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2025.08.23
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 57ページ

 新村に別れて家に帰り着いたのは、もう夜も10時であった。藤三郎の家から2軒おいた隣に、福川という家があった。彼は、その家の前を通って、障子にまだ灯影(ほかげ)がさしているのを見た瞬間に、この福川に相談して見たらという考えが、フト浮かんだのである。溺れる者は藁でもつかむというが、この時の彼の心は、ややこれに近いものであった。信頼し切っていた岡田に断られた以上は、もう確信をもって相談できるところはない。若し少しでも助力が得られたら、拾い物であるとしなければならない。この上は、ただ人事を尽して天命を待つばかりだ。そうした心が、家にはいって、おそい夕食の膳の用意ができているのを見ながら、空腹も忘れて、再び藤三郎を福川宅に行かせた。
 福川泉吾は、もと古着商であった。この森町という所は、明治初年には古着市場としては全国に名が通っていた。東北地方向きの物は、宇都宮あたりからも、東京、静岡を越えて、直接この町に買い出しに来たし、秋葉街道を通じて、信州から裏日本にも取引があった。また仕入れには、関西地方から四国あたりにまでも出かけて行きもした。したがって古着問屋として相当に手広い商売をしている店が、何軒かあった。

※  「古着の町」の歴史紡ぐ 日本経済新聞 2009年9月3日(木)朝刊
◇静岡県森町の自宅に残る古文書を解読し資料に◇   山中眞喜夫
「遠州の小京都」ともいわれる静岡県森町の中心部には今も古い町並みが残る。江戸時代には、火よけの神様としてあつい信仰を集めた秋葉山へと至る秋葉街道が通る中核的な宿場町として栄えた土地だ。
 江戸中期から明治時代にかけては「古着の町」として活況を呈し、全国の古着価格を左右するほどだったといわれている。私が14代目となる山中家は江戸時代には代々、森町の庄屋を務め、9代目の勘左右衛門が天保13年(1842)に古着商を興している。
 目録は5,500点に
 小中学校で教員をしていた私は、20数年前、我が家に残る古文書類の整理に取りかかった。目録を作ってみると、その数は5,500点に上った。これらの古文書類は、古着の町として栄えた森町の歴史を今に伝える貴重な資料ともいえる。
 古着商が栄えるということは、古着の需要が多かったことにほかならない。当時の人たちは、現代人のように使い捨てに走るのではなく、衣食住にわたって今でいう「リサイクル」を心掛けるのが生活の常であった。
 一口で古着といっても山中屋で取り扱っていたのは多種多様だ。小袖、袷(あわせ)、長襦袢、単物(ひとえもの)、冬物、夏物、羽織、袴(はかま)、紺股引、足袋、夜着、布団、木綿蚊帳、真綿、古綿などのほか、各種の縞(しま)、さらしなどの反物、半纏地、前掛け地などもあった。森町随一の大店であった大石屋では、帷子(からびら)や諸宗派の袈裟といった特殊な品も扱っていたという。
 文久4年(1864)に、山中文兵衛門(後の10代目当主・勘左衛門)がしたためた「諸国御客次場荷物附払帳」を見ると、商品の継送方法が分かる。陸路を使った「岡荷(おかに)」と水路・海路を使った「舟荷(ふなに)」の次場(継ぎ場)が書き留められている。
 陸路の場合、主に近隣の掛川から馬持ち人夫を頼み、森から掛川の飛脚問屋「茶金」を経て、岡荷・舟荷いずれかのルートで飛脚によって継送した。茶金の名はほかの資料にもたびたび登場することから長期の契約を結んでいたと思われる。


古着商の原点は行商
 我が家の資料には見当たらないが、森町の中心を流れる太田川の増水期には、舟で河口の福田湊(磐田市)へと出荷していたともいわれている。古着商の原点は、行商にあった。山中屋も創業当初は商品をてんびんに担ぎ、目的地との間を往復していた。その証拠に、軽くて丈夫な天秤棒が3本、杖などとともに残されている。
 山中屋に掲示されていたと思われる「覚(おぼえ)」には、7か条から成る古着商人仲間の心得が書かれている。「理由なき高値の品がないよう仕入れを吟味し、安売り専一の事」「押売・押買をしないこと」などだ。
 こうした取り決めからは、客の立場も考えた「道徳・経済一元化」を目指す商人道がうかがえる。こうした姿勢は、江戸末期から明治にかけて森町周辺で、二宮尊徳が提唱した「報徳思想」が盛んだったことなどにも関係しているようだ。
 我が家でも古着商を始めた9代目勘左衛門の弟、新村里助(豊作)が、森町報徳社の設立を先導。売って喜び、買って喜ぶ「報徳商い」を目指し、古着商人の参加も少なくなかったようだ。家蔵の古文書に関する目録は、1993年に完成し、私も委員を務めた森町編さん委員会が編集発行した「森町所在古文書目録」(第9集)にそのまま収められた。


商売道具など展示公開
 私が目録作りを始めたのは、都市計画に伴い、我が家の古い土蔵を壊さなくてはならなくなったからだ。目録を作成するためには、内容が分からないといけない。学校では数学や理科を中心に教えていたが、50歳をこえた三十数年前から古文書の解読を少しずつ勉強していたのが役立った。
 三百数十年続いた我が家の歴史もまとめたいと考えていたが、執筆に取りかかったのは85歳になった昨年で、1年がかりでまとめ、今春、「山中家盛衰記」として自費出版した。
 古文書や古着商時代の商売道具などの展示公開も2002年に始めた。最初は地元商店街の夏まつりの一環だった。2005年からは、4月と11月に開かれる「町並みと蔵展」に参加し、「街かどミュージアム」として自宅の一部を開放して紹介している。展示期間中には町外からも多くの参観者が訪れる。文化財は個人所有であってもみんなのものとの思いがあり、この展示はやめられない。






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最終更新日  2025.08.23 23:33:48


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