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○安居院先生頌徳碑 〔原文は漢文〕
枢密顧問官 正二位勲一等 伯爵 松方正義 篆 額
縕袍 (どてら) を 衣 、 孤 貉 (皮ごろも)を恥じず、 強 毅 清 貞 、 曠達 (心が広くこだわらない) 雅淡 、 気骨 稜稜 、 眼光 人 を 射 る、 是 先生の 風姿 也 。先生 姓 は 藤 、 諱 は 義 道 、 相州人 、 字 は 蘆 翁 、 乾坤齋 と 号 す。水戸の高士 南蘋 翁、 撰 する所也。 其 詩に曰く。 乾坤 鑿破 一芦穿 、 独沈清靡 両儀連 、 遺却 万 延年物 老 、 芦 翁 独化 先天 を 覚 す。 蓋 先生晩年、翁の高雅を慕い、 翁 亦 先生の卓量を聞き、遥かに徳友と為す也。先生幼にして 慧 敏 、長じて 宏 志 を有し、家を治むるを 屑 しとせず、二宮先師に 就 教 を 乞 う。説を聞きて 歎服 し、自ら 謂 く、 吾 克 く 夫子 の 道 を 弘 めんと。 遂 に 弟 浅田 氏 と 志 を 勠 せ 、 出遊 し 兼 て 三 社 永代 奉 楽 信徒を 募 り、 万人講 と 称 し、衆を得ること数万。弘化四年 始 て 遠州 石田村に至る。 神谷 氏 を 主 とし、 遠近 其 教 に従う。号して報徳社と 曰 う。 嘉 永 四年浅田氏 勢州 に 歿 し、六年 癸 丑 、門人岡田、山中、神谷、中村、内田、松井、竹田、諸氏を 率 いて、日光に行き先師に 謁 す。先師見て 大 に善を称す。 是 より先生駿遠を家とし、 過 る所、 遊惰 を 励 し、 奢侈 を 誡 め、善行を賞し、 窮 寡 を 恤 む。商に農に、之を誘うに忠信 守分 を以てし、之を 奨 るに 積 小 為 大 を以てす。特に 稼穡 (農業)に 精 しく、 挿秧 、 縄 規 を以てし、 千 頃 一望、 棊局 (碁盤)の如し。耕種改善 靡 然 (なびき従うさま) 風 を 為 し、大にして 邑 を 興 し、小にして家を起す。報徳二州に 聲 振 す。 是 に 於 て、 本州 (遠州)業を受る者六十 余邑 、 毎歳 一次大会、道義を講演し、 徳 教 遂に東海六州に及ぶ。 恵沢 今に至りて 益 広きを加う、皆先生の力也。社徒 歳 次 例として 太 廟 を 諧 し 奏 楽 し、 万人講 緒 を 継 ぐ也。文久三季八月十三日、門人浜松田中氏家に 卒 す。年七十五。玄忠寺に葬り、 謚 を 弘道 先生 と 曰 う。 善 哉 、 報徳 を 道 と 為 し、 至誠 を 本 とし、 勤労 を 主 とし、 分度 を 体 とし、 推 譲 を 用 とす。 世 運 澆 季 (末の世) 徳 教 陵 夷 (すたれ衰えること)、 逸 楽 風 を 為 す。 斯道 に 拠 らずんば、 誰 か 能 之を 免 れん。本州 諸邑 先生より 蚕 興 聞く有り。 其 幸 既 に 勝 るべきか。 今 茲 に、門人 耆 い旧多く世に就き、 建 碑 未だ成らず。小野江副社長 之 を 慨 いて、本社に提議す。 僉 之 を 善 しとし、 乃 ち 相 謀 って 功 を 起 す。地を本館境域に 卜 し、 銘 を 余 に 嘱 す。 銘 に 曰 く。
卓彼徳行勇與仁 、 教而不倦化斯民 、 希言自然 穿乾坤 、 諧謔縦横 入天真 。 清談間処 対棊局 、 揮弄翰墨別養神 、 不治一家 治万家 、 君子人乎君子人 。
明治三十八年六月
遠江国報徳社長勳六等岡田良一郎謹撰
梨本宮家令兼内大臣秘書官従五位勳六等日高秩父書
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