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三番目の孫は9歳である。ところが彼は閏年の2月29日生まれだから、昨年第二回目の誕生日を迎えたというわけである。このごろ、やっとその意味が理解できるようになったが、それまではいくら説明してやっても、「どうして?」を繰り返していた。いまは年齢を数えるのに「満年齢」である。ところが以前は「数え年」という数え方をしていた。生まれたとたんに一歳となるのが「数え年」である。それは、おそらく母親の胎内にいる胎児を一人の人間として考えていたからであると思う。私は「数え年」派である。それは「胎児も人間である」という考え方であるからである。最近の情報によれば、年間に失われる胎児の生命は、届け出数だけでも34万。そのうち十代の中絶件数は4,600件。実数はその2倍以上といわれている。その統計によれば、戦後60年間に闇から闇へ葬り去られた生命は、7000万以上という。胎児も人間ということからいえば、7000万の胎児には、7000万のそれぞれの人生があったということです。そこで、もう一度「年齢」について考えてみると、むしろ「日齢」のほうが正しいのではないかと思っていたら、こんなサイトを発見した。それは、http://www1.odn.ne.jp/~cay36680/である。「生まれてから何日たったのかなぁ」というサイトである。私は自分自身が「生まれてから何日たったのか」を調べてみると、26,467日ということが分かる。このサイトには、日齢で自分だけの記念日をつくることを提案している。ぜひ、このサイトで、あなたの日齢をお調べいただくことをお勧めする。
2005年03月31日
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十一世市川團十郎の夫人を描いた本、それが宮尾登美子著の「きのね」である。十一世市川團十郎夫人、堀越千代は七世松本幸四郎家の女中であった。その控えめな性格から信頼をおかれるようになり、海老さま(十一世團十郎)のそばで女中としてつき従い、やがて、長男(現十二代團十郎)をなしたものの、「陰の人」に徹していたが、十一世團十郎襲名にあたってようやく母子ともに正式に籍に入り披露された。当時絶頂の人気を誇った海老さまの妻として披露された千代は、あくまでも控えめで、地味であった。著者・宮尾は、一人の女性の昭和史としてこの「きのね」を著した。千代(「きのね」では光乃)の生き方に共感し、涙した人も少なくない。海老さまへの思い、どんなにつらい目にあっても離れることができない思いがかなっても、日陰の身として暮らさなければならないつらさ、ことに出産の場面は、読む者を引きずり込まずにいられないものである。海老さまは役者として不世出の美貌を誇っていたが、その美しさに、どことなく翳のある役者であった。癇癪持ちであったことは、当代團十郎が、時折話している。千代(光乃)のひたむきな思いは、海老さまを支え、比類ない役者に導いていったのである。私は「きのね」を繰り返し読んでいる。海老さまブームで一世を風靡した十一世團十郎を父にもつ当代團十郎は、父亡き後、見事に海老蔵、團十郎を相続して活躍している。そして、十一世によく似ているといわれる新之助に、昨年十一代市川海老蔵を襲名させたことは、早く父を失った当代の親孝行でもあったと思う。青山墓地の市川團十郎家の墓地に十一世團十郎丈の墓石の横に、ひっそりと「堀越千代 五十九歳」と書かれている。千代(光乃)の姿をそのままに見るような佇まいである。一人の女性として、いのちがけで生きていくことのすばらしさと愛することの逞しさを「きのね」で読み、いまはご夫婦で当代の病気回復を祈られ、これからの梨園を背負ってたつ孫・海老蔵の羽ばたきを支えておられることであろう。
2005年03月30日
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来月、弥生の歌舞伎座は今月に引き続いて、十八代目中村勘三郎襲名披露興行である。しかし、江戸歌舞伎の成田屋父子が出演するという、まさに文字通りの大歌舞伎である。その演目中、歌舞伎十八番の内「毛抜」が当代團十郎の粂寺弾正で上演される。以下、その配役を紹介する。粂寺弾正 團十郎 勅使桜町中将 海老蔵 民部弟秀太郎 勘太郎 秦 民部 権十郎 八剣玄蕃 團 蔵 小野春道 友右衛門 腰元巻絹 時 蔵「物語と見所」 小野小町の子孫、春道の館。天下が干ばつに苦しんでいるため、小町の雨乞いの唄の短冊を差し出すようにとの勅諚が下る。ところが短冊はなくなっており、春道が短冊の行方を命じている時、あらわれたのは文屋豊秀の家臣・粂寺弾正。小野家の姫君錦の前は髪の毛が逆立つ病に悩んでいたが、弾正は毛抜が一人でに動くことから推理して病気の根源を突き止め、小町の短冊も悪人から取り戻してゆうゆうと館を後にするのでした。 歌舞伎十八番の一つで、科学作用を持ち込んだ奇抜な趣向がユニークであり、また滑稽でもある。弾正が毛抜がひとりでに立って踊り出すのを見入るときの見得が見どころの一つ。弾正は悪事を見やぶる才知あふれた人物であるが、腰元や若衆に戯れる一面ももつ魅力あふれる主人公を團十郎が家の芸を演じる。
2005年03月25日
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地下鉄のサリン事件がおきて10年が経つ。日常が突如、無法者たちのテロによって非日常の惨事へと放りこまれる。無差別殺人テロである。許せない。けれども、人は時間の経過と共に記憶が薄れてくる。カルト集団オウムの犯した一連の凶行によっていのちを奪われた人々、傷つけられた人々、人生を翻弄された人々にとっては忘れられないことではあるが、ほとんどの人々にとって、あの事件は時間が経つにつれて風化している。未曾有のテロ事件に対して、十年を超えてもまだ主犯者に対する判決もあやふやであるというのは、いったいどういうことなのか。一部報道によると、麻原は「たれ流し」「精神異常」とも言われている。オウムも名を変えて現存している。これまた納得できない。この事件、事件の背景、全貌を明らかにしていくことがいる。われわれは「忘れられない」し、「忘れてはならない」と思う。
2005年03月22日
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昔の歌は、意味も分からず歌っていたのに、何十年も経っているのに、ふと口ずさんでしまう。きっと正しい日本語の歌詞であったからであろう。「箱根八里」鳥居忱 作詞・瀧廉太郎 作曲箱根の山は 天下の険(けん) 函谷関(かんこくかん)も ものならず万丈(ばんじょう)の山 千仭(せんじん)の谷 前に聳(そび)え 後方(しりえ)に支(さそ)う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼なお暗き 杉の並木 羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は苔(こけ)なめらか一夫関(いっぷかん)にあたるや 万夫(ばんぷ)も開くなし天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ) 大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ 八里の岩根(いわね) ふみならすかくこそありしか 往時(おうじ)の武士(もののふ) 箱根の山は 天下の岨(そ)蜀(しょく)の桟道(さんどう)数(かず)ならず万丈の山 千仭の谷 前に聳え 後方に支う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす昼なお暗き 杉の並木 羊腸の小径は 苔なめらか一夫関にあたるや 万夫も開くなし山野(さんや)に狩(かり)する 剛毅の壮士(ますらお)猟銃(りょうじゅう)肩に 草鞋(わらじ)がけ 八里の岩根 ふみやぶるかくこそありけれ 近時(きんじ)の壮士(ますらお)こうして書いてみると、チンプンカンプンである。だが、「ようちょうのしょうけいはこけなけらか‥」と、歌えるから不思議である。漫画家のサトウ・サンペイ氏が、「今の人は文章が書けない。それは漢文の素養がないからだ」と看破している。昭和一桁の人はみな、中学時代に漢文の勉強をしたから、「箱根八里」のような歌をちゃんと覚えているのかも知れない。
2005年03月16日
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荒れる大阪と言われる大相撲春場所が始まった。私の贔屓の栃東は前代未聞の二度大関返り咲きを果たしたが、初日に琴光喜に負けてしまった。けれども、ゴールデンボーイ(黄金のまわしの意味)の横綱は、琴欧州を鎧袖一触「掬い投げ」で初日を飾った。やはり昨年同様、正月場所に続いて全勝優勝か。勝ち星の内容次第では、来場所に大関へ特進かと噂の新関脇・白鵬が小兵・垣添に敗れた。これで今場所の大関特進の芽は消えたといってもいい。それにしても国技大相撲なのだから、もっと日本人力士のがんばりが欲しいところだ。ハワイ勢がいなくなった後は、モンゴル勢の時代が続く。そしてその他の外国人力士が多士済々である。中国などが本腰を入れてくれば、国技の名を返上しなければならなくなるかも知れない。いつも思うことだが、あの懸賞金のことである。ロボコップの異名がある「高見盛」などは、毎場所懸賞の旗が多い。そこで大相撲の情報を調べてみると、なんとだれでも懸賞を出すことができるそうな。懸賞を出すとその日の大相撲観戦者全員に配られる取組表に印刷され、その取組前に場内放送で行司が読み上げる。大相撲観戦者というマーケットには効果が絶大。◇ 賞金 1回 60,000円 15回 900,000円※一場所につき5回(300,000円)以上で申し込める。(内訳)取組表掲載料・場内放送料 1回 5,000円 15回 75,000円勝ち力士に渡される金額 1回 55,000円 15回 825,000円 ということである。いっぺんオレもと思う御人があれば、旗を特注し、相撲協会へ申し込んでみれば‥。
2005年03月14日
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常によく使う日本語「らちがあかない」とは、どういう意味だろうか。使いながら正確な意味も当てはまる漢字も知らなかった。今は使われているかどうか知らないが、同じ意味の使い方で、大阪では「らちかんで」という表現があった。そこで辞書で調べてみたところ、「埒」というのは、主として、馬場の周囲の柵(さく)のことをさすとあった。もともとは、単に「低い垣」のことをいったとも。また「語源由来辞典」には、『本来は「物事の決まりがつく」「かたがつく」などの意味で、「埒が明く(らちがあく)」と使われていたが、現代では否定表現の「埒が明かない」と使われることが多い。「埒」が進展の意味で使われるようになった由来は諸説あり、加茂の競べ馬(くらべうま)で、柵が外されるのを待ちわびた一般客が言った言葉からとする説。春日大社の祭礼で、金春太夫(こんばるだゆう)が祝詞を読み終わるまで神輿の柵が開かず、一般人が中に入れなかったことからとする説がある。』と。このように「しきりがとれる」ことを「埒が明く」といい、転じて「物事が順調に運ぶ」意味となった。つまり、「埒が明かない」は、「順調に物事が進まない」、「はかどらない」という意味である。「らち」といえば、今は北朝鮮の「拉致」のほうが使われるが、「埒」のほうも知っておきたいことばではないだろうか。
2005年03月10日
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あの「勘九郎ちゃん」が、お父さんの跡を継いで、今日、晴れて十八代目として勘三郎を襲名する。直前に次男(七之助)の事件があって、心配したが、「兼ねる」役者というか、役者らしい役者の誕生は、とにもかくにもおめでたい次第である。風貌も、芸風も、人間味も、お父さんそっくりになった新・勘三郎は、これからの歌舞伎界を背負って立つ役者になること、間違いなし。あえて「兼ねる」といったのは、女形よし、立役よし、時代物よし、世話物よし、踊りよし、丸本物よし、新作よし‥と、なんでもこなすからである。けれども、昔から「器用貧乏」というように、兼ねるが故に「便利屋」になったり、小さく纏まってほしくない。可能性をもっている役者だけに、ここからの勘三郎に期待したい。昨年は待望の十一代目市川海老蔵が生まれ、今年は新・勘三郎、続いて、現・雁治郎の坂田籐十郎誕生と、歌舞伎界も「新しい時代」の幕開けを感じさせる。
2005年03月03日
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今日は弥生三月二日、暦の上では春だが、まだまだ寒さが続く。今朝も散歩のとき、ふと口をついて出た「早春賦」の一節、まさに「春は名のみの風の寒さや」である。1 春は名のみの 風の寒さや 谷の鴬 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 3 春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急(せ)かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か 今ごろの歌には、どうしても馴染めない。昔の歌は、第一「歌い易い」、歌詞に情緒がある。覚えて歌っても、ただ歌詞を言うだけでも、胸に響くものがある。今はやりの歌は、どうも肌に合わないというか、どこで始めたらいいのか、どこで終りなのかがよく分からない。歌詞というより、語りなのかも知れない。春よ来い 早く来い あるきはじめたみいちゃんが赤い鼻緒の じょじょはいておんもへ出たいと 待っている春よ来い 早く来い おうちのまえの桃の木の つぼみもみんなふくらんではよ咲きたいと 待っているこの歌も歌っていると、遠い昔の風景が蘇ってくる。懐かしさが心を揺さぶるように思う。
2005年03月02日
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