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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。奥戸新橋を渡って新中川の右岸側にある宝蔵院(→→→こちら)にやって来ました。こちらが宝蔵院の山門になります。江戸時代中期に尊王論者が弾圧された最初の事件である宝暦事件の首謀者竹内式部の門下生で、公家の徳大寺公城の家臣だった本堂良喜と公城の娘が、京都から落ち延びて、このお寺で仏門に入ったそうです。そして、師匠竹内式部の菩提を弔うために安置した薬師如来像が有名なようですね。これは昭和38年に完成した中川放水路の記念として建立された「和光の鐘」を吊った鐘楼です。こちらが本堂になります。なかなか立派な建物です。寺号は、青旧山和光寺というそうです。新中川の堤防を北に向かって歩きます。こちらの橋は架け替えの工事中で、この仮橋で左岸側に戻りました。新しい橋の橋脚は出来上がっているようですね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その9) 宝蔵院
Oct 31, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。鎌倉公園からさらに南下して、京成本線を越えて行きます。葛飾区細田と呼ばれる地域を歩いて行くと、「東用水せせらぎ通り」という緑道がありました。葛飾区には葛飾区水元の小合溜井を水源とした江戸時代に整備された用水路があり、小岩用水・東井堀・中井堀・西井堀という、いずれも農業用水や物資の輸送路として利用されてきた水路がありました。東用水というのは東井堀の別名です。用水路としての役目を終えた東井堀は、ほとんどが道路になりましたが、葛飾区高砂2丁目19から細田1丁目22までの間は東用水せせらぎ通りとして、歩道、緑、花、小さなせせらぎが整備されています。この東用水せせらぎ通りに並行するように、新金線とも呼ばれる新金貨物線(→→→こちら)が走っています。この新金線を越えて新中川の近くまでやってくると、ちょっと洒落た公園がありました。奥戸ローズガーデン(→→→こちら)という公園で、日本の皇室や海外の王室ゆかり名前が付いたバラなど、様々なバラが植えられています。このようなオリンピック・パラリンピックを記念したバラも栽培されているようです。バラの咲くタイミングを見計らっていくといいですね。9月中旬、厳しい残暑のせいか花も少なかったです。ガゼボと呼ばれる西洋風四阿などがあって、英国風の庭園デザインになっていました。こちらの新中川に架かる奥戸新橋を渡って、対岸に渡ります。この橋は、四ツ木と小岩を結ぶ幹線道路である奥戸街道の橋です。橋の南側には新金線の鉄橋が見えます。新金線はここで新中川を渡って総武線の亀戸駅方面に向かい、さらに南に向かって江東区砂町を経て江東区塩浜の汐見運河のあたりまでつながっています。新中川、かなり河幅は大きいです。さて、この新中川、中川の洪水対策として中川放水路として1949年から1963年にかけて新しく造成された水路ですが、1965年3月、一級河川に指定され河川名を「新中川」に改称されたそうです。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その8) 奥戸ローズガーデンと新中川
Oct 30, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。北総線の高架橋を越えたところにある鎌倉公園(→→→こちら)です。入口には「野草園」という古びた看板が掲げられていました。しかし、この野草園は2022年3月5日に開園したそうです。こちらが鎌倉公園の案内図です。野草園以外にも、芝生広場なども整備されていて、子供達が楽しめそうな公園になっています。こちらは入口付近にあった花時計。丁度、お昼時にこの公園に到着したんですね。こちらの遊具は、木でできたいかだの上に乗り、ロープを引いて池を渡る「いかだ渡り」という遊具です。ちょっとした冒険気分を子供たちが味わえそうですね。こちらは、野草園らしく草花が植えられているエリアです。葛飾区にも鎌倉という地名がある由来が書かれていました。戦国末期から江戸時代のはじめにかけて鎌倉に住んでいた人たちが移住したことから、鎌倉という地名になったそうですね。大きな池がありました。そして奥にある建物は、野草園の管理所です。授乳室なんかもあってなかなか充実した施設です。この池は「じゃぶじゃぶ池」という名前で、夏の間は子供たちが水遊びできるみたいです。また冬はスケートリンクにもなるそうです。無料で楽しめるこんな公園があるって、葛飾区もなかなか住みやすそうな街ですね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その7) 鎌倉公園(野草園)
Oct 29, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。ところで、昨日いただいたコメントの中に、「タコ社長には子供はいなかったのでしょうか?」という質問がありましたが、タコ社長には、美保純さんが演じたあけみという娘さんがいました。さて、こちらの道、柴又街道を南に下っていきます。こちらにあるのは、東京スマイル農業協同組合の経営する葛飾元気野菜直売所(→→→こちら)です。葛飾区でとれた新鮮な野菜を購入できるお店として有名らしいです。しかし、葛飾区内でも野菜を栽培してている農家さんがいるんですね。この住宅街の道を歩きました。このあたりが今回の駅からハイキングのコースの中間地点になるそうです。ちなみに今回のコースの距離は12kmだそうです。そしてこちらは、京成電鉄高砂車庫です。門扉越しにしかわかりませんでしたが、鉄道の日なんかに一般公開してもらいたいですね。この道は、かってあった小岩用水の水路の上に蓋をかけて歩道にしています。この道の先に見えるのは北総鉄道の高架橋です。成田空港に行く京成スカイライナーはこちらの線路を走っています。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その6) 京成電鉄高砂車庫
Oct 28, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。スーパー堤防(→→→こちら)とは、越水しても崩壊し決壊しないよう、裏法面を3%以内の緩やかな勾配としたものをいうそうですが、その土地を利用して公園にしているようです。ここには、葛飾柴又の生んだスーパースター、「フーテンの寅」こと車寅次郎(→→→こちら)をテーマとした葛飾柴又寅さん記念館(→→→こちら)です。こちらは、葛飾区山本亭(→→→こちら)です。ここは、地元ゆかりの山本工場(カメラ部品製造)の創立者である山本栄之助翁の自宅でした。関東大震災後、当地に移り住み、以後4代にわたって使われていたものを、昭和63年に葛飾区が取得し、平成3年4月から一般に公開しているそうです。柴又にこんな豪邸に住んでいた人がいたんだなと改めて思う次第です。そして、柴又帝釈天(→→→こちら)の二天門です。寅さん映画でもお馴染みの門前ですね。そして、ここが板本尊を祀る帝釈堂です。そして、帝釈天参道です。この団子屋さんが寅さんの実家のモデルとなったところだそうです(→→→こちら)。映画の設定では、団子屋さんの裏は、義弟の諏訪博が勤めるタコ社長(→→→こちら)の経営する印刷会社工場でしたが、今では団子屋さんの駐車場になっていました。タコ社長の会社、後継者がいなかったんですね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その5) 柴又帝釈天
Oct 27, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。江戸川にやってきました。江戸川に建っているこれは、江戸川の水を取り入れている取水塔です。堤防は、江戸川堤サイクリング道路として整備されています。自転車でもいいし、歩いてもいい道です。こちらは別の取水塔。いろんなデザインがあるんですね。水利使用標識です。東京都の水道水、ここは毎年更新なんですね。金町浄水場で都民の皆様に水道水を送っています。墨東エリアに住むMoMo太郎も、多分、江戸川の水を飲んでいるんでしょうね。江戸川の河川敷も広々として、野球のグランドも整備されていて、みなさんスポーツの秋をエンジョイされていますね。柴又公園として整備され、葛飾区民の憩いの場所なんですね。やっぱりここで有名なのは、矢切の渡し(→→→こちら)ですね。矢切の渡しは、小説「野菊の墓」や、歌謡曲「矢切の渡し」で有名な唯一現存する江戸川の農民渡船で、松戸市矢切と葛飾区柴又を結んでいます。こちらは「矢切の渡し」の歌碑です。江戸時代は、街道に続く渡し舟は厳しく管理されていましたが、一方で対岸に農地を持つ農民のための渡船は許されていました。そんなわけで、旅人の中には事情により街道の利用がはばかられ、農民に扮装して川を渡る者もあったといいます。歌謡曲の最初の一節、「♪連れて逃げてよ」はこういう背景で書かれたのでしょうかね。この渡し舟、片道200円で利用できます。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その4) 江戸川堤と矢切の渡し
Oct 26, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。新宿交通公園にやって来ました。交通がテーマの公園。無料で楽しめるテーマパークみたいです。交通公園は児童が遊びながら交通知識や交通ルールを体得させることを目的として設置される都市公園のことで、第1次交通戦争と呼ばれる1960年代から全国的に整備がはじめられた公園です。こちらの建物が公園の管理事務所を兼ねた建物です。交通公園というだけあって、色んな交通機関が展示されています。これはミニSLです。このミニSLは土日、祝日のみ運行されています。料金は100円になります。こちらはゴーカート、といっても自分の足で漕いで進むタイプ。小さい子供にはむずすしぃかな。都バスも展示されています。新宿交通公園からひたすら東に向かって歩くと、京成電鉄の金町線の方へやって来ました。金町線、単線だったんですね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その3) 新宿交通公園
Oct 25, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。新金線の踏切を越えて、少し行くと石仏が沢山並んだ場所がありました。記念碑の碑文を読むと、道路の拡幅に伴い地蔵菩薩などの石仏をこちらに移設した旨が記されていました。旧水戸街道というのは、その名の通り今の国道6号、東京や千葉では水戸街道と呼んでいます。そして、旧上下之割用水(→→→こちら)というのは、江戸川から取り入れていた灌漑用水のことで、農地がなくなるとともに、下水道として地下水路になったのでしょう。ちなみに「新宿」とありますが、「しんじゅく」ではなく「にいじゅく」と読むそうです(→→→こちら)で、このあたりに小規模な宿場町があったようです。色んな石仏がまとめられているみたいですね。こちらの奇妙な形状の石碑には、「帝釋道」と刻まれていて、柴又帝釈天への道しるべということですね。こちらの道が旧水戸街道になるわけですね。新金線の踏切には「浜街道踏切」とありましたが、これは水戸以北、仙台に向かう街道は磐城街道と呼ばれていて、明治時代以降は、水戸街道と磐城街道をまとめて陸前浜街道と呼称するよう明治政府から通達されたことを受けての踏切の名称になるのでしょう。踏切の先の町並み、並木道となっていてなんとなく旧街道らしい雰囲気も・・・あるような。こちらは国道6号に面した警視庁亀有署。漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公、両津勘吉巡査長はこちらの所属になるのかな?そして、この国道6号(水戸街道)を渡ります。水戸街道、交通量は多いですね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その2) 帝釈道の道しるべ
Oct 24, 2023
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残暑厳しい今年の9月16日(土)にJR東日本が主催する駅からハイキング「陸路・鉄路・水路をたどり下町情緒と水辺風景を感じる」に参加した報告です。京成電鉄金町線に乗ってやってきました。京成金町駅です。この駅は、金町線の終点であり、行き止まり型の棒線駅です。JR東日本の開催するイベントに参加するのに、京成電鉄を使って参加するのは、いささか気が引けたのですが、MoMo太郎の住む東京墨東エリアからはJR常磐線を使うより、こちらの方が時間が掛からないので、利用しました。で、出発は当然のことながらJR常磐線の金町駅です。駅から線路沿いに歩いて行くと、この日は地元のお祭りの日で、沿道には、このようにお神輿が飾られていました。下町というと、東京では武蔵野台地東麓や隅田川沿いがそのエリア(→→→こちら)で、葛飾区この辺りを下町と呼ぶのには、やや抵抗がないわけでもないですが、かと言って山の手でもなく、本来は田園調布(?)のような郊外の住宅街というべきかもしれませんが、まあ、台東区、墨田区、江東区、荒川区、文京区、足立区、葛飾区、そして江戸川区は東京の下町町区域として認識されています。というわけで下町には欠かせない、銭湯です。屋号は「金町湯」とありました。江戸の昔は、今の水元公園あたりを水源とし農業用水を送っていた小岩用水の跡地のこの道路を歩いて行くと、踏切があります。総武線の小岩駅と常磐線の金町駅を結ぶ新金貨物線の踏切です。この路線、新金線とも呼ばれていて、葛飾区はこの路線の旅客化を検討しているそうです(→→→こちら)。確かに旅客線となると便利な気もしますが、しかし、用地はあるとしても、この踏切やあるいは国道6号を平面交差している踏切があるなど設備面でハードルが高そうな気もしますね。(駅からハイキング 金町から京成高砂で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング金町からたどる下町歩き(その1)京成金町駅周辺
Oct 23, 2023
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松のやの朝定食「得朝ささみかつ&コロッケ定食」(490円税込み)を頂きました。小鉢がコロッケ、お新香、納豆、冷奴の中から選べるので、冷奴をいただきました。朝から揚げ物だと、なかなか胃腸には負担掛けてますかね。人気ブログランキング孤独のグルメ 朝からささみかつ&コロッケ定食
Oct 22, 2023
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キンモクセイの下でワンちゃんに用をさせているおばちゃんがいました。なるほどなと思いましたね。さて、琵琶湖にも太平洋にも見立てられる大泉水の周りを散策しました。こちらは、大泉水の東橋に当たる舟着と呼ばれる場所から大泉水にある蓬莱島を撮影してみました。蓬莱島にある海岸です。よく見ると、灯籠の手前にアオサギが一羽いました。この小石川後楽園に大きな望遠レンズを付けたカメラを持って園内を歩いている人がよく見かけられます。小石川後楽園は、都内でも有数のカワセミ撮影スポットなんだそうですね(→→→こちら)。また木立の間から、朱色に塗られた弁財天の祠が見えました。こういうことも想定して望遠レンズを持ってくればよかたですね。この角度から撮影すると、島の景観がよくわかりました。大泉水を西向かって岸伝いに歩いゆくと、滝がありました。白糸の滝と呼ばれています。白糸の滝って軽井沢や富士宮など日本各地にあるそうですが、これはどこをモデルにしているんでしょうかね。大泉水の横にある蓮池です。季節の頃には見事なハスの花が楽しめるのでしょうね。大泉水の横にある一つ松。琵琶湖唐崎の一本松を模して植えられたとのことです。そして、西門にある売店の方にやってきました。小石川後楽園の西門です。特別史跡及び特別名勝の小石川後楽園、四季折々に訪れたい場所ですね。その際には年間パスポート1,200円はお得かも(ちなみに。65歳以上になると半額になります)。また9庭園共通年間パスポート4,000円もあります。ちなみに9庭園とは、浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、旧岩崎邸庭園、向島百花園、清澄庭園、六義園、旧古河庭園、そして殿ヶ谷戸庭園になります。【了】人気ブログランキング小石川後楽園(その8) 大泉水の周りを巡って帰りました
Oct 21, 2023
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大泉水の周りに戻って来ました。大泉水の周りには「松原」と呼ばれる松が植えられた広場があります。松原といえば、おそらく三保の松原を設定しているようです。とすれば、この大泉水は太平洋にも見立てられているんですね。松の間から、見えたのは中央大学の校舎です。松原の片隅に茅葺の木造の建物がありました。九八屋という江戸時代の酒亭を復元した建物だそうです。解説文には、「江戸時代の風流な酒亭の様子を具した。この名の由来は、『酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。』と酒飲みならず、万事控えるを良しとする。との教訓による。」と書かれています。このため、昼は九分、夜は八分の教訓から、九八屋と名付けられたそうです。こういう教訓を庭にするとは、水戸徳川家の人には、お酒が好きな人が多かったんでしょうかね。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その7) 酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。
Oct 20, 2023
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無料公開の都民の日に訪れた小石川後楽園。園内の散策まだ続きます。見るべきものが多いです。こちらにあるのは、建立当時の姿を残す園内唯一の建物といわれる得仁堂。光圀18歳の時、司馬遷『史記』の「伯夷列伝」を読み、伯夷、叔斉の高義を慕い、泰伯の像とともに二人の像を安置したところだそうです。堂名は、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁 (仁を求めて仁を得たり)」(『論語』述而第七の十四)と語ったことに由来します。園内を歩くと、一瞬、深い山の中の道を歩いている感覚になります。そして、これが円月橋。水戸徳川家2代藩主光圀により、賓師(客分として待遇される師)として招聘された明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋です。このあたりも光圀公の中国への関心の高さがわかりますね。水面に映る姿が満月のように見えるので、円月橋の名がつけられたそうですが、沖縄・九州地方を除く地域の中では最古級とされる石橋です。残念ながら、橋の上には登れませんでした。こちらは花菖蒲田ということで、季節にはきれいなハナショウブが楽しめるそうです。ボランティアガイドの案内は、この後大泉水の方に出て、ガイド終了となりましたが、MoMo太郎はもう少し見たかったので、さらに園内を探検しました。こちらはまた山に登る階段がありました。この上にも行ってみたかったのですが、パスさせてもらいました。そして、こちらの石碑がありました。「藤田東湖 護母致命の処」という石碑です。藤田東湖(1806~1855)は、幕末の水戸藩士で勤王家として知られた人物です。その藤田東湖が水戸藩江戸上屋敷で安政の大地震に遭ったのですが、その際母を助けて外に出たのです。しかし、火鉢の火を心配した母が屋内に引き返したため救い出そうとしたところ鴨居が落ちてきて、東湖は老母を下に囲い、肩で鴨居を支え、かろうじて母を庭へ出したのですが、東湖本人は力尽きて下敷きになり圧死したそうです。その記念碑はとして建立されたもので、圧死した場所の後楽園ジムの脇に建立されたのですが、白山通りの拡幅により道路となったため、ここに移設されたそうです。この井戸は、どんな干ばつにも枯れず、またどんな洪水でも水があふれなかったという伝説があるため、「不老水」と呼ばれているそうです。石川後楽園にある梅林です。の梅の木を水戸の偕楽園に持って行って植えたそうです。ちなみに水戸光圀公は号を「梅里」と称するほど梅を好んだそうです。園内を流れる川です。この川のほとりにあるのが、こちらの稲田です。この稲田は、光圀が、農民の苦労や農業の尊さを彼の嗣子綱条の夫人に教えるために作ったとされるもので、毎年文京区内の小学生による田植えと稲刈りが行われ、光圀の教えを継承しているそうです。園内には水戸光圀公の趣味で作られたものがかなりあるんですね。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その6) 水戸光圀公の趣味です
Oct 19, 2023
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谷村新司さんがお亡くなりになったそうで、ご冥福をお祈りします。MoMo太郎にとっては、谷村新司さんって歌手とかというイメージはあまりなくって、ラジオの深夜番組でエッチな話をしていた人という印象があります。特に、印象に残っているのは、和式トイレで大きな方をするときには、予めトイレットペーパーを便器の中に敷いておくと、きれいに排泄物を流せて痕が残らない、という話でした。その話を聞いてからは、最近は洋式トイレが多いのでそういうことはしていませんが、和式トイレで大きな方をするときは、その方法を実践しています。さて、無料公開の都民の日に訪れた小石川後楽園。園内の京都の名所、まだ続きます。琉球山の頂上付近かにあった、この建物の土台のようなものは、清水観音堂跡です。かつては京都の清水寺の本堂を模写したお堂が建てられていたそうですが、この建物も大正12年(1923)の関東大震災で焼失してしまったそうです。ということで、清水の舞台からの眺望を楽しもうとすると、ちらっと見えた赤い橋、これもなにやら京都をイメージしたんでしょうか。園路を辿って、山を下っていくとこの赤い橋を渡ることができます。この橋、京都東福寺の通天橋と見立てるそうです。でも、これって水戸頼房公も光圀公も騙されたんじゃないんですか。京都で学生生活を6年送ったMoMo太郎は騙されないぞ!本当の東福寺の通天橋は、こんな朱色のアーチ橋ではなく、渋い木造の水平な橋で、そして屋根が付いているんですよ(→→→こちら)。この橋を渡るお姉さん、今度は京都に行って確かめてね。ちなみに東福寺通天橋は紅葉が見事です。こちらの橋からも紅葉が楽しめそうなので、その点では通天橋に見立てても間違いではないかも。ちなみに、例年だと小石川後楽園の紅葉が綺麗なのは12月の第一週だそうです。その時はちゃんと300円の入園料を払って来てね、とボランティアガイドさんに言われました。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その5) 水戸頼房公は騙されたのか?ついでに谷村新司の思い出も
Oct 18, 2023
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こちらの道を行くと大泉水をクルっと一周できるのですが、なぜかこちらに人が集まっていました。実は小石川後楽園のボランティアガイドさん(→→→こちら)が無料で園内を案内してくれるそうです。無料と聞いて放ってはおけません。MoMo太郎もこのボランティアガイドのオジサンについて園内を歩くことにしました。さて、ガイドさんの説明によると、この橋は京都の嵐山にある渡月橋だと見立てるそうです。中山道を歩いていよいよ京都に来たのですね。渡月橋が架かる、京都の桂川上流で嵐山を流れる大堰川(→→→こちら)に見立てられた川です。嵐山の雰囲気がありますかね。と、京都だとばかり思っていたら、この堰は、なんと西湖の堤(さいこのつつみ)というそうです。西湖って京都にあったのかなと思っていたら、なんと中国の杭州(今の浙江省)にある西湖(→→→こちら)の堤に見立てるそうです。これは二代目藩主の水戸光圀が、父の水戸頼房の時代から水戸藩に仕えた明の遺臣朱舜水(→→→こちら)のアドバイスに従って、こういう中国の風物を取り入れた庭を造ったそうです。さすが、日本で初めてラーメンを食べたという俗説の伝わる水戸光圀、中国が好きだったんですね(→→→こちら)。渡月橋を渡り切った所、大堰川の河原に置かれた屏風岩です。屏風のように板状の石が並べられているから屏風岩。屏風岩の後ろには琉球山と呼ばれる築山が作られています。琉球山に登り始めたところで振り返って撮影した、渡月橋と西湖の堤です。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その4) いよいよ京都です
Oct 17, 2023
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園内の散策、色んなものがありました。石碑も建立されているようです。この石碑は、駐歩泉碑(ちゅうほせんひ)というもので、この辺りは、清水が湧き出ていたそうで、水戸藩九代目藩主徳川斉昭が「駐歩泉」と命名したそうです。「駐歩泉」は西行(→→→こちら)の和歌「道のべに しみづながるる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」に因んだもので、「駐歩泉」碑の小径を行くと西行堂跡というのがあります。こちらが西行堂跡です。関東大震災で焼失し西行堂の土台だけが残っています。また右側の石碑は西行の歌碑になるそうですが、上手く撮影できなかったので、載せていません。西行堂跡のあたりから大泉水を眺めると、大泉水に浮かぶ蓬莱島の姿がよくわかりました。このような島は、神仙思想に説かれる蓬莱山を表す工夫として、各地の庭園に設けられているそうで、。この島は、亀の形をしていて、亀の頭に当たる板状の石は、庭師・徳大寺佐兵衛にちなんで徳大寺石と命名されています。また、樹木に覆われて見えにくいのですが、島内には弁財天の祠がありますが、島に渡る渡し舟が運行されておらず、お参りすることはできません。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その3) 駐歩泉碑と西行堂跡
Oct 16, 2023
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10月1日の都民の日で無料公開されていた小石川後楽園に行ってきました。こちらの案内図(→→→こちら)を見ながら、どのようにこの庭園を廻ろうかと考えていると、木曽川とか龍田川、そして渡月橋、通天橋といった日本各地の名所の名前が見えました。どうやら、この小石川後楽園の庭づくりのコンセプトは、日本各地の名所を水戸徳川藩の上屋敷の庭園に造ろうということのようです。さすが、全国を回って巡って悪人を退治する水戸黄門漫遊記のモデルとなった水戸光圀公を生んだ水戸徳川家の庭園、きっと、光圀公もこの庭園を巡りながら、水戸黄門ごっこをして遊んでいたのかも。水戸徳川家の上屋敷は、この後楽園と隣の東京ドームシティを併せた広い敷地にあり、この小石川後楽園は、上屋敷の中の庭園ということです。また屋敷の建物は、庭園の東側にある今の東京ドームシティの場所にあったそうです。MoMo太郎は小石川後楽園の東門から入ったので、最初にこの内庭と呼ばれる水戸藩書院のあったところに出ました。内庭は、この唐門によって、仕切られ、唐門は開設時の「後楽園」の正門になります。ということで、門に懸けられた扁額には「後楽園」という文字が書かれています。この唐門の前に立つと、東京ドームの屋根が見えます。来シーズンはジャイアンツも頑張って欲しいものです。弱い巨人相手に勝っても阪神タイガースの岡田監督も面白くないでしょうから。こちらの橋を渡って中にある島に渡ることはできないようです。唐門の裏に回ると、このよう道標がありました。唐門を江戸とすれば、木曽川が流れていることから、こちらは西に向かう中山道という設定でしょうか。こちらが木曽川、そして設定では、このあたりが浦島太郎伝説のある「寝覚の床」(→→→こちら)ということのようです。そして、これが中山道の峠道ということになるのでしょうか、「延段」(のべだん)と呼ばれる自然石と切石を組み合わせた石畳の道になります。そして、延段を越えると眼下に池が広がってきます。この池は琵琶湖という設定なんでしょうね。これは庭園の中心となる「大泉水」と呼ばれる池です。蓬莱島を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出しそうです。ちなみに、大泉水の橋に置かれたこの岩は、琵琶湖北部に浮かぶ竹生島(→→→こちら)と名付けられています。池岸の広場です。ここは紅葉林と呼ばれている場所です。そして、先ほどの木曽川がこちらにも流れていますが、ここでは紅葉の名所の龍田川(→→→こちら)という設定になっています。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その2) 中山道の旅ができます
Oct 15, 2023
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都民の日(10月1日)に小石川後楽園にやって来ました。後楽園と言えば、貞享4年(1687年)に着工、元禄13年(1700年)に一応の完成をみた岡山の後楽園は「後楽園」と単独の名称で呼ばれるのに対して、東京にある後楽園は、寛永6年(1629年)に築造を始め、寛永8年(1631年)に完成した先輩であるにも関わらず「小石川後楽園」と所在地の名称込みで呼ばれています。このように区別される原因は、岡山の後楽園が国の名勝に指定されたのが、大正11年(1922年)3月8日であり(→→→こちら)のに対して、小石川後楽園が名称に指定されたのは、1年後の大正12年(1923年)3月7日(→→→こちら)だったことによるものです。しかし、これではバランスが悪いという日本国政府特有の忖度が働いたのか、小石川後楽園は特別名勝・特別史跡に指定されたのは、昭和27年(1952年)3月29日ですが、岡山の後楽園が特別名勝に指定されたのは、昭和27年(1952年)11月22日となって、小石川後楽園の方が僅かに早く特別名勝にしてされるとともに、特別史跡にも指定されました。岡山の後楽園は、歴史的な価値がないと判断されたのか、特別史跡とは評価されていないようですね。ちなみに、岡山の後楽園と並ぶ、日本の三名園である金沢の兼六園は大正11年(1922年)3月8日に名勝に指定され、昭和60年(1985年)3月20日に特別名勝に指定されています(→→→こちら)。また小石川後楽園と同じ水戸徳川家の作った三名園のひとつである偕楽園は「常盤公園」という名称で、名称・史跡に指定されています(→→→こちら)。とクドクドと長い説明がありましたが、都民の日に小石川後楽園に来たのは、ずばり、だったからです。ということで、明日から園内を紹介していきます。【つづく】人気ブログランキング小石川後楽園(その1) 都民の日(10月1日)は無料公開
Oct 14, 2023
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出張で名古屋に行ったら、名古屋にいる同僚に誘われて食べに行ったのが「鰻木屋(→→→こちら)」。江戸時代末期から続く鰻屋さんだそうです。ここで思い切って、おひつまぶし(3,300円税込み)をいただきました。隣に座っていた3人連れのサラリーマン風のおじさんが話していたのをそれとなく耳にすると、「名古屋の鰻は、関西風の焼き方というそうで、腹開きにして、頭をつけたまま金串に刺し、蒸さずに焼くそうだ。そのため、一度白焼きしたものを、蒸してから再び焼く関東風ではなく、パリッとして香ばしい」ということでした。食べてみると、確かに表面はパリッとした感じで皮に焦げ目があったりしましたが、中身はふんわりとしていて、なるほどなと納得。気に入ったのは、最初にテーブルに着くと、お茶がでたこと。お茶なら最後は口の中に残った油を落とせるのでいいですよね。それから、店内にはなかなか有名そうな絵画が飾れていて、なんか店のグレードも高く感じました。また、変わった絵画だと思ったら、タレントの橋本環奈さんのサイン色紙と中日ドラゴンズの選手らしい人のサイン色紙が飾られていました。色紙には「7」という数字が書いてあったので、フライをヘディングしてエラーした宇野勝内野手(→→→こちら)かと思いきや、いやいや、今なら、甲子園の優勝投手ながら、プロ入り後は野手としてスタートし、いつの間にか投手に転向させられているが、アメリカにいる方と違い、どちらの成績もパッとしない、根尾昂(→→→こちら)選手でしょう。鰻を食べて、もっと頑張れ!根尾昂選手。お店の場所は、名古屋城お堀の近くで名古屋市市政資料館の前、名古屋駅からは遠くてちょっと不便なところですが、チャンスがあれば、また行ってみたい店でした。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 老舗で食す「ひつまぶし」
Oct 13, 2023
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国道1号の上を首都高速横羽線が通っています。首都高速三ツ沢線とのジャンクションになっている下にある橋です。親柱には船具のような照明があって、港町横浜らしいデザインですね。橋の名前は「金港橋」。金港とは「横浜港」のこと。明治時代、港町横浜は文明開化に伴う貿易で潤い、金のなる港という意味で「金港」と呼ばれたそうです(→→→こちら)この川は、帷子川(かたびらがわ)分水路(→→→こちら)です。橋の中央部にあった帆船や舵が描かれた銘板。また、欄干のデザインも波を模していて、いかにも港町を意識した意匠が施されていますね。この金港橋を渡ると横浜駅が見えてきました。横浜駅には、JR東日本、東急電鉄、横浜高速鉄道、京浜急行電鉄、相模鉄道、そして横浜市営地下鉄の6社が乗り入れているそうです。自由通路というのがあって、駅の西口と東口を結んでいるようです。こちらね横浜駅東口の駅ビルです。正直言って、横浜駅複雑すぎてよくわかりません。ここで待ち合わせするのは、田舎者のMoMo太郎には不可能かも。地下街にあった全裸の少女の銅像。こういうの飾っていたら「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」(→→→こちら)で処罰されることはないんでしょうか。ということで、今回はここまで歩いて、東海道線の駅間歩きですが、京浜急行で品川まで帰りました。ところで、京浜急行の快特に乗ったのですが、なんかすごく速く感じました。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【了】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その10) 金港橋と横浜駅
Oct 12, 2023
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こちらの建物は京浜急行電鉄の神奈川駅です。このあたりでは、JR東海道線と京浜急行線が並行して走っています。神奈川駅の前ということでしょうか。駅前には「神奈川宿歴史の道」の地図がありました(→→→こちら)。こちらの地図を見ると、旧東海道はここから山の方に向かって伸びていて、今の横浜駅のあたりは迂回しているようでした。しかし、MoMo太郎は駅間歩きで横浜駅に向かって歩きます。こちらの旧東海道にある宮前商店街です。でもなんか商店が見当たらないです。宮前商店街前の広いこの道が第二京浜(国道1号)(→→→こちら)です。この交差点で第一京浜(国道15号)と合流します。こちらの国道1号を横浜駅に向かって歩いて行きます。なんか、いかにも横浜にある診療所という名称ですね。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その9) 神奈川駅と国道1号
Oct 11, 2023
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権現山を下って、旧東海道にでると真言宗智山派に属する普門寺という寺号碑がありました。近くにあった「神奈川宿歴史の道」の説明です。撮影した時は影になって見えなかったところも含めて書き起こしました。普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことにより起こった。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。江戸後期には、本堂・客殿・不動堂などの建物を持ち、開港当時はイギリス士官の宿舎に充てられた。こちらが普門寺です。旧東海道から少しそれて住宅街の中に入いるとまたお寺の山門がありました。真宗高田派寺院の甚行寺です。「史跡フランス公使館跡」という石碑もありました。こちらにも「神奈川宿歴史の道」の説明板がありました。書き起こしてみました。甚行寺は、真色山と号し、浄土真宗高田派に属す。明暦2年(1656)第1世意円上人が本山専修寺の第14世を招いて、この寺を草創したと伝えられている。開港当時、本堂は土蔵造りであったが、改造を加えてフランス公使館に充てられたといわれている。大正12年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和20年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和46年に本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。こちらが、甚行寺の本堂です。しかし、神奈川宿のあたり、幕末の開国当時の諸外国の領事館やら公使館というのが沢山あったんですね。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その8) 普門寺と甚行寺
Oct 10, 2023
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京急沿線沿いを歩いてゆくと、鉄道沿いの道に丘がありました。階段を登って丘の上に行ってみました。ここは桜の名所として知られる幸ケ谷(こうがや)公園というところですが、戦国時代には扇谷上杉氏の重臣・上田政盛の居城・権現山城のあった場所と伝えられる権現山城跡(→→→こちら)でもあります。幸ヶ谷公園の上からは東海道線と京浜急行線の線路がよく見えます。かつては線路の向こうの西側にある丘と尾根伝いにつながっていたそうですが、幕末に神奈川台場建設のための土取り場となり山頂が削られ、さらには明治時代の東海道線の敷設で分断されたそうです。そのため、権現山城跡は「破壊」された埋蔵文化財ということになっているのだとか。山頂には幸ヶ谷公園コミニュティハウスという地域の活動のための施設がありました。また、立派な石碑がありましたが、これは城跡を記念するものではなく、幸ヶ谷地区で行われた土地区画整理事業の記念碑でした。地区面積48.6haの土地を昭和22年6月5日から昭和53年2月4日にかけて区画整理した、長期間にわたる事業だったようです(→→→こちら)。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その7) 権現山城跡(幸ヶ谷公園)
Oct 9, 2023
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滝の川のほとりにあるお寺です。浄瀧寺(→→→こちら)「史跡イギリス領事館跡」と刻まれた石柱が建てられていました。神奈川宿歴史の道(→→→こちら)の説明板によると、浄瀧寺には、開港時にはイギリス領事館に充てられたそうです。こちらが浄瀧寺の本堂です。浄瀧寺を後にして、京浜急行鉄道の線路沿いに出ました。駅間歩きらしく、線路沿いを歩いて行くことにします。しかし、この先、少し坂道になっているので、ちょっと不安を覚えました。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その6) イギリス領事館跡
Oct 8, 2023
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休日は家事も休日にしたいという要望があり、朝は松屋の朝定食で済ませました。頂いたのは、ソーセージエッグ牛皿セット450円(税込み)です。店内には、これからデートにでも出かけるという気合のはいったような服装の女性客や朝にもかかわらず缶ビール2本を空けているおじさんとか、色んなお客さんがいました。家事休日のため、昼はチャチャとチキンラーメンでもMoMo太郎が作りますか。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 休日の朝食
Oct 7, 2023
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この橋を渡ります。橋の名称は「土橋」です。土で橋ができているわけではなく、「土橋」というのは、木の橋で橋面に土をかけてならした橋のことだそうです。丸太を隙間なく並べて橋面を作った場合、橋面が凹凸になって歩きにくいので、土を入れて平らにして歩きやすくしたことから土橋と呼ぶようになったようです。なお、「どはし」と読むようです。土橋の架かっているこの川は「滝の川」(→→→こちら)という川です。こちらが上流側です。こちらは下流側です。今では住宅街の中を流れる小さな河川ですが、かっては神奈川宿の中心を流れる川で両岸は賑わっていたのでしょう。橋を渡ったところに土橋寿司というお寿司屋さんがありました。小さなお店ですが食べログ(→→→こちら)の評価はいいみたいですね。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その5) 滝の川と土橋
Oct 6, 2023
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次に訪れたのはこのお寺は「慶雲寺」(→→→こちら)です。しかし、この大きな寺号碑には、「龍宮傳来浦島観世音 浦島寺」と刻まれています。というのは、現在の神奈川区浦島が丘にあって、浦島太郎伝説(→→→こちら)が伝えられて浦島寺とも呼ばれていた観福寿寺が慶応3年に焼失してしまい、慶運寺に合併されたそうです。そして、焼失を免れた龍宮伝来の浦島観世音像と浦島寺の碑四基は、明治6年に観福寿寺から慶運寺に移されたことから、このような碑があるのでしょう。亀の背に載せられているのも、また浦島太郎らしくていいですね。こちらは木の葉の陰で読み取りにくいですが、「史跡フランス領事館跡」と刻まれてました。神奈川宿歴史の道の説明板がここにもありました。慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、「東国紀行」の天文14年(1544)3月3日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。開港当初はフランス領事館に使われた。また、浦島寺とも呼ばれている。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっている。と記されていました。こちらが本堂です。本堂の扁額には「光照殿」と記されていました。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その4) 慶運寺
Oct 5, 2023
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成仏寺の向かい側にあった木々囲まれた公園です。滝の川公園という名前でした。この公園の片隅に「明治天皇行在所之蹟」という石碑がありました。「行在所(あんざいしょ)」とは、天皇が宿泊した場所を意味します。確かに明治天皇は明治元年(1868)9月20日、京都を発ち、およそ20日間の時間をかけて東海道を東に進み東京に向かっています。また、同年12月に明治天皇は京都に戻り、さらに翌年3月には東京に向かい、以降、天皇は東京に住むことになっています。ということで、明治天皇は3度、この神奈川宿に宿泊していると思われます。しかしながら、この石碑についての説明板はなにも設置されておらず、また、全国に377カ所あった国指定史跡に指定されていた明治天皇聖蹟(主に行在所、御小休所など)にもこの場所は指定されていませんでした(→→→こちら)。ちなみに明治天皇聖蹟は昭和23年(1948)6月29日にすべて指定を解除されています。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その3) 明治天皇行在所之蹟
Oct 4, 2023
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さらに旧東海道を進むと、大きなお寺がありました。寺号碑では、浄土宗成佛寺(じょうぶつじ)とありました。さらにこちらの石柱には「史跡外国宣教師宿舎跡」(→→→こちら)とありました。隣にある説明板によると、開港当時、成仏寺はアメリカ人宣教師の宿舎に充てられたそうです。ヘボン式ローマ字の創始者のヘボン博士(→→→こちら)や聖書・讃美歌の和訳に尽力した宣教師のブラウン氏(→→→こちら)が滞在していたそうです。こちらが成仏寺の本堂です。ここでは、外国人向けの日本語学校も開かれていたそうです。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その2) 史跡外国宣教師宿舎跡
Oct 3, 2023
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東神奈川駅の駅ビルでしばらく涼んだ後、今度は横浜駅に向かって歩き始めました。こちらは、京急東神奈川駅です。高架になった線路の下を抜けて、こちらの旧東海道を歩いて行きました。駅間歩きというより旧東海道沿いを歩くみたいになったな思いながら、歩きます。道沿いにあったこれは、よく見ると板に色々な文書が記されています。横にあった説明板によると、復原された高札場でした。高札場とは高札場は、幕府の法度や掟などを庶民に徹底させるために設けられた施設です。宿場の施設としては重要なものでしたが、明治に入り情報伝達の手段が整うにつれて、やがて姿を消してしまいました。かつての神奈川宿の高札場は、神奈川警察署西側付近にありました。上の写真は、資料をもとに神奈川地区センターの前に復原したものです。その規模はおおよそ、間口五メートル、高さ三・五メートル、奥行一・五メートルと大きなものでした。この高札場は、資料をもとに復原したものです。ここで「復原」と「復元」の違いがちょっと気になりました。これはきっと神奈川県の公立高校試験に出るかもしれないと思い調べてみました。現代美術用語辞典Ver2.0(→→→こちら)によれば、「復元」と「復原」という二つの言葉は、一般的な辞書では区別されることなく同一の見出しとして扱われ「元の状態・位置に戻すこと」と書かれてあり、意味的には同じことになっている。しかし、建築分野の領域においては、復元とは失われて消えてしまったものを、かつての姿どおりに新たに作ることをいい、復原とは始めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すことをいう。ということのようです。(東神奈川から横浜へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(東神奈川~横浜)(その1) 高札場
Oct 2, 2023
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夜勤明けは、やっぱり吉野家の朝定食でガッツリといきます。年をとっても胃袋は健康なんですね。頂いたのは、このハムエッグ納豆定食(437円税込み)です。ご飯はお替り無料なのは更にうれしいです。しかし、消費税の関係で1円単位で支払わないといけない時って、お釣りで一円玉とかあると小銭入れが膨らむので、最近はSuica等のICカードで支払っています。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 朝からガッツリ、吉野家で
Oct 1, 2023
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