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2026.08.01
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カテゴリ: 遠州報徳
福山瀧助翁 

第八章 遠江三河両国の仕法
一、翁、遠江国へ報徳仕法に赴く
 そもそも遠江国の報徳は弘化四年安居院先生の同地の教化より始まる。
 ところが文久三年八月十一日に享年七十三歳で安居院先生が歿せられたからは、報徳の世話をし、指導する人がなくなり、遠江の報徳は次第に衰運をたどるばかりであった。これを見て、遠江の有志達は大いに憂え、何とかしてよい師を迎え、報徳の仕法を継続せしめようと考究したのが、遂によい方策を得ることができなかった。
 慶応二年三月安居院先生の三回忌を兼ねて大参会を豊田郡一言村智恩院に開き、この事を議したところが、相模国は二宮先生の誕生地で報徳発生の地であるから、ここから我々の師匠を迎えようという事になった。そしてその交渉方を倉見村の岡田佐平治、浜松の小野江善六の二人に委託した。小野江善六は浜松の大きな呉服屋であり、手代はしばしば江戸との間を往復していたので、手代をして相模国前川(現在の足柄下郡前川村)の瀧澤庄右衛門を訪問させ、良き師の推薦方を依頼させた。瀧澤庄右衛門は前川の豪家であり、前に安居院先生の仕法を受けた事のある家であるからである。
 その所で庄右衛門は早速小田原に行き、新宿の浜田屋に至り、翁を招いてその意を告げ、遠江の仕法に出馬せんことをすすめたが、その仕の大なるを思ってなかなか承諾しなかった。
 岡田佐平治の息、良一郎は福住正兄と同門であった。この関係から福住氏に依頼して翁の遠江国仕法を懇請したところ、重ねての依頼には断るも失礼と思い、意を決して遠江の仕法にたとうとした。
 しかし遠江国の実状を全然知らなかったため、秋葉山の参詣を名として遠江の実状を視察し、而して後に進退を定めようと慶応三年三月小田原を発し、一路遠江に向かったのである。翁五十一歳の時であった。翁、遠江に到り、まず岡田佐平治に面会し、報徳に関する意見の交換をしたところ、報徳の精神においては変わりないが、その実践方策には遂に意見の一致を見る事が出来なかった。
 岡田氏は掛川侯の大庄屋を勤め、その理想とのするところは難村復旧法であり、翁の小田原社で行う仕法は同志相集まって行う永安法である。即ち前者は病者に対する手当の如く干渉助長の仕法であり、後者は健康者に対する摂生の如く自治共済を望むものであった。精神の帰一点は一であるが、互いに相容れる事が出来ず、翁は明朝辞して秋葉山に向かおうとしたが、岡田氏もさすがに遠江まで来てくれた志を諒とし、その途次森町の報徳者山中里助への紹介状を渡したものあった。





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最終更新日  2026.08.01 04:00:05


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