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「河合奈保子さん会報 かなりや Vol.5 昭和56年10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」の中に、「徹底研究!奈保子♡」という記事があります。奈保子さんの化粧道具について記載があるので紹介します。奈保子さんはデビュー当時から、色々な記事で、奈保子さんは化粧をしないか、薄化粧程度と書かれていました。今回の記事でも、「日本一化粧品を持っていない歌手なのです」と書いてあります。お化粧道具は小さくまとめて仕事上で大切なお化粧道具は、赤いポーチにかわいくまとめてある。ここでひとつ注意書きを。普通歌手の人っていうのは、30㎝四方くらいの化粧バッグにお化粧品をドバっと入れて持っていくのが常。しかし奈保子はこれだけ。これだけでっせ!日本一化粧品を持っていない歌手なのです。でもお化粧の匂いが感じられないのが魅力だもん。これでいいのだ。先日愛用のリップクリームを忘れ、本番前にあわてて仲良しの柏原よしえちゃんに借りていたのを目撃!きみのクラスの女の子も、トイレで友達とリップクリームの貸し借りしてるでしょ。今度確かめに行ってごらん。なんちゃって。ちなみに、女性ファンのために、奈保子の使用している基礎化粧品は、マリークワントのものですよ。「河合奈保子さん会報 かなりや Vol.5 昭和56年10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」
2023.05.31
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「河合奈保子さん会報 かなりや Vol. 5 昭和56年(1981年)10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」に、「徹底研究! 奈保子♡」という面白い記事があるので紹介します。「ナオコはきらびやかな芸能界にいても、なぜか普通の女の子。きみの隣の席に座っている女の子みたいに、小さなことにクヨクヨしたり、笑ったり。それは奈保子の持ち物ひとつにしてもわかる。どこにでも売っている物を、大事に大事にしている奈保子。今回はそんな奈保子の愛用品を、どばっとここで公開しちゃうぞ! そしてもちろん、クスッと笑っちゃう奈保子のドジエピソードも、奈保子に内緒で紹介しちゃおう!」リュックサック下げて、まるで遠足気分今まで奈保子のバッグは、妹さんからもらったピンクのスポーツバッグだった。それが最近はなんとNOWく、真っ赤なディバッグを下げている。バースデーにファンの方からプレゼントされたものだ。ファスナーの部分には、マンションの鍵と、食いしん坊の奈保子らしく、ハンバーガーの小物まで吊るしてある。奈保子が歩くたんびにハンバーガーがユラユラ・・・。さて、奈保子のお話に耳を傾けてみよう。「いろんな物が入っているから、いつもパンパンなんです。でもこのリュックいいでしょ。遠足行くみたいで気分がいいんですよね・・・。えっ?これディバッグっていうんですか。へーっ。今リュックサックっていわないんですねー」ーーーーーーーーーーーーーーーー「河合奈保子さん会報 かなりや Vol. 5 昭和56年(1981年)10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」
2023.05.30
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河合奈保子さんの会報「かなりや Vol.5 昭和56年(1981年)10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」ですが、「奈保子FC 特別販売物」の紹介があります。「奈保子の新しい写真集をFC(ファンクラブ)より特別販売致します。あなたの住所・氏名・電話番号をお書きの上、現金書留に1,000円(送料込み)を入れて「奈保子・写真集」係まで」この写真集は、音楽専科社が発行しています。ーーーーーーーーーーーーー「Naoko Kawai /音楽専科社」ーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんの会報「かなりや Vol.5 昭和56年(1981年)10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」下の部分に、「特別販売物」として奈保子さんの写真集の紹介がある。
2023.05.29
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河合奈保子さんの「かなりや Vol.5 昭和56年10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」があります。奈保子さんは1981年10月5日に事故に遭い、入院されましたが、この会報はその時期に発行されたものです。事故の少し前ですが、奈保子さんの手書きメッセージがあるのでご紹介します。「秋・・・・外はもうすっかり秋ですね!!ついこのあいだまでは、毎日毎日、セミの泣き声が聞こえて、夏まっ盛りって感じだったのに・・・。今奈保子は、初めてのサマーコンサートを終えて、ホッとしたところです。会場に来て下さったみなさん。本当にありがとうございました。とってもステキな思い出ができました。ところで、9月1日にでました。ムーンライト♡キッス。きいてくれましたか?とってもロマンティックな曲で、気に入ってます。そうそう、一番大切なことを言い忘れていました。(ごめんねっ)今度10月10日、11日、大阪の万博ホール。東京では10月16日、17日に芝郵便貯金ホールで、カナリー♡コンサートを行います。昨年よりも、もっともっとステキなコンサートにしたいなあ・・・って思って、今とてもハリキッテます。奈保子はコンサート、大好きです。だって、みなさんとのふれあいの場だと思うから・・・♡♡♡。それではみなさん、またどこかでおあいしましょうねっ♡from NAOKO」ーーーーーーーーーーーーーー↓「かなりや Vol.5 昭和56年10月10日発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 河合奈保子さん。↓ 奈保子さんのメッセージ。
2023.05.28
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「河合奈保子 カナリー・コンサート」のパンフレットに、「銀座山野楽器」のCMがあったので紹介します。「YAMANO NAOKO NEWS河合奈保子 カナリーコンサート パートⅡライブ(仮題)2,800円 曲目未定1981.10.16~17 郵便貯金ホールでの実況録音。本日の公園がライブ盤になります。11/25発売予定只今 予約受付中!!山野オリジナル予約特典・オリジナルキーホルダー・カラーポスター」広告には、「銀座山野楽器店に来店の奈保子」として、奈保子さんの写真が記載されています。奈保子さんは1981年10月5日に事故に遭い、入院されたので、このライブは実施されなかったと思いますが、CMを見ると、当時の奈保子さんの人気や勢いを感じることが出来ます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓「河合奈保子 カナリー・コンサート」のパンフレットより。「銀座山野楽器」のCM。↓ 銀座山野楽器店に来店の河合奈保子さん。↓ 「河合奈保子 カナリー・コンサート」のパンフレット。(黒坂了司氏撮影)河合奈保子さんのサイン有り。↓ 清楚で可愛らしい奈保子さん。
2023.05.27
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールでレッツゴーヤング・リハーサルの時に小ゼリから転落し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されました。「奈保子しんぶん Vol.4 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」を見ると、当時の奈保子さんのスケジュール表(1981年9月17日~10月31日)があり、「河合奈保子さん会報 かなりや Vol.5 昭和56年(1981年)10月10日 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」を見ると、スケジュール表(1981年10月16日~11月17日)があります。事故のあった1981年10月5日以降も、予定がびっしり入っていたことが分かります。(1981年10月5日の事故以降に予定されていた11月16日までのスケジュール)10月 6日 12ch ヤングベストテン10月 7日 LF レギュラー TBSたのきん10月 8日 CX スターどっきり10月 9日 リハーサル10月10日 大阪万博ホール(リサイタル)10月11日 大阪万博ホール(リサイタル)10月12日 CX 夜のヒットスタジオ10月13日 ANB 音楽祭ノミネート10月14日 リハーサル10月15日 新宿音楽祭10月16日 東京郵便貯金ホール(リサイタル)10月17日 東京郵便貯金ホール(リサイタル)10月18日 取材10月19日 レコーディング FL レギュラー10月20日 レコーディング10月21日 LF レギュラー/TBSたのきん10月22日 取材10月23日 12ch 歌マネ大賞10月24日 早稲田大学学園祭10月25日 信州上田市民会館(コンサート)10月26日 取材10月27日 レコーディング/12ch ヤンヤン10月28日 ANB 音楽祭本選(中野サンプラザ)10月29日 日本歌謡大賞ノミネート10月30日 レコーディング/LF ヤンスタNo.110月31日 島根11月 1日 MBS11月 2日 CX かくし芸11月 3日 取材11月 4日 TBS たのきん11月 5日 CX かくし芸11月 6日 CX スタバレ11月 7日 CX かくし芸11月 8日 取材11月 9日 NTV ザ・コイピューター11月10日 ハウス CF11月11日 NTV 日曜8時ドンパチ放送11月12日 日本歌謡大賞本選(武道館)11月13日 NTV モーニングサラダ ソックリモノまね大賞11月14日 市原市民会館11月15日 熊谷会館11月16日 取材11月17日 12ch ヤンヤンーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」のp9~10に、奈保子さんが救急車の中で、事故のためスケジュールに穴を開けてしまうのではないかと心配する心境が記載されているので紹介します。(p9~10))昭和56年(1981年)10月5日。渋谷のNHKホールで行われた『レッツゴーヤング』の収録。そのリハーサル中、私は、ステージに開けられた小ゼリ(深さ約4.5メートル)に、誤って落ちてしまったのです。午後4時20分。それは忘れられない時間となりました。私は救急車の中にいます。タンカの上に横たわったままの姿で、運ばれています。聞き覚えのあるサイレンの音が、まるで人ごとのように飛びこんでくるのは、どうしたことでしょう。心とは裏腹に、不思議なほどに意識がハッキリしています。「もうすぐ病院に着くからね。それまでのしんぼうだよ。どこが痛いのか、自分で説明できるね」私はこれからどこかの病院へつれていかれるのでしょう。白衣の人は、カルテをとっているようです。本人への質問は、意識がどのていど正常かを確認するためだと言い、話しかけるのをやめようとはしませんでいた。答えながら、私はずっと泣いていました。涙があとからあとからこぼれてきて、耳のほうへと伝わってゆくのがわかります。このことはファンの皆さんに知られちゃうのかな・・・。大阪のおとうさんやおかあさんが聞いたら、どんなに驚くだろう・・・。3日も寝ていれば平気だろうけれど、コンサートは大丈夫かな・・・。今日の『レッツゴーヤング』の本番は、出なくても平気なのかしら・・・。事務所の人に迷惑をかけちゃって、申しわけないことをしてしまったんだ・・・。頭の中では、いろんなことが渦をまいていました。「くだらないことを考えていたんだね」って言われるかもしれません。でも、デビューしてから一日の休みもなかった私にとって、仕事を休まなければならないってことが、どんなに大きくて、気がかりなことか・・・。考えれば考えるほど、そんな事故を起こしてしまった自分がくやしくて、涙がとまりませんでした。ーーーーーーーーーーーーーーー↓「奈保子しんぶん Vol.4 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 河合奈保子さん 1981年9月17日~10月31日のスケジュール予定表。10月5日に墜落事故があり、それ以降はキャンセルとなった。↓ 河合奈保子さん 1981年10月16日~11月17日のスケジュール予定表。10月5日に墜落事故があり、それ以降はキャンセルとなった。↓ 予定されていた10月10日、11日の大阪万博ホールのリサイタル。ーーーーーーーーーーーーーー↓「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」
2023.05.26
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河合奈保子さんは「第一腰椎圧迫骨折」で入院されていましたが、1981年12月に復帰され、「ラブレター (作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵、歌:河合奈保子)」がリリースされました。サイン付「ラブレター」のレコードを持っているので、紹介します。レコードのB面は、「No No Boy (作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵、歌:河合奈保子)」です。「奈保子しんぶん Vol.6 昭和57年(1982年)1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、「ラブレター」の振付で、次の記事があります。「奈保子スナップ! 楽屋でも振りのレッスン」「私ってちゃんとした振りも、すぐ自分流にアレンジしちゃうから気をつけなくちゃ・・・」なんて言いながら、「ラブレター」の振付を練習する奈保子。見ている方は簡単そうに見えても、踊りながら歌うっていうのはとてもたいへんなこと。こんなふうに普段の研究があってこし、TVやステージの成功があるんだね。ーーーーーーーーーーー河合奈保子さん「ラブレター」レコード。サイン付。 1981年12月発売。↓(A面)「ラブレター (作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵、歌:河合奈保子)」↓(B面)「No No Boy (作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵、歌:河合奈保子)」ーーーーーーーーーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.6 昭和57年(1982年)1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」「奈保子スナップ! 楽屋でも振りのレッスン」* コルセットを付けたまま、練習をする奈保子さん。
2023.05.25
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奈保子さんですが、1981年10月5日、NHKホールの小ゼリから転落し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されました。退院後に休養し、1981年11月30日に「夜のヒットスタジオ」でTV番組復帰されました。1981年12月13日、「秀樹の弟・妹コンテスト」が東京・九段会館で行われ、河合奈保子さんはゲスト審査員として出場されました。コンサートは石川秀美さんが優勝しました。秀樹の弟・妹コンテストの後、午後6時から、河合奈保子さんの復帰後初のステージが始まりました。「奈保子しんぶん Vol.6 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」に、ステージの詳細が記事になっているので、一部を紹介します。ーーーーーーーーーー復帰後初のステージということに、オーディションの熱気が加わり、奈保子はいつになく緊張気味。「まだ無理が出来ないので、マキシムさんたちに助けてもらいながらがんばります」そう言い残しステージに飛び出して行った。ーーーーーーーーーー(1部の様子)ショッキングピンクのサロペットという、私服で登場だ。ステージ中央にセットされたイスに腰かけ、ノートを開く奈保子。入院中にせつせつと綴っていた日記を読みながら、その想いを歌にたくしていくという設定だ。「10月10日晴れ。今まで泣いてばかりいたけど、たくさんの方から激励のお手紙をいただいて、本当にうれしかった。でもTVを見るのはやっぱりつらい。まるで別世界のように感じてしまう・・・。早く元気になって歌いたい・・・」「奈保子のまわりには家族のみんながいる。わざわざ仕事を休んで、おとうさんまで来てくれている・・・。悪いな・・・って思う。おばあちゃんが『お嫁さんに行けなくなっちゃうんじゃないかと思ったよ・・・」なんて言った。バカだな・・・おばあちゃんたら・・・。奈保子はまだ・・・18・・・なのに・・・」声を震わせて「秋桜」を歌う。奈保子が泣いている・・・。奈保子のケガはみんなが心配した・・・。でもいちばん、この世の中でいちばん心配したのは、奈保子の家族他ならないのだ。家族を思って一生懸命「秋桜」を歌った奈保子・・・。「10月30日、今日は待ちに待ったお好み焼きとタコ焼きを、おかあさんが持ってきてくれた。おいしい・・・」奈保子の大好きなイルカの「あの頃の僕は」そして「あの素晴らしい愛をもう一度」「心もよう」が続く。スポットはただ一点。奈保子だけにあたり、しっとりとやさしい。時折スポットを見上げる奈保子。眩しいばかりの照明も、この日は太陽よりも輝かしく奈保子に映ったことだろう。「11月24日、うれしい知らせ・・・。奈保子が紅白歌合戦で歌うことが決まった」それまで水を打ったような静けさだった会場が大歓声。「ケガをした日、神様は奈保子に翼をくれたのかもしれません。だってこんなに早く良くなったんだもの」そう、そしてその翼は天使の翼よりきれいなものなんだ。「翼をください」では会場全体の大合唱となった。感激で声もとぎれがちな奈保子を、みんなで盛り上げて1部は終了した。ーーーーーーーーーー(2部の様子)ヒット曲メドレー。イスに座りっぱなしの1部とはうって変わって、2部はまっ白なステージ衣装でいつもの奈保子のステージだ。デビュー曲から「ラブレター」まで、汗と涙で顔をくしゃくしゃにして歌ってくれた奈保子。今日は奈保子の体を考えてアンコールはなし。しかし奈保子はとめるスタッフを振りきってステージに登場してくれた。「ごめんね。奈保子あんまり長い間立ってられないんです。みんなとお別れするのつらいけど、また会えるもんね!カナリーコンサートで会えるもんね!そのときもっともっと歌うからね!」奈保子に見送られて会場を出てゆくファンの人たち。「バイバイ!」なんて、まるで友達にさよならするみたいに手を振ってくれた奈保子・ーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.6 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」1981年12月13日の記事より。↓ 1981年12月13日、秀樹の弟・妹コンテストで石川秀美さんが優勝。西城秀樹さん、石川秀美さん、河合奈保子さん。
2023.05.24
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1981年12月13日、芸映プロダクション主催の「秀樹の弟・妹コンテスト」で、石川秀美さんが優勝して歌手デビューしました。河合奈保子さんは同コンテストで、審査員として参加されました。「第一腰椎圧迫骨折」で入院されていたのですが、無事退院されてまだ間もない時期で、コルセットを付けての出席です。石川秀美さんのデビュー曲は「妖精時代 (作詞:松本隆、作曲:小田裕一郎、編曲:萩田光雄)」です。ーーーーーーーーーデビュー曲「妖精時代」を歌う石川秀美さん。↓ 西城秀樹さん、石川秀美さん、河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんと石川秀美さん、
2023.05.23
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1981年10月5日、河合奈保子さんがNHKホールの小ゼリから転落し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。退院、休養後、1981年11月30日に「夜のヒットスタジオ」でTV番組復帰されました。コルセットを付けながら、芸能活動を再開された奈保子さん。1981年12月13日は、芸映プロダクション主催の新人オーディション「秀樹の弟・妹オーディション」で、奈保子さんも審査員として出席されました。そして、「秀樹・奈保子の妹」に決定したのは、当時中学3年生の石川秀美さんでした。ーーーーーーーーーーーー「愛 編む 秀美 I am Hidemi/石川秀美/集英社/1982年10月31日 第1刷発行」を見ると、石川秀美さんがオーディションに合格した時の様子が記載されています。西城秀樹さんと河合奈保子さんの名前も出てきます。(P48)55460分の1。この数字、何かわかります?あのね、秀美が秀樹さんの妹に選ばれたときの確率なのです。えーっ、うっそォ~ッ。ー秀美、嫌いだけど、ぶりっこやっちゃいます。だって、東京・九段会館の決戦大会で選ばれたときの秀美の感想って、本当にそうだったんだもん。”えーっ、うっそォ~ッ”もう、俗にいうぶりっこそのもの。でも、信じられなかったんですよね。ほんとに。決勝大会は(1981年)12月の13日、日曜日。(P51)決戦大会の当日は、全部で14人の出場者がいたんだけど、み~んながガチンガチンにあがってるでしょ。それを舞台の裏で、秀樹さんと奈保子さんがほぐそうとして、ジョークいったりしてくれてたんですよね。でも、どんなジョークだったか、笑ったかどうかも覚えてないんです。ただ、わーっ、やっぱり優しい心づかいのある人たちなんだなあって、感じてました。(P52)”あ~あ、特別賞もダメだったし、もういいや”って思いつつ、ずっと下向いていると、ただ下向いているのもつまんなくってね。呪文みたいに「6番・石川秀美、6番・石川秀美・・・」って唱えた。で、呼ばれたんですよ、秀美の名前が。”ありィ!?”その次は、例のぶりっこ。でも、秀樹さんと奈保子さんから、トロフィーや花束を受けとっているうちに、うわ~っ、本当なんだなあって実感がわいてきて、秀美、もう泣きべそ!その泣きべその顔のまんま、すぐ記者会見があって、事務所の人たちにあいさつして、初めて太田さんと富山さん(いつもついてくれている秀美のマネージャー)に紹介されたんです。その夜は、泊まれば、奈保子さんのショーが見られたんだけど、秀美、学校もあるし、太田さんと富山さんに送られて、最終の新幹線で帰ったの。ーーーーーーーーーーー↓ 奈保子しんぶん Vol.6 昭和57年(1982年1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部より。「奈保子に引き続きフレッシュガール誕生! 秀樹・奈保子の妹は中学3年生の石川秀美ちゃん!」↓ 画面右から、西城秀樹さん、石川秀美さん、河合奈保子さん。↓「愛 編む 秀美 I am Hidemi/石川秀美/集英社/1982年10月31日 第1刷発行」↓ p213。↓ p214昭和56年(1981年)12月13日(日)秀樹さんの妹に選ばれたこの日から、秀美の世界は、がらりと変わってしまいました。それから、今日までの10ヶ月、秀美がどんなふうにきたか、秀美もちょっぴり懐かしく、あたなと一緒にふりかえってみたいのです。(写真は、西城秀樹さん、石川秀美さん、河合奈保子さん)↓p218初レコーディング。1982年2月6日。日音のAスタジオっていうところで。デビュー曲『妖精時代』を、夜の7時から。
2023.05.22
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河合奈保子さんは、1981年10月5日に「第一腰椎圧迫骨折」で入院しましたが、退院後、1981年11月30日に、夜のヒットスタジオでTV復帰出演をされました。それから、1981年12月3日には、久米宏さんと黒柳徹子さんが司会をされる「ザ・ベストテン」の第200回記念番組があり、河合奈保子さんが駆けつけて、挨拶をされました。黒柳さんが「河合奈保子さんが駆けつけてくださいました」と奈保子さんを紹介します。奈保子さんは「はい。本当にどうもすみませんでした」と挨拶しました。久米さんが「退院、おめでとうございます」と言い、黒柳さんも「心配してたの。本当によかったわね。本当にお体を大切にしてください。良かった」と続けました。奈保子さんのそばには柏原芳恵さんがおられます。二人は「ナオナオ・ヨシヨシ」と呼び合う仲良しコンビです。↓ 1981年12月3日。ザ・ベストテン 第200回。↓ 司会の久米宏さんと黒柳徹子さん。↓ 河合奈保子さんが番組に駆けつけた。久米宏さん、黒柳徹子さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さん。↓ 奈保子さんと芳恵さん。↓ 手を握り合う奈保子さんと芳恵さん。↓ ザ・ベストテン200回記念で、全体写真を撮った。↓ 記念写真。前列は、久米宏さん、黒柳徹子さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さん、田原俊彦さん、松田聖子さん。↓ 200回も番組で生演奏をされてきた、オーケストラの方々に拍手をした。↓「(二人で)キャーって言ってたけど、仲がいいの?」と黒柳さんに聞かれ、「ハイ」と答える2人。
2023.05.21
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから落ちて、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。退院後は桃の木温泉で休養され、1981年11月30日に夜のヒットスタジオでTV復帰されました。井上順さんと芳村真理さんが司会をされた夜のヒットスタジオでは、河合奈保子さんが新曲「ラブレター」を歌いました。スタジオの後ろには、奈保子さんの親衛隊の皆さんが並び、「奈保子コール」連発です。奈保子さんは「ラブレター」のサビの部分になると、感極まったのか涙声になりましたが、それでも一生懸命歌います。当時テレビでこのシーンを見てから、もう40年以上経ちますが、奈保子さんの「ラブレター」を聴くと、奈保子さんの歌う姿がありありと蘇ってきます。私はこの「ラブレター」が好きで、聴くと自分の高校時代を思い出します。ーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」に、この時の「夜のヒットスタジオ」の事が書いてあるので、一部を紹介します。(P215~216)声の調子がよくなるように、局へ向かう車の中でも、大声で『ラブレター』の練習をしてスタンバイ。音合わせやリハーサルがあるので、スタジオへは午後5時頃に到着。『夜のヒットスタジオ』は、フジテレビの第6スタジオで収録されます。なつかしいスタジオのざわめきや、天井からいくつも下がったライトに、わけもなく胸がときめいてしまいます。これが、あんなにも恋しかったスタジオの風景・・・。「オハヨーゴザイマース。どうかよろしくおねがいしまーす」顔なじみのタレントさんやスタッフの皆さんに、ごあいさつをしながら定位置へ。突然、ファンファーレが鳴りわたりました。「エッ」と思ってバンドさん(ニュー・ブリードの皆さん)を見たら、指揮者のダン池田さんがニッコリ。それをきっかけに、スタジオにいる皆さんが、拍手で迎えてくれたんです。そうか、これは私へのお祝いのファンファーレ・・・。「ワァー、どうしよう」皆さんの暖かな心づかいに、気持ちがほぐれたよう。ありがとうございます。前奏が流れ、いよいよ『ラブレター』。ゆうべ覚えたばかりの振りもあるし、なかなか思うように歌えません。フラットしたり、シャープしたり、声がひっくり返ったり・・・。うまく声の調整ができないんです。もう、サイアク!二度の音合わせをしてОK。楽屋へ引き上げたものの、わずか十分足らずの音合わせで、ダウンしてしまいました。ーーーーーーーーーーー(P217)午後10時から本番。初めてのステージ用コルセットをつけ、新調した白のドレスに着かえた私。井上順さんや芳村真理さんの暖かな司会に励まされて、トップ・バッターで歌います。新潟のおばあちゃんからの電話もつながっていて、今日はうれしいことづくめ。アレッ!? ファンの皆さんからいただいたたくさんのプレゼントが、大きくて真っ白な木に、つりされられています。まるでクリスマス・ツリーのよう。リボンのついた箱もあれば、ぬいぐるみもあります。千羽鶴もあります。みんな、私と一緒に病院で暮らした仲間ばかり。こんな形でファンの皆さんにお礼が言えるなんて、なんだか胸がいっぱいです。ファン・クラブの皆さんも大勢かけつけてくださって、あのなつかしい”ナオコ・コール”も始まりました。「ナオコー、ナオコー」曲が始まる前から、うれしさで涙がこぼれそうです。ガンバラナクッチャ! ガンバラナクッチャ! 今の私にできるのは、笑顔で歌うこと・・・。みんな見てください。私、こんなに元気になりました。本当に、本当にありがとう。歌っている時は、夢中でした。ただ、ひざがガクガク震えて、マイクを一生けん命に握りしめていた事だけを覚えています。歌が終わって、心の中で張りつめていた糸が、プツンと切れたよう。「アリガトウゴザイマシタ」 こらえていた涙が、ポロッとこぼれてしまいました。↓ 1981年11月30日。夜のヒットスタジオ。井上順さん、河合奈保子さん、芳村真理さん。↓ 新曲「ラブレター」。↓ 画面右側は、奈保子さんの親衛隊の皆さん。左側は、奈保子さんが入院中にファンから送られた品々が、木にかけられている。↓ 歌いながら涙ぐんでしまった奈保子さん。↓ 涙をぬぐう奈保子さん。
2023.05.20
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから落ちて、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。退院後に休養し、1981年11月30日の「夜のヒットスタジオ」がTV初復帰番組となりました。司会の井上順さんと芳村真理さんが、奈保子さんを迎えて会話をします。井上さんが「只今の心境はですね、初めてテレビにでるような感じだったですね」と言い、奈保子さんが小さい声で「ハイ」と答えます。芳村さんが「ドキドキしてる?」と聞くと、奈保子さんは「ハイ。ドキドキしてます」と緊張気味に答えていました。井上さんが「奈保子ちゃんが元気になる事を、田舎のおばあちゃんがとても心配している」と言って電話の受話器を取り、「おばあちゃまですか。今、奈保子ちゃんと代わりますからね」と、受話器を奈保子さんに渡しました。テレビ局と田舎のおばあさんの家で、電話がつながっていました。おばあさんは「体は治ったの?」と心配されていました。久しぶりにおばあさんと話をする奈保子さんは、嬉しそうで笑顔いっぱいでした。↓ 1981年11月30日。夜のヒットスタジオに出演した河合奈保子さん。司会は井上順さんと芳村真理さん。↓ 井上順さんが奈保子さんの祖母が心配されていると話す。↓ 祖母電話がつながっていた。↓ 井上さんが奈保子さんに受話器を渡す。↓ 奈保子さんが祖母と話をする。↓ 祖母の声を聞いて、嬉しそうな奈保子さん。
2023.05.19
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河合奈保子さんは1981年10月5日、舞台の小ゼリから落ちて、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。療養して退院し、休養が終わったので、1981年11月30日に「夜のヒットスタジオ」に出演しました。奈保子さんは、「スマイル・フォー・ミー」を歌いました。松田聖子さん、薬師丸ひろ子さんなど、出演された方々が、奈保子さんに花を渡しました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」P214~215で、次の記載があります。昭和56年(1981年)11月29日(日)今、鳩時計が、ポーッ、ポーッと、11回鳴きました。そう。夜11時です。明日は、退院して初めてのテレビ。久しぶりの『夜のヒットスタジオ』。歌えるかなあ。声が出るかなあ。どうしよう・・・。(日記より)ーーーーーーーーーーーー1981年11月30日、「夜のヒットスタジオ」で「スマイル・フォー・ミー」を歌う奈保子さん。↓ 右から、松田聖子さん、河合奈保子さん、薬師丸ひろ子さん。↓ 河合奈保子さんと薬師丸ひろ子さん。↓ 松田聖子さん。↓ 皆さんから花を頂く奈保子さん。
2023.05.18
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河合奈保子さんは1981年10月5日、NHKホールの小ゼリから4,5メートル下に落下し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。テレビ復帰は1981年11月30日で、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』でした。番組では、ジュリー(沢田研二さん)が「57日ぶりの登場です。河合奈保子さん」と紹介し、マイクを奈保子さんに渡しました。↓ 「夜のヒットスタジオ」(1981年11月30日)ジュリー(沢田研二さん)。↓ ジュリーが「57日ぶりの登場です。河合奈保子さん」と紹介した。↓ お辞儀する奈保子さん。↓ マイクを受け取る奈保子さん。
2023.05.17
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから4.5メートル下に落下し、第一腰椎圧迫骨折で入院し、療養しました。11月16日には病院の前で退院会見をしたのですが、風呂に入っても痛みが無いかどうか調べるため、奈保子さんは病院に戻りました。病院のカルテでは、退院日は11月18日だったそうです。(わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行)P188~190記載あり。奈保子さんは11月20日から一週間、南アルプスの麓にある山梨県・桃の木温泉で休養しました。休養中に嬉しい知らせが届きました。1)1981年11月24日、奈保子さんはNHKから『紅白歌合戦』初出場決定の連絡を受けました。(P204)11月24日。12時ジャスト! 待ちに待った『紅白歌合戦』初出場決定の連絡が入りました。直接電話をとったものの「エッ、本当ですか?」取材の方に取り囲まれて、カメラのフラッシュがまぶしかったなあ・・・。ちょうどTBSの『3時にあいましょう』の中継が入っていました。鬼沢慶一さんのインタビューもあったし、久しぶりのテレビで、アガッチャッタ。でも、でも。バンザーイ。今年は出られる。うれしいなあ。本番の時には『スマイル・フォー・ミー』を歌いたい。ゆうべ、おじいちゃんにお願いしたかいがあったんだ・・・。2)1981年11月25日、東京プリンスホテルで第23回日本レコード大賞・部門賞発表会が行われ、河合奈保子さんは「スマイル・フォー・ミー」でゴールデン・アイドル賞を受賞しました。「風立ちぬ」の松田聖子さん、「グッドラックLOVE」の田原俊彦さん、「ハロー・グッバイ」の柏原よしえさんも受賞しました。(P205)二日つづけてのハッピー・デー。(11月)25日には『輝け!日本レコード大賞』で”ゴールデン・アイドル賞”をいただきました。聖子ちゃんとトシちゃんは会場で、私は、温泉で・・・。とってもうれしかったけれど、会場で歌えないのが残念! (12月)31日の本選の日には、絶対に会場で歌いたいなあ。思いきり大きな声で・・・。ーーーーーーーーーーーー山梨県・桃の木温泉で休養中の河合奈保子さん。日本レコード大賞で「ゴールデン・アイドル賞」を受賞した。ーーーーーーーーーーーーー1981年11月25日、日本レコード大賞の「ゴールデン・アイドル賞」受賞者。河合奈保子さんも受賞したが、桃の木温泉で休養中だったので、TVで日本レコード大賞を見ていた。↓ 河合奈保子さん。
2023.05.16
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1981年10月5日、河合奈保子さんがNHKホールで小ゼリから4.5メートル下に落ちて、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。1か月以上療養し、1981年11月16日に退院しました。同日、ザ・トップテンにおいて、奈保子さんが退院の報告をする映像が流れたので、ご紹介します。「ザ・トップテン」1981年11月16日午後1時、無事に退院なされました、河合奈保子さんです。トップテンを見ていたファンの皆さんに、一言お願いします。(奈保子さん)はい。本当にファンの皆さん、どうも長い間、ご心配をおかけしまして、どうもすみませんでした。今日、無事、退院することができました。入院中に、皆さんから暖かい励ましのお手紙など、沢山頂いたんですけれども、それが何よりも、私にとって何よりも一番の励みでした。本当に、どうもありがとうございました。自由にはまだ歩けないんですけど、ようやく歩けるようになったんです。(奈保子さんが少し足を前に出してみるが、止める)まだちょっとダメかな。これからも、また新たな気持ちで一生懸命頑張って行きたいと思いますので、応援してください。↓ 1981年11月16日、ザ・トップテンで、退院した河合奈保子さんへのインタビュー映像が流れた。↓ 引退した河合奈保子さん。↓ 病院前でマスコミに退院の挨拶をする奈保子さん。↓ 病院の先生、看護師の方々と一緒に。↓ 奈保子さんは少し歩こうとした。
2023.05.15
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから4.5メートル下に転落し、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。病院では長期にわたりギブスで体を固定していましたが、コルセットに変わり、入院して約1か月後の1981年11月4日、奈保子さんは自分の足で立つことができました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」P175~176に、「ペンギン娘」としてこの時の事が記載されており、紹介します。「ペンギン娘」昭和56年(1981年)11月4日(水)今・・・たった今。自分の足で立てたんです、私!昨日も少し立ってみたけど、すぐダメになってしまって・・・・。今日も立った時には、ヒザがガクガクして自分の足っていう感覚がなかった。でも、勇気を出して、左足を一歩、前へ。すごく怖かったけれど。一歩、二歩、三歩・・・歩いた。そして病室の外を見たの。この病院に来てから、初めて外の風景を見たの。自分の目で・・・。うれしかった。うれしくて、しばらくボンヤリ見てた。こんな喜びは、自分しかわからないだろうなあ。*今日から付き添いの渡辺さんは、自分のお家に帰ってしまいました。一か月ものあいだ、本当にありがとうございました。昭和56年(1981年)11月5日(木)今は夜の11時5分すぎ・・・。アハ! 今日は、別に何もなかったけれど、なんだかとっても楽しいのです。だって、昨日より、また少し歩けるようになったんだもん。朝には、お花にお水もあげられたの。でも、今日は少し、歩きすぎたみたい。私が歩くと、みんなが「ペンギンみたいだ」っておもいっきり笑うのです。失礼な・・・。真剣に歩いてるっていうのにね。(日記より)↓「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」 ↓「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム 2021年8月31日初版発行」
2023.05.14
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールにあった小ゼリから4.5メートル落下し、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。入院当初はギブスで体が動かないようにしていましたが、コルセットに変えて、少し動くことができるようになりました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」P168~170で、奈保子さんのコルセットについて記載があるので紹介します。P168コルセットをつけて、とうとう起き上がることが出来ました。亀さんギブズから解放されて、ヤッタ!って感じ。コルセットは窮屈だけれど、多少はガマンも必要なのです。婦長さんに助けてもらって、ヨイショ。起き上がる瞬間、ひどい目まいがして、落ち着くまでに少し時間がかかってしまいました。寝たきりの生活をしていたせいか、頭の血のめぐりまで、どうにかなったよう・・・。でも、これで、ようやく一つの区切りがついたようで、本当にうれしいなあ。25日間、天井しか見ていなかったんだもの。起き上がって見る角度は新鮮で、何もかも新しく見えて・・・。なんだか違う世界を見たような気がしました。経過は良好。レントゲン検査も”異常ナシ”。あと、2、3日もしたら立てるようになるかもしれません。無事に歩けるかどうか、チョッピリ心配だなあ・・・。P169~170コルセットは、直接肌につけると痛くなってくるので、まず薄いTシャツのようなものを着るんです。(女の子用の例の下着は、普通に付けられます)それから、太い芯の入っている部分を背骨にキチンと合わせて、両脇からもってきて前で止めます。マジック・テープがついているので、一番下をペタン、上をペタン、最後にまん中をペタンという具合。マジック・テープといえどもバカにはできません。それで、しっかりとしめつけられるんです。でも、スカーレット・オハラというよりは、スカーレット・オナカという雰囲気でした。昔の硬性コルセットは、カチカチの曲がらないようなものだったそうです。でも、現在は、どなたも、私と同じようなものを着用しているそうです。他の2枚のコルセット(軟性コルセット)はステージ用。薄くて伸縮性のある生地でできていて、ベージュ色です。(女性用の下着で”ガードル”というものがあるんです。あんな感じの生地を想像してください)ステージ衣装のえりもとから見えないように、注意をして作っていただきました。この種のコルセットはあまりないそうで、特製というところです。でも、薄いだけに背中への負担が大きいそう。使用は1時間以内と制限されました。↓ わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行P170 奈保子さんのコルセット紹介。↓ わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行↓ 新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム/2021年8月31日初版発行
2023.05.13
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河合奈保子さんは1981年10月5日、NHKホールで行われた「レッツゴーヤング」のリハーサルで、4.5メートルの小セリから落下し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」P67には、この事故がきっかけで奈保子さんの母、妹が東京で暮らすことになったことが書かれています。P67「ユカちゃんごめんね」昭和56年(1981年)10月13日(火)今日から妹の由香里が、東京の学校へ転校しました。中3の二学期のおしまいに転校なんで、かわいそう・・・・ごめんね、ユカちゃん。今が一番大切な時期なのに、私がこんなことになってしまって。受験もあるのに・・・・ごめんネ。一日も早く学校に、東京の学校になれてください。とっても大変だと思うけど、とってもつらいと思うけど、私にはこれぐらいしかいえません。本当にごめんなさい。でも・・・、ユカちゃんならだいじょうぶよネ!ぜったい・・・(日記より)事故がキッカケで、おかあさんとユカちゃんは、東京で暮らすことになりました。私を一人で東京におくのは、心配になったそうなのです。おとうさんは、お仕事があるので大阪で一人暮らし。私のせいで、とうとうこんな形になってしまいました。おかあさんは、私の看病であわただしく大阪を離れて以来、帰ることもなく、東京の人になってしまいました。ユカちゃんも、(10月)9日に上京したきり、制服も教科書もないままに、東京の中学校へと転校しました。ーーーーーーーーーーーーーー同本P108~111で、「病室の人気者」として、奈保子さんの妹のユカさんの似顔絵が紹介されています。絵のじょうずなユカちゃんは、スタッフの皆さんの似顔絵を描いては、私を笑わせます。「ネェネェお姉ちゃん。マネージャーの清水さんて”ムーミン”に似てない?」ある時、こっそりと耳打ちしたことが、キッカケでした。「これが清水さん。そいで、こっちがムーミン」「キャハハハ、似てるゥ~」2人(?)が並んだ姿は、まるで兄弟のよう。セーターからお腹をポッコリと出した清水さんが、かわいいんです。会社の部長さん、専務さんからバンドの大石さん、マキシムのお姉さんたちまで、とにかくみんな似ていました。じょうずに特徴をつかんでいて、実物よりいいみたい。(ハハハ、ごめんなさい)サインペン1色ではさみしいので、ユカちゃんが学校へ行っている間に、私がぬり絵をしていました。できあがった順番に、壁にはってお披露目。お見舞いのお客様やスタッフの皆さんにも、大ウケにウケていました。回診の時には、担当の恒川先生までが、「これはじょうずだねえ。ひとつ、ボクの絵も描いてもらえないかな」なんて。陰でこっそりと『ツネちゃん』とアダ名していた私とユカちゃん。もちろん、喜んで描いてあげました。親しみを込めて、とびっきりじょうずにね。そのせいかしら、できあがった絵を見て、「こりゃいいぞ。実物よりハンサムに描けているよ」壁にはった似顔絵は、退隠するまで、病室の人気をさらっていました。おかげで、始終なごやかな空気に包まれていたような気がします。ーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんの入院部屋の様子。(雑誌の切り抜きより)↓ 壁に飾られたユカさんの絵。↓奈保子しんぶん Vol.5 昭和56(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。「奈保子の病院のお部屋」↓「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」↓「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム/2021年8月31日初版発行」
2023.05.12
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1984年7月24日に行われた、河合奈保子さんのバースデーコンサートですが、スタートの「太陽の下のストレンジャー」、2曲目の「IF YOU WANT ME」に続いて、3曲目は「夏の日の恋」でした。1984年6月に、奈保子さんのアルバム「サマー・デリカシー:Summer Delicacy」が発売されました。A面は八神純子さんが作られた曲が5曲並んでいます。1)太陽の下のストレンジャー(作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎)2)街角(作詞・作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎)3)夏の日の恋(作詞:三浦徳子、作曲:八神純子、編曲:大村雅朗)4)My Boy(作詞・作曲:八神純子、編曲:大村雅朗)5)幻の夏(作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎)私は河合奈保子さんと八神純子さんが大好きで、アルバム「サマー・デリカシー」は本当に大事にしています。特に1~3の曲は、連続で何度も聴くほどお気に入りです。コンサートでは、1)「太陽の下のストレンジャー」と、3)「夏の日の恋」が歌われました。八神純子さんが他者に提供した曲ですが、奈保子さんへの曲が一番多く、7曲あります。上記の5曲以外は、シングル曲の「コントロール」、そして「デリカシー」です。「夏の日の恋」は八神純子さんが歌われた曲で、奈保子さんがカバーしています。二人とも高音部の伸びが魅力的です。ちなみに1984年8月には、奈保子さんのアルバム「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」が発売されました。奈保子さんがアメリカ・ロサンゼルスで初めてレコーディングしたアルバムで、1曲目が「IF YOU WANT ME」でした。1984年のバースデーコンサートでは、2曲目で歌っています。このアルバムは、1984年の12月で「日本レコード大賞・アルバム賞」を受賞しました。コンサートでは、奈保子さんの顔に汗が光っており、とても素敵です。河合奈保子さんのDVD「PURE MOMENTS NAOKO KAWAI DVD COLLECTION」の解説本で、「当時の制作スタッフに聞く」というページがあります。元・日本コロムビア 高山雅治さん(株式会社ビューズ)が奈保子さんの汗についてコメントされているので紹介します。「ぼくは奈保子のライブを見ていて思ったのは、あれだけ汗がキレイな人は見たことがないってことですね。ボクが知っている限りでは、あんなにキレイな汗は彼女以外いないですね」ーーーーーーーーーーーーー↓1984年7月24日、バースデーコンサートで「夏の日の恋」を歌う河合奈保子さん。顔に美しい汗が光る。ーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんのアルバム「サマー・デリカシー:Summer Dericacy」↓ A面5曲は、八神純子さんから提供されている。↓ 1984年7月24日のバースデーコンサートのDVD。↓ 八神純子のレコード。B面に「夏の日の恋」が入っている。↓ 八神純子さんの「夏の日の恋」。↓ 八神純子さんと河合奈保子さんの対談記事。↓ 夜のヒットスタジオで共演した、八神純子さんと河合奈保子さん。八神純子さんは河合奈保子さんの事を「妹のように思っている」とコメント。
2023.05.11
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1984年7月24日に行われた、河合奈保子さんのバースデーコンサートですが、スタート曲「太陽の下のストレンジャー」に続き、2曲目は「IF YOU WANT ME」でした。「IF YOU WANT ME」ですが、奈保子さんがロサンゼルスで初めて海外レコーディングをしてできた「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」の1曲目の歌です。レコードでは、冒頭からドラムの神様・ジェフ・ポーカロの弾けるドラム音から始まる、西海岸のゴキゲンな音楽です。「IF YOU WANT ME」を歌う奈保子さんの顔は、汗で光っています。奈保子さんはノリノリで、声もガンガンに伸びています。白い帽子とフレアスカートが、舞台を縦横無尽に動きます。ひっきりなしに投げられる紙テープが舞台を埋め尽くし、素晴らしいコンサートです。↓ 1984年バースデーコンサートの2曲目は「IF YOU WANT ME」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 1984年に発売された奈保子さんのレコード「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」↓ 1曲目が「IF YOU WANT ME」詩・曲:エリック・ブリング / トニー・ハイネス 編集 デビッド・フォースター。 (ドラムス)ジェフ・ポーカロ、(バス)マイク・ポーカロ、(ギター)マイケル・ランドウ、(キーボード)デビッド・フォースター、(シンセサイザープログラミング)エリック・ブリング、(バックグラウンドボーカルス)ビル・チャンプリン、カルメン・グリロ。【訳詞:竜真知子】
2023.05.10
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河合奈保子さんのコンサートというと、歌やパフォーマンスも良いのですが、なんといっても光る汗が印象に残っています。奈保子さんの1984年7月24日・バースデーコンサートは、私の好きな「太陽の下のストレンジャー」からスタートします。この歌は奈保子さんのアルバム「サマー・デリカシー」のA面に収録されていますが、八神純子さんが作曲しており、奈保子さんと純子さんが一緒になったような歌です。夏の避暑地を思わせるような奈保子さんの衣装に釘付けです。歌い始めてすぐに、奈保子さんの額に汗が光ります。ステージは紙テープでいっぱいです。↓「太陽の下のストレンジャー」を歌う河合奈保子さん。
2023.05.09
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1981年10月5日、河合奈保子さんは渋谷のNHKホールで小ゼリから転落し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。この時の様子は、「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」に書かれています。P61には「くやし涙のコンサート」として、10月5日の事故が無ければ、NHKホールの『レッツゴーヤング』の収録リハーサルが20時に終わり、それから渋谷公開度で『ザ・トップテン』に出演し、それが終了すると、『カナリーコンサート』の最後のリハーサルの予定だったと書いてあります。本来であれば、10月10日に大坂万博ホールで『カナリーコンサート』を行う予定だったのに、入院のため、それが出来なくなりました。その流れでP63~64では、奈保子さんがコンサート好きで、汗のつぶが気にならなくなったことが書いてあるので紹介します。コンサートが好きな理由は、ファンの皆さんの反応を、直接肌で感じることができるから。そして、歌の世界に、とことんのめりこめるからー。緞帳が上がるまでは、”歌詞をまちがえないかしら”とか、”ちゃんと全部できるかな”なんて、すごくあがっているんです。怖くなって、このままどこかへ逃げ出したいと思ったことも、一度や二度ではありません。でも、そうはいきません。「ナオコちゃーん、ナオコちゃーん」ファンの皆さんのナオコ・コールが始まると、いよいよオープニング。こうなると、もう、ヤルッキャナイって感じで、度胸がすわるんです。歌っているうちに、だんだんといろんなことが遠のいていって、歌のことしかなくなるんです。ひとつひとつの歌に、やっと、自分なりに入っていけるようになったと思います。そこまでになるのには、とても時間がかかったけれど、ステージの上の私って、とっても好きです。第一、顔が違うんですよ、顔が!自分でいうのも変なんですけれど、この前ビデオを見てて、つくづくと思いました。お化粧もとれちゃって、顔には汗がいっぱいひかってるんです。私は、鼻の頭に汗をかいているのを見られるのが、とってもイヤなんですね。それなのに、汗のつぶがブツブツと見事なくらいくっついていても、全然気にならない。一生けん命で、本当に歌っている気がして、テレビなんかよりも、ずっといい顔に見えたんです。それを見て、何かひとつふっきれたような気がします。それ以来、前にもましてコンサートが好きになりました。これから、どんな歌を歌っていくようになるのかわかりません。でも、年相応に、少しずつ変わって行くとおもうんです。おしゃべりもふくめて、”本当の自分”というか、”あけっぴろげな自分”を、ステージで出せたらいいと考えています。事故でコンサートがお流れになったおかげで、自分がどれほどステージが好きかっていうこと、つくづくと思い知らされたような気がします。ーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんのコンサート映像の中で、私は1984年のバースデーコンサートが一番好きです。奈保子さんの顔には、びっちりの汗がキラキラ輝いています。コンサート会場でガンガン歌い続ける奈保子さんに魅了されます。↓ 顔に汗が光る奈保子さん。↓ 客席から投げられ、雨のように降ってくる紙テープ。ーーーーーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」
2023.05.08
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1981年10月5日、河合奈保子さんは渋谷のNHKホールの小セリから落下し、病院に搬送され、「第一腰椎圧迫骨折」で入院となりました。10月8日は、病院の手術室で「ギブスベッド」を作りました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」を読むと、「ギブスベッド」について記載があるので、一部を紹介します。(P41~43)”ギブスベッド”というのは包帯を石膏の粉で固めたもので、骨折した部分が動かないように、保護するために使われます。亀の甲らのようになっていて、そこにスッポリと体を入れて固定するそうです。痛みもとれて、ずっと楽になるとか。痛みが静まるのなら、どんなことでもやってみようという気持ちになっていました。でも、3階の病室からタンカで運ばれた時には、何となく恥ずかしかった・・・。だって、私一人を運ぶのに、なんと4人も看護婦さんたちが来たんです。私が重たいせいなのかと、チョッピリ傷つきました。まあ、何とか無事に降りてきて、今、手術台の上に、うつ伏せに寝かされているところです。うつ伏せの状態って、まだ、とっても苦しいんです。でも、30分ぐらいだと言われたので「何とかがんばるゾ!」と、闘志を秘めている私です。まず、首すじから腰までを、きれいにふき清められました。そして、かぶれないように、オリーブ・オイルをペタペタとぬられました。”ギブス”というのは、肌に直接つけて作るものらしいのです。でも、オイルをぬっていればハジキかえして、肌にベタベタとくっつかないというわけ。とても珍しいので、木場婦長さんに教えていただいたお話をご紹介します。《ギブスベットの作り方》・ギブスは、包帯のようになっています。クルクルとほどいてみると、パラパラに乾燥した小さな粒が一面についています。その粒が石膏です。巾は何種類かあります。私の場合は、20センチ巾で長さ4.5メートルのものを10巻近く使ったそうです。・患部を清め、オリーブ・オイルをぬります。(これは、前に書いた通り)・ギブスをお湯に入れて、軽くしぼります。・右から左、左から右という具合に、肩から腰のほうへと徐々に伸ばして行きます。・ギブスベッドは、体にピッタリと合ったものを作るので、患者の協力が必要となります。「もうちょっと、横向いて」とか「ハイ、もっとこっち側」なんて言われます。そのたびに、激痛におそわれ「ク~」と歯を食いしばっていましたが、あまりの痛さに、涙がこぼれました。先生が「すぐに終わるからゴメンネ」と言ってくださるので、騒ぎ立てるわけにもゆきません。・作業を進めているうちに、だいたい固まってきます。ギブスを腰の所まで作り終わったら作業終了。そのなま乾きのギブスベッドをはずします。この段階のものといえば、ミイラ男の背中の部分を、カパッと切り取ったようなものです。(ギブスのはりつけ作業だけなら、20分ていどです)・オイルやギブスのカスがついているので、もう一度、体をふいてもらいます。”ギブスベッドの型どり”はこれで終了。・ギブスは一晩ほどで乾くそうです。ギブスベッドの場合は、ピッタリと体の形に会ってないと意味がないので、ギブス・カッターというもので、きれいにフチを切りとります。合わせて作ったつもりでも、肩や腰の部分は、どうしても必要性が出てくるとか。その作業は、肩どりの翌日、ギブスが乾いてからの限ります。ーーーーーーーーーーーー同本、第二章「ギブスベッドの中で」の最初の部分(P55)に次の記載があります。やつれちゃったネ昭和56年(1981年)10月9日(金)拝啓 カメ様今日から私も、あなたの仲間になりました。硬いギブスの甲らをつけて、ベッドの海で暮らします。白い砂浜を歩くこともできません。マリンブルーの海を泳ぐこともできません。キラキラと輝く陽の光も、見えません。それでも、ウサギさんとカケッコをして勝ったあなたのように、ガマン強く、過ごそうと思います。自分の足で、あるけるようになる日まで・・・。(日記より)↓「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」P55 ギブスベッド。↓P55.やつれちゃったネ。↓ 「わたぼうし翔んだ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」
2023.05.07
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから落ち、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されました。「奈保子しんぶん Vol.5 昭和56年(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」にある「奈保子の入院日記」につき、前回のブログで「前編」として紹介しました。今回は「後編」として、入院生活の状況を記載します。朝の注射う~っ、毎朝注射するんです~。腕に針のあとがいっぱい。毎朝看護婦さんにが来るのが恐怖で。来るたびに「今日はいいです。パスッ!」て言うんですけどね。「ダ~メッ」っていってブスッ! でも注射する前に腕に温湿布するとあまり痛くないですよ。TV・マンガTVはいろーんなもの見てます。今まで一緒に出演していた方たちのを見ると、すごく勉強になりますね。でもああ早く歌いたい! 自分のCM見た時は笑っちゃった。マンガ本はめっちゃくちゃ読みあさってます。「小さな恋のものがたり」「ドクタースランプ」「アサリちゃん」とか・・・。あと落合恵子さんのエッセイも読みました。鼻歌唄いたくて唄いたくて、よく大声で唄ってます。「あ~っ♪」とか発声練習もしたりして。そしたら病院中聞こえるってマネージャーに注意されちゃった。だってじっとしていられないんだもーん。脚の体操みなさんから太る太るって脅かされてるんですけど、筋肉使ってないから体中フヨフヨです。起きれるようになったとき、ちゃんとしっかり歩けるようにと、毎朝脚の運動をやっているんですよ。いっちに、いっちにって。これは先生からの言いつけだから、毎日ちゃんとやってます。ゲームウォッチ病室はおもちゃだらけ。マジックハンドで物をとったりしてるんです。ゲームウォッチもたくさんあります。ポパイのとかタコのとか・・・。私こういうのヘタなんですねー。30点もいかなくて、おかあさんにバカにされっぱなし。でも飽きずに毎日やってます。退院する頃にはゲーム博士になってたりして。お仕事こうやって落ち着いて今までのことを振り返ると、毎日がほんとに忙しかったなーってつくづく思います。でもお仕事やって動き回っている方が全然いい! 夜眠るヒマもなくてつらかったこともあるけど、わーっと動いてわーっとやってる方が楽しいもの。今はこりゃ寝すぎですよォー。でも今は寝ることが大事ですからね。おとなしく言いつけを守っています。みなさんの前で歌うのも、もうすぐだと思います。一日も早く元気になりますので、みなさん待っててくださいね!奈保子からみなさんへたくさんのお手紙やお見舞品、どうもありがとうございます。みなさんからいただいたお見舞品に囲まれ、奈保子のお部屋はとってもにぎやか。毎日毎日明るくすごせるのもみなさんのおかげです。ほんとにどうもありがとうございます!
2023.05.06
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1981年10月5日、河合奈保子さんはNHKホールの小ゼリから落ち、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されました。「奈保子しんぶん Vol.5 昭和56年(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」には、「奈保子の入院日記」として、入院生活の事が書いてあります。2回に分けて紹介します。落っこった瞬間 いろーんなことが頭の中を駆けめぐって本当にみなさんにご心配をおかけして悪かったなーって思っています。でもファンの方からのお手紙で、これは神様が与えてくれた休養かもしれないんだから、何も考えずにゆっくりやすんでいなさいっていうのがあったんです。だから今は、今までできなかったことをいっぱいやってます。絵本や童話を読んだり、書きものをしたり・・・。セリに落っこったときのことはけっこう覚えているんです。落ちる瞬間ってすごく速いけど、ずいぶんといろんなことを考えたみたい。あっ落ちてる・・・みなさんに何て言ったらいいんだろう。リサイタルももうすぐなにできないのかな・・・どうしよう・・・なんて、もー頭の中に渦まいてた。救急車乘ってても、痛いのと心配で、どうしようどうしようと考えてました。入院して次の日はなんともなかったんですね。これなら10月10日のコンサートできるや、なんて気軽に思ってたんだけど、口の日になって、あっちこっち痛くなってきて・・・。ああやっぱりダメなんだなあって思ったら悲しくなりました。ファンの方たちもコンサート楽しみにしてくれたのに悪いなーって・・・。入院したての頃はそういうことばかり考えてたけど、今はようやく落ち着いて入院してます。入院生活ようやく入院生活にも慣れてきたけど、朝早くて夜早いっていうのはダメー! 朝は6時起床で夜は9時就寝なんですけど、私朝8時半まで寝てるんです。付き添いの方が『起きなさい!起きなさい!」って大きな声で言って、ハッと目を覚ますと目の前にもう歯ブラシがあって・・・。私、ベッドから起き上がれないから、寝ながら歯をグシグシ磨くんですけど、磨きながらまた眠ってたりして・・・。夜もなかなか眠れないからカセット聴いたり本読んだりしてます。悪循環ですねー。まったく・・・。容態腰の痛みはもう全然ないんです。でも動いちゃいけないのがつらくて・・・。寝返りもうっちゃいけないんですよ。ギブスベッドっていう亀の甲羅みたいなのが下に入ってるんですけど、眠っている最中よくそこからはみ出しちゃうんですね。そうするとそれがまた痛くて・・・。だからなるべく動かないようにしてます。でもたまにムズムズして動いちゃうんです。そうすると「コラー!ダメーッ!」て看護婦さんに怒られちゃう。怖いんだから・・・。そういえば私、この病院がどきにあるのかわからないんですよー。時々鏡を使って外の景色見たりしてます。病院食おいしかったりまずかったり・・・。グリーンピースがよく出るけど食べれないんです。たまに店屋物をとってもらっちゃって、きのうのお昼はお新香巻きを食べました。今日のお昼はおかあさんにお好み焼きを作ってもらったし・・・。食欲がものすごくてこまっちゃう!お菓子はあまり食べないようにしてるんだけど、やたらアイスクリームやおせんべいが食べたくなったりして、タコ焼きも食べたいな!でも太らないように気をつけてます!ーーーーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.5 昭和56年(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」「奈保子の病院のお部屋」↑ 壁には妹さんが描いた似顔絵が10枚も。NAOKOのももちろんあるけど、ほとんどがマネージャーやらプロデューサーやらスタッフばかり。NAOKOのカラーブロマイドもはってあったよ。
2023.05.05
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「奈保子しんぶん Vol.5 昭和56年(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」に、「ショックな事故から2ヵ月 奈保子順調に回復!」という見出しの記事があるので、紹介します。1981年10月5日にNHKホールで「レッツゴーヤング』の収録リハーサル中に、河合奈保子さんが小ゼリから落ちて、「第一頸椎圧迫骨折」で入院された時の内容です。「ショックな事故から2ヵ月 奈保子順調に回復!」NHKの舞台のセリから落ちると言うショックな事故から約2ヵ月たった。TVや雑誌の報道で飛び上がって驚いたものだ。しかし心配されていたほどの大きなケガにはならず、今奈保子は病院のベッドで1日も早く復帰できるようがんばっている。「ファンの皆様へ 香川プロデューサー」この度は本当にみなさんにご心配をおかけしました。奈保子は順調な回復を見せ、11月の前半にはもうギブスが取れる予定です。ただ2ヵ月も寝たきりでいたので、筋肉がだいぶ弱っています。急激な運動はできないので、じょじょに体をならし、マッサージなどをして鍛えなければなりません。ですからこの調子でいきますと、奈保子がみなさんの前にお目見えするのは、11月下旬くらいになりますね。10月に予定されていたカナリーコンサートは来年1月の5、6日、日本青年館に決定しました。次の新曲は12月に発売になる予定です。奈保子がいなくても、みなさんリクエストをお願いします。そして奈保子を盛り上げてください。よろしく。「河合奈保子さんの自筆メッセージ」みなさん、このたびは、本当にご心配をおかけして、どうもすみませんでした。ごめんなさいネ!!今は、病院のベッドの上で、このメッセージを書いています。あともう少しで起きられるようになって、歩く練習をします。とにかく今は、一日も早く良くなって、みなさんに元気な姿を見ていただきたいと思っています。みなさんからたくさんのはげましのお便りを読ませてもらって、とってもうれしかった。本当にありがとうございます。早く隊員して、みなさんにあいたい!!歌を思いっきり歌いたいです。本当にみなさんごめんなさいネ!!奈保子は元気です。心配しないでネ!!↓ 河合奈保子さん。↓「奈保子しんぶん Vol.5 昭和56年(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↓ 河合奈保子さんの自筆メッセージ。
2023.05.04
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河合奈保子さんは、1981年10月5日、渋谷のNHKホールで行われた『レッツゴーヤング』の収録リハーサル時に、ステージの小セリ(深さ約4.5メートル)に誤って落ちてしまい、病院で「第一腰椎圧迫骨折」と診断され、そのまま入院となりました。入院中は”ギブスベッド”を石膏で作り、すっぽり体を入れて固定し、動かない状態での療養となりました。「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」と、「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復活ドットコム/2021年8月31日初版発行」に、入院生活の詳細が記載されています。興味ある方は、読んでください。手元にある雑誌の切り抜きに、奈保子さんの入院生活について記事があるので、紹介します。↓ もうすぐナハハ。独占!河合奈保子・入院生活ぜ~んぶ公開。↑ お待たせ。奈保子が大ケガにも負けないで、また元気な笑顔を見せてくれるよ。11月中旬に隊員して、ただいま静養中なんだけど、12月にはキミに会えるはずだ。つらく苦しい入院生活。でも奈保子はついに耐えた!↓ 入院部屋の様子。マジックハンドを扱う奈保子さん。↑ 寝たきり生活のときでも、奈保子はやっぱり奈保子。担当の先生が注射を打ちにきたときのお話。フトンの下からニュッと出たのは、なんとロボットの手みたいなマジックハンド! 先生も看護婦さんも、ケラケラ笑っている奈保子にアキレ顔。これでも重傷患者?「最近ではね、マジックハンドの操作も上達したんですよ。テレビのチャンネルなんか、左手でも変えられるの」それでも、入院して1週間はしゃべると折れた腰椎のところに激痛が走る。1か月間、背中の下に硬い石膏のギブスを敷いて、寝返りもうてない。深夜までの生活に慣れた奈保子には、朝6時起床、夜9時就寝の病院時間もツライ。「目がさえて眠れないから、こっそり起きてて続き物のコミックス読んでたら、やめられなくて全10何巻をゼンブ。気づいたら12時であわてて寝たんだけど、翌朝、先生が注射打ってもグーグー眠ってたんですって。ナハハ」入院後、ちょうど1か月めの朝、奈保子は許可が出て、自分の足で立った。「天井ばっかりの風景と全然違うので驚いちゃった。歩くってことをこんなに大変で、自由なんだってことを初めて感じました」とあの笑顔で話してる。12月5日に新曲『ラブレター』が出る。ただいま奈保子はベットのなかで必死に練習しているのだ。「ちゃんと声が出せるといいなァ」って大きな声で発生練習。静かな病院もニギヤカなのだ。来年1月2・3日には大阪・万博ホール、5.6日には東京・日本青年館でコンサート。力いっぱいの声援を!↑ 河合奈保子さんのメッセージ読者のみなさんへ。このたびは、みなさんにご心配をおかけしまして、本当にすみませんでした。奈保子にとって初めてのこんな長い入院生活。最初はとっても心細かったりしたこともありました。だけど、みなさんからの励ましのお手紙、それから心をこめておってくれた千羽鶴を見て、がんばらなくっちゃ!一日も早く元気にならなくっちゃ!なんて思いました。本当にありがとうございました。今は、とっても元気です。一日も早く・・・早くみなさんにあいたいです。今は毎日、そればっかり考えています。だけど、あせらないで、ゆっくりと治してからですヨネ・・・カンバロー♥本当に皆さん、心配かけてごめんあさい。元気な顔で、みなさんにあえる日を楽しみにしています。外はもうすっかり寒くなりましたが、カゼをひかないようにして下さいネ。NAOKOより。↓ ファンから送ってこられたぬいぐるみがこんなにいっぱい。奈保子は感激で、胸がジーンときちゃった。↓壁には妹さんの描いた似顔絵が。お腹出した清水マネがバカウケ!↓ ベッドの脇には、コミックスがずらり。お気に入りは「Dr.スランプ」と「小さな恋の物語」なのでした。ーーーーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復活ドットコム/2021年8月31日初版発行」
2023.05.03
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1981年10月5日16時20分、河合奈保子さんは渋谷のNHKホールで行われた『レッツゴーヤング』の収録リハーサル中、ステージの小セリ(深さ約4.5メートル)に誤って落ちてしまいます。すぐに救急車で病院に搬送され、レントゲン検査、神経動作のチェックが行われ、『第一腰椎圧迫骨折』と診断されました。神経が正常に動いていることが確認されたことは、不幸中の幸いでした。通常であれば、奈保子さんは同日20時から渋谷公会堂で『ザ・トップテン』に出演し、「ムーンライト・キッス」を歌う予定でしたが、救急車で病院に搬送されたため、出演できません。『ザ・トップテン』で司会の堺正章さんは、河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」が8位にランキングされたと言った後、メモを読んで奈保子さんの状況を視聴者に伝えました。「今週の第8位は、(前回と)変わりません、『ムーンライト・キッス』、河合奈保子ちゃんが第8位なんですけれど、実はちょっと、ニュースがございまして、河合奈保子ちゃんなんですが、今日出演して下さる予定だったのですが、このトップテンの前のお仕事のリハーサル中に、事故に遭われまして、現在入院して精密検査を受けられていらっしゃるそうです。関係者の方のお話ですと、最初予想したよりも、軽い怪我だそうです。詳しい事は精密検査待ちという事です。ファンの方はこちらに沢山いらしていると思いますが、心配でしょうけれども、お見舞いに行かれますと、かえって奈保子ちゃんに気を使わせることになりますので、早く良くなるように、一緒にお祈りをして下さい。軽い怪我だったとこのコメントには載っています。一日も早く全快して、このザ・トップテンにも出ていただきたいですね。これから色々情報があると思いますが、見舞いに行ったりしないで、TVなどで情報を聞いていただきたいと思います。奈保子ちゃんは8位に入っているんですけど、奈保子ちゃんに激励の拍手を送ってあげてください」会場の皆さんは、拍手を送っていました。司会の榊原郁恵さんも心配そうでした。ーーーーーーーーーー1981年10月5日 ザ・トップテン。先週の8位は河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」だった。↓ 今週の第8位が発表される。↓ 今週(1981年10月5日)は先週と同じく、第8位は河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」だった。↓ 司会の堺正章さんと榊原郁恵さん。↓ まずは、河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」が第8位であることを話した。↓ 堺正章さんが、河合奈保子さんの入院を伝えた。↓ 河合奈保子さん。
2023.05.02
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1981年(昭和56年)10月5日、河合奈保子さんは渋谷のNHKホールで行われた『レッツゴーヤング』のリハーサルで、ステージの小セリに誤って落ちてしまい、すぐに病院へ搬送されました。病院での診断の結果、「第一腰椎圧迫骨折」と診断されました。そして、約2ヵ月の闘病生活に入ります。奈保子さんの事故と闘病、復帰までの詳細は、「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」や、復刻版である「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム/2021年8月31日初版発行」に詳しく記されています。一部を紹介します。(P9)昭和56年(1981年)10月5日、渋谷のNHKホールで行われた『レッツゴーヤング』の収録。そのリハーサル中、私は、ステージに開けられた小ゼリ(深さ4.5メートル)に、誤って落ちてしまったのです。午後4時20分。それは忘れられない時間となりました。(P12)お昼頃から局に入り、ドライ・リハーサルの開始。休憩の時間はとれるものの、すぐにカメラ・リハーサルが始まってしまいます。そして、それが終わると本番・・・というスケジュール。夜の8時には本番が終わるものの、ちょうど8時からは、NTVの『ザ・トップテン』が入っていました。『ザ・トップテン』の会場である渋谷公会堂は、目と鼻の先。歩いても2、3分の距離にあるので、大急ぎでいけばまにあいます。それでも、あいにくと『ザ・トップテン』の音合わせと、『レッツゴーヤング』のカメラ・リハーサルが重なってしまいました。カメラ・リハーサルを抜けるわけにはいきません。音合わせには、マネージャーさんが行ってくれることになりました。「音合わせだから、すぐに終わると思うよ。その間、一人でだいじょうぶだね」そう言い残して、佐藤さんは、渋谷公会堂へと急いでいきました。もう一人のマネージャーの清水さんは、他の番組の打ち合わせ。あちこち回ってくるらしく、もうだいぶ前から姿を消していました。(P13~14)「河合奈保子さん、カメラ・リハーサルが始まりますので、急いでステージへお願いします」突然のアナウンスに、すっかりあわててしまいました。「行ってきま~す」と、そのまま廊下を走りだしたのは言うまでもありません。下手側(客席から向かって、ステージの左側のこと)の、ステージの袖へ通じる入口から、いちもくさんに進んで行きました。袖の所には、スタッフの方や出演者の皆さんが、大勢かたまっています。「スミマセーン。ちょっと失礼しま~す」かきわけながら、ステージのほうを見てみました。ショー・コーナーのセットなのでしょう。大きな鏡がたくさん並べられ、まるで”鏡の世界”のよう。私の眼が悪いせいでしょうか(視力は、0.08です)。それとも、鏡が反射してみえるせいなのか、照明のかげんなのかは、よくわかりません。ステージには、せり穴のような黒く四角い影がいくつも見えていました。一体どれが本物かわかりません。そういえば、係の方が何か言っていたような気もするけれど・・・。エーイ、イイヤ。キット、ダイジョーブ!とにかく、ステージの下手側にセットされているソファーまで、早く行かなければ・・・。台本を思い浮かべながら、焦ってかけだしていました。「キャー!!」一瞬のうちに、体は宙に放り出されていました。”本当のセリだったんだ!!」とっさに、スカートのすそを押さえたことを覚えています。自分はこのまま落ちて行って、もうすぐ死んでしまうんだ・・・」覚悟のようなものが、全身をかけめぐりました。ステージの下は空洞のようになっていて、パイプのようなものが何本も並んでいるのが、一瞬見えたような気がします。まるで地の果てへ落ちていくように、長く長く感じられました。死ぬ直前、人は、生きて来た思い出の数々を”走馬灯”のように見ることができるそうです。そのことば通り、脳裏をかすめていったのは、たった18年しかない”私の人生”の切れはしでした。ーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」復刻版「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム/2021年8月31日初版発行」
2023.05.01
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