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前回掲載した大谷 八幡社、その西隣に隣接する曹源寺は知多新四国八十八ケ所霊場の番外札所のひとつ。神仏分離以前は、八幡社の神宮寺を務めたことから、地元では宮寺として親しまれている。

常滑街道沿いに石柱門を構え、左手の常夜灯の竿には「金毘羅天」「妙見宮」と彫られています。
伽藍は正面の本堂(弘法堂)と右手に庫裏、本堂左の金毘羅堂が主な伽藍。

境内から本堂、金毘羅堂の眺め。
曹洞宗公式ページには金鈴山曹源寺について以下のように紹介されています。
「曹源寺は、1500年頃の創建という記録が残されています。
本尊は阿弥陀如来。
明治初期までは隣接する八幡社を所管していたため、地域の方々から「宮寺」とも呼ばれ、親しまれていました。
八幡社の棟札に「康正3年(1457)3月12日願主 曹源寺持比血澄慶」と記されていることなどから、これ以前に開創されていた可能性もあります。
境内には祭礼の山車を収める鞘蔵があり、大谷奥條地区の「東櫻車」が収められています。
当寺には三体の弘法大師像が祀られています。
そのうち中央の大師像は、宝剣を持ち密林の深い山々や湖沼に住む大蛇悪鬼を護摩妙供の秘力で退散させた、大師38歳の頃の御姿を表したものと伝わっており、霊験あらたかな「一切厄除大師」として多くの参拝者が訪れています。
また当寺は、「くるま奉納」でも知られています。
大正12年、病気平癒を願って木製のくるまを二頭の犬に引かせ諸国を巡拝していた男性が、夢のお告げにより当山を参拝したところ、不自由な身体が快癒したため、そのくるまを奉納したと伝えられています。
今もそのくるまは、弘法堂に残されています。
山門入って左側の別堂には、不動明王と金比羅大権現が祀られており、大漁や商売繁盛などを祈願し御祈祷が行われます。
また、手前の庚申堂には、庚申さま、学問の神である天神さま、役行者さまが祀られており、ほほえみ童子は禅語「和顔愛語」を体現するスマイルで参拝者の人気者となっています。」
と紹介されています。

庚申堂。
庚申信仰のご利益は、延命長寿・無病息災病・諸願成就などあり、農村では豊作や養蚕の神として、漁村では大漁や海上安全を祈る神として、庶民の生活と密接に結びついていました。
庚申の日の夜、人が寝静まると、人の体内から三尸(さんし)の虫が抜けだし、その人が行った悪事を天帝に告げられると信じられ、それにより寿命が縮まるのを恐れ、庚申の日の夜は人々が集まりお経を唱えたり、会話や食事をするなどして寝ずに過ごしたそうです。
地域によっては、持ち回りで各家に集まったり、立派な堂を建て地域のコミュニティーの場になっています。

堂内の庚申像(青面金剛)、左に役行者像、右に天神(菅原道真)様が安置されています。
本堂から回廊で繋がる金毘羅堂。
堂内には金比羅大権現と不動明王が安置されています。

本堂全景。
入母屋瓦葺の建物で、堂内左側に弘法様、中央に本尊が安置されています。

本堂の寺号額。
堂内には煌びやかな天蓋がついています。
堂内左側の弘法大師像。
正面に宝剣を持った大師38歳の姿とされる大師像が安置されています。

堂内左には黒光りした躄車が奉納されており
大正12年、病気平癒を願い二頭の犬に木製のくるまを引かせ諸国を巡拝していた男性が、夢のお告げから当山を参拝したところ、不自由な身体が快癒したとされ、使い込まれたくるまを奉納したと伝えられています。
今もそのくるまは、弘法様を安置する間に残されています。

御詠歌有難や 金鈴山の岩陰に 弥陀のまします 曹源の寺
次の知多四国58番札所金光山 來應寺は、曹源寺の前の常滑街道を右に100㍍ほど進んだ右側に鎮座します。
後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 番外札所 金鈴山 曹源寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 不詳 天文3年(1534)とも伝わる
開基 / 不詳
開山 / 説叟演公和尚
本尊 / 阿弥陀如来
札所 / 知多四国番外札所、四国直伝弘法63番
所在地 / 常滑市大谷字奥条155
村社 八幡社から曹源寺 / 村社 八幡社西隣、 徒歩1~2分
。
参拝日 / 2025/10/21
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