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若貴の父であり、師匠でもあった名大関・貴ノ花が55歳という若さで逝ったというニュースを聞き、「あの頃の名取組み」が目に浮かぶ。テレビでも「名勝負」のいくつかを流していたが、一つ目立ったのは立会いに手をついている人が少なかったということであった。あの軽量の貴ノ花が大型力士に向かっていく闘志、兄・若乃花には豪快な技があったが、弟の貴ノ花には根性と瞬発力と闘志があった。判官びいきからか、貴の人気は群を抜いていた。「大鵬・巨人・玉子焼き」といわれた大鵬を破って、大鵬の引退を決めた相撲も印象的だった。その貴が同じく不世出のウルフ・千代の富士に敗れて引退を決め、さらにそのウルフに息子の貴乃花が土をつけて引退させたという因縁めいた話も、昔話になってしまった。貴ノ花は大関50場所という記録があるが、二人の息子たちに兄弟横綱という超ビッグな記録を生み出している。しかし、晩年はスキャンダラスな話題にスポーツマンとしては「晩節を飾ること」ができなかった。病気もガンという不治の病に侵されて55歳という早過ぎる死であった。彼が活躍していた相撲界も、モンゴル勢をはじめとする外国人力士の活躍で様変わりした。これから、国技・大相撲はどうなっていくのだろう?
2005年05月31日
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歌舞伎という日本独特の伝統芸能には、諸外国の演劇には見られない、独特のものがある。それが「花道」である。昨年10月、パリ・シャイヨー宮劇場で十一代目市川海老蔵襲名披露興行が行われたが、花道の設置が問題となった。シャイヨー宮劇場がいかにフランスの誇る劇場であっても花道はない。そこで苦心して造られたのが「く」の字に折れ曲がった特設花道であった。古い話で恐縮だが、明治時代に井上外相のお屋敷を舞台にして、日本の歴史上初めての天覧歌舞伎が上演された。そのときの演目の一つに十八番物の「勧進帳」が選ばれた。弁慶役の九代目團十郎が「あれじゃ、飛び六法が、二法半だ」と嘆いたという逸話が残っている。それは仮設舞台の下手(しもて)に申し訳のような花道を設けたからである。パリ・シャイヨー宮劇場の場合も、同じく短い、しかも折れ曲がった花道だった。弁慶を演じた当代團十郎も「二法半」だったらしい。花道のもっとも卓越した演出は「両花道」である。「妹背山」の山の段なら、花道と花道との間は吉野川である。「鞘当」なら、客席は花の吉原中之町である。観客は花道に挟まれた空間で劇中の世界に溶け込み、同化されるのである。「沼津」の道中や「与話情浮名横櫛」の木更津の見染めでは、十兵衛や与三郎が仮花道から客席に降りてきて客席の中を通る。まさに観客と役者が一体化して劇場全体を芝居に同化させる憎い演出である。再び客席から本花道から、さらに本舞台へと戻るという趣向は観ている客を引きずり込まずにおかないものがある。花道のもう一つの効用は、役者のズームアップである。その昔はわざわざ「名乗り台」まで特設して、花道での名乗りをしたという。「暫」のツラネなどは最たる例である。「忠臣蔵」四段目の判官切腹の場の由良之助の登場、城明渡しの場の引込みなども、劇中、由良之助にスポットを当ててズームアップする手法が用いられる。数年前、玉三郎が「娘道成寺」の白拍子花子を演じたとき、花道で口紅を拭いた懐紙をポイと落とすと、ご贔屓の客が奪い合うという場面を見た。また花道では、弁天小僧と南郷力丸との引っ込みのところで「坊主持ち」をする場面や、五人男の勢揃いのツラネなど、花道を使うにふさわしい場面が少なくない。「勧進帳」や「熊谷陣屋」の引込みに代表される「幕外」の演出も、花道の効用を生かしている。そのほか「スッポン」と呼ばれる、花道の七三の穴は、妖怪変化の類(仁木弾正、狐忠信、滝夜叉姫など)の出没に使われる。花道の由来は、観客の代表が客席から舞台の役者に「纏頭」(はな)すなわちご祝儀を贈った道のことだといわれている。いまは、それが「掛け声」になっているのではなかろうか。花道で見得を切る役者に「成田屋!」とか「待ってました!」などと声をかける‥すなわち「纏頭」(はな)を贈るというわけである。
2005年05月29日
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花道に座り込んでいる新兵衛(菊五郎)を発見し、襟を掴んで舞台のなかに連れ出す。浅黄の頭巾(ずきん)、浅黄の石持ち、大和柿色(やまとがきいろ)の袖なしを着た優男(やさおとこ)が「わしでごんす」と言うのを見て、「こりゃ、兄じゃ人ではござらぬか」と、助六は驚く。それは兄・白酒売りの新兵衛である。「助六」の芝居は「曽我兄弟」をモチーフにしている。二人の兄弟は父・河津三郎(かわずのさぶろう)が不慮の死を遂げた後、源家の重宝・友切丸(ともきりまる)を奪われた。そこで友切丸を見出し、父の仇を討つことに努める。だから、弟・助六の噂を聞いた兄・新兵衛は意見をする。新兵衛、すなわち、兄・祐成(すけなり)は「こなたはどう心得ている。このほどより、この廓に入りこみ、毎日毎日喧嘩ばかりをしやるげな。竹町で竹割にしたのは誰じゃ、助六。砂利場(じゃりば)で砂利へ蹴こんだは誰じゃ、助六。馬道で跳ね倒したは誰じゃ、助六。雷門で臍(へそ)をとったのは誰じゃ、ありゃ助六とまあ、烏の鳴かぬ日はあれど、そなたの喧嘩の噂を聞かぬ日とてはないわいなあ‥」と畳み掛けての意見をする。しかし、この喧嘩は親孝行のためと言う助六は「紛失(ふんじつ)の友切丸を一日も早く詮議(せんぎ)し、敵祐経(かたき・すけつね)を討ちたいと、千々(ちじ)に心を砕くも今日まで行方はしれず。幸い廓は人の入りこむところ、無理に喧嘩をしかけ、抜かねばならぬようにして、あれかこれかと詮議しているのでございます。訳もお聞きなされずに、今のようなお言葉。ああ、いややの喧嘩、許させ給え、諸仏諸菩薩(しゅぶつしょぼさつ)、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、喧嘩をやめて坊主になると言い出す。事情が分かり、誤解をしていた新兵衛は助六に許しを乞う。しかし、助六はそっぽを向いている。「これはどうじゃ。田圃(たんぼ)から拝む観音様、後ろ向きとは曲がない」との言葉に、やっと機嫌を直し、「ならば、喧嘩をしても大事ござりませぬか」「大事ないとも。喧嘩はお前によく似合うておる」と持ち上げ、やがてはともに喧嘩をしようと言い出す。助六は新兵衛に「喧嘩の仕様」を教えることになる。「喧嘩はまず足が肝心(かんじん)。肘(ひじ)をはって、足をこう踏んばって、野郎め、まぜ突き当たった、鼻の穴へ屋形船を蹴こみ、大溝へ浚いこむぞ、こりゃまたなんのこった、と、こうせねば先の相手が怒りませぬ」と、何度も練習をする二人の遣り取りが、また絶妙である。「そうこういううち、風吹烏(かざふきがらす)が来るわ、来るわ」と、二人が顔を合わせて、うなづきあう。唄入り、通り神楽(かぐら)の華やかな合方につれて、上手から廓通いの遊び人たちがやって来る。国侍(十蔵改め市蔵)が伴を連れてやって来る。助六は往来の真中に仁王立ちして「股をくぐれ」と言う。国侍は見上げると、いかにも強そうな助六に仕方なく、刀を草履(ぞうり)にとおして、股をくぐる。伴奴も同じようにくぐる。やっと済んだかと思うと、新兵衛が「股をくぐれ」と立ちはだかる。しぶしぶ、同じようにくぐる。花道へ来て、二人が悔しさを仕草で表して去る。次に通人(つうじん=亀蔵)と呼ばれる遊び人が来る。構わず、助六は「股をくぐれ」と両足を広げる。「吉原の真中で、股をくぐれとは、乙(おつ)なものでげすな、と申して、くぐらぬのもまた野暮(やぼ)でげす」とか、なんとか言って、おどけた芝居をする。ここは「なんでもアリ」の場であり、いわば「息抜き」の場面である。通人は当世流行の歌を歌ったり、香水を振り掛けたり、シャレや冗談をさんざん見せつける、いわばちょっとした気休めなのである。この狂言のなかで、通人は「自分の思いつくままになにをやっても許される。一説によると、もし工夫して助六を笑わせたら、ご褒美が出るという。この通人は、亡くなった権十郎のが逸品であった。通人が花道へ引っ込むとき、ふざけたことを言いながら、センスをパッと開き、「おお恥ずかし」と言って揚幕に入る。兄弟が廓の真中で次から次へと喧嘩をしかける。「股くぐり」で、場内爆笑の渦が続く‥。と、暖簾の奥から「お危のうござんす」と客を気遣う揚巻の声がする。助六は「あいつは、今夜は、身揚り(みあがり=遊女が自分で揚げ代(費用)を払って休むこと)でいるから来いといってよこしたが、客を送るとは。こいつァ一番、言わざあなるまい」と腹を立てる。 そこへ編笠(あみがさ)を冠った侍客が揚巻に送り出されてくる。「やい、侍。この広い往来でなぜ足を踏んだ。鼻紙(はながみ)を出して拭(ふ)いていけ」と助六が因縁をつける。新兵衛も「拭かせろ、拭かせろ、今拭かざあ拭きえまい」とけしかける。しかし、揚巻は「これ、粗相(そそう)言うて、後で謝らしゃんすなえ」とたしなめるが、助六は「うぬが知ったことじゃあねえ。黙っていやがれ、売女(ばいた)め」と罵る。助六はなおも追いかぶせるように「なぜ物を言わねえ、聾(おし)か唖(つんぼ)か」と言うと、新兵衛は続けて「のっぺらぼうか」と、二人が騒ぐ。助六は「第一、その蓮っ葉(はすっぱ)を取れ」と、編笠を取ろうとして、顔を覗きこみ驚き慌てる。すごすごとさがる助六を見て、新兵衛は「どうした、どうした。祭りが支えた(つかえた)な。(喧嘩の勢いがそれたかという意)よし、おれが出よう」と、助六がとめるのを振り払ってしゃしゃり出る。「ことも愚かや(おろかや)揚巻の助六が兄分、襟巻き(えりまき)のぬけ六とも、白酒の粕兵衛(かすべい)ともいう者だ。こりゃ、こっちの足が住吉の反り足(そりあし)、こちらの足が難波(なにわ)のあし‥。抜けば玉散る(たまちる)天秤棒(てんびんぼう)、坊様(ぼさま)山道、破れた衣(ころも)、ころも愚かや揚巻の前立ち。家に伝わる握り拳のさざえがら、うぬが目と目の間を‥」と、相手の顔を覗き込んで、助六同様うろたえて逃げていく。新兵衛は「ああ、死んだ」と下手(しもて)の床机の下へ首を突っ込む。二人が慌てるのも道理、この侍客は、二人の母・満江(まんこう)なのである。母は助六の喧嘩をたしなめる。そして、赤い毛氈(もうせん)に包まっている新兵衛を引っ張り出してみると、なんとこれが兄・祐成(すけなり)である。満江は亡夫への言い訳に死ぬと言い出す。兄弟はあわてて押し留め、喧嘩は友切丸詮議のための苦肉の策と説明する。母は助六の体を心配して、紙衣(かみこ)を取り出し、「手荒うすると破れるぞ。じっと堪忍して、紙衣のやぶれぬよう。これを破ると母の身に傷をつけるも同然じゃ」と。早速、助六は紙衣に着替える。小豆色(あずきいろ)に黒の切継ぎの紙衣姿が、この伊達男に艶やかな二枚目の趣(おもむき)を添える。友切丸詮議のため、なお廓にとどまる助六を残し、「松にふじなみ‥」の、しんみりとした下座音楽のうち、心残る風情で満江親子は、後を揚巻に託して夜の廓を立ち家路につく。それを見送る揚巻は、そっと右手を胸に当てて、満江の無言の頼みに応える。その傍に紙衣姿の助六が座っている。ここのところは、私の好きなシーンである。母・満江の依頼を引き受ける太夫・揚巻の心意気を見せる仕草になぜか泣けてくる。少し赴きは違うが、忠臣蔵の四段目「判官切腹の場」は、「通さん場」ともいわれ、判官の切腹が言い渡された以降は大星登場まで客席への出入りが禁じられる。大星は切腹に間に合わない。到着した時には「遅かりし、由良之助」である。「か・た・み」と言いつつ、九寸五分の短刀を手渡す。「仇」(か・た・き)の遺志と受け止めた由良之助は、物を言わず、ポンと胸をたたく。無言のうちに主従の心が通じる名場面である。これと匹敵するほどの揚巻の演技である。
2005年05月25日
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本舞台にかかり、助六は「そんなら、一番割り込みましょうか。冷え者(ひえもん)でえす。御免なせえ」と、左手で会釈(えしゃく)をしながら、下手寄りの床机(しょうぎ)に腰をかける。この「冷え者でえす」というのは、銭湯に入るとき、体が冷えているので、こう言って入ったといわれている。女郎(じょろう)たちが、吸いつけ煙草の煙管(きせる)を持って助六のまわりに押し寄せる。「このように、めいめいご馳走にあずかっちゃ、しんぞ火の用心が悪うごんしょう」と助六。上手に座っている意休が「君たちの吸いつけ煙草、一服もらおうか」と請求するが、傾城たちは、もう煙管がないと断る。「そこにそれほどあるではないか」と言う意休に「その煙管には主がござんす」という。意休が「して、その主は‥」とたたみ込むと「ワシでごんす」と助六が答える。「誰だか知らねえが、一本貸して進んぜやしょう」と、足の指に一本の煙管を挟んで、床机に寝転んだまま意休に差し出す。楽の音(がくのね)がはたと止み、みなが思わず息をのむ。意休は手をのばしかけるが、助六のやり方にこみ上げる怒りをおさえ、笑いとばす。「見かけは立派な男だが、可哀や(かわいや)こやつてんぼう(手がない)そうな。足のよく利く麩屋(ふや)の男か、蒟蒻屋(こんにゃくや)の手間取りか‥」と皮肉たっぷりにけなす。そして、「ままよ、蚊やりに伽羅(きゃら)でも焚こうか(たこうか)」と嘯く(うそぶく)。すると助六は「変動(へんどう)常ならず、敵によって変化すとは三略(さんりゃく)のことば。相手によってあしれえようが違う。きたって是非(ぜひ)を説く人は、これ是非の人。大きな面をする奴は足であしらう。無礼咎め(ぶれいとがめ)をする奴は下駄でぶつ。ぶたれてぎしゃばると、引っこ抜いてたたっ切る。これが男伊達(おとこだて)の極意(ごくい)だ。習いも伝授もないわ。ひっこ抜いて唐竹割り(からたけわり)にブッ放すが男伊達の極意だ。誰だと思う、ええ、つがもねえ」と啖呵(たんか)を切る。さらに、「女郎衆(じょろうしゅう)、この頃、この吉原に大きい蛇が出るとよう」「おお怖(こわ)」「何も怖い蛇じゃねえ。面は力んで(りきんで)総白髪(そうしらが)、髭(ひげ)があって、とんと×××(意休役の役者の名前をいう)に、よく似た蛇だ。‥こいつが髭にしらみがたかる。伽羅はしらみの大禁物(だいきんもつ)。人目に至りと見しょうとは、伽羅くせえ奴だ」と、意休をからかう。正面の暖簾口(のれんぐち)から「いやだ、いやだ」と大声が聞こえ、やがて、浴衣(ゆかた)がけの湯上り姿で頭へ濡れ手拭(ぬれてぬぐい)をおいた「かんぺら門兵衛(もんべい)」(段四郎)が遣り手(やりて)のお辰の首筋をとらえて出てくる。その騒ぎの最中、下座の音楽が急調子となり、花道から、うどん屋・福山の担ぎ(かつぎ・出前持ち=男寅改め男女蔵)が登場。往来で立ちはだかって因縁(いんねん)をつけている門兵衛に、うどんを入れた箱をぶっつけてしまう。平身低頭(へいしんていとう)謝る担ぎに門兵衛は八つ当たりし、怒鳴りちらす。下手(したで)に出ていた担ぎは、「どうでも勝手にしろ」と地べたにあぐらをかく。福山の担ぎのいちばんの聞かせ所。「廓(くるわ)で通った福山の、暖簾(のれん)にかかわることだから、けんどん箱の角(かど)だって、言わにゃあならねえ喧嘩好き、出前(でめえ)も早いが気も早え、担ぎが自慢の伸びねえうち、水道(すいど)の水で洗い上げた、胆(きも)の太打ち(ふとうち)細打ちの、手際はここで見せてやらァ。憚り(はばかり)ながら、こう、緋縮緬(ひじりめん)の大巾(おおはば)だァ」と、啖呵をきり、両手で縮緬の下がりをひろげて反り返る。新進気鋭の若手の役者が演じる、気持ちのいい役である。これを聞いて、いよいよ門兵衛は収まらない。「耳の穴をかっぽじって、よく聞けよ。これにござるが俺(おら)が親分、通俗三国志(つうぞくさんごくし)の利者(きけもの)、関羽(かんう)、字(あざな)は雲長(うんちょう)、髭(ひげ)から思いついて、髭の意休殿。その烏帽子(えぼしご)に、関羽の関をとって、かんぺら門兵衛、ぜぜ持ち様だぞ」と威をはるが、助六は「ゆわれを聞きゃァ有り難い(ありがてえ)が、こんたの長台詞(ながぜりふ)のでうどんがのびる。早く行け、早く行け」と、うどん屋を促す。門兵衛は頑として聞き入れない。助六は「ははあ、貴様、ひだるな(腹が減っているの意)。ちょうどよい時分に担ぎが来たので、一杯やろうというのだな。はて遠慮深い男だ。俺が振る舞ってやろう」と、担ぎからうどんを受け取り門兵衛の鼻先へつきだすが、「俺(おらあ)いやだ」と駄々をこねる。助六とやりとりがあるが、とうとう「どうとも勝手にしやがれ」と門兵衛の頭へうどんをぶっかける。担ぎは、それを見て「ざまあ見やがれ」と捨て台詞を浴びせて退場。そこへ、「親分、親分」と言いながら、門兵衛の子分・朝顔仙平(あさがおせんぺい=正之助改め権十郎)が出てくる。うどんをかけられた門兵衛は斬られたと早合点している。仙平が調べても、どこにも怪我はない。この二人が助六に立ち向かうが歯が立たない。「重ね重ねの曲手毬(きょうでまり)、ウヌはまあ、何という野郎だええ」と詰め寄ると、じっと目を瞑る(つむる)助六は、カッと大目玉を剥く。大向うは「待ってました!」と声をかける。「いかさまなあ、この五丁町へ脛(すね)を踏込む(ふんごむ)野郎めら、俺が名を聞いておけ。まず第一におこり(マラリア性の熱病)が落ちる。まだいいことがある、大門をずっとくぐるとき、俺が名を手の平へ三遍(さんべん)書えて嘗めろ(けえてなめろ)、一生女郎に振られるということがねえ。見かけは小さな男だが肝(きも)は大きい。遠くは八王子の炭焼き売炭(すみやき・ばいたん)の歯っ欠け爺(はっかけじじい)、近くは山谷(さんや)の古やり手(ふるやりて)、梅干婆(うめぼしばばあ)にいたるまで、茶飲み話の喧嘩沙汰(けんかざた)、男伊達(おとこだて)の無尽(むじん)の掛け捨て、ついに引けをとったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪(かみ)は生締め(なまじめ)、そうれ刷毛先の間(ええだ)から覗いてみろ。安房上総(あわかずさ)が浮絵のように見えるわ。相手が増えれば竜に水、金竜山(きんりゅうざん)の客殿(きゃくでん)から、目黒不動の尊像までご存知の大江戸八百八町(おおえどはっぴゃくやちょう)に隠れのねえ、杏葉牡丹(ぎょようぼたん)の紋付(もんつき)も、桜に匂う仲ノ町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若え者、ま近く寄って、面像(めんぞう)拝み奉れぇ」と、名調子の台詞は「おおむ石」にも必須である。このつらねは、市川家独特の雄弁術である。助六のこのつらねは、劇中もっとも酔うところである。最後の「面像拝み」で、右足を踏み出し(ここで、門兵衛と仙平の二人が左右に尻餅をつく)助六は拳(こぶし)を握り、顎(あご)の下から「カッ、カッ、カッ」と拳をこきあげ、息を吸う荒事特有のこなしから、「奉れッ、べー」と、叫んで、ツケを入れた大見得となる。二人は白刃を抜いて斬りかかるが、助六の相手ではない。たちまち刀の長さを測られて、峯打ちにされてしまう。「寄りゃあがると、叩っき殺すぞ」と白刃を振り上げ、左で褄(つま)をとって見得をきる。傾城たちが「助六さん、大当たり。ヤンヤ、ヤンヤ」と囃す。助六は、子分がやられているのを見ていた意休に「そこな、撫付けどん(なでつけどん)、此方(こんた)の子分という奴は、みんなあの通りだ。定めて、此方料簡(りょうけん)なるめえ。斬らっせえ、どうでんすな。なぜものを言わねえ、(ここで「差別語」があるが、現在では言わないようにしているようである)はて、張り合いのねえ、猫に追われた鼠同然、チュウの音(ね)も出ねえな」とけしかける。しかし、何故か意休は黙殺している。助六は「可哀や(かわいや)こいつ、死んだそうな。どれ俺が引導(いんどう)を渡してやろう」と、下駄を脱いで、意休の頭上にのせ、「如是畜生菩提心往生安楽(にょうぜちくしょうぼだいしんおうじょうあんらく)いよお、乞食(こじき)の閻魔様(えんまさま)め」とけしかける。意休は頭の下駄を投げ捨て、たまりかねて刀の柄に手をかける。助六は、ここぞとばかり「さあ、抜け、抜け、抜け、抜かねえか」と詰め寄るが、意休は「抜くまい」と刀を納める。意休は「鶏(にわとり)を裂くに、なんぞ牛の刀を用いんや」などと、わざと平気を装うて、子分どもを引き連れて意休は奥へ入る。入れ替えに若い衆が助六にかかるが、みな花道へ逃げてしまう。そこに一人の男が座っている。助六は「口ほどにもねえ、弱い奴らだ。どりゃ、揚巻の布団の上で一杯やろうか」と、暖簾口へ行こうとすると、その男が「兄さん、兄さん」と呼ぶ。「兄さん、ちょっと待ってもらいましょう」「何だ、兄さんだ。しゃれた奴だわええ、ここへ出やがれ、男伊達の総本寺(そうほんじ)、揚巻の助六だぞ、エエ、つがもねえ」と、足をポンと蹴り上げて花道のほうへ行く。「もし、男伊達の総本寺さま、ちょっと待ってください」「こいつ、俺をバカにするな。悪く傍へよると(そばいやがると)大ドブへ浚い(さらい)こんで、鼻の穴へ屋形船(やかたぶね)蹴こむぞ、コリャまた、なんのことったい」という。
2005年05月24日
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来月、福岡博多座で十一代目市川海老蔵襲名披露興行がある。昼の部の一は「源氏物語」むろん、光の君は海老蔵。二は「六歌仙容彩」(喜撰)を菊五郎が踊る。夜の部の一は「義経千本桜」(鳥居前)は尾上松緑の忠信。二は口上。三は團十郎の「保名」。そして、四は「助六由縁江戸桜」である。配役は、花川戸助六は海老蔵、三浦屋揚巻を菊之助、白酒売新兵衛を菊五郎、髭の意休を左團次、そして口上を團十郎が勤める。「助六由縁江戸桜」(以下「助六」)の幕開きは口上で始まる。下手から、口上役の團十郎が、鉞銀杏(まさかりいちょう)の髷(まげ)に、市川家の家の紋(三升)をつけた柿裃(かきのかみしも)といういでたちで出てきて、助六劇の由来を述べる。「その助六を新・海老蔵がを相勤めまする。なにぶん古風な狂言でござりますので、ゆるゆるとご見物のほどを‥」と口上を述べた後、舞台正面の格子内に居並ぶ河東節(かとうぶし)連中に向かって「河東節ご連中様、どうぞお始めくださりましょう」と挨拶をして引っ込む。花道と舞台上手から「金棒曳き」が出る。吉原の「夜回り」である。舞台は桜満開の江戸いちばんの廓(くるわ)吉原の三浦屋の前である。「闇の夜も吉原ばかりは月夜かな」と詠われるように、不夜城の遊里吉原に数人の傾城(けいせい)が並び、太夫(たいゆ)揚巻の登場を待つ。格子の御簾(みす)越しに灯りが入り、河東節の演奏が始まる。「春霞(はるがすみ)たてるやいづこ三芳野(みよしの」の、山口三浦うらうらと、うら若草や初花(はつはな)に、和らぐ土手を誰がいうて、日本めでたき国の名の、豊芦原や吉原に、根ごして植えし江戸桜、匂う夕べの風につれ、鐘は上野か浅草か」いよいよ、揚巻(菊之助)の道中である。若い者の肩に手をおき、ゆらりゆらりと八の字を踏む。伊達兵庫(だてひょうご)という鬢(びん)、18本の簪(かんざし)、3枚の櫛(くし)。衣裳は黒繻子(くろじゅす)へ松竹梅や注連飾り(しめかざり)など正月模様を金糸銀糸で彩り、前に垂れた帯は鯉の滝登りを現わす図柄。黒塗りの高下駄で八文字を踏む。出迎えの傾城たちが「揚巻さんの道中は、どうやら船に揺らるるようじゃぞえ。さっき松屋で逢うた時から、よほどめれん(ひどく酔う)に見えたぞえ。どこでそんなに酔わんしたぞえ」と聞くと、「これはこれは、お歴々、お揃いなされてお待ち受けとは、ありがたい。どこでそのように酔ったと思し召す。恥ずかしながら、仲ノ町の門並みで、あそこからもここからも揚巻さん、揚巻さんとさあ、呼びかけられて、お盃(さかずき)の数々‥いかな上戸(じょうご)も私を見ては、御免御免(ごめんごめん)と逃げて行くじゃ、ホホ‥‥‥。慮外(りょがい)ながら三浦屋の揚巻は酔わぬじゃて」と揚巻は答える。ここは揚巻役の役者の見せどころである。亡くなった六世中村歌右衛門丈の揚巻はそれはそれは見事な揚巻であった。口ではきっぱりと言うが足元が危うい。それを見た禿(かむろ)が「花魁、危のうござんす」と言う。揚巻は「これは大きな奴(やっこ)さんのご意見。近ごろありがたい。誓文酔わぬぞえ(神に誓って酔いません)」と答える。禿は「酒のさめる薬」を勧める。「なんじゃ、袖の梅じゃ。誰が袖(たがそで)ふれし袖の梅、とはよう詠んだ歌じゃのお」と、実際に流行っていた薬の名をあげる。今でいうならコマーシャルである。こうして、揚巻は本舞台に進む。河東節「おちこち人の呼子鳥(よぶこどり)いなにはあらぬ逢瀬より、ここを浮世の仲ノ町‥」コーンと鐘の音が入り、傾城白玉(亀次郎)と意休(左團次)の出となる。白玉は禿・新造・遣り手・若い者を従え、髭(ひげ)の意休は子分の男伊達に刀・座布団・煙草盆・香道具などを持たせ、左手を懐に、右手に鳩杖を引きずるように突いて出てくる。意休は揚巻をめぐって助六のライバルであり、長い白髭を蓄えたお大尽(おだいじん)である。意休は本舞台に進む。そこで揚巻とのやり取りがある。意休は助六のことを「盗人」とののしるに及んで、揚巻は悪態(あくたい)をつく。一つの見せ場である。「慮外(りょがい)ながら揚巻でござんす。男を立てる助六が深間(ふかま)、鬼の女房にゃ鬼神(きじん)とか。さあ、これからは揚巻の悪態の初音(はつね)」と、清掻き(すががき)の合方(あいかた)にのって名台詞が始まる。「もし、意休さん、お前と助六さん、こう並べて見るときは、こっちは立派な男振り、こっちは意地の悪そうな、たとえて言わば雪と墨(すみ)、硯(すずり)の海も鳴門(なると)の海も、海という字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、暗がりで見ても、お前と助六さん、取り違えてよいのもかいなあ。ホホ、ホホ、、、、」と、実に小気味のいい啖呵をまくし立てる。揚巻はキセルと指をうまく使って、両者の良し悪しをたとえる。これが『揚巻の悪態の初音』である。意休は「助六のところへ、失しゃあがれ」と言い放つ。待ってましたとばかりに揚巻は立ち上がり、禿を連れて花道を揚幕のほうへ行こうとする。そこで、朋輩(ほうばい)の白玉が止める。仲良しの白玉の言葉を聞き入れて揚巻は戻るが「お前には、もう逢わぬぞえ」と愛想づかしを言って、白玉と共に引っ込む。すると、揚幕のほうから尺八(しゃくはち)の音が聞こえる。並び傾城が「アレ虚無僧が来やんした」「いや、虚無僧じゃない、地回りの衆じゃわいなあ」と噂話をかわし揚幕のほうを見る。一瞬、舞台は静寂になる。いよいよ、われらが助六の出である。河東節の「思い出みせや清掻き(すががき)の、音〆(ねじめ)の撥(ばち)に招かれて、それと言わねど顔世鳥(かおよどり)‥」で、揚幕がシャリーンと開くと、蛇の目傘(じゃのめがさ)をつぼめて顔を隠した江戸随一のいい男、助六の出である。前かがみで花道を出て、七三に来る。河東節が「思い染めたる五つ所(いつどころ)、紋日(もんぴ)待つ日のよすがさえ、子供が便り待合の、辻うら茶屋に濡(ぬ)れて濡る、雨の箕輪(みのわ)のさえかえる」で、助六は傘を開き、左手で持ち替えると、右袖を返し、正面を向いてきまる。白い顔、目を紅の「むきみ」に隈どり、紫の鉢巻に色気が漂う。杏葉牡丹(ぎょようぼたん)の五つ紋、黒羽ニ重(くろ・はぶたい)の着付、その紅葉裏(もみじうら)が浅黄(あさぎ)の下着に映える。浅黄地に三升(みます)・寿海老・牡丹を金糸で織り出した博多帯(はかたおび)、背には尺八(しゃくはち)、腰には印籠(いんろう)、玉子色の足袋(たび)に桐柾(きりまさ)両ぐりの下駄という、色男の拵え(こしらえ)である。吉原の花の雨をよける心で蛇の目傘を使って、頬杖(ほほづえ)の形、着物の紋を見入って立つ形など、数々の美しい形を見せる。舞台の並び傾城たちが「助六さん、その鉢巻は、ええ」と問い掛けると、「この鉢巻のご不審か」と。そこで「この鉢巻は、過ぎしころ‥」との河東節で、右手でいただき、軽く頭を下げるのは、贈り主の魚河岸(うおがし)への礼儀である。実はあの鉢巻は「江島・生島」の物語に深く関わっている。團十郎に江島が贈った着物を包んであった紫の袱紗(ふくさ)を鉢巻にしたというのが実話らしい。生島は團十郎の身代わりで島流しになる。今は「贈り主の魚河岸」への礼とされるが、実際には江島のこと、生島への思いなど助六としては複雑なものがある。さらに蛇足ながら、病鉢巻はすべて左であって、右にするのは助六だけである。「松の刷毛先‥」で、右足を大きく踏み出し、重心を右足にかけ、右手をいっぱいに伸ばして、開いた傘の縁(ふち)を持って見上げた形が、ご存知の「透き額」(すきびたい)の形である。そして「富士と筑波の‥」は、その形のまま、右左と、ジリジリと摺り足(すりあし)で寄り、「かざし草‥」できまる。「浮世はえ、車‥」からは、ぐっと和事味(わごとみ)を出して、「形(なり)ふりゆかし、君ゆかし‥」と、色めきを見せる踊りとなり、助六が「君なら、君なら」と言う。「新造(しんぞ)命の揚巻の、これ助六の前渡り(まえわたり)、風情(ふぜい)なりける次第なり」で、花道から舞台下手に出て、右手の傘を広げ、左は軽く握って懐(ふところ)から覗かせてきまる。舞台の傾城たちが「ヤンヤ、ヤンヤ」と褒める。
2005年05月23日
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今朝起きてみると、個人メールに丸善ブック?からの発信で、大量のウィルスメールが送りつけられ、悲鳴を上げています。一体どうすればいいんか? このままではPCが壊れてしまうのではないかと案じています。どなたか、対応策をご教示願えませんか?
2005年05月19日
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昨夜の西武VS巨人の交流戦は、久しぶりにおもしろかった。西武の西口(投手)が交流戦史上初のノーヒットノーラン達成かという試合だった。9回2アウトまでは、文句なしのノーヒットノーランだった。ところが巨人の清水に4号ソロホームランを許してしまった。まさに「九仞の功を一簣に欠く」である。ドラマティックだった。それまでの調子からすれば、なんなく記録達成かと思っていた私は、ある意味で「ものの見方」の難しさと甘さを教えられた。よく「下駄履くまでは分からん」というが、最後の詰めというのものがいかに大事かを思い知らされた、一球であり、一打であった。世の中は、ほとんどが結果論で評価するが、実はプロセスが大事なのである。しかし、そのプロセスを決定付けるのが結果なのだ。といって、私は「結果OK]というのは嫌いである。昨夜の試合は、その意味で、私にとって「いい試合」だった。
2005年05月14日
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前場所前には、すぐにでも大関かと言われながら、やっとの勝ち越しだった、期待の星・白鵬が三連敗中である。昔から「関脇が強い場所は面白い」と言われている。今場所は両関脇とも不調である。三人の大関も勝つには勝つが、覚束ない。ただ一人、横綱・朝青龍の強さ・速さだけが目立っている。当分の間、横綱は程遠い。そういう意味で次代横綱と期待されている白鵬の不振が相撲人気の低迷に拍車をかけているように思えてならない。まだ弱冠二十歳の白鵬は、体つきからいっても申し分はないのに、なぜ負けるのか‥ひとつは「思い上がり」があるように思う。先場所までの躍進ぶりをみると、向うところ敵なしの感があった。小結→関脇→大関へと上がってきたころの貴乃花を彷彿とさせるものがあった。それが、かえって彼を慢心させたのではなかろうか。相手を軽く見るようになったのではないだろうか。先場所、今場所の負けた相撲を見ると、そう思いたくなる。最近の大相撲には外国人力士が多い。それぞれにハングリー精神をもって、向ってくるから、なかなか面白い。恵まれた体躯、非凡な足腰に恵まれた白鵬の気迫ある相撲を期待したい。少なくとも横綱に当るまでに気力体力とも回復し、充実することを願う。
2005年05月13日
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明治のころから歌われていた歌「桃太郎」の歌詞を調べてほしいという孫(小学4年生)のリクエストでネットで調べてみた。一番二番くらいは知っていたが、五番まであったとはおどろきだった。桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子(きびだんご)、一つわたしに下さいな。やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐(せいばつ)に、ついて行くならやりましょう。いきましょういきましょう、あなたについて何処までも、家来(けらい)になっていきましょう。そりゃ進めそりゃ進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまえ鬼が島。おもしろいおもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや。万々歳(ばんばんざい) 万々歳、お伴(とも)の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。ずいぶん軍国調の歌詞にとまどった。孫にどのように説明したらいいのか、悩んでいる。このほか、ついでに、明治のころの文部省唱歌のうち、「村祭」を紹介したい。村の鎭守の 神樣の今日はめでたい お祭り日どんどんひやらら どんひやららどんどんひやらら どんひやらら朝から聞こえる 笛太鼓今年も豐年 滿作で村は総出の 大祭りどんどんひやらら どんひやららどんどんひやらら どんひやらら夜まで賑わう 宮の森治まる御代に 神樣の恵み仰ぐや 村祭りどんどんひやらら どんひやららどんどんひやらら どんひやらら聞いても心が 勇み立つ
2005年05月12日
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いまNHK衛星放送で醍醐寺薪歌舞伎を堪能しました。本物を観たともりんさんの劇評を寄せていただいていたので、予想はしていましたが、こんなのなら無理をしてでも行けばよかったと思いながらテレビ観劇をしました。醍醐寺という舞台を100%生かした新作舞踊に始まり、護摩の煙がまるで霧のように漂うなか境内の木立のなかから顕れた海老蔵の姿は実に幻想的なまでに美しかった。時蔵との新舞踊は「桜の醍醐寺」に相応しい舞踊に仕上がっていた。巳太郎の作曲と聞き、さもありなんと頷かされた。次の醍醐寺声明(しょうみょう)に先立ち、團十郎の挨拶と「睨み」があった。昨年の海老蔵襲名の月に大病で倒れ、海老蔵は頼れる父のいない舞台で見せた「睨み」と比べ、さすがに親父だけのことはあると、納得させられたものであった。舞台の関係もあったのであろうが、短刀がなかったのには理由があったのかと思ったのは私だけであろうか。声明という伝統的な仏教儀礼に重みを感じさせられた。そして、いよいよお待ちかねの勧進帳が始まった。最初に驚いたのは富樫が金堂から出てきたことでした。しかも、名乗りは仏壇正面であったことも驚きだった。海老蔵の富樫は昨年襲名時よりも進歩成長の跡はあったけれども、全体的にはまだまだ修練が必要だと思いました。正直なところ、発声、口跡、台詞術等、注文は尽きないというのが私の贔屓ゆえの注文です。義経一行の出も工夫はあったが、やはり劇場の花道そのものを求めることは無理であろう。時蔵の義経は初見ですが、なかなか気品もあり、よい出来だったと思います。いよいよ團十郎の出。第一印象だが、化粧術も進歩したのか、弁慶の顔が以前と比べると、段違いにすばらしい。十一世團十郎というより、七世幸四郎(祖父)の顔(といっても、実物は観たことはないが、写真で見たもの)に似ているようでありました。山伏問答は、ともりんさんの印象と私のそれは違っていました。やはり海老蔵の未熟(当然のことだが)が目立ったし、それを庇おうとする團十郎の温かさのようなものを強く感じました。途中で気になったことですが、團十郎の足(とくに右足)に、どこか故障があるのでは‥という懸念でした。動作のなかで、いつもと違うものを感じました。晩年の松緑のようなことになっては大変だという懸念が私の危惧、思い過ごしであればよいが、という印象を感じました。富樫の一度目の引っ込みが、出と同じように金堂(正面)へ入るため、あの涙を堪えて、命懸けの義経一行を助ける「心ある武士」の場面が、ちょっと間が抜けてしまったのは舞台の関係だから仕方がなかったのかも知れないが、なんとならないものかと気になりました。全般的には、NHKの山川さんがいうように、感動的な出来だったと思いました。ビデオに録画することができましたので、もう一度ゆっくりと鑑賞したいと思っています。
2005年05月07日
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新規加入と大騒ぎをして、今年のプロ野球は画期的なスタートを切った。セントラルリーグは各球団から四番打者を取って、ずらりと強打者を並べた巨人が無残にも最下位に成り下がっている。読売新聞だけは「信じられない」と繰り返し連日ぼやいている。落合中日がトップを走っている。パシフィックリーグに目を転じると、新規加入の楽天の借金は20。どうなってるの?オーナーが丸坊主になって、どうするというのか?プロ野球の球団経営に一石を投じたいと乗り出してきたのに、これじゃ、まるで逆戻りではないか?勝負の世界だから勝ち負けは大事じゃないとは言わぬが、オーナーは何をしなければならないかを見逃してはいないだろうか?もう一つ、パシフィックリーグのオモロイのは、ロッテが首位独走していることである。昨日も楽天を鎧袖一触、堂々たる横綱相撲で破っている。常勝ティームの西武やソフトバンクがだらしないというのも理由の一つだが、打撃成績を見ても一位から三位までロッテが独占している。今年は「交流戦」という新しい試みがある。リーグを超えて対戦するという。相撲でいえば、部屋を超えて「総当り」するようなものだ。しかし、公式戦ではないイベントに選手が、果たして本気を出すかどうか‥。やってみないと分からないが‥。
2005年05月05日
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春分の日から数えて八十八日目の今日、季節の境目にもなる。種蒔きに最適のころとされている。また、茶摘みが最盛期になって、八十八と「末広がり」にあやかって、この日に摘んだお茶が極上とされている。「茶摘み」夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂りあれに見えるは茶摘みじゃないか茜だすきに菅の笠日和つづきの今日このごろを 心のどかに 摘みつつ唄う摘めよ つめつめ つまねばならぬ摘まにゃ日本の 茶にならぬ 一番はなじみ深いが、二番を知る人は多くはないと思う。やはり、戦前のものだけに民族的な歌詞ではある。いくら時代が変わっても、わが国の文化伝統は受け継ぎ伝えていくことが必要であると思う。
2005年05月02日
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昭和十年代に流行った歌に「忘れちゃいやよ」がある。たしか渡辺はま子の歌だった。あの当時としては、ずいぶん、お色気たっぷりの歌である。小学生だった私は教室で歌ったら、先生に叱られて、職員室に立たされた思い出がある。「忘れちゃいやよ」月が鏡で あったなら 恋しあなたの 面影を夜毎うつして 見ようもの こんな氣持ちで いるわたしねえ 忘れちやいやヨ 忘れないでネ昼はまぼろし 夜は夢 あなたばかりに この胸の熱い血潮が さわぐのよ こんな氣持ちで いるわたしねえ 忘れちやいやヨ 忘れないでネ風に情けが あつたなら 遠いあなたの その胸に燃える思いを 送くろもの こんな氣持ちで いるわたしねえ 忘れちやいやヨ 忘れないでネ淡い夢なら 消えしょうに 焦がれ焦がれた 恋の火がなんで消えましょう 消されましょう こんな氣持ちで いるわたしねえ 忘れちやいやヨ 忘れないでネ
2005年05月01日
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