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2026.06.30
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 沢木興道



【坐中有感(三)】
衲被蒙頭休萬機 (衲被蒙頭万機休す)
心如墻壁眼如眉 (心は墻壁の如く眼は眉の如し)
一條古路長荒草 (一条の古路荒草を長す)
家破人亡何處歸 (家破れ人亡じて何れの処にか帰せん)


 今から九百年ばかり前に、これは公案を考える坐禅がはやった。これを看話(かんな)という。それで、なんにもせずにただ坐っておるのが、そちらの方からは非常に馬鹿に見えた。そこで、これを黙照の邪禅ということがある。ただ黙って坐っておるから、黙照邪禅という。そこで、真歇(しんけつ)が『真歇拈古(ねんこ)』をこちらえ、宏智(わんし)禅師が『坐禅箴(しん)』というものをこしらえて、坐禅の中に何物かを持ち込むのは邪道である、ということを証明した。
 ところが、人間というものは、なにかこうヘッキリをこしらえたほうが分りよい。「何メートル山へ登った。ソラ、うんとこどっこい。もう何合目」富士山に登ってもそれが苦になって仕方がない。あれと一緒じゃ。もうどれだけ行ったか。それが大変じゃ。もうわずか一キロもない。六百メートルというころになってから、ウンとこどっこい。もうあと胸突き八丁、もう九合目の中ほどからがウンとこどっこいじゃ。もう、どれだけ来たか知らん。それが心配でかなわん。いやこれが五合目、七合目、いや八合目、九合目、目印に頼る。ちょうどそのように、「ウンとこどっこい、やれこらどっこい。そら六根清浄」と、この人間はヘッキリをつけ、仕切り目を入れた方がいい。ついおらなかったら、なにをしておるのか訳が分らん。
 こういうような理屈に、ちょうど馬でも、牛でも使うのには、なにか餌があったほうがいい。そこで公案という餌を見せて、そうしてひっぱり上げるのがいい。ところが、道というものは、年数が経つと、つかまるか、つかまらんか、これは問題だが、年数というものが経っても、道というものは偉くならん。われわれ坊主はお布施多くなる。世の中の人を感心さすことが上手になる。この上歳を取ったらどうなるか。
 わたしら若いとき、十八、九のときには、二十五、六になったら、どのくらい偉うなるか。二十五、六のときには、三十五、六ぐらいになったら、どのくらい偉うなるか。三十ぐらいのときに、「沢木さんは歳を取ったら、どのくらい偉うなるか」といいよった。ところが三十になっても偉うならん。ちょっと人間皺が寄った。このころは一晩寝ずに勉強せいというても、そんな勉強はできん。一晩もやっておったら、頭がグラグラする。年寄っても、人間決して偉くならん。現状維持するのがやっとこである。そのうちに、筋肉まで崩れて来る。右を開いたら、努力せんと塞がらんようになる。道というものは、決して年が経つほど偉くなるものではない。わしはそうなんじゃ。(大智禅師偈頌講話p.79-82)





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最終更新日  2026.06.30 01:00:06


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