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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。さて、すべてを突破する会社、凸版印刷の本社に向かって歩きます。本社ビルの手前の公開空地に石碑を発見。こちらの二基の石碑は、ひとつは「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」行幸啓(ぎょうこうけい)とは、「天皇・皇后がご一緒に外出されること」を言うそうですね(→→→こちら)。こちらは、「平成13年3月26日皇后陛下行啓記念碑」行啓(ぎょうけい)とは、「皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること」を言うそうです。そして、もう一基は「皇太子殿下 皇太子妃殿下 行啓記念碑」でした。【つづく】文京区散策(その13) 行幸啓記念碑
Apr 30, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。が、JR飯田橋(千代田区)から神田川を遡って、ここ大曲(新宿区新小川町)にある牛込警察署大曲交番にやってきました。大曲というのは、横を流れる神田川が大きく曲がって、高田馬場の方へ流れているからです。だから、神田川の上にある首都高速もこのように大きくカープしています。神田川を越えて、文京区に入ります。このあたりの住所は文京区水道(→→→こちら)です。どうして「水道」という地名なのかというと、この地に神田上水が通っていたことによそうです。江戸時代より、このあたりはの町名として小日向水道町、小石川金杉水道町などと称していたそうです。その神田上水は写真の奥にある巻石通りを流れていたそうで、水道通りとも呼ばれています。さて、この神田川沿いの道を歩いて行くことにしました。目指すは、大きなTOPPAN(凸版印刷)の本社ビルです。「すべてを突破する。TOPPA!!! TOPPAN」ですね。【つづく】文京区散策(その12) 文京区水道へ
Apr 29, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。東京都文京区後楽の東京ドーム敷地内に二基の石碑がありました。鎮魂の碑(→→→こちら)です。これは、太平洋戦争などで戦死したプロ野球選手の功績を記念した石碑です。こちらの石碑には戦死した選手の氏名が刻まれていました。そして、もう一基の石碑には、遺族を代表して特攻隊員として戦死した石丸進一の実兄・藤吉による追悼文や当時セントラル・リーグ会長だった鈴木龍二による「建立趣旨文」が刻まれていました。この二基の石碑が建立されたのは、昭和56年4月だそうです。このあたり、もちろん東京ドームもありますが、青空の下、野球ができるグランドもあります。後楽公園少年野球場です。平和な世の中で思い切り野球を楽しんで欲しいですね。野球は楽しんで欲しいとは思いますが、この後楽というのは「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という中国の古典「岳陽楼記」にちなんで命名された、水戸徳川家の江戸上屋敷内に造られたこの日本庭園につながります。ということでこの庭園の名前は「小石川後楽園」(→→→こちら)です。【つづく】文京区散策(その11) 鎮魂の碑と少年野球場
Apr 28, 2023
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飯田橋にあるきしめん尾張屋さんです。「きしめん」といえば、愛知県名古屋名物の平たい形状の麺。地方で名物の麺類というと、例えば、讃岐うどん、稲庭うどん、信州そば、博多とんこつラーメン等々、東京でも専門店が多いと思うのですが、「きしめん」に関しては、そういう専門店というのはあまり見かけたことがないような。ひょっとしたら、名古屋でも専門店は、名古屋駅の新幹線ホームにある店だけで、町の中ではうどん屋さんやそば屋さんがメニューの片隅に載せて、片手間に調理しているだけなのかも。というわけで、東京にある専門店の「きしめん」をランチ特盛(880円税込み)でいただきました。うどんと比べるとコシはそれほど強くなく、ツルツルとした食感で、こういう「もり」で食べるのもいいかもしれませんね。ちなみに、2軒くらい隣に蕎麦屋の尾張屋さんもあるので、間違わないようにして下さい。人気ブログランキングへ孤独のグルメ きしめん
Apr 27, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。東京都水道歴史館に隣接してある文京区立本郷給水所公苑(→→→こちら)です。東京都水道歴史館に隣接している本郷給水所の上部に人口地盤を築き作られた公園なので、この坂道を登って行きます。南側に武蔵野の雑木林のイメージをもとに造られた和風庭園があり。北側にはフランス式の西洋庭園があります。その西洋庭園にあった大きな地球儀です。こちらは和風庭園。四阿(あずまや)がありました。こちらは公園の東側にあった、盛土と木柵。文京区第五中学校(現文京総合福祉センター)で発掘された神田上水の石樋が復元展示されているそうです。これが復元された石樋です。【つづく】文京区散策(その10) 文京区立本郷給水所公苑
Apr 26, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。このレトロな洋館は順天堂大学(→→→こちら)。文京区、やっぱり大学という高等教育の場が多いですね。順天堂大学から本郷台の住宅街に入っていくと、大きな建物がありました。東京都水道歴史館(→→→こちら)です。神田上水や玉川上水などの江戸時代の上水道から、近代水道、現在の水道に至るまで、規模・水質ともに世界有数のレベルである東京の水道400年の歴史や技術を、実物資料や模型、映像資料などで紹介しています。また、水道の歴史に関する講演会や江戸時代の上水道を学ぶ講座なども開催されています。それで入場料は無料。無料が好きなMoMo太郎にが見学しないわけにはいかないですね。写真撮影については、「個人利用の範囲において撮影は可能です。但し、フラッシュの使用、三脚・椅子などの使用はご遠慮ください。」とのことだったので、撮影してきた館内の様子を紹介します。こちらは実物大の水道鉄管を展示しています。一番大きいものは直径2.9mだそうです。こちらにあるのは共用栓と消火栓。近代水道が開通すると、それまでの上水井戸に替わり、水圧のかかった水を手元で得ることのできる「水栓」(蛇口)が設けられました。しかし多くの家庭では専用の水栓(専用栓)を引くことができなかったため、複数の家庭で共同で使う「共用栓」が各所に設置されていました。団体見学で申し込むとこのような、歴史館の人が説明をしてくれるようです。玉川上水を造った玉川兄弟の石像。江戸時代に使われた木製の水道管です。上水井戸の実物です。江戸の井戸は地下水ではなく神田上水や玉川上水で送られてきた水を利用していたそうですね。【つづく】文京区散策(その9) 東京都水道歴史館
Apr 25, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。外堀通りに面してある元町公園と昭和第一高校の間に本郷台地を登って行く坂道の途中に元町公園下の擁壁に、楕円形に空けられた穴をコンクリートで塗りこめたような痕跡があります。太平洋戦争のころに構築された防空壕の入り口跡だそうです。この坂道を登り切って少し行くと、立派な建物の学校があります。桜陰学園(→→→こちら)です。高校からの入学者を募集していない完全中高一貫校の桜蔭中学校・高等学校で、女子学院中学校・雙葉中学校と共に「女子御三家」といわれている進学校。卒業生には、「このハゲ」と秘書を怒鳴った元衆議院議員の豊田真由子さん(→→→こちら)。現参議院議員の猪口邦子さん、女優の菊川玲さん、クイズ番組タレントの三浦奈保子さん(→→→こちら)、そしてイラストレーター、タレント、女優と多彩な水森亜土さん(→→→こちら)と、才色兼備といってもいい方ばかり。ちなみに、制服は基本ジャンバースカートでちょっと体形の不利は目立ちません。可愛い制服を着たい女子にはちょっと不向きなのかも、観察していると最近はパンツスタイルの制服もあるようです。そして、大学の多い文京区、外堀通りに面したところにある順天堂大学です。どうして、桜陰に詳しいかというと、親戚の子が通っていたからです。文京区散策(その8) 名門女子御三家のひとつ
Apr 24, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。水道橋というのは、神田川に架かるこの橋のことですが、橋の親柱にある銘板にも「水道橋」と記されています。橋の欄干にはこんな銘板がありました。水道橋について次のように書かれていました。「水道橋の名は、江戸名所図会によればこの橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。」と。ということで、神田川に沿って外堀通りの坂道を登って行きました。そうするとこんな石碑を発見しました。「お茶の水分水路」(→→→こちら)と刻まれていました。神田川の中流部(お茶の水一帯)は、もともと江戸時代の初期、幕府の命により仙台藩が本郷台地(神田山)を開削して導水した河道。そのため峡谷を形成していますが、拡幅による河道整備が困難で、洪水の際の対策上のネックになっていました。神田川の治水安全度向上を目的に、バイパス的な流路を築いたのがお茶の水分水路。全区間が神田川沿いの外堀通り・都道405号(外濠環状線)の地下に敷設されています。昭和62年~平成6年にかけて上流開削区間(220m)と、湯島聖堂あたりまでのトンネル区間(760m)を整備し、その後、平成8年~11年にかけて、下流開削区間(320m)を整備しています。さらに歩いて行くと、こちらの石碑が、男性の方が興味深げにこの石碑を撮影していました。この人が退くまで待って、MoMo太郎も石碑を撮影。「神田上水懸樋跡」(→→→こちら)とありました。下の銘板には、神田上水懸樋の様子を描いた絵図と文京区教育委員会による説明文がありました。江戸時代、神田川に木製の樋を架け神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。明治34年(1901)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。平成8年(1996)3月 東京都文京区ここに懸樋、つまり神田川を越えるために設けたパイプ(樋)が架かっていたわけですね。この懸樋(水道橋)が現在の水道橋の地名の由来なんですね。神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年~1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(あんきょ、埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。そういえば、文京区役所近くの春日町の交差にある小さな広場にあるこの石も「神田上水石樋の石」だそうで、昭和62年(1987)、外堀通りの工事中に現在の水道橋付近から発掘されたものだそうです。【つづく】文京区散策(その7) 水道橋とは
Apr 23, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。文化の京の文京区ですが、区内にはJRの駅が一つも存在していません。文京区役所の最寄り駅のこのJR中央線の水道橋駅も厳密には所在地は千代田区です。この駅のそばを流れる神田川です。川の清掃をする船が見えました。そしてこの神田川が千代田区と文京区の境になっていて、神田川を超えて東京ドームホテルなどのある方に来ると文京区になります。神田川に並行する外堀通りを歩いて行くと、小さな広場があります。このあたりは「市兵衛河岸(→→→こちら)」という地名だったそうです。この付近が神田川の水際に作られた物揚場(ものあげば)だったそうで、今の東京ドームシティのあたりに東京砲兵工廠のあったころは、工廠用の貨物が揚げ下ろしされた場所です。神田川市兵衛河岸防災船着場として今でも緊急時にはこの船着場が利用できるように整備されていました。ちなみに、この付近には「岩瀬市兵衛」のという人の屋敷があり、それが市兵衛河岸の地名の由来になったそうです。そして、岩瀬市兵衛は旗本だった家柄で、その中で岩瀬市兵衛の家を継いだ岩瀬 忠震(いわせ ただなり)(→→→こちら)は、嘉永8年(1853年)ペリーの来航後、アメリカとの交渉に当たり、特にアメリカ領事ハリスと交渉して日米修好通商条約に調印した人物だそうです。【つづく】文京区散策(その6) 水道橋駅近くの市兵衛河岸
Apr 22, 2023
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久しぶりに、ゆで太郎で朝食を食べました。焼鯖ごはん(450円税込み)です。久しぶりに食べましたが、やっぱりコスパはいいなと思いました。人気ブログランキング孤独のグルメ ゆで太郎の朝食
Apr 21, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。文京区立森鴎外記念館から団子坂を登っていくと、ちょっと変わった建物のお寺に到着しました。こちらが駒込大観音で有名な光源寺(→→→こちら)です。山門(?)を入ると、「蓬莱梅(ホウライバイ)」の由来と書かれた説明板がありました。かって、樹齢3百年を超える蓬莱梅と呼ばれる梅の木が境内にあったそうですが、空襲で焼けてしまったそうです。そして、現在は榛名山で見つけてきた、二代目の梅の木があるそうです。こちらが二代目の蓬莱梅です。訪れた2月中旬には、梅の花が見事に咲いていました。こちらが駒込大観音が安置されている観音堂です。この中に大観音がおられるのですね。こちらが駒込大観音です。初代の像は元禄10年(1697)に豪商丸屋吉兵衛の発願により御丈約5mの十一面観音像が建てられましたが、惜しくも東京大空襲で焼失し、1993(平成5年)に御丈6m余の御像として再建されたそうです。こちらの石の台座は、初代の大観音が設置されていた礎石です。再建まで48年も掛かっていたんですね。【つづく】文京区散策(その5) 駒込大観音
Apr 20, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。夏目漱石とくれば。次はやはり森鴎外ですね。そして、こちらの建物が、文京区立森鴎外記念館(→→→こちら)です。この記念館は、森鴎外の旧居「観潮楼(かんちょうろう)」跡地に建てられたものです。観潮楼は、1892(明治25)年鴎外が30歳のときから、1922(大正11)年60歳で亡くなるまで、家族とともに住んだ家だそうで、家の2階からは遠く海が見えたことから、鴎外により観潮楼と名づけられんだとか。千駄木団子坂から見た森鴎外記念館。こちらが建物の正面になるそうです。小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくもの顔をもつ森鴎外。こういう不世出の才人っているもんですね。【つづく】文京区散策(その4) 文京区立森鴎外記念館
Apr 19, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。根津神社の西口から出ると、すぐにあるのが日本医科大学。やっぱり文京区。大学が多いんですね。そこから少し住宅街の中を歩くと、日本医大同窓会館の敷地に石碑がありました。この猫の置物から、想像できますね。夏目漱石旧居跡です。文豪・夏目漱石が、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ場所。ここで、処女作「我が輩は猫である」を執筆し、旧居は作品の舞台となったそうです。【つづく】文京区散策(その3) 夏目漱石旧居跡(猫の家)
Apr 18, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。さて、東大から野球グランドの横の坂道を下って不忍通りの方へ向かうと、その途中に「根津神社」(→→→こちら)があります。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられているそうです。手前は神橋、その奥にあるのは重要文化財の楼門つつじの名所として知られる根津神社のつつじ苑です。訪れた2月半ばだと、つつじはまだですね。毎年4月~5月はじめにかけて「文京つつじまつり」が開催されていますから、今の時期行けばよかったのですが、なんやかやと暇がみつけられる、こんな季節感のない写真で申し訳ありません。この楼門を抜けて参拝します。唐門と透塀、どちらも重要文化財です。こちらが拝殿です。しつこいようですが、これもまた重要文化財です。江戸時代までの神仏混淆時代には、根津権現と呼ばれていたそうで、森鴎外や夏目漱石の小説では根津権現と書かれています(→→→こちら)。こちらは摂社の乙女稲荷神社に続く千本鳥居です。本当に千本あるのかどうかはわかりませんが、「北」から「南」に通り抜けると「邪気がきれいに祓う」といわれているそうです。というわけで、邪気に包まれたMoMo太郎もこの千本鳥居の中を通り抜けました。千本鳥居、奉納した人の名前と願意が書かれているので、個人情報ほごの観点から、撮影には注意ですね。千本鳥居の参道の途中にあった、石のオブジェ。徳川家宣胞衣塚というそうです。第六代将軍徳川家宣の「胎盤と胎膜」を埋めたところになるそうですが、ここは甲府藩江戸下屋敷があったところで、甲府徳川家初代徳川綱重の長男だった家宣はここで生まれましたが、五代将軍綱吉に男子の跡継ぎがいなかつたことから、綱吉の養子となり六代将軍になったそうです。その時、家宣は藩邸を閉じて江戸城へ移るとともに、藩邸址を根津神社に献納したそうです。乙女稲荷から見た透塀です。池もあってなかなか落ち着いた感じの景色でした。こちらが乙女稲荷です。乙女という名前からして、女性を応援する神様なんでしょうね。こちらが根津神社の西口にある鳥居です。もう少しじっくりと味わいたい根津神社でした。【つづく】文京区散策(その2) 根津神社
Apr 17, 2023
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東京23区の中で首都東京を東京たらしめている区というと、国会や官庁がある千代田区、金融や経済の中心地ともいうべき中央区、そして文化の都(みやこ)である文京区の3つの区があれば、港区や台東区、まして練馬区などがなくても東京としての機能は維持されるのではないのでしょうか。そんな文化の京(みやこ)、文京区を散策してきました。まず、文京区が文化の京といえるのは、やはりこの大学があればこそでしょう。赤門がシンボルの東京大学です。MoMo太郎の義理ママは、東大入学を願い、まだ赤ん坊だった孫を抱いて、この赤門をくぐったそうです。しかし、義理ママ、あなたは知らなかったのですね。東京大学の正門は、こちらなんです。そんなわけで、あなたのお孫さん、東大入学はかなわなかったです。まあ、MoMo太郎のDNAを受け継いでいるせいでしょうね。まあ入試に合格しなくても、正門を抜けて東大に入ることはできました。こちらは東大農学部の門です。農学部の門を入ると、犬と戯れるおじさんの銅像があります。これは東京帝国大学教授、上野英三郎博士(→→→こちら)とハチ公の銅像だそうです。ハチ公って東大の先生の愛犬だったんですね。【つづく】文京区散策(その1) 文京区を文京区たらしめているもの
Apr 16, 2023
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秋田に仕事で行ったのですが、地元の人に、「秋田土産ならこれがいいよ」と言われたので買ってきました。秋田といえば、金萬(きんまん)。地元秋田の銘菓として、およそ70年間、この味一筋。おみやげにも、家族の団らんの際にも、 もちろんご自身のおやつにもということだそうです。昭和28年、秋田駅前の旧金座街で営んでいた食堂の一角に、製造機械を取り付けて販売したのが始まりです。「金座街のおまんじゅう」ということから「金萬」と名付けられたそうです。玉子と蜂蜜が使われたふわふわのカステラ生地に白あんがぎっしり包まれていました。味の好みは人それぞれだと思いますが、MoMo太郎としては「名物にうまいものなし」の格言どおりでした。正直言って、甘いカステラ生地は「ふわふわ」しているよりも、もう少し「しっとり」していた方が好み。またそれに重ねて甘い白あんは、甘さがしつこい感じです。でも、ホームページ(→→→こちら)にあった社長の大内睦子さん、きれいな方だったので、「美味しかった」ということにしておきます。人気ブログランキング孤独のグルメ 秋田銘菓 金萬
Apr 15, 2023
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桜と菜の花のありがちな構図です。東武鉄道の隅田川橋梁、中路カンチレバーワーレントラスという形式です。高いトラス橋にせず、中路式を採用しているので、鉄道車両もよく見えますし、また、列車の窓からも隅田川の河岸に植えられた桜もよく見えるでしょうね。隅田川でボートを漕いでいる人がいました。ボートというよりカヌーになるんでしょうか。そういえば、墨堤にこんな石碑がありました。隅田川ボート記念碑(→→→こちら)です。かつてはボート競技の中心地であった隅田川を記念する石碑だそうです。この石碑の建立に尽力した関係者の名前が刻まれていましたが、大学ボート部のOB会の名前は当然ですが、なぜか国土交通省下水道部の名前もありました。昭和30年代の高度経済成長時代、長きにわたり季節の風物詩として親しまれていた早慶レガッタは、隅田川の汚染が進んだことにより1962年に中止を余儀なくされていたのですが、東京の下水道整備が進み、隅田川の水質が向上したため1978年に17年ぶりに復活したのは、国土交通省下水道部のおかげということですかね。【了】人気ブログランキング今年のお花見(その5) 隅田川ならボートでしょ
Apr 14, 2023
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墨田区側の隅田公園、墨田区側の隅田川の堤防なので墨堤とも呼んでいます。また、地名としては向島というところになります。といこうとで、桜並木に飾られている提灯の名前は、多分、向島の料亭なんでしょうね。このあたり、かなり花びらが散り始めていました。それでも、まだ頑張って咲いている桜です。こちらにあるのは、向島墨堤組合(→→→こちら)の茶店。向島墨堤組合というのは向島の料亭とそこへ派遣される芸妓の置屋さんの組合なので、芸妓さんたちがお給仕してくれる茶店なので、ちょっと楽しいですよ。墨堤沿いを吾妻橋の方に向かって歩いてゆきます。こちらにも茶店がありました。こちらは向島二・三町会が出店している茶店のようです。朝の10時頃なので、まだ営業はしていないようです。メニューは、こんな感じですが、時節柄ですかね、酒類は隠しているみたいです。こちらは、向島一丁目町会の茶店です。こちらで使われていた提灯にはアサヒビールの名前が。アサヒビールの本社が墨田区にあるからでしょうか。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その4) 墨堤を歩く
Apr 13, 2023
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隅田川に架かる「桜橋」です。この橋を渡って墨田区側の隅田公園へ。桜橋の上から青空を撮影してみました。川の上の空は、広々していていいですね。桜橋の上にあるモニュメントです。対になって、台東区側と墨田区側に二体がありますが、どちらも「双鶴飛立の図」というタイトルで、二羽の鶴らしいとりが並んで飛んでいる模様が描かれていました。桜橋の墨田区側、上流の桜並木です。この桜並木の向こう側、高速道路を越えたところには、さくら餅で有名な長命寺があります。こちらは下流側、吾妻橋へ向かっての桜並木。桜を見ながら川の上を走っているのは、水上バイクに乗っている人たちです。こういう花見のやりかもまたいいですね。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その3) 桜橋
Apr 12, 2023
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台東区リバーサイドスポーツセンターの方までやって来ました。桜の淡いピンク色、このどちらかと言うとあいまいな感じがいいですね。「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」本居宣長のこの歌にある「大和心」とは、こんな「あいまい」な優しい感じのことにも思えますね。この桜の咲く青空の下で、野球に興じる人たちもいました。甲子園出場かWBC(World Baseball Classic)を目指して、大和心で頑張りましょう。隅田公園の所々にはこんな句碑や歌碑が建てられています。これはやっぱり、正岡子規の句碑なんでしょうね。そして、こちらにはちょっと立派な石碑。「花の碑」だそうです。武島羽衣作詞、瀧廉太郎作曲の有名な楽曲、「花」の歌碑ですね。石碑には、武島羽衣の詩が刻まれています。春の情景を歌った曲ですが、この「花」というタイトルから、この花が、桃や梅、ましてはチューリップではなく、「桜」のことを意味しているとわかるのも、日本人の「大和心」ですね。達筆すぎて読めないかもしれませんので、一応、歌詞を掲げておきます。春のうららの 隅田川のぼりくだりの 船人が櫂のしづくも 花と散るながめを何に たとふべき見ずやあけぼの 露浴びてわれにもの言ふ 桜木を見ずや夕ぐれ 手をのべてわれさしまねく 青柳を錦おりなす 長堤にくるればのぼる おぼろ月げに一刻も 千金のながめを何に たとふべき【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その2) 大和心と桜
Apr 11, 2023
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今年のお花見は4月1日の隅田公園でした。今年の東京の桜の開花は3月14日、満開は3月22日と早かったのですが、なんとか4月1日までは持ちこたえましたが、もう花が散って葉桜になっている桜もありました。浮かれて花見を楽しむのもいいのですが、言問橋のたもとにあるこの石碑も訪れましよう。戦災により亡くなられた方々の碑です。昭和20年3月10日の東京大空襲、多くの方が亡くなられました。安らかに眠られることを祈ります。平和な日本だからこそ、こうやって、桜を楽しめるんだと改めて思いました。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その1) 平和だからこそ桜も楽しめます
Apr 10, 2023
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墨田区にあった鬼平情景の高札を巡ってきましたが、鬼平犯科帳というか、その作者の池波正太郎さんに関する付け足りの報告です。こちらは台東区浅草の近くにある待乳山聖天です。折角来たので、お参りさせてもらいました。さてこの待乳山聖天の南側には「池波正太郎生誕の地」(→→→こちら)があります。池波正太郎さんの生誕100周年を記念した幟がありました。池波正太郎さんの肖像と碑文が刻まれた石碑が平成19年に建立されたそうです。池波正太郎さんは1923年1月25日にこの地で生まれたそうです。生まれて間もなく、1923年9月1日に関東大震災が起こり両親とともに埼玉県浦和に避難し引越、6歳まで同地に居住し、1929年、両親と共に下谷に戻ってきました。というわけで、正太郎さんは生後間もなくの数ヶ月しか住んでいなかったわけです。しかしながら、「大川と待乳山聖天宮」というエッセイでは、「生家は跡形もないが、大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記しているそうです。やっぱり大作家ともなると、赤ん坊の時の記憶もあるもんですね。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【了】人気ブログランキング鬼平情景(補遺) 池波正太郎生誕の地
Apr 9, 2023
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墨田区役所にほど近いこのお寺、如意輪寺(→→→こちらです。如意輪寺は、太子自刻といわれる聖徳太子像を祀った堂があることから、牛島大師堂、中ノ郷大師堂とも呼ばれていました。鬼平犯科帳では、この寺の前の花屋が盗人宿となっています。鬼平犯科帳ゆかりの地を巡ってきましたが、いよいよゴールの都営浅草線の本所吾妻橋駅にやってきました。この駅では西馬込、京急線方面のホームと押上。京成線方面のホームは地下連絡通路でつながっているので、間違って反対ホームの階段から降りていくと、階段を昇り降りして反対側ホームに行かないといけませんので、注意しましょう。ということで、ここから地下鉄に乗って帰ります。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)まだ、続きがありますよ。【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その14) 如意輪寺と本所吾妻駅
Apr 8, 2023
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隅田川を運航する東京都観光汽船株式会社の水上バス、デザインは先ごろ亡くなった松本零士です。こちらは幕末に活躍した勝海舟(→→→こちら)。本所亀沢町生まれの幕府の旗本ですが、江戸幕府幕府陸軍最後の陸軍総裁であり。戊辰戦争において即時停戦と江戸城無血開城を主張し実現させた人物です。吾妻橋のたもとにも鬼平情景の高札がありました。墨田公園入口と刻まれた石柱です。隅田公園は隅田川左岸と右岸にまたがる公園で、春には桜が満開になり、夏には隅田川花火大会が行われることで有名ですが、関東大震災の復興事業の一環で公園として整備されました。吾妻橋は江戸時代、両国橋、新大橋、永代橋に次いで整備された四番目の橋ですが、最初は大川橋と呼ばれていました。向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことからっ、改名願いが出され1876年(明治9年)、正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名されたました。鬼平犯科帳でも度々登場しています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その13) 吾妻橋
Apr 7, 2023
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三囲神社から隅田川に出ました。ここにも鬼平情景の高札がありました。大川(隅田川)の土手のうち三囲神社の鳥居の貫から上が川面から見える辺りを指したようで、「大川の隠居」に登場する場所です。「大川の隠居」というのは巨大な鯉のことで、その鯉を船頭の友五郎と見たのですが、その友五郎がかっては盗賊だったという話だったと思います。隅田川の土手沿いに南に下って、浅草から東武鉄道の隅田川橋梁脇に作られた「すみだリバーウォーク」の入り口付近にも鬼平情景の高札がありました。枕橋とは、当時は堀留となっていた源森川(今の北十間川)に架かる橋で、作品の中では源森橋、源兵衛橋と名を変えて出ています。鬼平犯科帳では、その北詰にある蕎麦屋〔さなだや〕がいっしょに数多く登場します。今は、蕎麦屋はなく、東武鉄道の高架下に閉店したパン屋さんがあるだけですが、枕橋は残っています。橋の欄干には往時の枕橋の様子のレリーフが埋め込まれていました。そして枕橋からは、隅田川に接続する源森川水門が見えます。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その12) みめぐりの土手と枕橋さなだや
Apr 6, 2023
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国道6号線を渡って、見番通りに入ります。見番通りを歩いてゆくと、三囲(みめぐり)神社(→→→こちら)にやって来ました。三井家(三越などの創業家)が江戸に進出して以来、三井家の守護神として崇敬されているそうです。特に、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたそうです(→→→こちら)。江戸時代から有名な神社だったようで、鬼平犯科帳をはじめ、剣客商売などでもおなじみの神社。鬼平「迷路」では、元盗賊の「玉村の弥吉」が鬼平の密偵となっていましたが、盗賊の「妙法寺の九十郎」はそのことを知らず、「玉村の弥吉」を盗みに誘う場面の舞台となっています。折角、来たので三囲神社に参拝しました。石造りの狛犬があり、さらにライオンの狛犬もあります。かつては池袋三越店頭に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、2009年(平成21年)に三越から奉納されたそうです。ご祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)、つまり稲荷神なので、神様のお使いの「キツネ」もいます。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その11) 三囲神社
Apr 5, 2023
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東京スカイツリーのふもとに東京ソラマチ(→→→こちら)に出てきました。スカイツリーの脇を流れる北十間川です。本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来する名前だそうです。この川は業平橋駅(今のとうきょうスカイツリー駅)で鉄道貨物とも連携して船による物流に重要な役割を果たしていましたが、戦後舟運が衰退し、接続する大横川、曳舟川などは埋め立てられており、水運の役目はほとんど果たされていません。これは水を空気にさらし、液体に空気を供給する「ばっ気」により、水中の微生物有機物の分解を促進させ、水質の浄化を図っているんでしょうね。三っ目通りにむかって歩いて行くと、小ぶりなテニスコートらしきものがありました。スペイン発祥の人気ラケットスポーツ"パデル"(→→→こちら)のコートだそうです。テニスとスカッシュを合わせたようなスポーツだそうで、使っているラケットも板状の短いものでした。東武鉄道のスカイツリーラインを走る特急「リバティ」です。北十間川沿いには、東京ミズマチ(→→→こちら)という商業施設があります。「ソラマチ」と「ミズマチ」なかなかいい対比ですね。こちらは屋根のないオープントップの屋形船。観光舟運の活性化について墨田区が社会実験として取り組んでいる事業の一環のようです(→→→こちら)。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その10) 東京ソラマチと東京ミズマチ
Apr 4, 2023
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今日は月曜日、いよいよ令和5年度の始まりですね。そんな新年度に、新しく社会人としてのスタートを切る皆さんへ、公園で咲いていた花の写真でお祝いを。新人の皆さんへは、上から目線で見下ろすだけではなく、たまには目線を合わせて、というつもりで撮影してみました。そして、一つ一つの花を愛でるように、新人のみなさん一人一人と向き合ってみるのも、先輩としての仕事でしょうね。人気ブログランキングいよいよ新年度ですね
Apr 3, 2023
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墨田区にある鬼平情景の高札を紹介している途中ですが、ここのところ週末はお天気が悪く、なかなか行けなかったお花見に、ようやく行くことができました。花見に行ったのは、浅草にある隅田公園です。先月の23日には、満開となった東京の桜ですが、まだまだ楽しめそうでした。とはいえ、散りはじめているようで、よく見ると、葉桜になっているようです。しかし、満開の盛りの桜は、女性で言えば、十代、二十代の若いピチピチした魅力ですが、散りはじめの桜は、しっとりとした妖艶な美熟女の魅力も感じられていいですね。隅田公園での花見の様子は、改めて、後日に「鬼平情景」のシリーズが完成したのちに報告させていただきます。人気ブログランキング隅田川に花見に行ってきました。
Apr 2, 2023
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東京スカイツリーを見上げながら、浅草通りを歩いて行けば、長養山春慶寺(しゅんけいじ)という日蓮宗の寺院があります。ビルになっているお寺で、こういうのを見ると都会のお寺だなと改めて思います。この春慶寺、「東海道四谷怪談」の作者として有名な、四世鶴屋南北の菩提寺として知られています。この春慶寺の納骨堂はビルの中にある室内廟形式になっているのですが、鶴屋南北の墓だけは墓石が残っています。真ん中のお花が供えられいるのが鶴屋南北の墓石です。「鶴屋南北之墓」と墓碑銘が刻まれています。右隣は「関東俳優之碑」と刻まれた石碑です。この石碑は、市村羽左衛門、中村芝翫、中村富十郎などの歌舞伎俳優の寄進によって建立されたようで、手前に並んだ標石にこの方々の名前が記されていました。劇作家宇野信夫(→→→こちら)の「なつかしや 本所押上春慶寺 鶴屋南北 おちつきところ」という歌碑です。(読み取るのに苦労しました)宇野は東京大空襲で焼け壊れたまま放置されていた鶴屋南北の墓を、1983年自ら墓を再建したそうです。もちろんこの春慶寺も、鬼平犯科帳の中では、平蔵の剣友、岸井左馬之助の寄宿先として多くの作品に登場します。なかでも「明神の次郎吉」は春慶寺が主な舞台になっており、寺域や押上周辺の当時の様子が描かれているそうです。そして、テレビドラマの鬼平犯科帳で、岸井左馬之助を演じていた俳優の江守徹さん揮毫の石碑も建てられていました。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その9) 春慶寺
Apr 1, 2023
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