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2026.06.26
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カテゴリ: 坐禅
禅 朝比奈宗源

 はしがき
一 禅の歴史
一 禅とは何か
一 禅の修行の仕方
一 宗教としての禅
一 指導者たちに望む

p.1-3 はしがき

 だからわが日本民族にとって、仏教はキリスト教が伝来するまでの唯一の宗教であった。キリスト教は十六世紀に一たび伝来したが、その伝統目的に疑問がもたれてその伝統が禁じられ、明治維新になってはじめて公然と入って来た。それから八十余年、この間、日本は近代的国家の体制をととのえようとして、教育制度をはじめ国家の諸制度を全面的に改め、西欧文明との関連から、キリスト教はわが国にかなりの進出を見るに至った。ことに科学的学問の外に、すぐれた文学的作品や芸術を通じて与えられたキリスト教的なものの見方や考え方は、現代の日本人の生活において大きい比重をしめている。これはわが国民がはなはだしくおくれた文明の進歩に、なんとかして追いつこうとして、先進国の文明に含まれた宗教をもそのまま受け入れたので、きわめて自然な成り行きでもあり、また一面、長い伝統をもつ仏教が惰勢的になり、宗教としての生命に衰えを見せ、国民の信仰を十分につかんでいなかったからである。これによって千数百年、ほとんど異質の宗教信仰をまじえなかったわが国民の思想生活に大きい変化がもたらされた。こうした変化をとげた現代の日本は、厳密な意味では完全な仏教国とはいわれないかもしれない。完全な仏教国とはいえないであろうが、なお日本国民の大多数は依然として仏教の信仰に生きており、また仏教の信仰や思想から創りいだされた道徳・宗教・習慣・感情の中に住んでいる。彼らがひもとく日本の歴史は仏教的人生観が中心をなしてつづられ、彼らが愛する日本の諸芸術、能も、謡いも、茶道も、香道も、俳句も、武道も、造園もみな仏教的心境を根本としている。また彼らが貧しい国の唯一の誇りとする古い建築・彫刻・鋳像・絵画等も、そのすぐれたものの多くは仏教的なものである。こうした意味で、日本および日本人を理解しようとすれば、どうしても仏教を理解しなくてはならない。
 今回貴国が私を招かれたのは。私に貴国がいかなる国であるか、特に貴国の宗教や感情、文化や思想について正しい知識を与えようとさるるにあると信じ、深くその好意に感謝すると同時に、私も不敏を忘れてその理解につとむるつもりである。また一方法としては、少しでも正しく日本の真の姿を貴国民に知っていただきたい。とりわけ私の任務とするところは仏教、特に「禅」について知っていただくことにあると思う。そこでこの小冊子を準備した。これによって私の企図する目的が幾分でも果たせれば幸いである。

p.5-7
一 禅の歴史
 仏教はインドの釈尊によってはじめられ、のち大乗・小乗の二派に分かれ、その教義の内容にもかなりのへだたりを見ることになった。
小乗は南インド・ミャンマー・タイ・スリランカ・ジャワに等にひろまり、大乗は北方インドから、カシュミール・チベット・モンゴル・中国・朝鮮・日本等に伝わった。
大乗仏教の中には、華厳宗、天台宗等の高い哲学的教義をふくむ宗派や、念仏して死後に浄土に生まれる阿弥陀仏の救済を説く他力宗的宗派もあるが、禅はもっぱら坐禅の修行によって仏性ー人間の心の本来の姿ーをさとり、それによってみずから迷いや煩悶から解脱することを主張する宗派である。今、私は一般の呼び方にしたがって禅を一つの宗派といったが、禅は仏教の根本である釈尊の修道の過程をそのまま学び、釈尊のさとられた悟りをさとろうとするものであって、仏教の分かれた形を意味する宗派という言葉をもちるのは適当ではなく、禅は仏教の総府、諸宗の根源であると主張された禅僧も古えにある。この主張は正しいと思う。
 禅の理想はつねに釈尊の悟りの生活の上にあるが、現在に伝わる禅は、インド的なものに、多分に中国的な要素が加わって成立したものである。中国における禅の歴史は6世紀の初めにインドの菩提達磨(Bodhidharma)が来た時にはじまるとされるが、事実はこの人の来る前から、他の仏教の伝導者によっても若干伝えられたものと信じられる。しかし菩提達磨によって、はじめて時の中国の帝王であった梁の武帝(502-549在位)に対して、今まで何人によってもなされなかった禅的な仏教の説き方がなされた。また達磨は武帝との会見の後の生活においても、禅に他の仏教の諸派と異なる修行があり生活のあることを事実をもってして示した。それは彼がなした坐禅と、坐禅によって得た智慧が、いかにすぐれたものであり、よく人類の迷いや煩悩の闇をてらして、その実体のないことを知らしめ、それによって人類の心を解放し、人類の心がいかに自由なものであり、浄らかなものであり、安らかなものであるかを明らかにしたことである。彼の示したこの禅のすぐれた事実は、中国仏教者の関心をひくに十分であった。したがって少数ではあったが。素質のすぐれた人々の一段は、つねに彼をかこんで教えを受け、熱心にその修行をおさめて、彼の死ぬ以前に中国人の弟子慧可によって、彼の禅は完全な継承者を得た。相伝えて達磨から六代目にあたって慧能が出た。
慧能は広東地方の身分のひくい者の子で、満足な教育もうけなかったが、生まれながらにして宗教的天分がゆたかな人で、青年の時代に達磨から第五代目の弘忍(ぐにん)という禅者について禅の悟りを得、のち十数年の修養をした後、大いに禅をひろめた。
慧能はその禅の説き方にも新機軸を出だし、また一人一人の求道者を導くにも斬新な適切な方法をとった。それまでの禅はまだどこかインド的なところが多く、中国人にぴったりしないところがあったが、慧能に至って全く中国的なものとなった。
彼は偉大な宗教者でもあったが、また偉大な教育者でもあった。彼の門下には、南岳・青原(せいげん)をはじめ、すぐれた禅者が数多くいで、後来南岳の系統に、馬祖(ばそ)・百丈(ひゃくじょう)・黄檗(おうぱく)・潙山(いさん)・臨済・仰山(ぎょうさん)等が出で、青原の系統に、石頭(せきとう)・薬山(やくさん)・雲岩(うんがん)・洞山(とうざん)・曹山(そうざん)・徳山(とくさん)・雪峯(せつほう)・雲門・玄沙(げんしゃ)・法眼(ほうげん)の偉人がいでて、禅は中国仏教の中心的勢力となり、9世紀から11世紀にかけてもっとも栄えた。

この二国の間における禅の交流した年代は実に永く、13世紀から17世紀の初めまでつづいた。その系統をわけると、南岳系に属する臨済宗と、青原系に属する曹洞宗とである。現在の日本の禅はこの二系統以外にはない。
臨済宗を最初に伝えたのは栄西(1215寂)、曹洞宗を最初に伝えたのは道元(1253寂)である。
 日本に伝わった禅は、その簡明な教義と、実践的な修道の方法とがわが国民の性情に適し、まず当時の知識階級であった公卿や武士たちに受け入れられ、たちまち全国にひろまり、ついには一般庶民の間にも浸透した。禅はただ生死の問題を解決し、運命の問題を指導する宗教であったばかりでなく、人類の心を種々の囚われから解放し本然の姿にあらしめ、人類の心の絶対性・自由性を回復せしめる必要上、日本民族の生活に偉大なる影響を与え、かつてその比を見ない豊かな想像力を発揮させ、その後におこった日本的な文化・芸術・武道の成立に重要な要素となった。
さきにあげた仏教が日本の文化に寄与した効果の中、鎌倉期以後のそれはほとんど禅の力である。こうした意味で日本の文化を知ろうとするものにとって、禅は見落とすことのできないものである。
p.7-7

 しからば禅とはどういうものかというと、禅とはお互いの心の本来の姿を知ることである。本来の姿を知るというは真実の姿を知るということでもある。人間の心が始めから罪や汚れや迷いや苦しみをはなれたもの、したがってすばらしく清らかなもの、明らかなもの、自由なものであることを体験的に知ることである。
 『一切の衆生は悉く仏性をそなえている』というのは仏教の根本的な信条である。仏性とは、前に述べた心の本来の姿のことである。釈尊はインドの王族に生まれてその生活は何の不自由もない方であったが、人類の運命を観察して、人生は若ければ若さに起因するいろいろな悩みや苦しみ、老いれば老いの悲しみ・病の苦しみ・死の恐怖等々にみたされている。いかにしてこれらから免がるべきかに思いを潜め、ついに王位をすて妻子と別れて修道生活に入り、多年努力精進の結果、禅によってこの人類の心の本来の姿を見出し、ここに一切の悩みを解決し大安心を得、大愉悦を感じて、みずから、「私はブッダとなった」と宣言された。
 インド語の仏陀(Buddaha)という言葉は覚れる人、または目ざめた人という意味である。釈尊のこうした言葉から、心の本来の姿を仏性というにいたったのだ。つまりこの心の本来の姿を見出し得た人は覚った人である。釈尊は本来の心の世界のすばらしさを、時間的には寿命無量といい、空間的には光明無量といった。これはまことに適当な表現である。この世界には死はない。永遠に生き通しの大生命があるばかりだ。その大生命は時間的には、はじまりを知らない過去の過去より、果てしを知らない未来の未来までをふくんでいる。また空間的には、この心をはなれては蟻のひげ一本も存在しない。普通の常識の世界では、我は我であり彼は彼であり、山も川も天も地も我の外のもの、我と対立する存在であるが、この心の世界ではそうではない。天が高く無限にひろがるは、心が高く無限にひろがるのであり、山をそびえ地の厚いのは、心がそびえ心が厚いのである。水が洋々として流れ、海のびょうびょうとして広いのは、心が洋々として流れ、心が洋々として広いのである。幾万光年を経て光が地球に達するというはるかな存在である恒星も、もとよりこの心の外のものではない。心とはこういうすばらしいものである。他力教でいうアミダ仏というのは、この寿命無量(Amitayus)・光明無量(Amitabha)を象徴したものである。この心の世界が悟りの世界である。この世界を理論的に明らかにしようとしたのが、仏教哲学とよばれる華厳宗や天台宗の教義である。それらはきわめて深遠な哲理を組織的に展開しているが、多くの仏教の修行者はそうした理論を明らかにすることによって、実際上の解脱的心境に達することは稀であって、これを直接自己の心の上に反省し心の本来の姿を究明することが、かかる高遠な理論を生み出す根本である悟りの心境に達するのに、かえって確実であり近道であることを経験によって知った。それが禅である。つまり釈尊が親しく覚られた悟りの心境というすぐれた国に行くには、釈尊やその他の人々が後から来るもののためにと思って書かれた旅行記や地理書を丹念に読んだり研究したりするよりも、その旅行記や地理書によって、たしかにその国のある事を信じ、その方角が分ったならば、その旅行に必要な用意をととのえて、一歩一歩不退転の勇気をもってその方向にすすむことが、たしかにその国に達する方法であることを知ったのである。自分が親しくその国に達し得たならば、その国の山河や風光がどんなであるかは、自分の眼をもって見ることができるから、もはや他人の書いた旅行記や地理書はいらない。時としては、先人がいまだ見出さなかったよいところをすら発見して、各人、独自の旅行記や地理書を著さずにいられないこともあろう。それが禅者の生活や言葉に見る体験した世界の新鮮な表現である。だから禅者はあくまで実参実究を貴ぶ。
 自己が自己をきわめるのである。他人の協力や援助をいれる余地はない。すぐれた師や友人をもつことは、その用意をつまびらかにしたり、その精神をはげましたり、その相当困難な努力を継続したりするうえに、よい刺激を与えてもらえる点などで有益であるが、修行者の胸中の「自己の心とはいかん」と究めすすめる努力は、まったく修行者独自のものであり直接的なものであって、他からどうしてやることもできない。したがって禅者は、その経験した悟りの表現も多くは理論的・組織的な方法をもちいず、できるだけ直接的に超論理的な方法をとる。
 これは普通の常識からいえば、解しにくくもあり手がかりを得がたくて、意地が悪いように思える場合もあろうが、禅者から見れば、それが一番正しくもあり親切でもあるのである。なぜかといえば悟りの世界は常識の世界を越えているからだ。たとえば臨済がその師黄檗に「仏法のぎりぎりの貴いところをうかがいたい」というと、黄檗はいきなり棒で臨済を20回もつづけざまにうった。しかもこの質問がくり返されるたびごとに、つまり3回もこれをかさねた。しかしこれによって臨済は心の本来の姿を見ることができた。後に臨済は有名な禅者となったが、修行者が何か質問をすると「喝(かーつ)」という一語をもってむくいることをつねとした。喝という中国語はただ「かーつ」という声があって、何らの意味のない語である。もしこれがいろいろ思索すべき理路をもった語であったら、臨済はもちいなかったであろう。無意義な語であるから超意識・超論理の世界を表現するに適当なのだ。これもまた有名な禅者である雲門は、ある僧に「禅とはどういうものか」と問われて、「糞かきべら」と答えた(糞かきべらとは中国で人糞を処理する不潔な棒きれらしい。)常識の世界では仏は貴いもの清らかなものであり、糞かきべらはきたないものときまっていて、とうてい一致すべき概念ではないが、禅の世界では何ら矛盾しない。こういっても禅者には浄もなく穢もなく、味噌も糞も一緒であるというのではない。一たび心の本来の姿が分ったら、心のはたらきはもとのままで、すなわちうれしければ笑い、悲しければ泣き、きれいなものはきれい、きたないものはきたないまま、うれしさをこえ、悲しさをこえ、きれいさをこえ、きたなさをこえているのだ。いいかえれば、仏は仏であり、糞かきべらは糞かきべらであって、しかも一々が絶対なのだ。
 この関係をうかがうに適当な問答は趙州にある。ある僧が趙州に、「いかなるかこれ祖師西来意(さいらいい)―達磨が伝えた禅とはどういうものですか」と問うと、趙州は「庭の柏槇(びゃくしん)の樹(き)」と答えた。趙州の答えの真意を解しない僧は「和尚、境―自分以外のものーをもって答えておらるるではありませんか」と再開した。趙州、「いや私は境をもって答えていない」と。そこで僧はまた改めて「達磨の伝えた禅とはどういうものですか」と問うと、趙州はまた前と同じように「庭の柏槇の樹」と答えた。
 この問答には、自と他―心と境と区別して考えることのできない、未だ悟りの分からない僧の世界と、自と他・心と境と不二である悟りの世界に住む趙州とが、はっきりと出ている。この関係はどうしても実地に参究して「ふふうん」と自らうけがう以外に知る方法はない。生命の問題にしてもそうだ。常識の世界では生まれて来たものは必ず死なねばならない。健康をほこり無病を自慢する人も、実は運命的には決定的に死刑の宣告をうけているのだ。しかし心の本来の姿をあきらめた禅者の世界はこれをこえている。むかし関山(かんさん)は「自分のところには死ぬるということはない」といった。関山は84歳で死んだが、禅者は関山の言葉の真実さを疑わないし、関山が永遠に生きていることを知っている。

  三、禅の修行の仕方
 禅の修行はどうしてするのか、禅のことを古えから坐禅と同意義に解しているほど、禅の修行には坐ることが大切な方法とされている。坐る方法はインドから中国を経て伝わって来たものであるが、実際にやってみて、たしかに精神を統一し純粋にし精神の作用を高め、ふかく思索し冥想するに適した方法である。その坐り方は、尻の下にやや厚めの蒲団を敷き、右の足をまげて左の太ももの上にあげ、左の足をまげて右の太ももの上にあげて、がっちりとくみ合わす。それから背骨をぐっとまっすぐにし、頭をもまっすぐにして、前にかがんだり、後ろへ反ったりしないようにする。古えからその注意を「鼻と臍とまっすぐにして対し、耳と肩とをまっすぐに対せよ」といっている。両方の手は自然にして、組み合わせた足の上におき、これも右を下に左を上にして掌(たなごころ)を重ね、親指の先きをささえ合わせて、両手の掌の上に宝珠の玉がのったような恰好の空間ができる。更に最後に尻を心持ちうしろに引くようにし、下腹をこれは心持ち前へ出すようにする。そうして姿勢をととのえて、体をしずかに前後左右に少しずつゆすって、しずかに息をすい、臍の下二寸五分くらいのところに力を入れる。これはあまり力んではいけない。この尻をうしろに引き、からだをゆすぶって、上半身の重みがふんわりと下腹にかかる調子が大切である。上半身がまっすぐに伸びた脊梁骨を心棒にしてささえられ、それがゴム風船のような弾力をもった下腹、臍海丹田(せいかいたんでん)にのっかる。肩や腕の力をば全く抜いてしまう。こうした姿勢ができ息の調うことは不可欠で、姿勢がくずれると息もみだれる。目は半眼に開き三尺程先を見る。こうした諸条件がととのうと、古人が『坐禅は安楽の法門なり』といったように、坐ることは楽しくなる。この姿勢で坐り、こうした安定した心構えで自己の本来の姿をもとめるのだ。
 本来の姿をもとめるというと、常識では自分の心はどういうものかと、古えの人たちの書いた教えや言葉でもさがして、ああであろうかこうであろうかと、思慮分別をたくましくすることのように思うであろうが、禅でいう本来の姿のもとめ方はそうではない。さきにもいったようなすばらしい本来の心は誰にでもそなわっている。それが自分で分からない。それが分からないのは思慮分別する意識のためである。だからこの際、ああ思いこう思いする意識のはたらきをたたき切らねばならない。それには道元のいわれたように、ただ正しく坐って「念想観の運転を止め、非思量底を思量せよ」で、すべての思慮分別をすてて、非思量底―思慮分別をこえた世界に入れと導く行き方と、公案をその公案に参究することによって上の目的を果たす行き方とある。これはいずれにもそれぞれの長所がある。
 禅の思想的なよりどころは、人には誰でも仏性がある。それは老若・男女・賢愚にかかわらないものだという、釈尊以来の菩薩方や祖師方および禅を実際に修行された人々によって証明された事実である。またその仏性を覚るということも、正しくその用心を知って、たゆまない努力をすれば誰でもできるという。これも多くの先人達によって示されたところである。これらをよりどころとして禅者はその修行に出発する。この仏性は人々にかならずあり、努力すればかならず悟れるという信念、これを確認することは、いくら確認しても確認しすぎることはない大切なことである。なぜなればこの信念が禅の修行にすすむ人の一生を支配し、その成否を決するからである。禅はその到達した結果がすばらしいかわり、その修行の成功は決して容易ではない。これが禅に志す人は多いが十分の成功を収める人は必ずしも多くない所以だ。それはこの信念に徹底せず中途で棒をおるからである。
 道元も「この法はー悟りといってもよいー人々分上ゆたかにそなわれりと雖も修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし」といった。仏性の具有を信ずることと、すすんで禅の実際修行をするということは、車の両輪の如き関係にある。しかしこの坐るということは、さきにのべたようにたしかに有利な姿勢であるが、日本人のように坐る習慣をもった国民にすら、はじめはかなり苦しい。いわんや、そうした習慣のない国民にはなおさら苦しいことであろう。だが古人も、「道は心によってさとる。豈に坐にあらんや」といったように、禅の一義的の目的は心の本来の姿を見ることにある。たとい寝ていようが、心の工夫―心を統一し純粋にする努力―がたえまなくつづき、その努力の度が高まったならば、必ず悟りは得られる。徳川初期に出でた愚堂(ぐどう)という禅者は、友達とねていて悟り、少しおくれて出た盤珪(ばんけい)は、病気になり危篤の状態にあって悟った。ここでは身体の姿勢など問題ではなかった。
 中国でも霊雲は桃の花を咲いたのを見た刹那に悟り、玄沙は石につまづいて足の指頭(ゆびさき)をいためて悟り、雲門は脚を折って悟った。こんなふうに悟りに入った機縁はまちまちであるが、かかる人々は一人の例外もなく、どうすれば自分の心の本来の姿を見ることが出来ようかと、相当ながく心をこの問題にひそめ、努力をかたむけていたということを忘れてはならない。

 禅者は「大疑の下に大悟あり」といい、また「泥(でい)大なれば仏(ほとけ)大なり」ともいった。これはその修行者の努力の度合に比例して、その達した悟りの境涯に浅い深いがあり、高い低いがあることを意味する。禅の修行も人生の他の学問や修養と同じく、生れながらにしてすぐれた天分をもったものはもとより祝福さるべきであるが、天分のすぐれたものも、その天分にたよって努力を怠ると大成せず、東洋のことわざにいう「十歳で神童、二十歳で才子、三十歳をすぎたら平凡(ただ)の人」というように、一向光彩を放たないでおわる場合があり、比較的鈍根と思われるような人が、志願をかたくし、精進刻苦してやまないとき、かえってすばらしい悟りを得、宗教者としても偉大なはたらきをし、門下の養成にも成功をおさめた例は歴史上に乏しくない。
 またここに坐禅の修行をしても、悟らなくては何にもならないではなかろうかという問題がある。坐禅の修行をする以上、悟りに達するまでは修行してもらうに越したことはないが、たとい悟りに達しないでも、前にのべたような信念をもって、正しい用心をして坐れば、坐っただけの効果は必ずある。悟った立場からいえば自己の心の本来の光は、いつもお互いの生活の上に生き生きとしてかがやいていて、かつて絶え間はないのである。なぜその光があらわれないかといえば、思慮や分別が雲や霧のごとくかかってこれをさえぎるからである。修行者が正しい坐禅を三十分なり一時間なりすれば、その三十分なり一時間なりは、この雲や霧がおさまって、それだけ本来の光があらわれる。その証拠としては心の落ちつかない人は落ちつき、心の狭い人は広くなり、あらあらしい心の人はやさしく、また気性の弱くてこまる人はしっかりしてくる。こうなることは別に不思議ではない。人間の心は本来そうあるべきものなのだ。たとえば肉体の健康な人はいつも明るく快活であるが、病気をするとそうはゆかない。気むづかしくなったり、心がけわしくなったりする。坐禅をする心が健康になるのだ。健康の心は明るく快活である。心の本来の姿には病気やわずらいはない、絶対的健康そのものだ。坐禅はややもすればこの絶対的健康から遠ざかろうとする人類の病を治す良薬である。
 こうした意味で正しい坐禅は、長くても短くてもすればしただけの効果は必ずある。中国でも日本でも偉大な人物が禅によって人格をみがいた例は挙げるにいとまのないほどである。

  四、宗教としての禅
 禅は釈尊の悟りを目標として修行するものであることはすでに述べた。その修行が経典や煩瑣(はんさ)な教義をたよりとせず、どこまでも自己の直接な体験にたよろうとせず、どこまでも自己の直接な体験にたよろうとすることをもしるした。また禅の悟りのいかなるものであるかの大要をも伝えた。ここで私は禅が人間の宗教としての任務を、どんなふうに果たすかについて述べようと思う。
 およそ宗教の人生に対する任務は、大まかにいって生命の問題の解決と運命の問題の解決とにあるといえよう。「いのちあっての物だね」というとおり、人類にとって生命は何よりも大切である。しかし人はただ生きていればよいのではない。生きている以上、幸福でなくてはならない。不幸な生き方ならば御免であると死をえらぶ人のあるのを見ても分る。この二つはいずれを重いともいえないぐらい重大な性質をもっている。
 まず生命であるが、前にものべたように、一たび肉体をうけて地上に生まれた以上、その死なねばならぬことは決定的である。それも70歳とか80歳とか保証されてでもいればまだしも『老少不定』『朝(あした)に紅顔あって夕(ゆうべ)に白骨となる』の不安なものである。よく考えると、一般の人がこの生命の問題の解決をつけずにのんびりとしているのは、爆弾をいだいて平気でいるような危険千万なことである。禅は心の本来の姿を見ることによって、この問題を解決する。人類の心の本来の姿には生と死との対立はない。その世界無量であり光明無量である。この本来の姿が分ったならば、すべての心のはたらき、見ることも、聞くことも、感じることも、考えることも、すべての心のはたらき、見ることも、聞くことも、感じることも、考えることも、すべてがこの心の光であって少しも生や死への考えに束縛されない。ここに人間の不可避の運命とみられた死からの自由が得られ、大安心(だいあんじん)が得られる。
 次に運命の問題はというに、仏教では人類はいうまでもなく、宇宙も、天地間にある万物も」、かくのごとく出来てきたには出来るべき条件が綜合されて出来、つづいているにはつづくべき条件がつづいているからつづき、変化するには変化すべき条件が発生して変化し、亡びるには亡びるべき条件が発生して亡びると考える。決して一箇の人格的な全智全能な神があって、万物をつくったり支配したりするとは考えない。だから人類の運命の問題についても、人が幸福になるには幸福になるべき条件が綜合されて幸福になり、不幸になるには不幸になるべき条件が綜合されて不幸になると信じる。

 もっとも人類の幸福は形の上にあらわれた条件によってはきめられない。客観的には同じ条件でも、Aはこれを幸福と受けとり、Bはこれを不幸と受けとることもある。それは両者の主観の相違である。だから幸福になる条件が綜合されるとは、この主観と客観とが都合よく綜合されたことをも意味する。人間は誰でも幸福になりたいと思う願いをもっている。またこの願いをみたすことが人生の目的だといってもよい。しかるに地上には自分も幸福だと信じている人は何パーセントもない。これはなぜであるか。仏教では、これを人類の業の結果であるとする。業(カルマ Karma)とは、人の心に思うこと、口にいうこと、体に行うことのすべてをいう。業は人が生きている以上一分間もつくらずにはいられないものである。この業の善悪が人類の運命をよくもわるくもすると教える。それではその業の善悪を分かつ標準はというと、慈悲―他人の苦しみを抜いてやり、楽しみを与えてやりたいと願うやさしい心―から出る業は善であり、この反対の無慈悲から出る業は悪である。例えば不幸な人を見て、「ああ気の毒なことだ、どうかしてあげたいものだ」と慈悲の心がうごく、これだけでも善業である。それがやさしい言葉となって、その人をなぐさめたり力づけたりする。さらに進んで、あるいは行いをもって、あるいは物をもって助けてあげる。もちろん善業である。反対に人をにくみ、「あんな人はなにか不幸なことが起こればよい」と呪う、これだけでも悪業、これが悪意にみちた言葉となり、惨酷な行為となれば完全な悪業となる。これらの善業は善の影響を自己および人類の世界に与えて、自己や人類を幸福にし、悪業は悪の影響を自己や人類の世界に与えて、自己や人類を不幸にする。だから人が幸福になろうとするには、どうしてもお互いの業を善くしなくてならない。
 これを分りよい例をとっていえば、人の人相である。よいことを思い、よい行いをおこなっている人の顔は明るくてやさしく、わるいことを思い、わるい行いを行なっている人の顔は暗くて冷たい。よい人相・わるい人相とはそうした顔の表現がある期間つづいて固定したことである。しかしその人相も決して変え得ないものではない。その人の業の善悪をかえれば、善い人相の人もわるい人相となり、わるい人相の人もよい人相の人となることができる。よい人相の人がよい運命をもっており、わるい人相の人がわるい運命をもっているであろうことはいうまでもない。慈悲の心のゆたかな人に近ずけば、春の日にてらされたように自然に温か味を感じ、むすぼれていた心もとけてくる。無慈悲な冷酷な人の顔は、一目みただけでも冷たいものがつたわり、人の心を氷らせる。こういう人には猫も近ずかない。善い業は人類の心の暗やみを照らす光である。人類には一人の例外なく、ともせばいつでもともる慈悲のローソクがある。そのローソクに火がともればその人の心は明るくなり、その人の人相も行いも輝いてくる。そういう人が一人ふえれば一人だけ、二人ふえれば二人だけ人類の世界は明るくなり善くなる。他の世界には往々にして競争があって、Aの成績がよければBの成績に影響して、Aの幸福はBの不幸となるというようなことがあるが、この善い業をはげみ合う世界にはそんな心配はない。自分よりも他人がより幸福であることが望ましいのであるから、他人が自分よりもすぐれた善い業をするのを見るは、自分がみずから善い業をなし得たよりもうれしいのである。仏教ではこれを『随喜の徳』という。仏教の仏陀とか聖者とかいわれる人々は、みなこの心の世界に生きられた方々である。

 なお、ここでついでにもう少し業についてのべておこう。人類の業にはAにはAの、BにはBのゆずることも代わることも出来ない特定の業のあることはいうまでもないが、このほか、Aの家族にはAの家族に共通する業、Bの家族にはBの家族に共通する業、その親族に共通する業、その地方人に共通する業、その職域に共通する業、宗教的信仰を同じくする者に共通する業、その民族に共通する業、日本国民に共通する業、アメリカ国民に共通する業、東洋諸民族に共通する業、ヨーロッパ諸民族に共通する業、さらに全人類に共通する業というように、業の層には十重や二十重でなく、百千万ないし無数億の層があり、それらが重なりあって織りなしたのが人類の世界である。この世の人の生活にはその指紋の異なるがごとくに差異があり、その差異はみなその人のうけた業の差異である。その生活の高さ低さにも、清さきたなさにも、それら差は全く人類の思量に絶するものがある。
 古えには人類が地球に生まれて来たことまで、人類の過去の業がよくなかったために、地震や旱害や、風水害等の不安の多い地上などに生まれたのであると説いた人もあるが、私は人類の業の結果をそこまで及ぼすことには反対である。人類が地上に生まれたのは他の動植物と同じく、自然に発生し、きわめて幼稚な微生物から進化したものであって、その生まれたことは人類の意識の伴った生活を意味する業の結果というべきではない。だから天体や地球の構成その変化等に対しては人類に責任がないようにー将来、原子の爆発等を無制限にして、地球を破壊するようなことがあればまた別であるがーこの問題に責任はない。仏教で人類の世界は人類の業が織りなしたというのは、人類が生物として幸福になりたいという意識をもって、その原始時代から漸次努力をかさね、今日の文明をもつに至ったその過程において創り出したあらゆる文化・宗教・道徳・哲学・科学・政治・経済その他すべての組織機構等々によって、創りあげた世界をいうのである。人類に人類だけしかない複雑な世界のあることは、同じ地球上に棲息しながら何らそうした精神力をもって独自の世界を創りいだした形跡のない他の動物を見れば明らかである。人類が人類の世界として生活している世界は、その大部分が人類の生活を可能ならしめている唯一の根拠、宇宙の一遊星である地球のもつ自然そのものでなくして、その自然と調和しつつこれを利用して創りいだした文化の伝統や作用であることを思えばわかる。
 人類もわずか数万年の間によくもここまでの精神的労作をなし遂げたものと感心もするが、一面から見ると、どうすれば幸福になるかという人類の一義的目標には依然として遠く、科学的知識の進歩が、逆に人類をその目標から遠ざからせたかと考えさせられることすらある。それは何によるか。仏教者からいうと、人類は幸福になりたいとねがいながら、実質的に人類の幸・不幸を決定する業について無知であり、業の質的な反省をわすれ、幸福になるに最も大切な善業の積極的な実践を怠ったがためである。一部には仏教を宿命論のように誤解している人もいるが、仏教は断じて宿命論ではない。仏教の人生観は、上述のように宇宙のあらゆるものごとが時間の前に停止するところを知らず移りかわるがごとく、人間の運命もまたうつり変わる。人が善業をはげめばその運命は向上し、善業をおこたればその運命は降下する。業と運命とは因果関係にあり、その因と果とはつねに相等しい。この信念をもてば、自己および人類の幸福を願うものは、どんな小さな善業もおろそかに出来ず、どんな小さな悪業もつつしまねばならない。これが正しい仏教の考え方であり、同時に禅者の考え方である。禅はこういうふうに生命の問題と、運命の問題を解決して、人類に正しく幸福になる道を教えて、完全に宗教としての任務を果たす。

p.25-30  五、指導者たちに望む
 顧みると人類の歴史は闘争の歴史であった。原始時代は自然の猛威と他の生物の脅威とから自己を守らんがために戦い、ややすすむと人類同志、部落と部落と、民族と民族と、ついには国と国と、あるいは生存に必要な領土や資源のために、あるいは支配力や権力の争奪のために戦った。人類は今日では自然の暴威に対してはすばらしい防御力をそなえるに至ったが、その戦いもいまだ完全に終わってはいない。一方国と国との戦いは、第一次大戦によって終止符がうたれたかと思ったがそうはいかず、第二次大戦でこそと思ったがそれも当てはずれらしく、依然として冷戦や熱戦が、あちらにくすぶり、こちらに焔をあげている。しかも世界が二つの陣営に分れて対立し、万一戦ったならば、その新しい兵器の性質上、人類のうける惨害は想像に絶するものがあろう。思うだに戦慄を禁じ得ない。
 これに対し二大陣営の指導者たちも、世界の知識人たちも、あらゆる角度から平和を実現しようとして努力を重ねているが、いまだこれぞというきめ手が見出されない。
 私は一仏教徒として人類の平和実現についてその信念と所見とを吐露して、全人類に、特にその指導層の人々に訴えたい。一体、人類が今日のような抜きさしならない対立抗争の窮地に陥ったのは、なぜであるか。その原因はどこにあるのであろうか。私は人類が釈尊やキリストの教えに忠実でなかったからだと断言する。釈尊の教えと、キリストの教えとは、宇宙や人生に対する解釈には相違があるが、人類が幸福になるためには、何を実践すべきかという点においては一致していた。それは釈尊が慈悲を説き、キリストは愛を説いた。慈悲と愛とはその表現はいくらか異なるが、その精神は同一である。いずれも自他をへだてない。人類の生命をも運命をも一体と見る境地から出たので、『自己の欲するところを他にも施せ』というにある。私がさきにのべた人類の業の根本的な改善である。
釈尊の教えは東洋人の間に、キリストの教えは欧米の人々に奉じられたが、不幸にしてこの大切な慈悲や愛は、東洋においても、西洋においても、いまだかつて完全に実践されたことはなかった。もちろん個々の人々の間や、社会の一部には、かなり徹底した実践も見られたが、不幸にして国家と国家との間にはそれが見られなかった。いうまでもなく、今日まで人類の運命を最も強力に支配したものは国家である。その国家同志は慈悲や愛を実践しようとしなかった。国によっては、国会を開くに当って、その教えに忠実なることを神に誓ってはじめる国もある。それほど真剣でありながら、いざ他の国との政治や経済の問題となるとわが国だによければ、わが国だに富めばという、利己主義の権化となった。これは東西の別なく、今までの国家主義的国家のあり方であってはほとんど例外はない。これでは釈尊や、キリストの教えとは正反対な行き方で、人類が今日のごとき対立抗争の悪循環をくりかえす以外に出られないのも無理がない。左へねじってかけた錠前をはずすには右へねじらなければならない。かくして行きづまった人類と人類の運命を救うには、今までの行き方を180度転換しなくてはならない。それには国家至上主義をすてて、世界を一つと考え一つとして処理する世界国家なり、世界連邦なりの構想をして、慈悲や愛の具体化をすべきである。(略)
(私も以前から現代において実現の可能性の最も多いと信じられる、世界連邦政府建設同盟日本支部に加盟しているのはそれがためである。
従来、宗教特に仏教は、政治や経済の問題に触れず、超然としているのを建前としていたが、私はこれは不徹底であると思う。また多くの宗教者たちも、富めるものから余剰のものを貧しい者へ与え、富める国民から窮乏した国民へ若干の物資を頒つことぐらいを最大の任務としているのもどうかと思う。もとよりそれも慈悲や愛の実践の一部であって、それにはそれだけの意義はあるが、なぜそれよりも貧しい人をつくらない、乏しい国を出ださない政治や経済を実現するようにしないか。いいかえれば、なぜもっと大胆に宗教の精神を全面的に政治や経済に翻訳して、人類の世界から貧乏や病苦を一掃する主張をしないか。人類の犯したこの大きな錯(あやま)りをそのままにして、その結果おこる貧乏や病苦に同情して、若干の慈善事業などをしてすましているは、その本をおいて末を追うものではないか。また私は、これを国家と国家との間に一刻も早く実現することを切望する。それは現代の世界の不安は、一部の国や一部の民族が余りにも窮乏し余りにも不安定であるからである。その窮乏は、その所属する国民の努力だけで解決し得る性質のものではない。どうしても世界を一つとし、人類を一体として見る宗教的立場にたった政治や経済を必要とする。今までのように国家を至上なものとし、一つの国を単位として動かすべからざるものとした考え方では、この解決はつかない。・・・)
釈尊や、キリストの教えた慈悲や愛は、釈尊やキリストの見た人類の運命は一体であるという世界から出たものである。人類は今までこの世界を一つの観念の世界として現実の世界から別にしていたが、それでは現実の世界が収まりつかないことは現に見るごとくである。
今や人類はその錯りを猛省して、釈尊やキリストの教えた世界連邦の真実性を確認し、これに従うべきである。
人類の科学的知識は最近わずかの間に、想像もできなかったほどの大躍進をとげた。これに対して、いちじるしく進歩がおくれたとみられた人類の良心的知性も、この現実の、このままでは絶対に打開することのできない事実と、また猶予しがたい情勢に直面して、断然一大飛躍をすべく要請される。それは宗教は精神を単なる精神としてすてておかず、全面的に政治や経済の上に生かすことである。
この平明で偉大なる真理は、世界の民衆が容易に理解するところと思うが、いざ実践となると種種なる伝統的な無智が、これをはばむであろう。私は人類の知性と良心とを代表する世界の各界の指導者たちが、現代の人類に課せられたこの高貴な使命を完遂するために、敢然として起たれんことを希うものである。特に、自由世界の民衆の信頼と尊敬をよせるアメリカの指導者たちに。
 1954年3月





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最終更新日  2026.06.26 20:00:05


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