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業平橋から浅草通りを東に進むと、いかにも老舗という風情の、大正12年(1923)創業という煎餅屋さんがあります。キャッチフレーズは「腕っこきの煎餅屋 」(→→→こちら)。その店の横に目立たないように鬼平情景の高札が設置されています。煎餅屋さんの横なので「鬼平のお煎餅あります」と広告看板もついていました。鬼平犯科帳の中では、ここに遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷があり、周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。しかし、夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として登場します。今もスカイツリーで人気の行楽地、夜になったら江波杏子ばりの女賭博師(→→→こちら)が壺を振る賭場が開帳されていたりして。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その8) 西尾隠岐守屋敷
Mar 31, 2023
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さらに大横川親水公園を北に向かって歩いてゆけば、この平川橋がありました。こちらのモニュメントは以前「東京スカイツリー周辺のマイナースポット(その1) 平川橋落橋記念碑」(→→→こちら)で紹介した平川橋落橋記念碑で、以前の平川橋のトラスの一部を記念に展示しているものです。平川橋の傍には無料で楽しめる釣り堀があります。釣り堀に網が架かっているのは鳥が魚を獲らないようにするための防鳥ネットです。大横川親水公園北端の業平橋に到着です。ここにも鬼平情景の高札があり、この業平橋は、鬼平犯科帳の「敵」の中で、鬼平が雇っている元盗賊の密偵、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場しています。業平橋の傍にあるちょっと変わったモニュメント。凸面鏡があり、鏡には東京スカイツリー全景が写り、ここに立てばスカイツリーとツーショットの写真が撮影できます。こちらの船を連想させる建物は、業平橋観光案内所という公共施設で屋上から長い滑り台がありって子供達には人気がありそうです。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その7) 平川橋と業平橋
Mar 30, 2023
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報恩寺から再び大横川親水公園に戻ります。まず、大横川に架かっていた紅葉橋から親水公園に入って行きます。親水公園に入っていく坂の途中に高札が出ていました。「出村の桜屋敷」平蔵とその旧友の岸井左馬之助は共に、本所の出村町に道場にある一刀流の高杉銀兵道場に通い、修行を重ねていました。しかし二人とも道場主の孫娘・おふさに恋心を抱き、「おふささんに手を出したら斬る」とお互いに誓い合っていました。のちに、おふさは豪商に嫁ぐことになり、船で去っていくおふさを見送った場所がここという設定だそうです。さらに親水公園の中を北に歩くと、かって大横川が流れていた時の堤防の壁面になにか描かれていました。「すみだむかしはなし」ということで、墨田区に伝わる昔話を紹介していました。「鬼平情景(その3) 弥勒寺門前の茶店笹や」で紹介した弥勒寺にある杉山検校(→→→こちら)や「鬼平情景(その1) 料亭「井筒」」で紹介した与兵衛すしの華屋与兵衛(→→→こちら)などが紹介されています。また、本所七不思議という、今の墨田区になる本所に江戸時代ころから伝承される奇談・怪談が紹介されていました。こちらはよく落語などで使われる「置いてけ堀」(→→→こちら)の話が紹介されていました。錦糸町あたりの堀で魚釣りをして非常によく釣れた町人が、夕暮れになり気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いていけ」という恐ろしい声がしたので、恐怖に駆られて逃げ帰った。家に着いて恐る恐る魚籠を覗くと、あれほど釣れた魚が一匹も入っていなかったという話です。これは錦糸堀に住む河童かあるいはタヌキの仕業か・・・。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その6) 出村の桜屋敷とすみだ昔話、本所七不思議
Mar 29, 2023
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しばらくは、この大横川親水公園の中を歩いて行きます。スカイツリーを眺めながらのウォーキングになります。親水公園にあるこの橋。平成23年(2011)に架け替えられた「清平橋」です。橋の横には、旧橋に使われていた鋼材が一部残されていました。清平橋の名前の由来は、昭和4年(1929)に関東大震災復興事業としてこの橋が建設された頃、橋の西側が清水町、そして東側が太平町だったことから、両町名から一文字づつ取って名付けたそうです。墨田区の東西に流れる川が竪川(縦)として南北に流れていた川が大横川というのは、今の地図の感覚からはズレていて面白いですね。この川は、周囲が地下水汲み上げによる地盤沈下のためゼロメートル地帯となったため、堰き止めポンプで常時排水することにより水位を下げるため、スカイツリーの横を流れる北十間川から竪川までの区間が埋め立てられ親水公園として整備されています。そして、蔵前通りから親水公園を離れ、ここ法恩寺の参道にやってきました。この法恩寺、「本所桜屋敷」では平蔵と岸井左馬之助(若い頃、共に剣術修行に励んだ親友)が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場し。「尻毛の長右衛門」では、この法恩寺から物語が始まります。山門の前にあった看板。実はこの法恩寺へは、以前訪れたことがあります(→→→BМWで楽しむゴールデンウィーク(その1) 太田道灌ゆかりのお寺)「ご自由に御参拝下さい」とあったので、自由に参拝させてもらいました。こちらが本堂です。古びた案内板ですが、このお寺のことが記されています。開山は本住院日住上人、開基は太田道灌公であります。太田道灌が江戸城築城の際、長禄2年(1458)≫に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立したそうです。山門近くにある、大きな石碑。この石碑には太田道灌の山吹の和歌の物語が記されています。太田道灌は鷹狩に出かけた。ところが急に雨に見舞われ、近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花の一枝を道灌に差し出しました。道灌は花を求めたのではないのにと、娘の真意を理解せず怒って立ち去りました。しかしこれは、それは兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」に掛けて、蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを答えたのだというこを後に知り、和歌の勉強をして教養を高めたそうです。しかし、この粗末な小屋に住みながら、和歌を知っていた教養の高い若い娘、何者なんでしょうね。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その5) 大横川親水公園と法恩寺
Mar 28, 2023
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いかにも銭湯という佇まい。両国、錦糸町あたりの下町ですね。唐破風の彫刻の装飾がすごいですね。両国駅から歩いてきましたが、こちらもう錦糸町駅に近い緑四丁目付近。ここに長谷川平蔵の旧邸があったことになったています。「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所になります。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。なお、若いころの平蔵は義母から「妾腹の子」と呼ばれて、グレていて本所・深川を根城に「本所の鬼」「入江町の銕さん」などと呼ばれて無頼の生活を送っていた設定になっています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その4) 長谷川平蔵の旧邸
Mar 27, 2023
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清澄通りを南に下って、森下の近くまでやって来ると、こちらにあったのが、「茶店 笹や」です。弥勒寺の門前にあり、平蔵が放蕩無類の日々を送り「本所の銕」と呼ばれていた頃をよく知るお熊婆さんのお店です。火盗改の長官になってからは出先のような役割を担い、多くの作品に登場しています。ところで、実際の弥勒寺(みろくじ)(→→→こちら)は、この高札のある場所からかなり離れた、墨田区立川にあるこちらのお寺です。弥勒寺は「万徳山聖宝院」という真言宗豊山派の寺院です。慶長15年(1610)僧宥鑁が小石川鷹匠町に創建し、元禄2年(1689)本所に移転したそうです。江戸時代には新義真言宗の触頭寺院であり寺領100石の朱印状を与えられ、安政大地震まで塔頭6ヶ寺、及び多数の末寺を擁した格の高いお寺だったそうです。境内には、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉に鍼灸師として仕え、その病を治したことで綱吉の信頼を得た杉山検校(→→→こちら)のお墓と鍼供養碑が建立されています。真ん中の五輪塔が杉山検校(本名:杉山和一)のお墓で、左側の石碑がはり供養塔です。説明板に杉山和一について記されていました。ちなみに杉山検校の「検校」というのは室町時代以降、盲官(盲人の役職)の最高位の名称のことで、平曲(平家物語を琵琶を弾きながら語ること)・地歌三弦(三味線)・箏曲等の演奏、作曲、あるいは鍼灸・按摩などに従事する男性盲人の自治的職能互助組織(「当道座」と呼ばれる)のトップのことになります。ちなみに、映画やテレビで有名な座頭市の「座頭」もその当道座の冠位の最下位のもので、座頭市も普段は按摩を生業としていました。こちらの観音像は、「戦災殉難慰霊観音尊像」として1967年(昭和42年)3月の建立されたもので、太平洋戦争による数多くの殉難者の慰霊のために建てられ、付近で亡くなった3500柱の遺骨が納められているそうです。初代林家三平さんの奥さんで、八代目林家正蔵さんや二代目林家三平さんのお母様である海老名 香葉子さんもこのあたりの出身です。ご本人は疎開していて無事でしたが、兄一人を除いてご家族を空襲で亡くされたそうです。戦後はその生き残った兄とも生き別れ、親戚の間をたらい回しにされていたそうですが、父親が有名な釣り竿職人だった縁で、父親の知人で釣り好きで知られた三代目三遊亭金馬に引き取られて、そして初代林家三平さんと知り合い結婚され現在に至っているそうです。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキングと鬼平情景(その3) 弥勒寺門前の茶店笹や
Mar 26, 2023
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隅田川と中川を東西につなぐ堅川(たてかわ)の上には首都高速7号小松川線が通っています。その竪川に沿って遊歩道が設置されています。自然を楽しみながら歩くという雰囲気はないですが、水辺を歩くのは気持ちがいいものですね。両国らしいモノといえば、この建物。相撲部屋です。清澄通りに出ると鬼平こと火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が行きつけの軍鶏鍋屋で密偵の連絡場所。小説の設定では「二つ目橋の角地で南側は堅川」ということで、ここに高札が設置されているんですね。こちらが清澄通りの二之橋(にのはし)。その名前の示す通り、かつては隅田川から数えて二つ目の橋だったので、鬼平犯科帳では二つ目橋としてよく登場しています。ちなみに、今では一之橋とこの二之橋の間には、塩原橋と千歳橋のふたつの橋が架かっています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その2) 軍鶏なべ屋「五鉄」
Mar 25, 2023
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2023年2月23日の天皇誕生日の日に参加したJR東日本が開催する駅からハイキング「池波正太郎生誕100周年鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐる」の報告です。出発はここJR総武線の両国駅です。ここから出発して一之橋通りを行き、途中を路地に入ると、こんな高札がります。詳しく見ると、江戸時代文政年間に小泉与兵衛という人が考案した「握りすし」をこの土地に開いた「華屋」という屋号の店で売り出したということです。だからそれにあやかって「華屋与兵衛」(→→→こちら)という和食のファミリーレストランチェーンがあるんですね。さらに路地の奥には、こんな高札が。「麻布ねずみ坂」に登場した料亭「井筒」があったとされる場所で、この料亭の経営者が鬼平を暗殺しようと企んでいたんですね。ということは、両国一丁目のこのあたり昔は相当な数の飲食店が軒をならべていたんでしょうか。一之橋通りにある、その名の通り竪川に架かる一之橋です。こちらの高札は忠臣蔵にゆかりの場所を紹介するもので、吉良邸討ち入りを果たした赤穂浪士一行が最初に渡った橋だそうです。こちらの竪川(たてかわ)を東に向かって歩いて行きます。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その1) 料亭「井筒」
Mar 24, 2023
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もう満開?JR四ツ谷駅近くの外堀の土手で桜を見ました。天気予報では、関東地方は23日から雨らしいので、桜を楽しめるのは今日だけかもと思い、職場近くで桜を見れる場所に行ってみました。もう少し晴れて青空だったら桜の色ももう少し映えていたかな。四ツ谷駅前にあったしだれ桜はこれからですね。人気ブログランキング通りがかりに、四谷でお花見
Mar 23, 2023
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WBC準決勝のメキシコ戦、最後は村神様のサヨナラヒットでなんとか勝てました。メキシコも強かったですね。今日は日本が勝ったとかメキシコが勝ったとかではなく、野球の魅力をみんなが知った日、つまり野球が勝った日ですね。そして、びっくりしのたが、「きゃりーぱみゅぱみゅの結婚」(→→→こちら)。きゃりーぱみゅぱみゅが家にいて、チャーハンとか作ってくれる場面って想像できなかったな。さて、通勤電車の中で見かけた人の話題です。【爆睡おじさん】毎朝の通勤ご苦労様です。満員電車の中、幸運にも座席に腰掛けられた年配の男性から爆音のようなイビキが聞こえてきました。お願いです。MoMo太郎の安眠を妨げないで下さい。【お転婆さん】小学生でもいわゆる電通(電車通学)をしているお子様がいますね。改札口に向かって、ダラダラ歩いているおじさんのMoMo太郎を、いつも追い抜いて改札口に向かう元気のいい女の子がいます。その子は、改札のICカード読み取り機にそのまま胸を押し当てて改札を抜けていきます。ランドセルの肩かけにつけたIC定期券入れを直接、読み取り機に押し当てるのに丁度いい身長なんでしょうね。なんかお転婆さんなんでしょうね。でもそのうちこのお転婆さん、成長してちょっと胸も女性らしい特徴がでるようになると、そんなことも出来なくなるでしょうね。【手を握られました】MoMo太郎がつり革に掴まっていると、電車が揺れた瞬間、そのつり革を掴んでいる手を女の人に握られました。つり革につかまらずスマホを見ていた若い女性の方が、バランスを崩して思わずつり革を掴んだんでしょうね。この若い女の人は、「すみません」と謝ってくれましたが、MoMo太郎は「いえ、このまま手を握ってくれていても構いませんよ」と言いたかったです。人気ブログランキングへ通勤沿線、気になるあの人(その3)
Mar 22, 2023
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こちらが、東武鉄道大師線(だいしせん)の大師前駅です。高架下には東武バスの営業所も併設されています。こちらが改札口になりますが、ICカードの使える自動改札はなく、さらには駅員さんもおらず、しかも、券売機もない駅です。なぜこんなことになっているかというと、元々、この東武大師線路線は、東武鉄道の伊勢崎線西新井駅と上本線上板橋駅間 11.6 を大師前・鹿浜・神谷・板橋上宿の駅を設置し結ぶ計画だった西板線のうち用地確保が完了した西新井駅と大師前駅間の一駅の区間のみ昭和6年(1931)開業したものです。その後、大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化されたため「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で、昭和7年(1932)に鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した。大師前 - 鹿浜間については「工事竣工期限延期願」を関係省庁に提出していたが、昭和12年(1937)に不認可とされ、免許が失効したことで、このような路線になっています。その結果、鉄道車両の点検などの際に東武東上線と本線・野田線との間で車両を輸送する場合は東上線終点の寄居駅から秩父鉄道秩父本線経由で熊谷を通り伊勢崎線羽生駅を経由する経路が使われています。こちらが、大師前駅のホームですが、構造上は1面2線の島式ホームとすることも可能なようですが、ホーム北側の1線分は蓋をしてホームと同一面の状態にしているので、駅の規模を考えるとホーム幅は広いですが、初詣客でごった返すような時には、いいのかもしれませんね。(西新井大師へのコースです)【了】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その14) 東武大師線大師前駅
Mar 21, 2023
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西新井大師への参詣を終えて、次の目的地となるゴールの日暮里・舎人ライナーの西新井大師西駅に向かうため、環状7号線(環七通り)を西に向かって歩きます。尾久橋通りと環七通りの交差点です。一番上にあるのが日暮里・舎人ライナーの高架橋で、その下が環七通りの江北陸橋です。尾久橋通りを北に向かって歩きます。道路上の高架橋は日暮里・舎人ライナーです。この日暮里・舎人ライナーは、コンピュータ制御による自動運転を行う案内軌条式鉄道(AGT)で都営バスや都営地下鉄と同じく東京都交通局が経営しています。そして、西新井大師西駅に到着しました。駅からハイキングのゴールとなる西新井大師西駅の改札です。ちなみに、駅からハイキングでは大抵の場合、ゴールでの受付け手続きはありません。このまま日暮里・舎人ライナーに乗って日暮里駅に出ようかと思いましたが、、運賃が290円と意外と高かったのと、日暮里に出てもそこからJRに乗って家まで帰ることを考えると、乗り換えも多くなるので、東武鉄道の大師線の大師前駅から曳舟に出た方が乗り換えもなく便利だと思い、来た道を再び西新井大師まで戻ることにしました。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その13) 日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅
Mar 20, 2023
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いよいよ西新井大師(→→→こちら)へ参詣します。西新井大師は五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)といいう名前の真言宗豊山派の寺院です。こちらが山門です。山門の両脇にまつられている金剛力士像です。力士像もこちらのように口を開けた阿形と口を閉じ吽形を一対とした「阿吽」になっているんですね。ちなみに「阿吽」とは宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉だそうです。「あ」から「ん」ということですかね?この金剛力士像の役割は、仏敵が寺院に入ってこないようにその侵入を防ぐために安置されているそうですから、仏教のガードマンというところでしょうか。山門の脇にある寺号碑には、「厄除弘法大師」と刻まれています。厄災消除の祈願寺として創建されたのですね。江戸時代には女性の厄除け祈願所として名を馳せていたそうです。参詣した日は2023年2月5日で、2月最初の午の日でした。この日は、古来よりお稲荷様の縁日とされていてたので、お店が境内にでていました。ご本尊 の十一面観音と弘法大師をまつっている大本堂です。昭和47年(1972)に落慶したそうです。真言宗のマストアイテム、弘法大師の立像です。弘法大師が四国を行脚された時の姿といわれています。まだ2月5日でしたが、桜が咲いていました。説明板には、(珍樹)寒桜 当山の寒桜はカンヒザクラ系の雑種で桜の中では最も早く開花し、通常であれば2月上旬から3月上旬まで長期間楽しむことが出来る。このような寒桜は都内ではあまり見ることが出来ないと記されていました。この朱色の三重塔は三匝堂(さんそうどう)というそうで、一匝に八十八体大師像、二匝に十三佛、三匝に五智如来と二十五菩薩をまつっているそうですが、中に入ることはできないようです。天保11年(1840)の創建ですが、現存するのは明治17年再建されたそうで、東京都内に残る唯一の栄螺堂(さざえ堂)だそうです。このような庭園もありました。お稲荷様の縁日とされる2月最初の午の日だったので、境内にある出世稲荷明神にもお参りしました。稲荷明神の前にはこのようなお供え物が供えられていました。結構こちらもお参りされている方がいましたね。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その12) いよいよ西新井大師へ参詣
Mar 19, 2023
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環状7号線に出ました。西新井大師前の交差点です。防災対応型信号機(→→→こちら)になっています。これは環状7号線や環状8号線の主要な交差点にあるもので、大震災が発生した時の交通規制に対応して都心方向への一般車両の流入を禁止又は抑制する特殊な信号表示機能を備えた信号機です。環状7号線にあるものは、環状7号線から都心方向への車両の通行を禁止する信号表示を行うそうです。環状7号線から分かれたこの細い道に入って行きます。西新井大師につながるこの参道が西新井大師商栄会(→→→こちら)と呼ばれる商店街です。この門が西新井大師商栄会の中心になります。この商店街は、団子やせんべい、甘味などを提供している甘味処は参拝者や地元住民に人気があり、テレビなどでもよく取り上げられています。こちらのお店は草だんご・葛もちのお店ですね。こちらのお店は草だんごで有名なお店ですね。こちらのお店は強烈な昭和レトロ感がありますね。テレビドラマのロケ地としてもよく使われているようで、MoMo太郎も何度かテレビドラマで見たことがあります。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その11) 西新井大師商栄会
Mar 18, 2023
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本木氷川神社(→→→こちら)の前を通り、この小さな路地を抜けていくと、ちょっと広い道に出ました。この道は本木新道と言うそうです。このあたりは古くからの工場や住宅が多い地区です。この道沿いにある本木小学校の校門の前に石碑がありました。江戸時代の材木商冬木屋の別邸跡だそうです。冬木屋は材木置き場を幕府から買い取った場所が今も江東区冬木という町名に残っています。さらに進んで行くと、西新井小学校にやってきました。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その10) 足立区本木
Mar 17, 2023
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住宅街の中を歩いて行くと、「淵江山吉祥院星谷寺(ふちえさんきっしょういんせいこくじ)」(→→→こちら)にやってきました。立派な山門MoMo太郎が想像していた以上に大きなお寺でした。山門の脇には、由緒のありそうな石仏や石碑が建立されています。吉祥院についての案内板です。説明によれば、正応元年 (1288年) 、円真による開山だそうです。山門には山号の「渕江山」の扁額です。渕江というのはかってこのあたりが東京府南足立郡の渕江村と呼ばれたからでしょう。こちらが本堂です。本堂には、吉祥院という扁額がありました。真言宗豊山派の寺院なので、真言宗の必須アイテム、弘法大師の銅像です。もう一カ所、案内板が設置されていました。こちらによると、京都の仁和寺を本寺としつつ、吉祥院自らも33の末寺を抱える中本寺であったそうです。また、江戸時代、徳川家康を始めとする歴代の徳川将軍が鷹狩の御膳所とされ、寺紋に「三つ葉葵の御紋」を用いることが許されていたそうです。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その9) 真言宗豊山派 吉祥院
Mar 16, 2023
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しばらく河川敷を歩きます。右手には高く張られたネットが、なるほど、ゴルフの練習場だったんですね。ここは扇河川健康公園(→→→こちら)というそうです。公益財団法人河川財団(→→→こちら)という団体が管理しているようですが、実務的には一般社団法人河川健康公園機構(→→→こちら)という団体が仕切っているんですかね。河口から15kmの地点だそうです。こちらは野球のグランドですね。調べてみると、土日祝日のみの営業で利用料金は無料みたいでした(→→→こちら)。つい、投球フォームをチェックしてまうMoMo太郎のクセ。ここから東京スカイツリーも見えました。パークゴルフ場もあるんですね。初心者でも楽しめるサクラコース(9ホール)と起伏に富み上級者の方にも満足頂けるチューリップコース(9ホール)の全18ホールとなっていて、予約は不要でレンタルクラブやボールもあって、気軽に手ぶらで楽しんめるみたいです。料金は、1回18ホールで大人800円。ボールやクラブのレンタルもあるセット料金だと1,000円だそうです(→→→こちら)。スカイツリーを見ながらのゴルフも楽しそうですね。堤防の上から見たスカイツリーです。なかなかのビュースポットですね。首都高速中央環状線の下を通って、次の目的地に向かいます。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その8) 扇河川健康公園とスカイツリー
Mar 15, 2023
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さて、西新井大師を向かう途中で、荒川を渡りました。このあたりが今回の駅からハイキングの中間地点です。対岸の荒川区の方を見ました。観覧車が見えます。この観覧車は、東京23区内唯一の公営遊園地である荒川区立あらかわ遊園(→→→こちら)のものです。大正11年(1922)開園の老舗遊園地で、当初は民間の遊園地でしたが、あり、東京23区内唯一の公営遊園地である。昭和25年(1950)に 荒川区の区立遊園地となったそうです。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その7) あらかわ遊園
Mar 14, 2023
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新型コロナ対策としてのマスクの着用について、今日から屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねることになったそうです。顔が半分くらい隠れる大きな肌色のマスクをして目深(まぶか)に帽子をかぶって目を隠しているような人を見て、「あっ!のっぽへらぼう」と見間違えることもなくなるでしょうね。ちなみにMoMo太郎は、花粉症のこともありマスクはしばらく着用することにしています。尾久橋通りに戻り、隅田川と荒川を渡ります。この道沿いにあった熊野前保育園の壁に沿って案内板が立っていました。「東京発空襲の地」(→→→こちら)とありました。昭和17年4月18日正午過ぎ、日本の本土が初めてアメリカ軍による空襲を受けた。昭和16年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃から約4ヶ月後のことである。中でも、最初に被害があったのが、この付近の尾久町八、九丁目で、12時20分頃、ドーリットル隊(ドーリットル空襲)の2番機が爆弾3個と焼夷弾1個を投下した。 『荒川区史』所収の警視庁警備係の調査によれば、尾久では、死亡10人、重傷34人、軽傷14人、全焼43戸、全壊9戸、半焼1戸、半壊13戸の被害があったという。落下地点では、直径10メートル、深さ5メートルもの穴があき、家屋が倒壊し、上下水道やガス管も破壊された。また、焼夷弾による火災で全焼した家屋もあった。当時、干潮時で、消火に隅田川の水を利用することはできなかったが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火した。 この空襲を契機に翌5月には、熊野土地区画整理組合が設立され、電化通りから北側の現尾久橋通りが整備された。 荒川区教育委員会ということでした。この階段を上ると、尾久橋になります。隅田川を渡ります。こちらは日暮里・舎人ライナーの足立小台駅です。もう足立区に入ったんですね。今度は荒川を渡ります。この橋は、荒川に架かる首都高速中央環状線の五色桜大橋(→→→こちら)です。二層構造になっていて、上層部が内回り(板橋方面)、下層部が外回り(江北方面)となっています。橋の名前になっている五色桜とは、荒川や隅田川の河畔堤防がサクラの景勝地と知られ、染井吉野のほか八重桜が混植され、白や黄色、淡紅色などに彩られ、荒川の五色桜と呼ばれていたことに因むそうです。荒川に架かるこちらの橋は、扇大橋(→→→こちら)という名称です。荒川の左岸側の堤防では、扇大橋と首都高速中央環状線、そして日暮里・舎人ライナーが三層で交わった構造になっています。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その6) 東京初空襲の地から隅田川、荒川を渡ります
Mar 13, 2023
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はっぴぃもーる熊野前商店街の中に石碑がありました。杉野中尉殉難碑(→→→こちら)という文字が刻まれていました。大正6年(1917)、陸軍工兵杉野治義中尉が陸軍野外飛行で下志津(千葉県)から所沢(埼玉県)へ帰航中、突風に襲われて尾久村の水田に墜落し、航空界初期の犠牲者となったことを追悼する石碑だったんですね。こちらは荒川社会保険事務所。事務所の前がちょっとちした公園になって休めるようになっていました。都電荒川線のある通りにでました。ここで熊野前商店街が終わりです。東京さくらトラム(都電荒川線)の軌道を渡ります。熊野前停留場に停車している都電の車両です。このラッピングは梅干しメーカーの岡畑農園(→→→こちら)のものです。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その5) 杉野中尉殉難の碑と熊野前停留場
Mar 12, 2023
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チェーン店ながら町中華の雰囲気を演出している大阪王将で、期間限定メニューの「高井田の黒い中華そば」(→→→こちら)を食べてみました。真っ黒な醤油スープ、太麺、大きなチャーシューとネギ。これが高井田(たかいだ)系中華そばというそうです。名前は「たかいだ」でしたが値段は750円(税込み)でした。大阪府大阪市東部(東成区の新深江駅周辺)と東大阪市西部(高井田地区周辺)に、このタイプのラーメンを出す店舗が多いので、高井田系中華そばと呼ばれているようです。ちなみに東大阪ではラーメンのことを「中華そば」と呼ぶ人が多いそうです。NHKの朝ドラの舞台となっている町工場の街、東大阪で働く人は、このような濃い醤油味がお好みなんですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 黒い中華そば
Mar 11, 2023
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赤土(あかど)小学校前駅にやってきました。このあたり関東ローム層(→→→こちら)の赤土がでていたんでしょうかね。ここから安全横丁という看板が出ている脇道に入っていくと、「おぐぎんざ(尾久銀座)」(→→→こちら)という商店街にやってきました。ところで、「尾久」と書いて「おぐ」と読ませていますが、JR東日本の尾久駅は「おく」と表記しています(→→→こちら)。歴史的には、鎌倉時代から室町時代には武蔵国豊島郡小具郷(おぐのさと、おぐごう)と呼ばれていた地域が今の「荒川区東尾久、西尾久」に該当するので、「尾久(おぐ)」というのが正しいのかも(→→→こちら)。ちなみにJR尾久駅は荒川区ではなく北区にあります。大正から昭和にかけ、尾久温泉(ラジウム鉱泉)が湧き出たことにより、このあたりは遊興地として、相応の知名度を誇っていたので、昭和4年に開業した尾久駅は、この尾久温泉にあやかったんでしょうね。そんな遊興地だった尾久で、かの有名な阿部定事件(→→→こちら)は、起きています。食品店、洋品店、日用品店、雑貨店、レストランなど各種のお店が集まった、全長約300 メートルの、昭和の雰囲気の色濃い商店街です。「おぐぎんざ商店街」が終わったかと思ったら、引き続いて商店街がつながっています。「はっぴいもーる熊野前商店街」(→→→こちら)です。全長約480メートルに、レストランから、スーパー、お花屋さん、洋服やさんとバラエティ溢れる約80店舗のお店がそろった商店街です。もともとは、前述したように大正から昭和にかけ、尾久温泉(ラジウム鉱泉)が湧き出たことにより、このあたりは遊興地として発展し商店街が形成されましたが、戦後は付近の町工場で働く人やその家族のための商店街として発展を続けているんでしょうね。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その4) 尾久銀座と熊野前商店街i
Mar 10, 2023
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明治通りを西に進んで、すぐのところで再び高架橋を発見。こちらは京成電鉄本線の新三河島駅が見えてきました。京成電鉄の路線沿いは「藍染川西通り」という名前の道になっています。藍染川(→→→こちら)とは、王子にある飛鳥山の西側から南下して不忍池に流れ込んでいた谷田川(今は暗渠化されている)の洪水対策として道灌山のところで分岐させ隅田川へ導いた川のことです。この藍染川も暗渠化されて、このような道路として利用されています。また、かつては千駄木、谷中付近では藍染めが盛んであった事から「藍染川」とも呼ばれるようになったそうです。こちらが新三河島駅の改札口です。新三河島駅を過ぎると「冠新道商興会」という商店街があります。この冠新道は、新道と言いながら、歴史は古く 100 年余とも言われています。この通りは当時の地主さまが用地提供して建設されたことから、その地主様のお名前に因んで「冠」新道となったといわれているそうです。次は、道路標識にある尾久橋通りに入ります。尾久橋通りの上には新交通システムの日暮里・舎人ライナーの線路が高架橋となって通っています。日暮里・舎人ライナー(→→→こちら)の高架橋の下を歩きます。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その3) 冠新道と日暮里・舎人ライナー
Mar 9, 2023
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尾竹橋通りを歩いていくと、JR常磐線の高架橋が見えてきました。JRの三河島駅の前に来ました。今では三河島という地名は残っておらず、荒川区の荒川、町屋といった地名になります。三河島と呼ばれるになったのは、「三つの川(中川・古利根川・荒川)に囲まれた中洲状の土地であったため」というのが有力な説のようです(→→→こちら)。「徳川家康の関東入部の折、三河国から従ってきた人が知行したため」或いは、「三河国から従ってきた農民を住まわせたため」というのは、江戸時代に生まれた俗説のようです。三河島駅の北側には、「真土小思い出広場」(→→→こちら)という広々とした遊び場がありました。もちろん、名前の通り「真土(まつち)小学校」という小学校は以前あったのですが、廃校となり広場になったのですが、いずれここには再開発ビルが建つ予定だそうです(→→→こちら)再び尾竹橋通りを北上して、明治通りとの宮地(みやち)交差点に着きました。この交差点、明治通りと尾竹橋通りと道灌山通りなどが交差する6差路の大きな交差点です。ここからは明治通り沿いを歩きます。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その2) 三河島と真土小思い出広場
Mar 8, 2023
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2023年2月5日、稲荷神社で初午祭が行われた日、JR東日本主催の駅からハイキング「西新井大師を目指して、日暮里・舎人ライナー沿線の下町商店街巡り」に参加してきた報告です。出発は、ここ日暮里駅です。そして、駅前にある鷹狩り装束の太田道灌の騎馬像「回天一枝」とそして、鷹狩に出た太田道灌がにわか雨にあい、立ち寄った農家の娘に蓑を乞うたところ、娘は和歌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」)とともに山吹の一枝を渡したのみで蓑を貸してくれなかった「山吹の里伝説」。その山吹の花を道灌に捧げた少女の姿をした「山吹の花一枝像」に見送られて、この商店街を歩いていきます。「日暮里繊維街」(→→→こちら)です。しかし、荒川区って銅像が好きなのか、繊維街の道沿いに、笛を吹く少女の銅像(響(echo)という題名です。)があったり。よくわからない形状の「豊穣の門」という石の彫刻もあったりします。この商店街は、プロ、アマチュア問わずファッション・手芸・ものづくりを楽しむ人たちが材料を探しに訪れる街として有名ですね。ここも布地屋さんのようです。近年は海外の人も多く訪れているそうで、このお店の店主もインド系の外国人風でした。通りの名前としては日暮里中央通りというのですね。そして尾竹橋通りに出ると、今度はこの尾竹橋通りを北へ向かって歩きます。(西新井大師へのコースです)【つづく】人気ブログランキング西新井大師を目指して(その1) 日暮里駅繊維街
Mar 7, 2023
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職場でお土産に浜松の銘菓「うなぎパイ」を頂くことがあって、見た目年齢30代、本当は常盤貴子(1972年生まれ)と同年齢の女性事務員さんが配ってくれた。配ってくれる時「夜のお菓子ですから、ガーリックも入っているので、奥さんと食べて下さい」と言って二枚くれた。確かに「夜のお菓子」とは書いてあるけど、事務員さんの想像している意味とは違って、夜のお菓子とは夜の家族団らんのひとときに召し上がって下さいという意味です(→→→こちら)。お姉さん間違っていますよ。それとも、MoMo太郎はそっちのことが好きな人間に思われているのでしょうか!?人気ブログランキング孤独のグルメ 夜のお菓子
Mar 6, 2023
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両国の横網公園で、桜が咲いているのを見つけました。オオカンザクラという品種です。一足早いお花見を楽しめました。人気ブログランキング一足早いお花見でした
Mar 5, 2023
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赤羽八幡神社(→→→こちら)にお参りします。この神社は武蔵野台地の東北端にあるため、この階段を登っていきます。伝説では、延暦3年(784)に征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折、この地に陣を取り、遙かに八幡三神を勧請して武運長久を祈られ、その後、源頼光が社殿を再興、源頼政が改修、太田道灌の父・資清が社領として土地を寄進し、道灌が社殿を再興(文明元年・1469)したとあります。江戸時代には、三代将軍家光の時に社領七石を与えられ、以後代々将軍家より御朱印を寄付されていた、重要な神社だったのですね。神社の下には東北新幹線、埼京線が通っています。神社に向かって新幹線もお参りにやってきて、道中の安全を祈願してから北に向かい。道中の安全をお礼して東京に帰ってくるようになっています。神社にお参りした後、赤羽駅に到着しました。ここから家に帰ります。(板橋宿のコースです)【了】人気ブログランキング中山道の板橋宿(その17) 赤羽八幡神社
Mar 4, 2023
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こちらの道へ歩いてみます。赤羽自然観察公園から赤羽駅西口方面へと続く「赤羽緑道公園」(→→→こちら)です。廃線となった軍用貨物の線路跡を利用して作られた、細長い公園です。舗装のデザインが線路を模していますね。訪れた昨年の12月10日には、見事な紅葉を見ることができました。道の途中でこんな景色が見えました。何の工事なんでしょうね。(板橋宿のコースです)【つづく】人気ブログランキング中山道の板橋宿(その16) 赤羽緑道公園
Mar 3, 2023
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赤羽スポーツの森公園の北隣にある「赤羽自然観察公園」(→→→こちら)です。多目的広場や小川、池、色々とありそうです。陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地跡地の一部を公園として整備し1999年4月1日に開園したそうで、面積は5.4ヘクタールという広大なものです。こちらの多目的広場では、子供たちがサッカーやっていました。北区の人って、本当にサッカー好きなんですね。ここでは、自然に触れあいながら散策を楽しめたり、青空の下、色づいた木々を眺めて歩くと、ちょっと東京にいるとは思えないですね。訪れたのは2022年12月10日、紅葉も見事でした。園内には湧水があり、そこから流れ出した小川もあり、緑と水の豊かな自然環境を形成してるのですね。こちらは、北区ふるさと農家体験館。 江戸時代に北区内の浮間にあった古民家・松沢家を移築したものだそうです。北区指定の有形文化財だそうです。(板橋宿のコースです)【つづく】人気ブログランキング中山道の板橋宿(その15) 赤羽自然観察公園
Mar 2, 2023
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この交差点を渡ります。向こうにも大きな建物が見ますね。この大きな建物は、「赤羽スポーツの森公園競技場」(→→→こちら)です。施設としては、サッカー専用の競技場。北区では野球やラグビーはスポーツとしては認められていないんですかね。(板橋宿のコースです)【つづく】人気ブログランキング中山道の板橋宿(その14) 赤羽スポーツの森公園
Mar 1, 2023
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