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【124】 翁
曰
く、 鐘
には 鐘
の 音
あり、 鼓
には 鼓
の 音
あり、 笛
には 笛
の 音
あり、 音
各々
異
なりといへども、 其
の 音
たるや一なり、 只
其
の 物
に 触
れて、 響
きの 異
なるのみ、 是
を 別々
の 音
に 聞
くを、 仏道
にて、 迷
ひといひ、 是
を 只
一 音
に 聞
くを、 悟
りと 云
ふが 如
し、されども、 是
を 悉
く 別音
に 聞
きて、 其
の 内
をも 幾箇
にも 分
ちて 聞
かざれば、五 音
六 律
分
たざる 故
、 調楽
は 出来
ぬなり、 水
も 朱
にすられて 赤
くなり、 藍
に 和
して 青
く 成
るといへども、 地
に 戻
せば 元
の 清水
と 成
るに 同
じ、 音
は 空
にして 打
てばひゞき、 打
たざれば 止
む、 音
の 空
に 消
ゆるは、 打
たれたる 響
きの 尽
きたるなり、されば 神
といひ 儒
といひ 仏
と 云
ふも、 本来
は一なり、一の 水
を 酒屋
にては 酒
といひ、 酢屋
にては 酢
と 云
ふが 如
き 違
ひのみ。
【124】尊徳先生はおっしゃった。「鐘には鐘の音があり、鼓(つづみ)には鼓の音があり、笛には笛の音がある。音はそれぞれ異っているが、その音は一つである。ただその物に触れて、響きが異なるだけである。これを別々の音に聞くのを、仏道では迷いといい、これをただ一音に聞くのを悟りというようなものだ。しかし、これをすべて別音に聞いて、そのうちをいくつにも分かって聞かなければ、五音六律が分けられないため、調楽はできない。水も、朱が溶ければ赤くなり、藍が混じれば青くなるが、地に戻せばもとの清水になるのと同じだ。音は空であって、打てば響き、打たなければ止む。音が空に消えるのは、打たれた響きが尽きたからである。そうであれば神といい、儒といい、仏というのも、本来は一つである。一つの水を酒屋にては酒といい、酢屋では酢というような違いがあるだけである。」
□二宮先生語録【321】音は空に満つ。故に物に触れば、則ち5声8音を生じて、止めば空に帰す。猶お井水を汲み、之に画料を投ずれば、則ち5色を為して、棄れば井水に帰するごとくなり。且つ夫れ音を聞き以て各調と為す。之を迷と謂う。其の帰するを空と見る。之を悟と謂う。然れども人之を見るあたわず。是他無し。肉眼有る故なり。猶ほ東江の花を見んと欲する者、重任を荷う為めに門戸を出るあたわず。以て花無しと為す。肉眼は猶お重任のごとく、故に音を見るあたわざるなり。寿も亦然り。人生れば則ち寿。人死すれば則ち空に帰す。猶ほ桶を造り水を容るがごとし。桶破れば則ち地に帰す。故に音と寿とは、開闢以来両間に満る者なり人世は、猶ほ百花の如し。開けば則ち散り、散るも亦開き、終古窮極無き也。
(訳)音は空(くう)に満ちている。だから物が物に触れれば、5声8音というような色々の物音を生じ、触れるのが止めば空に帰する。ちょうど井戸水を汲んで、これに絵の具を投ずれば、5色をあらわすが、地に捨てればやがてもとの井戸水に帰るのと同じことだ。また、音を聞いて、それぞれ別の音調と思うのを迷いといい、すべての音が空に帰することを見るのを、悟りという。けれども人々はこれを見ることができない。それはほかでもない。肉眼があるからだ。ちょうど隅田川の桜を見ようと思う者が、重荷を負うたために門を出ることができず、花なんかあるものかと言うのと同様である。肉眼・肉耳はその重荷のようなものだ。だから真の音を見ることができないのである。寿命もこれと同じことだ。人が生れれば寿命があり、人が死ねば空に帰する。ちょうど桶を造って水を入れるようなもので、桶が破れれば水は大地に帰する。こういうわけで、音と寿命とは、開闢以来天地の間に満ちているものである。
◎万物発言集草稿(二宮尊徳著) 【4】夫何の国何の郷に十家の邑あり、河海不便にして一ツの井を掘り用水と成す、或は東の方に紺屋あり、一ツの井を汲て藍を仕立、青き物一切を染出す事を司とるなり、又或は西の方に欝金屋あり、一ツの井の水を汲て欝金を仕立黄色なるもの一切を染出す事を司とるなり、又或は南の方に紅屋あり、一ツの井の水を汲て紅仕立赤き物一切を染出す事を司とるなり、又或は中程に筆道の師範あり、一ツの井の水を汲て墨を仕立、大字細字に限らず、其外黒き物一切を書出すなり、又或は北の方に晒屋あり、一ツの井の水を汲て諸色汚れたるを洗い落し一切のものを白く成すことを司さどるなり、又其東西南北の傍に五味の造家あり、一軒は酒屋にて一ツの井の水を汲て酒を造りだすなり、一軒は酢屋にて一ツの井の水を汲で酢を造りだすなり、一軒は味噌屋にて一ツの井の水を汲で味噌を造り出し、一切の食物に味う事を司どるなり、一軒は醤油屋にて一ツの井の水を汲で醤油を作り出し、一切の食物に味う事を司どるなり、一軒は砂糖屋にて、一ツの井の水を汲で砂糖を仕立、一切の食物に甘き味付けることを司どるなり、右十家の前後左右を取巻、一ツの悪水路あり、或は洗い流し、食残し、又は両便とも流れ落、外に行べき流もなし、残らず悪水落しの内にて消、大地にしみ畢ぬ、翌朝は一つの井に帰り清水と成りて十家を養うなり、これ辺鄙、片田舎、不便の十家のみならず、右十家の理を以て案る時は、天朝は言うに及ばずあらゆる国々もまたまた是の如きなりと知るべし。
(訳)
万物発言集草稿(二宮尊徳著) 【4】何の国何の里に十軒の村があるとする。川も海も不便で一つの井戸を掘って用水とする。
東の方に紺屋があって、一つの井戸の水を汲んで藍を仕立て、青い物一切を染め出す事を仕事とする。
また西の方に欝金屋があり、
一つの井戸の水を汲んで
欝金を仕立て黄色のもの一切を染め出す
仕事とする。
また南の方に紅屋があり、
一つの井戸の水を汲んで
紅を仕立て赤いもの一切を染め出す事を
仕事とする。
また中央に筆道の先生があって、
一つの井戸の水を汲んで
墨を仕立て、大字細字に限らず、その外黒い物一切を書き出す。
また北の方に晒し屋があり、
一つの井戸の水を汲んで
諸色の汚れたものを洗い落して一切のものを白くすることを
仕事とする。
またその東西南北の傍らに五味を造る家があり、一軒は酒屋で
仕事とする。
一つの井戸の水を汲んで
酒を造りだす。
一軒は酢屋で
一つの井戸の水を汲んで
酢を造りだす。
一軒は味噌屋で
一つの井戸の水を汲んで
味噌を造り出して、一切の食物に味う事を仕事とする。
一軒は醤油屋で
一つの井戸の水を汲んで
醤油を作り出し、一切の食物に味う事を
仕事とする。
一軒は砂糖屋で
一つの井戸の水を汲んで
砂糖を仕立て、一切の食物に甘い味付けることを
仕事とする。
右十家の前後左右を取巻き、一つの排水路があり、あるいは洗い流し、食べ残し、または両方とも流れ落ち、外に行くべき流れもなく、残らず排水を落して消え、大地にしみて終わる。
翌朝は一つの井戸に帰って清水となって十家を養う。
これは辺鄙、片田舎、不便の十家だけでなく、右十家の理を以て考える時は、天朝は言うに及ばず、あらゆる国々もまたまたこのようであると知るべきである。
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