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2026.02.16
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カテゴリ: 和上
「わが師村田和上」
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p.177 7.村田和上と禅僧たち(抜粋)
  朝比奈宗源
大正11年10月、朝比奈師の34,5歳の頃であったろう。みずみずしい禅僧が雲水姿で、鳥羽のご法筵にやって来て、「村田和上に取り次いでくれ」とのことであった。大阪に「江湖会(ごうこえ)」か何かあっての道すがらであったそうである。かねて村田和上の高徳の噂を聞いていたので、一度訓えを受けたいと思っていたが、和上も随分高齢であるから、延び延びにしてもいられないので、とはその時の同師の言葉であった。
「もし和上が噂のような大徳であるならば、すぐ電報を打つからお前もやって来い」との約束があったとかで、翌日、佐藤という禅師が参筵せられたことも覚えている。二人の禅僧が、敬田庵のご法話席に端座して、多勢の念仏者と一緒にお念仏しておられるが、いかにも窮屈そうだったので、休憩時間に私から、
「お得意の坐禅をせられたらどうですか」と申し上げると、
「みんながああしているから坐禅するのは悪いかと思って」と言われるので、
「和上自身が半跏を組んだらどうだと、私たちにやって見せて下さるのですから、差しつかえはないでしょう」と言うと、それでは、と早速坐禅を組んで、
「これなら一日でも二日でも来いだ」と、喜ばれた。
 お昼の休息時間に、合宿所の長火鉢を囲んでお同行たちに、西行法師と文覚上人の逸話を語って聞かされたのを、お同行たちに交わって私も拝聴した。
お昼のご法莚が終って、夜のご法莚までは3時間ばかり間がある。その間、和上は禅師たちを伴って杉村家の別荘に行かれた。合宿所の西脇家を中にして、左に鈴置家の別荘が建ち、右に杉村家の別荘が建っていた。平地から一段高くて、前面には赤崎の入り江を、対岸には安楽島を眺め、別荘地としては絶好の場所であった。9月のことだから縁側のガラス戸を開けて8畳2間の部屋を突っ放し、床を正面にして右の壁ぎわに2人の禅師が並び、障子の方に和上が対坐し、阿部(慈源)さんと私とは末座に並んでいた。暫くご相続があって、私たちも助音していた。すると、朝比奈禅師が突然、
「ここは座布団は敷かんのですか」
と尋ねられた。禅堂では坐禅の時、坐蒲というものを敷く習わしになっている。ところがここの念仏堂では、畳の上にじかに座って、和上初め誰れ一人として、敷物を敷いていないのを不審に思ってのお尋ねであったらしい。すると和上は、
「敷きません」
ときっぱり答えられる。禅師が重ねて、
「病人が来たらどうします」
と訊かれると、答えは間髪をも容れず即座に、
「死にますわ」と言って、後はお念仏。
禅師はこの返答がお気にいったのか、
「うーん」と言ったきり、感嘆これ久しい様子であったが、鎌倉へ帰られてかr、この問答が大評判となった。
 和上は他日この鎌倉での噂話を二男坊の昇さんから伝え聞き、
「聖道の諸宗では、さもあろう。真宗では人間界は善い所とは言わぬが、向うでは三悪道(地獄、餓鬼、畜生)に対する二善道(人間、天上)だからな。せっかく人界に生をうけて、仏道を成ぜぬうちに命が終れば大変ですが、真宗ではいつ命が終るとも、安養の浄土に往生さして頂けるのですから、死ぬるを何とも苦にしておらぬ。それで、あんな返事が出たんです。それが向こうでは生死一如の大悟徹底と解したんでしょう」と面白そうに、ご法話の席上でたびたびご披露があった。
 禅師の帰られる前晩には、夜を徹して語られたらしく、和上からは真宗の安心を、そして禅師は禅の妙締をと、「まるで交換教授のようでした」とは、後日禅師から聞いた話であったが、鶏鳴を聞いて、「ちょっと、寝たふりをしましょうか」と言って、寝床に入られたそうである。
 和上は夜を徹して語り明かされることはしばしばであった。(略)
その徹夜の夜のお話が大変なものであったと、その夜、侍座した阿部さんが、翌日私の顔を見るなり、
「昨夜は朝比奈さんと和上さんと大問答がありましてなア。有難いことでしたわ」と概要の話を聞かされてくだされたが、最も感銘の深かった点はこうだ。
「如来の救いは解りますが、さて我々の悪業はどうなるのですか」というのが禅師の問いであった。
こうした点は真宗信者としては、最初から結論が出ているので問題にならず、かえって我が心の頂きようが問題になるのだが、あちらさまでh、この悪業の始末が大問題であるに違いない。
 和上は得意の即席譬喩をもって、
「豆腐屋の親父が立身出世して、とうとう総理大臣になった。すると豆腐屋をしていた頃に、金を貸してあった債権者たちは、今更借金の催促をするどころか、『あんな端した金くらいはようございんす』と、その僅かな貸金の因縁をつてに、総理大臣に近づかんことを望むようなもの・・・」と返答されるや、言葉も未だ終らぬに、
「はあッ!」
と大喝一声、座敷の床も戸障子も、ビリビリッと振動するほどの領受の嘆声に、侍座の阿部さんも思わず跳び上がったと、面白そうに語られた。
 その時は朝比奈さんは鎌倉五山の一である浄智寺の住職をしておられ、すでに師家になっておられた。
「よほどの秀才じゃ。あれは将来管長になるぞ」と和上が予言された。





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最終更新日  2026.02.16 19:00:15


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