぐ日本に帰ろうと思うの」「今、日本ってどう?」などと聞いているのだろうか? さっ、さみしすぎる…思いっきりつまらなそ~な顔していたから、しつこくされなかったが、あれで調子を合わせていたら、ど~いう展開が待っていたのだろう? 相手がエメラルドの瞳の若いフレンチ・ビューティならどこにでも一緒に行きますが(←オイオイ、それじゃ完璧変なレズだよ)、20年前に流行った髪形をした水商売風の若作りオバさんじゃ、全然楽しみじゃないな。お店を出るとき、「ありがとう。さようなら」とウエイター君にフランス語で挨拶したら、「さようなら」とフランス語で返したあと、「気をつけて」と英語で声をかけてきた。単独行動の猫派の日本人女性のみなさん、モントルグイユ通りでは、20年前に流行った髪形をした水商売風の若作りオバさんに気をつけましょう。
2009.03.14

パリ観光の目玉にも主役にもならないだろうが、第2区を中心に散らばるパッサージュに迷い込んでみるのも、パリ滞在の楽しみの1つ。ギャルリー・ヴィヴィエンヌがバッチリお化粧をしたパリ一番の美人だとしても、人はいつもそうした女性にばかり惹かれるわけではない。パッサージュは商店街になっているから、事前にどういった店があるのか調べていくと、より楽しめるはず。今回歩いてみたのは、地下鉄リシュリュー・ドルーオ駅の北にあるパッサージュ・ジュフロワ(Jouffroy)。車の往来の激しい大通りから、ふっと入るパッサージュ。そこはもう、いきなり「過去」の世界。車の音は遠ざかり、自分の歩く足音が響いてくるレトロ空間は、ちょっとしたデジャブ体験。いつか来たことがあるような、知った顔に会いそうな、不思議な感覚に襲われる。パッサージュ・ジュフロワは、入るとまずジャン・コクトーがその内部を「犯罪的な照明」と評したグレヴァン博物館(ろう人形館)があるというのが、すでに相当マニアックだ。そして、奥には「ホテル・ショパン」。なぜショパンなんだろう? 由来は知らないのだが、突き当たりのこの小さなホテルの前で左に折れてパッサージュは続く。すると東洋美術関連書籍を多くあつかっている古本屋がある。間口はかなり広い。あまり売れなさそうだが、よさそうな本をたくさん置いている。東京で言えば神田の古本屋街にある老舗の雰囲気。こういう店はなくなってはいけない。大量に売れなくてもいいのだ。店がやっていければ、それで。欲しいと思っている人がいつか必ず現れるであろう本がある本屋。最近の日本の本屋にあるのは、命の短い売れ筋の本ばかり。だから本屋は新刊書籍であふれているが、欲しい本は全然見つからない。東京では、貴重な資料になる本をマニアックに集めてくれている本屋を見つけるのが、本当に難しくなった。このパッサージュ、たいていの店はお昼12時から開店… のはずだが、12時に行っても、まだ大半の店は閉まっていた(苦笑)。このゆる~い雰囲気、ご近所の西荻窪に似ている。あそこもお昼から開くはずの店に12時に行っても、まだドアの鍵は閉まっていて、奥でオーナーが煙草を吸っていたりする。美術書を多くおいている店の向かいは、シネドクという映画関連(それも古い映画)グッズをおいている店。店の窓ガラスには、やはりジャン・マレーの写真が。今モンマルトル美術館で展覧会をやっているせいだろう。シネドクでも買いたい資料があったので、店のねーちゃんにメモを渡して探してもらった。とても痩せて、きびきび動く、少年のようなねーちゃんだった。英語は話さないのだが、こっちの英語はわかっているようだった。英語とフランス語で会話して、なぜか何となく相手の言ってることがわかる状況。身なりはものすごく適当で、髪の毛はザンバラで化粧っけもないねーちゃんだが、観光客相手の店でないせいか、接客態度はとても自然で感じがよい。結局お目当ての資料は見つからなかったが…シネドクには、日本映画の本もあった。しかし、相も変わらず、ハラキリ、オズ、オーシマですか… まぁ、ここはパッサージュ・ジュフロワですから。観光客の姿はほとんど見ない。ここはレトロなモノ好きの人たちのためのパッサージュ。ぼつぼつ歩いてる客の中に1組だけ日本人らしきご夫婦を見かけた。50代ぐらいだった。男性のほうが真剣に店を吟味している。たぶん旦那さんほうの趣味に奥様が付き合っていると見た(笑)。女性向けのアクセサリーを置いてる店も少しある。パッサージュが途切れるあたりで、古い写真を扱ってる店が…そこにはなんと、日本髪を結った少女の写真。昔の日本で撮った写真に彩色を施したもののよう。こりゃ、おもしろい!以前、明治時代の東京や箱根の街並み・道並みを撮った写真を見たことがある。大きな樹木の向こうに木造平屋の家屋が並び、土を踏み固めた道は清潔で、ごみ1つ落ちていない。道と家屋の間には小さな側溝があり、水が流れている。赤ん坊を背中に背負った和服の女性が歩いている。質素で、かつ秩序だった美しさにあふれた昔の日本の風景は衝撃的だった。ああいった昔の日本の写真がないかと思い、店に入ってみた。コンピュータの前に座っていたマドモアゼル(←ねーちゃんと呼ばないのがミソ)に挨拶する。こちらを見上げて、「ボンジュー」とにっこりした彼女は…超美人!ワンレングスに切りそろえたまっすぐな金髪が肩のあたりまでかかり、カールした長い睫毛に縁取られた瞳はエメラルドのような緑。ふっくらした頬やピンクの唇など、まるでルノワールの絵から抜け出てきたよう。「外に古い日本の写真があったけど、昔の日本の町を撮った写真はありませんか? たとえば100年ぐらい前の」英語で聞くと、「古い日本…」と言って立ち上がり、店の奥の棚のほうへ移動して、「このあたりに少し…」と探してくれる。とっても感じがよい。写真を見たが、町が映っているのはあまりない。それより、サムライの立ち姿とか、キモノの芸者ガールなどが主だ。パリでそういうものが売られているのを見るのは、十分に珍しいのだが、あいにく自分が買う気にはならず。店は地下に続く階段があって、そこから40がらみの準イケメンダンディが出てきた。マドモアゼルがダンディにフランス語で何か言って、ダンディが「コンピュータで検索すれば」みたいなことを指示したよう。それから、ダンディは店のドアを少し開けた。と思ったら、すぐに閉める。手を見ると、そこには鍵が…!「鍵を取り忘れちゃった」フランス語だったが、言ってる意味はわかった。店を開けて、鍵をさしたままにしてしまっていたよう。ゆ、ゆるい…!気づかずに入ってきたMizumizuもMizumizuだが…マドモアゼルはパソコンの前に座り、「東京?」と聞く。東京の街で検索するという意味だろう。「あるいは京都でも、奈良でも」と答えると、頷きながら文字入力をしている。今はこうやって在庫を管理しているのね。当たり前か。でも日本の古本屋ではあまり見ない行為のようでもある。いくつかヒットしたようで、また立ち上がって写真を出してきてくれた。古い京都のお寺の写真が数枚、それと現代東京のモダンな建築をクローズアップにしたようなアート写真。う~ん、これは日本でもありそうだ。「古い普通の町の写真が欲しいから」と断わると、「地下鉄の隣の駅にもう1つ私たちの店があるんだけど、今日は開いてなくて…」と申し訳なさそう。いえいえ、い~んです。そんなにどうしても欲しいってわけじゃないから。いつの間にかダンディは地下へまた姿を消している。うつくし~いマドモアゼルに別れを告げて店を出た。結局、ショッピングでの収穫はゼロだったけれど、とても感じのよいねーちゃんとマドモアゼルに会えて、なんとなくハッピーな気分なのだった。パリでは得がたい体験というべきか、いや、やはり観光客向けでない店はみなこのくらい普通に感じがよいのか。旅先の買い物は売り子との会話も思い出になる。スレた「雇われ」がメンドくさそ~に働いてる有名ブランドショップで、「売ってあげます」みたいな顔をされるより、こういうレアな店で宝探しするほうが、断然楽しい。
2009.03.13

時代というのは、ときに一般人の予想を超えたスピードで急激に変わる。人類史に残るような大きな出来事が起こったときでも、同時代に生きている人々はその意味をしばらくは理解できないでいることが多い。今の金融危機もそうだ。アメリカのサブプライムローンが問題視されはじめたのは、アメリカの不動産価格が下がり出した2006年の秋ぐらいだと記憶しているが、そのときはまだ、「アメリカ全体の経済規模に対してサブプライムローンの比率などわずかなもの。たいした問題にはならない」と専門家の多くは楽観的だった。だが、2008年10月のアメリカ株式市場の大暴落を受けて、一挙に悲観論が世界を覆いつくした。今は「100年に一度の経済危機」とまで言われ、この状態が1929年10月に起こり、結局は戦争でしか完全には解決できなかった大恐慌と同じなのか違うのか、誰も予想がつかないでいる。1939年、25歳だったジャン・マレーも、当時世界で起こりつつあったことをまったく理解できないでいた1人だ。その年の初めには、舞台『恐るべき親たち』の成功を受けて、映画のオファーが多く舞い込み、いよいよスクリーンにも本格的にデビューしようとしていたのがマレーの個人的状況。コクトーは『恐るべき親たち』の映画化を決め、セットを組んでカメラテストもしたのだが、ヒロインの配役をめぐって出資者とコクトー&マレーが対立し、映画化は流れてしまう(『恐るべき親たち』の映画化が実現するのは1948年)。プライベートでもアツアツだったコクトーとマレーは、「映画はまた作ればいいさ」とばかりにはさっさと諦めて、サントロペにバカンスに出かける。このときのバカンスが「私の人生で最上のもの」だったとマレーは自伝で回想している。そして1939年9月、第二次世界大戦勃発。サントロペで開戦を知ったマレーは、パリへ戻ると自分がすでに動員されていたことを知る。それでも若いマレーはまだ、何が起こったのか、起こりつつあるのか理解できない。「私には現実が少しも信じられなかった。戦争が起こったとは考えられなかった。そんなことは大ぼら吹きのだまし文句だと思ったのだ」(ジャン・マレー自伝より)。マレーは「1週間で帰れる」つもりで出征する。「この戦争が理解できなかったし、ましてや受け入れられなかった」(ジャン・マレー自伝)もちろん戦争が1週間で終わるわけはなかった。マレーが動員解除になるのは戦争勃発からほぼ1年後。だが、出征中もマレーの頭にあるのは、コクトーに何とかして会いたいということと、次に上演を企画している芝居の役のことだった。マレーは駐屯地からしょっちゅう姿をくらまし、パリへ舞い戻ってコクトーと密会していた(それでいいのか? おフランスの兵隊)。コクトーのほうも戦場のマレーに、「2週間も君に会えないなんて耐えられない(オイオイ、相手は出征中だよ)。なんとか近くまで行くから」と手紙を送っている。マレーの出征が長引くにつれ、生活に窮したコクトーは、マドレーヌ広場の広いアパルトマンを出て、モンパンシエ通りの小さなアパルトマンを借りた。コクトーが戦場のマレーにあてた手紙には、「ぼくはいま、ささやかなアパルトマンのペンキ塗りに懸命です。君がいつも話しているあの年月、ぼくたちの出会いにふさわしいものになってほしいあの未来のために、エデンの園を用意しておきたいのです」(『ジャン・コクトー ジャン・マレーへの手紙』三好郁朗訳 東京創元社)とある。その2人の「エデンの園」がココ。門の左にはこんなプレートがある。実際にマレーが動員解除となり、パリへ戻ってきて、コクトーと一緒にここに住むのが1940年の9月。マレーは1948年にこのアパルトマンを出るが、コクトーは死ぬまでここをパリの生活拠点とした。もともとは裕福な家庭に育ったコクトーだったが、当時の経済状況は最悪で、マレーが動員解除になるころにはスカンピンになっている。Mizumizuが特に気に入ってるのは、このころ、つまり1940年7月にコクトーがマレーに送った手紙の一節。「確かにぼくたちは破産です。やむをえません。また取り戻しましょう」せっかく芝居が大ヒットしたと思ったら、戦争が始まり、パリはドイツに占領された。そして、2人は一文無しに。それでも、「また取り戻しましょう」というのが、ふるっていてイイ。マレーのほうも破産でクヨクヨしているふうでもない。パリでコクトーが用意してくれた「エデンの園」を見たマレーの印象。「モンパンシエ通りのアパートは中二階にあり、ビーバーと呼ばれる半円形の窓がついていた」「このアパートはすぐさま、私がこの世でいちばん好きな場所となった」(ジャン・マレー自伝より)アパルトマンは、パレロワイヤル庭園を囲む回廊と、モンパンシエ通りに挟まれた建物で、地下鉄利用だと「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル」からもすぐ。ルーブル美術館と逆方向に行くだけ。パレロワイヤル庭園を囲む回廊は日本人はあまり来ないが、フランス人観光客の姿はよく見る。この回廊は時代に取り残されたような雰囲気があり、骨董品とか、ずいぶんと流行遅れのドレスとか、えらく高い革の手袋(たぶんパリの職人の手作りで、モノはすごくいいんだろうけど)とかを飾ったショーウィンドウが並んでいる。誰がいまさら買うんだろう? 回廊の北側にあるのは、ミシュランの星つき高級レストラン「ル・グラン・ヴェフール」。とっても入りにくい雰囲気だ。ミシュランの星が今いくつなのか知らないのだが、ミシュランはミシュラン、盲目的に信仰するほどのものではない。フランスでも日本でも、一部の人間がミシュランの星の数で騒ぎすぎている。このレストランのために、コクトーはオリジナルの絵皿をデザインしている。コクトーのレストランとも言われているが、実際には、ここの料理は少し凝りすぎているとコクトーは思っていたらしい。キャロル・ヴェズヴェレールによれば、コクトーが病気になったとき、ヴェフールのシェフが、何か作って持っていきましょうと申し出た。体調どん底のコクトーが、「目玉焼きが食べたい」と言ったところ、有名シェフは戸惑って、「目玉焼きですか! 私もいつか目焼きが作れるようになりたいと思ってはいるんですよ」と答えたという。最晩年に出版した『私のジャン・コクトー』の中で、マレーはモンパンシエの2人の愛の巣を次のように述懐している。「アパルトマンは、庭園の地面の照り返しで間接照明されている地下室のような感じだった。目を覚ますとすぐ、私たちは電灯をつけなければならなかった」「モンパンシエ通り36番地の小さなスペースを、私たちは『恐るべき親たち』の中でと同じように、家馬車と呼んでいた。ある魅力が私たちと一緒に棲んでいた」(『ジャン・マレー 私のジャン・コクトー』岩崎力訳 東京創元社)マレーは同書で、このアパルトマンへ帰っていくとき、「禁断の町へ入っていくような気がした」と書いているが、今もその雰囲気が強く残るのは、リシュリュー通りからモンパンシエ通りの北の端へ抜ける小さなパッサージュ。アーチの上でかしいだ、鉄製のランタンの表情がいい。モンパンシエ通りのほうが、賑やかなリシュリュー通りより低い場所にある。小さなパッサージュは狭く暗く、そしてとても短い。知らなければ見逃してしまいそうなひっそりとした抜け道だ。ここを通って階段を降りていくと、湿った日当たりの悪い、そして静かなモンパンシエ通りの看板が見える。現実には、細い抜け道から裏通りに出るだけなのだが、騒から静へ、陽から陰へ、その鮮やかな変化は、まさに「禁断の町」へ立ち入っていくかのよう。たまたまここで、カメラをもった高校生ぐらいの一群に会った。日本風にいえば修学旅行生といったところ。彼らは屈託なく、禁断の町への階段を駆け抜け、パレロワイヤル庭園のほうへ走っていった。モンパンシエ通りは「閉ざされた通り」で、パレロワイヤル庭園の周囲を廻るだけで、他に行き場がない。リシュリュー通りは開かれた通りで、サン・トノレ通りからモンマルトル大通り(地下鉄リシュリュー・ドルーオ駅東)まで長々と続いている。パレロワイヤル庭園からリシュリュー通りに出れば、観光客に人気のギャルリー・ヴィヴィエンヌもすぐ。ここはパリでもっとも美しいと言われるギャルリー(ショッピングアーケード)で、これまた有名なサロン・ド・テ、ア・プリオリ・テでちょっと休むのもいい。ギャルリー・ヴィヴィエンヌの紹介は、こちらのブログがとてもよく書けている。http://salut.at.webry.info/200706/article_1.html地図もついていてわかりやすいです。
2009.03.12

1938年4月、ジャン・コクトー作、ジャン・マレー主演の舞台『恐るべき親たち』がパリでセンセーショナルな成功をおさめると、コクトーとマレーは同棲生活に入る。2人が初めて一緒に住んだのはパリの一等地、マドレーヌ広場にあるアパルトマンだった。「ジャン・コクトーと私の2人は、マドレーヌ広場19番地に住んでいた。それまでの数年間というもの、ジャンの住居はこの広場の周囲を廻っていた。まるで魔法使いの杖で示された、一定の神秘の場所を探求するかのように。そこは『ポトマックの最期』にある謎のアパートだった。私はその場所での彼が幸福だと考えていた。私は完全に幸福だった」(ジャン・マレー自伝『美しき野獣』 石沢秀ニ訳 新潮社)その「神秘の場所」がココ。お高いウマイモノ店の並ぶマドレーヌ寺院の西側、ブランドショップの立ち並ぶフォーブル・サントノレ通りにも近く、今でも観光客が行き交う場所だ。1階にはソニーの店が入っている。ポータルをはさんで左側の店は高級トリュフを扱う店「メゾン・ドゥ・ラ・トリュフ」。軽やかで繊細なレリーフに縁取られた門構えのアパルトマンは、見るからに家賃高そう(苦笑)。写真を撮ろうとカメラを出したら、住人らしき人が入っていった。戦争が始まるまでの短い間、ここでコクトーはマレーのために詩を書き、マレーはコクトーをモデルに絵を描いて、熱い蜜月時代を過ごしている。だが、広いサロン、書斎、ダイニング、コクトーとマレーそれぞれの部屋をそなえた贅沢なアパルトマンは、当時の2人の経済力を超えていた。戦争が始まると、まもなくコクトーは家賃を滞納するようになり、結局はモンパンシエ通りのパレ・ロワイヤル庭園に面した、もっと小さなアパルトマンに2人の居を移している。ドイツ軍による占領を経て、ジャン・マレーは『悲恋(永劫回帰)』『美女と野獣』でフランスを代表する美男スターとして一世を風靡する。コクトーとマレーがマドレーヌ広場で暮らしたのはその前の、わずか1年半にすぎないが、2人のプライベートな関係でいえば、一番幸福な時間だったかもしれない。マドレーヌ広場のウマイモノ店の代表格といえば、今も昔も、やはりエディアール。場所は、旧コクトー&マレーのアパルトマンの隣。入り口に、日本でよく見る「傘ぽん」があると思ったら…まぎれもない「傘ぽん」でした。思いっきり日本語!KASAPONとローマ字表記もあるけど、日本人以外には意味不明だよねぇ。その隣には、ワインショップのチェーン店、ニコラ。ニコラのドアには、これまた見慣れた「クロネコヤマト」のシールが…クラクラ… ここはどこなんだ?エディアールでも、ガレットを買ってみた。13.4ユーロと値段は高め。ガレットとパレットが入っている。パレットはガレットを厚くしたようなお菓子。個人的にはパレットは好みではないので、ガレットだけのものが欲しかったのだが、カンの箱入りはすべてガレットとパレットの組み合わせだった。ガレットは「サクサク系」と「しっとり系」があるが、エディアールは「サクサク」系。もちろん好き好きだが、ブランド名と値段のわりには味は平凡だと思う。ラ・メール・プーラールその他のブランドのほうが好き。しかも、エディアールのこのカンの箱入りガレット&パレット、空港の免税店で山積みになっていた(がっくり!)。空港では13ユーロだったか14ユーロだったか、値段はハッキリ憶えていないが、街中と免税店の違いはどちらにしろ1ユーロぐらい。この手のお菓子、免税店のほうが必ず安いということもないのだが、持ち運びの手間を考えたら、エディアールのガレット&パレットに関しては、街中でわざわざ買ったのは、完全に失敗だった。エディアールでは素直に、果物の砂糖漬けなど買ったほうがよいかもしれない。
2009.03.11

モンマルトルも独特の匂いのようなもののある街で魅力的なのだが、モンパルナスも別の意味で個性的な匂いのする街だ。モンパルナスが好きな最大の理由は、グローバル化された観光の街になっていないこと。モンマルトルのテルトル広場で観光客相手に似顔絵を描いているのは画家の卵ではなく、単なるアルバイトだ。芸術家の街・モンマルトルはもはやほとんど過去の記憶にすぎないが、モンパルナスには、まだローカルな芸術の匂いがある。それをもっとも強く感じさせてくれるのが、ゲテ(Gaite')通り。日が暮れて通りに灯りがともるころ、ゲテ通りはとりわけ猥雑で寛容な雰囲気に満たされる。この通りには、それこそ「芝居小屋」と呼ぶのがふさわしいような小さな劇場が散在している。たいてい夜7時とか9時とかに公演が始まる。仕事を終えたパリジャンが観に来るのに都合のいい時間帯だ。そんな劇場群の中の1つ。これは小屋の中ではなく、入り口のデコレーション。およそ洗練とは程遠いが、手作り感あふれる、布を垂らしたバルコニーは何かもの言いたげ。出し物はそれこそさまざまで、地元民は案外気軽に、こういうところでやっている芝居を観に来るのだ。パリの劇場文化もだいぶ廃れたとは言うが、それでもこうやって一般人が芝居に夢をかける人々を支えている。コメディ・フランセーズやオペラ・ガルニエだけがパリの劇場ではない。こうした小劇場で評判をとって、全国的・国際的になっていった舞台人も少なくない。もちろん、足を突っ込んでみたものの、そこが自分の生きる場所ではないと知って去っていった人はもっと多いだろう。客として舞台を観に来た若者が、舞台に立つ立場になったり、逆にかつて舞台に立っていた若者が、客になって戻ってきたりすることもあるかもしれない。まさにフランソワ・トリュフォーの『終電車』の世界。ゲテ通りにはそうした、ちょっとしたドラマがあふれている。そして、夢と挫折が確かに交錯する場所でありながら、決して深刻ではなく、どこまでも気楽で、いつまでたっても垢抜けないところがいい。観光客の姿は少ない。日本でいうと、浅草のエンターテイメントエリアと下北沢をあわせたような雰囲気の場所。ここはラ・ゲテ・モンパルナス劇場。シャンゼリゼ・クレマンソから水色の13番線に乗り換えて6つ目がゲテ(Gaite')駅。雰囲気がガラリと変わるのがおもしろい。ゲテ(Gaite')駅とモンパルナス・ビアンベニュ駅は歩いてもすぐ。モンパルナス駅ほど混まないので、モンパルナスに来るなら、ゲテ駅利用のほうがいいかもしれない。ゲテ駅からエドガー・キネ大通りに出て左折し、モンパルナスタワーのほうに歩くと、でっかいモノプリ(ショッピングセンター)がある。シャンゼリゼにもモノプリはあるのだが、あちらは規模が小さすぎ。Mizumizuはよくモンパルナスのモノプリでガレットなどちょっとした土産を買っていく。こちらはモンサンミッシェルのラ・メール・プーラールのチョコチップ入りクッキー。もっと薄いガレットタイプもあり、本当はそっちが欲しかったのだが、あいにく見つからなかった。ラ・メール・プーラールのガレット自体は東京では比較的簡単に入手できるが、チョコ入りのは案外ない。ラ・メール・プーラールは個人的にはかなり好きなほうのブランド。フランスのガレットはブランドによってちょっとずつ食感や味(主にバターの風味の強弱)が違い、だいたいどれもおいしい。つーか、日本のクッキーはなんであんなにも、油っぽくてマズいのだろう。さて、このクッキー、モンパルナスのモノプリの地下1階で見つけたのだが、上のほうの棚に置かれていて、Mizumizuの背では手を伸ばしても届きそうにない。モチロン、こういうときには、ちゃんと「神の使い」(ただの通行人)が現れるのがMizumizuの人生。ちょうどすぐ横に、じっと品物を凝視している東洋人の男性が立っていた。一瞬で日本人だと判断する。とても上品で大人しげな雰囲気。なので、迷わず日本語で、「すいませ~ん、上のこれ(と、ラ・メール・プーラールのチョコチップ入りクッキーを指さして)とっていただけますか?」と聞いてみた。「あ、いいですよ」案の定、ネイティブな日本語が返ってきた。「いくつ?」「2つ、あ、3つお願いします」と、どんどん頼むMizumizu。あとから考えれば、日持ちもするし、日本で買うと高いのでもっと買えばよかったのだが、このときは「がさばるかも」と思って3つに留めた。というワケで、フランスのちょっとしたお土産だったら、ガレットをどうぞ。といっても、空港でもたくさん売られているから無理に街中で買う必要はないかもしれない。ただ、ラ・メール・プーラールのチョコチップ入りガレットは空港でも見なかった。エドガー・キネ通りをはさんで、モノプリの向かいには、超有名ビストロ La Cerisaie(住所:70 B. Edgar Quinet, 電話:01-43-20-9898、土日は休み)がある。シャンテーニュ(栗)のポタージュやサレルス牛のポワレなどが有名。夕方の6時半ぐらいからの営業のよう。ここで食べたいと思っていたのだが、体調が悪く、とてもとても重い食事は取れない状態だったので、レポはないです(苦笑)。かわりに、こちらのサイトなど、どうぞ。http://www.french-code.com/table_lacerisaie.htmlしかし、「洗練された」温かみというのは、個人的にはどうかと…クロスがリネンなら洗練といえるかもしれないが、ただの白いコットンじゃ、まったくもって普通でしょ。そもそも実際の店は、リネンのクロスを使うような店ではない。テーブルとテーブルの間もめちゃくちゃ狭いし、夕方になってともる緑の電飾のダサい看板を見ても、どちらかというとやはりお値段お手ごろで、そのわりにはとても味のよい(あくまで評判では)、庶民の店だと思う。人気店なので、必ず予約を。そして、もう1つおススメなのが、エドガー・キネ通りをモンパルナスタワーのほうへ進み、De'part通りを左折(モンパルナス駅方面)した角にある、パン屋Boulanger Maison Champinここのクロワッサンは劇ウマです。クロワッサンなのに、なぜこんなに複雑な味にできるのだろうと、一口噛んで感動できること請け合い。シャンゼリゼではパン屋というと、Paulが幅をきかせているけれど、Paulで買うなら地下鉄にちょっと乗ってこっちに来たほうがいいんじゃないかと思うくらい。ただ、パリのパン屋は、東京の有名パン屋に比べると品揃えが少ない。日本でポピュラーな「チーズがけ」パンの類はほとんどなく、プレーンなパン以外だと、チョコやらクリームやらの入った甘ったるそうなものばかり。パリから東京に戻って、銀座の三越でJohan Parisに入って、あまりの種類の多さと活気に仰天しちゃったもんね。人気のパンは、焼き上がり時間を目指して行列までできていた。パリの活気は観光客に頼ってる部分が多いが、東京の活気は自国民が作り出している。そこが違う。
2009.03.10

ラデュレのマカロンの値段には、知らない方なら驚いたと思うが、値段だけだとラデュレ以上の設定にしてるマカロンがある。それは、パリのスイーツの「帝王」ピエール・エルメ。ここのマカロンは、240円とか280円といった価格設定で、明らかに意図的にラデュレより少し格上にしてる。そのぶん、「1個で2度おいしい」2色マカロンなど、ラデュレにはない工夫もある。でも、一番大事なのは、味。ラデュレよりふんわり柔らかく、そのかわり歯ごたえは後退する。ボリュームもラデュレよりある。ただ、中に仕込んだジャムがちょっと強すぎたり、フレーバーが少々人工的だったりという印象もあり、もちろん好き好きだが、個人的にはラデュレのほうが断然おいしいと思う。日本のラデュレは輸入だが、日本のエルメは日本でのライセンス生産。そのせいか、ピエール・エルメはやたらあちこちに出店している。こういうことすると、ほとんどダメ。希少性がなくなるし、日持ちもせず手間のかかる生ケーキより、賞味期限の長いチョコレートだのクッキーだの大量生産できるものを置き始めて、質自体が低下する。パンのメゾン・カイザーもそうだ。最初は北海道の洞爺湖にあるザ・ウィンザーホテル洞爺以外だと、東京では白金とか田園調布にしかなかった。それがデパートに出店しはじめて、最初のころの飛び切りの上質感を失ったように思う。値段だけパリの帝王エルメと同レベルにしても売れるほど、東京の消費者は甘くはない。ラデュレには出来る行列は、エルメのマカロンにはできない。いや、むしろ「売れてるの?」と心配になるくらい。ラデュレも今は銀座だけだが、そのうち新宿にもでき、渋谷にもできて、そのころには移り気な日本人には飽きられてるかもしれない。
2009.03.09

パリで泊まったホテルがランカスター。シャンゼリゼ大通をはさんで、ほぼお向かいに有名なラデュレ・シャンゼリゼ店があった。むちゃくちゃご近所なので、行く前は「パリに言ったらラデュレでブランチしたり、マカロン買ったりしようっと」と思っていた。だが、実際に行ったら、朝食のヘビーな卵料理でお腹が超いっぱいになり、昼になっても夕方になってもほとんど何も食べられなくなってしまった。甘いマカロンなんて、店先で見ただけで「うっ」となる。それにラデュレは一応銀座の三越にもあるし、なんとなくラデュレ店内に入る元気が出ないまま滞在最終日になってしまった。やはり、まだスイーツを食べる気分にはなれなかったが、銀座三越にあるラデュレのマカロンと、パリのラデュレのマカロンがどのくらい違うもんか試してみたい。なので、最終日の朝買って、日本まで持って帰って食してみた。結論:いやぁ、本当に、最高です。パリのラデュレのマカロン。さっくりした外側の食感に対して、なかはしっとり+ふんわり。マカロンで感動したことはほとんどないが、ラデュレは例外といってもいい。香りも自然かつ上品で、うっとりさせてくれる。味もなかなか複雑で、舌のうえで幾重にもハーモニーが展開していく仕掛け。ここまでいったら、「スイーツの芸術品」の太鼓判を押しましょう。で、銀座三越のラデュレと比べるとどうだろう?さっそく行きましたよ、銀座に。パリのマカロンの味が頭の中から消えないうちに。結論:パリのマカロンの記憶が残っている間に食べると、やっぱりちょっと違う。フレーバーが少し弱く、味も若干抜けてしまっている感じがある。それと、不思議なことに日本のマカロンのほうが「早く乾いてしまいやすい」。日持ちは3日ということたが、夜を越すならラップしておいたほうがいい。うっかりそのまま冷蔵庫で保存すると、パサパサになってしまう。でも、それは無理に比べればの話であって、やはり銀座三越のラデュレのマカロンも今日本で売られているマカロンの中では、間違いなくエベレストの頂上にのっかってるスイーツだと思う。銀座三越は、ラデュレのマカロン人気(週末の午後は行列が出来ている。もし週末に行くなら、開店直後の10時ぐらいに行けば、それほど並ばずに買える)にあやかろうとしているのか、地下のスイーツ売り場ではやたらとマカロンが売られているが、ラデュレ以外はさっぱり売れていない。ラデュレだけがひとり勝ち状態で、それこそ、文字通り「飛ぶように」売れている。モナコ公国で作ったものを船便でもってきてるそう。ということは、冷凍してるってことだよね。パリのラデュレのマカロンは税込みで1個160円ぐらい。銀座三越では1個231円(値段もエベレスト級だよね。1個ですよ、この値段)。それでも、バカ売れ。「金融危機」だの「戦後最大の不況」だのは、ここにはないです、ハイ。マカロンは壊れやすいので地方発送は不可。もしまだ不幸にも、ラデュレのマカロンを食したことのないアナタ、銀座に来たら、三越2Fのラデュレのマカロン、ぜひともお試しあれ。
2009.03.08

今回のパリで、もっとも楽しみにしていたのは、オランジュリー美術館の見学だった。6年かけて大改築された美術館が再オープンしたのは、2006年5月。その詳細については、以下のサイトを読んでもらうとして…http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0605/special02.htmlオランジュリー美術館へ個人で行くには、地下鉄のコンコルド駅で降りる。表示にしたがって出口をのぼると、チュイルリー公園の端に出るはず。地上に出ると案内表示がなくなってしまうので戸惑うが、要は公園内に入って右(セーヌ河方向)のスロープをのぼっていけばすぐ。期待していったオランジュリーだったのだが、そもそもコレクション自体がルノワールやモネといった、すでに何度も見ている巨匠の作品ばかりのせいか、案外感動がなかった。コレクションの内容については最初からわかっていることで、それで「感動しなかった」などというのも変な話なのだが、これはあくまで個人的嗜好だろうけど、「わかっていて見に行って」も、期待以上の感銘を受けることがあるのが巨匠の絵画作品なのだ。ピカソやゴッホ、ルドンやドガといった画家からは、こうした感動をもらったことがある。すでに図録で見ていた作品でも、原物を目の当たりにすると、芸術家のエネルギーや情念が伝わってきて、思わず立ちすくむことがある。色づかいやちょっとした筆のタッチに目が釘付けになることがある。どうも、セザンヌ、ルノワール、モネといったオランジュリーの中心画家とは、個人的に波長が合わないようだ。単純な話、観賞者の好みの問題なので、たとえ歴史的・世間的に非常に評価されている芸術家の作品であっても、自分が気に入れらなければダメ、それが芸術作品というものだろう。ただ、この美術館、建築作品として考えると、かなりのものだと思う。駅舎を利用したオルセー美術館は酷いが、あちらに比べれば、数段いい。オルセーは最悪だと思っている。まず、あの無駄な中央の吹き抜けの大空間。主役であるはずのコレクションが脇の回廊に追いやられ、しかも、著名な作家の作品が上のほうにあって(今は違うかもしれない)、非常に探しにくい。脚の悪い老紳士が、今にも倒れそうになりながら歩いているのを見たが、疲れても休めるところが少なく、見学者には非常に不親切だ。知ってる人間は水のボトルなどもちこんで飲んでいたが(今はセキュリティが厳しくてダメかもしれないが未確認)、カフェスペースも一番上のほうにあるだけで、行きにくく、いつも混んでいる。トイレ表示にしたがって階段をおりはじめたらえらく遠く、2階分くだるハメになった(ふつうは下から見始めるので、また戻ることになった)、なんてこともあった。オルセーでは(ルーブルもそうだが)観賞したい作品に優先順位をつけて、絞って行かないと、お目当ての作品にたどり着く前に遭難してしまう(ことはない、いくらなんでも)。改装されたオランジュリーはそんなことはない。規模がそれほど大きくないせいもあるが、観賞しやすいし、現代美術館建築としては、最高峰といっていいほど、さまざまな工夫がなされている。なんといっても、自然光の取り入れ方がいい。ご覧のようにモダンなコンクリート打ちっぱなしの壁に作品がかかり、高い天井から外の光がロールカーテン越しにやわらかく落ちてくるように計算されている。「アトリエから外に出た」印象派の画家の作品を鑑賞するのには、これ以上ない環境。ルノワールの裸婦の肌が際立ってつややかに見えた。そして、なんといっても圧巻なのが、「モネの睡蓮」との出会い。睡蓮の間に続く廊下を通り、壁を半円形にくりぬいた狭めのエントランスをくぐると、突然楕円形の大空間に出る。そこには丸みを帯びた壁にぴったりはめ込まれるかたちで、モネの睡蓮の連作だけが飾られている。モネの睡蓮のためだけに、これだけの大仰なスペースを用意したのかと、むしろそっちに驚く(邪道?)。中央の高い天井からは、やはり間接的に外の陽光が採り入れられるようになっているが、とはいっても、ちょい部屋が大きすぎて、開放感を味わうのは入ってきた一瞬だけで、あとはむしろ単にだだっ広いという印象になる。真ん中に椅子があり(でも、かたくて座りにくいのよね)、ゆっくりとモネ作品を観賞できるようになっている(でも、そんなに長居してるヒトはいなかったな)。しかし、肝心のモネの『睡蓮』が、ねえ… 全体的にくすんで見えたのは、冬で天気が悪かったせいもあるのだろうか。作品が大きすぎて、筆のタッチも思った以上に粗さが目立つ。「近くで見るとそれぞれ違った色のタッチが、遠くから見ると混ざり合って自然に見えるのがモネの魅力」と昔聞いた講釈を思い出し、そういう部分を探してみたのだが…よ~わからん。こんなものでしたっけ? モネの睡蓮って。もっとにおい立つような水面のさざめきとか、浮き立つような睡蓮の幻想的なタッチを期待していったのだが、期待が大きすぎたのかもしれない。「デカイだけじゃん。案外雑だしさ」と、勝手にガッカリして立ち去ったのだった。美術館自体がモダンな建築作品として興味深いといっても、ガラスと石とコンクリートを使い、外光をなるたけふんだんに取り入れようというコンセプトの建築なら日本にもあるし、モネの睡蓮はどうも宣伝勝ちのような気がしてならない。「傑作だ、傑作だ」とさかんに言われるから傑作になってる作品――個人的に好みでないと、結局そういう結論になってしまう。すいませんねぇ、印象派の巨匠さま。
2009.03.07

日本では、映画『アメリ』で有名になったモンマルトルの古い映画館Studio 28ジャン・コクトーが外装・内装をデザインした、という話がネットでは出回っているのだが、実際にどう関わったのか、ちゃんとしたウラが取れない。Studio 28のHPを見ても、ジャン・コクトーが(映画館内の)サロンの名付け親の1人になったということしか書いていない。でも、今はジャン・コクトーゆかりの映画館としてより、アメリが、「暗くなってから周りの人の顔を見るのが好き」と言ったシーンで使われた場所として有名かもしれない。この台詞、偶然かもしれないが、ジャン・マレーの自伝に似た話が出てくる。少年時代、映画大好きだったマレーを、当時マレーの母親と付き合っていたジャックという男性が映画館に連れて行った。映画が始まると、ジャックは画面を見ず、「君の顔を見てると話の展開がわかるから」と言ってマレーの顔ばかり見ていたという(実はこのとき、彼は美少年のマレーにムラムラしていたのだ)。さて、そんなStudio 28だが、行き方は簡単。Abbesses(アベス)駅を出て、メトロの入り口を背にする。正面の大きな通りがAbbesses通り。ここを右方向に直進。右側の4つ目の道(Tholoze通り)を右に折れて、坂をほんの少しのぼった右側(住所としては10 Rue Tholoze)。地下鉄駅からも徒歩で5分ほど。ただし、午後3時にならないと開かない(上の写真のような状態)。本当に小さい映画館なので、閉まっているとうっかり通り過ぎること間違いなし(?)。ミニシアターによくある、1日に数本の違った映画を上演するスタイルになっている。夕方映画館が開いてから立ち寄ってみたら、フランス語で「アクセス・フリー」と書いてある看板が出ている。ということは、入るだけなら無料ってことだよね?しかし、映画館にタダで入っていいのか? チケット売り場には太った白髪のおばさんが座っている。勝手に入るのは失礼だよね?礼儀正しい日本人のMizumizuは、窓口のおばさんに、できるだけ丁寧に、「入ってもよろしいですか?」と聞いてみた。すると!ずり下げた細いメガネの上から、こっちをうさんくさそうに一瞥したおばさん、「はぁ~ん?」かなんか言って、両手を広げ(←わかりません、のポーズね)、そのまま、プイッと横を向いて、知らんプリしたのだ!おおっ!Mizumizuの胸にふいに懐かしさがこみあげてきて、思わずこのオババを抱きしめたくなった。なぜかって?だって、昔おフランスの窓口には、こういうオババがいっぱいいたのだ。彼女たちは皆・・・どデブで、老眼鏡をかけていて、英語がまったく理解できず、どうしたら、ここまで感じ悪くなれるの? ってくらい不親切だったのだ。そして、おつりをごまかしたり、ワケのわからないフランス語(←観光客にとっては)をまくしたてたりして、観光国フランスのイメージ低下に大いに貢献してくれていた。ところが、だんだんこの手のオババは窓口から駆逐され、現在のフランスでは絶滅状態。いつの間にか、窓口には英語を普通に話す若いねーちゃんたちが座り、スピーディに感じよく仕事をこなしてくれている。それはそれでいいことなのかもしれないが、「世界中どこに行っても同じな人たち」ばかりになってしまったことに、なぜか一抹の寂しさを感じていた。絶滅したと思った、「英語がまったく、一言も理解できないおばさん。しかも、超不親切」を久々に窓口で見て、ノスタルジーに浸ったMizumizu…とはいっても、どうすりゃいいんだ?相手は、まったく聞く耳もたずの雰囲気ありあり。横を向いて完全無視を決め込んでいる。よくそこまでの態度がとれるよね、まったく。困惑してる外国人旅行者の気持ちを察してあげようとか、そういう「人としての優しさ」は、カケラもないのかね。よく日本に来たガイジンが、一般人の親切さ(しかも見返りは何も期待しない)に驚くが、さもありなん。すると!まるで映画のワンシーンみたいに、30歳ぐらいのきちんとした身なりの準イケメン男性がやってきた。窓口で、「チケット1枚」かなんか、オババに言っているではないか。やった! 神からの使者ね、彼は。さっそく「すいません。英語話せますか?」と話しかけるMizumizu。準イケメン君は、「イエス」と答えてきた。そこでMizumizu、丁寧な英語で、「このデブババアにladyに、中に入ってもいいかどうか聞いていただけますか?」と聞いてみた。すると、準イケメン君、「入るだけなら無料です。尋ねる必要はありませんよ」と、ちゃんとした英語で答えてきた。さらに、親切にも、「一緒に行きましょう。もうじき映画が終わるから、その間に中も見たらいいですよ」とエスコートしてくれ、中にあるカフェにいたお姉さん(実はあとから、チケットもぎり係に変身)に、かくかくしかじかと事情を話してくれるではないか!カフェのお姉さんも、快く、「いいわよ!」と了解してくれ、日本人だと言うと、「コンニチハ!」と日本語で明るく挨拶してくれる。なんて、親切な準イケメン君。1人で映画を見に来てるってことは、映画オタクですか? なんとなく、そんな感じでもある。次の映画が始まるまで、カフェに座って彼とおしゃべりした。エスプレッソは2ユーロ。しかも…相当うまい! パリというと、高級レストランと高級ホテルでないと、まともなエスプレッソが飲めないと思い込んでいたMizumizu。失礼しました。要するに、観光客が行きそうな場所にあるカフェのエスプレッソがまずいということね(最悪は、シャンゼリゼのカフェ・ジョルジュV)。しかし、観光客御用達のカフェも、もっとなんとかすべきでは? いくらほっといても世界中から人が来るとはいってもサ「なんの映画を見に来たの?」「ダニエルとルイーズ」はあ… 知りません、もちろん。CHEの看板もあったから、チェ・ゲバラ目当てかと思いきや、どうやらお国の恋愛映画を見に来たようネ。「誰が出てるの?」「えっと…」とまどう準イケメン君。はあ? 出てる役者も知らんと見に来たと?「あまり有名じゃない役者だよ。ええと…」そのまま、ぷっ~と軽く息を吐き出し、「忘れた」のジェスチャー。「監督は?」「えっと…」またも口ごもる準イケメン君。はあ? 監督も知らんと見に来たと?よ、よくわからない、パリの映画青年。「君は? 何でこの映画館に来たの?」「この映画館は、『アメリ』で有名だから」ふ~ん、といぶかしそうに頷く準イケメン君。こ、この表情…明らかに「アメリ」が通じてない!発音が悪かったのか? もはや『アメリ』は古いのか? あるいは男性にはもともとウケない映画だったのか??そうこうしてるうちに、前の映画が終わったらしく、ドアが開いた。ゾロゾロと観客が出てくる、出てくる。しかも…!全員白髪の、推定平均年齢80歳… なんて見積もってはいくらなんでも失礼かもしれないが、とにかく、杖をついたり、夫婦で支えあって歩いたりしている超シニア世代だ。あとからあとから出てくる。モンマルトルにはこんなに映画好きのシニアがいるのか? 数の多さにアゼンとするMizumizuに、「彼らは、ジャン・ポール・ベルモントの映画を見に来たんだよ」と、準イケメン君。そういえば、パリのあちこちの街角に、ジャン・ポール・ベルモントの顔のある映画のポスターがはってあった。直訳すると『男とその犬』というタイトルの新作らしい。ジャン・ポール・ベルモントって、日本ではもう忘れ去られているような? でもフランスではシニア世代にまだまだ絶大な人気のよう。そもそも日本でこの世代が大挙して押しかけるような映画や映画館は皆無だと思う。ううん… 日本映画産業は息を吹き返したと言われてはいるが、シニア世代が喜んで見に行くような映画は作られていないのでは? ハナっから、年寄りは映画を見ないと思い込んでいるフシもある。これから若者が減って年寄りが増えるのだから、「年をとっても映画館に行きたくなるような作品」をもっと作るべきなのかもしれない。日本で公開されたものだと、『列車の男』なんかは非常によかった。あれならシニア世代の観賞にも耐えるだろう。そういえば、ああいう映画は、日本にはないなぁ。日本は何もかもが、若者向けになりすぎている。準イケメン君の案内で、シアタールームも見させてもらった。感想は…とてもオシャレで素晴らしいシアタールームだった!客席と緞帳は赤、壁は紫。大胆なシャンデリアが特に目を惹く。植物のツルのように細くスルリとのびたシャンデリアの腕の先に、不気味さギリギリで上品さを保っているキノコのデザインの傘がついている。赤と紫――日本でこの手の色を使ったら、ほとんど必ず下品になってしまう。そこはさすがに、おフランス。この色調の部屋の壁に、ハッと胸をつかれるような奇抜なデザインの、大きなシャンデリアにあしらいながら、全体としてはそこはかとないエレガンスが漂ってくる。このシャンデリアもコクトーのデザインだという話もあるが、ウラが取れず、真相は不明。個人的な印象では、コクトーが原案を描いた、あるいはアイディアを出した可能性はあるにしても、純粋なコクトーデザインとは違う気がした。もうちょっとイマ風だ。いい映画館だなぁ。言葉のわかる作品が上演されていたら、見たかったのだが。さて、映画館内のカフェの窓の外には、なんとなんとこんなモノが…フランス映画がもっとも輝いていた時代のスターが一堂に会している。中央に『美女と野獣』のジャン・マレー。シャンプーハットを首に巻いた(ちがうと思う)、大仰なカッコの流し目君が彼。そして、向って左には、フランス映画二代目美男スター、ジェラール・フィリップがどど~んと立っている。三代目ドロンは、本国での評判を反映してか、案外小さめ。フランス映画最高傑作の呼び声も高い『天井桟敷の人々』から、ジャン・ルイ・バローも白塗りのピエロ顔でお出ましになっている。Mizumizuが写真を撮っていたら、娘と一緒に来たらしい老婦人が、「これが誰々で、これが誰々で…」と懐かしそうな声で名前をあげながら、じっと立ち尽くして見入っていた。廊下には、ジャン・マレー最晩年の写真が2枚も飾られていた。足型をもって微笑むジャン・マレー。スターの足型は映画館のどこかにあるらしいのだが、今回見逃しました。友人と一緒のマレー(一番右)。なぜか、この映画館でも完全に特別扱いのマレー。晩年は近所に住んでいたジャン・マレー。コクトーゆかりのこの映画館に、観客としても来ていたのかもしれない。
2009.03.06

サクレクールに行くなら、地下鉄のAnvers(アンヴェール)駅で降りてケーブルカーで行くのが便利だが、モンマルトルの丘からのパリの眺めと…サクレクール寺院を見学したあと余力があれば、サクレクールの西のエリアを散策するといい。昨年命名された「ジャン・マレー広場」はサクレクールのすぐ西にあるサンピエール教会と観光客で賑わうテルトル広場の間にある。タクシー溜りにもなっていて、ちょっとしたカフェなどのあるこじんまりとした広場だ。観光用のタイヤ式列車が、白い車体を輝かせて出発していった。どこを回るのかな? 実はちょっと乗ってみたかったりして(笑)。テルトル広場は、今も昔も似顔絵描きと観光客でいっぱい。テルトル広場の北の道を、サクレクールを背にして西に歩く。この小道には、観光客向けのショップが立ち並んでいる。しばらく歩くと道が5本不規則に交差した辻に出る。その辻の一角、旧水道塔の向かいにあるのが晩年にジャン・マレーの住んだアパルトマン。現在モンマルトル美術館で開催中(2009年5月3日まで)の「ジャン・マレー展」を紹介するこの番組のhttp://www.youtube.com/watch?v=Vll3ruqyYdQ&feature=related映像には、白い瀟洒なアパルトマンを出て、すれ違う観光客に愛想よく挨拶して歩いている生前のジャン・マレーの姿が映っている。そのままRue Norvinsを西に下ると例の「壁抜け男」のあるマルセル・エイメ広場に出る。同じく「ジャン・マレー展」を紹介したこの番組(オープニングの音楽は『ファントマ』。多くのフランス人にとってはマレー=ファントマなのだ)では…http://www.youtube.com/watch?v=r6wfNe8tpZA&feature=relatedヤケに歯の白い、ちょい落ち着きのないにーさんが、ジャン・マレーについて妙にアツク語り、スタジオの共演者は明らかに引き気味(笑)。モンマルトル美術館で展示中のジャン・マレーの写真や作品、『美女と野獣』や『ロバと王女』といった名作に使われた小道具や衣装をマジメに解説したあと、このヤケに歯の白い、ちょい落ち着きのないにーさんが、マルセル・エイメ広場のマレー作の彫刻を紹介している(このときは彫刻にイタズラはされていない)。スタジオにカメラが戻ると、にーさんはさらに浮きまくって、年配の仕切り役からやや冷たい目で見られている(笑)。さてさて、モンマルトル美術館に行くには、旧ジャン・マレー邸のある辻を右に折れて北上する。そこで出会ったオリジナルの陶器を売るお店。モンマルトル美術館に続く通りは、案外観光客も少なく静か。もちろんテルトル広場から北に進んで直接来てもすぐ。石畳を敷き詰めた狭い、うねった道。すっくと立った街灯。しっとりした街並み。まさしくモンマルトルらしい風景。モンマルトルのぶどう園を背にした美術館に入るには、こんな中庭を通る。屋敷の持ち主に招待されて入っていくような気分だ。再びRue Norvinsに戻って、マルセル・エイメ広場に向かい、そこを左に折れて南下すると、観光客の姿はめっきり減る。そして、映画の撮影にも多く使われた「モンマルトルの石畳の坂」をくだることになる。とりあえず、ピカソゆかりのアトリエ「洗濯船」跡を目指そう。「洗濯船」跡はこれだけのモン。中は非公開だし、ピカソやマックス・ジャコブが住んだころの面影はない。ただ、周囲の落ち着いた雰囲気はいい。ここをさらに南に下ってAbbesses通りに出れば、地下鉄Abbesses(アベス)駅はすぐ。ガラスの屋根と柱の骨組みはアールヌーボー風。Abbesses(アベス)駅のホームは、ものすご~い地下にある。うっかり階段で降りると、膝が笑うかも?。大きなエレベータを皆が待っているハズだから、それに乗ったほうがいい。駅から地上に出るときも同じ。エレベータが遅くてうっかり階段で行こうとすると、相当大変だ。モンマルトル美術館へ行くとき、不思議なことがあった。地下鉄のコンコルド駅で乗り換えたのだが、地下通路のどこからか『サン・ジャンの恋人』の旋律が聞えてきたのだ。ややヨロヨロしたバイオリンの音色だった。ストリートミュージシャンだと思うが、『サン・ジャンの恋人』はフランソワ・トリュフォー監督の映画『終電車』のオープニングを飾った古いシャンソン。『終電車』はジャン・マレーの自伝にかなりヒントを得ており、マレーの評論家殴打事件も映画に取り入れている。そして、アベス駅のそばには、サンジャン・ド・モンマルトル教会があり、その近くにはサン・ジャンというカフェバーもあるのだ。駅のホームで電車を待ちながら、奇妙な偶然に聞き入った。追記:『終電車』については、2008年7月4日のエントリー参照。
2009.03.05

ワインの味というのは、たいてい値段と比例する。高いワインは、たいがい文句なく深い。だが、ときどき値段のわりにはビックリするぐらいおいしいワインに当たることがある。そういうときの感動は、高いワインを飲んでうならされたとき以上のものがある。モンマルトル美術館で、テキトーに棚に陳列されていた「Cuve'e Jean Marais(キュベ・ジャン・マレー」。値段をきいたら、たったの7ユーロ(約840円)というので、試しに買ってみた。飲んでみて、ビックリ! 相当うまいゾ、コレ。フルーティなのだが、少し重めで、大地の香りがするような、典型的地ワイン。使われている葡萄品種は、グルナッシュ・ノワール、カリニャン、ムルヴェードルだという。大量生産では出せない味だし、日本ではそもそもこの構成のワインはあまり出回っていないと思う。小さなワインメーカーのこだわりを強く感じる。これで7ユーロとは、素晴らしいの一言。ジャン・マレーワインがあることは、情報としては知っていて、なんとなく、マレーが晩年別荘をかまえたヴァロリスのワインかと思っていたのだが、違った。生産地はFitou。フランス南西部ランドック地方、スペインに近い場所にある村だ。スペインとフランスの国境近くの村々というのは、あまり日本人には知られていないが、そもそも北から南までうまいもんの宝庫。モンマルトル美術館で受付兼販売員をやっていたにーちゃんが、ワインのエチケットに描かれたマレーのイラストを指差しながら、「ジャン・マレーがこのワインを気に入って、テーブルクロスにこれを描いたんだよ」と説明してくれたのだが、そのときはイマイチ意味がわからなかった。有名俳優とワインメーカーのコラボレーションといえば、商業主義的なニオイがプンプンする。俳優の名前のついたご当地土産は日本にもたくさんあるが、たいてい「販促のために名前だけ貸しました」然としたもので、味はたいしたもんじゃない。だが、それも誤解だった。エチケットに描かれたジャン・コクトー風のイラストと「友へ Vidal ここでボクはとてもハッピーだった ジャン・マレー」という走り書き。ワインには「キュベ・ジャン・マレー誕生の逸話」が書かれた小さなパンフレットがついてきた。それによると、ジャン・マレーが友人と一緒に、Vidal家が家族で経営するレストランへやってきた。そこでハウスワインを飲んだジャン・マレーは、「とてもおいしいね」と褒めたという。マレー一行が去った後、Vidal家の人々は、マレーが紙のテーブルクロスにこの直筆のイラストとメッセージを残してくれたことに気づいた。Vidal家のママは、それをことのほか喜び、暖炉の上に飾った。その後、何年かたって、Vidal家のThierry氏はこのワインをよりフルーティで完成度の高いものに仕上げ、マレー直筆のイラストをエチケットに使い、「Cuve'e Jean Marais(キュベ・ジャン・マレー)」として売り出すこと許可をジャン・マレーに求めたところ、マレーは快諾してくれたという。「売らんかな」のための名前貸しプロジェクトではないということだ。たまたま立ち寄った田舎の家族経営の小さなワインメーカーのワインを気に入った有名俳優が、直筆のイラストとメッセージを残した。喜んだ家族はそれを大切に飾った。彼が「おいしい」と言ってくれたワインの味を家族は数年かけて、さらに磨きあげた。「Cuve'e Jean Marais」はそうやって生まれた。きっかけはあくまでパーソナルな、旅先での出会いなのだ。マレーはジャン・コクトーについて、「彼は常に(才能のある)友人のチャンスになりたいと願っていた。そのためにさまざまな支援をしたが、ほとんどすべて善意からで、金銭目的では決してなかった」と言っている。そうしたコクトーの生き方を自分も実践したのだ。直筆のイラストも、深く考えて描いたものではないことは明らか。というのは、コクトーのイラストの影響があまりに顕著だからだ。(Bunkamuraザ・ミュージアム編、「ジャン・コクトー展 美しい男たち」カタログから)コクトーは線にこだわった人で、一見、さらさらと一筆描きで仕上げたイラストのように見えるが、マレーへの手紙で、1枚のドローイングを仕上げるのに、「100枚は下描きを描いた。それでやっと生きた線が描けた」と言っている。コクトーのドローイングには、線そのものに生気が宿り、不思議な色気がある。一方のマレーの描く線には、そこまでの力量はないが、Cuve'e Jean Maraisのイラストを見ると、厚ぼったい唇とか、キュビズム風の目とか、描かれたパーツに不思議な色気がある。モンマルトル美術館で買えるキュベ・ジャン・マレーは、間違いなくオススメ。しかし、日本に持ち込むには制限があるので注意。テロ対策として、現在のところフランスからショップで買ったワインを機内に持ち込むには、店で密閉されたビニール袋に入れてもらわなければならない。もちろんモンマルトル美術館には、そんなサービスはない。だから、買ったらフランスで飲んでしまうか、空港のチェックインカウンターで預けるしかなくなる。飛行機に預けるための割れ物用の箱が10ユーロ(高い!)で売られていて(チェックインカウンターとは別の場所にあるガラスで覆われたスペース)、それを買うと専用のカゴに入れて飛行機に積み込むので、よっぽどの乱気流にでも巻き込まれなければたいてい大丈夫だが、そうはいっても手荷物としてそばにおけないので、万が一割れてしまっても文句は言えない。
2009.03.04

<きのうから続く>モンマルトル美術館で開催中のジャン・マレー展には、当然ながら映画のポスターも多く展示されていた。個人的に一番好きなのは、コレ。ジャン・コクトー監督『双頭の鷲』から、エリザベート女王役のエドヴィージュ・フィエールと。エドヴィージュ・フィエールのファッションがまたいいのだ。革の手袋は手首の細さが際立つよう、手首の内側でぴっちりとボタンで留めている。折り返した袖と襟のギザギザの縁飾り。胸元のリボンのつやつやした布の質感。ドレス自体がシンプルなので、リボンや縁飾り、ボタンなどのディテールが引き立つ。とても上品で、ヨーロッパの古き良き時代の香りが漂ってくる。おまけに蜂のような細腰。イマドキの女優でここまで細いウエストが作れる人は、もうほとんどいないだろう。カタログに収録されていないのは残念なのだが、展覧会ではジャン・マレーとエドヴィージュ・フィエールの晩年のプライベート写真も展示されていた。Mizumizuが中でも気に入ったのは、フィエールが油絵を描いていて、イーゼルの前で、「どう?」という感じで胸をそらしている。それを、マレーが「どれどれ?」とのぞきこんでいる写真。2人とも70歳は超えているように見えたが、非常に自然で、親密な雰囲気が漂っていた。フィエールはマレーを相手役にした『双頭の鷲』の再演を熱望していたが、マレーは自分の年齢を理由にこの申し出を拒み続けた。だが、1980年の『嘘つきさん』(バーナード・ショー原作、ジャン・コクトー脚色)ではフィエールとともに舞台に立っている。そして、フィエールは、ジャン・マレーが亡くなった5日後に、まるで後を追うように亡くなってしまった。もう1人、ジャン・マレーにとって大きな存在の女優がミシェル・モルガン。もともと『悲恋(永劫回帰)』で、監督のジャン・ドラノワはマレーの相手役にモルガンを使いたかった。マレー+モルガンでどうしても映画が撮りたかったドラノワは、その後何度もモンパンシエ通りのコクトーとマレーのアパルトマンを訪れては、マレー+モルガンを想定した映画の脚本を書いてくれるようコクトーに懇願している。だが、ちょうど長編の詩作に取り掛かっていたコクトーは、脚本を書く気になれず、別の脚本家を紹介する。そしてモルガンとマレーの初共演となったのが『思い出の瞳』。ジャン・マレーはモルガンについて、「私が本当に恋することのできた唯一の女性」と自伝で書いている。マレーは晩年になって、モルガンに舞台での共演を申し込んでいる。もともと映画出身のモルガンは舞台に乗り気ではなく、なかなかOKしなかったが、1993年になって、とうとうマレーとの共演で、コクトーの『聖なる怪物』の舞台に立った。このときの2人のポスターも展示されていたが、顔を寄せ合った白髪の2人は、若いころのポスター以上に素敵に写っていた。80歳近いマレーが、モルガンの後ろにいて、肩口に手を添えている。いくつになっても女優を引き立てることに心を配っている、騎士的なジャン・マレーの性格がよく表われている。モルガンのブルーの瞳の色とまったく同じ色の素材が衣装のアクセントとして使われ、それが一番印象的で、オシャレだと思った。マレー+モルガンの舞台『聖なる怪物』が、大きな成功を収めたことは言うまでもない。これは↓ジャン・マレーの死を受けての特別追悼番組。http://www.dailymotion.com/video/x6fox7_hommage-a-jean-marais_shortfilmsマレーがコクトーの言葉をつなぎ合わせて執筆した1人芝居『コクトー/マレー』の台詞から、マレー自身のナレーションが入る。「大変悲しいニュースを伝えなければならない。ぼくが死んだ」「生者と死者は近くて遠い。ちょうど硬貨の裏と表のように」「生と死は向き合っている」そして、マレーの愛したミシェル・モルガンが壇上で挨拶するというニクイ演出。さらにもう1人、日本語版ウィキペディアではマレーと結婚したことにされてしまったミラ・パレリイ。もちろん、この情報は嘘だ。どうしてこんな間違ったことがウィキペディアに書かれてしまったかというと、もともとはcinema databaseのJean Maraisのプロフィールに誤情報がのったためだと思う。マレーは1945年、『美女と野獣』の撮影の話が進むなか、フランス解放戦線に参加し、戦場にいた。コクトーは打ち合わせのために、マレーに戻ってきてくれるよう何度も促すのだが、なかなか休暇がもらえない。そんなとき、「結婚すれば休暇がもらえるらしい」という話を聞いたマレーは、以前ちょっとだけ付き合っていた女優のミラ・パレリイにプロポーズしてみた。するとパレリイのほうがマジになってしまい、マレーは困惑する。結局、結婚の話はナシになり、パレリイは1947年にレーサーと結婚した。だが、若いころ抱いた真剣な想いは、パレリイの中でずっと消えなかったようで、こんな熱い写真を晩年のマレーに送っている。「愛しています。私のジャノ。ミラ」そしてテーブルには犬と写っているマレーの写真。マレーのほうも、晩年に書いた自作の児童小説で、美しい王女の名前を「ミラ」にしている。しかし…この場合、ミラの旦那さんの立場は?ともあれ、ミラがよき妻だったことは間違いない。彼女の結婚は一度だけだし、レーサーの夫が事故で重傷を負うと、その看病のために、すっぱり女優を引退している。追記:マレーとフィエールの関係については、2008年5月20日のエントリー参照。マレーとモルガンの関係については、2008年6月3日のエントリー参照。マレーとパレリイの関係については、2008年5月5日のエントリー参照。
2009.03.03

劇団四季のミュージカル『壁抜け男』で日本人にも注目された、モンマルトルのマルセル・エイメ広場の彫刻。作品のタイトルは、ズバリ「壁抜け男」。モデルは原作者のマルセル・エイメ。そして彫刻家は誰あろう、ジャン・マレーその人。ミュージカルにちなんで紹介されることが多いので誤解されているが、この彫刻をジャン・マレーが作ったのは1989年。ミシェル・ルグラン作曲のミュージカル『壁抜け男』の初演が1997年だから、ミュージカルより彫刻のほうが8歳も年上なのだ。ちなみに、エイメが小説『壁抜け男』を発表したのは1943年。歩行の邪魔にしかならないような、東京の街に散らばる意味不明の「オブジェ」と違い、モンマルトルの瀟洒なアパルトマンの前の小さな広場に完璧に調和した彫刻作品。このさりげなさがとてもいい。まさに街並に溶け込むアート。しかも、彫刻家もモデルもモンマルトルにゆかりの人物というのが、またニクイ。現在開催中のジャン・マレー展では、この彫刻制作に取り組むジャン・マレーのスチール写真も飾られていた。制作中の姿にも妙に華がある。彫刻家というより、彫刻家を演じている俳優の映画のワンシーンのようだ(苦笑)。だが、呆れたことに、このジャン・マレー作品にはイタズラがされていた。爪がピンクに着色され、膝のところには白っぽいペンキがかかっていた。昨年テルトル広場の近くの小さな広場が、「ジャン・マレー広場」と命名されたときも、広場名を示すプレートにわざわざスプレーでバツマークを入れた不届き者がいたが、同じ精神構造を持つ輩の犯行だろう。ピンクのマニキュアと膝にかけた白っぽい液体なんて、いかにもホモフォビアが思いつきそうな最低の嫌がらせだ。『ブロークバック・マウンテン』以降に、ヒース・レジャーが公けの場で、執拗に水鉄砲をかけられて嫌がらせされたことがあったが、こういう最低の行為に及ぶ連中の根底にあるものも同じ。ジャン・マレーは、常にこうした攻撃にさらされてきた俳優だった。たとえば、彼が「生きるギリシア彫刻」だった1944年。ジャン・マレーは演出・衣装・舞台装置をすべて自分で手がけた古典劇『アンドロマック』を上演するのだが…当時のパリは、ドイツ占領下。メディアを牛耳っていた対独協力派の妨害で、6日で上演禁止に追い込まれてしまう。このときもジャン・マレーの不道徳な「ホモ的芝居」は、新聞でいっせいに叩かれた。だが、「本当の観衆」は好意的で、この芝居を高く評価していたのだ。「真の観衆は喝采してくれた。しかし、芝居を見ている間ずっと彼らは鼻と目にハンカチをあてていなければならなかった。というのもこの機会に動員されたPPF(フランス愛国党)の党員たちが悪臭弾と催涙弾を客席に投げつけたからである。観衆の愛情をあれほど強く感じたことはない。私の評判を落とそうとする意図が明らかだっただけに、その愛はなおのこと強烈さを証拠立てていた」「しまいには親独義勇隊の連中が機関銃をかまえて押し込んできて、観衆の帰宅を妨害した」(ジャン・マレー著 『私のジャン・コクトー』東京創元社)このエピソードには、現在の日本にも通じる2つの側面がある。1つは特定の権力と結びついたメディアの偏向報道。もう1つは、よいものをよいと認め、讃えようとする一般のファンの意識の高さだ。だが、欧米のホモフォビアの敵意(時には殺意)に満ちた嫌がらせと、日本での異質な者に対するイジメは似て非なるものだと思う。美輪明宏が昔、「お化け」と言われて石を投げつけられたのと、ジャン・マレーやヒース・レジャーに対するキリスト教の教義をタテにした社会からの攻撃は、一緒にすべきではない。どうも、そのへんをこのごろの日本の若者(中には大して若くもないのもいるが)はゴッチャにしているのが気にかかる。日本は基本的にひとさまの性的な好みに対しては大らかで、欧米、特に英米ほど後進的ではないのだ。それなのに、英米のほうが進んでると勘違いして、「日本の社会から性的マイノリティへの差別と偏見をなくしたい」などとトンチンカンなことを言ってるソッチ系の青少年を見ると、「オイオイ、違うだろ」と言いたくなる。『アンドロマック』でオレストに扮したジャン・マレーの写真は今回初めて見たが、これが物不足の占領下の舞台衣装かと、その豪華さ、質感の高さに感嘆する。胸のところでキッチリゆわえたラメ入りの布がひどくセクシーだ。このときのマレーは決して経済的に豊かではなかったが、それでも自腹を切り、かつ友人から出資を募って『アンドロマック』の上演にこぎつけている。衣装制作に当たっては、布地を扱う店の店主が、若い役者集団のために、非常に安く布を譲ってくれたという。パリはよく、「冷たい街」などと言われるが、どっこい、こうした人情はどこよりも篤い街だったのだ。モンマルトルの旧ジャン・マレー邸の近くには、開催中のジャン・マレー(L'e'ternel retour)展の宣伝も兼ねて、マレーの60年におよぶキャリアの中から選りすぐった写真がポスターになって飾られている。ちょっとしたベンジャミン・バトンだ。映画『ルイ・ブラス』時代のイケメン俳優・マレー(左)と赤いマフラーをなびかせた晩年のマレー(右)。マレーには赤が似合うと、コクトーも言っていた。ジャン・マレーがフランス演劇界から尊敬されているのは、美男スターとして一世を風靡したということ以上に、その長いキャリアを通じてフランスの映画・舞台文化を支え続けたことだろう。ジャン・マレー自身によれば、「入念に準備したにもかかわらず、期待したほどの成功は得られなかった」舞台も多かったというが、思った以上に評価されたものもまた、多かった。舞台では、「ジャン・コクトーもの」以上に、古典劇(とくに悲劇)を得意としていた。こちらは1978年に演じた、シェークスピアの『リア王』。猛禽類の爪のような、グロテスクぎりぎりの美を備えた、ユニークなフォルムの王冠が、いかにもジャン・マレーらしい。こちらは、ご存知『オルフェ』。このナルシズムは確かに、ジャン・マレー演劇の1つの頂点。だが、ジャン・コクトーの『白書』を読めば、このシーンのルーツは、若いころコクトーがこっそり通いつめた、いかがわしい店の男娼の行為にあったことがわかる。コクトーはモロなエロを、そこはかとない芸術的エロスに昇華させるのが巧みだった。こちらは、超美青年時代のジャン・マレー+ブロンドの荒川静香(似てないか?・苦笑)。別にいかがわしいことは何もしていないのに、なぜかどこかしら妖しげなジャン・マレーのやること。上の青年のパンツの布の量がヤケに少ないような… (ちなみに下の人がジャン・マレーね)。いたいけな少年が「すげ~」ってな視線で見てる。いいのでしょうか(別に悪くはなかろう)。追記:ナチ占領下のパリでの舞台『アンドロマック』をめぐる大騒ぎについては、2008年4月28日のエントリー参照。
2009.03.02

<先日のエントリーから続く>ジャン・コクトーもジャン・マレーも、青年や少年をモチーフにした絵が多いという点で共通している。長くジャン・コクトーと暮らしたせいか、あるいは一芸術家として心酔していたせいか、ジャン・マレーのドローイングはコクトーの影響が顕著だが、2人の描く人物は明確に違う部分がある。ジャン・マレー作品には多分に、自分を投影している少年・青年像が多いということだ。これは、晩年に書いた児童小説『ノエル』(日本では『赤毛のギャバン』として刊行)のための挿絵だが、もともと物語が自分と愛犬ムールークの実話を下敷きにしているせいか、主人公の少年は、ジャン・マレーの分身のような存在だ。マレーは実生活でも、トルコやイタリアで出会った貧しい少年を養子にしようとして、周囲に反対されている。実際に養子にしたセルジュ・アヤラも、当時19歳の身寄りのないジプシーの青年で、本人の意志に反してジャン・マレーに売られようとしたのが2人の出会いだった。こちらは実際に愛犬ムールークを肩にのせたジャン・マレー。マレーの作品には、しばしば「非常によく似た男女」が登場する。たとえば、『アダムとイブ』と題された油絵。様式的には、新古典派+素朴派÷2といったところ。描かれた男女は、双子のようによく似ている。そして、男性は、大きな眼といい、たくましい肉体といい、どこか若い日のジャン・マレーと共通する。肌の表現はなまなましくはなく、どちらかというと陶器か何かのよう。裸体もまとわりつく蔦も、同じような質感で描かれている。一方のジャン・コクトーは、憧れを追求した素描家だった。コクトーのドローイングには、ダルジュロス、水夫リシャールといった、過去に強く惹かれた男性たちの身体的特徴が常に表現されている。『白書』で、少年の「私」は、全裸の青年の肉体の「黒々とした3点」に強烈な磁力を感じている。そして、コクトーが愛する人の寝顔を好んだことは、マレーの自伝からも、コクトーがラディゲ・デボルト・キル・マレー・デルミット全員の寝姿を描いていることからも明らかだ。これは、そうしたコクトーの嗜好がはっきりと表われた作品。有機的な線で描かれた眠る青年の表情は神秘的で、崇高ですらある。それがたくましい肉体の「黒々とした3点」の生々しさと鮮やかな対比をなしている。もう1つ、ジャン・コクトーが男性の肉体で好んだもの。それは当然のことながら、「神秘の隆起」。『白書』の「私」は、少年時代、使用人のその部分に惹かれて、「突進した」とある(困ったガキだ…)。だから、その部分は、常に入念に描かれる。このドローイングには、「ツーロン」とある。ツーロンは、『白書』で「私」が「魅惑のソドム」と呼んだ港町。コクトーが、24歳のジャン・マレーを最初の旅行に誘ったのもこの街だった。一方のジャン・マレーのドローイングは、もっと装飾的だ。男性あるいは女性の肉体の性的な部分に着目している様子はほとんどなく、むしろ華やかな衣装のおりなす襞とか、背景のディテールの美しさに心惹かれているようだ。ジャン・マレーの描く線は、コクトーのような有機的なメリハリには欠けるが、均一に力強く、緻密な様式美の中に、奇妙な「歪み」があり、それがなんともいえない魅力になっている。これなど、ビアズリーの影響もあるように思う。そして、描かれた人物はどこか奇妙に歪んでいる。多くの友人(愛人)と長期・短期に一緒に暮らしたジャン・コクトーと違い、ジャン・マレーが一緒に暮らしたといえるのは、ジャン・コクトーとアメリカ人バレエダンサーのジョルジュ・ライヒしかいない。それぞれ10年ずつと、スパンも長い。この2人の特別な人との思い出を、ジャン・マレーは晩年まで大切にしている。これはモンマルトルの自宅のアトリエでのジャン・マレー。マレーがモンマルトルに引っ越してきたのは1980年、65歳のころ。壁にジョルジュの肖像画、イーゼルにコクトーの肖像画をのせている。いずれも自作の作品だ。晩年のジャン・マレーは絵画・彫刻・陶芸制作に打ち込み、多くの友人と親しく交わっているが、コクトーやライヒとの関係のような密接なつながりを誰かともとうとした気配は一切ない。コクトーがそうだったように、マレーも人生の特に後半を「友情」に捧げた。そして、マレーは、そういう自分は「とても幸福で幸運な人間」だと、亡くなる5年前の著作『私のジャン・コクトー』で胸を張っている。追記:ジャン・マレーとジャン・コクトーのツーロン旅行については、2008年3月26日からのエントリー参照。
2009.03.01
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