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2026.03.25
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カテゴリ: イマジン
慈覚大師円仁 ​を読むと 霊夢 をよく見られたようだ。


読んで感銘を受けたことがある。


円仁は延暦十三年(794)、今の栃木県下都賀郡内(しもつがぐんない)で壬生(みぶ)氏の次男に生まれた。桓武天皇が長岡京から、都を京に移した年でもあった。
平安時代が幕を開けたのもこの年だった。

円仁は早くに父を亡くし、母と兄に育てられ九歳のとき、栃木県の大慈寺の高名な広智(こうち)という僧に預けられる。
15才になった円仁は、ある日不思議な夢を見ます。
まだ見たこともないはずの僧侶が、自分の目の前に立って微笑んでいる。
夢の中で見えない人の声を聞く。
「このお方は比叡山にいらっしゃる最澄様です」。
この夢をきっかけに、円仁は比叡山へ登り最澄様の弟子となることを願うようになる。



十五歳(808)で、広智に連れられ比叡山に登る。
そこには天台宗を開いて五年目の最澄がおられ、円仁をその弟子となる。
円仁は夢の中で最澄にお会いした夢を見ていて、その僧が目の前におられるので、大いに驚いた という。
最澄のもとで円仁は、厳しい指導を受けて修行に励み、二十一歳で得度。その二年後、奈良・東大寺で具足戒を受戒し、一人前の僧侶になった。



二十九歳のとき、最澄は一心三観の妙義を円仁だけに伝え入滅。
円仁はその妙義を胸に三十歳で止観業の年分度者として十二年籠山に入り、一行三昧(いちぎょうざんまい)を修練する日々を送る。

籠山六年目のとき、学問僧としても抜きん出た円仁は、先輩や後輩のたっての願いもあり、比叡山を出て布教活動に入る。

法隆寺や四天王寺で法華経を講義、次いで東北地方へ出る。
「法華経」や天台宗を広めるのが大きな目的で、東山道から故郷の栃木、青森から岩手方面にも及んだ。




円仁が布教活動から比叡山に戻った四十歳のころ、重い病気にかかり横川(よかわ)の首楞厳院(しゅりょうごんいん)に籠(こ)もり、死をも覚悟していた。

そのとき最澄が念願された如法経(法華経の写経)を神仏に祈りつつ、六千部を目標に行った。
これこそが如法写経の始まりです。
その功徳があったのか円仁は、ここでも夢を見て、天から与えられた妙薬で元気を取り戻します。後にこの写経を宝塔に納め本尊として祀り建立したのが、横川の根本如法堂です。


円仁は、病後に師最澄の夢を見た
師は「天台教学の心髄と密教を伝えなさい」と告げた
そして三年後の四十五歳のとき、求法僧(ぐほうそう)としての勅命が下り、円仁は遣唐使の一員になって唐に渡ることとなる。

円仁は 唐の長安へ行く。
五台山から約1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。
その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授けられる。
また、金剛界曼荼羅を長安の絵師・王恵に代価6千文で描かせる。
台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れ、曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。
円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子の円仁を深く拝した。





その後所在が忘れられていたが、明治に入って写本が東寺で再発見された。
1955年には、駐日アメリカ合衆国大使でもあったエドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる


全4巻、文量は7万字。

原本は失われた。1291(正応4)年に京都祇園の長楽寺の兼胤という僧が72歳の時に書写した東寺観智院旧蔵本が最古の写本である。70歳を越えた老僧が老眼鏡もない時代に苦労して書写した写本であり、解読に困難な文字が少なくない。

巻一 承和5年(836年)[要検証 – ノート]6月13日条 - 開成4年(839年)4月
巻二 開成4年(839年)4月 - 開成5年(840年)5月
巻三 開成5年(840年)5月 - 会昌3年(843年)5月
巻四 会昌3年(843年)6月 - 承和14年(847年)12月14日条

💛70歳を越えた老僧が苦労して書写した写本 が超高齢化社会の現代日本にぴったり。
円仁の法を求めての冒険は 心がワクワク)する(^^)
「鎌倉殿の十三人」でも高僧が夢の話をして
「また夢の話か」と後鳥羽天皇に笑われて、しかも真剣に耳を傾けていた。

慈円「 過日、夢を見ました。壇ノ浦に沈んだ三種の神器。夢はこう言っていたように思います。失われた宝剣の代わりが武家の棟梁、鎌倉の将軍と。新将軍、大事になさいませ





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最終更新日  2026.03.25 20:59:39


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