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2026.01.25
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カテゴリ: 坐禅
「<安心(あんじん)>の道しるべ」

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p.170- 明日扶桑国裏の雲 その1

 世路(せろ) 艱危(かんき)にして故人に別る
 相看(しょうかん) 手を握って頻(ひん)なることを知らず
 今朝 宿鷺(しゅくろ)亭前の客
 明日 扶桑国裏(ふそうこくり)の雲

 仏光国師(無学祖元)をお迎えする当時の鎌倉の禅は
 栂尾の高僧明恵上人に深く帰依した北条泰時を祖父とし、松下禅尼を母として生まれたのが北条時頼公です。
 時頼公は建長元年東福寺開山聖一国師に就いて授戒され、中国より大覚禅師(蘭渓道隆)が来朝されるや、帰依して禅を学びました。建長寺はこの大覚禅師を開山として建てられたものです。蘭渓の語録「大覚録」には時頼公を褒める言葉がしばしば見られ「時頼公こそは在家の菩薩である」とすら表現されています。
 また同じく来朝された禅僧兀庵(ごったん)普寧にも深く帰依いたしました。時頼公は幕府の執権としても優れた力を示しておりますが、そこに禅の修行で培われた力があずかって大きかったことは申すまでもありません。
 時頼公は三十七歳の若さで亡くなりますが、臨終に際して平素の僧形に袈裟をかけ、坐禅をしたまま、
  業鏡(ごうきょう高く懸く 三十七年 一槌(いっつい)に打破すれば 大道坦然(たんねん))
と唱えて亡くなられるという素晴らしいものでありました。
 実は、この話が円覚寺の開山様が日本に渡って来られたことに深い関わりがございます。泉古澗という中国僧がその当時、日本に来ておりましたが、後に中国に帰ってから、執権、時頼公の素晴らしい臨終の様子を開山様に話したのです。
 それを聞いた開山様には、そんなに深く禅を会得している人が日本に居るならば、自分も行ってみたいものだという気持ちが次第に深まったのです





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最終更新日  2026.01.25 13:26:03


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