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天皇皇后両陛下が戦争犠牲者慰霊のために初めて海外の旅に出られた。戦争を知らない人たちが遊びに行くサイパンは、61年前にアメリカが総攻撃をかけて日本軍をやっつけた大戦最期の激戦地である。両陛下は敗戦60年という節目の年に慰霊の旅に出られたことに意味がある。ご父君・先帝昭和天皇のお名前を叫び「天皇陛下、バンザーイ!」と、大勢の民間人が崖から飛び込んだ「バンザイ・クリフ」の惨劇は、正視できない画像である。その場所に額づかれる両陛下のご心境はいかばかりだったか‥。思えば胸がつまってくる。最終日、両陛下は老人ホームを慰問された。その時、老人たちが歓迎の意味を込めて、昔強制的に教え込まれた日本語の歌を歌った。それが「海行かば」である。作詞者 大伴家持 作曲者 信時 潔海 行(ゆ)かば 水漬(みづ)く かばね山 行かば 草むす かばね大君の辺(へ)にこそ 死なめ かえりみはせじ私も小学生、中学生の時、この歌を習い、よく歌ったうたである。老人たちが、声を揃えて歌う「海行かば」を、両陛下はいかにお聞きになられたか‥。ニュース映像はさり気なく写していたが、「大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」を60年を経て、いまの陛下がどういう思いで聞かれたか‥。もう一つ、私が驚いたことは、サイパンを攻撃するアメリカ軍の様子を映したニュースである。なんとカラーなのである。60年前の、しかも戦時中にニュース映画をカラーで撮っていることに驚いた。戦後しばらく経ってからでも、カラーフィルムは高価で手に入り難いものだったことを思い出して、こんな国と4年もの間、よくも戦争をしたものだと思った。当時の軍部や政府の人たちは、アメリカという国を知らなかったのであろうか?
2005年06月29日
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作詞者 島村抱月・相馬御風 作曲者 中山晋平「カチューシャの唄」カチューシャかわいや わかれのつらさせめて淡雪とけぬ間と 神に願ひを(ララ) かけましょかカチューシャかわいや わかれのつらさ今宵ひと夜にふる雪の 明日は野山の(ララ) 路かくせカチューシャかわいや わかれのつらさせめて又逢ふそれまでは なじみ姿で(ララ) みてたもれカチューシャかわいや わかれのつらさつらいわかれの涙のひまに 風は野を吹く(ララ) 日はくれるカチューシャかわいや わかれのつらさひろい野原を とぼとぼと ひとり出て行く(ララ) あすの旅私は時々「昔の歌」を調べてみる。単なる懐古趣味ではなく、この頃の歌を唄えないことを僻みながら、「昔の歌は、よかったなぁ」と、一人口ずさんでみる。うろ覚えではあるが、唄っていると、いろんなことが走馬灯のようにこころに蘇ってくる。「○○ちゃんは、どうしているだろうか」とか、「◇◇くんは、元気だろうか」とか、幼馴染や旧友たちのことを憶いだす。それにしても、昔の歌の詩を読むと、つくずくと「昔の日本語は美しかった」ことを思う。今の日本語は大きい曲がり角に来ているのかも知れない。いや、もう美しい大和言葉は再び蘇ることはないのかも知れない。もうこれからは、文語体の名文を読める人がいなくなってしまうのかも知れない。嗚呼。
2005年06月27日
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夏至は太陽が天球上で最も北に位置する日。北半球ではこの日に太陽の南中高度が最も高くなり、昼間が最も長く、夜が最も短い日となる。今日、蒸し暑く寝苦しい夜である。これを境目に本格的な夏のシーズンの到来となる。冬至(12月22日頃)に比べると、昼間の時間差は4時間50分もある。当然のことながら、南半球では冬至ということなり、冬のシーズンとなる。沖縄では、梅雨が明ける前に吹く南南西季節風を「夏至南風」(カーチバイ)という。去年の5月に葉山にオープンした沖縄そば&CAFEの店「夏至南風」という素敵なネーミングがピッタリ合う天井の高い、風が吹き抜けていくようなお店。ぜひ、一度お立ち寄りを。別に頼まれたわけではないが。東京は昨年の空梅雨とよく似た日々が続く。降るようで降らない。外の道路の補修工事の音が、蒸し暑さを増幅している。窓を開けて、風鈴の音でも聞きながら、ソラマメをアテにして冷えたビールを一杯という光景は、東京ではとても叶わぬ夢である。どうして、世の中がこう騒々しくなったのだろう。ラジオやテレビを消して、一夜ぐらいは「静かな夏夜」を過ごせないものか。
2005年06月21日
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十一代目市川海老蔵襲名披露興行は、五大劇場興行のしめくくりとして、福岡・博多座で華やかに開いている。十二代目團十郎の口上で始まる「助六由縁江戸櫻」の評判がいい。主な配役は、助六は言うまでもなく、新之助改め、海老蔵が勤める。三浦屋揚巻を菊之助。三浦屋白玉を亀治郎。福山かつぎを男寅改め男女蔵。髭の意休を左團次。くわんぺら門兵衛を段四郎。朝顔仙平を正之助改め権十郎。曽我満江を田之助。通人を亀蔵。国侍を十蔵改め市蔵。と、綺羅星の如しである。助六については、この日記に何回か記載してあるので、ここでは、助六の意休に対する台詞を取り上げてみたい。テレビの中継などでは、その台詞のなかに出てくる、いわゆる「差別語」は削除されている。それは、意休という人物が、果たして何者なのかということから解明されなければならないと思う。とりあえず、その「問題の台詞」を挙げてみる。それは、助六が髭の意休の頭のうえに下駄を載せて喧嘩を吹っかけるシーン。『どうだなどうだな、なぜ物を言わねえ、唖か、聾か、(刀を)抜きゃれな抜きゃれな、ハテ張り合いのないやつだ。猫に追われた鼠のように、チュウの音も出ねえな。可愛や、こいつ死んだそうな。よしよし、俺が引導渡してやろう。如是畜生発菩提心、往生安楽どんくゎんちん、ハハハハハ、イョ乞食の閻魔さまめ』と、まあ差別用語が連発される。NHKがカットするはずである。先に述べたように、意休の正体を解明しなければならないが、いわゆる「士農工商エタ非人」と言われた差別社会に関わっているのではないかというのが私の考えである。さらに深く勉強していきたいと考えている。
2005年06月17日
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作詞者 北原白秋 作曲者 中山晋平 1 雨 雨 ふれ ふれ かあさんがじゃの目でおむかえ うれしいなピッチピッチ チャプチャプ ランランラン 2 かけましょ かばんを かあさんのあとから行こ行こ 鐘がなるピッチピッチ チャプチャプ ランランラン 3 あら あら あの子は ずぶぬれだ柳の根かたで 泣いているピッチピッチ チャプチャプ ランランラン 4 かあさん ぼくのを 貸しましょか君 君 このかさ さしたまえピッチピッチ チャプチャプ ランランラン 5 ぼくなら いいんだ かあさんの大きなじゃの目に 入ってくピッチピッチ チャプチャプ ランランラン3番くらいまでは唄えるが、5番までは知らない。北原白秋・中山晋平の名コンビが生んだ懐かしい歌である。沖縄の宮古の方言で「雨降り」を翻訳?すると、 (みゃーくふつ) あみ あみ っふぃ っふぃ あんな がどぅや さなあ むち んかいふぃー ぷからす むぬ ビッチャ ビッチャ ジャップ ジャップ ラン ラン ランとなるそうな。
2005年06月10日
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糖尿病のため、末梢神経がダメになっているので、新薬の「治験」を受けることになり、今日、その第一回目の検査を受けてきました。主に足先の抹消神経の検査でした。およそ二時間かかり、もうヘトヘトになりました。看護師さんが二人付きっ切りでの「筋電図検査」でした。冷房完備の病室でまるで実験動物同然の検査でしたが、これから約一年間の「治験」の第一段階として、現代医学の最先端?の機器を駆使しての検査。予定は一時間くらいと思っていたが、とうとう昼食の時刻が過ぎて、午後一時になった。
2005年06月09日
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狭いわが家の庭に可憐な白い花を咲かせているのは、どくだみである。独特の臭いから嫌われがちであるが、別名を「十薬」(じゅうやく)といわれるくらいの効用がある薬草である。江戸時代前期までは、本名はシブキであったとか。そのうちに『ドクダミ』の名が市民権を得るようになった理由は、まずドクダミは“ドクダメ”が変化したもので、詳しくは“毒を矯める=矯正する”が語源となっているとか。当時、ドクダミは吹き出物や切り傷などの外用薬として使われるのが一般的で、化膿したおできの膿の吸い出しなどにも効果てきめんだったことから、毒を矯める→ドクダメ→ドクダミと変化していったというのだ。ドクダミは全国に分布し、他にもその土地ごとにさまざまな呼び名がある。たとえばドクナベ、ホトケグサ、ニュウドウグサ、イヌノヘドグサ…などなど。通称がいくつもできるほど、ドクダミは全国各地で愛用され続けてきた。私の家では、どくだみの葉や茎を天日で乾燥させ、お茶にしていただいている。生の葉や茎の放つあの悪臭は消え、健康茶として服用できる。「どくだみ」というネーミングが普及を拒んでいるように思う。梅雨時の鬱陶しい庭に白い花をつける薬草を見直してみたい。
2005年06月07日
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江戸歌舞伎の作者、黙阿弥の名は永遠に不滅であると申しても過言ではあるまい。彼は江戸日本橋の生まれ。(1816~1893)本名は吉村芳三郎。五世南北の門に入り、河原崎座の立作者となり、二世河竹新七を襲名。嘉永4年(1851)「昇鯉滝白旗」(のぼりごいたきのしらはた)、安政元年(1854)に「都鳥廓白浪」(みやこどりながれのしらなみ)を書き、たちまち人気作者となる。彼は次から次へとヒットを飛ばす。現在演じられることの多い作品を挙げてみると、「蔦紅葉宇都谷峠」「鼠小紋東君新形」(ねずみこもんはるのしんがた=鼠小僧)「網模様燈篭菊桐」(小猿七之助)「小袖曽我薊色縫」(十六夜清心)「三人吉三廓初買」(三人吉三)「曽我綉侠御所染」(御所五郎蔵)「八幡祭小望月賑」(縮屋新助)「勧善懲悪覗機関」(村井長庵)など、枚挙に暇がない。こうして並べてみると、泥棒・盗賊を主人公にしている作品が多いところから「白浪物」の作家としてもてはやされた。五世菊五郎のために「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ=弁天小僧)は、一世を風靡した。明治になって、九世團十郎、五世菊五郎、初世左團次という、いわゆる「團菊左」のトリオのために、活歴(かつれき)物、散切(ざんぎり)物、松羽目(まつばめ)物などをふくめた各ジャンルのものを書いた。「桃山譚」(=地震加藤)「平安太平記」「天衣紛上野初花」(=河内山)「梅雨小袖昔八丈」「土蜘」などがそれである。晩年の作品として挙げられるのは、「島鵆月白浪」「新皿屋舗月雨暈」「四千両小判梅葉」「水天宮利生深川」「盲長屋梅加賀鳶」「船弁慶」「茨木」紅葉狩」である。彼の本領は「世話物」であった。その作品をみると、生世話(きぜわ)でも、愁嘆場(しゅうたんば)に義太夫を使い、濡れ場や道行に清元浄瑠璃を使い、やり取りの会話は「唄う」がごとき七五調の台詞が用いられている。彼の七五調の台詞は、「鸚鵡石」として見巧者たちの間に流布され、声色屋のお得意先であった。
2005年06月04日
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