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2026.06.27
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カテゴリ: 坐禅
道元「宝慶記」

15 参禅は身心脱落なり。身心脱落とは坐禅なり。

 堂頭、和尚示していわく。
「参禅は身心脱落(しんじんだつらく)なり。焼香・礼拝・念仏・修懺(しゅうさん)・看経(かんきん)を用いず。祗管打座(しかんだざ)のみ」。
 拝問す。
「身心脱落とはいかん」。
 堂頭、和尚示していわく。
「身心脱落とは坐禅なり。祗管に坐禅する時、五欲(色・声・香・味・触)を離れ、五蓋(貪欲蓋・瞋恚蓋・睡眠蓋・掉悔蓋・疑蓋)を除くなり」。
 拝問す。
「もし五欲を離れ、五蓋を除くならば、すなわち教家の談ずる所と同じ。即ち大小両乗の行人たる者か」。

「祖師の児孫は、強いて大小両乗の所説を嫌うべからず。学者もし如来の聖教に背かば、何ぞ敢て仏祖の児孫たる者ならんや」。
 拝問す。
「近代の疑者いわく、三毒即仏法、五欲即祖道と。もし彼らを除かば、即ちこれ取捨にして還って小乗に同じからん」。
 堂頭、和尚示していわく。
「もし三毒五欲等を除かずんば、ビンシャ王国、アジャセ国の諸の外道の輩に一如ならん。
仏祖の児孫、もし一蓋一欲を除かばすなわち巨益(こやく)なり。仏祖と相見(しょうけん)の時節なり」。

大谷p.110 如浄「参禅は身心脱落である。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経ではない。
只管打坐が身心脱落である」
道元「身心脱落とはどのようなことですか」
如浄「身心脱落とは坐禅そのものである。ただ、坐禅するとき、五つの欲望から離れ、五つの煩悩が除かれる」
道元「五つの欲望を離れ、五つの煩悩が除くということならば、経論に基づく宗旨の教家の人の説くのと同じです。それならば仏祖道も大小二乗の修行者と同じになるのではありませんか」

道元「近ごろの僧は『三毒こそ仏法である。五欲は祖道である』などと、欲望や煩悩がそのまま仏法であり、祖道であると説きます。そして『その三毒・五欲を除くならば、善を取り悪を捨てるという取捨をすることになり、それこそが小乗と同じだ』と言っています。これはいかがでしょうか」
如浄「もし三毒・五欲を除かないならば、その昔、マガタ王のビンシャラ王と、その父王を殺害したアジャセ王の時代にいたという外道たちの教えと同じである。祖師の児孫は、もし一毒でも一欲でも除けば、そのとき大きな利益があり、そのときこそ仏祖に出会う時節である」





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最終更新日  2026.06.27 19:00:04


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